音楽というそびえる山を支える裾野庶民の歌の楽しみとはこういうもん
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こないだのゴールデン・ウィークはちょうど住んでいる団地の棟のゴミ当番だったので、ゴミ置き場の管理と棟周囲の公共スペースにポイ捨てされているゴミやタバコ吸い殻を拾って歩いていました。
お天気のいいある午後、いつものようにごみチェックで棟まわりを歩いていると、ふと、ある部屋から歌声が聴こえてきました。姿は見えなかったけれど、レコードやCDや配信とかその他作品を流しているのではなく、住人のかたが大きな声で歌っていました、美空ひばりの「川の流れのように」(1989)を、ア・カペラで。
それにおおいに感銘を受けてしまったんですね。こういうのこそが一般庶民にとっての音楽というか歌の楽しみかただよねえって。熱心にレコードやCDを買い集めたりサブスクで聴きまくったりするようじゃない、世間の「大勢」にとっての歌とは、そういうもんです。
ぼくと同じ棟にお住まいのそのかたがひばりの「川の流れのように」を大声で口ずさんでいたのは、たぶんむかしヒットしていたころに聴きおぼえたのをそのままリピートしているかなんかだと思うんですが、あるいはひょっとしてひばりヴァージョンじゃなかったのかもしれませんけどね。
それでも歌、曲ってこうやって生き続けていくんですよね。ぼくの住んでいる森松団地はもちろん公営住宅(愛媛県営)ですから、低収入・無収入者向けのもの。音楽ソフトを買いまくったりできない層が住人ですし、しっかりしたオーディオ装置なんてもちろん持っていない。「川の流れのように」だってたぶんテレビ歌番組かなんかで聴きおぼえたんでしょう。
歌がこの世の隅々にまで浸透する、生活の一部になり、世の血肉となって沁み込んで、日常生活の不可欠な一部になる、それで生きていく、っていうのは、なにも熱心な音楽マニアやファン、紙やWeb媒体に文章を書いたりなど、そういった人間が支えているんじゃありませんよ。
そして、ふとしたときに団地の一室などからなにか好きな歌を口ずさむのが聴こえてくるようにまでなれば、それはすなわち裾野がひろがった、末端まで行きわたったということで、そうであってこそ音楽という山がそびえる高みを獲得することができるんです。音楽の世界を支えているのは、低地の裾野にいる無数の貧乏庶民です。
(written 2022.5.7)
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