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2022/08/08

なにげない日常にこそ吃音差別がある

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(7 min read)

 

なんか、こないだどれかのテレビ番組に対し日本吃音協会が抗議したことで、またぞろ吃音差別が噴出しているらしいですね。どうあれ、他人事ではありません。

 

テレビ受像機を持っていないぼくは番組がどんなだったか知らないし、だから日本吃音協会の抗議も、それをきっかけに一気に向けられるようになったらしい差別言説も、いっさい知りませんのでなにも言えません。が、生来の吃音(どもり)者として60年生きてきた身としては、まぁそんなこともあるだろうよなぁと。

 

ただ、ぼく個人が他の大勢の吃音者と違うところは、かなり激しい差別を幼少時に受けたにもかかわらず、ことばを失わなかったことです。人前でしゃべるのがイヤだとか遠慮しておきたいやめたいと思ったことはほんとうに一度もなく。要はおしゃべり好き人間ですから。

 

それでもやっぱり文字で書いたり読んだりするほうがラクで得意な人間になったのは吃音ゆえでしょう。そして、集団生活を送る学校時代と違い、大人になってからは必要なとき以外しゃべらなくても不審に思われたりムリにしゃべらされるような機会がなくなったので、差別を痛感して泣きそうになることも激減しました、個人的には。

 

そのおかげもあってか別な理由か、ここ数年は自分でもほとんどどもらなくなったなと自覚できる程度に近づいてもいますけれども、出るときは出るし、吃音が差別されたりいじめられたり、意図せざる結果を産んでくやしい思いをしたりなんていうことには長年つきあってきたし、理解されず現に苦しい思いをしているかたが大勢いらっしゃることを肌身で実感しているので、吃音者であることを忘れたりすることは決してありません。一生、ないです。

 

差別されているというのは、実をいうと両親や弟たちといった家族から最も強く感じていたことです。吃音者ではない本人たちはもはや忘れているだろうというか、おそらくよかれと思って、ぼくのためと思って、の言動だったでしょうが、そういったなにげない日常にこそ真の差別の根っこはひそんでいるものです。

 

たとえば親はぼくの吃音がことさらひどかった小学生時代に、このまま成長したら社会生活を営めないのではないか?とかなり心配して、なんとか「矯正」させようと専門家や医者に診せたりなどさまざまな試みをしていました。自我が芽生えるのが遅かったぼくは、そのころなにをさせられているのか特になんとも感じていませんでしたけど。

 

矯正させようとか治療できるものだと考えるのは、実はLGBTQなどセクシャル・マイノリティにも向けられてきた定番の差別行為で、人種差別なんかでも似たような発想が存在すると思うんですが、差別言動にかんしてかなりステレオタイプなもののひとつです。からかってやろうみたいな意図的ないじめではなく、善意からのものですけど、だからこそ根本的な無知無理解がそこににじみでています。

 

もちろん一生変わらないセクシュアリティや肌の色と違い、吃音は年齢と経験を重ねることで実際徐々に出なくなって消えたかのようになったりすること「も」あるもので、上で書きましたようにぼく自身がそれを実感しています。しかし決して治ったり正したりできるようなものじゃないんですよ。このことに家族は無理解でした。

 

こうした構造的根本差別に比べれば、スクールメイトなどが吃音をからかって笑ったりなどするイジメ行為はその場かぎりのものですから、まだ罪は軽いんだとぼくには思えます。吃音は性や肌色と同じく「病気」じゃないので、治療などできません。吃音矯正を看板に謳った診療所みたいなのが東京時代にJR山手線に乗っていても代々木あたりで車窓からたくさん見えましたけどね。

 

おしゃべりの相手に打ち明けるきっかけがあると「ほとんどわかりませんよ」「〜〜さんとはふつうにしゃべれてたじゃないですか」と言われたり、大洲時代(2011〜20)には薬剤師さんとの会話におき、難発でことばが詰まり出なくなり数秒沈黙していると、気を利かせた相手がすかさず空白にことばをすべりこませコミュニケーションを円滑にさせたりしたことがあるのも、こっちとしては意図せざるもので、そうじゃないよ、不本意だと感じ、ちょっぴりつらいんです。待っていてほしかった。

 

声を発するという行為は生の根本であり、それがスムースに行えず困難を感じているとほんとうに心底つらく、生きづらいと感じて苦しむんですけれども、多くのマジョリティはぼくらの苦しみつらみの根っこが奈辺にあるかあまり理解していないんだねえと思わされることばかり。

 

差別はどんな人間の意識のなかもあります。ぼくにだってあるはず。日常的常識的な図式で安直に判断せず、当事者たちやアライの声をじっくり吟味するなどよくよく学習して教育を受けていくようにしないと、いつまでも苦しみはやわらぎません。吃音者のなかには就職活動すら遠慮するひともいるし、ひいては社会全体にとっての不幸不利益なんですから。

 

(written 2022.8.7)

※ パソコンでこのブログにアクセスし右サイド・バー下部の検索ボックスに「吃音」と入れて実行すれば、たくさん出ます。

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