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2022年7月

2022/07/31

ジャズ・ボッサでビートルズ 〜 オス・サンビートルズ

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(3 min read)

 

Os Sambeatles / Os Sambeatles
https://open.spotify.com/album/22tDpJvjwSFO07hZpvF0VO?si=BkS7L2ofQ-2fbgrxxLzALw

 

これまたディスクユニオンのツイートで出会った作品。だから日本語情報がいま読めず。それでも音楽が極上なので書けると思います、オス・サンビートルズの『オス・サンビートルズ』(1966)。今年LP復刻されたということで知りました。

 

ビートルズ・ナンバーの数々をジャズ・ボッサにアレンジしてインストルメンタル演奏しているもので、中心人物はブラジルのピアニスト、マンフレッド・フェスト。渡米直前の1966年に製作・リリースされました。

 

ですからビートルズ楽曲といってもそこまでのものということなんですが、それでよかったかもと思える内容です。スタジオ作業中心になってからの後期ビートルズには一筋縄ではいかない複雑な曲も増えてきて、ジャズ・ボッサなんかにアレンジしにくいですからね。

 

もとがどんな情感の曲であろうとも、おだやかにくつろげる軽快なサロン・ミュージックに仕上がるのがジャズ・ボッサの美点。なので、ひとによってはどれ聴いてもおんなじじゃんっていう感じかもですが、ビートルズだってこうなれるというのはたいした消化力で、ぼくは大好きですね。

 

1曲目「キャント・バイ・ミー・ラヴ」から楽しくて、ややにぎやかで細かなビートをドラマーが刻み入れているのが快感です。2「ミシェル」ではオルガンも弾かれています。3「ア・ハード・デイズ・ナイト」ではサビ部分でさっとリズム・パターンが変化するのも一興。

 

4「ガール」は冒頭でチェレスタが登場。原曲のやや淫靡だった味をここではかわいらしいムードに変換しています。5「ティケット・トゥ・ライド」6「アイ・シュド・ハヴ・ノウン・ベター」は、「キャント・バイ・ミー・ラヴ」とならぶ本アルバム最大の聴きどころ。これらで聴ける軽めだけど確かなビートこそ、ぼくには楽しいのです。

 

7「ヘルプ」がかなり愉快なムードになっていて、途中4ビートになったりもしているし、原曲を知っているとずいぶん変わったなと思うところでしょうね。歌詞の意味を重視する歌手はシリアスな曲調に転換してスローで歌うこともあっただけに、そんなところからはちょっと想像できないムードです。

 

ところで8「イエスタデイ」で疑問に思うことがあります。このトラック、なんと12分以上もあって、あれっ?と思いながら聴いていると、9曲目以下の「オール・マイ・ラヴィング」「アンド・アイ・ラヴ・ハー」「アスク・ミー・ワイ」「イフ・アイ・フェル」が同じトラックのなかに続けて流れてくるんです。

 

9トラック目以下、それらの曲はちゃんとまた一個づつ出てくるので、なにかのミスだったんでしょう、Apple Musicでも同じになっています。オリジナル・レコードからそうだったとは思えませんが、しかし本作、サブスクにあるのは盤起こしだし、あるいは復刻LPのミスなんでしょうか。

 

(written 2022.7.27)

2022/07/30

ハッピー・バースデイ、マイク・ブルームフィールド!

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(2 min read)

 

Janis Joplin / One Good Man
https://www.youtube.com/watch?v=FBR9ja9uWqU

 

きのう7/28は大好きなギターリスト、マイク・ブルームフィールドの誕生日だったんだって。誕生日とか命日とか記念日などのことをまったく憶える気もないぼくは、Twitterタイムラインでみんなに教えてもらいました。あわてて思い出せるものをちょっと聴き。

 

そのなかからきょうはちょっとこれを、っていうものをご紹介します、ジャニス・ジョップリンの『コズミック・ブルースを歌う』(1969、I Got Dem Ol’ Kozmic Blues Again Mama!)3曲目の「ワン・グッド・マン」。ブルームフィールドが弾いています。

 

このアルバムではほかにも三曲で参加しているんですが、いちばんブルームフィールドらしいブルーズ・ギターを堪能できるのが「ワン・グッド・マン」。そして大人気歌手ジャニスのアルバムだということで、ひょっとしたらこれが一般にいちばん聴かれているブルームフィールドかも?と思います。そのギターだと気づかれていないかもにせよ。

 

ジャニスのことはなにも言わないことにしてブルームフィールドのブルーズ・ギター。イントロからスライドっぽく入ってきていますよね。ヴォーカルにも終始オブリでからんで旨味を効かせていますが、いちばんの聴きどころはやはり間奏ソロとアウトロでの弾きまくり。

 

ひょっとしたらブルームフィールドの全セッション中でもベスト・プレイのひとつだったのでは?と思えるくらいなキレ味じゃないですか。いまでも変わらずエレキ・ギター弾きまくり系ブルーズ・ロックのことを心から愛しているぼくは、こういう演奏にこそ胸が打ち震えるんです。

 

もちろんアル・クーパーとやった『スーパー・セッション』(1968)とかポール・バタフィールド・ブルーズ・バンドの一員(64〜67)として腕をみせているものみたいな大活躍ぶりではないんですけど、こうしたスタジオ・セッション・ワークでの渋めの職人芸でもまたブルームフィールドは持ち味を発揮したと思います。

 

ボブ・ディランのレコーディングでやったものなど、ほかにもいっぱいあるんですけども、とりあえずきょうはこれで。

 

(written 2022.7.28)

2022/07/29

南ア・ジャズの時代?〜 マルコム・ジヤネ

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(3 min read)

 

Malcolm Jiyane Tree-O / Umdali
https://open.spotify.com/album/3nXuL25LbboMeH2KfOE1U8?si=pfkMfxzySlKWI1UAsHkgCw

 

いいジャケットですね。これもたしかディスクユニオン経由で知ったアルバムで、南アフリカのジャズ・トロンボーン&マルチ楽器奏者マルコム・ジヤネのリーダー・デビュー作『Umdali』(2021)。去年暮れか今年はじめごろに聴いてはいましたが、ピンとくるようになったのは最近のこと。南アのジャズについて書くのは今年三つ目です。

 

気だるいようなレイド・バック・フィールが強くあるのが(ぼくにとっては)本作最大の特徴で快感ポイント。ジャズでいうならブルージーとかファンキーとか言われるような音楽要素、それが全体的に濃厚です。

 

全曲ジヤネの作編曲ですが、実態は書かれてある部分より各楽器奏者のインプロヴィゼイション・ソロの連続でどの曲も構成されているように聴こえます。ソロをとるのはトランペット、トロンボーン、サックス、ピアノ。バンドはそのほかパーカッションをふくむリズム・セクション。

 

どのソロもエモーショナルで暖かみのある内容なのが、コンテンポラリー・ジャズではいまどきなかなか聴けないものかもという気がします。前半はややユーモラスな感じもある3曲目からぐんとよくなって、レイド・バック感全開。エレピもホーン・アンサンブルもファンキーでレイジーでいいですね。こういう音楽が大好き。

 

4曲目は出だしから湿ったエモーションに満たされていて、都会的な洗練と退廃も感じさせるムード。ホーン・アンサンブルにからみながら展開されるジヤネのスモーキーなトロンボーン・ソロも聴きごたえ十分です。その後トランペット・ソロ、ジヤネ(と思う)のヴォーカル、サックス・ソロと続きます。

 

曲中、というかアルバム全編を通しずっとコンガの音がスパイシーに効いているのもなかなかきわだっていて、背後というより前景に置かれているのかもしれないと思うほどのミキシングなので、いっそうそれがよくわかります。

 

そしてアルバムのクライマックスは間違いなくラスト5曲目「Moshe」。ジヤネはすばらしいトロンボーン・ソロを吹くだけでなくここでも歌っています、と思ったけどジヤネじゃねえかも。曲や、また特にピアニストのプレイにファンキーさが濃厚にただよっていて、しかもエモーショナルにあふれ出る感じ。そこが本作の特長ですよね。

 

(written 2022.7.26)

2022/07/28

完成度の高いアフロ・カリビアン・ジャズ 〜 マリオ・カノージュ、ミシェル・ゼニーノ

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(3 min read)

 

Mario Canonge, Michel Zenino / Quint’up
https://open.spotify.com/album/3bpLP7dPj2QwA3MnPAjOze?si=tWhxU1ekSqu598_YASXfnw

 

これはたしかディスクユニオンのツイートで見つけたやつ。ご存知のようにその後現在にいたるまで同店のオンライン・サイトは閉鎖中ですから、日本語情報なしで書かねばならないのはちょっぴりつらいところ。なんとか音楽の楽しさに引っ張られるようにやっていきましょう。

 

マルチニーク出身のピアニスト、マリオ・カノージュとマルセイユのベーシスト、ミシェル・ゼニーノの双頭ジャズ・クインテットによるアルバム『Quint’up』(2018)がなかなか楽しいと思います。すくなくともぼく好みのジャズ。

 

音楽的には1965〜68年のマイルズ・デイヴィス・セカンド・クインテットやそれ由来のいはゆる新主流派、つまりポスト・バップ作品なんですが、そこに新主流派には薄かったカリビアン・テイストを濃厚に加味したような感じ。

 

メインストリームな4/4ビートとカリブ由来の8ビート系を縦横自在に行き来したり混ぜたりするところに本作最大の聴きどころがあるみたいで、そうしたミックス・リズムには主役のマリオはもちろん、ドラムスのアルノー・ドルマンもかなり貢献しています。

 

1曲目のテーマ演奏部 → ソロ・パートへ移行する瞬間からそれは明確にわかります。リズムがパッとチェンジするんですよね。ソロ部は一貫してメインストリームな4ビートですが、それでも各人のソロをつなぐブリッジ部分では複雑な8ビートに転換するし、ソロが演奏されているあいだもドラムスがいびつなアクセントを入れたり。

 

2曲目のタイトルが「Calypsonge」で、そのまんまカリプソ・ジャズ。こういうのはべつに目新しいものでもなく、ソニー・ロリンズが「セント・トーマス」(1957)ですでにはっきりやっていたもの。その他メインストリーム・ジャズにも古くからカリプソ要素はあるので、そうした伝統に沿った一曲ということなんでしょうね。これも楽しい。

 

アルバム中いちばん耳を惹くのは4曲目「Not Really Blues」。基本的にはハード・バップなんですが、アフロ・キューバン・テイストが濃厚で、特にアルノーのドラミングにそれが顕著。しかもソロ・パートでは4ビートで進行しつつカリビアン8ビートを混在並存させています。

 

その他の収録曲はまずまずメインストリームなストレート・ジャズでしょうが、そんななかにも随所でリズム面でのアクセント付けや工夫は聴かれます。こうみてくると、アフロ・キューバン/カリビアンな要素は通常的なジャズのなかにも歴史的に頻出してきたものなので、本作がことさら目立ってすばらしい、あたらしいというわけでもない従来ジャズかもしれませんが、こなれた完成度の高さはみごとでしょう。

 

(written 2022.7.12)

2022/07/27

あのころのジャジー・ポップスのように 〜 エマ・スミス

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(3 min read)

 

Emma Smith / Meshuga Baby
https://open.spotify.com/album/3HahJJpwuLOh40uDe8Ia1W?si=wJ303pHnSy2UOjs3xaB3bA

 

萩原健太さんに教えていただきました。
https://kenta45rpm.com/2022/07/12/meshuga-baby-emma-smith/

 

ジャケットにわざわざ「STEREO」の文字が配されているあたり、露骨にあの時代を意識したいかにもなレトロ感ただようエマ・スミスの最新アルバム『Meshuga Baby』(2022)は、まさしくロックンロール台頭前夜のおもむき。

 

エマはロンドンの歌手で、ボズウェル・シスターズとかアンドゥルーズ・シスターズとかあのへんの世界を意識したような女性三人組コーラス・グループで活動しているとのこと。ソロ作品でも同様に過去へのリスペクトに満ちた眼差しを見せてくれているわけなんです。

 

この新作でのきわめて個人的なお気に入りは、エマのヴォーカルもいいんだけど、実を言うと伴奏を務めているジャズ・ピアノ・トリオ。なかでもピアノのジェイミー・サフィアの弾きかたや全体的なアレンジが大のぼく好み。

 

ジェイミーはエマと共同で本作のための新曲も書いているあたりからみて、どうもアルバムの音楽監督的な役目をやっていそうな気がします。Spotifyアプリでは各曲のプロデューサー名のところが空欄になっているので、わからないんですけれども、たぶん。

 

強めのビートが効いている曲がいくつもあって、そのなかにはラテン風味がしっかり聴けたり、ブルージーでファンキーだったりもけっこう香り、それらって突き詰めれば<あのころ>のアメリカン・ミュージックだとごくあたりまえにあったものだから本作でのエマらも自然に表現しているということ。意識せずともですね。

 

特にラテン・ビートとブルーズがかなり多いのはたいそうぼく好みのジャズ・ヴォーカル・アルバムといえて、そういった方向性をエマと共同でジェイミーが牽引したんじゃないかという気がするんです。その意味でも完璧にレトロなジャジー・ポップス・アルバムでしょう。

 

レトロといっても本作は淡々おだやか系ではなくて、抑揚や変化があって強く派手な表現もわりと聴けるんですが、エラ・フィッツジェラルドなんかもそうなることが多かったし、エマのヴォーカルにも濃淡というか緩急がしっかり効いていて、なかなか楽しい歌手ですね。所属しているというプッピーニ・シスターズも聴いてみようかな。

 

(written 2022.7.22)

2022/07/26

学校の宿題はやらなくていい

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(5 min read)

 

学校が夏休みに入ったということで、そうじゃなくても一年中ずっと言えることなんでいつ読んでいただいてもいいですが、学校で教師が生徒に課す宿題なんて、やってもやらなくてもどっちでもいいんですよ。ストレスに感じるならやらないでほしい。

 

現実問題、宿題をやっていかなくたってなにも起きません。違法じゃないし、倫理的に問題でもなく、逮捕されないし、「ほんとうに」なにも起こらない。ただちょっと教師に “なんでおまえはやらんのか” とブツクサ言われるだけ。成績が低下するか?というと実はそれもないので、要するになにもない。

 

それだったらイヤなものむりしてやることないんですよ。このことを、長年現場の学校教師だったぼくは声を大にして言いたい。宿題やらないのは悪いことじゃない。

 

むしろムリヤリの宿題は生徒の心身をしばる負担になるだけで、だからつまり教育的効果なんてありませんから。このことを学校教師自身もこども時分に身をもって痛感していたはずなのに、自分が教師の立場になった途端に命令権でも得たかのようにふるまうのはおかしいでしょう。

 

そう、教師なんて権力じゃないし、生徒にあれこれやらせる強制力なんてちっともないのです。親にだってないんですから、ましてや他人をや。

 

宿題をやらず教師に小言をもらっても、そんなもん「はい、すみません」と頭上を通り抜けていくように右から左へと流しておけばそれでいい。性格の悪い教師だと職員室などで長時間拘束し(そんな権利も本来ないわけですが)いつまでもごちゃごちゃ言うかもしれませんが、生徒側に非はありません。

 

そもそも学びは楽しくなくちゃ、やりたいと思ってすすんでやるんじゃなくちゃ、効果ないです。ムリヤリの強制はなにごとも逆効果。そして、生徒・学生時代はなぜ学んだほうがいいのか、どういういいことがあるか、なかなか納得理解できないもの。

 

もちろん勉強するという営為じたいが楽しくて快感でやめられないという人間(が実はそこそこいて、学者になったりする)はほっといてもやるんですが、生徒・学生のマジョリティはそうじゃないですからね。遊べるもんなら遊びたいと思っているでしょう。

 

それでいいとぼくは思うんです。好きなこと、やりたいことをやればいい。それが野球だったらそれでOKだし、野球ばっかりやった結果イチローや大谷翔平みたいになれるかもしれないんですからね。

 

そういえば思い出しました。イチローは小学生のころ、だれにもやれと言われていないのに自分がやりたくて、すすんで毎日八時間ものバッティング練習を欠かさなかったそうです。好きでやり放題やった結果があの米メイジャー・リーグの歴史にも名を残すほどの存在だというわけです。

 

学校の宿題というか勉強、学習もそんなふうじゃなくちゃ。学習者みずから課題を見つけ、なにがわからないのか、そもそもそれがわかるようにするためにはなにを使ってどこをどう調べればいいか、という根本からすすんで自分で興味をもって見つけていくようにする環境づくり、背中を押すことこそ、教師の仕事です。

 

それなのに、この問題集のここからここまで解いてこい!みたいな押し付けじゃ、やりたい気は起きませんし、取り組まなくちゃと思うだけでそもそも苦痛で、であるがゆえに学力向上には結びつきません。これが「宿題」というものの実態でしょう。

 

そのままなら即刻学校から宿題を廃絶したほうがいい。

 

それができないから(上司から言われたり文科省の指導があったりで)、生徒のほうからすすんで放棄すればいいと言っているんです。やりたい生徒だけやったらいいんで、全員一律の同一課題強制は無意味。放棄しても困ることはなにも起きないし、自分が読みたい本を楽しくどんどん読んだりしたほうがずっと滋養になります。

 

小学校から高校まで(大学と大学院では宿題出なかった)、学期中でも長期休暇でも、いっさいの宿題をまったくやらずにすごし教師の小言を無視してきて、それでみずから教師になったぼくの痛切な実感です。

 

(written 2022.7.24)

2022/07/25

日常にす〜ぅっと溶け込む歌 〜 ルシベラ

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(2 min read)

 

Lucibela / Amdjer
https://open.spotify.com/album/09x0zF6SJX3yPep6npnZum?si=copTFgZ_RtmbWagNwFS7qw

 

これもbunboniさんに教わりました。感謝ですね〜。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2022-07-12

 

カーボ・ヴェルデの歌手、ルシベラ。今年出た最新作『Amdjer』(2022)がたいへんすばらしくぼく好み。気をてらうとか大向こうをねらうといったところの微塵もない、日常的な淡々とした音楽で満たされていて、これこれまさにこういうのですよ、いまのぼくが音楽に求めているものって。

 

こういった音楽は、ひとが生涯で積み重ねてきた悩みや苦難やつらさが裏ごしされたみたいにまろやかなスープ状となって溶け込んでいるのであって、その表面的にはなめらかで平坦な変化のないサウンドに真の深みと味わいをいまのぼくだったら聴きとりますね。

 

なかでもアルバムにいくつもあるコラデイラの数々は、その強くもやわらかなさざなみのビートが人生の年輪とひだを感じさせ、なんともいえず胸にぐっと沁み入ります。4、6、9曲目あたりはほんとうにたまりませんね。しっとりモルナだって聴けます。

 

伴奏のサウンド・プロデュースもいいですね。本作で多くの曲を共作しているトイ・ヴィエイラがつくっているんですが、アクースティック・ギター、カヴァキーニョ、ウクレレ、ヴァイオリンなど弦楽器を中心に、ピアノも配したり、ビートはおだやかでオーガニックな生演奏ドラムス+パーカッションで、こうしたマイルドさこそルシベラみたいな歌手の本領を活かすもの。

 

きのうケオラ・ビーマー(ハワイ)の記事で「ひたすらフラットで淡々と続くおだやかで静かな音楽」がいまのぼくの好みなんであると書きましたが、完璧に同じことがルシベラの本作にもいえます。そして、そうしたトレンドが最近の世界の音楽における主流であるというのも間違いのないこと。

 

(written 2022.7.24)

2022/07/24

入眠にもいい納涼 〜 ケオラ・ビーマーのスラック・キー・ギター

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(3 min read)

 

Keola Beamer / Mauna Kea ~ White Mountain Journal
https://open.spotify.com/album/1sB7C55SKRkXJLy77kysfI?si=qWCIalLKQmeXATqn9dBJbw

 

bunboniさんに教えていただきました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2022-07-10

 

六月末にいったん梅雨明けしたはずなのに、こちら愛媛県松山市は七月に入った途端なんだか戻り梅雨がずっと停滞しているような天候ばかり続くようになりました。きれいな晴れの日がまったくないんだもんなあ。気温もこの季節にしてはやや低め。

 

それでも7月20日すぎごろから松山でもようやく夏がやってきたかと思えるようなセミの鳴き声と強烈な日差しと暑さがおとずれていて、聴く音楽もそれっぽいものへとシフトさせようかなというときにちょうどいいのがハワイのケオラ・ビーマー『Mauna Kea ~ White Mountain Journal』(1997)。

 

インストルメンタルな、いはゆるスラック・キー・ギター・ミュージックで、ぼくみたいな音楽リスナーにはかつてライ・クーダーが手ほどきしてくれたものでした。それで本場ハワイのギターリストたちも聴くようになり、日本の山内雄喜とかもほんとうに愛聴しています。山内さんのアルバムはサブスクに一つもないからCDで。

 

そんななか、これはSpotifyでも問題なく聴けるケオラ・ビーマー97年の『マウナ・ケア』は傑出した美しさと誇り高さを保っているように聴こえます。まさしくマスターピースに違いないすばらしいアルバム。しかも真夏の納涼に最適なさわやかさあふれる音楽ですよね。

 

ヴォーカル・アルバムでもポップ・ミュージックでもありませんが、こうしたひたすらフラットで淡々と続くおだやかで静かな音楽は、いまのぼくの嗜好とフィーリングにこれ以上ないほどピッタリ。快適で、部屋で流しながらゆっくりくつろぐ時間は至福の安らぎだと思えます。

 

だからSpotifyアプリでリピート設定をオンにして、なんども再生しながらいつまでもずっとこれを聴いていたい、このゆっくりした時間がいつまでも続けばいいのにと感じるような、そんな心地よさ。リラックスできて心が安らかにほぐれてくるので、深夜ベッドに行く前の入眠準備としてもちょうどいい。

 

なかでもおやっ?と耳を惹いたのは8曲目。ケオラの自作ですけど、これって沖縄音階にちょっと近いメロディ・ラインですよね。さらにギターの音色もカンカンとサステインが短く、なんだかやや三線に近い硬さで、これ、本体や弦はなにを使っているんでしょうか。ハワイと沖縄の音楽は相互共通性があるにはあるでしょうけど。

 

いずれにせよ、そのほかの曲もぜんぶふくめ、美しいメロディ・ラインをギター一本でどれだけきれいに、響きよく、おだやかに、なおかつしっかりと確かにつづっていくかというお手本のような音楽で、こういうギターが弾けたらなぁと心芯からあこがれるものですね。

 

今年の真夏の深夜は、これを聴いて癒されて、おだやかな睡眠へといざなわれたいと思います。

 

(written 2022.7.23)

2022/07/23

岩佐美咲の全曲歌いなおしアルバムをぜひ

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(4 min read)

 

岩佐美咲 / オリジナルズ
https://open.spotify.com/playlist/3OxWmOFVeufNKmqHV3BTdV?si=9700298639e94c8c

 

はじめから岩佐美咲のために用意されたオリジナル楽曲は、2022年7月現在、ぜんぶで10曲(えっ、まだそんなもん?)。これをですね、10曲すべてまとめて、ヴァージョン・アップされたいまの美咲の歌唱でやりなおしたのを聴きたいという願望がぼく(やその他ファンの一部)にはあります。

 

っていうのは、たとえばデビュー曲「無人駅」は2012年のもので、その後一年一曲のペースでリリースしてきているわけですが、美咲の表現がほんとうにしっかりしたまろやかな輝きと深みをみせるようになったのは、たぶん2017年か18年あたりからなんですね。18年11月の四国 2 days をきっかけに19年いっぱい、美咲のコンサートや歌唱イベントなどにさんざん通いつめて、ぼくもこれを実感していました。

 

CD(そのころ配信はまだされていなかった)で聴くのと比較して、こりゃぜんぜん違うやん、特に「無人駅」「もしも私が空に住んでいたら」「鞆の浦慕情」といった初期名曲は、現場で聴くと愕然とするくらい差があるんです。もう比較にならなかった。別の曲じゃないかと。断然いまの歌のほうがいい。

 

それで上で書いたような願望をいだくようになったんですが。デビュー期の美咲は、大器の片鱗をのぞかせはするものの、まだまだ磨かれている途上のダイヤの原石みたいなもんで、発声や歌いまわしもやや単調で雑&未熟。曲とプロデュースがいいのでそこそこ聴けますし、それしか知らなかったらこんなもんだなと思うでしょうが、2019年現場ヴァージョンを聴いてしまったら二度と同じ気持ちじゃいられません。

 

だから、全10曲、いまの美咲のみごとなヴォーカルで歌いなおしたものをアルバム収録して、そういう企画で、リリースしてくれたらこんなにうれしいことはないぞという、そういう気持ちを持っているのはぼくだけじゃないはず。近年現場での美咲の歌を聴いているファンだったら。

 

このことが具体的に実証できたのは2019年のアルバム『美咲めぐり〜第2章』(初回盤)でのこと。「ごめんね東京」「初酒」「もしも私が空に住んでいたら」の近年ライヴ・ヴァージョンが収録されていますが、声のノビといいハリといい艶といい絶品で、初演とは比較にならないすばらしさだとみんなが納得したんじゃないでしょうか。

 

ああいったのをですね、10個の全楽曲で聴きたいんですよ。もちろんスタジオでの歌いなおしじゃなくライヴ・コンサートで収録するのがいいと思います。レコーディング・スタジオでの気持ちのつくりかたってなかなかむずかしいんだとマイルズ・デイヴィスなんかも言っていましたが、歌手音楽家ならこのことを実感しているんでしょう。

 

美咲はこれまたファンの聴いている眼前で実力を発揮することが多い歌手で、うまいぐあいにリラックス感とほどよい緊張が入り混じる楽しい現場だと、声に輝きが増すんです。黄色いハッピと拍手、声援(はいまダメだけど)あってこそ、それをエネルギーにして声に元気を出せる存在ですから。

 

もちろん10曲ではコンサートが成立しないので。あ、いや、わざわざ歌いなおしのための収録用コンサートということでそれだけでやれるかもしれないです。+αでもうちょっと歌ってもいいし、とにかくそうした近年ライヴ収録で美咲のオリジナル楽曲トータル10個をやったものをすっごく聴きたい。お願いします、徳間ジャパンさん!

 

(written 2022.7.19)

2022/07/22

マイケル・ヘンダスンはマイルズになにをもたらしたのか

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(5 min read)

 

Miles Davis / A Tribute To Jack Johnson
https://open.spotify.com/album/0xr31or2qYglJpiX6pODjY?si=9YMVASbIRuOqCPOrURgD_w

 

マイケル・ヘンダスンが亡くなったということで。ぼくにとってこのベーシストはマイルズ・デイヴィスとやったものがすべてなので、なかでも個人的にいちばん好きな『ア・トリビュート・トゥ・ジャック・ジョンスン』(1970年録音71年発売)を聴きかえしました。

 

特にベースにフォーカスするように聴いたんですが、そうでなくたってこのアルバムでのヘンダスンのプレイはきわだっています。レコードだとA面だった「ライト・オフ」でのベース・ラインなんかファンキーで絶品グルーヴィ。かなりロックっぽいけど、実はファンクですよね。

 

しかもこの『ジャック・ジョンスン』になった主要マテリアルを録音した1970年4月7日というと、ヘンダスンはまだバンドに加入しておらず、加入させるかどうかの判断をマイルズが下すためのオーディションだったんですから。それでこのキレ味、いい演奏すれば使ってもらえると張りきったというのがあったにせよ。正規加入は同年秋ごろ。

 

ベースの前任者はデイヴ・ホランドで、「ライト・オフ」とかでこれだけの演奏をヘンダスンがしているにもかかわらずそのまますぐにはバンドに入れずしばらくホランドを使っていたというのが信じられないと思ったりもするんですが。やっぱりちょっと保守的なところのあったトランペッターでした。

 

でも実はこのセッションのテープをホランドも聴いたに違いなく(発売は翌年)、こりゃヤバいぞ!と思ったのかその後のスタジオ・セッションやライヴ・デイトでは(ジャズ・ベースというより)ソウルフルでグルーヴィな演奏をして、ときどきラリー・グレアムになっていたりもしたんです。

 

つまりレギュラーの座が危ういと先輩をあわてさせ豹変させたベースだったということ。ソウル界出身のヘンダスンがマイルズ・バンドにもたらしたものとは、上で(スライの「サンキュー」をやった)ラリー・グレアムの名前を出しましたが、まさに湧き出てくるように反復するヒプノティックなグルーヴを飽かず延々と持続させられる往復力。

 

もちろんそんなのはジャズにそれまでなかったもので、ファンク・ミュージックへとマイルズが舵を切るコーナーストーンをヘンダスンがもたらしてくれたんです。68年ごろから描いていた自己未来像とも合致し、75年夏の隠遁までヘンダスン以外ありえないといった感じで一つの例外もなく使い続けました。

 

ヘンダスンらが実現していたこの手のグルーヴとは人間にとって要はセックスのグルーヴ。生理的でナマナマしい身体的な快感なんですよね。70年あたりからマイルズは自分の音楽にそうした肉体性を宿らせようと試みていて、67年暮れから実験がはじまっていました。

 

スタジオではロン・カーターだったりホランドだったりしても、自由に(ジャズ的に)演奏させるのではなく、あるいは譜面化しておくとかあらじめ用意しておいたお決まりのラインを定常的に弾かせるという、ドラマーへの指示にしてもそうで、つまりリズム・セクションの役割を限定的に固定し、マイルズは最初まずそうやってファンク・グルーヴを実現しようとしていました。

 

1970年春ヘンダスンの参加は、自由に弾かせてもスポンティニアスにそうしたプレイのできるベーシストの登場を意味するもので、あわせてジャック・ディジョネット(ら)のドラミングもよりタイトなものへと変貌していくようになり、バンド全体がニュー・ミュージックに取り組む方向性がしっかりするようになりました。

 

ヘンダスンが具現化したそうしたグルーヴの例証として、『アガルタ』(75)など、より超絶的なベース演奏がほかにあるのに『ジャック・ジョンスン』を選んだのには、これが嚆矢であったということ以外に、ベースが聴こえやすいという理由もあります。フロントの管楽器以外はシンプルなトリオ編成(ギター、ベース、ドラムス)で空間があって、機材の揃ったスタジオ録音で音響も良好鮮明、エレベの粒だちや音色、細かな表情までとてもよくわかります。

 

Michael Henderson (July 7, 1951 - July 19, 2022)

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(written 2022.7.20)

2022/07/21

情熱的に、さわやかに 〜 リンダ・シカカネ

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(3 min read)

 

Linda Sikhakhane / An Open Dialogue (Live in New York)
https://open.spotify.com/album/0gOyWOq57I8JgCPbCf5lvX?si=Xf2RXgh4QnyHpCmJR5gwxw

 

ンドゥドゥーゾ・マカティーニ今年の新作『In The Spirit of Ntu』で知ったやはり南アフリカ共和国のジャズ・サックス奏者、リンダ・シカカネのそのプレイぶりにおおいに感心し、自己名義のリーダー作も聴いてみようとSpotifyで検索しました。

 

すると、今2022年にも新作を出していて、それをふくめいままでに三つのアルバムをリリースしているみたいです。ぜんぶじっくり聴いた結果、ぼくには二作目の『An Open Dialogue(Live in New York)』(2020)がいちばんのお気に入りとなりました。イキイキとしていて実にいい。プロデュースはこれもンドゥドゥーゾ。

 

ずいぶんスピリチュアルな内容で、瞑想というか祈りをささげているようなサックス吹奏とヴォーカル・コーラスが聴こえます。1960年代のアメリカン・ジャズ的っていうか、こういうの、要はジョン・コルトレイン由来の世界なんでしょうね。

 

ことさらの個人的お気に入りは1〜2曲目の連続した流れ、楽しくスウィングする4曲目「Timelessness」、6「Ziyokhala Ziyotheza Sokela」でのサックス・ブロウ、そして熱量の高さを感じるラスト7「Saziwa Nguyen」。奔流のような演奏で、リンダのサックスもきわだってすばらしく、聴き入りますね。コルトレインらの時代と違うのは、熱さと同時にさわやかなひんやりクールネスもあって聴きやすいところ。

 

2017年の一作目からそうですが、全速力で情熱的をみなぎらせて疾走するというよりも、全体的におだやかにたたずんでいるといった風情も感じとれ、本作はライヴだけに破綻ない構築というより勢いで吹きまくるパートもあるにはありますが、そのへんの静かな空気感はまぎれもなく2020年代的な音楽の衣をまとっているというか、ジャンルや地域を超えて共通トレンドになっているものなんでしょう。

 

ハーモニー面やビートの組み立てなどけっこうな冒険や実験をやっているのに、前衛的な感じがせず、不思議に落ち着いてリラックスしているっっていうのがリンダの音楽の特色。おかげでなんど聴いても飽きず口あたりよく、リンダ以下バンドも充実の演奏をくりひろげているけれどあっさり味があって、それでも聴き込めばしっかりした手ごたえがあるっていう、そんな音楽ですかね。

 

二年前に知っていたら、間違いなくその年の年間ベスト三位以内に入れていただろうと思います。それくらいの傑作に違いありません。いや、これだったら今年のベストテンのどこかに入れたいぞっていう、それくらい。ンドゥドゥーゾが一位だから、その必要もないのか。

 

Linda Sikhakhane / tenor & soprano saxophones
Lesedi Ntsane / trumpet & flugelhorn
Redi Fernandez / flute
Lex Korten / piano
Jude Van der Wat / harp
Zwelakhe Duma Le Pere / bass
Alon Benjamini / drums
Gontse Makhene / percussions
Mabeleng Moholo / percussions & vocals (track 5)
Sakhile Moleshe / vocals
Nduduzo Makhathini / album producer, vocals (track 1)

 

(written 2022.7.20)

2022/07/20

最愛...鄧麗君

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(3 min read)

 

最愛...鄧麗君
https://open.spotify.com/playlist/37i9dQZF1DX3fJV4e8nUd6?si=c47701126d7b4924

 

今年はじめごろSpotifyに登場した公式プレイリスト『最愛...鄧麗君』。愛聴しています。テレサの代表的な歌を中国語のものも日本語のものもとりまぜていっしょくたで流してくれるというもので、50曲三時間弱、これ一個あればだいたいわかるとしても過言でもないような。

 

台湾出身のテレサは日本でも(それこそ東アジア全域で)かなり活躍したので、いまだそれをよく憶えているファンが相当な数いて、当時を知らない若手歌手のなかにもお手本とするひとは多いし、演歌歌謡曲の歴史に名を残す大きなスターとしてしっかり認識されています。

 

でもちょっとくやしいなと日頃からぼくが感じているのは、テレサの日本語の歌と中国語の歌を聴く層が分離して重なっていないこともあるようにみえていること。それじゃあこの大歌手の真価を理解できないですよ。プレイリスト『最愛...鄧麗君』では区別せず流れてくるので、あらためてこのことを思い出しました。

 

中国語圏でのスタンダードもあれば、日本語で歌ったみずからのレパートリーだけでなく有名演歌歌謡曲のカヴァーも多数あり、また日本語で最初歌ったものを中国語に翻案して歌いなお(すことをテレサはよくやった)してあるものだってどんどん流れてきて、傾向というかこのプレイリストには一定のポリシーみたいなものがないのかなとは感じるんですが。

 

でもテレサ本人は中国語の歌も日本語の歌もぜんぜん区別なんかしていなかったんだよなあということもよくわかります。そのへん、どうも、日本人演歌ファンはそっちばっかり聴いて中国語圏スターとしてのテレサを聴かないし、(主に中村とうようさんの手引きで)鄧麗君を聴くようになったワールド・ミュージック・ファンは、演歌歌謡歌手テレサなんて…と見向きもしない。

 

もったいないですよ。東アジア全域で大活躍し急逝したテレサの歌のほんとうの魅力をちゃんとしっかりとらえたいなら、中国語の歌も日本語の歌もおんなじように並べてどっちも差別せず聴いたほうがいいと思います。それがテレサを理解し、歌手としての全貌に寄り添うことなんですから。

 

それからもう一個。これは最近ふだんから言っていますが、感情の激しい起伏をともなわない、エモーショナルというよりクールな、す〜っとなめらかでおだやかで静かな音楽が、ここ数年グローバル規模で流行し、確固たるトレンドとなっていますよね。テレサはそんな世界の完璧なる先駆けだったのではないでしょうか。

 

コンテンポラリー・ポップスのそんなトレンドがはっきりしてきた2020年代だからこそ、テレサみたいなおだやかに歌の世界をそのまま強い個性を込めずに届けてくれていた歌手が、ふたたび脚光を浴びてもいいような気がしますよ。

 

(written 2022.7.18)

2022/07/19

ぼくの『クッキン』A面愛 〜 マイルズ

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(4 min read)

 

Miles Davis / Cookin’
https://open.spotify.com/album/50J57uCvPub0yK2kjkfC9J?si=vz95nPY8Ro2yfecZDud2mA

 

マイルズ・デイヴィスのプレスティジ末期録音がかなり好きだ、特にそのモノラルな音響、という話は以前しましたが、音楽性もふくめ例のマラソン・セッションからできた「〜in’」四部作でいちばんいいなと思うのは『リラクシン』(1958年発売)。

 

でもそれら四作すべて、もとはレコードですからA面B面があったわけです。ぼくもCDメディアへの総切り替えまではずっとレコードを片面単位で聴いていたし、っていうんで面で考えたら『クッキン』(57年発売)のA面が絶頂的に最高なんですね。2曲目まで。個人の感想です。

 

ってことはつまりB面がぼくにはどうもイマイチで、がゆえにアルバム単位ではさまざまなセレクションに選んでこなかったんです。なんかダサいし。そんなこともあっていままでさほどは話題にしてこなかったアルバムかも。A面だけならな〜って切に思いますよ。

 

『クッキン』A面は音響も最高だし、それになんたって曲の構成がいいです。リリカルできれいな絶品バラードとスウィングする愉快なジャズ・ブルーズっていう、もうこれ以上ない並び。どっちの演奏もすばらしく、みごとにそれらしかないっていう、完璧じゃないですか、このA面。

 

1曲目の「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」のことはもはや語り尽くされているような気がしますが、1964年例のリンカーン・センターでのライヴ・ヴァージョン(『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』)と比較すれば、まだちょっとこじんまりスケール小さく落ち着いているこのプレスティジ・ヴァージョンがあんがい好きなんです。

 

それから、なんだかピアノ(レッド・ガーランド)とベース(ポール・チェインバーズ)の音が鮮明でいいですよね。『〜in’』四部作のなかでもこの面がいちばんサウンドがくっくりしているような気がぼくにはするんですけど、気のせいかも。同じ日の同じエンジニアによる録音だから差がないはずなのに、でもなんだかねえ。

 

そして2曲目のストレートな定型ブルーズ「ブルーズ・バイ・ファイヴ」こそ最も愛するもの。信頼しているブロガーが以前ハード・バップにおけるブルーズは退屈であるなんて書いていたもんだから、この種のことを言明するのになんだかちょっと引け目を感じるようになってしまい、ちょっぴり恨みに感じていますが、それでもなんど聴いても心から愛しているとしか言いようがない事実は変わらず。

 

ただのシンプルな定型ブルーズなんで演奏前の簡単な打ち合わせだけで本番に入っていますが、ここでもまたレッド・ガーランドがいいです。こういったジャズ・ブルーズをそもそも得意にしたピアニストではありますが、それにしてもここではいったいどうしちゃったんだろう?と思うほどの水を得た魚感。

 

三番手で出るそのレッドのソロは、お得意のシングル・トーン → ブロック・コードと前後半を使い分ける作法ではなく、終始シングル・トーンで鈴の転がるようなきれいなフレーズを奏でていて、ファンキーでもあるし、これ以上の快感はぼくにはないんです。たった5コーラスといわずその倍弾いてほしかった。

 

(written 2022.6.10)

2022/07/18

ロニー・フォスター再起動

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(3 min read)

 

Ronnie Foster / Reboot
https://open.spotify.com/album/7fIQ7XeqTD0FqsvyTohyrY?si=TMbZZzkmQeSVuT2Qgun7Ww

 

ベテラン・ジャズ・オルガン奏者、ロニー・フォスターの、なんと36年ぶりの新作アルバム『Reboot』(2022)が出ましたね。ブルー・ノートからのリリースなので、例によって会社がソーシャル・メディアで前宣伝をどんどんやっていて、先行トラックも二つ聴けたんで、待ちきれないほどでしたよ。

 

こ〜れが!まったく期待にたがわない内容で、カッコいいったらありゃしない。特にオープニングのアルバム・タイトル・ナンバーなんか、もうしょんべんチビりそうになるほどハンサム。アルバム全体ではちょっぴり時代を感じさせるというか、アシッド・ジャズ〜レア・グルーヴ的な内容かもと思うんですが、この1曲目は文句なくコンテンポラリーにシャープでカッコいい。

 

2020年代的なコンテンポラリーネスを表現していると思えるのものはほかにもあって、たとえば、ややラテン・テイストもまぶされている2曲目「Sultry Song II」の都会的でメロウなグルーヴとか、ロニーの無伴奏オルガン独奏による4「J’s Dream」の甘美なデリケートさ加減も絶品だし。

 

冒頭でストリングス・サウンドが聴こえるのはロニーによるキーボード・シンセサイザーかなと思う8曲目「After Chicago」もややラテン。このミディアムな感じもいまふうでいいですね。と同時にこうしたものは1980年代からいっぱい聴けて、70年代から活動しているロニーもやっていたものではあるんですが。

 

ラテンといえば本作には強烈なのがあります。6曲目「Carlos」。いきなりジェリー・ロペスによるフラメンコ・ギターが鳴って、あれ?と思っていると、定常ビートが入ってきてからはタイトルどおりサンタナっぽく展開します。ロニーのギターリスト、マイケル・オニールもカルロス・サンタナの音色とプレイぶりでそのまま展開。後半ではルイス・コンテ、レニー・カストロ二名によるラテン・パーカッションも炸裂します。

 

おそらくロニー本人であろう?ヴォーカルが入る7曲目「Hey Good Lookin’ Woman」は、ジャズというよりリズム&ブルーズ・ナンバー。5曲目「Isn’t She Lovely」はもちろんスティーヴィ・ワンダーのあれで、『ソングズ・イン・ザ・キー・オヴ・ライフ』(1976)で一曲起用してくれたことへの返礼なんでしょうね。ここではジャズ・シャッフルで料理されています。

 

ストレートな4/4拍子のメインストリーム・ジャズである3曲目「Swingin’」は定型ブルーズ。アルバムの基本になっているオルガン・トリオ(ロニー、マイケル・オニールg、クリス・フォスターdms)でやる従来的なもので、なかなかファンキー。そうそう、クリスはロニーの子なんだそうです。

 

アルバム・ラストの9「After Conversation with Nadia」でだけロニーはアクースティック・ピアノを弾いています。しかも独奏。しめくくりにしっとりと内省的につづるおだやかな様子は実に居心地よく、格好のクローザーだと思えます。

 

(written 2022.7.17)

2022/07/17

だれしもDJ?〜 ミックスって

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(5 min read)

 

いつごろからかミックス(Mix)ということばが音楽好きのあいだで頻用されるようになっていて、記憶をさかのぼるとたぶんクラブとかお店でDJがハバきかせるようになってからだから1990年代以後か、21世紀のことか、現在まで続いていますよね。

 

一般のファンでも「〜〜Mix」をつくったよとかよく聴くとかネット上の会話でしばしば見るし、SpotifyとかApple Musicとかのサブスク・サービスではもう星数の「なんちゃらミックス」が日々増殖中。

 

ヒップ・ホップ世代以後の用語法ですよね。そういうのを見ていると、みんなが言うその手のミックスというのはどうもコンピレイションのことで、べつに混ぜてあるとかなんとかいうんじゃなく、ただ好きなもの聴かせたい(聴きたい)ものをいい感じにば〜っと並べてあるだけです。

 

とはいえもちろんクラブDJ(は実を言うとぼくもずっと前新宿で一度だけやったことがある、ジャズで)は曲のしっぽをす〜っとスムースに次の曲のあたまにつながるように現場で編集するというか複数台のプレイヤーとクロス・フェイダーを駆使して、まあ「混ぜ」たりするわけです。

 

ひとによりケースによりそこに別なものを、ビートだけとか、いい感じのチル&ダンサブルになるように同時並行でまさにミックスしたり、感じのいいグルーヴィなパートだけ抜き出してリピートしたりすることもあるから、そのへんからこのことばが使われるようになったのかなと推測しています。

 

ってことはSpotify公式なんかでもAIが毎日大量に作成している「〜〜Mix」とかなんかはただ既存の曲をそのまま造作なく並べてあるだけでなにも混ぜてなくて、そういうものにこのことばを使うのは個人的にちょっぴりの語源的違和感がないわけじゃないっていう。うるさい?

 

そして「ミックス」ということばが音楽関係で使われているとき、ぼくが真っ先に思い浮かべるのは、レコードやCDなど録音作品の完成過程でマスタリングの前に行う、マルチ・トラックの楽器や声を適切に混ぜて左右2チャンネルに仕上げるプロセス、すなはちミキシング、ミックス・ダウン作業のことなんですね。これしか知らなかったよ〜、長年。

 

だから、いつごろだったかコンピレのことをミックスと言いはじめた時期、ぼくのあたまのなかには「?」マークがひたすら浮かんでいました。意味がとれなかったもんなあ。実を言うといまでも(上でも書いたように)ちっとも混ぜずただ並べてあるだけのものをミックスと言われると一瞬たじろいでしまい、「ヴァイナル」とか言われたときと同様の味わいが舌の奥でちょっとするんです。

 

しかし考えてみれば、ぼくが1970年代末からずっとカセットテープ(その後CD-R)でマイ・ベスト的なコンピレを作り続けてきているのだって、その行為はDJ的なものだといえるのかもしれず、パソコンのiTunesアプリとオーディオ・エディタを使うようになって以後は、編集というかいい感じにつながって聴こえるよう(主にライヴ・ソースなどの)冗長な部分をカットしたりフェイドしてつなげたりもするようになりました。

 

Spotify中心のサブスク頼りっきり生活になって以後は、サービスで聴けるトラックでそんな編集作業はできない(と思う、手元にそのファイルを持っているわけじゃないから)ので、ただひたすらいい感じに並べるだけのコンピレを、それでも山ほど連日作成するようになっていて、つまり生来そんな傾向のある人間なんでしょうね。

 

もちろんこんなことは熱心な音楽好きならほぼみんなやっていることで、だからだれだってDJ的?で、ミックスをつくっているといえるんじゃないかと思います。マスタリングの前のミキシングというとスタジオ事情に精通したプロ・ミキサーの仕事だけど、いま使われている意味でのミックスはだれでもできるもので、ことばや行為の敷居が低くなったのはいいことでしょう。

 

(written 2022.7.16)

2022/07/16

ハード・バップ、たまに聴いたらとてもいい(字余り)〜 ソニー・クラーク

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(4 min read)

 

Sonny Clark / Sonny’s Crib
https://open.spotify.com/album/469Y1IVCrttWSp2qQYzioA?si=F8BXhhlAS-O2qnlwqJHqpQ
(オリジナル・アルバムは5曲目まで)

 

ハード・バップでジャズ&洋楽に開眼したせいなのか、なんだかいまでもたまに聴けば心地いいと感じちゃうソニー・クラークの、それもホーンズ入りコンボ編成アルバム。どれも大差ないですが、きょうは『ソニーズ・クリブ』(1957年録音58年発売)を聴いています。いや、たぶんこれがいちばん好きかも。

 

こういうのはぼくにとって一種のノルタルジアっていうか、なつかしく青春時代を思い出すよすが。つまり脳内で濾過され美化されていて、イヤなことはぜんぶ忘れ、楽しかったこと美しいことだけきれいに蒸留されているんですよね。音楽も。あのころのことも。

 

だからそういう気分のときに無性に聴きたいハード・バップは、大学生時代にハマっていたありきたりの典型であればあるほどよくて、ぼくにとってはそれがソニー・クラークのホーンズ入りアルバムだということ。実際『ソニーズ・クリブ』にしろ、どこからどう切り取っても王道ハード・バップどまんなかじゃないですか。

 

2020年代になってこんなハード・バップにもはやなんの現代的意味もなく、といってもいまだ歴史的名盤紹介のたぐいには載っている機会が多いと思いますが(本作が、というよりソニー・クラークのどれかが)、個人的には名作だから云々っていうんじゃなく、なんとなく当時のことをなつかしくふりかえり、あの薄暗くタバコの匂いが充満していたジャズ喫茶の風景を連想させる音楽なので、そんな大学生当時(1980〜84)の、ほんとノスタルジアだからたまに聴くだけ。

 

『ソニーズ・クリブ』というアルバムの音楽的中身や評価、感想を書いておく必要はないでしょう、きょうは。そんなことじゃなくて、ただなんとなくのムード音楽、イージー・リスニング、私的青春プレイバックBGMとして、たまに聴いてみたら気持ちいいよっていう、そういったことを思い出しただけですから。

 

あ、そうそう、ひとこと付言しておくと、ジャズにはまった一枚目であるモダン・ジャズ・カルテット(MJQ)の『ジャンゴ』といっしょに、トミー・フラナガン『オーヴァーシーズ』を買ったんですが(二、三枚買いがぼくのあたりまえだった)、聴いて即そのまま大好きになり、フラナガンこそぼくがいちばんはじめに好きになったジャズ・ピアニストだったんですが、二番目がソニー・クラーク。

 

フラナガンと違って個人的にソニーのピアノ・スタイルはそんな好みというほどじゃなかったです。くりかえしていますように複数ホーンズ入りのコンボ編成でやっているその風情がもうたまらず大好きでした。コンポーザー/アレンジャー/バンド・リーダーとしての才のほうにずっと長けていたミュージシャンだったなあというのは当時から感じていました。

 

かつては寡作だったフラナガンには『オーヴァーシーズ』一枚しかなく、ピアノ・トリオ作品が1950年代からもっとあればまた違った道があったかもしれません。その点ソニー・クラークにはコンボ・アルバムがそこそこありましたからね。

 

(written 2022.6.26)

2022/07/15

最近は写真撮りまくっているけど

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(5 min read)

 

カメラというものを買ったり持ったりしたことのない人生でした。撮るのにも撮られるのにもいっさい興味がなく、学校卒業の際に写真アルバムとかもらいましたけど一度も開けずにそのままどこかへ置きっぱなしにしてわからなくなるというタイプ。

 

1995年33歳でネットをはじめてもそうで、いまでいうソーシャル・メディアに相当するような会員制の交流サービスみたいなのが当時からありましたけど、なにせみんなまだダイアルアップ接続でしたから、テキストしかやりとりできないシステム。画像なんてファイル・サイズでかすぎて。

 

ぼくにはそれでじゅうぶんだったんです。文字だけ人間で、そう、吃音症であるがゆえ独りで部屋で読書しながらで幼少期からきましたから、とにかく情報を獲得したりやりとりしたり発信したりっていうのはすべて「文字の読み書きで」というのがぼくのやりかた。

 

これでありますから、2022年のいまでも、実を言うと筋道立てた論説文のほうがとっつきやすくイージー。ダイアログ形式や音声や写真・画像で示されるとウゲッと身構えてしまい、理解するのに時間がかかります。たいていみんな逆ですよねえ。ぼくってヘン。

 

ともあれ写真について、もちろん音楽愛好者になって以後雑誌なんかにたくさん載るようなものは楽しいなと思ってながめるんですが、写真を作品としてとらえたことがなく、写真展なども行ったことがないし写真集のたぐいも買わず、そもそも写真ってどう読みとったらいいのか?わからないまま最近まで来ました。

 

自分で一度もカメラを持ったこともなく、なにも写さず。というと正確には間違いです。パートナーと外国旅行をしていたころは、空港への行き道で寄ったコンビニでインスタント・カメラを何台か買っていっていました。それで現地で撮影し、帰国したらカメラ機ごとヨドバシカメラとかに出してプリントしてもらうっていう。

 

でもホントそれだけでしたよ。それ以外はマジで生涯一度もカメラを持ったことがなかったんですから。そんなぼくが2017年6月1日に突然 iPhoneを買い、いきなりカメラを一日中どこにでも携帯する人間へと豹変したわけです。理由は端的にInstagramがやりたかった、投稿したかったんですよね。

 

そうなってみたら、こんなに楽しい人生もなかなかないもんだと心底実感していますから、なにがきっかけで人は変わるかわからない。Instagramに投稿するにはモバイル機器が必要だけど、みんなの写真を見るだけならパソコンでもやれるんで、以前からいろいろながめてはいいなぁ〜と思っていて、これだったら自分もやりたいぞと感じはじめていたんです。

 

生来のナルシシストゆえか、インカメラで自分を写してはアップすることも多く、ちょっとでもいい感じに写りたいから修正美肌機能を持つ自撮り専用アプリもダウンロードして頻用しています(ぼくはB612)。いまのところいちばん興味ある被写体が自分だっていう(笑)。あとはコーヒーとか食事とか猫など。

 

もうそりゃめちゃめちゃ iPhoneのカメラで撮りまくる日々になって、そうなってみてはじめて写真というものの持つ意味というか、記録として残しておく重要性、メンタルに及ぼす好影響みたいなものを理解するようになりました。プリントはめったにしないんですが、いまはもう iPhoneのカメラなしでは生きていけないくらいになったように思います。

 

大きかったことは、やはりInstagramみたいな写真共有系ソーシャル・メディアが普及したことでしたね。Twitterなんか最初の数年は文字しか投稿できず、写真を載せるにはサード・パーティ製のサービスを使ってURL字列としてハメこむしかなかったですし。スマホで撮った写真をそのままどんどん載せられて余計なことも言われないInstagramがなかったらぼくは iPhone買わなかったので、いまみたいな人間になっていません。

 

それでもやっぱり映像情報の把握と理解に(文字より)時間がかかる人間であるのはいまでも同じなんですけども。

 

(written 2022.7.13)

2022/07/14

ストーンズ本隊より好きなんじゃないか 〜 ミック・ジャガー『ワンダリング・スピリット』

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(3 min read)

 

Mick Jagger / Wandering Spirit
https://open.spotify.com/album/3TAd5skYEcJ9dosbhEsVgA?si=7mBuxqG_TH-jy_uujJhWzA

 

ミック・ジャガーのソロ・アルバム『ワンダリング・スピリット』(1993)、やっぱぼくこれ好きなんだぁ。ローリング・ストーンズのメンバーのどのソロ作よりも格別好きなばかりか、ストーンズ本隊の全アルバムと比較してもずっと好きなんだからおかしいよねえ。だいぶ前にも一度書きましたけど。

 

なにがそんなにかって、まず1曲目「ワイアード・オール・ナイト」がカッコよすぎる。もうこれだけで一発ノックアウトを食らう爽快ロックンロールでかっ飛ばすミックとバンドが超快感。ここまでスピーディでノリよくタイトでシャープな曲って、ほんとストーンズにもなかったような気がするんですけどね。

 

もうこの1曲目だけでこのアルバムの価値が決まったといってもいいくらい。やっぱりオープニング曲って大事ですよ。しかも音響がほんとうにヴィヴィッドっていうか、特にドラムスとエレキ・ギターがくっきり鮮明に録れていて、いいサウンド。ヴォーカルふくめどの楽器音も鮮やかなのが、このアルバムの大きな美点の一つ。

 

2曲目以後やや落ち着いてくる感じですが、1990年代にあって1950年代のリズム&ブルーズ、ロカビリー、初期型ロックンロールを強く意識して、そこへの回帰というか、ミックあたりだったら常にその原点を意識しながら活動を続けてきているであろうものが、本作ではいっそう強く表れているのもいいです。

 

でありながらいかにも90年代だっていう同時代的なクラブ・サウンドをも視野に入れたサウンド・メイクになっているのがわかって、特にややジャジーなサックスの使いかたなんかに顕著にそれが聴きとれて、そのへんとオードソックス・スタイルとの案配っていうか、やりすぎずちょうどいい加減が聴きやすい。

 

先鋭的に時代を意識しすぎるとしばらく経って褪せて感じるようになっちゃうんですけど、2022年に聴いてもカッコいいとじゅうぶん思える不変の魅力をこうした音楽は持っているよねえっていうそうしたエヴァーグリーンなロック・サウンドをベテランは熟知していますよね。当時としては新しかったこんなクラブ・テイストがいまでもじゅうぶん聴けるのは、ひとえに「古典」を知り抜き実践してきたミックならではの差配。

 

UKトラッドみたいなのもあったりするし、けっこうバラエティに富んだ内容で飽きたりなかだるみしたりせず最後まで一気に聴くことができる勢いもあって、ミックのソロ・アルバムのなかでは断然トップの内容、キースのどれよりいいし、これ一個あればなんだったらストーンズだっていらないよ?

 

(written 2022.6.25)

2022/07/13

マイルズでもモノラル録音がわりと好き

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(5 min read)

 

資金と設備を持っているアメリカ合衆国の大手レコード会社がステレオ録音を開始したのは1957年ごろですが、そこから10年間くらいかな、ステレオ盤でレコード発売されたものって音響がイマイチだと感じることがありませんか。

 

それに比べたら50年代後半〜末ごろのモノラル録音技術って円熟期で、楽器や声のサウンドはどれもしっかりハイ・ファイできれいに録れるし、がちっと痩身にひきしまって、シャープで聴きやすいし、こっちのほうがいいなと感じているリスナーはぼくだけじゃないような気がします。

 

ステレオ録音がちゃんとしてくるのって1960年代末〜70年代初期ごろからというのが私見。実はそれ以後音場感がモノラルっぽい方向へ回帰しているなと思うんです。左右中に音がくっきり分かれちゃうってことがなくなって、そのほうがライヴ・ミュージックに近いんですよね。録音音楽は別物という認識があるにせよ。

 

マイルズ・デイヴィスでも『マイルストーンズ』(1958)や『カインド・オヴ・ブルー』(59)あたりの、音楽性は文句なしとして音響のほうがイマイチ好きじゃないと感じることもあるはこのため。なんだかぶわっとひろがっていてシマリがないな、空間あきすぎ、エコーもかけすぎだろうと。そのせいで音楽のほうまでどうもなんかちょっと…、ってことはないはずなんですけど。

 

こうしたことをときどき実感するのはプレイリストをよく自作するからです。プレスティジ時代(はぜんぶモノラル)からコロンビア時代まで一連続で流れてきたら、やっぱりどうも1958、59年あたりでアレッ?と感じちゃう。なんだかつまんない、単独でアルバムを聴けばそんなことないのに、プレイリストで聴いていてこの違和感を発見するようになりました。

 

コロンビア時代でも第一作の『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』(57)はモノラル・マスターしか存在しません。これは中身がそもそも(プレスティジ在籍中の)1955、56年にレコーディングされたため。移籍後録音によるアルバムはすべてステレオ・マスターがあります。が、『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』(61)あたりまではモノラルで聴いたほうがぼくは好きでした。

 

ですからそういったたぐいの迷いというか選択が発生しないプレスティジ時代末期のマイルズがいいなと、音楽的にもファースト・クインテットが充実していたし、かのマラソン・セッションによる「〜in’」四部作なんかはもうホント文句なしに聴きやすいしすばらしいと心から痛感しています。

 

そういえばずっと前ピーター・バラカンさんが、ビートルズなんかでも『ホワイト・アルバム』(1968)まではモノラル盤を買って聴いてなじんでいたので、実を言うとそっちのほうがいまでもしっくりくると発言していたことがありましたね。ぼくだって最初の四作までのビートルズのステレオ・マスターって聴きにくいなと感じますから。

 

そして、ずいぶん前に書きましたが、マイルズでも実をいうと1961年発売の『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』まではモノ・マスターも制作されモノ盤でも発売されていました。もちろん一般家庭での再生装置普及のことを考えてのことだったんですが、コロンビア側としても音響面でまだモノラルのほうがいいぞとする判断があったかもしれません(個人の感想です)。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-89ae.html

 

いずれにせよ、ぼくは左右中と音があまりくっきり分離しすぎないほうが好みで、ステレオ録音でもそうなってきた現代はともかく、技術開発・運用開始直後あたりのものは、あきらかにモノラルのほうがいいと感じます。マイルズの『マイルズ・アヘッド』『マイルストーンズ』『カインド・オヴ・ブルー』なんかでもレコードやCDだとそれが選べたんですけど、サブスクだとステレオ・ヴァージョンしかありませんよね。そこはちょっとね。

 

(written 2022.6.9)

2022/07/12

おだやかあっさり薄味の 〜 オマーラ・ポルトゥオンド

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(2 min read)

 

Omara Portuondo / Omara Siempre
https://open.spotify.com/album/4xOzHwJG1DbraOdfQnMfPC?si=rCzbud3hTcWKqqzsFB1Ufg

 

bunboniさんの紹介で知りました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2022-04-27

 

オマーラ・ポルトゥオンド(キューバ)の最新作『Omara Siempre』(2018)でいちばん好きなのは、やはり2曲目「Y Tal Vez」。1990年代の初演ではけっこうビートの効いた強い感じの曲だったのが、ここではふんわりしたボレーロへと変貌。

 

オマーラもフィーリンっぽく力を抜いて軽くすっと歌っていて、これこれ、こういうのですよ、いまのぼくがいちばん好きな音楽っていうのは。近年のグローバル・ポップスの潮流でもあって、最近ふだんからなんどもくりかえしていますように自分もトシとっておだやかで静かであっさり淡白な音楽がいいなと心から感じるようになってきました。

 

とはいえ、ここでの「Y Tal Vez」も、後半はモントゥーノみたいになってやや熱くもりあがるような感触もちょっとあるんですが、全体的にはあくまでクールです。同趣向のバラード系がアルバムに数曲あって、5、10、11曲目あたり。特にピアノ中心のしんみりした伴奏でつづる11「Yo Vengo A Ofrecer Mi Corazón」も絶品です。

 

bunboniさんが言うように、こうした表現は年老いて声が前みたいには出なくなってきたがゆえの枯淡の境地ということかもしれません。それにしては強いビートの効いた激しく快活で熱いソン・ナンバーなどもアルバムにいくつもあって、オマーラもリキ入れて歌っているじゃないか、枯れていないぞと感じる部分がありますけども。

 

さあ、キューバの大歌手オマーラ・ポルトゥオンドはどこまでやれるのか、いつまで元気で現役歌手として活動できるのか、87歳だけに不安もありますが、高齢なりのヴォーカル・スタイルを身につけたと解釈できるがゆえに、かえって楽しみでもありますね。

 

(written 2022.6.23)

2022/07/11

重量級の骨太なライヴ・ファンク 〜 トロンボーン・ショーティ

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(2 min read)

 

Trombone Shorty / Lifted
https://open.spotify.com/album/4jGggj1AJxwhrVqm5oIJlh?si=XCnJcMMBRCq1owIF3hGjKA

 

最近この手の音楽はちょっと遠慮しておきたいとかやかましいぞと感じることが若干ないわけでもないトロンボーン・ショーティの最新作『リフティッド』(2022)。痛快な傑作であることは間違いありませんので、ちょこっとだけメモしておきます。

 

1曲目「カム・バック」から野太いガッツのあるファンク・グルーヴが炸裂。ホット・ワックス/インヴィクタス系みたいなぐちょぐちょ言うギター・カッティングに続きビートとオルガンとホーンズが入ってきた刹那、もうただそれだけで、のけぞりそうな快感が背筋を電流のようにほとばしります。

 

特にドラムスとホーン・セクションのノリと、それからトロンボーン・ショーティの声の迫力と、この三者に宿る強靭なライヴ・パワーに圧倒され、だから、つまり、こうした眼前で汗と唾が飛び散らんばかりの肉太フレッシュ(flesh)・ミュージックは最近ちょっと遠ざけたい気分のときもあるわけですが、トシとったんだなあ>自分、こういうのばっかり聴いてきたのに…。

 

アルバム一作全編を通しペース・ダウンしたりチェンジ・オヴ・ペースがあったりなどせず、最初から最後まで隙なくそんな極太で豪放なファンク・チューンで貫かれてあるんであれなんですけど、なかでもこれだったらいまのぼくにもちょうどいいんじゃないかと思えるのが7曲目「フォーギヴネス」。軽みがあってメロウでいいです。

 

カーティス・メイフィールド → レニー・クラヴィッツ系のさわやかニュー・ソウルっぽい一曲で、ちょっとアル・グリーンっぽい雰囲気もありますよね。それでもこのスウィート・ナンバーだって底部を下支えしているのは重量級のぶっといグルーヴにほかならないと聴けばわかり、それでもまあこれくらいならまだなんとか。

 

(written 2022.7.10)

2022/07/10

コーヒー狂にとってのフェア・トレード

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(6 min read)

 

コーヒーの世界にちょっとでも深く入っていったことがあればみんな知っているものに「フェア・トレード」があります。

 

コーヒー豆が流通する巨大市場は欧米など先進国が中心ですが、豆の産地というか農園があるのはいはゆる発展途上国。熱帯など気温の高い赤道周辺じゃないと栽培できない植物なので。それを指してコーヒー・ベルトと呼んだりします。

 

グローバルな豆の流通価格を決めるのは農園労働と無関係な欧米のマーケット。安く買ってどんどん売りたいというわけか、適正価格よりもずっと低い報酬しかコーヒー・ベルトにある産地の農園労働者には入らなかったりもするという事実があります。

 

こうした格差というか搾取構造を是正すべく、市場流通価格がちょっと上がっても(どうしても立場が弱くなってしまいがちな)現地生産者などにちゃんとした報酬を払おう、公平で正当な取引(フェア・トレード)をしようよというムーヴメントが1960年代からあるわけです。

 

もちろんフェア・トレードはコーヒー豆の世界だけでなく、主として熱帯地域などで栽培され先進国でさばかれる農作物流通などにひろく存在する思想です。ぼくは熱狂的なコーヒー好きなので、そこに興味があるだけ。

 

考えてみれば、音楽の世界にだって同様の事情があるかもしれませんよね。古いことばでいえば第三世界というか、アフリカ、ラテン・アメリカ、アジアなどにオリジンがある魅力的な音楽を、巨大マーケットである特にアメリカ合衆国やイギリスのジャズやロック、ポップスなど大衆音楽市場がとりいれて、クレジットもせず元の音楽家に正当な報酬が入らないまま、大ヒットさせて、莫大な稼ぎを得るといったことがあったんじゃないでしょうか。

 

大衆音楽で、こうした事情を見なおし、ちゃんとフェアにやろうよという動きが鮮明化したのは、おそらくワールド・ミュージックがブームになった1980年代後半〜90年代以後だったんじゃないかとぼくにはみえています。植民地主義と奴隷貿易がなかったら誕生すらしていなかった世界かもしれないと思うと切ないのですが。

 

フェア・トレードのコーヒー豆は、ですから価格が高めです。ぼくがふだん松山市内で買っている焙煎豆はだいたい200gで¥780〜¥1400程度のことが多いんですが、フェア・トレード豆を買おうとなればやはり高価になってしまい、毎日どんどん挽いては淹れて飲むにはつらいんです。アイス・コーヒーの季節なら毎月1.3kgくらい消費しますから。

 

個人愛好家もそうだし、商売でやっている焙煎ショップやカフェやレストランなんかでも、フェア・トレード豆を扱っていますというのを意識高い系カスタマー向けの売りにするケースを除き、単価が高くちゃやっていけないわけですから、なかなかむずかしいという事情があるんじゃないでしょうか。

 

いまちょっとネットで複数のフェア・トレード・コーヒー販売サイトを覗いてみたら、200gで¥1,500〜¥2,000以上程度するケースが多いようです。もっと安い商品も見つかりますが、安価だとほんとうにフェア・トレードなのか?という疑義が生じるというのが正直な気持ち。

 

そんなわけでなかなかフェア・トレード・コーヒーは普及しません。高価なフェア・トレード豆ならそのぶん風味も向上するのか?というとべつにそんなことはなく、コーヒー豆約1kgを生産し納めても約40円でしか買い取られないようなケースだってあるという現状に加担するのはガマンならないという層じゃなければ、特に興味もないかも。

 

ただ、フェア・トレード制度がもっと進み普及率もさらに上がれば、コーヒー豆のクォリティがぐんとよくなるであろう可能性があります。農園労働環境が向上するわけですから、生産品の質も上がっていくだろうことはわかりやすいですよね。規模が大きくなれば、価格だってもっとこなれてくるはず。

 

それに世界のだれかの犠牲の上にぼくらのふだんのおいしいコーヒー生活が成立しているのかも?という事実を知れば、そこをしっかり是正していってほしい、じゃないと平常心でいられない、おいしいコーヒーの風味にも影が差そうというもの。コーヒー農園が持続していってほしいですし。一生飲み続けたいわけですから。

 

もちろん日々たくさん飲むコーヒー愛好家にとっては、お財布状況にさほどの余裕がないばあい、安価じゃないと買い続けられないというのが正直な気持ち。こうした折り合い、妥協点をどのへんのポイントでどう見つけるか?ということが一般生活人にとっては大切になってくると思います。

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(written 2022.6.29)

2022/07/09

軽快に歌いピアノを弾く 〜 ナット・キング・コール『アフター・ミッドナイト』

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(3 min read)

 

Nat King Cole / After Midnight
https://open.spotify.com/album/47jpunMpghKYwZPtXWVE81?si=0NJrRAqdQSKloBg7cQfmaA
(オリジナル・アルバムは12曲目まで)

 

ナット・キング・コール1957年のジャズ・アルバム『アフター・ミッドナイト』のことは以前も一度書きましたが、やっぱりこれぼく好きなんだぁ〜。最近ひさびさに聴きなおす機会があって、ふたたびはまって再ヘヴィロテ。

 

1曲目「ジャスト・ユー、ジャスト・ミー」からすでにからだに快感がほとばしり、スウィンギーな、いやドライヴィングといってもいい自然なビートに身を任せ、そのままおのずと指や腕、腰やヒザがあわせて動きます。これですよ、これ、これこそナットのジャズの魅力。

 

つまり『アフター・ミッドナイト』の1957年というと、ナットはもはやピアノの前から立ち上がり、スタンド・マイクで歌うポップ・シンガーとして大成功していた時期。それも好きなんですが、こういったキャリア初期、1940年代初期っぽいトリオ(+α)でやるジャイヴィなジャズこそ大好物。

 

といっても40年代トリオものと比べて本作にジャイヴ味はちっともありませんけどね。それでもリビング・ルームでゆっくりくつろいでいるようなアット・ホームでファミリアー&インティミットな選曲&サウンド構成&スウィング感は、スケールの大きなビッグ・バンドを背後に歌う姿からは想像できないすばらしさです。

 

ヴォーカルはもちろん練れていていいし、そしてそれ以上にポップ・スター、ナット・キング・コールのコンボ・ジャズ回帰路線という目論見でプロデュースされたものだけに、もとから達者なピアニストとしての腕前を存分に発揮してくれているのもうれしいところ。歌うところしか知らないファンだったら「この上手なピアノはだれ?」って思うかも。

 

むかしから大好きな一作なうえ、ここ数年のぼくの音楽的嗜好の変化でもって、いっそうこりゃ〜いい!と感じるようになった、それをこないだ発見したというのが真相で、つまりこじんまりしたサロン・ミュージックふうの落ち着き、くつろぎ、おだやかさがアルバムを支配しているのがいいんですよね。

 

考えてみれば『アフター・ミッドナイト』というアルバム題だって、そんなリラックス・ムードなセッション風景を言い表しているものですし、ナット以下腕利きのスウィング系ジャズ・ミュージシャンたちによる熟練の演奏に支えられ、アフター・アワーズ的に軽くす〜っと歌いピアノを弾く余裕には憎たらしいほどの魅力があふれています。

 

(written 2022.6.18)

2022/07/08

バンドエイドのアワトーンがほしい(黒人への共感と同化願望)

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(6 min read)

 

2021年の初春ごろからアメリカ合衆国で販売されるようになったバンドエイド(ジョンソン・エンド・ジョンソン)のOurtone。肌の色が濃いみんなも着けやすいようにと絆創膏のカラーを工夫したもので、五色あります。まさに多様性尊重の時代だからこそですね。

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これ、しかし日本では売られていないんですよ。ぼくはただの東アジア系黄色人なので従来カラーのバンドエイドでいいのに、なぜか発売直後から濃色のアワトーンがほしくて、各所さがしたり、一度か二度はジョンソン・エンド・ジョンソンのカスタマー・サポートにじかに問い合わせてみたりもしたんですが、やはり不可でした。USアマゾンなどから個人輸入するしかないみたい、いまのところは。

 

日本だけでなく、そもそもアメリカ合衆国以外では買いにくいものなのかもしれませんね、バンドエイドのアワトーン。怪我なんかしてなくてもペタッと貼りたいくらいなんだけどなぁ。

 

ぼくのこういった思考や行動は、ひとえにブラック・ピープルへの共感と同調願望ってことです。言ってみれば「黒人になりたい」、とまでは過ぎているとしても「ブラザーの一員になりたい」とか、そんな気分で。そうなったきっかけはもちろん17歳でジャズ・ミュージックにはまったこと。

 

ベージュ肌のぼくにアフリカ系の血は一滴も流れていない(んじゃないかと思う)し、黒人、特にアメリカの黒人に近づくための現実的な行動なんてなにもしたことがないと言えるので、こういうのも気分だけ、言ってみているだけの、要はフェイクってことなんですけども。

 

ジャズで最初に買ったLPレコード二枚はMJQの『ジャンゴ』とトミー・フラナガンの『オーヴァーシーズ』。前者の四人も後者のトリオも全員黒人です。ぼくは最初のうちそれを知りませんでした。ただただひたすら楽しい魅力的な音楽だと思って、ほぼ電撃的にジャズに惚れてしまったわけです。

 

それでレコードをどんどん買い、ライナーノーツを読み、関連する本や雑誌を熟読するようになってみて、はじめてジャズ・ミュージシャンには黒人(ばかりじゃないけども)が多いということを知り、さらに一般にアメリカ社会で黒人がどんな立場におかれてきたか、どんな生活を送ってきたのかも知るようになってみて、それでようやくぼくのなかに怒りというか、ここまで理不尽なことはないだろう!というやるせない気持ちが芽生えてきたんです、大学生のころ。

 

フラナガンの『オーヴァーシーズ』B面1曲目は「リトル・ロック」というタイトルなんですが、この楽しいブルーズ・ナンバーの曲題がなにを指しているか、かなりしばらく経って理解するようになったんですよね。

 

おりしも公民権運動がさかんだった時期に誕生したようなジャズ・アルバムが最初のうちはかなり好きだったので、たとえばチャールズ・ミンガスやマックス・ローチとか聴きながら、これら音楽のこういうフィーリングはいったいなんだろう?なぜ怒りや抗議を表明しているの?ということも、聴きはじめて数年後に納得するようになったことです。

 

もっと古く、1920年代から「ブラック・アンド・タン・ファンタシー」(デューク・エリントン)や「ブラック・アンド・ブルー」(ファッツ・ウォーラー、ルイ・アームストロング)といったジャズ・ソングだってあるし、この手の人種差別問題はジャズ史を一本貫く定常的なテーマみたいなもんですよね。

 

こうしたアメリカン・ブラック・ピープルについての(日本人なのになぜか)憤りに満ちた認識は、もう古いんだろう、時代遅れなんだろうとある時期以後思うようになって、おおやけの文章で表明したりはしないようになっていたんですが、そうじゃないんだとあらためてわかったきっかけは、2020年初夏以後のBLM運動のもりあがり。

 

BLMに関連したようなブラック・ミュージック・アルバム、ブラック・フィルムもここ二年ほど増殖するようになっているし、アメリカ合衆国社会で黒人がおかれている状況は要するになにも変わっていない、いまだ根深い(構造的な)偏見と差別に身をさらし危険な目に遭いながら日々戦闘的に生きている、音楽づくりをしているんだなあと、痛感しています。

 

ジャズや、あるいはブルーズとかソウルとかファンクとか、こういった音楽がぼくにもたらしてくれる恩恵の大きさ、心の芯奥に沁み入り、身体の骨の髄から自然発生的に噴出しそうになる愉快さと感動の深さを考えるとき、それを産み出している黒人音楽家本人は直後にも白人警官に射殺されるかもしれないなんていう社会の事実があるとなれば、そのことに黙っているなんて、なにもしないなんて、到底できないのです。

 

バンドエイドの濃色アワトーンをなんとか日本にいながら入手してみたところで、アメリカ合衆国黒人へシンパシーを示しているかのようなたんなる自己満足でしかないのかもしれませんけれども。

 

(written 2022.7.7)

2022/07/07

Spotifyに殺意をいだくとき(2)〜 リイシューものジャケット問題

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(4 min read)

 

さまざまな問題を感じながらも音楽を聴くのにこれ以上便利で使いやすく楽しいサービスはないので使い続けているSpotify。これのおかげで人生がすっかり充実するようになりましたが、やはりときたまギクッとすることがあります。

 

それはこないだふとウェザー・リポートの1971年デビュー・アルバムを聴きたくなってさがしたときのこと。出てきたのはこれ、これですよ。上にSpotifyアプリのスクリーン・キャプチャを貼っておきましたが、こりゃアカンやろう!このジャケット。

 

コロンビアの例のナイス・プライス・シリーズ(とかなんとか言っていたと思う)だったジャケットで、1990年代だったかなあ、これでめっちゃた〜っくさん出ていたんですよ、過去の名作リイシューCDが。オリジナル・ジャケットの外枠を赤い太線でぐるっと囲って。

 

オリジナル・ジャケットのデザインを破壊する行為で、なにしてくれてんねん!と当時から強い憤りを感じていました。ウェザー・リポートだけじゃなくウェイン・ショーターの『ネイティヴ・ダンサー』もマイルズ・デイヴィスの諸作もこの赤枠ジャケで出ていたんです。ほんと無数にあった。コロンビアの当時の過去作リイシューはぜんぶこれだったかも。

 

しかしそんな時代はもう過ぎ去った、コロンビア(レガシー)だってその後ちゃんとオリジナル・ジャケットを尊重したかたちでリリースしなおしているし、すっかり忘れていたんですよ、ヘドが出るほど大嫌いだったあの赤枠ジャケのことなんか。ぜんぶ買いなおしたので、大量に持っていた赤枠のやつは中古ショップへ売りました。

 

あんなイヤなこと、もうぜんぜん記憶の片隅にも残っていないくらいだったのに、それをSpotifyが復活させやがりくださりなさった!『ウェザー・リポート』(71)だけでなく、『アイ・シング・ザ・ボディ・エレクトリック』も『ミスター・ゴーン』も『8:30』もこれ。どないなっとるんやぁ〜。

 

問題を切り分けるためApple Musicのほうでも見てみたら、なんとそれらはすべてまったく同様の赤枠ジャケなんですね。ってことはプラットフォームがわの責任じゃなく提供しているレコード会社に責があるんだと思いますけど、こんなんアカンって!

 

手当たり次第思いつくコロンビアの過去作をSpotifyであたってみたら、実はけっこうあります、このイヤなやつが。いったい1917年の商業的レコード録音発売開始当初からそもそも音楽や音楽家や作品を尊重しない態度が垣間見えてきたこのメイジャー、なにを考えているんでしょうね。

 

市場にジャケットが微妙に異なる複数のリイシューCDが存在しているばあい、購買者サイドが選択できます。気に入らなかったら別のちゃんとしたのを買えばいいだけ。でもサブスクだと「それ」しかないんですよね。イヤなジャケをガマンして見ないようにしつつ音だけ聴くしかない。

 

サービスの問題ではなく提供元のレコード会社がちゃんとしていないんであって、あるいはひょっとしてサブスク軽視なのか?といぶかりますが、普及してもうだいぶ経ったんだし、それでしか音楽聴かないっていう、ウェザー・リポートにしろそれで初めて出会ったという、そういうリスナーだったら戸惑うんじゃないですかね。オリジナル・ジャケットを見る機会でもあれば「あれっ?これ、赤枠がないよ、おかしいね」って思うかも。

 

それでいいのか、コロンビア?!

 

(written 2022.5.25)

2022/07/06

ビートルズ「ハニー・パイ」は、2010年代以後的なレトロ・ポップス流行のずっとずっと早い先駆だったかも

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(4 min read)

 

The Beatles / Honey Pie
https://www.youtube.com/watch?v=0Sr0efOe8yk

 

やっぱりこの分野もビートルズが先駆けだったとかそういう意味のことはあまり言いたくないけれど、ポールの「ハニー・パイ」(『ホワイト・アルバム』1968)を聴いていると、近年のジャジーなレトロ・ポップスだってそうだったじゃないかと思えてきてしまいます。

 

78回転SPレコード再生のスクラッチ・ノイズを挿入するなんていまじゃ大勢がやっていることで、2010年代以後のレトロ・ポップス流行におけるシンボルになっているくらいですが、でも最初にやったのが「ハニー・パイ」のポールだったんじゃないかと思えてならないんですよね。だいたい曲そのものがレトロな1920年代テイストそのまんまですし。

 

「この曲でのぼくは1925年に生きているフリをしたんだ」とポール自身はっきり語っていますからね。もちろん20年代ふうのレトロ・ジャズ・ソングを現代に志向するミュージシャンは、第二次大戦後のイギリスにだってたくさんいたと思います。ですがポールのばあいはビートルズっていう60年代の最先鋭を走る世界的大人気ロック・バンドの一員としてこういう曲をやったという、そこが大きいんですよね。

 

これ以前から『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(67)には「ウェン・アイム・シックスティー・フォー」があったし、そのずっと前『ウィズ・ザ・ビートルズ』(63)で「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」をカヴァーしたのもポールでした。

 

こういった嗜好志向がハナからあった音楽家と言えるし、ビートルズ解散後はティン・パン・アリー系の古いスタンダード・ポップスばかり歌ったアルバムもあるし、ブリルビルディングの職業作家たちからかなり大きく学んできたソングライターだと常からわかるしで、そのへん、ポール本来の持ち味だったんでしょうね。

 

ポール自身は1942年生まれなので、そこらへん20年代ポップスに同時代体験はなかった世代ですが、その父は20年代のダンス・コンポ、ジム・マックズ・ジャズ・バンドを率いてトランペットとピアノを演奏していたそうです。そうした伝統に染まって育ったんだと子のポールも懐古していますし、幼少時から古いジャズ・ソングやポップスに囲まれて血肉にしながら育ったんだと思います。

 

キンクスあたりにもちょっぴり嗅ぎとれるこうした英国音楽の流れ、それを最も鮮明なかたちではっきりと曲にして書き歌い、それを時代の流行ロック・バンドのアルバムのなかに入れて世に出したのは、『ホワイト・アルバム』の「ハニー・パイ」をもって嚆矢としたいです。

 

1968年におけるこうしたテイストが、流れ流れて2010年代以後のコンテンポラリーなレトロ・ポップス・ムーヴメントへの「直接の」影響源だったとは考えてもいませんが、両者があまりにも音楽的に酷似しているがため、う〜ん、さすがはポール、さすがはビートルズだったなぁとうならざるをえないです。

 

(written 2022.7.5)

2022/07/05

マイルズの知られざる好作シリーズ(1)〜『ザ・ミュージングズ・オヴ・マイルズ』

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(7 min read)

 

Miles Davis / The Musings of Miles
https://open.spotify.com/album/7fRwdr4MvqlJhhhssTKutU?si=DE5kCOkUR1KAZnTqYjEFUA

 

昨年もマイルズ・デイヴィスの残した音源であまり聴かれていない良質なものをディグする四回シリーズをやりました。実際この音楽家は総録音数、アルバム数がとても多いので、看過されているものがやはりあります。

 

ジャズの歴史を変えた、時代をかたちづくった、それも何度も、という人物として評価されてきましたから、どうしてもそういうエポック・メイキングな傑作、問題作ばかり話題になってきたのはしかたがないのかもしれません。

 

がしかし(昨年も言ったことですが)熱心なマイルズ・マニアとして長年聴き続けてきている身としては、日の当たる話題作ばかりいつもいつもとりあげられるのではややさびしいというのも事実。あまりだれもふりかえらないけれど、なかなかすぐれた愛すべき佳作、良作というのはあるんです。

 

そんななかからまたちょっと、個人的に愛聴しているものをピック・アップして、語られざる魅力をしゃべっておきましょう。シリーズ(1)などと銘打ってはいますが、何回続くか?一回だけで終わるか?わからないんですけれども。

 

きょうはプレスティジの『ザ・ミュージングズ・オヴ・マイルズ』。1955年の録音・発売で、マイルズ初の12インチLP。これ以前のものはもともとSPだったり10インチだったりしたものを後年12インチにまとめたもので、はじめから12インチで発売されたのは『ザ・ミュージングズ・オヴ・マイルズ』が最初だったんです。

 

ワン・デイ・セッションが行われた1955年6月7日というと、ジョン・コルトレインらを擁した例のファースト・クインテット結成直前。その正式発足がいつか?なんてのはもちろんわからないわけですが、記録をたぐるとそのメンバーで同年10月18日にNBCのテレビ放送に出演しているのが最初。

 

スタジオ正式録音となれば(プレスティジ契約下でありながらこっそりと)ご存知のとおりコロンビアに5曲9テイクを吹き込んだのが同年10月26日。そのなかから「アー・ルー・チャ」だけがアルバム『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』に収録され、1957年の移籍直後に発売されました。

 

プレスティジに、ということであれば同年11月16日に録音した六曲が『ザ・ニュー・マイルズ・デイヴィス・クインテット』になりました。こう見てくれば、かのファースト・クインテットは1955年の初秋あたりに姿を整えたのであろうとデータ的に推測できるわけであります。

 

そしてワン・ホーン・カルテット編成の『ザ・ミュージングズ・オヴ・マイルズ』には、すでにレッド・ガーランドとフィリー・ジョー・ジョーンズがいます。ベースはオスカー・ペティフォードですが、もしポール・チェインバーズであったならファースト・クインテットと同一メンバーなんですね。

 

マイルズ個人はこの時点ですでに完成されていて、かの「〜 in’」四部作と変わらぬ演奏ぶり。あとは自分を活かせるバンド・メンバーの用意ができるかどうかという段階まで来ていました。ルイ・アームストロング、チャーリー・パーカー、クリフォード・ブラウンなど伴奏バンドがどんな平凡でも関係なくすぐれた演奏ができたというタイプのミュージシャンじゃなかったですからね、マイルズは。

 

ですから、ファースト・クインテットと(ほぼ)同じメンバーを用意できた『ザ・ミュージングズ・オヴ・マイルズ』は、もはや内容も保証されたに同然。このあたりでレギュラー・バンドの構想がかたまりつつあったのでしょうね。

 

特にすばらしいなと感心するのがマット・デニスの一曲(1「ウィル・ユー・スティル・ビー・マイン」)とアーサー・シュウォーツの二曲(2「アイ・シー・ユア・フェイス・ビフォー・ミー」4「ギャル・イン・キャリコ」)。この時期のマイルズはこういった小唄系ラヴ・ソングの演奏に真価を発揮していました。

 

うち「ウィル・ユー・スティル・ビー・マイン」だけはオープン・ホーンですが、ほかの二曲は(後年)トレード・マークになったハーマン・ミュートをつけての演奏。弱音器ですが、以前よりジャズでは音色のおもしろさで数種類活用されてきました。

 

パーカー・コンボ時代はカップ・ミュートをときどき使ったマイルズが、このころから(それまでだれもあまり使わなかった)ハーマン・ミュートを頻用するようになったのは、みずからの繊細でデリケート、ややフェミニンな吹奏スタイルの持ち味を存分に活かそうとして、よりいっそうか細く聴こえるようにと思ったんでしょう。どこに自分の生きる道があるか見つけたんです。

 

特に4曲目「ギャル・イン・キャリコ」は絶品で、このアルバムの白眉でしょう。マイルズならではのチャーミングでかわいいバラード・プレイですし、伴奏のレッド・ガーランドも冴えていて、そのソロでは「in’」四部作でいくらでも聴けるあの鈴の転がるようなシングル・トーンから後半はブロック・コード弾きでというおなじみのパターンが確立されています。

 

ワン・ホーン編成だけにピアニストの演奏は重要になってくるわけですが、このアルバムでのレッドは実にすばらしいです。この手の、ホテルのピアノ・ラウンジでやっているようなムーディーな、つまりカクテル・ピアノ・スタイルがぼくは大好き。

 

アルバム・ラストのブルーズ「グリーン・ヘイズ」でもレッドのうまあじが発揮されているし、オスカー・ペティフォードのベース・ソロもいい。ボスのトランペットは文句なしで、ハード・バップにおけるブルーズも楽しい者には楽しいと声を大にして言いたいです。

 

(written 2022.4.3)

2022/07/04

原田知世40周年記念アニバーサリー・ツアー2022をイマジナリーに楽しむ

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(3 min read)

 

原田知世40周年記念アニバーサリー・ツアー 2022 “fruitful days”
https://open.spotify.com/playlist/55zzzsJWZKzp3JGqptp6yP?si=ebc6712c29a44fd8

 

というのはぼくはそのコンサート行ってないわけです、金欠病で。大阪一回、名古屋一回、東京二回と去る六月に行われた原田知世のライヴ・ツアーは、デビュー40周年記念で今年三月の新作アルバム『fruitful days』リリースを記念したものでした。

 

ツアーが終わってしばらくしてこのプレイリストが公開されたというわけ。名古屋・東京公演でのセット・リストを再現した曲順で知世スタジオ・アルバム・ヴァージョンをそのまま並べたもの。現場に行かれたみなさんには追体験のよすがになるし、ぼくみたいに行っていない人間でもイマジナリーな楽しみかたができます。

 

カヴァー曲は少なくて、冒頭で歌われた『恋愛小説3』からの二曲だけ。あとは最初から知世のために用意されたオリジナル・ナンバーで構成されています。しかも九割以上伊藤ゴロー・プロデュース作より。そうじゃないのは2曲目「恋をしよう」だけトーレ・ヨハンソンが手がけた『Blue Orange』からのもの。

 

コンサートの内容もゴローがプロデュースしたに違いありませんが、アレンジとかはスタジオ・ヴァージョンと若干異なっていた可能性もあります。そもそも同じメンバー全員を使えないでしょうし、管や弦などは人数制限もあるはずですから、必然的にやや変わらざるをえないでしょう。

 

でもほぼ同じ知世 produced by 伊藤ゴローの世界がそこに展開されていたでしょう。行きたかったなあ。特に最新作『fruitful days』は傑作として、(いままでくりかえし言ってきたけど)このタッグによる最高作として、個人的にもたいへんなお気に入りとなっているので、そこからのレパートリーがいちばん多いというのはもう垂涎ですよ。

 

逆にというか、ふだんさほどには聴き込んでいないアルバムの曲もそこそこあって。言いにくいんですけどたとえば(このライヴに三曲ある)『ルール・ブルー』(2018)は個人的にそんな大好きでたまらないというほどでもありません。しかし収録曲「銀河絵日記」なんかは代表作としてその後もずっと歌われていますね。

 

ラストにおかれた知世のシグネチャー「時をかける少女」は2017年の『音楽と私』ヴァージョン。これが最新ということもあるし、知世&ゴローの現在地点を示すものということで、おそらく今回のライヴでもこれに則したアレンジで披露されたんでしょう。

 

それにしてもやっぱり中盤8〜10曲目あたりの『fruitful days』パートはなんかい聴いてもグッと来るものがあり、これをナマで聴けたらどんなによかったかと思わざるをえませんね。そのへんの具体的な感想は読んだことないですけど、会場の客席にすわっていたみなさんも似たような気分だったのでは。

 

(written 2022.7.3)

2022/07/03

アメリカン・ポピュラー・ ミュージックの王道 〜 ファントム・ブルーズ・バンド

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(3 min read)

 

Phantom Blues Band / Still Cookin’
https://open.spotify.com/album/1snCLFN5TsQbGLzrmc0Guk?si=fQLV6jAJRgGG9WbSPoy31w

 

Astralさんに教えてもらったファントム・ブルーズ・バンド。最初タジ・マハールのバックをつとめるべくマイク・フィニガン(key)を中心に集結した面々らしいですが、自身名義のアルバム最新作『スティル・クッキン』(2020)が痛快な時代錯誤感満載で、最高に楽しい。古いスタイルのファンキー・ブルーズ・ロック、ぼくはこういうのが気持ちいい人間なんです。

 

時代錯誤とか古いとかレトロとかっていうより、こういうのはアメリカン・ポピュラー・ ミュージックの王道として永遠不滅のものなんだろうというのがはっきり言って本音ですけどね。アップデート史観や進化論にとらわれすぎることなく今後とも聴いていきたいと思っておりますよ。

 

『スティル・クッキン』もサウンドの土台になっているのはリズム&ブルーズ、ジャズ、ソウル。そこに適度なカリビアン・ビート香味もまぶされているのはべつに意識したというんじゃなく、アメリカ合衆国音楽ではあたりまえの養分になっているものだから自然に出てくるわけです。

 

ウィルスン・ピケット・ナンバーの1曲目から快調。それ以後もドクター・ジョンふうのニュー・オーリンズ・スタイルが聴けるのもいいですね。鮮明なのは三曲あって2「ウィンギン・マイ・ウェイ」、3「ジャスト・イン・ケース」、7「ベター・バット・ナット・グッド」。ゆったりしたひょうひょうとした味わいがいいんです。

 

はっきりしたラテン・ソウル・ナンバーである8「テキーラ・コン・イェルバ」も最高だし、ブルージー&メロウにただよう都会の夜のくつろぎ感満載なスロー5「ブルーズ・ハウ・ゼイ・リンガー」ではジャジーでムーディなテナー・サックス・ソロも聴きどころ。背後でややハチロクっぽいビートの刻みがあったり。

 

完璧ジャンプ・ブルーズなバディ・ジョンスンの11「アイム・ジャスト・ユア・フール」なんか、こんな時代にまったくおじけづかずストレート真っ向勝負で博物館的なシャッフル8ビート・ブルーズをフル展開していて、こういうのがねえ、生理的快感なんですよね、ぼくはね。

 

(written 2022.5.15)

2022/07/02

ぼくの『ジョン・ウェズリー・ハーディング』愛 〜 ボブ・ディラン

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Bob Dylan / John Wesley Harding
https://open.spotify.com/album/2KzCDxKpgLqBffHu1IZ7Kn?si=GGgqnG9CQ-q_UF8YwIsoaw

 

2022年現在、ボブ・ディランの全作品中いちばん好きなのは1967年の『ジョン・ウェズリー・ハーディング』。次が69年の『ナッシュヴィル・スカイライン』だっていう、だから、わかりやすいですね、いまのぼくの趣味。

 

おだやかでフォーキーでアクースティックなカントリー・ロックをやるディランが好きというわけなんですが、前からこうだったわけじゃありません。そりゃあトゲトゲしいエレキ・サウンドで歌詞も辛辣なブルーズ・ロックをやっているのが好きだった時期が長いんです。

 

歳とっておだやかさっぱり嗜好に変化したというわけ。キリッとした冷たく透明な空気を感じるさわやかな『ナッシュヴィル・スカイライン』も大好きですが、緊張感のないまったりムードな『ジョン・ウェズリー・ハーディング』こそいまでは無上の快感。

 

なんたって楽しげでくつろいだサロン・フィーリングが聴きとれますもん、そこからしてストライク・ゾーンですよ。1曲目のタイトル・チューンからそれが全開。なにを歌っているかということよりも、このアクースティック・ギターの地味なカッティングをメインに据えたサウンドがいいと思うんですね。

 

伴奏もすばらしい。ディランのギターとハーモニカ(曲によりピアノ)以外は、基本的にベーシスト(チャーリー・マッコイ)とドラマー(ケネス・A・バトリー)しかいないシンプルなトリオ構成。二名ともナッシュヴィルのミュージシャンですが、ただ淡々と役割をこなすことを徹底した職人芸で、こういう演奏にこそ惹かれます。

 

ツボだけを着実におさえながら、それでもときたまハッとするラインを奏でる瞬間もあり。たとえば1曲目のスネア・フィル・インとか2曲目「アズ・アイ・ウェント・アウト・ワン・モーニング」で聴かれるオブリでのベースの跳ねかたなんか、いいアクセントになっていて耳をそばだてます。でありながらサウンドはどこまでも堅実。

 

要はあくまでディランの書き歌うものをどこまでもひきたてるため、そのためにこそすべてをささげたサポートぶり。落ち着いたフィーリングの曲もいいし、もはやここに足すものも引くものもなにもない必要最小限の音楽の構築美があります。ノリいい曲もあればチャーミングなバラードもあり、しかしいずれも中庸でおだやかで、心地いいくつろぎを表現しているのがこのアルバムの美点。

 

(written 2022.5.18)

2022/07/01

極上のまろみを聴かせるデュオ・ショーロ 〜 アレサンドロ・ペネッシ、ファビオ・ペロン

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(2 min read)

 

Alessandro Penezzi e Fábio Peron
https://open.spotify.com/album/0ok3dRfM5AAEQwjdlHTUSW?si=0TuvCdE8QbCMpmTeiuDrVA

 

Música Terraで知りました。
https://musica-terra.com/2022/05/31/alessandro-penezzi-e-fabio-peron/

 

ブラジルの七弦ギターリスト、アレサンドロ・ペネッシと十弦バンドリン奏者、ファビオ・ペロンのデュオによるショーロ・アルバム『Alessandro Penezzi e Fábio Peron』(2022)。まったく飾り気のないジャケットとアルバム題ですが、中身は極上です。

 

両名ともよく知られた存在ですが、デュオでやるのは初のはず。こうした極小編成でのショーロというのはそこそここの世に存在してきましたが、本作できわだつのは録音が極上で弦楽器の表情(弦や木製ボディのアクースティックなど)がとてもよくわかるということと、二名ともの音色の美しさと粒立ちのよさ。

 

個人的にはサウダージに満ちた泣きのバラード系ショーロこそ大好きなもんで、本作でもたとえば5曲目「Veranda da Saudade」とか、それから9「Valsa em Branco e Preto」にグッと胸をつかまれます。特に後者かな、これはヴァルサなんですが、ほぼテンポ・ルバートに近く、リリカルなフィーリングに満ちています。

 

一聴、すべてインプロヴィゼイションで構成されているのかな?と思いそうになってしまうほど自然発生的な演奏であるにもかかわらず、よく聴けば丹念に練り込まれたコンポジション。古典的なショーロやヴァルサの書法にのっとった、すべて二名の自作で、大半が本作のために用意されたものです。

 

特にどうってことないショーロ・アルバムに思えるかもしれませんが、どこにもトゲのないこうしたクラシカルなまるみのある落ち着きを聴かせる日常的なサロン・ミュージックこそ、ふだん飽きずに接し続けることができて、日々の癒しになるものなんです、ぼくには。

 

(written 2022.6.30)

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