100%独力で書くのはしんどいこともある
(4 min read)
つまり、音楽について書くとき、なにか参照できるテキストとか情報源があるときはほぼ常にそれを踏み台というか下敷きにしながらぼくは毎日のブログ用テキストを書いているわけです。その手のものがなにかちょっとはあることが多いし。
でもそういう参照源がほんとうにまったくないというケースもあって。ネットでどう検索してもいっさいなにも出てこないっていうことがですね、ときたまあります。がっかりなんですけど、というよりそれが当然だと思える歌手もいますね。
その代表格がぼくにとっての岩佐美咲と原田知世。その他こうした演歌、歌謡曲、J-POPなどのばあいは、ていねいでつきつめた音楽的考察の対象にならないという認識なのか、さがしてもなにも出てこないということばかりで。おもしろいと感じたり感動したので書きとめておこうとしたときに、よすがもないんです。
いっぽうかなりたくさんのテキストがあるけれどほぼなにも見ないで書いてきたのはマイルズ・デイヴィスとプリンス。この両名にかんしては、しかしいままで長年山ほど読んできた蓄積が血肉となって染み込んでいるので、特にあらためて読みなおさなくてもおっけ〜みたいなことなんでしょう。音源を聴きかえせば自然に出てくるっていうか。
もちろんパーソネルとか録音年月日とか、その他レコーディング・データにかんすること、ディスコグラフィカルに細かなことは憶えていられないので、逐一検索してそれを見ながら書いてはいるんですけども。そういえば原田知世と岩佐美咲のディスコグラフィって、ないなあ。だれかつくって!
ってことはブログのカテゴリー分類でわざわざ分けてある四人がそうだということで、ぼくにとってスペシャルな存在だから分けてあるんですが、それらについてはどれも独力で書いてきたというわけです。マイルズとプリンスはともかく、美咲と知世は最初2017年に書きはじめたころきわめて心細かったですよ。
溺れながら藁にもすがりたい気分であれこれさがしましたが(考察みたいなものは)なにもなく、あきらめてその歌、音楽を徹底的に聴き込むことに集中しました。「読書百遍意おのずから通ず」という古いことばがありますが、まさにこれ。といっても美咲や知世はそんな難解な書物みたいなものじゃなくその逆で、とってもとっつきやすい歌手なんです。
でも観察しやすい歌手ほど文章化する際のとっかかりがなく、なめらかにスムースで、どこからどう斬り込んでいいのかわからないと思ったりします。ぼくはそう。歯ごたえのある音楽家のほうが書きやすい。でも裏返せばそうした丸さ柔らかさこそ美咲や知世の魅力なんですよね。そこに気がついて、その一点から掘り下げていけばいいだろうと。
美咲や知世のそうした平穏さは、実は近年の世界的な大衆音楽トレンドとも合致しています。ぼくがこのトレンドを明確に理解するようになったのはわずかここ二年ほどの話なんですけど、そうなってみれば、な〜んだぼくが好きな歌手音楽家ってそういうタイプが多いじゃないかと気づきました。マイルズだって『クールの誕生』以後ずっとそう。
それでも美咲と知世は最初の書きはじめ時期がむずかしかったというのはレッキとした事実なんで、あのころホントCDに穴を開けんばかりになんどもなんどもじっくり聴き込んでいましたよねえ。微に入り細にうがちくりかえし聴いて、そうした徹底的な観察の果てにようやく皮膚の下からにじみでてくるように気づくようになった感想を書きとめていったんです。
聴きはじめたばかりだったというのも困難を感じていた大きな理由だったでしょう。マイルズとプリンスは長年聴き込んできていたので、それもあって頼るものがなくとも書きやすい。美咲も知世もすっかり耳なじみとなってなにげなく口ずさめるほどにまでなったいまでは、きょう書いてきたことはすっかり過去の話になったような気がします。まだわずか五年ほどしか経っていませんけどね。
(written 2022.7.12)
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