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2022年9月

2022/09/30

年齢差別

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写真は今年八月の自撮りです

 

(6 min read)

 

あと五年で老齢年金がもらえるっていう歳の人間が「年齢差別」とかいうと、いはゆるエイジズムのことなんだろうと思われそうですが、そうじゃなく、若いからといって(音楽的に、など)円熟している/していないには無関係である、ステレオタイプにはめるな、と言いたいわけです。

 

こないだも22歳の韓国人歌手に言及し「実年齢が22と知って、驚きました。落ち着きのある成熟した歌声は、とてもそんな若さとは思えなかったものだから」と書いてあるブログを読み、なに言ってんのと思ったばかり。

 

そのブロガーは前からときどきこの手の発言をする年齢差別主義者で、実際にはそういうひと多いですけどね。そして、若いということでなにかができないと判断するのは間違っている、差別的だ、というのは、実をいうと20代のころのぼくの実体験から身に沁みて痛感してきたことなんですね。

 

大学卒業まではほぼみんな同年齢か、ぼくは早生まれだから周囲は一個上か、だいたいそれくらいの同年代といっしょに学年を一つづつ進んできたわけですが、大学院に入学したとたんもっと歳上の同級生ばかりになりました。

 

あとから知ったことですが、あのころの東京都立大学英文科大学院は現役合格するほうがまれな難関名門だったとのこと。そういわれたってねえ、こっちは卒業論文を一月末に書き終え残りの時間でちゃちゃっと英米文学史の本を通読、それも移動の新幹線のなかで、っていうだけの準備でそのまま受験に臨み、すんなり合格しちまいましたけど。

 

入学してみたら、同学年でも周囲は何浪もしていたようで数歳上ばかり。なかには社会人になって時間が経過してからというケースもありましたから。ぼくのほうはルックスも考えかたもこどもっぽいというか幼稚だということもあって、そりゃあずいぶんといじめられました。苦労も挫折も知らずすんなり上に進むエリートに対するやっかみみたいな感情もかなりあったと思います。

 

それにいっそう拍車をかけたのが、修士課程を最短の二年で終え、修論審査も無事通過、そのままストレートで難なく博士課程に合格しちゃったこと。同じ都立大英文科修士の学生でも、ここはそうカンタンに進む人間のほうが少なかったんです。たんに愛媛からお金持たずに上京し、二年で切れる育英会の奨学金しかあてがなかったから懸命だっただけですけど。

 

博士に進学すればまた博士の奨学金が出るんですが、もし浪人したらそのあいだ食べていく手段を思いつかなかったという、ただそれだけの理由でがんばりました。指導教授の杉浦銀策(メルヴィルが専門)なんかは「修士三年論」を常日頃から唱えていまして、アホかと。金がないんじゃ。無視して二年で終えました。

 

その後だって修士も博士も新規入学してくるのは浪人生ばかりで歳上。だから、いつまで経っても、どんだけ学年が進んでも、ぼくは最年少のまんまっていう。でも、そのことと英文学研究の学力(歌手なら歌唱実力)は関係ないことです。同じ大学院にいる学年が上や下や同の学生にも、教師にも、年齢のこと若いことではあれこれ言われましたけども。

 

博士課程を二年で中途退学し研究室の助手になったときも歴代最年少なら、そこから三年で國學院大學の専任講師に採用されたのだって29歳のときだったからこの世界では異例の若さで、「戸嶋くんは若いのに立派だねえ」とか言われ。「若い」ということと研究者としての実力や業績がどうして逆接詞で結合するのか、ひたすらナゾでしかなく、理解できず、イヤな思いをしました。

 

いまふりかえれば、すべてはみんなのコンプレックスと劣等感の反映にすぎなかったのだなとわかりますが、あの当時のいじめられた差別されたという精神的刻印は決して消えることがなく、還暦の現在でもぼくのなかにしっかりと記憶され実在しています。

 

現在だって、どこへ行ってもだれに会っても(ルックス的に)到底60には見えない、若いっ!と言われることばかり。この年齢になってくると逆にそれは絶大なる褒め要素、プラス・ポイントへと変貌し、自分もうれしいし、接客などでのアイス・ブレイク的な側面が多分にあるにせよ、今度はいじめられているとかいうんじゃなく、とってもいい気分ですけどね。

 

年齢不相応、それがぼくの人生です。若いか歳とっているかということと、どれだけのことができるか/できないかっていうのは、本質的に無関係なんです。なんなら10代前半でも立派に成熟した学者や歌手はいます。歌の世界ならどっちかというと多いんじゃないですか。

 

(written 2022.9.11)

2022/09/29

デリケートな短編小説集のように 〜 ペク・イェリン

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(3 min read)

 

Yerin Baek / Every letter I sent you.
https://open.spotify.com/album/20hW2P3VSNJ1A7MwjIJ0Up?si=zkCB9ej_RyaVmESk3MMwxw

 

bunboniさんに教わりました。感謝しかありませんね〜。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2022-08-29

 

韓国人歌手、ペク・イェリンの『Every letter I sent you.』(2019)がきれいで繊細で遠慮がちで孤独で、ほんと、いいです。ささやかにひそやかにそっと歌うラヴ・ソングの数々がじんわり沁みてきて、韓国語だったらちょっと違ったかもですが、本作はほぼ英語なので(それも音楽のカラーを決めているでしょう)。

 

といってもぼくは歌詞の内容は気にしておらず、響きだけ受けとって、このふんわり空気のように漂うサウンドの上に軽く乗ってそっとつぶやくように控えめに歌うイェリンの声がいいなって、そう感じているんです。終盤の一曲を除き全編ずっと抑制が効いたクールなヴォーカルで、トラック・メイクもそうだし、そういったところがお気に入り。

 

基本的に近年のアンビエントR&Bを基調にしたサウンドなんですが、曲によっては80〜90年代的なアシッド・ジャズっぽいムードもただよっているようにぼくは感じます。そしてゆっくり流れゆく雲のように静かでおだやかな音楽だっていうのは、このところのぼくの急所をくすぐるもの。これですよこれ、こういうR&Bが聴きたかったんです。

 

それを韓国人歌手が実現してくれたっていう、それがうれしいですね。むろん日本にもいまこういった音楽はたくさんあって、たんにぼくがうといだけということなんですけども。ヴォーカルもサウンドも聴くたびに表情を変える多貌性みたいなものも持っていて、深みのある音楽です。

 

一つ、8曲目の「Bunny」だけはノリいいグルーヴィなクラブ系ダンス・ナンバーで、イェリンはそれでも抑えて歌っていますが、そのなかに一種の陽光がさしたような明るい雰囲気も感じられ、ある種のテンションが支配しているアルバムだけに、ここではなんだかほっと一息ついて安心できるようなリラックス・ムードがあります。

 

一曲一曲はアルバムのなかでさほど密な結合をしておらず、まるで趣向の異なる短編小説をならべたみたいになっているのも個人的にはとてもいい。この内容だったら実はこの半分の35分程度にまとめられたかもと思いますが、インディ作品だからやりたいようにやっているんでしょうね。

 

(written 2022.9.6)

2022/09/28

ジャズ・ピアノ100年のタイム・スリップ 〜 エメット・コーエン

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(5 min read)

 

Emmet Cohen / Future Stride
https://open.spotify.com/album/6nGurFCYFgfbZvyA7MB3sk?si=ObbUdb0VSdKYOm-LWJpCRw

 

しばらく前のSpotify公式プレイリスト『Release Rader』で出会った新人ジャズ・ピアニスト、エメット・コーエンにびっくら仰天。いまは2022年なんですけど、ちょうど100年ほども前のハーレム・ストライド・スタイルなんですね。

 

ジェイムズ・P・ジョンスンとかウィリー・ザ・ライオン・スミスとかああいった弾きかたで、なんでこんなのいまどきやってんの!?と思っちゃいましたが、ヴォーカルものだけでなく器楽演奏ジャズの世界でもレトロ・ムーヴメントが発生しつつあるんでしょうか。ハード・バップ・スタイルとかだったらまだ現役だぞっていう感じがしますが、ストライド・ピアノですからねえ。

 

ぼくが出会ったのは2022年新作の「フィンガー・バスター」で、いくらレトロといってもリズム・セクションをともなってはいます。この一曲しか聴けなかったんですが(9月23日に見たらもう一曲出ている)、ジャケットを見れば『アップタウン・イン・オービット』との文字。調べてみたらこれは来たる10月28日リリース予定の最新アルバムみたいです。
https://open.spotify.com/album/4BjFGIIssp2AolqkkhiWji?si=hzeKqGHuQsKEVawtyE-vag

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う〜ん、ジャケットもカッコいいし、待てないなぁ〜と思い検索し、2021年のアルバム『フューチャー・ストライド』というのを見つけ聴きました。アルバムぜんぶがストライド・ピアノというわけじゃなくて、ハード・バップみたいな、あるいはもっとコンテンポラリーな演奏もあるんですが、やはりこのひとのウリはあくまでも一世紀前回帰のストライド・スタイルでしょう。新しくてもデューク・エリントンふうとかあのあたり。

 

古典称揚傾向の強いぼくは、エメット・コーエンのこうした2020年代なのにストライド・ピアノを弾くという姿勢に心から共感します。『フューチャー・ストライド』というアルバム題は、たんなるレトロ趣味に終始するわけじゃないぞということでしょうが、こっちに言わせりゃこの手の音楽は現代性なんぞ意識しないほうが楽しく美しいもの。

 

徹底しなけりゃおもしろくないってわけで、だからそのへん中途半端に新旧折衷したアルバム・タイトル曲の4「フューチャー・ストライド」はイマイチに聴こえました。こういうのより、1「シンフォニック・ラップス」、6「ダーダネラ」、8「ピター・パンサー・パター」といった古典的ジャズ・ピアノどまんなかがぼくは好き。

 

ストライド・ピアノなんていまどき好んで聴くジャズ・ファンはもういなくなってしまったかもしれませんが、もちろんぼくだって20世紀初頭のアメリカに住んでいたわけじゃなく同時代感はありません。ジャズ狂だった大学生のときに興味を持ちレコードを買って聴いてみたら楽しいじゃん!ってなったわけ。

 

エメット・コーエンはベースとドラムスの伴奏つきでやっていますが、本来ストライド・ピアノは独奏用のスタイル。左手のあのぶんちゃぶんちゃっていうリズム演奏でオーケストレイションできるので、伴奏者がつくんならちょっとスタイルを変えてもいいんじゃないかと思っちゃいますけどね。

 

が、エメットは約100年前のスタイルをほぼそのまま再現して、そこにリズム・セクションをつけていますね。個人的には、特にドラムスなんかはジャマだよなあ、こういうピアノ・スタイルには、典雅なピアノなのにちょっとうるさいぞ、とかって感じないでもなく。

 

自覚しているのかどうなのか、最もティピカルな演奏を聴かせる「シンフォニック・ラップス」(と新曲「フィンガー・バスター」)ではパッと伴奏が止む独奏パートも設けていますよね。そこへ来るとその刹那、とってもいい気分におそわれて、やっぱぼくはこういうの好きなんだぁ。

 

(written 2022.9.24)

2022/09/27

美しい、あまりにも美しい、レイヴェイのアンプラグド弾き語り 〜『ザ・レイキャヴィク・セッションズ』

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(4 min read)

 

Laufey / The Reykjavík Sessions
https://open.spotify.com/album/2TJvQ6w1v1rcabWhhNBDWS?si=I1LjtmJuRbKYPFbOOpCESQ

 

数日前にリリースされたばかり『ザ・レイキャヴィク・セッションズ』(2022)っていうのは、たぶん今夏レイヴェイ(米LA在住)は故郷アイスランドの首都にちょっと帰っていたんですよね。デビュー・アルバムが出た八月あたり。そのときホーム・セッションみたいにピアノやギターで自分の曲を弾き語り録音したんでしょう。

 

この22分ほどのニューEPがですね、も〜うホント、いままでのレイヴェイの全音源、といってもちょっとしかないんだけどまだ、のなかでも最高にぼく好みでアット・ホームなファミリアー&ロンリネス感で、こんなにもすてきな音楽、この世のどこにもなかった、いままでの人生で出会ったなかでNo.1じゃないのか、といまは言いたい。

 

収録の全六曲はいずれも過去に発表済みレパートリーのセルフ・カヴァー。でも既発ヴァージョンよりここでのソロ・アクースティック弾き語りのほうがはるかにいいと思えます。お得意のDAWアプリは使っておらず、生演唱ワン・テイクでの収録で、そもそもアナログ感の強い音楽家だったしはじめから。

 

個人的には、ギターもの(2、3、4)も抜群だけどクラシカルなピアノもの(1、5、6)がよりすばらしいと感じます。そしてどれもまさにこう解釈されるために生まれてきたっていう曲本来の姿をしていて、ここに「決定版レイヴェイ」みたいなものができあがっちゃったなあとの感を強くします。

 

サウンドがナマナマしく、まるで同じ部屋のなかで仲のいい親友に聴かせるようにそっとソフトにつつましくやっているような、そんな音響も最高にすばらしい。息づかいまで手にとるようにわかる極上音質なのが、そうでなくたってインティミットなレイヴェイの音楽性をいっそうきわだたせています。

 

どんな細部までもフェザーでデリケートな配慮と神経が行き届いていて、声の出しかたもそうならピアノ鍵盤やギター弦に触れる指先の動きの微細な隅々にいたるまでコントロールしているレイヴェイの、さらりとナチュラル&ナイーヴにやっているようでいながら実は高い技巧に裏打ちされたミュージシャンシップも伝わってきます。

 

それなのに緊張感が張り詰めたようではなく、故郷でくつろいでイージー&カジュアルにさらりあっさりとやってみただけっていうようなムード満点なのが、っていうか実際そうだったんだろうし、それがかえってこの音楽家の真価を表現しているよう。

 

ラフ・スケッチなのにつくりこんだようにていねいで、臆病だけど大胆だっていう、そんな相反する二重要素が同居している『ザ・レイキャヴィク・セッションズ』、アンプラグドなピアノ or ギターのライヴ弾き語りというフォーマットが、もとからいいレイヴェイの曲の美しさを極上シルクのような肌あたりにまで高めていると聴こえます。

 

いまはもうこれだけあれば生きていけるんじゃないか、なんだったら聴きながら死んでもいいっていうほど、好き。

 

(written 2022.9.25)

2022/09/26

マイルズ『イン・ア・サイレント・ウェイ』コントラバスかっちょいい

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(7 min read)

 

Miles Davis / In A SIlent Way
https://open.spotify.com/album/0Hs3BomCdwIWRhgT57x22T?si=4pFAq04wQJWmpnZtNmFM4Q

 

そいで、マイルズ・デイヴィスのあのころの作品で、(長年最高評価だった)『ビッチズ・ブルー』(1970)より、現在では一個前の『イン・ア・サイレント・ウェイ』(69)のほうが人気が高いしドープだと思えている原因の一つに、後者はエレベ奏者がおらずコントラバス(デイヴ・ホランド)だけだというのがあるんじゃないかと。

 

特にかちょよくドープなのがB面「イッツ・アバウト・ザット・タイム」のグルーヴですが(私見)、この曲でのコントラバスがいいぞとぼくが感じはじめたのはほんのここ数年のこと。近年の、特にジャズやそれに関連した新作でときおり使われているのを耳にしてシビレるなあと感じるようになってからです。

 

ぼくが気づくのが遅かっただけで、よくふりかえってみればもう10年くらいかな、コントラバスが新作音楽で使われているんじゃないかという気がします。もうエレベは古いとかそんなことを言う気はありませんけども。コントラバス復活は音楽のオーガニック志向とも関係あるのでしょうか。

 

復活といっても、もちろん従来的なメインストリーム・ジャズでの使用法とはかなり異なっていて、それまでエレベが担っていたようなヒプノティックでかっちょいいファンキーなリフとかヴァンプをコントラバスでやらせて、それでなんともいえないクールなフィーリングを産んでいると思うんですよね。

 

おそらくヒップ・ホップ系のミュージシャンたちがコントラバス・サウンドの質に目をつけて、むしろこっちのほうが現代的だとエレベの代わりに使いはじめたんだと思いますが、そう、ピアノやギターなんかもアクースティックなものが同様にそういうたぐいの世界で再脚光を浴びて頻用されるようになっていますが、だからそれ以降でしょうね。

 

マイルズ『イン・ア・サイレント・ウェイ』でのデイヴ・ホランドの使われかたは、そういった2010年代以後的な使用法だよねえとぼくには聴こえ、これ1969年2月の録音なんですけど、ずいぶんと早い先駆けだったもんだなあ、2022年にもコンテンポラリーにかちょよく聴こえるわけですねえ。

 

あのころのマイルズはアクースティック・サウンドから電化する途上にあったから、次作の『ビッチズ・ブルー』ではエレベと併用し、その後はエレベ一本になりました。だから『イン・ア・サイレント・ウェイ』でコントラバスなのは保守的というだけのことだったのに。いまになって意味を取り戻したっていうか現代性を獲得したっていうか。

 

2曲目「イッツ・アバウト・ザット・タイム」ではジョン・マクラフリン(g)→ ウェイン・ショーター(ss) → マイルズ(tr)の順にソロをとり(完成品ではテープ編集で冒頭にもマイルズのソロがおいてある)、テーマみたいなものはもとからなく、ソロ三つの連続が曲の表層上の実体です。

 

それらはもちろんインプロヴィゼイションなんですけども(編集のおかげで作曲したような感じに聴こえますね)、重要なことは下層部で支えるリズム・セクションの動きが完璧に事前アレンジされているということ。そしてそれこそが「イッツ・アバウト・ザット・タイム」のほんとうの実質で、二つのリフ・パターンを切り替えながら進み、それに乗って三名がソロをとるっていう仕組み。

 

分解すると正確にはパターンは計三つ。(1)下降和音二つづつであわせて六つ(2)三連符ベース(3)ファンキー・パターン。(2)は(1)の基底部を支え同時並行で演奏されていますから、時間経過にのっとれば二種のリフが三名のソロのバックでこの順に出てくるわけです。

 

(1)の下降和音集団のときにはベースのホランドはそれに参加しておらず、上記のとおりその背後で三連符ヴァンプを弾いているんですが(ザヴィヌルのオルガンもときたま参加)問題は超カッコいい二番目のファンキー・パターンとぼくがいったリフです。だれが書いたんだろうなあ、作曲はマイルズにクレジットされていますけど、う〜ん…。

 

だれが書いたものにせよ、ベースとフェンダー・ローズ(たまにオルガンも)がユニゾンでそのリフを合奏し、その重なりがいっそうこのリフの響きをファンキーにしているっていうこんなアイデアは、1967年12月録音の「ウォーター・オン・ザ・ポンド」におきギターとベースで同じことをやらせたころからマイルズは持っていたものではありました。

 

マイルズによるこの手のアイデアが最高度に結実したのが「イッツ・アバウト・ザット・タイム」であって、もうシビレるほどたまらないファンキーさ、クールさに聴こえるし、もしこれがエレベだったらここまでカッコよくドープに仕上がっていないはずだと思うので、69年2月のマイルズとしては臆病でまだコントラバスだっただけなんですけど、2022年に聴くぶんには結果的にフィール・グッド。

 

まるでクラブDJとかがここだけ抜き出してループしたりしそうな、そんなリフですよね。実際たくさんサンプリングされているのかもしれません。『ビッチズ・ブルー』にそんな瞬間ないですもん。マイルズだからレア・グルーヴ扱いにはなりませんが、実質的にそんな感じです『イン・ア・サイレント・ウェイ』って。

 

(written 2022.8.21)

2022/09/25

松山市内のコーヒー豆焙煎ショップ

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(4 min read)

 

ごくローカルな話題でごめんちゃい。

 

愛媛県松山市在住のコーヒー狂であるぼくがいつも買っている焙煎豆ショップは二軒。余戸にある Beans House と、市駅近く千舟町の B. Factory。このうちビーンズ・ハウスのほうを2018年暮れごろに知り、先にふだん使いになりました。

 

2018年というと大洲市(松山から南へJRの特急で30分程度〕に住んでいたので、松山のお店からコーヒー豆を買うのはもちろん通販。ビーンズ・ハウスに出会うまでは、ネット・ショップを展開している土居珈琲(大阪)で買っていました。ここは全国的な有名店みたい。
http://www.doicoffee.com

 

クォリティはそりゃもうスーパーだったんですけど、お値段もそれなりだった土居珈琲。そのサイトの顧客アカウントは維持したままビーンズ・ハウスで買うようになったのは、はるかに安価だということと、食料品のたぐいは地元のリアル・ショップで買えるとやっぱりちょっと気分いいんですよね。

 

2011年から大州にいましたが(その前はずっと東京)、2020年夏に松山に戻ってくるとやはり市駅まわりの繁華街を歩く機会が多くなり、結果的にわりとすぐビー・ファクトリーも知ることになりました。こっちはまだ比較的新しいお店で、たしか2018年オープンでしたっけ。

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焙煎が済んでいる豆を売っているお店でいいなら市内にいくつもあって、それこそ森松町の自宅から歩いてもわずか五分程度のところにだって一軒あるんですけど、コーヒー豆はいつ焙煎したものか?っていう鮮度が命。焙煎したら時間が経つほど風味が消えていきますから、焙煎日がわからない豆を売っているお店では買いたくないんですね、基本的には。

 

そのつど、ほしい産地の豆を、ほしい量だけ、生豆から好みの焙煎度合い(も変わりますし)でオーダーしてから炒りわけてくれるところで、ってなると松山市内には2022年9月時点で上記の二店舗しかないのです、ぼくの知るかぎりでは。

 

ビーンズ・ハウスとビー・ファクトリーとで、豆買って淹れたコーヒーの味を比較すると、たぶん同じだと言っていいと思います。価格も似たようなもんで(前者がやや安価)、だからどちらのお店でもいいはず。自宅や職場などからどちらが近いか?という程度のことで決めればお〜け〜。千舟町のビー・ファクトリーのほうが地理的には便利ですかね。

 

生豆から焙煎するには20分程度かかるので、両店ともすわってゆっくり待つ喫茶スペースが設けられてはいますが、なんだったらあらかじめ予約注文しておいて取りに行くだけというやりかたのほうがスマートかもしれません。ぼくはいつもそうしています。

 

ビー・ファクトリーは松山市内最大の繁華街にあるお店なので、なにかのついでにふらっと寄るのもカンタン。ビーンズ・ハウスのほうは郊外なので、ぼくはいつもクリニックなどの帰り道に立ち寄っています。市駅付近からでも原付バイクで10〜15分程度なので。自宅と方角が逆ですけど、余戸からは外環状道路が国道33号線まで伸びていますので、あんがいラクです。

 

きょうはどっちのお店で買おうか?っていう判断に特にこれといった基準はぼくのなかになく、同じ銘柄同じ焙煎であれば味はどちらのお店でもほぼ同じになるので、その日のお財布状況とか、市内どちらあたりに用事があって出かけるか?っていうだけのことです。

 

定期通院している糖尿病や心療内科関係などクリニック終わりにお昼ごはん食べてから行くことが多いですが、自宅冷凍庫内のコーヒー豆備蓄が乏しくなればわざわざ買いにでかけていくことだってあります。これら二つのお店、両方とも消えちゃったりしたら、困ります。

 

(written 2022.9.1)

2022/09/24

サブスクで「アルバム」はオワコン??

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https://times.abema.tv/articles/-/10010818

 

リンクした上の記事だけでなく、音楽系サブスク・サービスの普及とともに「アルバムで聴く」というフォーマットは終わりつつあるようだという議論をときどき目にします。しかし、ホントにそうかな?というとっても強い個人的な疑念と実感をぼくなんかは抱いているんですね。

 

フィジカルだろうとサブスクだろうと、どう聴くかは自由で千差万別なんだから、そんな「いまはこういう時代だ」という考えというかフレームというか流れというか、そんなもん関係ねえっていうのがぼくの確固たる信念。実際かなりヘヴィなSpotifyユーザーですけど、全聴取時間の八、九割は音楽家サイドが提供したオリジナル・アルバムを聴いています。

 

Spotifyだと、なんでもプレミアムを登録しない無料ユーザーには(アルバム無視の)シャッフル聴きしか用意されていない時代もあったとかいうハナシを見ることがありますが、そうなの?たったの月額¥980なんだし、ぼくなんかいきなりはじめから有料登録ユーザーでそのまま現在まできていますから、なにも知りません。

 

Apple Musicはまた違うのかな、ちょっとわかりませんが、とにかく聴くときっていうかなにかのサービスを利用するときにいくらか少額でも対価を払わないと気が済まないっていう人間なもんで、それでも音楽系サブスクはレコードやCDをどんどん買うのと比べたらアホみたいに安価なんだから、と思えば毎月¥1000¥2000くらいはね。

 

そういうことをやらずに一円たりとも払わず楽しめるだけ楽しみたいたって、そうはいきませんよね。ってことはアルバム聴き時代の終了とか、プレイリスト聴き、シャッフル聴きっていうのは、要するにライトな音楽ファン向けってことで、真剣にというか熱心に追求したいというヘヴィ・ユーザーを念頭においた話じゃないんでしょう。

 

でもサブスクが(アルバムで次々と聴きまくりたい)ヘヴィな音楽聴きにの用途に向くようには設計されていないかっていうと、まったくそんなことはないよねっていうのを、だれよりもこのぼくがこの身をもって強く強く実感しているところ。そんなこと、ふだんからこのブログをお読みのみなさんはとっくにご存知でしょう。

 

サブスクならではの聴きかたっていうのもたしかにあって、たとえばSpotifyで毎週金曜更新の新着案内プレイリスト『Release Rader』なんかはマジで助かっている役立っているものですけど、それを流して気になったやつは結局そこからたぐって収録アルバムを聴きますし、えっみんなそうじゃないの?

 

なんだかんだいって SP → LP → CD と進んできた音楽産業のその物理フォーマットのアナロジーでサブスクも根本的には組み上がっているシステムなんで、サブスクではアルバム単位で聴かないのが流れとかなんてのはただの戯言とか思えないサブスクずぶずぶのぼくでした。

 

(written 2022.9.23)

2022/09/23

作編曲の冴えるムサ・ジャキテ最新作

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(3 min read)

 

Moussa Diakite / Kanafo
https://open.spotify.com/album/10soa4I8zHVa065iNWysZH?si=aKY5D-jzTqevjUiCDH1NUQ

 

bunboniさんに教えてもらった音楽家です。この最新作はオーダー中とのことで、一足お先にbefore you。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2022-09-02

 

現在オーストラリア在住、マリのギターリスト、ムサ・ジャキテの最新作『Kanafo』(2020)。ジャケットはあかぬけない感じかもですけど、音楽はなかなかグルーヴィでカッコいい。演奏パーソネルはBandcampのページに載っているので参考にしてください。
https://wassarecords.bandcamp.com/album/kanafo

 

ヴォーカルのほうぼくにはイマイチですが、ギターがいいですよ。ムサは各種エフェクターをかませてさまざまなサウンドで弾いているのも楽しい(...と思ったら違う、これはキーボード・シンセだ)。バンドのアンサンブルだってとてもよく練り込まれているのがわかり、でたとこ勝負のインプロもいいけど、こういうウェル・アレンジドな音楽にぼくは惹かれるんですね。

 

それはそうと本作、エレベの音がブンブン野太くてお尻にずんずん響くし重量感があってすごいと思います。ひょっとしたら弦ベースじゃないのかも、キーボード・ベースだったりする?と思うような音のテクスチャーですよね。いずれにしてもグルーヴィにボトムスを支えていて快感です。

 

個人的に特にグッと来はじめるのが2曲目から。ノリがよくなってくるじゃないですか。ビートの効かせかたもカッコいいし、バンドのキメもピシっとしているし。曲のタイプはちょっとロック・チューンっぽいかもなと思いますが、バラフォンの使いかたなんかにはまぎれもない西アフリカ音楽の刻印があります。

 

バラフォンもそうだし、ンゴニとかコラとか、西アフリカの生演奏アクースティック楽器がアルバム全体でうまい具合にちりばめられていて、曲によっては主役級の活躍ですし、そういうのと電気電子楽器との配置、ミックス具合が実にすばらしく、全曲ムサの作編曲ということで、そのへんに音楽家として最大の魅力があるひとなのかもしれないですね。

 

4、5曲目あたりに来るとなんど聴いても「カッチョエエ〜!」と叫んでしまいそうになるし、バンドのアンサンブルとムサのギターですね、それでグッと胸をわしづかみにされてしまうんです。後半はマリ味を出しつつ(陽光を思わせる)カリブ音楽テイストを香らせている曲も複数あり、ホントいい。

 

なお11曲目のインストルメンタル・ナンバー「Doncomodja」というのはbunboniさんがとりあげられていた前作のアルバム題です。そっちにはこういうタイトルの曲なかったんですが、ギターリストとしての自覚というか矜持みたいなものが一貫して表されているんでしょうね。

 

(written 2022.9.21)

2022/09/22

my new gear, Beats Fit Pro

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(4 min read)

 

こないだ買ったばっかりでまだ十日ほどしか経っていませんが、音楽用イヤフォンの新製品 Beats Fit Proを使うことがあります(だいたいの時間はスピーカー鳴らしているけど)。BeatsはAppleが買収していま傘下のオーディオ企業なので、実質Apple製品と言ってもいいくらい。もちろんAppleにはAirPods系の自社製品がありますが。

 

なもんで、Mac、iPhone、iPadといった愛用デジタル・ディバイス群との相性がすこぶるよく、使いやすいことこの上なし。見た目は(AirPodsと違い)たしか四色から選べるのもいまのぼくにはうれしかったし、肝心の音質面にも不満はなく(重低音のズンズンくる感じがちょっぴり足りないかもだけど)。

 

しかも装着感がゼロに等しいっていう。もちろんなにも着けず、スピーカーから空間に放出される音楽を聴いているのと比べたら耳にわずかな触感がありますが、ヘッドフォンなんかと比べればですね、圧迫感もないし重量なんかまったくゼロといっていい。

 

この手のヘッドフォン、イヤフォン、最近はスピーカーもだけど、御多分に洩れず Bluetooth でディバイスと接続するわけですが、Beats Fit Proだとペアリングのためになにもする必要がありません。電源オン/オフの手間すらなくて(どうなってんのこれ?)、ただケースから出して耳に着ければ、マジでただそれだけで、いちばん近距離のAppleディバイスと自動接続します。離せば接続自動オフ。

 

なもんで、そのまま耳にはめ即SpotifyやApple Musicなどのアプリでクリック(タップ)すれば音楽を再生するっていう、なんなの?このあまりの「なにもしなくていい」感。言うまでもなくこの手のBluetooth音響機器がこんだけ普及したのは(ディスクではなく)パソコンやスマホのアプリで音楽を聴くのが一般化したためです。

 

Beats Fit Proがこんなにも使いやすい(Apple社製品とつなぐなら)っていうのは、Apple H1チップを搭載しているから。ですからWindowsマシンやAndroidスマホで使うには専用のアプリかなにかが必要らしいです。Mac、iPad、iPhoneと三つのディバイスをぼくは自室の同じテーブル上に置いていますが、シームレスに切り替えることもできます。

 

アクティヴ・ノイズ・キャンセリングもできて、それはオフにもできるし、周囲の環境音やしゃべり声をナチュラルに混ぜる外部音取り込みモード(はスピーカーで聴いている感覚に近い)もあって、それらを自在に切り替えることができるし、ノイズ・コントロール機能をまったく使わないようにもできます。

 

フラットなモニター音質ではなく(長年愛用してきているBoseのワイアレス・ヘッドフォンやイヤフォンはモニターっぽい音)、ややクセのある色づけをしたようなサウンド。細部をきちんと鳴らすっていうより、雰囲気重視で元気よくハデめにガンガンくるといった感じなので、音楽の種類を選ぶかもしれませんし(クラシック系のシンフォニック・オーケストラなんかは苦手そう)、ボトムスの重量感で勝負する音楽だってちょっぴりしんどいかも。

 

だけど、ジャズとか(Jをふくむ)ポップスとかR&Bとか、そういったぼくのふだん聴きの音楽にはパワフルでバランスにすぐれたサウンドを聴かせてくれて楽しみが増すイヤフォンだし、さらに装着中はわからないけど耳から外してケースにはめている状態でのルックスがとってもよく、Beast Fit Proはそれをながめているだけでもテーブル上のインテリアとしてグッドなんですよ。

 

(written 2022.9.13)

2022/09/21

ジャズにおけるレトロ・トレンドとはなにか

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(6 min read)

 

ジャズの世界では、新時代のニュー・スタイルが勃興しみんなの話題になったときなぜか同時に古典回顧のノスタルジアも流行するっていう不思議なシンクロ現象がむかしからあります。1940年代のビ・バップ隆盛のときはニュー・オーリンズ・リバイバルがあったし、80年代のフュージョン全盛期にはウィントン・マルサリスら復古派が一大勢力になっていました。

 

2010年代以後現在までだって、ヒップ・ホップ通過後の新世代感覚を身につけた多ジャンル接合的なニュー・エイジ生演奏ジャズが大きな流れとなっているそのわきで、1930〜50年代ふうのプリ・ロック的黄金時代ジャズへのレトロ愛を全面的に打ち出した若手だって確固たるムーヴメントになっています。

 

現在のレトロ・トレンドの中心になっているのはスウィング・ジャズのスタイルで、それも当時主流だったようなビッグ・バンド編成じゃなく室内楽的な少人数編成でやることが多いです。どうしてスウィング・スタイルかっていうと、実はビ・バップってロックンロールと親戚なんですね。そもそも歌ものが映えないしリリカルでもないしっていう。

 

そう、ですから現行レトロ・ジャズ・ブームの中心はあくまで情緒的な歌ものですよ。器楽演奏ジャズでのレトロ志向ってぼくはあまり知りません。ヴォーカルでの復古志向ということで、その伴奏をやる器楽奏者もあわせるようにスタンダードでメインストリームなスタイルをとるようになっているというだけのことです。

 

古いもの、それも自身はリアリティがないはずの70〜80年くらい前のものにあこがれ、追い求め、そんなノスタルジア(っていうのも本来はおかしいんだけど、経験ないんだから、ヴァーチャル・ノスタルジアってことか)をほんとうにリアルな音にして歌ってみたりするっていう、近年のこうしたレトロ・ブームの背景には、ひょっとしたらデジタル・ネイティヴ世代ならではってことがあるのかもなという気がします。

 

以前も書いたしきのうサマーラ・ジョイのときにも触れたんですけど、日本のZ世代に昭和レトロへのあこがれがあるように、ああいったネット常時接続もスマートフォンもなかった、みんながつながっておらず、たがいに適度な距離をおいていた、そういう時代をナマ体験ではいまの若手は知らないわけです。

 

ぼくなんかの世代だと、あんなにも不便で生きづらかった時代にレトロなあこがれを持つなんて、ドウカシテル!って思っちゃうんですけど、なんでもあってすぐそこに手に入り簡単に近づいていけるっていう、そういう世界で生きてきた世代にとっては、かえってほどよい中庸さみたいなのがあって、ちょうどいいフィーリング、羨望の眼差しなのかもしれません。

 

ジャズでいえば、1950年代なかばのロックンロール・ビッグ・バンでアメリカン・ポピュラー・ミュージックの世界で主役が交代したっていうのはなんだかんだいって間違いないし、その後も2022年にいたるまで一度もトップに返り咲いたことなんてないわけです。21世紀になってジャズがもりかえしてきているたって、しょせん主流音楽ではありえませんし。

 

あれ以来ずっと斜陽の黄昏ニッチ音楽、それがジャズ。そうなる前、時代のメイン・スポットライトを浴びていた、爛熟していたジャズ黄金時代へのあこがれとか、ある種の仮想ノスタルジアを持つことがあっても不思議じゃないのかもしれません、若手でも。ぼくだって同時代感覚はありませんが、50年代以前には。

 

音楽はサブスクで聴くというのが中心になっているというのもレトロ・トレンドを後押ししているはず。時代が遠くなるにつれて距離感の濃淡みたいなものができていたのがサブスク普及で消えてなくなって、新しい音楽にも古い音楽にも同じ皿にべたっとフラットに並べて同一に接することができるようになっているでしょ。

 

このことが実はとっても大きいんだと思いますね。レトロ・ジャズ・ブームの中心にいる歌手たちはみんなInstagramをやっているんですが(歌詞のなかに “Instagram” と出てきたりもする)フィードやストーリーをながめていると、だれしもがSpotifyやApple Musicであこがれのナット・キング・コールやチェット・ベイカーや(ヴァーヴ時代の)ビリー・ホリデイなどを聴いているとよくわかります。

 

だから、ネットとスマートフォンがなかった<あの時代>への憧憬といったって、それを味わうためにはそれらデジタル技術を使ってアクセスし投稿もしているわけなんですね。そうした体験をベースにして、みずからも同じような音楽を産み出すようになったっていう。だからやっぱりこれもまた2010年代以後じゃないと存在しえなかったコンテンポラリネスではあるんです。

 

(written 2022.9.19)

2022/09/20

黄金時代へのノスタルジア 〜 サマーラ・ジョイ

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(3 min read)

 

Samara Joy / Linger Awhile
https://open.spotify.com/album/1TZ16QfCsARON0efp6mGga?si=0jfmXC-0SoGLBVl_rnwKaA

 

リリースされたばかりのジャズ歌手サマーラ・ジョイの最新作『リンガー・アワイル』(2022)を聴いていたら、もういまのぼくはこういうのですっかり気分よくてですね、こういった高級ホテルのラウンジとかでやっているような音楽って、ケッ!とか思って長年バカにしていた面もあるんですけど、歳とって変貌しました。

 

サマーラ・ジョイってどんな歌手なのか、デビュー時から日本語メディアでも注目されていて、文章がたくさん読めるので、ぼくがここで説明する必要はないはず。もしこの記事ではじめて知ったんだけどっていうかたがいらっしゃれば「サマラ・ジョイ」でぜひ検索してみてください。

 

最新作もジャケット・デザインを一瞥しただけで、やっぱりこの歌手もレトロ志向なんだなとわかりますが、こうした音楽はジャズやその近辺において完全に一時代の大きな潮流となった感がありますね。サマーラもティン・パン・アリーなスタンダード・ソングを中心に、ピアノ・トリオ+ギターという標準的なジャズ伴奏をつけて、ふわっとおだやかに歌っています。

 

ぼくはお酒がまったく飲めないし、ハイ・クラス・ホテルにも縁がないしで、こうしたラウンジ・ミュージックを現場の生演唱で聴くというチャンスはいままでの人生になかったんですが、自室でおいしいコーヒーを淹れてゆっくり楽しみながら、おだやかでていねいなひとときをすごすという、そんな日常のための極上BGMになってくれるのがサマーラ・ジョイ。

 

ジャジーなムード満開だけど、ときおり適度にブルージーになったりラテン・ビートが使ってあったりと、そのへんの作法も黄金時代のジャズ・ポップスそのまんま。サマーラのヴォーカル・カラーは、スタンダードを歌うときのカーメン・マクレエあたりの味にちょっと似ているなと思います。

 

1930〜50年代あたり、ロックンロール爆発前夜に爛熟していたジャジー・ポップスへの憧憬が間違いなくサマーラ(やその他レトロ・ジャジー歌手たち)のなかにはあって、いま、ここ10年くらいかな、こうしたノスタルジアをリアルな音にして届けてくれる歌手が急増していますよね。

 

こうしたムーヴメントはいったいなんなのか?じっくり考えてみないとわかりませんが、ヴァーチャルなファンタジーがリアリティを持つようになったネットとスマートフォン時代だからこそ具現化するようになった音楽だとも思えます。

 

ともあれ、いまから40年ほど前の大学生時代からスウィング系のヴィンテージ録音ジャズやそれで歌うポップ歌手なんかが大好物で愛し続けてきたぼくにとっては、サマーラ・ジョイもまたストライクな歌手。新しくもなんともないし、音楽として特になんでもないようなものですけど、趣味の世界ですからね。

 

(written 2022.9.19)

2022/09/19

musicaholic

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(3 min read)

 

上のキャプチャ画像のとおり、Spotify AIの自動分析によればぼくは先月(八月ってことかな)497時間音楽を聴いたそうで、これ、31で割ると一日平均16時間強ということになります。起きている時間ほぼぜんぶじゃないか…。

 

これはSpotifyだけの数字。Apple Musicで聴いている時間もあるし(Amazon Musicは登録だけしてほとんど使っていない)、実はCDだってちょっとだけかけているので、あわせれば月約500時間くらいですか、うん、毎月だいたいそんなもんです。

 

もうこれは完全なるビョーキですよねえ。アルコールとか麻薬とかの中毒患者が、ちょっと血中濃度が下がるとガマンできず勝手に手が摂取に動くように、ぼくのばあいは音楽を絶やさず浴び続けていなければ死んでしまうっていう、そんな人間です。

 

こういうのって、経験的実感からすればサブスク・ユーザーのほうがなりやすいぞっていう気がしますよ。だってフィジカル購入だと枚数に応じて従量的に金額が増えていきますから限度があるっていうか、どっかで歯止めがかかりますが、Spotifyだとひと月¥980、たったそれだけ払えば無限に聴けちゃうんですから。

 

そんでもって先月はなんでもマイルズ・デイヴィス『イン・ア・サイレント・ウェイ』1曲目の「シー/ピースフル」をいちばん聴いて(理由があるのでそのうち書く)、12個の新しいプレイリストを作成したとのことです。こういったことをサービスのAIに自動把握されるのを嫌うかたもいらっしゃるのだろうと思いますけどね。

 

ぼくにとっては、趣味傾向をAIがつかむことで好みにそったオススメ・プレイリストを提示してくれたりするし、一度聴いた音楽家の新作が出ればお知らせが来て、なんだったら聴いたことなくたって同傾向の音楽ニュー・リリースは表示されるとか、そんなわけで趣味の充実に役立っているのは間違いないです。こうやって総まとめみたいなこともできる。

 

Spotifyにハマって以後は、それ以前に比してもさらに何段も音楽好きになってその充実度中毒度が増し人生がウレシタノシで、お金の倹約にもなってほかのこと(美容とか医療とか食事とか)にふりむけることができるようになっていっそうウレシタノシが増強され、そんな施術中外食中もずっと音楽を切らさず聴けるようになったし、もう言うことないじゃんね。

 

(written 2022.9.17)

2022/09/18

1982〜85年の未発表スタジオ音源に聴くブルーズ・サイドとポップ・サイド 〜 マイルズ

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(5 min read)

 

Miles Davis / That's What Happened 1982-1985: The Bootleg Series, Vol. 7
https://open.spotify.com/album/2mwZpszzkV5EzChG04oDWv?si=4cEZhJ1JT2S3JoIE9osT4Q

 

ネットとかしたりなどでのんびり軽い気持ちで流し聴いたマイルズ・デイヴィスの『That's What Happened 1982-1985: The Bootleg Series, Vol. 7』(2022)。リリースされたばかりの未発表発掘音源集で、ちょうどワーナー移籍直前、コロンビア時代末期のものですね。リアルタイム・リリースでいえば『スター・ピープル』(83)、『ディーコイ』(84)、『ユア・アンダー・アレスト』(85)のあたり。

 

CDなら三枚組ですが、三枚目は83年7月7日のモントリオール・ライヴ。二枚目までがスタジオ・アウトテイクで、興味をひかれるのはそっちです。おおざっぱにいってディスク1がブルーズ・サイド、ディスク2がポップ・サイドということになるんじゃないでしょうか。

 

これは晩年のマイルズを決定づけた二大要素であるとともに、本来この音楽家がなにを大切にして1948年以来のソロ・キャリア全体を歩んだかということも象徴しているとぼくには思えます。そしてこれら二つは81年復帰後マイルズの50年代回帰ということを明確に示していますよね。

 

特にハッこれはおもしろい!と身を乗り出すのがディスク1に収録されたブルーズ・ナンバーの数々。なんたって2、3トラック目の「マイナー・ナインス」はJ.J.ジョンスン(トロンボーン)との再会セッションで、二人だけでの演奏。バンドはおらず、JJが吹く伴奏をマイルズがエレピでやっている(トランペットは吹かず)というもの。この上なくブルージーな雰囲気満点で、こ〜りゃいい。

 

しかしJ.J.ジョンスンですからね。正式共演は1950年代前半のブルー・ノートやプレスティジでのレコーディング以来っていう。なんでJJだったのかともあれ、このころマイルズがJJとひさびさに再会してなにか録音したらしいぞっていうウワサは当時飛び交っていて、ぼくも目にしたことがありました。

 

それがようやく日の目を見たということで。しかも「マイナー・ナインス」パート1でJJが吹いているのは電気トロンボーンのサウンドに聴こえるし、マイルズのエレピだってブルージーでコクがあってうまいですよ。やはりブルーズ・ナンバーで、こっちはバンドで演奏する4〜6「セレスティアル・ブルーズ」のパート3にもJJが参加しています。

 

ブルーズ、というかブルージーなフィーリングという点では、ディスク1の末尾に収録された9、10「フリーキー・ディーキー」もみごと。編集済みの完成テイクが『ディーコイ』に入っていましたが、それはふわふわただようようなアンビエント感満載のアブストラクトなものでした。

 

ところがここではナマのむきだしのアーシーなブルーズ・フィールをこれでもかと聴かせてくれて、ジョン・スコフィールドも本来の持ち味を存分に発揮しているし、いまのところたぶんぼくはこの2トラックが今回のディスク1でいちばん好きですね。聴きものだとも思います。

 

ディスク2をポップ・サイドと呼んだのは、1950年代からもともとポップ・バラードのリリカルでプリティな演奏に本領を発揮していたマイルズが、その長所をフルに取り戻したような演奏がたくさん楽しめるからです。「タイム・アフター・タイム」「ヒューマン・ネイチャー」の別ヴァージョンもあるし、以前先行で聴けるようになったときに記事にした「愛の魔力」(ティナ・ターナー)もあります。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2022/06/post-3335a8.html

 

今回のこのアルバム・リリースで初めて聴けるようになったものでいえば、100%未発表で存在も知られていなかった4曲目「ネヴァー・ラヴド・ライク・ディス」に実は惹かれました。オープン・ホーンで吹いていますが、曲題の意味が身に沁みてくるような、いいバラードです。マイルズ作とクレジットされていますけど、ホントかな?

 

マイルズ公式Twitterアカウントが言うように、このトランペッターはリリカルで内省的かつメロディックに演奏することに生涯を懸けた音楽家だったんですが、そんな特色が今回リリースされたこのアルバムでもよくわかります。

 

(written 2022.9.17)

2022/09/17

Play Next

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(4 min read)

 

っていうプレイリストをSpotifyでつくってあるんですが、なにかというと「次に聴きたいアルバム」をどんどんドラッグ&ドロップで(つまりパソコンで)放り込んであるというだけのもの。

 

次に聴きたい「曲」を予約するんならアプリの機能で用意されていて、操作すればいま流れている曲の次にそれを(アルバムを超えてでも)再生してくれるんですが、アルバム単位でそれができないんですよね。ぼくはアルバム主義人間。

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一度Spotifyのオフシャル・サポートに問い合わせもしてみましたが、今後の検討課題とさせていただきますとのご回答。しかしアルバム単位で次にどれを聴くかっていうのはぼくみたいな人間には必須なこと。サービス内でそれができず、ほかのテキスト・アプリでメモなりしておかなくちゃいけないっていうのはやっぱりちょっとね。

 

フィジカル時代だと次に聴きたいレコードやCDを並べて置いておくことでこれが実現できていました。そうしたやりかたは、実をいうといまから約40年前の大学生のころにジャズ喫茶で見て、覚えて真似していたものです。

 

それをずっと長年、2019年夏ごろにサブスクのみ人間に変貌するまで続けていました。同じことができないか、CDをいくつも並べておくようにSpotifyで次に聴きたいアルバムを五作でも十作でも準備しておくことができないかと、ずいぶん悩みました。

 

なぜこうしたことが必要かというと、思いついた瞬時にやっておかないと、どんどん忘れてしまうからでもあります。加齢で記憶力は低下の一途をたどり、いまや三秒前の思いつきだって「なんだったっけ?」になる始末。

 

レコードやCDを棚から取りだして部屋のプレイヤーそばに見えるように置いておけばこうしたことは防げますし、記憶力の落ちていない年齢だって枚数が多くなれば憶えておけませんし、なにより次になにを聴いたらいいか迷ったり悩んだりさがしたりせずにすんで、ディスク・チェンジの際の無音の時間を無為に過ごすこともなくなります。

 

こうしたことがサブスク・サービスでもできなくちゃ意味ないので、ぼくみたいに自宅ジャズ喫茶さながら一日中音楽を楽しんでいる人間にとっては。アプリ内では不可能と知り、ずっとテキスト・メモをしていました。それでべつに不便も不満もなかったんですけど、アプリ見ながら別なアプリで検索するというのだけがちょっと手間でですね(ものぐさ)。

 

そんなことであれこれ試してたどりついたのが『Play Next』(名前はなんでも)と名付けた一個のプレイリストに、あっこれあとで聴きたいなっと思いついたアルバムを見つけた瞬間に放り込んでおくというやりかた。次々と追加し、聴き終わったアルバムはデリートします(そうしないと長大になりすぎて、今度はスクロールの手間がかかるようになる)。

 

現状、これ以外に方法がないように思うんですけど、音楽サブスク・ユーザーでもっといいやりかたをご存知のかたがいらっしゃれば、ぜひ教えてください。

 

(written 2022.9.15)

2022/09/16

もはやフュージョン・バンドではない 〜 イエロージャケッツ

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(3 min read)

 

Yellowjackets / Parallel Motion
https://open.spotify.com/album/2QWh0FN4WfVTaYC5fwiI4I?si=Ra0XBBzPSm6MgnxD0sXGsQ

 

アメリカ西海岸のあまりにも典型的なフュージョン・バンドだったイエロージャケッツ(1981〜)。いまだそのころのイメージのまま認識をアップデートできていないリスナーもいらっしゃるように散見しますが、実をいうとこのバンド、もはやそうではありません。

 

現在のイエロージャケッツを聴けば、フュージョン・バンドの面影なんかどこにもなく、はっきりいってゼロで、完璧なるコンテンポラリーなストレート・ジャズ・バンドへと変貌しているのがわかるはず。1990年にボブ・ミンツァーが加入して舵を切ったよう。

 

ご存知のようにぼくはフュージョン好きなので、80年代のイエロージャケッツもお気に入りでした。知ったのは人気絶頂だった1984年の渡辺貞夫さんが全国ツアーのバック・バンドとして起用したことで。バンド結成のきっかけだったロベン・フォード(g)もいっしょでした、あのときは。

 

あのころと比較すれば、中心人物のラッセル・フェランテ(key)だけを軸に、ほかは全員メンバーが代わったイエロージャケッツ。現在四人編成で(キーボード、サックス、ベース、ドラムス)、結成から数えると40年を超えたという超長寿バンドとして現役活動中なんですね。

 

以前このブログでも前作の『ジャケッツ XL』(2020)をとりあげて書いたことがありました。ドイツのWDRビッグ・バンドとの共演で、アクースティック&重量感のある現代的なストレート・ジャズを展開した立派な内容で、とても感服したのをよく憶えています。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2021/09/post-8b28b2.html

 

今作はカルテット編成のみで演奏するというバンドの原点に立ち返り、ポップな音楽性という柱は40年経っても変わらず維持しながら、やはりコンテンポラリーなジャズ・サウンドを聴かせてくれていて、これもなかなか充実した内容です。四人だけでやるのはデーン・アルダースン(b) が加入した2016年の『Cohearence』以来。

 

一曲だけ、歌手のジーン・ベイラーをフィーチャーした8「イフ・ユー・ビリーヴ」があるにはあります。アーシーなゴスペル・フィールをも感じさせるヴォーカルで、曲はフェランテのオリジナル。歌にオブリでからむミンツァーのサックスも聴かせますね。

 

ストレートなコンテンポラリー・ジャズといっても、イエロージャケッツがやっているのはフュージョンを一度フルに通過したからこそ到達しえた境地で、聴きやすさ、ぼんやりしているとなんでもないような音楽と思えてしまうような明快なグルーヴとノリのよさ、適度な電子楽器の使用法など、80年代フュージョンのエッセンスが現代ジャズとして昇華されているのを感じとることができます。

 

(written 2022.9.15)

2022/09/15

新しさという強迫観念 〜 ブライアン・シャレット

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(5 min read)

 

Brian Charette / Jackpot
https://open.spotify.com/album/53bpqU3b1AjAtwXvrxOE5P?si=wH2g_SqkQmiOvqGXoAd1KA

 

萩原健太さんのブログで教えてもらいました。
https://kenta45rpm.com/2022/09/06/jackpot-brian-charette/

 

ジャズ・オルガン奏者、ブライアン・シャレットの新作『ジャックポット』(2022)をとりあげた上のエントリーにいいことが書いてあって、全力で首を縦にふってうなづきました。端的にいえば、古い音楽も新しい音楽も等価値にすばらしいという点。

 

健太さんのお書きになっていることがほんとうにそのとおりなので、一部ちょっと引用させてください。

 

~~~
まあ、今さらここに何か新しいものがあるわけではないのも事実だけれど、“新時代の空気感を、新たなグルーヴを…”みたいな曖昧な強迫観念の下、やみくもにジャンルを超えて混沌へと身を投じる系でないと評価されにくい昨今のジャズ・シーンにあって、こういう往年のフォーマットに最大限のリスペクトを払った、ある種まっすぐな新作に出くわすと、お古いファンとしてもうれしくなってしまう。

ジャズに限らず、新しさを模索する動きと過去をリスペクトする動きと。どっちも等価値にかっこいい。両輪で歩んでもらわないと、ね。
~~~

 

ブライアン・シャレットの新作をレヴューする格好をとりつつ、健太さんがいちばんおっしゃりたかったことはここにあった、これこそこのエントリーの主眼だったことはあきらかでしょう。

 

そしてぼくもまったくこれが言えると思っていますね、常日頃から。ブライアン・シャレットの今年の新作『ジャックポット』も特にどこがどうということのない従来的なオルガン・ジャズで、1960年前後あたりにたくさんあったああいった路線をそのまま継承しているものです。

 

曲だってすべてブライアンが今作のために書いたオリジナルだとはいえ、どこが「新」曲??と言われるであろう伝統的にスウィンギーでソウルフルでジューシーなハード・バップ・チューンばかり。それをオルガン、サックス、ギター、ドラムスというスタンダードな編成でひねりなくストレートにやっています。

 

1960年前後ごろのオルガン・ジャズ・スタイルだからといって、今作はレトロとかイミテイションとかいうものじゃないと思うんですよね。あのころのああいったジャズはいまだ生き続けている現役の価値観で、2022年にでも意味のある楽しくワクワクできる音楽じゃないかということです。

 

古いからいいとか新しさにこそ価値があるとか、そういう二律背反的な発想じゃなく、そもそもつながっているんだし、ぼくら一般リスナーはどれも同じように並べて聴いていけばいいと思いますし、自分にとって楽しい美しいと思えるものを、スタイルの新旧関係なく忌憚なしに選んでいけばいいと、いつも考えているんですよね。

 

でもでも、いま2010年代以後は、なんだか(特にジャズの世界では)新世代感がないとつまんない、評価できない、古いものなんか…っていうような価値観・評価軸が支配的であるようにぼくにもみえていて、いっぽうでこうしたブライアン・シャレットの新作みたいなのだってどんどん発売されているぞという事実は決して無視してほしくないんです。

 

新しいものが好きで心から共感できるならそれでいいし、古い従来的なものが好きならそれもまた等しくよしで、ひとのことはほうっておけばいい。それをなんだか「新しくなくっちゃ!」っていう強迫観念で躍起になって追いかけているのは、もしも本心じゃなかったら、人気評論家とかに影響されて…、そんな空気で、いま流行りだから…とかっていうんならどうなのか?と、ここ10年ほどずっと感じています。

 

自分の耳で聴きましょうよ。それで自分にとってほんとうに心地いい心底いいと思えるものを、他人の言うことや、あるのかないのかあいまいな時代の空気に左右されず選んでいきたいと、ぼくはそういう態度でやっていきたいと思います。趣味なんだし、自分の人生なんですから。

 

(written 2022.9.7)

2022/09/14

凜とした田中美久のポートレートを見るのが好き

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(2 min read)

 

https://twitter.com/miku_monmon3939

 

(写真四枚は本人のTwitterから勝手に拝借しました)

 

ついこないだ21歳になった田中美久(たなかみく、HKT48)の写真をながめるのが好き。いつごろからかみくのTwitterとInstagramをフォローするようになり、どんどん上がる写真をながめているだけでいい気分なんです。

 

記憶をたぐると、ぼくがみくに興味を持ったのは、なにかの配信番組(SHOWROOMだったっけ?)で韓国差別発言を向けてしまったファンに対し毅然とした態度をとったとひとづてに知ったからじゃなかったかと思います、たぶん。数年前のこと。

 

そのときかなりしっかりした対応をしたらしく、気概のあるひとなんだと感心して、わさみんきっかけでAKB系のガール・グループに興味をすこし向けるようになっていたぼくは、正直言ってちょっと惚れちゃったというか、日本の芸能人、特に若い女性タレントはその手の話題でお茶を濁すことも多いだけにですね。

 

それでみくのソーシャル・メディア(Twitterは2017年開始となっているので、早くともそれ以後)をフォローするようになってみると、どんどん上がるポートレイトの、媚のない凜とした顔つきに惹きつけられるようになったんです。こっち向いてなんだかほしそうにしている表情のときもあるんですが、キリッとひきしまった目つきのときがぼくはとても好き。

 

そう、そういう表情のときのみくは、いい。なにか、いいんです。現役HKT48在籍中ガールで、グループでの活動のことはなにも知らないんですけど、実は。博多に住むか出かけていくかじゃないとわかりにくいのかもしれないし、とりあえずいまはTwitter(とInstagram)の公式アカウントにあがるポートレートをながめて、ものによりけりではあるけれど、ときおりすごくいいなぁと強い魅力を感じたりしているだけ。それだけでいい気分。

 

よくわからないけれど、なにか惹き込むパワーを持っている存在だなと思っています、田中美久って。

 

(written 2022.9.8)

2022/09/13

ギリシアン晩夏 〜 オレスティス・コレトス

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(2 min read)

 

Orestis Koletsos / Me Plimmirizei Fos
https://open.spotify.com/album/6Rjk5iXyD1mx4nTjmmjUCD?si=3f8dClWdTZqE3t6ND0Z11Q

 

その後もときどき思い出して聴いているギリシアのブズーキ奏者、オレスティス・コレトスの『Me Plimmirizei Fos』(2013)。このころまだサブスク・サービスはなかったし、ぼくも14年にエル・スールでCD買いました。ブログで一度書いたのは16年のこと。

 

季節に応じ表情を変える深い音楽で、冬には冬向けのいい感じになってくれるし、ちょうどいまの晩夏時期にもぴったりくるフィーリングをかもしだすので、このところまたくりかえしかけていたっていうわけ。ちょっと思い出して手短にメモしておこうかな。

 

このちょっとうらぶれた感、翳りでもって、終わりゆく夏を惜しむ寂寥がよく味わえるアルバムで、特に1、3、4、5、7、8、10曲目あたりかな、暗めで哀しげな地中海世界の退廃みたいなフィーリング、元気だった夏が去りかけて夕陽が傾いてきたような、そんな世界観に聴こえなくもありません。

 

アクースティク・ギター&ブズーキの音色と参加歌手(オレスティス自身も二曲歌う)の声が、そんな哀感を増強しているように思うんですよね。ラテン・テイストも加味された曲のメロディ・ラインがそもそもそんな動きで、最盛期は古代だから国家として日が傾いて長いギリシア独特のメランコリアみたいなものが、知らず知らずと音楽にもこうして表出されるのかも。

 

特にアルバム終盤二曲ではオレスティスがブズーキ演奏のみごとな腕前を披露しているような部分もあったりもします。哀感強めといっても、全体的に重くもしつこくもなく、不思議にさっぱりした聴後感を残すさわやかな風味もあるアルバムで、いまは晩夏だからこんなふうに聴こえますけど、秋には秋、新緑の春にはこれまたふさわしく鳴る音楽。だれもそんなこと言わないけどひそかな傑作かもしれませんよ。

 

(written 2022.9.10)

2022/09/12

ロー・ファイ・ジブリ

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(4 min read)

 

Grey October Sound / Lo-Fi Ghibli
https://open.spotify.com/album/6BmFgD4QupE7wELjNyj6dw?si=Gudr7mUDRy-eRaNlDC-tNQ

 

ジブリ映画を一つも観たことがありませんが、それはなんとなくその〜、なんというかまぁ〜、いや、やめときます、べつにアニメ嫌いとかじゃないし。とにかく音楽狂としてはちょっと関心を持つアルバムが出ました。グレイ・オクトーバー・サウンドの手がけた『ロー・ファイ・ジブリ』(2022)。

 

P-ヴァインからのリリースなので、このレーベルのTwitterをフォローしているぼくは流れで自然と知ることになりました。ジブリ・ナンバーをロー・ファイ・ヒップホップのアレンジでやってみたというもので、ぼくみたいにジブリ映画に関心はないけどロー・ファイの愛好家、っていうんであれば心地よく聴けると思います。

 

つまりロー・ファイでやったジブリ・カヴァー集というわけで、ジブリ・ファン、音楽愛好家のどっちも楽しめるアルバム。ジブリにもロー・ファイにも興味なしという層には届きにくいかもしれませんが、でもレコードも出るらしいし、そういうのってロー・ファイの世界じゃめずらしいんですよ。

 

それにしても映画本編をどれも観たことないのに、かけてみればなぜかメロディだけは聴き憶えがあるっていうものがまじっていて、なんでしょうね、このジブリの浸透具合。ロー・ファイ・アレンジで、コンピューターでつくったあえて無機質なビートを足すことで、印象的なメロディ・ラインをいっそうきわだたせる結果をももたらしているようにも聴こえます。

 

ロー・ファイって曲のタイプとか調子にバリエイションがあるわけじゃなく、ほぼおんなじような感じがずっと続くし、そもそもがそんな正面から向き合って聴き込むという音楽でもなく、なにかのついでに背景でなんとなく鳴らしておけば、ジャマにならず集中力が増すしで、つまりBGMなんですよ。

 

だからそういうのは音楽に求めていないっていう向きはどうぞ無視してください。今作のジャケット・デザインでもわかるし、いままでロー・ファイについて書いてきたすべての記事でも言及していますが、勉強したりなにかの作業をするときのながら聴きにピッタリで、音楽流せば効率あがるという調査データもありますし。

 

いまどき打ち込みビートは生演奏打楽器ともはやそう違わない、ぼんやり聴いていれば区別できないかもといった程度にまで技術進展していますが一般的には。そんななかロー・ファイはそこをあえてデジタルくさいツクリモノ感を強調している音楽で、そこがですね、ぼくみたいな(スライのビート・ボックス以来ずっとむかしからの)マシン・ビート偏愛者にはかえってツボをおしてくるところなんですね。

 

あくまでビートが主役の分野なんで、通常だったら大きめの音でぽんと前へ出るようにミックスされるメロディ担当の上物(ピアノとかギターとか)のぽうがむしろバック。お聴きになればおわかりのように『ロー・ファイ・ジブリ』でもそういったミキシングになっていますよね。

 

ヘッドフォンやイヤフォンで聴いたときにちょうどいい感じだっていうのもロー・ファイの特色で、音楽を楽しむ出力装置としてそういうのを使う若年世代用の音楽だっていうことなんですね。そんなにマジに音楽に向き合うというより、耳さびしいからカフェや自室など日常でなんとなく流しておきたい、でもひっかかって意識せざるをえないようなものはちょっと…っていう、そうしたみんなのための新ジャンルがロー・ファイ。

 

(written 2022.9.9)

2022/09/11

泣いた六月(第二腰椎圧迫骨折で)

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(6 min read)

 

写真にある上から二番目の台形にひしゃげたやつが圧迫骨折した第二腰椎。こうなったのは2022年6月1日夕方の交通事故で四輪自動車にはねられたから。交通量が多く信号のない交差点でのまったくの出会い頭で、原付バイクのぼくもあまり注意せずうっかり進もうとしてしまいました。

 

それが本日9月9日の整形外科診察で、ようやくもうだいじょうぶだということになり、個人的な実感としても痛みとかほぼなにもなくなっていて、事故以前と同じように動けるようになってきているというのが間違いなく、鎮痛剤もコルセットも必要なくなったこのあたりで、泣いた六月来のことを個人メモとして記しておきたいと思います。

 

受傷直後〜二週間程度はほんとうにつらくて、毎日泣き暮らしていました。腰椎の骨折ってこんなにも痛いものなのか、腎臓結石が人類最大の痛みっていうけれどそれ以上じゃないのか?とビックリしましたが、なにしろ初体験でしたからね。60年の人生で感じた最大の痛みだったとして過言ではありません。

 

困ったのは、なにしてもどう動いてもめっちゃ痛いこと。鈍い痛みではなく、鋭利なもので思い切り突き刺すような鋭く激しい痛みが、腰というより体のその前側、股間のあたりにあって、もうなんにもできないじゃないかというつらさがありました。一人暮らしで、ヘルプに来てくださるかたもいないので、すべて自分でやらなくちゃいけないのにこりゃムリだろうっていう痛み。

 

でも食料品は買いにいってごはんをつくらないといけないし、糖尿病や心療内科のクリニックにも行かなくちゃ。お洗濯もするし、歯を磨いて顔洗って、夜は(湯船は救急で運ばれた松山市民病院の医師におぼれるからと当面禁止を告げられた)シャワーくらい浴びたいし、だけどそんな一日のもろもろすべてに強い痛みが常時ともなうわけです。トイレで排便後に拭くのだって痛かったし、そもそも排便じたいが痛い。

 

とにかくですね、すわることも起きることもできないんですから、動作時に痛すぎて。苦労していったんすわったらもう起きられないし、立ち上がったら二度とすわれない。だから同一姿勢保持。朝、目が覚めてもベッドから出るのにゆっくりゆっくり五分くらいかかっちゃうんです。パンツ一枚脱ぎ着するのに苦労する始末。

 

セレコキシブという鎮痛剤が処方されていましたが、当初は飲めども効いたという実感がゼロで、そのあいだはホントしんどかった。6月5日夜の服用後にようやく「あっ、なんかちょっと痛みが軽いぞ」となって、その後はセレコキシブを飲めば作用時間中はなんとか部屋のなかで(痛いながらも)動くことが可能となりました。

 

受傷翌日に行った地元の整形外科で、専用にあつらえたカスタム・コルセットを作りましょうとなり、業者に来ていただいて採寸し作りました。しかしこれ、プラスティックでできた硬質コルセットなんですね。いちばん暑くなる時期にさすがにしんどかったですが。

 

でも腰椎骨折はコルセットで固めておかないと、油断して骨が曲がってくっつくと神経に触り下半身がしびれたりしてとてもヤバいからっていうんで、じっとり汗をかきながらのコルセット着用でした、七月・八月は。外すのはトイレとお風呂のみ。

 

整形外科医の言う「骨癒合までの目安は三ヶ月」ということばを信じて、はじめは三ヶ月もこのままが続くのか…とうんざり気分でしたが、それでもなんとか。ちょうど梅雨明け宣言が四国地方にも出た6月28日に、ぱっと劇的に痛みが軽くなったという感触があって、気温や湿度も関係あるんですかね。

 

その後しかし動きが蓄積すると強く痛みはじめるのでなるべく部屋のなかでおとなしく(以前のようなウォーキングはできない)して、骨が折れてなくてもだいたいがふだんからじっとすわって音楽聴きながら文章書いているだけの人間ですからぁ、生活そのものに特に変化はなく、ただただこの痛みと動きの不自由さだけはやく解決してほしかった。

 

三ヶ月との医師の診たてどおり八月末か九月頭ごろに、あれっもうこれ鎮痛剤飲んでも飲まなくても同じだ、痛まないじゃないか、どんどん動きがたまっても腰がダル重くなる感覚も弱くなってきているし、コルセット外して動いたって着用時と同じだぞっていうふうになってきて、もはやいいんじゃないかと思うようになってきましたね。

 

それで自己判断でコルセット外している時間帯を増やし、鎮痛剤(は6/1からず〜っと一日二回欠かさず飲んでいたわけですが、三ヶ月間)も飲んだり飲まなかったりになって、だから骨折はこれといった治療もべつになくて放っておくしかない怪我なんで、日にち薬ともいうように、もうだいじょうぶになったと思いますね、やった。

 

(written 2022.9.9)

2022/09/10

クラプトン『24 ナイツ』がわりと好き

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(4 min read)

 

Eric Clapton / 24 Nights
https://open.spotify.com/album/6buXSkzKCNuC3ieAjYsmDk?si=AG7S-czSTXC-UPQvSaMiEA

 

それにしてもエリック・クラプトンって、そのファンであることがちょっと気恥ずかしいような存在だということなのか、多くのみなさんが遠慮しながら自嘲気味に発言しています。ぼくにはもうそんな若々しい気分なんてないので、いいものはいいと素直に言いたいです。それが歳を重ねたということ。こんなこと言っていいだろうか?笑われない?って思わなくなりました。

 

それで、全肯定の熱心なファンを除けば一般にはクラプトンって1980年代なかごろまでだった音楽家という見かたが支配的で、ぼくも同意見ではありますが、それ以後の作品にだって好きなものはちょこちょこあります。その一つが1991年発売の『24 ナイツ』。CDだと二枚組でした。

 

このライヴ・アルバムがなんであるか、ロイヤル・アルバート・ホールでの連続公演のこととか、四部構成でそれぞれテーマがあってバンド編成ががらりと違うとか、調べればくわしい解説が出ますので、どうぞ検索なさってください。該当Wikipediaを読むだけでもおっけ〜と思います。

 

個人的に好きなのはディスク1の2パート。1〜4曲目が1960年代のクリーム・ナンバーを中心に4ピース・バンドでの再演。5〜8がブルーズ・サイドで黒人ブルーズ・ミュージシャンを従えてのカヴァー集。これらがぼくには心地いいんですね。

 

こういうと、60年代からロックやクラプトンを聴いてきている筋金入りのみなさんには、アンタ気は確かか?と思われそう。だけど、個人的な嗜好のことにはだれも注文つけられませんから。それを隠さず正直に堂々と言える年齢になってきましたので。

 

1〜4曲目(2は新曲)なんて、クリームのオリジナル・ヴァージョンよりずっと好き!(えっ?)って思えるくらいですから。特に「バッジ」と「ホワイト・ルーム」。90年代にもなってなんでそんなのやってんの?懐メロかよ!と悪口も言われたでしょうが、バンド演奏のキレとビート感がオリジナルよりずっと好き。ぼくは。

 

ドラマーはスティーヴ・フェローンで、ずいぶんシャープなドラミングをするので、大好きなんです。そのほか三名、合計たったの四人でやっているのに不足ないゴージャスなサウンドに聴こえるし、ライヴ演奏にしてはスキがないし、クラプトンのギター演奏だっていつもに増してきわだっています。

 

5曲目以後のブルーズ・サイドでぼくがいつもじっくり聴いてしまうのは6「ハヴ・ユー・エヴァー・ラヴド・ア・ウーマン」。クラプトンにとっては60年代から数えられないほどくりかえしやってきた最頻演得意曲で、そのあまりに手慣れた感ゆえ、ここでは悪くいえばクリシェだらけのつまらない演奏に堕しているとも聴こえます。

 

ギターの音色づくりにしたっていかにもだし、フレイジングも手癖だらけのオン・パレード、妙にこぎれいな清潔感ただようとても流暢ないっちょあがり的演奏、こんなの「ブルーズ」じゃないよというのが一般のブルーズ/ブルーズ・ロック愛好家の意見でしょう。ぼくもおっしゃるとおりと思うんですけども。

 

それでもなにかの心地よさ、聴きやすさがこの「ハヴ・ユー・エヴァー・ラヴド・ア・ウーマン」にはあります。非ブルーズに落ちることの危険性ととなりあわせになった平坦なおだやかさ、エモーションがほとばしらずこぼれおちたりなどいっさいしないありきたりの日常性が、ニセモノ・ブルーズであるとはうすうす感じながらもの愛好感にぼくのなかではつながっているんです。むかしから。

 

(written 2022.9.4)

2022/09/09

ぼくの失敗談(其の一)〜 クラプトンのアーミング(えっ?)篇

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(3 min read)

 

ただの昔話です。

 

1995年にパソコン買ってネットをはじめて以後現在までが音楽について毎日たくさんおしゃべりするようになった時代ですが、あのころもいまもたくさんの失敗をおかし、ウソ、でたらめ、いいかげんを言い続けているぼく。たんなる無知、勘違いが原因です。

 

古いことは時間が経過して周囲はひょっとして忘れ、張本人のぼくのなかでも笑い話、スウィートなメモリーへと蒸化されてきているので、憶えているものは思い出としてときおりつづっておきたいと思います。過去をふりかえってなつかしむ、そういう歳です。

 

なかでも最大のものの一つが1995〜98年ごろのどこかの時期にあった失敗談で、エリック・クラプトンは自身のストラトキャスターでアーミングをすることもある、と発言した件。ネット会議室中が大騒ぎになりましたよねえ、そりゃあ(苦笑)。

 

ご存知ないかたのために事実から先に言えば、クラプトンはまったくアームなど使いません。そもそも愛用のストラトからアームを取り外しちゃっているギターリストですから。真似して(フェンダー・ジャパンの)ストラトをお茶の水で買ったぼくだって同じようにしていたというのに。

 

あのときは、だからなにを血迷ったのでしょう。CDでクラプトンのどれかを聴いていて、あっここはにょ〜んとスムースに音程が下がっているじゃないか、アーミングだろうと思ったんでしょうか。上がるほうだったらお得意のチョーキングだねと判断したでしょうけど、下がりましたから、っていうのがでも聴き間違いだったのかも。

 

とにかくクラプトンがアームを使うとみんなの前で発言したことで、もちろん一斉にツッコまれました。ロック・ギターにくわしいにもかかわらずなにも言わなかった仲間もいて、そりゃあれですね、こいつなにも知らんのだなとあきれたということでしょう。「おまえなに言ってんだ!」というような強い語調のかたもいませんでした。

 

みんな物腰やわらかく、ニコニコ笑いながらおだやかにといった表情でそれとなく遠まわしにほのめかすといった程度の指摘で、紳士だったなぁ。ギターリストが多かったんですけどね、あのNifty-Serveのロック・クラシックス会議室(FROCKL〕には。過去にバンド経験があるとか、いまでも友人とのセッションでときおり弾いているといったアマチュア・ギターリストが。

 

90年代のパソコン通信ってそんなのどかな雰囲気に満たされていて、それでもぼくが入るずっと前からやっていたるーべん(佐野ひろし)さんに言わせれば「むかしはのどかでよかった」ということになるんだそうで、ぼくだけひとりムキになって殺気立っていたのかもしれませんね。当時のだれとも交流がなくなりました。みんな元気かなあ。

 

(written 2022.8.30)

2022/09/08

アーシーさもおだやかなオルガン・ジャズ 〜 フレディ・ローチ

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(3 min read)

 

Freddie Roach / Down To Earth
https://open.spotify.com/album/59vNvpgA2YQr4AC5ValpHV?si=J-M3Wd91SXOibPPluU9l5Q

 

ジャズ・オルガン奏者のアルバムで、1962年のブルー・ノートもの、とくれば、もう中身を聴かなくたってだいたいどんなものか想像できようというもの?。フレディ・ローチという名前は知りませんでしたが、やはり内容はそのまんまというに近かった?『ダウン・トゥ・アース』。このアルバム題だってねえ?。

 

フレディのデビュー・アルバムで、編成はオルガン、テナー・サックス、ギター、ドラムスのカルテット。ケニー・バレルだけは有名人でしょう。3曲目「Lujan」(ヘンリー・マンシーニ)以外すべてボスの自作なんですけど、どうってことないブルーズ・リフばかり。

 

おなじみ路線であるということを言いましたが、本作はそれでもクールでおだやか。62年のブルー・ノート・オルガン・ジャズにしてはコテコテというより洗練された味が強いといえるかもしれません。くっさぁ〜いアーシーなフィーリングがさほど濃厚じゃないのが2020年代にはコンテンポラリーに響くかも。

 

いちばんのうまあじは、やはりケニー・バレルのギターだと思います。このひとが参加しているというだけで本作の値打ちは上昇。ブルージーでありながら都会の夜を思わせる洗練されたおしゃれなテイストを持ちあわせているギターリストであることが、このアルバムの方向性を決定づけているんじゃないでしょうか。

 

フレディ・ローチのオルガンだってさほどホットじゃなく、ジミー・スミス、ブラザー・ジャック・マクダフあたりと比較すればややおとなしい弾きかた。ねちっこくグリグリ責め立てるといった中年オヤジ的いやらしさ、しつこさはなく、さっぱりした淡白な味がします。

 

ですから、『ダウン・トゥ・アース』なんていうタイトル(の曲はないのに)を考案したのはもちろんアルフレッド・ライオンでしょうし、この社長はそうしたテイストが大好きでどんどんやらせたのではありますが、意に反し?コテコテには仕上がらなかった、つまりだからおなじみ路線でもないし「中身を聴かなくたって判断できる」というようなものではないのかもしれません。

 

リスナーによっては肩透かしをくらったという気分になるかもしれず、そんなわけでなのか、本作も当オルガン奏者もすっかり知られていないまま埋もれて21世紀になってしまったのかもしれませんね。そんな hidden gem でもブルー・ノートものであればサブスクには載りますから、ぼくみたいにいつどのタイミングでひょっこり出会うかわかりません。

 

(written 2022.8.29)

2022/09/07

60代になってできるようになったこと

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(1 min read)

 

・ひとそれぞれの人生があって、感じかた、考えかた、行動などみんな違う。だからあれこれ言わず、ほっとこう

・だれにも近づかない、距離を常に保つ

・それでも言いたいことはちゃんと言う(自分の場で)

・熱心で懸命なのをバカにしたり笑ったりしない

・長い目でみればだいたいの違和感は一時的なものにすぎず、しばらく経てばふだんどおりの日常にもどる

・感情の起伏が平坦になって、落ち着いてきた。あれこれ動じない

・願望はだいたい叶わない

・理解してほしい認めてほしい見てほしいというのは放棄した

・どう思われても、なにを言われても、気にしない

・自分の都合を優先する

・苦労も努力も我慢もしない

・好きなこと、やりたいことだけをやる

・それものんびりゆっくりやる

・楽しく静かに生きていたい

・急くのがきらい、余裕をもって行動する

・うまくいかないときは、ちょっとあいだをおく

・イヤなこと、つらいことからはできるだけ逃げる、忘れる

・こだわらない執着しない、あっさりあきらめる、こっちがダメならあっちがあるさ

・まぁそんな日もあるよねっていう考えをいつも持っておく

・生きてりゃいろいろとつらいこともあるさ

・幸せ不幸せあわせて人生だ

・気にやむだけならムダなので、さっさと寝よう

・お金の心配はしなくていい

・なんだかんだで人生なんとかなる、だいじょうぶ

・音楽と結婚した

・貧乏人だけど、どんなときも気高さを失わないように

 

(written 2022.9.4 〜 9.5)

2022/09/06

仄暗くひそやかに 〜 レイヴェイ

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(3 min read)

 

Laufey / Everything I Know About Love
https://open.spotify.com/album/3t4SFDwWJlt7A3RQS2YT1c?si=L5KGDeNdRtWOal3PCWhOqQ

 

お気に入りシンガー・ソングライター、レイヴェイ(アイスランド出身在USA)。以前のアナウンスどおり最初のフル・アルバム『エヴリシング・アイ・ノウ・アバウト・ラヴ』(2022)が出ています。先行EPの段階で言いたいことは書いたのでもうなにもないかと思いましたが、聴いていたらやっぱちょっと手短にメモしておきたくなりました。

 

7曲目でフランク・レッサーの「アイヴ・ネヴァー・ビーン・イン・ラヴ・ビフォー」をカヴァーしていますが、それ以外はすべて自作か共作。グレイト・アメリカン・ソングブック系のクラシカルでドリーミーなポップ・ソングを書くレイヴェイの能力は天才的で、そういったところにもぼくはすっかり惚れちゃっています。

 

あちこち見ていると本人には欲みたいなものがないように思え、ただひたすら自分の好きな世界を自分好みにつづっているだけだっていう、そんな個人的でプライベイトな日常感覚をたたえているのも特色。(まるで十人並みみたいに一瞬思えてしまう)身近でインティミットなフィーリングでつらぬかれていますよね。

 

ちょっと前まで(いまでも?)ティン・パン・アリーなスタンダード、っぽい曲は大編成オーケストラを伴奏につけることも多かったと思うんですが、そうした野外とか大ホールを思わせるムードから、こじんまりしたサロン・ミュージックへと趣向をチェンジしているのもレイヴェイ的っていうか、これは現代の若手の多くに共通しているトレンドですけど。

 

低音域を中心に落ち着いて仄暗くややハスキーに歌うレイヴェイのヴォーカル・スタイルだって、ちょっぴりチェット・ベイカーを思わせる退廃感もあって、あ、8曲目のタイトルが「ジャスト・ライク・チェット」ですが、そういえばInstagramではチェット・ベイカー(その他)の作品にときおり言及しているのでした。

 

あきらかにあのへんがレイヴェイの音楽的インスピレイション源に違いありません。本作では広がりと密室性を同時に香らせている音響もすばらしく、この歌手を聴いているとまるでぼくのためだけに歌ってくれているんじゃないかというひそやかな夢見心地に落ちて、気持ちいいんですよね。

 

(written 2022.8.31)

2022/09/05

個人的クールの誕生 〜 マイルズ関係の趣味も変わってきた

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(6 min read)

 

最近音楽の趣味がおだやか系に変化してきたというのはくどいほどくりかえしていますが、最愛好ミュージシャンのマイルズ・デイヴィス関係でもそれがはっきり反映されています。

 

しばらく前まではどっちかというと荒々しくごりごりハードでノリのいいファンク路線が好きだったんですけど、つまり『ビッチズ・ブルー』『オン・ザ・コーナー』『アガルタ』(その他70年代中期のライヴ作品)など。そのへんをめったに聴かなくなりました。あんなにも好きだったのに。

 

聴けば聴いたで、こういうのもやっぱりいいな〜とは思うんですけど、そもそも聴く気にあんまりなんないっていうか、ちょっとかけてみては、アッこういう気分じゃないよねいまのぼくは…ってなることが多いです。

 

入れ替わりに、傑作とは思うもののそんなに大好きというほどでもなかったかもしれないアルバムをどんどん聴くようになっていて、もちろんなかにはずっとフェイバリットだったものもあるんですが、『クールの誕生』『マイルズ・アヘッド』(の特にA面)『カインド・オヴ・ブルー』とかが最近のローテイションです。

 

『イン・ア・サイレント・ウェイ』もそうかな。それらいずれもいままでだって大好きだったんですけど、相対的にごりごりなハード・ファンク期のほうを聴くことが多かったので、比べればやや影が薄くなっていました。

 

これらのアルバム群は、マイルズのクールでおだやかな傾向を代表するもので、いっぽうにハードでワイルドな路線も、特に1969〜75年の電化ファンク時代にはあったんですけど、考えてみればこの音楽家はそもそも静かで淡々としたクールな音楽のほうに本領を発揮したというのがキャリア・トータルでみればよくわかるし、そういう資質の持ち主だったんだと思います。

 

いままではそれをあまり考慮せず、まあ無視して、69〜75年の電化ファンク時代がいいんだぞと自分に言い聞かせるようにしていて、一種のこだわりだったというか、そのへんがマイルズの生涯でも特にクレイジーだった時期なのは間違いないことで、ロック/ファンク方面にもファンを拡大していましたし。

 

つまり、こっちが歳とって嗜好が変化したというだけの話。どのへんがマイルズという音楽家最大の成果だったか、どうやって時代をリードしてきたか、名作とはなにか、なんていう部分に興味がなくなって、なくなったわけじゃないけどさんざん聴いてきたので、いまはもうただひたすら自分にとって快適な音楽だけを選んでいきたいという気分になってきたわけです。

 

それで残ったのが上であげた『クールの誕生』『マイルズ・アヘッド』『カインド・オヴ・ブルー』『イン・ア・サイレント・ウェイ』とかそのへん。快適にスウィング、というかグルーヴするナンバーもあるもの、それらだって決して激しくないし、全体的には落ち着いたおだやかさ、まろやかさ、平坦さ、要するに抑制された美を実現しているのがとってもグッド。

 

そして(いままでなんども書いてきたことですが)マイルズはもとからこんな方向性のアマチュア・トランペッターだったのにチャーリー・パーカーなんかのコンボでデビューしちまって、苛烈を極めるビ・バップ・ムーヴメントのどまんなかでプロ演奏活動を開始してしまったというのが、独立後の方向性を反動的にしたという面も確実にあると思います。

 

パーカーはといえばマイルズのおだやか系資質をうまく利用していて、自分のサックス・サウンドと並べたときにいい感じのコントラストを生むので音楽全体でバランスがとれてよいと考えていたでしょう。自分のバンドを持つようになってからのマイルズがハードな吹きまくり系サックス奏者をサイドに置くことが多かったのも、こうしたバード経験から得た知恵に違いありません。

 

さて、たとえば『クールの誕生』の「ムーン・ドリームズ」とか、スローじゃないけどバリトン・サックスと低音ブラスの合奏がなんともいえず心地いいおだやかサロン・スウィングに聴こえる「ガッドチャイルド」「バプリシティ」などや。

 

『マイルズ・アヘッド』の「カディスの乙女」「マイ・シップ」といった、空の雲がゆっくり流れてうつろっていくような静かで美しいオーケストラ・サウンドのゆったりとしたただよいとか。『カインド・オヴ・ブルー』の「ブルー・イン・グリーン」「フラメンコ・スケッチズ」などのまるでピアニッシモな静けさとか。

 

『イン・ア・サイレント・ウェイ』のタイトル曲での牧歌的な響きもいいけど、それにサンドウィッチされているファンキー・グルーヴァー「イッツ・アバウト・ザット・タイム」のステディでじっとしている湖面のさざなみをおもわせるたたずまいに石を投げたら波紋がひろがるみたいなふうのエモーションが込められていて、後半一瞬で解放されるところとか。

 

こういった数々の瞬間にいまのぼくは心底快適さを感じ、ほんとにいいなぁ〜って惚れ惚れとため息をつくような感動を、いまさらはじめて発見したかのごとく味わっているんです。

 

(written 2022.8.20)

2022/09/04

こんなにも心地いい音楽だからいつまでも聴いていたい 〜 原田知世『恋愛小説3』

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(6 min read)

 

原田知世 / 恋愛小説3 〜 You & Me
https://open.spotify.com/album/1EZy3C9uNNtucsPLo1lP63?si=HcuMeJt3TKin0xEHd0yI9w

 

原田知世2020年秋のアルバム『恋愛小説3 〜 You & Me』。リリースされたときに聴いて感想をブログにもあげましたが、なんだか最近ふたたびのヘヴィ・ローテイションになっていて、なぜでしょうねえ、<知世+伊藤ゴロー>ブーム再来みたいな部分があるのかなあ、個人的に。今年に入ってから顕著ですよね。

 

あまりにも好きで、これこないだCD買いましたからね。聴くのならサブスクでちっとも困らないのに、これも愛好表現?各曲の演奏者を知りたいということもありました。そういったへん、ユニバーサルの公式サイトがなぜ載せないのか、実はちょっと不思議です。CD買ってよということか。

 

パーソネルや各種録音データなどの情報は、主にサブスクで聴いているファンなら知りたいところ。ゴロー produces 知世のばあい、いつでも演奏がいいし、『恋愛小説3』でもサウンドのオーガニックさがきわだっているので、二年経ってCDを買ったぼくはブックレットを見ながらパーソネルだけ以下に書き写しておきました。どうぞご参考に。ほんとはユニバーサルが公式にやらなきゃ。

 

1)A面で恋をして
・伊藤ゴロー(g、key、prog)
・佐藤浩一(pf)
・鳥越啓介(b)
・みどりん(dms)
・角銅真実(per)
・伊藤彩ストリング・カルテット
・SARA、TAIMACK(back vo)

2)ベジタブル
・大貫妙子(vo)
・伊藤ゴロー(g、key、prog)
・角銅真実(per)
・伊藤彩ストリング・カルテット
・SARA(back vo)

3)小麦色のマーメイド
・伊藤ゴロー(key、prog)
・佐藤浩一(pf)
・鳥越啓介(aco-b)
・みどりん(dms)
・伊藤彩ストリング・カルテット

4)二人の果て
・小山田圭吾(vo)
・伊藤ゴロー(key、prog)
・佐藤浩一(pf)
・鳥越啓介(aco-b)
・みどりん(dms)
・伊藤彩(vi)
・結城貴弘(ce)

5)新しいシャツ
・佐藤浩一(pf)

6)A Doodlin’ Song
・細野晴臣(vo)
・伊藤ゴロー(prog)
・佐藤浩一(pf)
・鳥越啓介(b)
・みどりん(dms)
・角銅真実(per)
・伊藤彩ストリング・カルテット

7)花咲く旅路
・伊藤ゴロー(prog)
・佐藤浩一(pf)
・鳥越啓介(aco-b)

8)ping-pong
・土岐麻子(vo)
・伊藤ゴロー(prog)
・佐藤浩一(pf)
・鳥越啓介(b)
・みどりん(dms)
・角銅真実(per)
・伊藤彩ストリング・カルテット

9)ユー・メイ・ドリーム
・伊藤ゴロー(g、prog)
・佐藤浩一(pf)
・鳥越啓介(b)
・みどりん(dms)
・角銅真実(per)
・藤田淳之介(sax)
・SARA(voice)

10)あなたから遠くへ
・伊藤ゴロー(g、dms)
・佐藤浩一(Fender Rhodes)
・鳥越啓介(b)

 

さてさて、この『恋愛小説3』、聴けば聴くほど沁みてきて、間違いなくこの歌手のカヴァー・ソング集『恋愛小説』シリーズ三作のなかではいちばん好みですし最高傑作でもあると思います。なんでしょう、知世の充実ぶりがいっそうきわだっていると思うんですよね。50歳を超えるか超えないかあたりから、ヴォーカルに落ち着いた丸みのある円熟味が出てくるようになりましたよね。

 

ゴローがつくる熟なサウンドにふわりと乗って、近年のグローバル・ポップス最大のトレンドであるオーガニック&レトロな指向性もはっきりしているし、なんの工夫も装飾もしない頼りないか細く薄い声こそが実はキモで、音楽のおだやかさ平坦さを好い向きに導いているように聴こえます。

 

いま2020年代はこうしたゴロー produces 知世みたいな音楽家にうってつけの時代だといえて、こういったこと、時流にうといぼくでも今年に入る前後ごろからしっかり認識できるようになりました。元日にレトロ・ポップスの記事、二日にオーガニック・サウンドの記事を上げましたが、そのときどちらでも知世に触れたのはそういうことです。

 

年初のあの二本の文章はぼくなりにリキ入れて書いた自信作だったんですけど、書きながらずっとあたまにあったのが知世&ゴローのこうした音世界。『恋愛小説3』だと往年の歌謡曲ヒットをカヴァーしていますから、その意味でもぼくみたいな嗜好の持ち主にはピッタリ来るんです。

 

今回CD付属ブックレットを読み各曲の演奏者もわかったことで、たとえば美しく切なくて泣きそうになる「新しいシャツ」でピアノ一台でのきれいな伴奏を聴かせている佐藤浩一という名前も知りました。目立たない些細な部分でそれでもしっかり効果的にデジタル・プログラミング・サウンドが使われている(のはすべてゴローの担当)のもわかりました。

 

ぼくにとって、結局のところいちヴォーカリストとしての知世そのひとがというのもさることながら、ゴローのサウンド・クリエイションがたまらず好きなのかもしれず、そのなかの最高のワン・ピースとして知世の声がこの上なく効果的にはめ込まれていい感じに響きくるということなんでしょうか。

 

(written 2022.8.26)

2022/09/03

意識的なブルーズの声 〜 シュメキア・コープランド最新作

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(3 min read)

 

Shemekia Copeland / Done Come Too Far
https://open.spotify.com/album/3509A3ATMDnr5hYBji4RcV?si=pZf_nu2eRoegrkH9956ZvQ

 

ブルーズ歌手、シュメキア・コープランド。きのうの文章を書いてしばらく寝かせていたら、そのあいだに新作が出ちゃいましたね。『ダン・カム・トゥー・ファー』(2022)。Spotify公式の新作紹介プレイリスト『Release Rader』で知りました。

 

カッコよくノリいいファンキーなグルーヴ・ブルーズがやはり中心で、なかにはアクースティックなものやザディコやカントリー・ナンバーなんかもありますが、エレキ・スライド・ギターがぎゅわ〜んと鳴るようなものがシュメキアの本領で、たっぷり聴けます。

 

なんですけども歌詞に耳を向けるとかなりな社会派っていうか、シリアスでヘヴィな内容を正面から歌い込んでいて、シュメキアはウィル・キンブロー(プロデューサー)と組んだ2018年の『アメリカズ・チャイルド』からこれで三作、ずっとこの路線。メイヴィス・ステイプルズ、リアノン・ギドゥンズあたりと共鳴するような意識的な黒人歌手といえます。

 

本新作でも銃乱射事件、黒人差別問題、奴隷制度、父から子への性虐待など重いテーマが扱われていて、シャウト型といえるシュメキアの濃厚な発声と歌いまわしはこうした内容を歌って強い説得力を持たせることのできるものですよね。BLM以来のアメリカ黒人の声といえるかもしれません。

 

シュメキアにかぎりませんが、そんな深刻なテーマの数々を歌いながらも決して暗くグルーミーなフィーリングになることがなく、どこまでも強くしっかりしたグルーヴを保っているのはアメリカン・ブラック・ミュージックの美点でしょう。

 

サウンドとかビート面でいえば、個人的には2曲目「ピンク・ターンズ・トゥ・レッド」がアルバムでいちばんの好み。1曲目ではゲストとしてサニー・ランドレスの名前がトラックリストに出ていますが、この2曲目でも同様の粘りつくスライド・ギターが聴けます、だれが弾いているんでしょう。ドラマーもいいな。

 

8「ベアフット・イン・ヘヴン」でもビート感とトゥワンギーなギターが心地いいし、マディ・ウォーターズ「フーチー・クーチー・マン」みたいなリフを持つラスト12「ノーバディ・バット・ユー」は父ジョニー・コープランドの曲。これもいいですね。

 

ジャズやロックにおける(オヤジ嗜好的な)ブルーズ成分はもはや時代遅れで、薄ければ薄いほどいい、できればないほうがいいというのが2010年代以後的なアメリカン・ミュージックのトレンドなんですけど、どう転んでもぼくなんか(音楽感覚的にも)オヤジ世代でしかなく、ブルーズ大好きなもんで、時代意識をこうしたサウンドに乗せて聴かせてくれるシュメキアみたいな歌手の音楽だって、ある意味最新型の一つと言えるはずだと思います。

 

(written 2022.8.31)

2022/09/02

12 Essential Contemporary Blues Artists(1)〜 シュメキア・コープランド

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(3 min read)

 

Shemekia Copeland / Deluxe Edition
https://open.spotify.com/album/747l6AGzZzDh8yBQLJgLgT?si=yVzrhPkBTN2_lP9YoPSGRg

 

今年四月ごろだっけな、PopMattersが「12 Essential Contemporary Blues Artists」という記事を載せていました。ざっと読んで、聴けるだけ聴き、印象に残ったものは書いておきたいと思います。
https://www.popmatters.com/12-essential-contemporary-blues-artists

 

きょうは一番手ということでシュメキア・コープランド。日本では一般に「シェメキア」というカナ書きをされているみたいです。1990年代末にデビューしているので「新世代」と言いにくいかもしれませんが、コンテンポラリー・ブルーズ・シーンの注目株として活躍するようになったのは今世紀に入ってから。

 

もっともぼくは上掲PopMattersの記事ではじめて知った歌手です。サブスクで聴けるものをすべて聴いてみたら、2011年の『デラックス・エディション』がいちばんの充実作と思えました。最新は20年の『アンシヴル・ウォー』(2022年8月8日時点)。アメリカーナを意識したそれもよかったですけど。

 

シュメキアのブルーズ・ヴォーカルは朗々とした声を強く張ってリキを込めるシャウト型ですね。ガナる瞬間もあったりするので、そんなにリキまずもっと軽くすっと声を出したらどうか?と思わないでもないですが、でも粘りつくようにグルーヴィで、ファンキーでかなりカッコいいので。

 

『デラックス・エディション』というアルバムは、このタイトルどおりさまざまなミュージシャンを迎え多様な曲を多くのプロデューサーと組んでやってみたという力作。ストレートなグルーヴ・ブルーズが多いには多いですが、なかにはドクター・ジョンがプロデュースしたニュー・オーリンズ・スタイルというかカリビアンな3・2クラーベ・ブルーズもあったり。

 

メロウなスローもあるし、あるいはなぜかのおだやかなジャズ・ナンバーもあって(13)それもおもしろいと思います。そこではシュメキアも強さのなかにまるでジャズ・シンガーみたいなやわらかなたたずまいをみせて、バンドの演奏も2/4拍子の平穏でトラディショナルなもの。

 

それでもやはりシュメキアの本領はあくまでストロング・フィールなファンク・ブルーズでしょう。1、7、12などで聴かせる押し出す感じのノリいい「強い女」イメージは、女性ブルーズ歌手シーンにあってはむかしから定番ではありますが、現代にはいっそうの訴求力、同時代性をたたえたものだといえるかもしれません。

 

(written 2022.8.8)

2022/09/01

夏の終わり 〜 Cheakbea Boys feat. 1031jp

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(3 min read)

 

Cheakbea Boys feat. 1031jp / End Of Summer
https://www.youtube.com/watch?v=naCMZWRBtyY

 

8月26日朝、YouTubeに突如出現したCheakbea Boys feat. 1031jpの曲「End Of Summer」(2022)。1031jpというのが(ぼくには)おなじみのとみーさんで、これは新作なのかな、チークビー・ボーイズという三人組ヒップ・ホップ・ユニット+とみーさんというかたち。メインはチークビー・ボーイズでしょうか。

 

知らないユニットだったんですが、とみーさんのほうとはずっと前からのおつきあいで、2019年1月末に渋谷の小さなライヴ・ハウスでお会いしたこともあるし、音楽活動をずっと見守ってきているんで(なぜなら書く曲と声が好きだから)、そのとみーさんのTwitterでアナウンスされたわけですから、チークビー・ボーイズにも出会うことになりました。

 

チークビー・ボーイズは東京高円寺が拠点のユニットらしく、_MC björki、_MC I'mSorry、_DJ SATANの三人。そしてこの「エンド・オヴ・サマー」はどうやら高円寺のライヴ・ハウス Club Liner のメモリーにささげられた曲だということです。Club Liner は2019年に閉店していますから、それを終わった夏に喩えノスタルジアを込めた歌にしているんでしょう。

 

というわけで、「エンド・オヴ・サマー」は2018年にクラブ・ライナーで録音された素材を使い、19年に音を重ね、ミックスとマスタリングは今年終えたばかりでMVも添え、アップロードされたということみたいです。曲はとみーさん、リリックがチークビー・ボーイズととみーさんの共作で、ギターやベースその他楽器はとみーさんによるもの。「えんどおぶさま〜」っていうリフレインを歌うのもとみーさんの声のような。

 

楽しかったこと、大切なものがなくなってしまった、終わった、けど、その思い出は生きていて、自分のなかでいつでも取り出して愛でることのできるもので、でもいまここにはもはやないんだ 〜 っていうような郷愁というか切ない気分は、生きていればだれだって持つフィーリングですし、ぼくも強く共感できるものですよ。みんなそうでしょう。

 

そういった意味ではこの「エンド・オヴ・サマー」も普遍的な意味を放っている曲だと言えると思うし、夏が毎年来るように、いまはなくなってしまったものが、また未来にかたちを変えて甦りふたたびめぐってくるっていうことだってあるんじゃないですか。真冬には到底二度と夏なんて来ないんだって感じちゃいますけど。

 

(written 2022.8.31)

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