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2022年3月

2022/03/31

ライ・クーダーとかジョン・ハイアットとかお好きなら 〜 スティーヴ・ドーソン

Gonelonggone

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Steve Dawson / Gone, Long Gone
https://open.spotify.com/album/5aBKL2TKWb6Br1f552lIVO?si=Bj1PX2a1RzmTjRSgjj1gsQ

 

萩原健太さんに教えてもらいました。
https://kenta45rpm.com/2022/03/25/gone-long-gone-steve-dawson/

 

スティーヴ・ドーソンはカナダはヴァンクーヴァー出身のルーツ・ロック系シンガー・ソングライター。各種ギター類を弾き、歌い、プロデュースやエンジニアリングもやるっていう。現在は米ナッシュヴィルに拠点を置いているみたいです(多い)。

 

その最新作『ゴーン、ロング・ゴーン』(2022)には、なぜかフェイシズ「ウー、ララ」のカヴァーがあったりもしますが、それ以外はスティーヴのまろやかなギター演奏をフィーチャーした自作や共作で構成されています。公式サイト↓
https://www.stevedawson.ca/gone-long-gone

 

アメリカーナと言っていい音楽で、個人的にはおだやかに静かにアクースティック・ギターや各種スライド系を弾いているしっとりナンバーがお気に入り。北アメリカ大陸ギター・ミュージックのルーツの一つであるハワイ音楽を思わせる瞬間も多くていいですね。

 

ホーン・セクションがソウルフルなグルーヴを提供するオープニング・チューン「ダイムズ」からゴキゲン。2曲目はハワイのキング・ベニー・ナワヒにささげられたものですが、イナタいビートに乗ったハワイ的なギター・スライド+ニュー・オーリンズ・スタイルの転がるピアノがからんで、なんともいい気分。

 

3曲目のタイトル・ナンバーはストリングスとアクースティック・ギター&ペダル・スティールが溶け合うっていう。ヴォーカルも入ってはいますが、スティーヴ2018年の前作『ラッキー・ハンド』は自身のギターでストリング・カルテットと共演するインストルメンタル・アルバムだったので、そこからの流れを汲んでいるのかも。

 

そして、今作で個人的に白眉だぞと思うのが6曲目「クラニアピア・ウォルツ」。もちろんワルツですが、多彩なスティール/スライド系ギター技巧をしっとり味わえるインスト・ナンバーで、+ブラシでやるドラムスとレトロなパンプ・オルガンがしんみりと色を添える渋めの一曲。おだやかで、のんびりのどかなハワイの風景も連想させて、えもいわれぬいい心地です。

 

同じくインストの9曲目「シカーダ・サンクチュアリ」はスティーヴのアクースティック・ギター独奏。多重録音もなし、一本で一発録音したインスト・アメリカーナみたいな感じ。「クラニアピア・ウォルツ」にしろ、こうした落ち着いたギター・インストが印象的なアルバムですね。

 

決して弾くまくり系の派手さや技巧見せつけはないけれど、ギター演奏のほんとうのうまみがじんわり沁みてきて、その意味でもライ・クーダーとイメージが重なります。

 

(written 2022.3.30)

2022/03/30

聴きやすくわかりやすい 〜 オルジナリウスのホワイト・アルバム

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(3 min read)

 

Ordinarius / Blanc
https://open.spotify.com/album/50lnSF0tOslKOWwK8YYsbR?si=RYQk73oVS_qzTMx4uLJLhw

 

ブラジルのヴォーカル・コーラス・グループ、オルジナリウスの新作『Blanc』(2022)がリリースされましたね。渋谷エル・スールでは前々作の『Paralelas』(2020)が今年の最新入荷みたいになっていますが、その後2021年にも一作ありました。

 

このアルバム題とジャケット・デザインをあわせ見ると、やはりどうしてもビートルズの(通称)『ホワイト・アルバム』(1968)を連想するわけですけど、オルジナリウスの今作はアルジール・ブランキ(Aldir Blanc)曲集という意味です。

 

それでもこういうジャケット・デザインにしたんだから「白」というのにもひっかけたのではありましょう。プリンスにも(通称)『ザ・ブラック・アルバム』(1994)という真っ黒ジャケがあったし、ビートルズのあれはなにかとオマージュを産んだ名作です。

 

オルジナリウスの『ブランキ』収録の12曲はすべてアルジール・ブランキの書いたもの。ブラジルの国民的詩人とまで言われたアルジールは2020年5月に新型コロナウィルス感染症で亡くなっているので、追悼の意味を込めたトリビュート・アルバムをつくったんでしょう。

 

このコーラス・グループの音楽性は、ぼくも松山公演に行った2019年秋冬の来日ツアーあたりから三作、微動だにしておらず、いい意味でのマンネリというか金太郎飴状態。不動のエンタメ・ミュージックなんですよね。

 

ここまで続けて同じことを徹底的に練りこめば、もうこれは立派なアート(職人芸=芸術)と言えるし、こういったうきうき楽しい音楽を待ち望むファンにきっちり結果を聴かせてくれているというホンモノのプロだけがなせるワザだということです。

 

しかし前もオルジナリウス関連で言いましたが、楽器演奏にしろヴォーカル・コーラスの重ねかたにしろ、めっちゃ高度に洗練された複雑な技巧を駆使してつくりこまれています。ちょっと聴いてもただ楽しいだけの軽い音楽に思えたりするかもしれませんが、そういうできあがりになる、聴きやすくわかりやすいっていうのが真のすばらしさです。

 

『ブランキ』でも約43分間がただひたすら楽しくてあっという間に終わってしまいますし、アルジール・ブランキというソングライターと書いた曲の魅力を最大限に発揮できているし、アミルトン・ジ・オランダ、トリオ・ジューリオなど多彩なゲスト参加もオルジナリウスのエンタメ性にまるで同化されています。

 

(written 2022.3.29)

2022/03/29

ガウーチョがモチーフのデュオ・ショーロ 〜 ヤマンドゥ・コスタ&ベベ・クラメール

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(2 min read)

 

Yamandu Costa, Bebê Kramer / Simpatia
https://open.spotify.com/album/0NtYWq3YYdZ4zm56aAGW9E?si=MroIt1xaQXqF42cHm83OoA

 

10日ほど前にまたまたヤマンドゥ・コスタ(七弦ギターリスト)の新作が出ましたが、だれもなんにも言わなくなったのは、要するに出しすぎて日常になってしまったということと、フィジカルがないからでしょうね。LPやCDで出すことを考えていたらこんなにどんどんリリースできないわけですけれども。

 

そう、ヤマンドゥはコロナ時代に入ってかえって活動が活発化している音楽家の一人。おそらくかなり軽い気分でホーム・セッションを重ねてはポンポン続々とリリースしすぎなので、もうだれもついていけないっていうことになっています。

 

そんなヤマンドゥの最新作『Simpatia』(2022)は、ブラジル南部出身のアコーディオン奏者ベベ・クラメール(アレサンドロ・クラメール)とのデュオ・ショーロ。どちらかというとヤマンドゥよりベベが主役を握っているようなサウンドです。

 

それはジャケット・デザインからもわかるようにブラジル南部〜ウルグアイ〜アルゼンチンのガウーチョ(ガウーショ)がモチーフになっているからでもありますね。実際ショーロというよりフォルクローレに近いような音楽にも聴こえ、サウス・アメリカ南部の粋を器楽演奏したという感じかも。

 

もちろんいずれもショーロ楽曲ではあります。なかではラダメス・ニャターリの曲が二つ、ピシンギーニャにささげた曲も二つ(うち一つはニャターリ)あるのが目立ちます。アストール・ピアソーラも一曲あり。それら以外はベベやヤマンドゥの自作が多いかなと見受けられます。

 

都会的洗練よりもやや野趣すら感じる演奏ぶりで、素朴な田舎ふうっていうか、ぼくにとってはアコーディオンの音色がそういったフィーリングなのかもしれません。明るくダンサブルな魅力もあって、室内楽的印象の強いショーロが、実は最初ストリート・ミュージックだったというのを思い起こさせるものです。

 

(written 2022.3.28)

2022/03/28

なんでもない日々をちょっとした幸福へと変える歌 〜 原田知世

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(3 min read)

 

原田知世 / fruitful days
https://open.spotify.com/album/4qEzXvDAgusrcMi5O5dWr7?si=zstfBuBiT9GN1UJzN_8tFw

 

2022年3月23日にリリースされた原田知世の新作『fruitful days』は、伊藤ゴローがプロデュースするこの歌手の最高傑作になりました。全キャリアを通してのNo.1かもしれません。そう思えるほど、すばらしい。

 

3月23日以後音楽はもうこれしか聴いていないんじゃないかと思えるほどのヘヴィロテぶりなんですが、こんなにも美しいチャームに満ちているんですから当然です。美メロばかりな曲が粒ぞろいで文句なしで、ゴローのプロデュースが冴えているし、知世のヴォーカルもいままでにない充実を聴かせています。

 

個人的にいちばんのお気に入りにはなんといってもオープニングの1曲目「一番に教えたい」。高橋久美子の書いた歌詞は日常生活に根ざした素直でナイーヴなものですが、詞先でそれにつけたゴローのメロディとアレンジが変態的といえるほど屈折した美しさで、最高にデリケート。

 

それをつづる知世の声は、年齢を重ねていっそうのやさしさとおだやかさを備えるようになっていて、その薄味で淡色系なヴォーカルの味わいは、いまのぼくの耳にはこれ以上ない癒しに聴こえます。なんでもない平穏で平凡な日々を語った曲にふさわしい歌手です。

 

若かったころの知世の歌にはこうした落ち着きはありませんでした。人生経験を重ね、人生の残り時間が見えてきたかもという年齢になって(「50代になってからは、自分が健康でいられていろんなことができる時間というのは、長いようでそんなに残ってないのかなと思うようになりました」)、こうした淡い心境を最高にいい感じに歌うことができるようになっています。

 

そんな知世の充実に寄り添うような色彩を持つ曲の数々とゴローの静かでオーガニックなサウンド・メイクで、もうぼくなんか完璧に溶けちゃっていますね。現在の日本のポップス界における最高の果実がこのアルバムだと言いたいくらいです。

 

2曲目「ヴァイオレット」(川谷絵音)も最高に美しいし、4「真昼のたそがれ」(辻村豪文)で聴けるスウィング・ジャズを意識したようなレトロなサウンドと4ビートもいい。このへんまでは、いやラストまで、アルバムに間然するところがなく、つくりこまれた隙のないプロデュースぶりでため息が出ます。

 

さらに、二曲のセルフ・カヴァー(5「守ってあげたい」9「シンシア」)がこのアルバムをスペシャルなものにしています。ゴロー&(50代の)知世コンビならではというできばえで、過去の初演と比較すれば凪のようなしずやかさは瞭然。ここまで来たんだという感慨を、聴き手のぼく自身の内面に重ね合わせ、ひとしおな気分です。

 

https://www.universal-music.co.jp/harada-tomoyo/products/uccj-9237/

 

(written 2022.3.27)

2022/03/27

キャロル・キングのカーネギー・ライヴ 71に聴く人間味

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(5 min read)

 

Carole King / The Carnegie Hall Concert, June 18, 1971
https://open.spotify.com/album/1zpek5hOaIualxw0Gmev0z?si=nGnhr7WoQU6AibRi2dVBLw

 

きのう書いた『ライター』制作の前にキャロル・キングが組んでいたバンド、ザ・シティのアルバムがまったく売れなかった一因にキャロルのステージ恐怖症がありました。だからプロモーションができなかったのです。

 

それを踏まえた上で、この1971年カーネギー・ホール・コンサート『The Carnegie Hall Concert, June 18, 1971』(リリースは96年)を聴くと、なんだか別人みたいですよね。ちょっと緊張してナーヴァスになっているなという様子も聴きとれますけれども。

 

傑作『タペストリー』のリリースが1971年2月。この6月のカーネギー・ホール・コンサートだって『タペストリー』のプロモーションというかキャンペーンという面だってあったんじゃないですか。とはいえこのコンサートの時点で既に売れまくってはいました。

 

だからプロモーションというより生まれ故郷への凱旋みたいな意味合いだったんでしょうか。1曲目「アイ・フィール・ジ・アース・ムーヴ」を終えると、キャロルは「実はブルックリン生まれなんです、戻ってきました」と自己紹介していますから。そう、ジェリー・ゴフィンとのソングライター・コンビで成功を収めてのちはロス・アンジェルスに移り住んでいたキャロルで、そこで『タペストリー』を成功させたんですが、NYのカーネギー・ホールはこども時分からなじみの場所だったはず。

 

キャロルのこのカーネギー・ライヴは途中までひとりだけでのピアノ弾き語りなんですよね。ほんの二年前までステージ恐怖症でツアーできないくらいだったのに、たったひとりでカーネギー・ホールみたいな大舞台で弾き語るなんて、それくらい『タペストリー』の大成功がキャロルの人生を変えたんでしょう。

 

実際、1曲目「アイ・フィール・ジ・アース・ムーヴ」出だしのブロック・コードで弾くピアノ・リフを耳にしただけで、この日のキャロルは緊張しているのがいい意味での高揚感、やる気につながっていて、武者震いするような感じというか、これならいい演唱ができるはずと納得できるオーラがあります。

 

さらに、たしかに『タペストリー』からのレパートリーが中心ではありますが、それ以前の代表曲もたくさんやっていて、ゴフィンと組んでいたブリル・ビルディング時代のものだってあるし、だからある意味<キャロル・キング名曲コレクション>とでも呼べるような内容なのも好きなところ。

 

途中からはやはりロス・アンジェルスから駆けつけた仲間も客演。チャーリー・ラーキー (ベース)が7曲目から、ダニー・クーチ(ギター)が11曲目から、それからこれはNY現地採用でしょうけどストリング・カルテットが13曲目から、それぞれ参加して合奏形式になるのも楽しいところ。

 

終盤はキャロルにとって人生最大の友と呼べるジェイムズ・テイラーがサプライズ登場し、15、16曲目といっしょに(ギターを弾きながら)歌います。16曲目はSpotifyのトラックリストだと「ウィル・ユー・スティル・ラヴ・ミー・トゥモロウ」(シレルズ)しか書かれていませんが、後半はおなじみ「アップ・オン・ザ・ルーフ」(ドリフターズ)になっています。

 

15「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」16「アップ・オン・ザ・ルーフ」ともに、ジェイムズ・テイラーも同時期にとりあげて歌っていて、作者自身のヴァージョンより有名だったくらいですから、この二曲をデュオでやるというのは納得です。

 

こうした人間的交流、(孤独と表裏の)あたたかみをじんわり感じさせるのが、キャロルとジェイムズ二名の音楽では最大の美点かもしれません。ステージに立つのがおそろしかったキャロルが、こうして大舞台で、しかも前半はたったひとりでパフォーマンスすることを成功させた背景には、そんなことが支えとしてあったのかもとうかがわせます。

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(このカーネギー・ライヴのバックステージでの二人)

 

ラストはひとりでのピアノ弾き語りに戻って「ア・ナチュラル・ウーマン」を。これもアリーサ・フランクリンのために(ゴフィンと組んで)書いた曲ですが、アリーサもよくピアノを弾きながら歌ったもの。結局のところ、こうした名曲の前に黒人/白人の区分など言うのは無意味だと心底納得します。

 

(written 2022.1.1)

2022/03/26

つらくなったら屋根の上へ 〜 キャロル・キング『ライター』

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Carole King / Writer
https://open.spotify.com/album/6sy9uYbSfuhH1HCv2e6269?si=kb8Usef3T_W8CIOqrnK8IA

 

キャロル・キングの実質的歌手デビュー作『ライター』(1970)。翌年の次作『タペストリー』が畢竟の名作で爆発的に大成功したがため影に隠れて目立ちませんが、実はぼく『ライター』もけっこう好きなんです。

 

実質的、とわざわざ断ったのは、キャロルは1958年に16歳で歌手デビューは一度しています。まったくどうにもならなくて、歌手キャリアをいったんおいて、翌年結婚したジェリー・ゴフィンと仕事上でもパートナーシップを組みブリル・ビルディング系の職業ソングライターとして歩むことになりました。

 

それで名声を確立し、ゴフィンと離婚しての1968年、ロス・アンジェルスに移住し今度はトリオ・グループ、ザ・シティをダニー・クーチー、チャールズ・ラーキーと結成。ふたたびピアノ&ヴォーカルを担当し一枚アルバムをリリースしたものの鳴かず飛ばずで翌年に解散。

 

ソロとして再デビューしたのが70年の『ライター』というわけです。ブレイクは次作の『タペストリー』まで待つことになったものの、『ライター』だってこれはこれでおもしろいアルバムなんですよね。アルバム題はソングライターとして知られていた自身の立場からとったものでしょう。

 

実際、ゴフィンと組んでほかの歌手たちに提供した過去曲も歌われているし、さらに私生活では離婚したもののビジネス・パートナーとしては続いていたこのコンビの新曲も収録されています。バックは直前に解散したザ・シティのダニー・クーチ、チャールズ・ラーキーらが中心。

 

特にバラード系、たとえば3曲目「チャイルド・オヴ・マイン」、7「イヴェンチュアリー」などはたいへんすばらしい曲で、キャロルはヴォーカリストとしてそんなに魅力的とかうまいとかいえない存在ですから、いい曲を書けるかどうかが勝負の分かれ目です。

 

時代を反映してということか、ちょっぴりサイケでジャジーな演奏をバンドでくりひろげる場面も若干あったりするのが楽しいところ。そんな要素、『タペストリー』以後はまったく消えてしまいましたからね。特に8曲目「ラズベリー・ジャム」。キャロルも60sを呼吸していたということでしょう。

 

そしてなんといってもこのアルバムを個人的にスペシャルなものとしている最大の要因は、ラストに収録されている「アップ・オン・ザ・ルーフ」。ドリフターズに提供した1962年の曲ですが、ぼくにとってはこの作者自身のヴァージョンこそ至高のもの。

 

ドリフターズが歌ったときには「忙しいときに一服入れよう」といった程度のものだったかもしれません。キャロル自身やジェイムズ・テイラー、ローラ・ニーロらのヴァージョンは、内省的なシンガー・ソングライターが自己をみつめる内容に変貌していることに注目してほしいです。

 

ドラム・セットの代わりにコンガを使い、ピアノ、アクースティック・ギター(ジェイムズ・テイラー)と、あとはストリングスだけという編成の伴奏で、「つらくなったときは屋根の上にのぼるんだ」という、孤独感のただようなんともいえず沁みる歌詞をキャロルがおだやかにつづるさまに、涙がこぼれます。

 

『ライター』の時点でキャロルはLAに移住していましたが、この曲は、作者自身のこのヴァージョンでもちょっと(出身地の)NYCっぽい香りがしますね。

 

(written 2021.12.31)

2022/03/25

ひとりぼっちの「スターティング・オーヴァー」〜 キャット・エドモンスン

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(4 min read)

 

Kat Edmonson / Take To The Sky
https://open.spotify.com/album/1MqGJoEKazTWPX0HaA17L2?si=kGoHqnIsT3OH7ge7m8AzBg

 

いまのところの最新作である2020年『ドリーマーズ・ドゥ』で出会いすっかり魅せられてしまった歌手、キャット・エドモンスン。ディズニー・ソングの数々をワールド・ミュージックふうに料理するという、ハッとさせられるみごとなアルバムでした。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-02e2af.html

 

キャットは声質と歌いかたがねえ、ちょっと舌足らずのアイドルっぽいキュートさというかイノセンス、幼さを感じさせるタイプですから、聴き手を選んでしまうかもしれません。ですが音楽に対する姿勢はなかなか硬派のチャレンジャーですよ。

 

デビュー作の『テイク・トゥ・ザ・スカイ』(2009)でも、すでにそんなキャットの果敢な冒険心がよく発揮されていて、すばらしいなとぼくなんかは感心します。この歌手は常套的なアレンジを決して使わないんです。

 

『テイク・トゥ・ザ・スカイ』で顕著なのはリズム面での工夫。とりあげられている曲はグレイト・アメリカン・ソングブック系のスタンダードが多いんですが(「サマータイム」「ナイト・アンド・デイ」「エンジェル・アイズ」「ジャスト・ワン・オヴ・ゾーズ・シングズ」)、どれも目(耳)を張る斬新なビート感で生まれ変わっています。

 

キー・パースンはピアノも弾いているケヴィン・ラヴジョイ(Kevin Lovejoy)で、だれなんだか知りませんが、アレンジャーをつとめているんですね。どのスタンダード曲も、ピアノかベースかドラムスが意外かつイビツな反復リフを演奏し、だれもが知っている曲にいままでにない相貌を与えています。

 

といってもリズムが快活で楽しいとか躍動的とかっていうのではなく、ちょっと暗いっていうか一箇所にジッとたたずんでぐるぐるまわっているような、う〜ん、うまく言えないんですが、陰で翳の差すリズム・アレンジで。キャットのキュートな声質も、かえってそんな不穏さを強調しているように聴こえるのがおもしろいところ。

 

それが凝縮されている象徴的一曲が(ボーナス・トラックを除く事実上の)アルバム・ラスト9曲目の「(ジャスト・ライク)スターティング・オーヴァー」。ジョン・レノンが書き歌ったこれは、ヨーコとの再出発を誓いあう前向きのポジティヴ・ソングだったのに、ここでのキャット・ヴァージョンはビートのほぼないテンポ・ルバート。

 

べつに陰鬱なフィーリングでもありませんが、こういうテンポとリズムとサウンドで再解釈することにより、微笑ましくもちょっと直視できにくいと感じることもあったジョン&ヨーコのこのストレートでやや押しつけがましい愛のかたちのそのフィーリングを、みごとに中和し毒づけして仕上げています。

 

二人で歩んだジョンとヨーコの姿をどうこう思いませんが、キャット・エドモンソンのこの「スターティング・オーヴァー」とこのアルバムには、なんともいえない孤独感と気高さが(音楽的に)色濃く出ていて、ずっとひとりぼっちの人生を送っているぼくみたいなリスナーは共感しやすいんです。

 

キャット・エドモンスンって、そういう歌手ですよね。

 

(written 2021.12.17)

2022/03/24

サブスクに載せたり消したりしないでほしい

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(4 min read)

 

2020年おおみそかにアップロードした記事「21世紀のベスト20」。これにどちらも選出したパウロ・フローレス(アンゴラ)の2013年作『O País Que Nasceu Meu Pai』とレー・クエン(ヴェトナム)の16年作『Khúc Tình Xưa - Lam Phương』は、その後一時期Spotifyで聴けなくなっていました。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/12/post-0be9ec.html

 

世紀ベストに選ぶくらいどっちも大好きでぼくのなかで評価が高いこの二作、もともとはもちろんSpotifyで聴けました。それでもってぼくも楽しんでいたというのに、しかし、しばらく経って両方とも消えたんです。

 

ときどきあるんですけどね、こういうことが、Spotify(や他の音楽系サブスクでも同じだと思う)では。なんなんでしょうね、一度入れたものをまた消すっていうのは。消えないものが大半ですけれども、なぜだか謎の消失現象がたまにあります。

 

なにかの権利関係のことかな?と推測するわけですが、そもそもそういったことをクリアした上でサブスクで聴けるようになるんじゃないんですか?あるいは音楽家本人の意向とか事務所、レーベルの方針とか、さまざまに考えられますけれども、もはや2020年代だというのにCDじゃないと聴けないなんて、あまりにも時代錯誤。

 

それぞれの人間にそれぞれの事情があって、ぼくのばあい引越した2020年7月から約一年間、住宅事情によりCDが手にとれない、ダンボール箱に入ったままという状態が続きました。その後もう一回の引っ越しですべてのCDをちゃんと出しましたけども、未整理のままなのは変わらず(やる気もなし?)。

 

それでも主だったものはパソコンのMuiscアプリ(旧名iTunes)にファイルとして入っていて、パウロ・フローレスもレー・クエンもCD買ったやつはぜんぶインポート済みの状態だったんで、だから聴こうと思えば不便はありませんでした。ですけどねぇ。

 

そもそもレコードやCDとして、あるいはストレージ内の実体ファイルとして、所有していないと聴けない音楽ってなんなんですか?パソコンだって一定期間で買い換えますから、その際に膨大な内蔵音楽ファイルを移行しなくちゃいけないのがウンザリ。物体の引っ越しも同様。

 

そこいくとSpotifyなどサブスクはネット環境さえあればいつでもどこででもアクセスし、聴けるんですよ、パソコンでもスマホでも。そんなサービスに存在しているか否かはめちゃくちゃ意味がデカいです。音楽ライフを左右するくらいに大きなことです。もういまやネット環境がない、まったく電波もないという状態は考えにくいですから。

 

しかもパウロにしろレーにしろ、聴けたのが一度消え、それがまたいま(2021年8月下旬)復活しているのはいいことですけど、しばらくのあいだどうしてこんな名作がSpotifyで聴けないの?とぼくは悶々としていました。

 

心臓によくないです。また消えるんじゃないかとビクビクしますから。お願いですから、一度聴けるようにしたものを(どんな事情があるか知りませんけど)消さないでほしい。リスナーとしては泣きたくなっちゃいます。戦々恐々の日々を送りたくないです。聴く方法が皆無になるわけじゃないにしても。

 

以前解禁になったジョアン・ジルベルト『三月の水』もいっとき聴けなくなっていたし、ずっと楽しんできたアンガームの2018年作、19年作だって消えて、また復活。ヒバ・タワジの『30』も数ヶ月間グレー・アウトしていたし。現在はぜんぶ復活していますけど、勘弁してください。

 

(written 2021.8.27)

2022/03/23

ユニーヴァーサルな21世紀型オーガニック・ポップス 〜 トトー・ST

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(2 min read)

 

Totó ST / Nga Sakidila
https://open.spotify.com/album/5z6nPM5BNo42iW6QkLKF97?si=iRm_7V-bTy6uF71hJw3hCQ

 

bunboniさんの紹介で知りました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-06-09

 

上のbunboniさんの記事ではアンゴラのトトー・STのアルバムが二作載っていて、両方聴いてみたらどっちもいいので、じゃあとりあえず近作のほうをと思い2019年の『Nga Sakidila』をとりあげてメモしておくことにします。

 

2014年作もそうですが、19年の『Nga Sakidila』もアンゴラ色はおろかアフロ・ポップ・カラーすらほとんどない、ワールド・ワイドに通用するまろやかでソフトで上質で高度に洗練された音楽。ラスト15曲目でだけなぜかブラジルの楽器ビリンバウが使われていますがそれだけで、アルバム全体はギターやピアノなどのサウンドが中心。

 

曲もいいしギター演奏もヴォーカルも伸びやかで、三拍子揃ったいい才能ですよね。ドラムスやベースなどリズム・セクションが参加して軽快にグルーヴするナンバーにも聴き惚れますが、個人的にはトトーひとりでのおだやかなアクースティック・ギター弾き語りみたいなのが大のお気に入り。

 

出だしの1曲目からしてそうなんですが、ほかにも5曲目、12曲目とあります。こういったアンプラグドなギター弾き語りで聴かせるトトーの音楽のやわらかな感触には、リスナーのメンタルをゆっくりほぐしていくような独特のチャームがあって、どっとかというと少人数バンド編成でのオーガニックなビートの効いた曲が多いアルバムのなかでいいアクセントになっています。

 

弾き語りナンバー、バンドでのナンバーと、どちらもすんなり耳になじむユニヴァーサル・カラーがあって、特にアンゴラがどうこうとかアフロ・ポップに興味のない一般の音楽リスナーにもアピールできそうな21世紀型ポップスとして通用します。アメリカン・ミュージック・ファン、J-POP好きだって好きになれるんじゃないですかね。

 

(written 2021.12.15)

2022/03/22

あまりにもスティーヴィ 〜 PJ・モートン

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(3 min read)

 

PJ Morton / Gumbo
https://open.spotify.com/album/0vSjCEvf6IxMJkZ9PUFsgh?si=_pAr22I-QcGdHdSH8YZezg

 

bunboniさんのブログで知りました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-05-12

 

PJ・モートン2017年のアルバム『ガンボ』。全曲をアクースティックな?生演奏バンドで再現した翌18年の『ガンボ・アンプラグド』(けっこう電気が鳴っているけど)も聴いてみましたが、個人的には『ガンボ』のほうが断然好きですね。

 

ニュー・オーリンズ出身だしこういうアルバム題だしと思っても、『ガンボ』にニュー・オーリンズらしさはまったくといっていいほどなし。それよりもネオ・ソウルっぽい音楽ですよね。

 

もっといえばネオ・ソウルのルーツたる1970年代ニュー・ソウルっぽさ全開。不要とは思うけどいちおう説明しておくと、ネオ・ソウルというタームはニュー・ソウルを意識してモータウンのキダー・マッセンバーグが考案したものです、そもそも(NeoはNewの意)。

 

そしてモートンの『ガンボ』を聴いてわかるのは、1970年代のスティーヴィ・ワンダーにそっくりすぎるほどそっくりだということですね。ぼくはスティーヴィ大好きなんで。ときどきいますけど、そういうスティーヴィそっくりさん歌手、でもここでのモートンのばあいは声質や歌いまわしのスタイルだけでなく、ソングライティングからして似せています。

 

プロデューサーとしても活躍しているモートンなので、『ガンボ』をこういったふうに仕上げよう、スティーヴィをフォローしようというのは当初からあった目標だったのかもしれません。曲づくり、シンセサイザーの音色やフレイジングの隅々、ビートの細かなパーツにいたるまで、なにからなにまで70年代スティーヴィそのままを再現しています。

 

そんななか個人的に一番グッときたのはアルバム・ラストの「ハウ・ディープ・イズ・ユア・ラヴ」(愛はきらめきの中に)。言わずと知れた1977年のビージーズ・ナンバー。高校生のころに聴かされすぎて食傷していたディスコ・チューンではない、このへんのビージーズのことは、いまさらではありますが最近ようやくしみじみいいなぁと感じるようになっています。

 

それをモートンがスティーヴィ的トラック・メイクとそっくりヴォーカルで聴かせてくれるんだから、文句なしに最高です。モートンのこれを聴いていると、ビージーズのギブ兄弟の書いたこうした一群の曲には(調理次第ではありますが)もとからソウル・フィールがあったかもなあとも気づきます。

 

(written 2021.12.11)

2022/03/21

全岩佐美咲史上最高 〜 「初酒」と「もし空」ライヴ in『美咲めぐり ~第2章~』

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https://www.amazon.co.jp//dp/B07X3QG47M

 

日常的に頻聴している自作プレイリスト『岩佐美咲 / トータル・ベスト2021』。全10曲の持ち歌と「さよならの夏」(with セシル・コルベル)以外どれもこれもサブスク配信されていませんから、CDからパソコンにインポートして、それをiPhoneにも移しどこででも聴けるようにしてあります。

 

そして、実はそれをSpotifyアプリでも再生できるようにしてあるんですね。といっても11曲以外はすべてローカル・ファイルなんでぼくのディバイスでしか聴けないはずですが、どんな曲を選んでどういう順で並べてあるのか?と思ったかたは以下をご覧あれ↓
https://open.spotify.com/playlist/7w7baOGJaSo9iz09O1EwfI?si=70a5c07f87d8484e

 

12曲目以下のローカル・ファイル・パートはぼくしか聴けないはずと思うのに、七個のライクがついているのはなぜなんだろう?ともあれ、これを聴くたび感動で惚れ惚れと深いため息をもらすのが、ラストにおいた二曲のライヴ・テイク「初酒」と「もしも私が空に住んでいたら」です。2019年のアルバム『美咲めぐり ~第2章~』初回盤収録。

 

この二曲のライヴ・ヴァージョンが、もうあんまりにもすんばらしすぎると思うんですよね。「初酒」は3rdコンサート(2017年7月22日一部公演)、「もしも私が空に住んでいたら」は4thコンサート(2018年2月4日一部公演)より。後者はぼくも現場で生体験しました。

 

個人的な意見ではありますが、『美咲めぐり ~第2章~』初回盤に収録されたこれら二曲こそ、全岩佐美咲史上の最高傑作だと思うんです。前にもそう書いたことがありますが、なんどでも言いたい、そうせずにはいられないくらい、好き!美咲のヴォーカルが、この世のものとは思えないチャーミングさです。

 

チャーミングといっても、いはゆるかわいい系のという意味ではなくて、演歌歌手としてしっかりした艶やかな歌を聴かせているということです。この二曲は、ちょっと聴いてみるだけでタダゴトじゃないぞというオーラをまとっているとわかるはず。

 

声のノビやハリが最高にすばらしく、これらを歌った2017〜19年ごろは美咲が歌手キャリアでピークにあった時期だと思うんですよね。コロナ禍以後は活動停滞で落ちてきていますから。そこいくと2019年秋にリリースされた『美咲めぐり ~第2章~』収録のこれらライヴ・テイク二曲は絶好調だった時期。

 

そのころのコンサートや歌唱イベントなどに通い最新の美咲歌唱を聴いていた(ぼくをふくむ)ファンからは、初期のオリジナル楽曲はまだ未熟だった時期にレコーディングされたもので、近年は著しく進化しているので、もう一回録音して発売しなおしてほしいという声が多くあがっていました。

 

スタッフや会社サイドもそうした美咲の進化を現場で聴いて納得していたのでしょう、2019年のアルバムに近年ライヴ・ヴァージョンが収録されることになり、ぼくらは快哉を叫びましたよね。実際、美咲は艶ややかな声であざやかな歌を聴かせてくれていて、オリジナル・シングルとは比較にならないできばえ。

 

「初酒」も「もし空」も声が美しく輝いているし、しかもフレーズ終わりごとにほんのり軽く弱いヴィブラートを、それとわからない程度にふわりと効かせながら、す〜っとナチュラルにデクレッシェンドしていく技巧もこのころが最高期。強く言いきかせるように歌う部分とそっとやさしく寄り添うようにおいてくる部分との緩急も自在。

 

特にアルバム・ラストの「もし空」には降参です。これを締めくくりに持ってきたということは、制作サイドも最高傑作であるという認識だったんじゃないかと確信します。歌の理解度・表現力が格段に向上していて、2019年のアルバム発売当時ぼくらが現場にどんどん通って聴いていたあのころの最新歌唱になっています。

 

1コーラス目の「宿の窓辺からそっと見送るぅ〜」の最後「ぅ〜」部分での声の伸びやかさなんか、異次元というかもう異様とも思えるほどのあざやかな艶と色気が込められていて、そのままサステインしながらす〜っときわめて自然に弱くなっていく、その時間はほんとうに美しく幸福。

 

2コーラス目「月に一度の逢瀬を重ねて、手に入れたものは偽名と孤独」部なんて、この上なく表現が深まっているし、「偽名と孤独」部で「こど、くっ」と切なげに声をそっとかすかにやさしくおくことにより、主人公の哀しみが色となって鮮明に、しかしほんのりと、リスナーに伝わります。

 

(written 2022.2.24)

2022/03/20

ロンドン発、ジャズ+ヒップ・ホップのあの時代と、グールーの『ジャズマタズ』

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(5 min read)

 

Guru / Jazzmatazz, Volume 1
https://open.spotify.com/album/64J8girYqmK86ebqBayrjQ?si=yW7uMA4XTl2bfGCB0NCX_A

 

1990年代のあのころ、あまりワケわかっていなかったけど、ただただカッコいいと感じてどんどんCD買って聴いていたグールー(故人)の『ジャズマタズ』シリーズ。一枚目は1993年に出たものですが、たまに聴くと、時代を感じはするものの、いまでもカッコいいよねえ。

 

当時はちょうどメインストリームなジャズ演奏+ラップ&ヒップ・ホップを融合する試みが開始されたばかり。個人的にはUs3を先に知って夢中になっていた記憶がありますが、いま調べてみたらUs3の一作目『ハンド・オン・ザ・トーチ』は1993年11月16日のリリース。グールーの『ジャズマタズ Vol.1』は同年5月18日に出ています。

 

それでもUs3のほうはシングルとして「カンタループ(フリップ・ファンタジア)」を1992年の暮れに出していて、翌93年冒頭にかけて日本でもFMラジオとかでまるで堤防が決壊したみたいにどんどん流れていたんで、こっちのほうが先だったという個人的印象には裏付けがあります。

 

Us3は英国のユニットでしたが、マサチューセッツ生まれの米国人グールーの『ジャズマタズ Vol.1』もある意味ロンドン発っていうか、いったんそこを経由して入ってきたような印象があったのは勘違いでしょうか。あのころ、1990年代、ジャズなマターはアメリカよりどっちかというとロンドンやヨーロッパのほうが人気だったし活発だったような。

 

1980年代からのいはゆるアシッド・ジャズの流行もロンドン発信だったような記憶があるんですが、そのへんからヒップ・ホップ・ジャズまで、ぼくのなかでは一連の流れとして当時認識されていましたし、実際音楽性としても連続していたはずです。

 

大学院博士課程を中退し就職したので(1988年春)自分でお金をかせぐようになって、音楽をまずまず思うように買うことができるようになったということと、ピッタリそのころレコードに代わってCDの時代が到来したということも、あの時代の(個人的)重要ファクターとしてありました。ソウル II ソウルとかあそこらへんからの流れとしてひとくくりで楽しんでいました。

 

この手の音楽は、正対してキマジメにじっと集中して聴き込むというよりは、どっちかというと(当時このことばを知らなかったけど)ラウンジ系というか、なにかしながらそのバックグラウンドで流れていればいいムードっていう、そういうものです。

 

だから、2010年代末ごろから現在までの流行であるロー・ファイ(・ヒップ・ホップ)なんかとその意味でもつながりますね。リラクシング・ミュージックでくつろぎ系、格好のBGMになって、だからジャズはジャズでもハード・バップとかフリーとかみたいに(自室やジャズ喫茶などで)じっくり向き合って真剣勝負で聴くというものじゃありません。

 

ヒップ・ホップなビート感にそういったリラクシングなチル効果があると思いますし、そもそもメインストリーム・ジャズだって1940年代のビ・バップ革命でシリアス鑑賞芸術になっちまう前までは同様だったんですからね。

 

だからそんなジャズとヒップ・ホップ・ビートをフュージョンしてラップを乗せれば極上のラウンジ・ミュージックができあがるという寸法で、実際、クラブなんかで流して踊りながら楽しむ文化があのころから主流になって、そのための音楽をつくろうっていう狙いがUs3やグールーらにあったと思います。

 

ヒットしたグールーの『ジャズマタズ』シリーズは、1993年の一作目以後2000年の三作目まで立て続けにリリースされ、ちょっとおいて2007年の四作目で終わっています。なぜか1と4しかサブスクにはないけれど、当時のぼくはすべてCD買いました。Us3も同じくらいの寿命でした。

 

それでも当時のみんなの試み、意図、目指した音楽的方向性は、やや趣向が変わったとはいえ、現在2010年代以後の新世代ジャズ・ミュージシャンたちにも引き継がれています。打ち込みでやっていたのを生演奏でというやりかたに置き換わったのですが、チリングなビート・フィールみたいなことは同じだと思います。

 

(written 2021.11.28)

2022/03/19

内に込め淡々と静かにゆらめく情熱 〜 ルエジ・ルナ

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(2 min read)

 

Luedji Luna / Bom Mesmo É Estar Debaixo D’Água
https://open.spotify.com/album/72RsVQVhqVjyBfsTCThFpq?si=i6Se6q-JQyuuFaH8Nvb3RA

 

アフロ・ブラジル文化が根づくバイーア州サルヴァドール出身のシンガー・ソングライター、ルエジ・ルナ。その最新作『Bom Mesmo É Estar Debaixo D’Água』(2020)はブラジル黒人女性としてのアイデンティティを音楽に込めた、いはばブラジリアンBLMミュージックみたいなもんでしょう。

 

といっても高らかに宣言するような押し出しの強い躍動的な音楽ではなく、全体を支配するのは均衡のとれたおだやかな抑制の美学。もちろん曲によっては強いビートでがんがん攻めるようなものもあったりして(6「Recado)、そういうのがむかしから大好きなぼくですけど、ここでは全体的に静けさが目立っています。

 

ポエトリー・リーディングをまじえてニーナ・シモンをカヴァーした4曲目「Ain’t Got No」なんかにも象徴的に表現されていますが、黒人女性として生きるとはどういうことか、女性としての権利、ジェンダー平等という問題をじっくり見つめなおすようなおだやかな態度が音楽にも反映されていて、深い部分で怒りや抗議の意味を込めつつ表面的にはしずやかな音楽です。

 

プロデューサーがケニア人ギターリストのカト・チャンゲ。くわえてコンゴ系ブラジル人のフランソワ・ムレカ(ギター)、キューバ人のアニエル・ソメリアン(ベース)、バイーア出身のフジソン・ダニエル・ジ・サルヴァドール(パーカッション)など、マルチ・カルチュラルな面々で制作されたというのもいいですね。

 

アフロ・ブラジル〜ソウル~ジャズからクラシカルな室内楽までが自由な創造性で融合されたアレンジメントがすばらしいですし、ルーツ回帰と都会派な感覚が両立するいまのブラジル音楽シーンを代表する名作だと言えるでしょう。

 

(written 2022.3.9)

2022/03/18

低温やけどのようにじわじわ芯部まで 〜 レ・フィーユ・ド・イリガダッド

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(2 min read)

 

Les Filles de Illighadad / At Pioneer Works
https://open.spotify.com/album/28vMSFsguGKqSPNNy85S5V?si=p490HBxkSSmOso66DIC-_g

 

いはゆる砂漠のブルーズは男性バンドばかりでしたが、サヘル・サウンズがてがけるニジェールのレ・フィーユ・ド・イリガダッドは “フィーユ” というくらいで女性バンド。2016年結成で、女性トゥアレグ・ギター・バンドは個人的に初耳です。

 

そのレ・フィーユ・ド・イリガダッドが2019年の秋に米ニュー・ヨークのブルックリンで行ったライヴを収録したのが『アット・パイオニア・ワークス』(2021)。女性三人の基本編成に男性サポート・ギターリストがくわわっています。

 

ライヴだからといってとくに映えるような派手な音楽は展開しておらず、演出もなく、淡々とギター・ティンデをやるだけなんですが、その一聴、地味とも思えるような平坦なグルーヴこそが、実はこの手の音楽のヒプノティックな魔力だろうとぼくには思えます。

 

つまり、モロッコのグナーワ、アメリカのヒル・カントリー・ブルーズ、アイヌのウポポなんかにも相通ずるようなワンネス旋回反復の快感。グンともりあがったりするパートなどもないので、どこが聴きどころかわからず、なんだかつまんないな〜ってなりそうなそこ、そこにこそこの手の音楽のトランシーで呪術的な作用があるでしょう。

 

レ・フィーユ・ド・イリガダッドのこのライヴ・アルバムだって、聴いているうちいつのまにか徐々に快感が昂まって、まるで低温やけどのように or ぬるめのお風呂にゆっくり長時間つかったあとのように、芯まで熱せられ、最終盤の6曲目あたりではすっかり心地よさに満たされているのがわかります。

 

(written 2022.3.8)

2022/03/17

ブルーズ界の次世代キング 〜 クリストーン・キングフッシュ・イングラム

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(2 min read)

 

Christone “Kingfish” Ingram / 662
https://open.spotify.com/album/3oHvQF3GcnbPRsnp2pieAZ?si=y8RhiCNmQieUczCZoZ0NBA

 

これこれ、これですよ、こういう音楽こそ好きなんですよ、ぼくは。

 

アリゲイター・レコーズからデビューして三年、ブルーズ界の超新星ともいえるギター&ヴォーカル、クリストーン・キングフッシュ・イングラムの二作目『662』が昨2021年に出ました。デビュー作同様トム・ハンブリッジがプロデュース。

 

“662” とはキングフィッシュの出身地ミシシッピ州クラークスデイルの電話市外局番で、だからある意味ルーツ回帰宣言みたいなものなんでしょうか。といってもデルタ・ブルーズをやっているわけじゃありませんが、もちろん(歌詞には出てくる)。

 

こってりとヘヴィ&タイトにドライヴするファンク・ブルーズをやるのがキングフィッシュの持ち味で、ちょっぴり往年のプリンスを思わせるところもあります。ロウダウンなダーティさはほぼなく、都会派ですね。

 

タイトル・トラックの1曲目からパワー全開で突っ走るキングフィッシュ。聴きどころはひととおり歌が終わってバンドの演奏が一瞬止まり、あいだをおいてから敢然とはじまる弾きまくりギター・ソロ。いやあ、こういったファンキーなブルーズ・ギター・ソロを2022年のリアルタイムな音楽として聴けるなんてねえ、感無量です。

 

2曲目以後もさまざまにグルーヴのタイプを変えながら、ジミ・ヘンドリクス、エリック・クラプトン、バディ・ガイらの衣鉢を受け継ぎ、現代のホワイト・ストライプスやブラック・キーズとも呼応しながら、ひょっとしたらジョージ・クリントン、ブーツィ・コリンズなんかとも共振できるような音楽がこれでもかと展開されています。

 

ブルーズはもうすっかり「過去のもの」だみたいなとらえられかたをするようになっているかもしれませんが、それでもいまだにときおりこういう大型新人が出てくるあたり、アメリカン・エンタメ・ミュージック界の健全さ、ふところの深さを感じずにはいられません。

 

(written 2022.3.14)

2022/03/16

これがおっさんにとっての「いいメロ」だ 〜 カクタス・ブラッサムズ

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(3 min read)

 

The Cactus Blossoms / One Day
https://open.spotify.com/album/0kVNpxNis78JrqQgsir4QN?si=XXt6hXjlQame4hsTvUj4qQ

 

萩原健太さんのブログで教わりました。
https://kenta45rpm.com/2022/02/21/one-day-the-cactus-blossoms/

 

カクタス・ブラッサムズは米ミネアポリス出身の二人兄弟バンドで、たぶんポップ・カントリー/ルーツ・ロック系の音楽をやっているといえます。2010年代以後のそういった(アメリカーナ的)土壌から出現したんでしょう。

 

最新作『ワン・デイ』(2022)が、こりゃまたしかし現代的というよりレトロ趣味全開で、うん、もちろんこういったレトロスペクティヴな眼差しがいま最新トレンドではありますが、ほんとうにおじさんキラーなチューンばかり。

 

1曲目でエレキ・ギターがブギ・ウギ基調のパターンを弾きながら鳴りはじめただけで頬がゆるむぼくですが、ずっとアルバム・ラストまでこの調子。個人的にはアクースティック・ギターのやわらかいカッティング・サウンドがメインになっている曲がツボです。

 

特に6曲目「バラッド・オヴ・アン・アンノウン」、7「ナット・ジ・オンリー・ワン」、9「ロンリー・ハート」、10「アイ・オールモスト・クライ」といったような曲の数々は、社会的に疎外された孤独な落ちこぼれ者への視点があって、そこはカントリー界の伝統に沿ってもいるわけですが、強く共感します。

 

もちろん歌詞が、というだけでなく、メロウで中庸保守的なアクースティック・ギター・サウンドを軸に曲づくりされた、このヴィンテージな質感がとてもいいわけです。ちょっとボブ・ディランの『ジョン・ウェズリー・ハーディング』(1967)を想わせるテクスチャーじゃないですか。

 

と同時にとにかくどの曲でもエヴァリー・ブラザーズばりのクローズド・ハーモニーがばっちり決まっていて、もろに21世紀版のエヴァリーズというか、いい感じのエヴァーグリーンなポップ・カントリー・ロック感覚に満ち満ちた仕上がり。

 

1960年代後半〜70年代前半のルーツ・ロック香を強くただよわせていて、たしかにそのへんの音楽がいままたリバイバルしていることは間違いないんですが、だから還暦おじさんにとっての「いいメロディ」「いい曲」感が横溢しているっていうことで。

 

(written 2022.3.10)

2022/03/15

女ことば男ことばという幻想

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(6 min read)

 

「〜〜だわ」「〜〜のよ」など、翻訳小説や映画字幕 or 吹き替え、あるいは外国人音楽家のインタヴュー邦訳なんかでも頻出する言いまわし。女ことばとされるものですが、現実には「そんなふうに話すひとって、ほんとうにいる?」という違和感をいだきます。

 

実際にはどこにもいないだろうという気がするので、いったいいつごろどこからこんなことばづかいが誕生して定着したのか?いまだに各種邦訳であまりに頻出するのはなぜなのか?ちょっと不思議に思えるんです。

 

「〜〜だぜ」系の男ことば(も日常で使っている男性はあまりいないはず)もふくめ、こういったことばづかいにおける “女らしさ・男らしさ” といったものは、実は社会が勝手に押し付けているだけのジェンダー・ステレオタイプであるに過ぎず、それゆえ一方的な性偏見に結びついているんじゃないかというのが、いまのぼくの見方です。

 

この手のことは、このブログでも以前ちらっと軽く触れたことがあります。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/10/post-fce602.html

 

60年の個人的な人生のなかでも、たしかにこんな「〜〜だわ」「〜〜のよ」なんていうしゃべりかたをする女性に会ったことがないですが、たった一人だけいるにはいました。以前LINEや電話でよくしゃべっていた茨城県在住50代女性。名をいま仮に晴美さんとしてみます。

 

晴美さんが、上記のような典型的な女ことばを電話でもLINEでも頻用していたのは、彼女自身が男女別のステレオタイプなジェンダー偏見にとらわれていたからだと思いますが、その理由のひとつに性風俗産業で働いていたからというのもあったんじゃないかと推測しています。

 

いはゆるデリバリー・ヘルスで長年仕事をしていたらしいんですが(ぼくがおしゃべりしていた時期には引退し茨城にあるJAの直売所で働いていた)、女性であるということを強く意識する、女性ならでは、女性らしい(ってなに?)ありかた、ふるまいをふだんから心がけていたんじゃないかという印象を、ぼくは抱いていました。

 

それは彼女が生まれ持った、あるいは生育歴から、そうなったとか、もとから社会におけるそういうジェンダー・ステレオタイプにとらわれてきた存在だったという面もあったかもしれませんが、デリヘル嬢として働く上で自然と身につけた処世術でもあったんじゃないかと思うんですよね。

 

でも、デリヘルとかの性風俗産業をちょくちょく利用していたぼくでも、晴美さんほど露骨な “女ことば” を連発する女性はほかにいませんでしたからね。仕事柄というよりも最初から彼女はそういう発想の女性だったのかもしれません。セックス関係などの話題、下ネタなどを遠慮なく話せる貴重な女性しゃべり相手ではあったのですが。

 

考えてみれば最近のぼくは、しゃべりかただけじゃなく一般的に、社会が勝手に押し付けてきた「男らしさ」「女らしさ」といったジェンダー・ステレオタイプを極端に嫌うようになっています。いはゆる男らしさの乏しい人間で、どっちかというとヤサ男、それでなかなか生きにくい人生を送ってきたから、というのが根底にあるかもしれません。

 

それがあった上で、近年のジェンダー意識のたかまりのなかで、主に女性やセクシャル・マイノリティやアライが発信している一個一個の発言や記事を読むと、そりゃあそうだよ!と心底納得・共感できるものが多いので、2019年ごろから徐々にぼくもその種の問題意識を強く持つようになって、現在まできました。

 

ことばの問題は人間存在の根源にかかわることですから、当然鋭敏になるでしょう。なので、ジェンダー意識がぼくのなかでたかまってくるにつけ、女ことば・男ことばといったステレオタイプというか、はっきり言って偏見だと思いますが、おかしいぞと考えるようになったんでしょうね。

 

しかしジェンダー論なんかをふだんまったく意識もしていない(性別にかかわらず)一般のみなさんだって、上であげたような「〜〜だわ」「〜〜のよ」「〜〜だぜ」みたいな典型的な男女別のことばづかいはふだんしていません。翻訳関係など特殊な場面にしか存在しない役割語でしかないのに、いや、だからこそなのか、そこに女らしさ/男らしさを感じとるというのはどうなんですか。現実にはことばの性差なんてほとんどありませんよね。

 

ことばの問題だけでなく、またジェンダー関係のことがらだけでもなく、ステレオタイプというものは差別や偏見やハラスメントを助長・補強して正当化してきたという歴史があります。もはやいまではそんなことに無意識裡にであれ加担したりする個人的にとてもしんどくつらいので、ぼくはもうやめました。

 

(written 2021.11.19)

2022/03/14

聴き手も歳をとらないとわからないものっていうのがある(3) 〜 ジェリー・ロール・モートン

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(4 min read)

 

Jelly Roll Morton / from Last Sessions
https://open.spotify.com/playlist/2yuCIhJyRTZWrszhzACWR3?si=4345934a84664ba3

 

ジェリー・ロール・モートンの最終期録音を集めたアルバム『ラスト・セッションズ:ザ・コンプリート・ジェネラル・レコーディングズ』(1997年発売)がSpotifyにあったので、前半13曲の独奏パートだけ抜き出して上記のとおりプレイリストにしておきました。

 

1939年録音のそれらについては、以前2018年にも一度文章にしたことがあります。CDで聴いていたそのころすでに現在と似たようなノスタルジックでちょっぴりみじめな心境にぼくも近づきつつあったのですが。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/09/post-31e3.html

 

聴き手のこちらがいっそう年齢と経験を重ね、音楽の聴こえかた、とらえかたが変化してみると、それらモートンの最終期ソロ録音が以前にも増してより沁みるようになってきています。さびしげというか枯淡の境地により深く共感するようになりました。

 

1920年代にソロ・ピアノやバンドでの演奏で大活躍し、曲も演奏も著しく評価が高かったモートンですが、立派な音楽性とは裏腹に?パーソナリティにはかなり問題のある人物だったかもしれません。くわしいことはこれも以前書いたことがあるのでご一読ください↓
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-01d6.html

 

21世紀だったならなにかの精神障害であろうと診断・対処される可能性もあるんじゃないかと思いますが、第二次大戦前というあの時代では、ただの性格のゆがみ、人間的欠陥、悪人みたいにしか扱われなかったでしょう。だから友人もみなモートンから離れていくこととなり、1941年にわずか50歳で、まったき孤独のうちに亡くなりました。

 

1939年のソロ録音は、そんな晩年のモートンがピアノ一台をたったひとりで弾き、曲によってはしんみりとノスタルジックに朴訥とおしゃべりするみたいに歌っているというもの。それが13曲。みごとに枯れていて、静かでおだやかで、いまのぼくにはこれ以上ない心地いい雰囲気の音楽に聴こえます。

 

1920年代にもたくさんソロ・ピアノ録音を残しているモートンですが、あのころのようなシャープな斬れ味はもうここにはありません。齢を重ねタッチに締まりがなくなりややだらしなくなって、ただ自分の過去をしんみりふりかえるように淡々と指を運んでいるだけ。

 

たとえばフレッチャー・ヘンダスンやベニー・グッドマン、あるいはギル・エヴァンズまでなどビッグ・バンドにも転用されたモートン生涯最大のヒット曲「キング・ポーター・ストンプ」もここで再演されています。同じソロ・ピアノでやった1923年ヴァージョンの鋭さと比較すれば、枯れかたは一聴瞭然。

 

でもそれがいいと思うんです。なにもかも失ってひとりぼっちになった1939年のモートンが、これだけは失わなかったピアノと音楽でもって、往年の代表曲をやり、かつての躍動感はなくても静かな熟淡の味で、いまのやはりひとりぼっちのぼくをなぐさめてくれるんです。

 

そんなモートン晩年の深淡は、むしろヴォーカル・ナンバーでいっそうよく表現されています。「ワイニン・ボーイ・ブルーズ」「バディ・ボールデン・ブルーズ(アイ・ソート・アイ・ハード・バディ・ボールデン・セイ)」「メイミーズ・ブルーズ」「ミシガン・ウォーター・ブルーズ」など、これ以上のソリチュードとノスタルジーがあるでしょうか。

 

えもいわれぬよい香りで、聴き手のこちらが若かったころはこういった音楽のどこがいいのかよくわかっていませんでしたけれど、いまやモートン晩年のソロ録音みたいな枯れきったさびしげで孤独な音楽こそ癒しであり、ふわりと寄り添い心を暖めてくれるものだなあとしみじみ感じます。

 

(written 2022.3.3)

2022/03/13

聴き手も歳をとらないとわからないものっていうのがある(2) 〜 アラン・トゥーサン

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(4 min read)

 

Allen Toussaint / American Tunes
https://open.spotify.com/album/0CvKQbws4lBM0UopcAn7OK?si=VQkqcWy1T5Kiw4H6H5z_Wg

 

死の翌年にリリースされたアラン・トゥーサンのラスト・アルバム『アメリカン・チューンズ』(2016)もリリースされたときにCD買って聴きましたが、そのときはどこがおもしろいんだろう?と感じていました。なんだかずっと同じモノ・トーンが続き、ちょっぴり退屈だとすら。

 

ところがこないだふと思い出すことがあって聴きかえしてみたら、これがとてもいい。こんなに美しい音楽だったのかって、いまごろようやくはじめて気がついて、リピートするようになりました。この音楽も最初からこうした美を放っていたはずですが、理解できるようになったのは聴き手であるぼくの側の変化ゆえです。

 

それは進歩なのか退歩か、たんなる老化かもしれません。歳とってきて心境に変化が現れたせいで、ハードでエッジのとがった音楽を徐々に遠ざけるようになり、うん、若々しい情熱と躍動感に満ちた音楽だっていまだに好きだけど、どちらかというと静かでおやだかにたたずんでいるようなもののほうがしっくりくるようになっているんですね。

 

スタジオでピアノにのぞむ最晩年のアラン・トゥーサンも、きっと似たような枯淡の境地にあったんじゃないかと想像します。遺作『アメリカン・チューンズ』は基本カヴァー曲ばかりのピアノ・アルバムなんですけど、激しいタッチはどこにもなく、ただただきれいなメロディをそのままやわらかくやさしくそっと弾くだけ。

 

それがいいんですよ、いまのぼくには。渋みが沁みるんです。もちろん以前からいいと思っていたラテン・アレンジによる「ワルツ・フォー・デビイ」(ビル・エヴァンズ)も、アバネーラで弾く「ダンサ、Op.33」(ゴットシャーク)もニュー・オーリンズ・ピアノならではという演奏ぶりで、すばらしいです。

 

もっといいなと感じるようになってきたのは、おだやかにひとりで黙って淡々と弾いているような2「ヴァイパーズ・ドラーグ」(ファッツ・ウォーラー)だったり、でありながらちょぴりのかわいげをみせるスタンダードの3「コンフェッシン(ザット・アイ・ラヴ・ユー)」だったり。

 

あるいはプロフェッサー・ロングヘアの三曲、4「マルディ・グラ・イン・ニュー・オーリンズ」、7「ビッグ・チーフ」、10「ヘイ・リトル・ガール」。これらはいずれもリズム・セクションを伴わないピアノ独奏で、アランはかなりゆったりとしたフィーリングで弾いています。ニュー・オーリンズ・スタンダードですから演奏者自身なじみすぎているくらいなものですが、静かでクラシカルなタッチもまじえながら、ぼつぼつしゃべる独白のようにつづっています。

 

これらフェスの三曲はこのアルバムで大きな意味を持っているように感じます。「ニュー・オーリンズ音楽をクリエイトした人物」とまで言われたアラン・トゥーサンが、死の間際にフェスの曲を独奏し、老境に達したおだやかな演奏を聴かせているわけですから、みずから原点回帰しつつ静かに終末を見据えているっていうような、そんな音楽です。

 

(written 2022.3.2)

2022/03/12

聴き手も歳をとらないとわからないものっていうのがある(1)〜 カーティス・メイフィールド

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(3 min read)

 

Curtis Mayfield / New World Order
https://open.spotify.com/album/4M8Zce860gRCdyv1hXOK32?si=F-RDbTS0RvKuj-JH-lyrrA

 

それでぼくも唐突に思い出し聴きなおしたカーティス・メイフィールドの遺作『ニュー・ワールド・オーダー』(1996)。これが出たときぼくは34歳、公私ともに好調だった時期で、あのカーティスがひさびさに新作をリリースした!首から下が不随で歌えないはずなのにどうやって?!という話題性のほうがあたまのなかで先行していたように思います。

 

2022年。あのころのぼくはいまやなく、持っていたものをほとんど失い、将来に向けて残されているのは不安と頼りなさと弱々しさだけ。人生の最終期への入口に立っていて、おだやかだけどダーカーな黄昏色がいや増すばかりですが、そうなってみればカーティスの『ニュー・ワールド・オーダー』みたいな音楽は聴こえかたが変わってきました。

 

大切なものをなくした喪失感や取りもどせない絶望とあきらめ、しかしそれは決して劇的なものではなくひっそりと平穏に心の底に常にありながら、つらく苦しい思いを重ねてきた結果たどりついた静かな日々の生活をつつがなく送っているという、そんな年齢と心境に達すると、カーティスの『ニュー・ワールド・オーダー』みたいな音楽が、心の芯に沁みるんです。

 

哀しみや苦しみやつらさ、平穏な諦観に寄り添ってくれる音楽だっていうか、カーティスがどんな気持ちでこういう歌を歌ったのかと想像するにやや恐怖すら感じますが、自分の人生はもう終わりだ、もうすぐ死ぬ、だけどもその代わりに新しい生命がいま誕生したじゃないか、それがニュー・ワールド・オーダーだ、というようなフィーリングが幕開けから最終盤まで横溢しています。

 

サウンドの色彩感も暗く夕暮れ的なものが支配的で、まさに「ダーカー・ザン・ブルー」なトーンに貫かれているんですが、この音楽にあるのはたんなる苦しみやあきらめだけではありません。これまでずっと人生をやってきた、いまはたしかに終末期だけど、かつての激しさやとんがりにとって代わっておだやかで落ち着いた静かな心境があるよっていう、そんな人間的説得力がこもっているんじゃないでしょうか。

 

こういった音楽に心の底から共感し、癒されるようになってきました。大事故で身体の自由が失われ音楽活動ができなくなって、どれほどのつらさや暗さ、絶望をカーティスは味わってきたことか、でもそれだからこそ最後にこんなおだやかであたたかい質感の音楽を残すことができたんです。

 

ほんとうに大きなものを失うことがなかったら決して産まれえなかった音楽、そういえます。

 

(written 2022.3.1)

2022/03/11

原田尊志の直感 〜 オマール・ペンとカーティス・メイフィールド

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(3 min read)

 

Omar Pene / Climat
https://open.spotify.com/album/0wHn1XdgiZMsBWOcEa32H1?si=ta8RexhZRx6i7mY1k05EOA

 

Curtis Mayfield / New World Order
https://open.spotify.com/album/4M8Zce860gRCdyv1hXOK32?si=eUbBxwtmROqwCfoFSzsA5w

 

セネガルのオマール・ペン最新作『Climat』(2021)、ほんとうに気に入っているので、その後もくりかえし聴いていますが、自分でもブログに上げたあとエル・スールのHPで発見したこのアルバムの紹介文末尾に余滴のように添えられていた文章が、実は気になっています。
http://elsurrecords.com/omar-pene-climat/10/11/2021/

 

店主原田尊志さんいわく 〜〜

(それにしても、聴いているうちに、歌い手の資質も全然違うのだし、まったくもって、適切な喩えではないんですけど、なぜか、唐突に、カーティス・メイフィールドの晩年作を思い出してしまったということもありました。というようなことは、音楽的平衡感覚を失っている耳の持ち主であるワタクシ事でしかないのですが…)
〜〜

 

謙遜していますけど、ちょっと鋭い嗅覚じゃないでしょうか。

 

カーティス・メイフィールドの晩年作って1996年の遺作『ニュー・ワールド・オーダー』のことです。1990年のアクシデントで半身不随となって以後はこれしかないんですから間違いありません。

 

それとオマール・ペン『Climat』との共通性、それはひとことにして、おだやかで落ち着いたサウンド・フィールということでしょう。静かな諦観に裏打ちされたややダークな表情と陰で哀感に富む色調など、印象として通ずるものがたしかにあるなあと思いあたりました。

 

もちろん違いもかなりあります。オマールのほうは生演奏楽器でオーガニックにサウンド・メイクしているのに対し、カーティスのアルバムのベーシック・トラックは基本コンピューター打ち込み。終末感すら濃暗く漂うカーティスに比し、オマールの音楽には生の祝祭感もあります。

 

それでも4「Climat」や8「Lu Tax」といった哀感が支配するナンバーや、あるいは7「Fakatal」なんかでも、間違いなくカーティスのアルバムを想起させる暗さ、ダウナーさがあるし、それら以外の陽なナンバーでもオマールは落ち着いていてややダーカー。いったん沈み込み、それをバネにしなやかさで躍動するといったフィーリング。

 

音楽の種類もなにもかも違う二作ではあるんですが、言われてみてはじめてこれら二作の共通性に気がついてハッとしたんですね。原田さんの文章がなかったら、オマールでカーティスを思い出すなんてこと、なかったと思います。感謝ですね〜。

 

(written 2022.2.27)

2022/03/10

ブームのさなかでカリカチュアライズされたシティ・ポップ 〜 大貫妙子

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(3 min read)

 

大貫妙子 / 朝のパレット
https://open.spotify.com/album/6wLdh3sWXYo3D8uADIFC07?si=Zrz4YKHMRri_d3PQMxNWnA

 

「♪ほしいものは異国のアロマ〜♫」と、しかもその「マ」でパッとおしゃれに転調するあたりといい、全体的になんだかパパッと朝飯前みたいにつくりましたっていうお手軽シティ・ポップに聴こえないでもない大貫妙子の新曲「朝のパレット」(2022)。配信オンリーです。

 

前も言いましたが、個人的にはずっと長いあいだ妙子の音楽にさほどの興味を持たず、最近ようやくちょっと聴くようになったのだって原田知世が二曲ほどカヴァーしていたからこそで、それがなかったら妙子をクリックしてみる気にならなかったかも。

 

もちろん近年の世界的なシティ・ポップ・ブームなんかとは無縁でいるわけで、ブームだからと立役者のひとりである妙子に目を向けたわけじゃありません。もちろん知世の音楽がそもそもシティ・ポップじゃないかというのはそのとおりですし、おしゃれで都会的に洗練されたジャジーな音楽が好きな性分なのも間違いありませんが。

 

ともあれ新曲「朝のパレっト」は、ひょっとして妙子自身近年のシティ・ポップ再興を受けて、それをかなり意識した上で、んじゃこんなのはどう?こういうのがブーム再来だというシティ・ポップのスタンダード・スタイルでしょ、自分にとってこれくらいなんでもないんですよっていうような、いはばカリカチュアとして成立しているものなんじゃないかという気がします。

 

軽いボッサ・ビートに乗せて、ジャジーでおしゃれに展開するメロディとコード進行とサウンド・メイク。歌詞なんかはステレオタイプなありきたりのフレーズをテキトーにつなげただけのもの。出汁をいちから自分でとってしっかりつくった料理じゃなく、スーパーで買ってきたお惣菜を三品ほど食器だけ替えてささっと食卓に並べたような、そんなお手軽さ。

 

あまりにも「らしさ」が徹底的に追求された半端ないスタンダード感満載なので、聴いているとかえってこっちが気恥ずかしくなってくるくらい。

 

シティ・ポップ・ブームまっただなかだからこそ出現しえた、ブーム・メイクの張本人による「これがシティ・ポップだ!」という宣言みたいなもんで、この種の音楽の特徴をつかまえて誇張した典型表現といえますね。

 

でも、聴いているとそれなりに心地いいです。

 

(written 2022.3.7)

2022/03/09

あまりにもコテコテなブルーズ・ジャズ 〜 フレッド・ジャクスン

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(4 min read)

 

Fred Jackson / Hootin’ ’N Tootin’
https://open.spotify.com/album/3vFV7kbe21nznNK87wrADV?si=cRBAKfFjThaPQxKDfxdPfA

 

どっちかというとブルーズやリズム&ブルーズの世界で活動したらしいテナー・サックス奏者、フレッド・ジャクスン。ジャズ・ミュージシャンとしてもあまり知られていない存在で、ぼくだってこないだブルー・ノート・レコーズの公式ソーシャル・メディアが知られざる佳作ということでアルバムを紹介していたのが出会いでした。

 

そのフレッド・ジャクスン、どこの世界でも活動歴はサイド・メンバーとしてのものばかり。それなもんでいまや歴史の忘却の彼方にいるんだと思いますが(といってもまだ存命らしい)たった一つだけ、ジャズのソロ・リーダー作品を残しました。それがブルー・ノートの『フーティン・ン・トゥーティン』(1962)。

 

CDリイシューの際に拡大版も出たようでSpotifyにもありますがそれは無視して、1962年のオリジナル・アルバムに沿って話を進めると、全七曲。伴奏はオルガン・トリオ(ギター、オルガン、ドラムス)。

 

フレッド・ジャクスンも無名なら、この三人のサイド・メンバーだって、アール・ヴァン・ダイク(オルガン)、ウィリー・ジョーンズ(ギター)、ウィルバート・ホーガン(ドラムス)って、みなさん知ってました?ぼくが無知なんでしょうか?

 

1962年2月5日のワン・デイ・セッションでアルバムは録り終えられています。七曲いずれもフレッドのオリジナル。といっても変哲のないシンプルなリフ・ブルーズばかりで、これがいかにもくっさ〜い、60年前後のブルー・ノートにいくつもあったアーシーでソウルフルなファンキー路線まっしぐら。時代を感じさせる内容なんですね。

 

で、前から言っていますように、あの時代のこういったブルーズ・ベースのハード・バップで、鼻をつまみたくなりそうなほど臭くて下品なファンキーさ、アーシーさ、ブルージーさをふりまくものが、ぼくは大好物。

 

1曲目からそんなムード満開で飛ばしていますが、2曲目のスロー・ブルーズ「サザン・エクスポージャー」なんてねえ、なんですかこの臭さ!特にギターのウィリー・ジョーンズの弾くフレーズが、世にこれ以上のブルージーなプレイはないと言いたいくらいで、ブルーズ・ギターリストだってここまでやらないよねえ。

 

ハモンド B3を使ったオルガン・プレイもアーシーさ満開なら、ボスのテナー・サックスのブロウぶりも悶絶的です。いくら1960年前後のブルー・ノートにこの手のソウルフルなジャズが多かったとはいえ、ここまで匂いがキツいものもめずらしいのでは。

 

この手のハード・バップは、ある意味ロックやソウルと親戚です。もとをたどると1940年代のジャンプ・ミュージックから来ているものですからね。40年代ジャンプからはリズム&ブルーズが産まれましたが、同時にジャンプはビ・バップ(からつまりモダン・ジャズ)の母胎でもあって、リズム&ブルーズはソウルに変化したばかりか、ロック誕生にもつながったんですからね。

 

このへんの類縁関係を、きょう話題にしているフレッド・ジャクスンの作品『フーティン・ン・トゥーティン』を聴いていると、いまさらながら再認識します。嫌うひとは嫌うスタイルの音楽ですが、好みはともかく、アメリカ大衆音楽史の流れのなかで必然的に抽出された一滴であったことは忘れてほしくありません。

 

21世紀のいまとなっては、もうこんなジャズをやるひとはいなくなりました。

 

(written 2021.10.16)

2022/03/08

耳残りする声とメロディ・ライン 〜 ザ・レイヴェイ・コレクション

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(2 min read)

 

Laufey / the laufey collection
https://open.spotify.com/playlist/1kDH8b5ySZElFUTiErRk1A?si=914f375fe904418d

 

いとしきレイヴェイが、いままでにリリースした全曲を本人みずから一個のプレイリストにまとめてくれました。それが上でリンクした『ザ・レイヴェイ・コレクション』。収録されている曲は2020〜22年発表で、この中国系アイスランド人歌手(アメリカ在住)はデビューして二年しか経っていません。

 

レイヴェイはフィジカルをまったくリリースしないという新時代の若手音楽家で、どんな曲も配信とInstagramに載せるだけなんですけど、いまのぼくにはそれでなんの不自由もありません。出会うべくして出会ったという感じでしょうか。

 

とにかくこのプレイリストで現時点では「ぜんぶ」なんで、レイヴェイってだれ?どんな曲を書きどんな声で歌うの?どんな音楽?ってことは、これを聴けば全貌がわかります。

 

多くの曲でサーッていうテープ・ヒスっぽいのとかプチプチっていうアナログ・レコードを再生する針音みたいなのが入っていますよね。もちろんレトロなムードをよそおってわざわざ入れているわけです。

 

そういった、たぶん1950年代あたりの音楽文化への眼差しがレイヴェイの音楽には間違いなくあって、そのころのジャズやジャズ・ヴォーカルもの、ジャジーなポップ・ソングへの憧憬みたいなものにそれとなくふんわり付きあいながら自分の音楽をつくっているんだなと、聴いていて思います。

 

曲のなかには聴き終えてもいつまでも耳のなかに残り、ふとしたときに、朝起きたときとか夢のなかですら、脳内で再生されているっていうような、そんな印象的でチャーミングなメロディ・ラインを持っているものがあって、ソングライターとして魔力的。

 

さらにこのちょっぴり仄暗い、低くたなびくようなふたつとないアルト・ヴォイスがなんともいえない切なさをかもしだしていて、こういった種類の音楽へのレトロな視線をムーディにかきたててくれています。

 

(written 2022.3.6)

2022/03/07

バルキースとハリージの昨今

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(5 min read)

 

Balqees / Arahenkom
https://open.spotify.com/album/2LRigfiJlCjeTOLyWzlJge?si=EVHHWnYaQRq-dsvCvHAJEA

 

bunboniさんのブログで知りました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-06-15

 

このブログBlack Beautyを2015年9月3日にはじめたとき最初にとりあげたのはハリージ歌手のディアナ・ハダッドで、翌年元日の記事もやはりハリージ歌手モナ・アマルシャを書き、うん、ちょうどそのころ、ぼくのなかでハリージ・ブームがあったんです。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-c19d.html
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-742f.html

 

個人的にというより世間で2010年代前半〜なかごろはハリージ・ブーム真っ盛りでした。アルバムが続々リリースされていたのに、しかしここ数年はパタリとニュースを聞かなくなりましたよねえ。大好きな音楽だったんですが、もうハリージは消えちゃったんでしょうか。

 

いやいや、音楽というよりダンスの名称であるハリージ、もちろんアラブ湾岸地域ではそんな簡単に終わってしまうはずがなく。ずっと前からあった民俗ダンス・ビートで、ポップ・アルバム化されリリースが相次いでブームになっていたのは一時期のことだったかもしれませんが、それが立ち消えになっても現地ではあいかわらずハリージにあわせて踊っているのでしょう。

 

とはいえ、ハリージで踊る習慣が日常的ではない日本人のぼくは、ただリリースされる音楽アルバムを聴いて、そのヨレてツッかかるような異様にギクシャクした変態ビートにひたすら快感をおぼえているのみ。すっかり作品が出なくなった昨今はちょっとさびしいなあと、過去のハリージ・アルバムを聴きかえしブログ開設当時の思い出にふけっています。

 

そんななか、2021年6月のbunboniさんの記事でひさびさに「ハリージ」の文字を目にして、ちょっと小躍りしちゃったんですよね。バルキースというイエメン系UAE(アラブ首長国連邦)人歌手で、その2017年作『Arahenkom』もみごとなハリージ・アルバムです。17年というとハリージ・ブームが下火になりはじめていたころでしょうか。

 

バルキース本人でしょう、どうしてボクシング・グラブをはめているのか意味不明なジャケット写真はおいといて(意味不ジャケがたまにあるアラブ歌謡界)、中身の音楽は充実しています。ビートの効いたハリージ・ナンバーが中心ですが、ちょっと注目すべきはバラード系の充実です。

 

ハリージ・ナンバーでもサウンドが洗練されていて、ありがちな土着的泥くささは消えています。それが音楽の魅力を増すことにつながっていますよね。バラード系なら1曲目「Aboya Waheshni Geddan」、7「Hakeer Alshouq」、10「Yakfi」、12「Ajouk」。どれも歌える実力を持つバルキースのヴォーカルをきわだたせるメリハリの効いたアレンジで、みごとです。

 

特にバラードでありかつハリージ的でもあるっていうラスト12曲目は聴きもの。アルバム全体の音楽傾向を象徴する内容で、ハリージにしてやりすぎず、バラードにしてただのしっとり系でもないっていう、そのちょうどいい中間的な折衷具合はプロダクションの勝利でしょう。バルキースの歌も聴かせます。

 

もちろん2、3、4、5、6、10、12曲目あたりのダンサブルなハリージ・ナンバーも楽しくていいですね。もとがアラブ湾岸地域の大衆ダンスであるハリージですが、そのブームが去った背景には、激しい泥くささよりもジャジーに洗練されたスムースでおだやかな音楽が世界的に主流になってきたからということがあるかもしれません。

 

2017年リリースのバルキース本作を全体的に見渡すと、うっすらとかすかにではありますがそんなジャジー・ポップな世界的潮流が流れ込んでいるかのように聴こえる展開もあったりして、これなもんだからイビツなハリージが人気を長く維持できるわけなかったんだなあと納得できたりします。

 

ハリージ、たまに聴くと楽しいんですけどね。

 

(written 2021.12.18)

2022/03/06

マイルズのポジティヴィティ 〜 BLMミュージックとしての『ジャック・ジョンスン』

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(4 min read)

 

Miles Davis / Jack Johnson & others
https://open.spotify.com/playlist/48sWBcRkDploXAlIzUolsV?si=7212fb13baff4a42

 

こないだからマイルズ・デイヴィスのアルバム『ア・トリビュート・トゥ・ジャック・ジョンスン』(1971)が一部でだけちょっぴり話題を集めていますよね。なぜなんでしょう、Mobile Fidelityが高音質盤のLPとSACDでリイシューしたから?先の2月24日が71年のオリジナル発売日だったから?

 

ともあれ、これがむかしから大好きなぼくにはうれしいことで、思い出すいいきっかけになりました。1970年4月録音を中心に組み立てられた『ジャック・ジョンスン』はジェイムズ・ブラウンとスライ&ザ・ファミリー・ストーンへの言及をふくむブラック・ジャズ・ロックの傑作で、しかもいま2020年代にはBLMミュージックとして聴けるという意義があると思いますよ。

 

1974年リリースの二枚組だった『ゲット・アップ・ウィズ・イット』なんかもそういった側面がありますが、パワーとポジティヴィティは『ジャック・ジョンスン』のほうがさらに上。1970年2〜5月ごろのスタジオ・セッションでのマイルズは、シンプルなギター・トリオ編成でこうした音楽をどんどん展開していました。

 

黒人ボクサーにして世界ヘヴィ級チャンピオン、ジャック・ジョンスンの伝記映画のために制作された音楽だというのが、どんな人生を送ったボクサーだったのかをふまえると、いっそうこの音楽のBLM的意味へとつながっていきます。しかしそんな映画サウンドトラックを、という要請がセッション時にあったわけじゃありません。

 

マイルズは勝手きままにどんどんスタジオ入りしてはセッションをくりかえし、ティオ・マセロもテープを止めずに全貌を記録していただけで、ジャック・ジョンスン伝記映画サントラをというリクエストを受けたティオが録音済み音源を利用してそれらしく仕立てあげただけです(ティオは映画サントラが得意なプロデューサーで、人生でいちばん成功したのも『卒業』のサントラ)。

 

ですが、そうしてできたアルバムがジャック・ジョンスンみたいな人物を描く音楽として、結果的にだったとはいえ、これ以上なくぴったりハマりこんでいるという事実、アメリカ社会で黒人としてプライドを持ち前向きに生きるという力強く鮮明なマニフェストみたいに聴こえるという事実が、とりもなおさずこの時期のマイルズ・ミュージックの現代的価値を決めているんじゃないかと思います。

 

『ジャック・ジョンスン』などこの時期のマイルズ・ギター・ミュージックにあるこのサウンドとビートに鮮明に聴きとれるポジティヴさと力強さ、そして肯定感こそが、2020年代にこの音楽をBLM運動のためのものと再解釈できるなによりのヴィークルでしょう。

 

そうした人間的プライドに支えられた人種意識と気高さが21世紀的なブラック・アメリカン・ミュージックとBLMの特質で、約50年前の音楽なれどマイルズの『ジャック・ジョンスン』などはピッタリそれを表現できているように聴こえます。

 

(written 2022.3.5)

2022/03/05

アシッド・ジャズなサウンドと現代的ビート感 〜 ストラータ

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(2 min read)

 

Str4ta / Aspects
https://open.spotify.com/album/0tqYDk3OIAK4k2YKacZnBr?si=cZZ55vFhQc2VDUiOQGqUWg&dl_branch=1

 

とにかく文句なしに心地いいビート。

 

ストラータと読むんでしょうか、Str4ta。ジャイルズ・ピータースンと、インコグニートのブルーイという二名によるプロジェクトで、そのファースト・アルバム『アスペクツ』(2021)は1980年代ふうなアシッド・ジャズ/ジャズ・ファンクな雰囲気満点で、ぼく好み。

 

特にこのビート感がもうたまらなく最高ですよ。ジャズ系のブリット・ファンク最盛期のあのサウンドがここによみがえっているという印象で、あのころ、ぼくもたくさんUK盤CD買いました。ソウル II ソウルとかUs3なんかにも連絡しているもので、それ系のファンにはこたえられない音楽でしょう。

 

ビートはどっちがつくっているんでしょうね、たぶんジャイルズかな、この1980年代ふうアシッド・ジャズなビート感が快感で、身をゆだねているとほんとうに心地いい。それに、このドラミング、だれが叩いているだとかはあまり関係なく、ジャイルズがつくったこのビート感が最高なんですよ。

 

ブルーイのほうは辣腕ギターリストでもあるということで、このアルバムでも随所にキレのいいカッティング・リズムを入れ込んでいます。サウンドの方向性はブルーイもかなり指示したでしょう。インコグニートのあの感じがここにはありますからね。アシッド・ジャズ的な要素にはブルーイもかなり貢献したかも。

 

しかしかつての、1980年代の、あのサウンドがここによみがえったというだけではない現代性がこの音楽にはあります。現代ロンドン・ジャズの重要人物モージズ・ボイドなんかもこのストラータが好きだというのからわかるように、クラブ・シーンで輝く、ノレる、踊れる要素満載なんですよね。そこにはヒップ・ホップを通過したからこその感覚が活きているように聴こえます。

 

この手のアシッド・ジャズなサウンドが好き、なつかしい、文句なしに好きだという向きにも推薦できるし、ビートだけでできているようなこの音楽はロー・ファイなど現代的ビート感に親近感をおぼえる(音楽感性的)新世代にもウケそうです。

 

(written 2021.8.28)

2022/03/04

ポップ・フュージョン前の渡辺貞夫充実期の過去作を配信してほしい

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(5 min read)

 

https://www.sadao.com/discography/

 

ジャズ・アルト・サックス(&ソプラニーノ&フルート)奏者、渡辺貞夫さん壮年期の過去作が、あまりCDリイシューもされないし、サブスクなど配信となるとどれもまったくありませんよねえ。ファンであるぼくはだいぶ悔しい思いを重ねてきています。

 

CDでも配信でもぜんぜんリイシューされていないぞと思うのは、1960年代末ごろから70年代なかごろにかけての諸作の一部。たとえば『パストラル』(69)、『モントルー・ジャズ・フェスティバルの渡辺貞夫』(70)、『ペイサージュ』(71)、『渡辺貞夫リサイタル』(76)なんかはCDですら一度も出ていないんじゃないですか。

 

1974年の東京ライヴ『ムバリ・アフリカ』は二度CDリイシューされ、また『渡辺貞夫』(72)や『スイス・エア』(75)も一度はCDになりましたので、ぼくも買いました。それをMusicアプリ(旧名iTunes)に入れてあっていつでも聴けるからいいんですけど、サブスクだとこれらもぜんぶありません。

 

Spotifyで貞夫さんのカタログをさがすと、初期のストレート・ジャズ時代のものはまずまずあります。その後はずっと一作もなく、1977年の『マイ・ディア・ライフ』からようやく見つかりはじめ、その後はコンスタントに現在の作品まで載っています。しかしなぜだか81年の傑作『オレンジ・エクスプレス』だけは姿がないという、そんなありさま。

 

どうなっているのでしょうねえ。忘れられないことですが、LPレコード時代に貞夫さんのトータル・キャリアをじっくり追いかけてたどっていた身としては、ポップ・フュージョン期に突入する直前、1970年代前半ごろの貞夫ミュージックがかなりおもしろかったという記憶があります。

 

ビ・バップのコピーからはじめた貞夫さんですが、アメリカ留学およびそこでの重要人物との出会いを経て、ブラジルやアフリカの音楽文化を吸収しそれをモダン・ジャズと融合させ、あらたな時代の音楽として表現する取り組みを開始したのが1960年代末〜70年代初頭でした。77年の『マイ・ディア・ライフ』からがポップ・フュージョン期で人気も獲得しましたが、その直前がかなり興味深かったんです。

 

しかしいまとなってはそれをたどって検証しようにも、聴けないんですからどうにもなりません。むずかしいことを考えたり言ったりしたいというよりも、単純に楽しかったからもう一回聴きたい!と思っているだけなのに、多くの作品がどうにもならず。過去にリリースされていたアナログ・レコードを中古でさがして買うしかないのかなぁ…と思うと、正直ガッカリです。

 

いちばん上でリンクしておきましたように貞夫さんには公式サイトがあって全作品のディスコグラフィーが掲載されています。だれでも見ることができますが、音楽ですからね、聴けなくちゃお話になりませんよ。一部CDリイシューすらしないというのにはなにか理由があるんでしょうか?!サッパリわかりません。

 

ましてやいまはサブスク全盛時代。ちょっと気になった音楽家の過去作を、パッと探して見つかればすぐそのまま手軽に聴けて具合いいっていう、そういう時代です。ひとによってはその場でちょっと聴いてみるだけでしょうが、なかにはサブスクでじっくり舐め尽くすようにアルバムを聴き込んで堪能・吟味し考察をはじめるという人間だっているんです、ぼくだけじゃないはず。

 

『マイ・ディア・ライフ』(1977)以後の貞夫ミュージックこそポップで人気があるんであって、いまさら1970年代前半の、あの荒削りだった時代の貞夫さんの音楽なんかだれも見向きなんかしないぞと考えるひとがもしいるのならば、聴いたことがない証拠です。若くて荒削りであったがゆえのエネルギーとナマナマしい迫力、リアリティに満ちていたんですから。

 

渡辺貞夫フュージョンが1970年代後半に一息に完成したんじゃない、それなりの準備段階やプロセスがあったのだ、ということをいま一度実際の音で確認・検証し、貞夫ミュージックの足跡をたどりながら、あの時代もそれなりにすばらしかったということを、ぼくだったらもう一回ぜんぶ通して聴きかえして楽しみたいですけれど。

 

(written 2021.12.8)

2022/03/03

ゼップの『フィジカル・グラフィティ』とストーンズの『タトゥー・ユー』は似ている

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(5 min read)

 

Led Zeppelin / Physical Graffiti
https://open.spotify.com/album/4Q7cPyiP8cMIlUEHAqeYfd?si=ICOP38hCSj6h4g1014fUkw&dl_branch=1

 

The Rolling Stones / Tatto You
https://open.spotify.com/album/4F0eas0fmQSnb490QxZbD1?si=3xG-I3iXTN2l5D-a0B4FVw&dl_branch=1

 

レッド・ツェッペリンの『フィジカル・グラフィティ』(1975)とローリング・ストーンズの『タトゥー・ユー』(1981)には共通点があります。どちらも当時の新リリース・アルバムでありながら、新録は少なくて、過去の未発表音源を流用してお化粧をほどこしたものが多く収録されているということです。

 

どんな音楽家でも、新作プロデュースにあたり新録じゃなく過去音源を使う、混ぜるというのはよくあることだと思うんですけれども、それでも特にロック・ミュージックの世界では、あらたにリリースするアルバムのプランを組み、曲も書いて用意して、というパターンがビートルズ以後一般化したでしょう。

 

なので、ツェッペリンの『フィジカル・グラフティ』とストーンズの『タトゥー・ユー』はやや例外的なような気がするんですよね。ツェッペリンのばあいは1973年のアメリカン・ツアーを終了して同年暮れから新作の準備のためにスタジオ入りしたものの、ジョン・ポール・ジョーンズの脱退騒動が起きてしまい、一時中断を余儀なくされていました。

 

それが収束して74年春にレコーディングが再開し、結局多くの曲ができあがってしまったので、そこからLP一枚に収まるように削るよりも、過去に録音済みの曲を持ってきてふくらませ二枚組で発売したらどうか、となったみたいです。

 

それで、新録八曲にくわえ、『レッド・ツェッペリン III』、『(四作目)』、『聖なる館』のために録音済みだった未発表音源七曲が足され、結果的に新録と旧作が半々くらいの割合でアルバムに入り混じる結果となりました。

 

ストーンズのほうはといえば、1980年の『エモーショナル・レスキュー』発売にともなうツアーが一年延期され、そのツアーに間にあわせるため急遽次のニュー・アルバムのリリースが必要とされました。にもかかわらず当時のミック・ジャガーとキース・リチャーズは不仲だったため新曲づくりが進まなかったのです。

 

そのためプロデューサーのクリス・キムジーが、これまでにストーンズが残してきた膨大な未発表音源を調べあげることにして、未完成のベーシック・トラックにオーヴァー・ダブを施していくという手法を選択しました。『タトゥー・ユー』に収録された曲のほとんどは、過去のセッションからのアウトテイクをもとに制作したものだとみなさんご存知のとおり。

 

ツェッペリン、ストーンズいずれの作品とも、できあがりに統一感があって、聴いて流れに違和感のないアルバムにしあがっているのは、ひとえにエンジニアの尽力のたまものなんですね。ツェッペリンはキース・ハーウッド、ストーンズのほうはボブ・クリアマウンテン。

 

そのおかげで、年代も録音場所もバラバラである楽曲群が統一感のあるサウンドに聴こえるわけです。特にストーンズをてがけたボブ・クリアマウンテンは辣腕エンジニアとしてこの後一世を風靡していくことになりましたが、世に出たきっかけがストーンズの『タトゥー・ユー』でした。

 

しかもそんな間にあわせ的に制作・リリースされたものなのに、ツェッペリンの『フィジカル・グラフィティ』もストーンズの『タトゥー・ユー』もヒットしました。バンドのキャリアを代表する傑作とまで評価されるようになって、ちょっと皮肉なことですよねえ。

 

さらに、ストーンズにとっての『タトゥー・ユー』は、象徴的な時代の転換点にあった重要作ともなりました。これにともなうツアーはライヴ・アルバム『スティル・ライフ』となって発売もされましたが、スタジアム・サイズのツアーを全世界的にくりひろげるようになる最初だったのです。現在でも続くストーンズのライヴ・スタイルを導いた最初の作品だったと言えます。

 

(written 2021.10.3)

2022/03/02

ちょっぴりレトロなラテン・ポップ・ビッグ・バンド 〜 ビーグル!

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(2 min read)

 

Bigre! & Célia Kameni / Tumulte
https://open.spotify.com/album/20PfM1hrhO9GDGXMoROt1i?si=m7uDa14_TnOUF1HF0JvOtg

 

リヨンを拠点とするフランスのビッグ・バンド、ビーグル!(ディスクユニオンの表記はなぜかビグレ!だけど)。2021年新作『Tumulte』もラテン・ミュージック方向に傾いたというかそれがベースにある音楽をやっています。

 

ややレトロなムード、ヴィンテージ感覚をただよわせているのがビーグル!の魅力の一つなんですが、それはフロントでヴォーカルをつとめるセリア・カメニのキュートでコケティッシュな味のおかげでもあります。

 

それ+、バンドの音楽も1930〜50年代ふうのラテンというかアフロ・キューバン・ミュージックをやっているので、ぼくら世代より上くらいだとなつかしさというか一種のノスタルジーを感じてニンマリするっていう、そんな音楽じゃないかと思います。いまや若い世代にはそれがかえって新鮮かも。

 

ラテンだけでなく、そもそもジャジーな要素もあるし、ソウルフルだったりファンクっぽかったりもして、しかも多くの曲で楽器奏者のアド・リブ・ソロもしっかり聴けて、それがまた充実しているっていう、つまりラテンを軸にさまざまな音楽をミクスチャーした内容になっているのがいいです。

 

おしゃれでカッコよくもあるし、レトロなフィールはここ数年の時流とも合致しています。1930年代ふうテイストまでをも感じさせるセリアのチャーミングなヴォーカルとあわせ、現代に好感を持って迎えられそうなアルバムですね。

 

(written 2022.2.21)

2022/03/01

音楽家サイドは公式サイトに新作の基本情報を載せてほしい

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(4 min read)

 

タイトルでぜんぶ言っていますけれども、ホントこのとおりです。いまどき公式ホーム・ページか公式ソーシャル・メディア・アカウントを持っていない音楽家はいないくらいですが、新作のレコーディング・データをきっちり載せているか?となると、まだまだと言わざるをえません。

 

なぜこれを言うかというと、サブスクで音楽を聴くのが主流になったからです。レコードなりCDなりであれば、付属ブックレットに演奏パーソネルやその他各種データが載っているでしょう(CDでもやらないアンガームみたいなケースもたまにあるけど)。

 

けれど、もういまやフィジカルじゃなくサブスクで音楽を聴く時代。そのままでは新作の基本情報が入手できません。そこがどうしても気になる、というのはぼくがジャズ聴きで古いタイプの音楽ファンだからかもしれませんが。

 

でも、あっ、ここのこのギターいいな、このツヤっぽいサックス・ソロはだれが吹いてんの?みたいなことが気にかかるというのは、ある意味とうぜんでしょう、それが人間の心理というものですよ。

 

ところが、それを知る手がかりがないんです。フィジカルを買わなかったら。

 

だからネットで検索するんですが、どうしても見つからないってことがあります。CDなり買ってよというメッセージかもしれませんが、もはや2022年にもなってねぇ、そりゃないぜ。時代の流れに逆行しているでしょう。なんども書いていますけど、一枚2000円前後のフィジカルと、ひと月980円のサブスクとでは、貧乏人に選択の余地はないんですから。

 

というわけでサブスク聴きの熱狂的音楽リスナーにとっては、パーソネルなどレコーディング・データを知るのはネット検索がすべて。マジですべてです。でも、いちいちここにあるかな?あ、ないね、じゃあこっち?とさがしまわらなくても、公式サイトですぐわかるようになっていればどんだけ便利なことか。

 

ぼくが公式サイト(か公式ソーシャル・メディアでの投稿)に載せてほしいと思う情報は以下のとおり。

 

・演奏パーソネル
・各曲の作詞・作曲者
・プロデューサー、アレンジャー
・録音スタジオ(ライヴのばあいは会場)
・エンジニア、ミキサー
・できれば録音年月日
・ジャケットのアート・ワークをてがけたデザイナー、フォトグラファー

 

こういった情報、過去の名作みたいなものであればたいていWikipediaがあって、ほぼどれもわかるんですけども、問題は新作ですよ。新作でもよっぽど有名で注目度も高い音楽家の注目作ならWikipediaが速攻でできることもあります。

 

でもそんなケースはレアなので、ネットで音楽家名とアルバム名で検索しまくって、それでどこかに載っているのを参考にしているわけです。公式サイト、レコード会社のHP、CDショップのサイトなどなど。それで見つからなかったら当該音楽家のソーシャル・メディア・アカウントをさがします。

 

そこまでやってもどうしても見つからない、どこにも載っていないというばあいがわりあいあって、困ったもんだなあと思っていますよ。テキスト情報が載せられないっていうのがサブスク最大の欠点で、これを補うため、リスナーの利便のために、音楽家や会社側は積極的にこの手のレコーディング・データをネットに公式掲載してほしいと、強く強くお願いします。

 

(written 2021.9.29)

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