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2022/10/29

スマホとソーシャル・メディアが日本語の表記を変えた

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(6 min read)

 

ここ10年くらいは日本語表記の変革期で、ぼくらはそれをリアルタイムでじかに目撃しながら生きているんだという実感があります。

 

近代日本語史でみればこの表記変革は、おそらく明治期の言文一致運動、そして第二次大戦後の1946年11月16日、内閣訓令第8号&内閣告示第33号により現代かなづかいと当用漢字が制定されたことの二回、かな漢字文がガラリ一変して以来の大きなものじゃないでしょうか。

 

2010年代以後のこの変化は、もちろんスマートフォンやパソコン、特にスマホのビッグ・バン的大普及により書記法がデジタル機器に任されるようになり、それでもって同じころブームになってすっかり定着した感のあるソーシャル・メディア(Twitter、Facebook、Instagram、LINEなど)にみんなが日々なにかを書くようになったことに起因するものです。

 

そうなる前は、文章を書くのが習慣だっていう人間のほうが例外的でした。毎日どんどん書いているなんていうのは作家か、なにかのライターか、新聞や雑誌などの記者のたぐいとか出版関係者とか、学者研究者教師など、限定されていて、そういったみんなのあいだでは書きかたの一定ルールみたいなものがコミュニティ内の学習伝播により共有されていました。

 

もちろんそうじゃなくとも日記(的なもの)をつづる習慣のあるかたもいたでしょうが、そういったひとがどう書くかっていうのもプロ作家などの書きかたにある程度倣っていたんじゃないかなと思うんです。読書習慣がなければ書こうと思わないですし。

 

それをデジタルかな漢字変換システムとソーシャル・メディアの普及が一変させたんです。あちこち見ていると、どうやらこれは日本語ユーザーのあいだだけでの話でもなく、各国語で同様の表記法変化があるようなんですが、きょうは日本語だけを話題にします。

 

スマホとソーシャル・メディアにより日本語の表記がどう変わってきているか、個人的にことさら目立つなと思う部分だけ思いつくままピック・アップして箇条書きにしておきました↓

 

・中黒(・)を使わずベタっと続ける
・書題などに二重括弧を使わず
・句点(。)なしで文を終わる
・読点(、)も省略したり
・その代わりに改行する
・その際一文字の段下げはなし
・「何」「無」の必然性のない多用
・変換システム任せで漢字を頻用する
・手書きではムリな難漢字の使用
・絵文字、顔文字
・日用的なしゃべりことばの流入(している → してる, etc)
・歴史的仮名遣はかえってやりやすくなった

 

歴史的仮名遣の使用は2009年にやめ、そして上述のような新スタイル書記法をあまり使わず以前どおりの書きかたをソーシャル・メディアでもやっているぼくなんかは、もう旧弊っていうか古いタイプの書き手だってことなんでしょうね。文末を句点かなにかとにかく約物でしめくくらないと生理的にムリだっていう。

 

句読点については、通常の文章で省かれるようになったのと時を同じくして「モーニング娘。」「藤岡弘、」といった表記が、それもオフィシャルで採用されるようになったのは興味深いところ。モー娘。だってぼくがファンだった90年代末〜21世紀初頭はこうじゃありませんでした。

 

大勢のみんなが毎日のようにどれかのソーシャル・メディアで日常のことや好きなこと趣味のことを書く、つながっているひとたちがそれを目にしていいねしたりコメントし会話になる、っていうのは、思わぬ副反応を引き起こすケースがあるものの、悪いことじゃないと思います。

 

なにより日々が楽しくなりましたし、アドバイスや情報ををもらえたり共感されたりして助けられます。デジタル執筆機器の普及前にライティング・スタイルを確立していたぼくみたいな人間は変換システムにイラつくこともあるとはいえ。

 

言語や書記法の、時代にあわせての変化や流転に、「よくなった」「悪くなった」「正用/誤用」なんてものはありません。保守的・規範的な考えかたを持っていると(ぼくもそうですが)ちょっとさびしいとか枠から外れたとか感じたりしますが、川の流れのようなものをおしとどめることなどだれにもできないのです。

 

それにだいたいぼくがいまこうやって書いて、その行為じたいはむかしから紙にインクというやりかたで実行していたものですが、それもデジタル機器の使用によってはるかにやりやすくなったし、さらにそれをソーシャル・メディアやブログなどで公開するなんてのはもちろんパソコンやスマホがないと不可能。

 

毎日こんだけ大量の文字情報がWebにあふれかえってカオスと化す、なんていう世界はぼくだって想像していませんでた。精査も推敲も淘汰もされていないそれはたしかに玉石混交というかゴミみたいなものだってたくさんありますけれども、「みんなが書けて発信しコミュニケートできるようになった」というのはすばらしいことに違いありませんから。

 

紙にインクで、という世界はべつにどうといって変わっていないと思うんですが、日常の言論活動は主にインターネット空間でやるというのがあたりまえになっている現代において、これはとても大きな変化だと思うんですよね。

 

(written 2022.10.4)

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