« 2022年10月 | トップページ | 2022年12月 »

2022年11月

2022/11/30

アデデジの肉感アフロ・ファンク

1008562590

(2 min read)

 

Adédèjì / Yoruba Odyssey
https://open.spotify.com/album/6YBfiq0YiRY4l4UaieAYRx?si=HlUTtemRRSqoCPlzTDtszQ

 

bunboniさんに教わりました。感謝ですね〜。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2022-10-30

 

ナイジェリアのアデデジ。いままでの作品は洗練されたジャジーな感じでしたが、最新作『Yoruba Odyssey』(2022)では豪快で野生的なぶっといアフロ・ファンク寄りの音楽になっていて、これも最高ですよね。

 

しょっぱなからおしまいまでアッパー。アクセル全開でつんのめり気味に疾走するさまに、初老のぼくなんかタジタジになってしまうんですが、ちょっぴり聴きづらいかもと感じないでもないのはそのため。豪速球ばかりのピッチャーみたいで緩急がなく、ややのっぺりしているというか。

 

だけどこの野太いファンク・グルーヴの快感にはひれ伏すしかありません。ストレートな勢いを感じさせる内容で、リズムもホーン・セクションも絶好調に疾走します。そのなかを、これだけはいままでと同じアデデジのクリア・トーンなエレキ・ギターが縫っていくという構成。

 

実はちょっとエフェクト足したほうがこの手のサウンドには合うのでは?という気もしますが、これがジャズ・ギターリストたるアデデジの本領でしょう。

 

ヴォーカルのほうは乱暴に投げつけるようなスタイルで迫力があります。あくまでギターのほうが本分なんでしょうね。ギターといえばアデデジはそのみずから弾くリフを土台に音楽を組み立てているのが聴いているとよくわかって、今作はあまり装飾しないゴツゴツした骨組があらわになっている音楽ですから、こうしたことは利点ですよね。

 

(written 2022.11.19)

2022/11/29

ジャスティン・アダムズ produces スアド・マシ 〜『Sequana』

Ab67616d0000b2730d108e75cee2527b4734ebb3

(2 min read)

 

Souad Massi / Sequana
https://open.spotify.com/album/64Uwr6ZmYrBNABToF47PRN?si=6u2kSRifT5ys3NgjFy-Y0Q

 

なんでこんなジャケットなのかだけがどうしても得心いかないスアド・マシ(アルジェリア/フランス)の最新作『Sequana』(2022)ですが、中身の音楽に風変わりなところはないばかりかいままでよりいっそう充実していて、安心して聴けます、ジャケを見なければ。

 

今回はかのジャスティン・アダムズがプロデュースということで、といってもそれは日本でCDを売るオフィス・サンビーニャの情報、Spotifyでクレジットを見たらスアド自身しか全曲のプロデューサー欄に名前がありません。どうなってんの。

 

もちろんサウンドを聴けば、ティナリウェンなどを手がけてきたジャスティンらしさがそこかしこにしっかり聴きとれるので、サンビーニャ情報に間違いはないはず。アルジェリアの音楽家は初めてかもしれませんね。

 

たとえばイタリア系イギリス人ピエール・ファッチーニをゲスト・ヴォーカリストにむかえた3曲目後半での回転する反復パターンなんかはやっぱり砂漠のブルーズを想起させるもので、こうしたものが好きなぼくにはうれしいところ。こういうのはいままでのスアドの音楽になかったものでしょう。

 

でもほかはほとんど従来の哀感強めなスアドの音楽が表現されていて、ジャスティンはこの音楽家の持ち味をそのまま活かすようにプロデュースしたんだなとわかります。ややフォーキーなシンガー・ソングライター然としたものもいままでどおりあって、今回哀感はいままでの民族ルーツ的、エクサイル的なものというより、コロナ時代ならではの不安や孤独へと向かっている模様。

 

シャアビ(アルジェリア大衆音楽)らしいものとか、アクースティック楽器を基本としながらも、なかにはハード・ロックばりにエレキ・ギターが強めの音で鳴るものも一個だけあったりして、なかなか多彩です。個人的には終盤の10曲目(ボサ・ノーヴァふう+ナイ)、11曲目(アクギ弾き語り)にグッとくるものがあります。

 

(written 2022.11.28)

2022/11/28

ホントどっちがどっち?〜 ミカエル・シェレ&スコット・ハミルトン

Img_5687

(3 min read)

 

Michael Cheret Quartet Invite Scott Hamilton / French Song
https://open.spotify.com/album/37P6dF9bxSaJbwx4FvUjLl?si=sLknBL_8TxShKGqLB4nCSw

 

このミカエル・シェレ・カルテット with スコット・ハミルトンの『French Song』(2022)がぼくのSpotifyアプリに登場したのは、長年看過してきたスコット・ハミルトンのことを最近見なおすようになり聴きはじめたからでしょう。たしかに新作だけど、注目を集めているとか大勢が聴いているとかじゃぜんぜんありませんから。

 

ミカエル・シェレっていうフランス人テナー・サックス奏者のことはまったく知りませんでした。スコット・ハミルトンが呼ばれこうして共演作をリリースしなかったら一生知ることもなかったんじゃないですかね。でも演奏がなかなかいいっていうかスコット・ハミルトンにそっくりすぎるっていうかそのフォロワーかもしれません、ここまで似ているというのは。

 

まるでコールマン・ホーキンスとベン・ウェブスターとチュー・ベリーを音だけで区別できないように(ウソ)、本作でのミカエルとスコットはここどっち?と判別できないんですよね。しかし、あっここで入れ替わったぞとわかるので、それなりの違いが聴こえてはいるんでしょう、でもどっちからどっちへなったのかはやっぱりわからず。

 

だからそういう聴き分けはあきらめて、二本のテナー・サックスがピアノ・トリオをバックにフランスの歌を抒情的につづるさまを漠然と楽しむっていうのがこのアルバムの聴きかたなんでしょうね。じっさいこのえもいわれぬかたちのない茫漠たる情緒感こそが命の音楽だと思えます。

 

ジャズだってもともとはそういうものだったのに、1940年代のビ・バップ革命以後かなり違う方向に進んでしまって、スコット・ハミルトンはデビューこそ遅かったものの、そうした失われた世界にあこがれて、それを表現せんと登場した才能でしたからね。あのころぼくはバカにしていましたけど、いまとなってはすばらしい表現力だと感嘆のため息ばかり。

 

本作もなにかこうぼくの琴線に触れてくる音楽で、こうしたしっとりした人間情緒をるるとつづるジャズはほんとうに心から好きだ、たまらない、なんどでもくりかえし聴きたいという気分になってしまいます。

 

ことに1、3、5、7曲目での湿ったエモーションなんか、もうほんとうになんといったらいいか。アルバム全編でテナー・サックスはつねに(入れ替わりながら)二本聴こえますが、ラストの7「Le Soir」でだけはどちらか片方だけみたい。最高のバラード吹奏なんですけど、ほんとどっち?

 

(written 2022.11.8)

2022/11/27

これがコンテンポラリーUKジャズだっていうんなら案外いいじゃない 〜 カミラ・ジョージ

A2877242224_10

(2 min read)

 

Camilla George / Ibio-Ibio
https://open.spotify.com/album/0qIUtII533DzbMMVXmvGuC?si=iztxS4v1TPy1jyPMhDxJkw

 

ナイジェリアにルーツを持つロンドンのサックス奏者、カミラ・ジョージは先鋭的なコンテンポラリーUKジャズを担う一員に数えられているわけですが、最新作『Ibio-Ibio』(2022)を聴いてもオールド・ファッションドというかレトロというか、まるでハード・バップ・サックスみたいじゃんと感じたりする瞬間もあったりします。

 

最もハード・バップを感じるのはバラードの6曲目。まるでソニー・クリス。それ以外もとっつきやすいイージー・ジャズというおもむきで、グルーヴ・チューンなんかクール&ザ・ギャングみたいな80sジャズ・ファンクにそっくり(特にギター・カッティング)。いちおうラップとか混ぜたりしているものの、ヒップ・ホップ以後的なサウンド・メイクはカミラの音楽に薄いような。

 

新世代的っぽくないからいけないといっているんじゃなくて、ぼくみたいな旧感覚ジジイ世代だと、カミラがやっているようなこうしたジャズは大好物。聴きやすいしわかりやすく、どんなふうに音楽をつくっているか明快で、すっかりくつろげる心地よさなんですね。

 

クラブ・ジャズ・フィール満開ではあるけれど、1980〜90年代くらいのサウンドじゃないですかね、この『Ibio-Ibio』って。いちばんジャズ系の新しいものを聴きまくっていたあの時代、フュージョン、アシッド・ジャズ、レア・グルーヴとか、Us3とかも出てきて、個人的なアンテナがピンと張って新進を吸収しようという気概に満ちていたあの時代を思い起こします。

 

旧体質だったベニー・グッドマンが(自分のコンボに雇った)チャーリー・クリスチャンを聴いて「これがビ・バップというものならばビ・バップも悪くない」と発言した逸話が残されていますが、カミラ・ジョージを聴いていると「これがコンテンポラリーUKジャズだっていうんなら案外いいじゃない」と思うオヤジが続出しそうな気がしますよ。

 

(written 2022.11.3)

2022/11/26

歴史は一方向的に進むとかぎらない

B63fd689df2942c3b53cfdae7ce37651

(4 min read)

 

チャールズ・ダーウィン(とジークムント・フロイト)が20世紀以後の思考に与えた影響って絶大なんですけど、ぼくが生きてきた文学研究や批評などの世界ではポスト・モダニズム(1980〜90年代)あたりでそれら一回読みなおしがなされたものなんですね。

 

科学工業技術ならたしかにこっち向きだけに進化するでしょうけど、音楽をふくむ文化の世界では必ずしもそうではなく、わりとちょくちょく逆流し復古的な動きが出て、それが時代の最新流行みたいになることもあるじゃないですか。

 

ちょっと前のものは古くさくダサいけど、かなり前ならいったん忘れられているせいか奇異で新鮮に感じられるとか。テクノロジーなら刷新されるだけですけど。

 

衣服トレンドの世界でもそういったことは頻繁に起きます。文化現象とは本質的に進化論になじまない世界なんだというのがぼくの考えで、ぼくだけじゃなく文化の歴史全般を冷静にふりかえってみれば、進化ばかりじゃなかった、復古運動はよくあったとわかるし、そもそも「進化」ってなに?!という根源的問いが発生するのはみんな同じであるはず。

 

2010年代以後の日本Z世代における昭和レトロ・ムーヴメントもそうですし、音楽でも昭和歌謡やアナログ・レコードが見なおされる動きは顕著ですよね。そして、なによりこうした流れが顕著だなとぼくが感じるのは、世界のポップス界におけるアクースティック&レトロ志向の大流行です。

 

最新の「コンテンポラリー」・ポップスの世界では、もはやコンピューター打ち込みやシンセサイザーを駆使したデジタル・サウンドは古くさく、おもしろくないもの。アクースティック楽器の生演奏を中心に使っておだやかでジャジーななめらかミュージックをつくりだそうという動きこそ最新トレンドになっていますよね。

 

むろんこれにあてはまらないデジタルなコンテンポラリー・ミュージックもたっくさんあるんですけど、アクースティック志向が「古い」とか「コンテンポラリーじゃない」と言うひとがもしあれば、そのひとのあたまのなかは打ち込み全盛だった1990年代あたりの発想で埋められているのかもしれません。

 

そうすると音楽におけるコンテンポラリーとはなんなのか?わからなくなるというわけで、じっさい古い vs 新しいとか、アップデートでこれが過去のものになるとか、そうした一種の進化論発想では理解できないのが音楽(やその他芸能文化)の世界、歴史だったんじゃないでしょうか。

 

いま、ここ10年くらいかな、1930〜50年代のスウィング・ジャズ時代に範をとったようなちょっとおしゃれ&おだやかでレトロなオーガニック・ポッポスが一大トレンドになっていて、大学生時代からその手の(ぼくが聴いていたのは録音も30年代のヴィンテージものだったけど)音楽が大好きだった身としては、いまそれが復古的にブームになっているのはうれしいかぎりなんですね。

 

いうまでもなく復古的というのはぼく世代の見かたであって、現代の若手歌手音楽家にとっては、いままでリアルタイムでは接してこなかった未知の領域に出会って、おしゃれだおもしろいと感じ惹かれて、自分でもやってみているということなんですから、そうした世代にとっては「新しい世界」の音楽なんです。

 

なもんで、レトロ/コンテンポラリーを二項対立的にとらえる発想は実をいうとよくわかんなくて、いまの時代に現在進行形でファッションになっているものが contemporary ということばの意味なんだから、それならアクースティック&レトロなオーガニック・ポップスこそがいまコンテンポラリーじゃんって言いたくなります。

 

(written 2022.11.5)

2022/11/25

再台頭する若手新世代ブルーズ・ロック 〜 ラーキン・ポー

51h9zdsw4bl_sy580_

(3 min read)

 

Larkin Poe / Blood Harmony
https://open.spotify.com/album/7a1OYhSHt34tgtafwQnmBE?si=g_c2DtPnQHG5gGOKdOqcMw

 

説明不要の存在になってきたラーキン・ポー。最初にここでとりあげた数年前は「だれっ?!」っていうような反応でしたが、やっぱこういう1960年代末〜70年代前半という黄金期に時代を画したブルーズ・ロック・スタイルってなんだかんだいまだ愛されているんですよね。ある意味不変。

 

最新作『ブラッド・ハーモニー』(2022)は日本盤も出たばかりか、なんと日本先行発売だったので大きな話題を呼び、またしても新規ファンを獲得した様子。それもこれもこの二人姉妹の確固たる指向・信念の継続あればこそでしょう。

 

曲が終了した瞬間に思わずもれる声を聴けば、アルバムは五人のバンド・メンバー(ベースとドラムスと鍵盤はサポート陣)による緊迫感に満ちたライヴ一発録りだったとわかり、そんなところも伝統的なマナーを堅持しているというかレトロというか、音楽本来のありかたを希求しているというか。

 

今回はジャケットを一瞥なさればおわかりのように “LARKIN POE” の文字がレッド・ツェッペリン・フォントになっています。音楽も、まさにツェッペリンが表現していたようなサザン・アメリカン・ブルーズを土台にしたギター・ハード・ロック一色で、刹那刹那にラーキン・ポーもツェッペリンへのオマージュを意識したなと思わせるサウンドがあります。

 

個人的には特に8「Kick the Blues」〜9「Might As Well Be Me」〜10「Summertime Sunset」あたりの流れにぐっと胸をつかまれるものがありますね。姉メーガンのブルージーなラップ・スティール・ギターも最高に斬れ味抜群で聴きごたえがあって、もう気持ちいいったらありゃしない。大好き。

 

ロック(やジャズ)におけるブルーズ要素は21世紀に入って以後どんどん薄くなるばかりで、いまやできればゼロがいいというのがトレンドなんですけども、そうはいってもですね、高年オヤジとしてはラーキン・ポーみたいな若手新世代に伝統的なブルーズ・ロックをしっかり継承し価値を共有するバンドが再出現してきているのをなんとも好ましく思うわけなんであります。

 

トレンドが一方に傾くと他方は思いっきり無視されてしまうというバランス感覚の欠如は居心地がとても悪くって、ブルーズ・ベースのギター・ロックが2022年にあったっていいじゃないか、そういうのが好きで応援するファンはかなりいるし、”あのころ” から現役の高齢ロッカーばかりじゃないんだぞとラーキン・ポーはしっかり示してくれています。

 

(written 2022.11.25)

2022/11/24

ナイト・クラブでカクテルを 〜 アンドレ・ミンガス

Img_5994

(2 min read)

 

André Mingas / É Luanda
https://open.spotify.com/album/1tUYH9RiAHWkhj3SiFt848?si=roHoOtj7Ry6U08NBIw0Sqg

 

Astralさんのご紹介で知りました。
https://astral-clave.blog.ss-blog.jp/2022-10-23

 

アンゴラのミュージシャンなんですけどアンドレ・ミンガスの2011年作『É Luanda』がとってもおしゃれに洗練された音楽で、土くささやアクのない都会的なムードで、ぼくにはとっても心地いいです。

 

リズムもそうだしストリングスもホーンズもジャジーっていうか、Astralさんはフィリー・ソウルみたいだとおっしゃっていますけど(5、9曲目あたりかな)ほんとそんな感じですね。ボレーロ/フィーリンっぽいやわらかさでもあるなとぼくだったら思います。

 

そして実際ボレーロは本作に複数あります。1曲目のアルバム・タイトル曲こそセンバですけど、それだってファンキー(汗、体臭)さのない洗練されたできあがり。アンゴラ人がセンバをやってここまであっさりと小洒落た感じになるっていうのがアンドレの持ち味なんでしょうね。

 

ブラジル人ミュージシャンを起用してブラジルで録音した作品だというのも、そんなモダンなおしゃれ感をまとう大きな原因になっているのかもしれません。3、7曲目なんかは正真正銘のラテン・ボレーロで、スウィート&メロウな雰囲気満点。こういう音楽がぼくは大好きなんですよね。

 

速く強いビートが効いた曲だって、なんだかジャズ・フュージョンっぽさ(+サルサ要素)すら香らせているし、全体的にシティ・ポップっぽくもあり、日没後のバーやナイト・クラブとかでカクテルとか飲みながら(ぼくは下戸だけど)いいムードでリラックスするのに似合いそうな、そんな音楽ですよ。

 

(written 2022.11.15)

2022/11/23

いやらしいファンキー&アーシーさ 〜 ビッグ・ジョン・パットン

71aqx9lgirl_ac_sl1200_

(2 min read)

 

Big John Patton / Oh Baby!
https://open.spotify.com/album/7motRVL6Bmk1ktXiIllhm6?si=o3l5t_p2QP64AH_XoWCl4g

 

ソウル・ジャズのオルガン奏者、ビッグ・ジョン・パットンの『Oh Baby!』(1965)を聴く機会があったのは、これもブルー・ノートの公式ソーシャルがきっかけ。ヴァイナル・リイシューされたというお知らせで、それを見てサブスクでさがしました。

 

いやらしいファンキー&アーシー路線まっしぐらで、やっぱこういうの好きです、ぼくはいまだに。しかもカンタンな打ち合わせだけでやってみたジャムみたいなものじゃなくて、事前にアレンジが練り込まれリハーサルもそれなりに積んだということをうかがわせるタイトさがあって、そんなところも好み。

 

特にオープニングの「ファット・ジュディ」が最高。なぜならこれは大好きな「ザ・サイドワインダー」(リー・モーガン、1964)のパターンそのままだから。パッ、パッとスタッカートで演奏されるリフはほぼパクリといってもいいくらい。ビートのかたちだってねえ。

 

こうしたジャズ・ロックのノリが好きでたまらないぼくには「ファット・ジュディ」もこたえられないおいしさですよ。こっちではベン・ディクスンのドラミング、なかでもベース・ドラムの踏みかたに独特の快感があって、ヤミツキになるグルーヴィさ。グラント・グリーンは一発でこのギターリストだと見ずともわかる手癖で、それも好き。

 

ビッグ・ジョンのハモンド・オルガンだって、これでもかとスケベったらしくもりあげて、それはアルバム全編でいえることなんですが、こういうのはアメリカン・ブラック・ミュージックで、20世紀のあいだは、伝統的なマナーだったものなんです。そこに悦楽を見出すファンのひとりなんです、ぼくは。

 

ラテン・ビートを使ったものだってあるし、ストレートなシャッフル・ブルーズもありで、全編ノリいいグルーヴ・チューン。メロウなスウィート・バラードが一曲あったなら文句なしだったんじゃないですかね。5曲目のストレートな高速4ビートはあんがい現代的です。

 

(written 2022.11.1)

2022/11/22

今年で50歳

96fd512447da4a6782da51ba30f07caf

(4 min read)

 

というアルバムがたくさんあると思います、ちょうどリリースから半世紀が経過したってものが。なぜなら1972年ごろはロックやソウルなど米英ポピュラー・ミュージックの最盛期で、傑作がどんどん出ていましたから。昨年も71年産の音楽に触れて同じようなことを書きましたね。あのころからちょうどハーフ・センチュリー。時代を感じます。

 

そんな72年作からパッと思いついた四つを上で画像タイルしておいたわけですが、音楽家名もアルバム題も、いっさいの説明も、なにもかも不要という問答無用の傑作ばかり。さっと一瞥しただけで中身の音楽が自動で脳内再生されるというかたもたくさんいらっしゃるはず。

 

71、72年ばかりか、こうしたことは1969年ごろからはじまって、75年あたりまでずっと続いたことだと思うんですね。米英大衆音楽史でひときわ豊穣でスペシャルな時間だったのは間違いなく、そのころすでに50年以上レコード史のあったジャズでも、ファンクやロックやブラジル音楽など他ジャンルとフュージョンするようにして新時代の刺激的傑作を産んでいました。

 

あのころ(1960年代末〜70年代なかごろ)のロックその他など、なぜあそこまで豊かだったのか、いま聴きなおしても、これはなにかとってもスペシャルなものだと新参者でも直観できる魅力がどこにあって、どうしていまだにファンを獲得し続けているのか、社会状況はじめ時代とどうクロスしたのかなど、ぼくみたいな人間には摩訶不思議なマジックがあったとしか思えず。

 

あのころ一連の傑作群をぼこぼこと誕生させていた当の音楽家本人は、年老いて衰退したか亡くなってしまったというケースがあるものの、いまだ健在で、往時のまばゆい輝きはなくなっても、ずっと元気に活動を続け円熟味を発揮しているひとだって多いですよね。

 

1972年に25歳だったと仮定したら、50年経過していまは75歳。健康寿命も伸びている現在、ましてや音楽創作活動に没頭する種類の人間にとっては、まだまだやれる歳のはず。上でタイルした四作のうち、ドクター・ジョンとカーティス・メイフィールドは亡くなって、スティーヴィはちょっとペース落ち気味かな、でもストーンズはいまだ第一線ですから。

 

そのほかポール・マッカートニーにもロビー・ロバートスンにもカエターノ・ヴェローゾにもまだまだ新作を届けてほしいと、永遠に生きられる人間はいないし、年代からすればぼくのほうが死ぬのはあとなんで残されてさびしい思いをすることになるでしょうけど、まだあと10年は期待を寄せたいです。

 

むろん、そういったみんながあの時代に創り発表したああいった超絶名作に匹敵するようなものは若手新世代が産んでいくということになるんですけど、そのためのヒント、きっかけになるような要素をベテランはたくさん持っているんじゃないでしょうか。

 

ぼくも還暦、日本人男性の平均寿命を基準に考えたらおそらくこの先21年ほどなんで、そのうち健康で音楽を楽しめる時間がどれくらい残されているか、どれだけ時代の生まれ変わりを音楽で実感していくことができるかわかんないんですけども。

 

(written 2022.11.10)

2022年ジャズ最高傑作 〜 パトリシア・ブレナン

A3047180522_10

(3 min read)

 

Patricia Brennan / More Touch
https://open.spotify.com/album/68FjddVbbxBB0qI58Lsqu6?si=PPp3k9r7T6GA_SG0PDDtbw

 

パトリシア・ブレナン(メキシコ、在NYC)の新作アルバム『モア・タッチ』(2022)がリリースされました。以前から本人のソーシャルで予告され、二曲先行で聴けたので、おおいに期待が高まっていたところ、それをはるかに超える水準の大傑作で、パトリシアは一気にNY現代ジャズ・シーンの中心におどりでた感じです。

 

全編アンビエントなヴァイブラフォン(+エレクトロ・エフェクター) or マリンバ独奏だった前作『Maquishti』(2021)から、今回はパーカッション・カルテットへと編成を替えています。コントラバスは通常打楽器の範疇には数えられないものですが、本作での扱いはビート楽器として。

 

ベース以外はパトリシア+ドラムス+パーカッションというわけで、今回の新作でも各種デジタル・エフェクトをヴァイブにかけて、音をかなり曲げています。音色でグルーヴするというか、そんな音響性にも特色のある音楽家ですからね。

 

前作の延長線をカルテット編成で拡大したような部分もありますが、大きく異なる音楽性を持った本作、それはルーツたるメキシカン・フォークロアへと立ち還り、リズム面でかなり大胆な冒険をしているところ。

 

そのために21世紀新世代ジャズを代表するグルーヴ・メイカーの一人マーカス・ギルモアと、ラテン・パーカッショニストのマウリシオ・エレーラを起用していて、四人で自在に変化するしなやかで多彩でディープなリズムをノリよく産み出しているさまには、聴いていてゾクゾクするスリルがあります。

 

譜面化し緻密に練りあげられたコンポジションと飛翔する集団インプロヴィゼイションとのバランスもあざやかで、その軸をマーカスの闊達なドラミングがしっかり握っている印象です。じっさい本作でのこのドラマーの活躍ぶりには耳をそばだてる秀逸さがありますね。主役といってもいいくらい。

 

特にすばらしいと感動するのが1「Unquiet Respect」、3「Space For Hour」、4「El Nehualli (The Shadow Soul)」、6「Square Bimagic」、9「Sizigia (Syzygy)」あたり。躍動的にグルーヴするアフロ・メキシカン・ジャズといった感じで、ワクワクします。

 

ことに14分以上におよぶ大作「Space For Hour」は最初ピアニッシモでゆったりと幕開けするものの、徐々にマウリシオのコンガがいろどりをくわえていき、その後なんどかさまざまに曲想と調子を急変させながら中盤からは大きくもりあがり、エンディングで激しい打楽器四重奏が一体となってグルーヴィに昇天します。

 

(written 2022.11.21)

2022/11/21

INFINITE Hair works が松山No.1のヘア・サロンである理由

Img_6060

(4 min read)

 

https://infinite-hws.com

 

それはなんといってもハウオリをやるお店がまだここだけだってこと。松山でというばかりか四国でみてもここ一軒しかないんですよね。松山市余戸のINFINITE Hair worksはオーナー・スタイリストの佐藤千春さんがひとりでやっているお店。向学心旺盛で、つねに新しい知見や技術を学び取り入れアップデートする姿勢はほんとうにすばらしいと思います。

29df7f9950904a68900845adb00589db

ここでハウオリがメニューにくわわったのは2018年暮れごろのこと。佐藤さんの発明ではなく、茨城でMACOTO HAIR mahalocoというサロンを経営している岩上巧さんの開発です。化学薬剤をいっさい使わず、加熱加圧水蒸気とスタイリストの手技だけで行う髪質改善メニュー。

 

下はハウオリされているぼく。

Img_6097 Img_6069 Img_6066

これがハウオリ・マシン↓

Img_6073

ハウオリで髪質の確実な向上を実感しトリコになってしまい、その後ここへ来るときは毎回必ずこの看板メニューをやってもらうようになりました。猫っ毛でペタっと寝てしまうぼくの髪にもヴォリュームが出るし、しっとりしたハリとツヤが増し、しかもくりかえしやればやるほど髪の状態がよくなっていくというのがハウオリ。

 

こどもの髪ってサラツヤでいいなと思いませんか。水分がたっぷり含まれているからなんですが、大人の髪に水分を浸透させていく技術がハウオリです。結果的にしなやかでコシのある扱いやすい髪になりますし、一度の施術でしばらく良好な状態が続き、エイジド・ヘアの衰えに悩む40代以上にはもってこいのメニュー。
https://infinite-hws.com/goodbye/

 

ハウオリに唯一問題があるとすれば、それはまだ松山でこのお店でしかやっていないこと。全国的にもやれるところがまだ少数で、たまたまぼくは松山在住なのでラッキーでしたが、これほどのみごとな施術、もっと普及するといいのになと思います。そんなわけでINFINITE Hair worksは予約のとりにくい人気店となりました。

 

そのほかINFINITE Hair worksの目立った特徴は、ステップボーン・カットとスリーバイ・カラーでしょう。前者は特別なはさみを使い個々人の骨格に合わせ立体的にカットしていく技術。すっきりきれいな小顔に仕上がりますし、自宅に帰ってから鏡で見ても、数日から一週間が経過しても、デザインされた髪型の美しさが保たれます。
https://infinite-hws.com/stepbonecut/

 

最近はじまったスリーバイ・カラーは、カラー単価が四万円のスーパー・ヘアカラーリストの土田強さんから直々に学んだカラー技術とのこと。加齢で白髪に悩むのはみんな同じですが、いはゆる白髪染めではなく、【ハイライト】【ミドルライト】【ローライト】の三色を独自の黄金バランスで入れていくもの。

 

これはスリーバイ・カラー施術ちゅうのぼく↓

Img_6096

つまりデザイン・カラーなんですが、こういうとオフィス向きではないと思われるかもしれません。しかし全体をなじませるようなまろやかな仕上がりはとてもクラッシーで、奥行き感を表現でき、白髪に悩む中高年にはもってこいのカラーリングなんです。ぼくはこんな感じに仕上がりました↓。ちょっとお値段お高めなのがあれですが、半年に一回でOKなので。

Screenshot-20221117-at-123953

ハウオリ、ステップボーン・カット、スリーバイ・カラーという三つのメニューが揃う佐藤千春さんのINFINITE Hair worksは、とってもスペシャルなお店です。特にハウオリはここでしかできないメニューですし、エイジド・ヘアの髪質改善が得意な落ち着いたムードのプライヴェイト・サロンで、もうウレシタノシ。

 

(written 2022.11.17)

2022/11/20

浮きこぼれ

Screenshot-20221115-at-142101

(5 min read)

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/7bee2e0bc1f4be2757d6deecd6cec0193ad4d8ea

 

ということばを、昨晩ネットをぶらついていて初めて知りました。よく知られている落ちこぼれの対義語で、学力がとても高いがために学校の教室で浮いてしまい、教師から(なぜか)怒られたりクラスメートからいじめられたりして強い違和感を持ち、学校から遠ざかってしまうケースを言うようです。

 

こうしたことは、指し示すことばこそなかったものの、むかしからあったとよく知られているはず。そして、だれよりこのぼくがほかならぬ浮きこぼれだったのです。特に学力が急速に伸びはじめた中学生のころから、不登校にはならなかったものの、なんだかクラスで自分だけ「かなりヘン」だぞと感じていました。

 

飛び級したり10歳くらいで難関大学に合格したりするこどものニュースが世界にはたくさんありますから、めずらしい事象でもないのでしょう。勉強が心から好きっていうこどもはいつでもどこにでもいて、楽しくてしかたがないのでどんどん自分で進んで学ぶ結果、そうでもない周囲(incl.教師)からは「こいつオカシイぞ」と見られるようになってしまいます。

 

ついてこられないのが落ちこぼれですが、進みすぎてもうとまれるというわけで、だいたい小中学校時分ってスポーツができると羨望の的なのに、学力が高すぎるばあいは異端視されるんですよね。だれも頭抜けずみんな同じくらいの平均を揃って維持している状態こそが望ましいとみなす日本の学校教育システムに原因の根本があります。

 

つまり、学習能力や進度ってひとりひとりバラバラなんだから、数十人を一箇所に集めて一斉に同じ授業を受けさせるという方式がそもそもよくないわけです。それでもなぜだか学校は行かなくちゃダメだということになっていることにあまりだれも疑問をいだいていないですよね。

 

じっさいぼくも、特に中学の英語と数学の授業は正直言ってかなり退屈でした。こっちはそんなこととっくにわかっているし充分理解実践できているのに、どうして教師がそこまでていねいに説明を尽くさなければならないか、それなのになぜみんなわからないのか、納得できずイライラするというのが本心でした。両教科ともテストはつねに100点でしたし。あんな簡単なもん、100点以外とりようがないってもんです。

 

しかも中間とか期末とかのテスト時間って45分だったか50分間あるわけで、最初の10分ほどで解答と見直しがすべて終わってしまうから、残りの時間やることがなくひたすらガマンで、中途外出も認められなかったから、紙の余白に落書きして遊んでいましたよねえ。時間が来たらそれを消しゴムで消すっていう。入試でもそうでした。

 

出題パターンというかヴァリエイションがすべて読めちゃっていたわけですから。学校の授業やテストはイージーすぎて退屈でしたけど、それを土台に自分でどんどん先へ進むのはめっちゃ楽しくて、塾は行かなかったんですが、参考書や問題集を買って自宅でやっていました。

 

中学三年のときには高校生用の英文法書を熟読して英英辞典を引いていて、それをうれしげに職員室へ持っていって英語教師に見せると、お前すごいな!とビックリされながら同時に「あんまり一人で先へ進みすぎるな」「点取り虫と言われるぞ」とか注意されたりもして、意味がわからずひたすら??マークが浮かんでいました。

 

そして、学力が高すぎるがため教師や生徒にヘンな目で見られたりなにか言われたりして疎外感を持つというのは、実は在校時代だけの話。社会に出たらすばらしいっ!と言われ褒められるだけで、やりすぎだと注意されたり怒られるなんてことはありません。どんどん学んでおいてよかったぁと実感することばかり。

 

学校時代にしか経験しない違和疎外フィールなんですから、上でも書きましたがやっぱり学校システムじたいに問題があるんだとしか思えませんよ、落ちこぼれや浮きこぼれは。

 

(written 2022.11.15)

2022/11/19

ジャズ・ピアノの父、アール・ハインズの「サムウェア」が大好き

R526083416363936077606

(5 min read)

 

Earl Hines / Somewhere
https://www.youtube.com/watch?v=GJWnyBH_q4I

 

「ジャズ・ピアノの父」とまで言われた偉大なアール・ハインズ(1903-83)の功績は、ぼく世代くらいまでだと入門時にこれでもかというほど叩き込まれたんですが、近年は名前すらさっぱり出なくなりましたね。ジャズの世界で整った右手シングル・ノート・ラインを弾くというのはハインズの発明なのに、あまりにもあたりまえになったからでしょうか。コロンブスの卵。

 

ことばの世界で仕事をしてきて語源参照主義がすっかり骨身にしみこんでいたのと同じく、趣味の音楽のことでもいつだってルーツやスタート地点を意識する指向の強いぼくとしては、21世紀になってもなおハインズあってこそのジャズ・ピアノなんだぞと声を大にして言いたいわけですが。

 

ともあれ、そんなハインズの残した音楽のうち個人的に最も好きなパフォーマンスが、アルバム『ザ・ジャズ・ピアノ』(1966)オープニングの「サムウェア」。65年ピッツバーグ・ジャズ・フェスティヴァルでのライヴ録音で、このときの同フェスはさまざまな古典スタイルのジャズ・ピアニストが一堂に介していました。

 

ですからアルバムも一曲づつ演奏するピアニストが違っていて、ソロだったりデュオだったりトリオだったりで、それぞれ古典的なオリジナル・ジャズ・ピアノ・スタイルを、それを編み出した当人の演奏で聴けるっていう、ぼくなんかには夢のような一枚。

 

サブスクにあるわけないんで、CDからMacにインポートしたファイルで楽しんでいるわけですが、なんど聴いてもどう聴いても1曲目アール・ハインズの「サムウェア」がチャーミングすぎると思うんです。まえからずっと好きだったのが、このごろ愛好度合いがいっそう増しているような感じで、どうしてここまで?が自分でもわからないほど。

 

アルバムにはほかにもみごとなピアノ演奏がいっぱいあるのに、1曲目のその「サムウェア」ばかりリピート再生モードにしてくりかえし聴いちゃうんだもんなあ。ハードなところエッジのとがったところがいっさいなく、なごやかでおだやかでそっとほほえみかけているようなゆったりした音の表情をしているのがいいんですよね。

 

もっとも(キース・ジャレットとかよりもずっと前から)ハインズはうなるピアニストなんで、古いバンド演奏とかだとわかりませんがここでは独奏で録音も現代の良好ですから、うなり声がしっかり録れちゃっているのはちょっとあれです。ピアノはほんとにきれいなんだけど。

 

1965年ってことはハインズもとうに全盛期をすぎていたのに、指さばきはあざやかのひとこと。自身の創造した右手シングル・ノート弾きでメロディアスなラインを弾きこなしていますが、ここでは独奏だけあってバランスよく左手で基底部をちゃんと支えているのもすばらしい。古典人らしく一人オーケストレイションができています。

 

ちょうど歩くようなゆったりしたテンポに設定されているのも心地よく、ハキハキ歯切れいい滑舌のよさみたいなのが聴きとれて爽快だし、大胆に思い切りよく弾き出しながら、それでいて繊細でデリケートでかわいくチャーミングなフレイジング。もう文句なしのジャズ・ピアノ独奏でしょう。

 

リズム伴奏をつけるのがあたりまえになって以後は、ジャズ・ピアノからこうしたエレガンスが消えてしまいました。もちろんハインズはどっちかというと現代にも受け継がれている、バンド演奏のなかで映えるモダンなホーン・スタイルをクリエイトした人物なわけですけど、ピアノ本来のものである独奏ならばこうした典雅な世界をも表現できたっていう。

 

1910〜30年代的なクラシカル・スタイルのジャズ・ピアノを愛するゆえんです。

 

(written 2022.10.28)

2022/11/18

演歌の定型イメージはいつごろ成立したのか

82917f51b5344fe68baf5d53afc1c907

(8 min read)

 

This is 演歌 30
https://open.spotify.com/playlist/46R5onMxXIaGdpjmMyvi7o?si=01dad62e47c94287

 

数日前、神野美伽のインタヴュー記事に触れて一個文章を書きましたが、あれ以来ずっと気になっているのは、神野が語っていた演歌の古くさいステレオタイプ・イメージって一体いつごろ成立したものなんだろう?ということです。

 

っていうのは、美空ひばりや江利チエミの名が出されていたように、ずっと時代をさかのぼると演歌っていろんなのがあって、わりとまだ型にはまっていなかったんだよなあというのがぼくの実感としても前からあります。

 

ある時期以後現在まで伝わる演歌のステレオタイプとは、ぼくのみるところ次の三つ:和服、派手でゴージャスなオーケストラル・サウンド、感情的で濃厚なドラマティック・ヴォーカル。そして、実はこれら演歌初期時代にはまだ揃っていなかったものなんですよね。

 

たとえば美空ひばりの「港町十三番地」(1957)。このころのひばりを演歌の枠に入れるのにはかなり強い抵抗がありますが、それでもこの曲が演歌的なもののさきがけだったことは疑えません。その後パターン化するいはゆるマドロス物ですし。

 

これを聴いてもですね、伴奏はきわめて簡素&スカスカで隙間だらけ。歌のメロディ・ラインは日本情緒を感じさせるヨナ抜きですが、それを歌うひばりのヴォーカルはボーイッシュにさっぱりした淡白なもの。もちろんコブシもヴィブラートもありません。このころのひばりはですね。

 

問題は(演歌的なものを歌いながら)そうしたポップでライトな歌手だったひばりだって、世間での演歌イメージが確立されて以後の時代における再演では、同じ曲をやってまったく様子が違ったということです。着ることのなかった和服をまとっていましたし(亡くなるまでドレスもよく着たけど)。

 

象徴的演歌ヴォーカリストみたいな存在だった都はるみでも、初期の「アンコ椿は恋の花」(1964)なんかはまださほど演歌的じゃないぞという印象があります。歌いくちはたしかにはるみらしさ満開ですが、伴奏は大げさでも劇的でもありません。コミカルなタッチすらありますし。

 

はるみは後年の述懐で「わたしたちがデビューしたころは、まだ “演歌” という言いかたはありませんでした、”流行歌” とみんな言っていました」とふりかえっていたことがあります。大歌手になってからの定番スタンダード「大阪しぐれ」(1980)でも伴奏はコンボ編成中心ですからね。ナイロン弦ギターが目立っているのは演歌定型の一つではありますが。

 

以前記事にした島倉千代子なんて、あんな細い声で弱々しく歌うヴォーカル・スタイルの持ち主だったんで、およそ演歌唱法のお決まりパターンから外れた歌手だったのが、それでもこのジャンルを代表する一員として売れに売れて世間にちゃんと認められていたわけです。

 

こうみてくれば、1950〜60年代にデビューした演歌初期時代の歌手たちに、ある時期以後世間が持つようになった「ザ・演歌」のステレオタイプはあてはまらないとわかります。それなのにそうした固定イメージをそれらの歌手に対して強く持っているような演歌ファンや関係者は、実はちょっとおかしいでしょう。

 

世代を下って聴き進むと、演歌のイメージが固定化されはじめたのはどうも八代亜紀(1971年デビュー)あたりからじゃないかと思えます。73年の「なみだ恋」、77年「おんな港町」あたりを聴けば、そこに後年いだかれるようになった演歌<らしさ>の定型がすでにしっかりあるとわかります。亜紀はこれまた大成功したので、このイメージの普及に役割を果たしたんじゃないでしょうか。

 

その少し前、藤圭子もこの固定イメージを強力に発散していました。「新宿の女」(1969)、「圭子の夢は夜ひらく」(70)など、圭子は着物こそ着なかったものの(これは亜紀もそう)ドスの効いたハスキー・ヴォイスとすごみのある歌いまわしで、演歌とはこういうものだと世間に知らしめたと思います。

 

コブシ遣いとヴィブラートが強すぎると思うほどのヴォーカリスト、森進一の活躍も同じころで(「港町ブルース」69、「おふくろさん」71)、やはり豪華で派手なオーケストラ伴奏に乗せて声を揺らしまくる濃厚唱法で時代を画しました。

 

進一本人は演歌の枠にくくられることを嫌い、たとえば74年の「襟裳岬」(吉田拓郎)や82年「冬のリヴィエラ」(松本隆大瀧詠一)などといったポップな曲もよくやって、それらではヴォーカルも抑制の効いたさっぱりした感触にしあげてはいます。

 

そして石川さゆり(1973年デビュー)。さゆりこそ、いまに伝わる演歌ステレオタイプを最もティピカルに体現していた代表格でしょう。着物姿、ゴージャスなオーケストラ伴奏、シリアス&エモーショナルな歌いまわしの完璧三点揃いで、77年「津軽海峡・冬景色」、86年「天城越え」の二大ヒット・ソングを放ち、演歌イメージの固定化に尽力しました。

 

さゆりのこの二曲が持った影響力は実に甚大で、その後の演歌界の方向性を決定づけ <演歌かくあるべし>という固定観念の確立に大きく寄与したのです。さゆりにあこがれて歌手になった坂本冬美(1987年デビュー)にしろ、「津軽海峡・冬景色」をAKB48の歌くらべで披露したのがきっかけで切符をつかんだ岩佐美咲(2012年デビュー)にしろ、そうです。

 

さゆりだっていまだ第一線ですが、おもしろいのはたとえば冬美にしたって演歌の固定イメージをしっかり守りながら活動してきたようにみえながら、近年は坂本昌之アレンジで従来演歌をさっぱり淡白&薄味に歌うという『ENKA』シリーズ(2016、17、18)を発表し、新世代的なあっさり演歌スタイルをベテランでありながら表現していると思えるところ。

 

冬美みたいな存在がこうした世界へと足を踏みいれるのは、やはり時代の要請に即応したというか、いはゆる第七世代的な新感覚若手演歌群が台頭してきている現状を鑑みてのことだったんじゃないでしょうか。演歌も時代にあわせてアップデートしていかないと生き残れませんから。

 

今日このように考えてくると、これが演歌だっ!という固定的な典型イメージが樹立されたのはそんな古い話でもないし(せいぜい70/80年代あたりから)、それにしてからが2010年代以後は塗り替えられつつあるのかもしれないですから。

 

(written 2022.11.7)

2022/11/17

哀歓センバ 〜 パウロ・フローレス&ユーリ・ダ・クーニャ

Ab67616d0000b273f337ad828336bc4024769e18

(2 min read)

 

Paulo Flores, Yuri da Cunha / No Tempo das Bessanganas
https://open.spotify.com/album/7v5tR4gWCYoZRPmyQMiv5D?si=p4VdR1NuSvSN_lCamGi1IQ

 

Astralさんのブログで知りました。
https://astral-clave.blog.ss-blog.jp/2022-10-19

 

アンゴラのパウロ・フローレスとユーリ・ダ・クーニャが組んだ新作EP『No Tempo das Bessanganas』(2022)が全編王道センバ路線まっしぐらで、とっても気持ちよくツボを刺激され、くりかえし聴いています。

 

どの曲もいいし、特に2曲目のアルバム・タイトル・ナンバーが大の好み。マイナー・キーに設定された曲調もグッド。これだけじゃなくアルバム全体で、細かく刻みながらゆったり大きくノるっていうクレオール・ミュージックのグルーヴが健在なのはうれしいところです。

 

ヴォーカルは二名で分けあっているものの、ほとんどがパウロ主導で用意された曲みたいですしプロデュースもパウロなので、パウロが主役の作品とみていいんでしょう。なによりいままでの作品傾向からしてそうに違いないと判断できるカラーがあります。

 

そんなパウロ・フローレスといえば、ぼくにはこれが衝撃の出会いだった2013年作『O País Que Nasceu Meu Pai』のことがやっぱり忘れられなくて、大傑作でしたし、くりかえし聴いていまだに新鮮なんですけど、今回のEPはそれを彷彿させるものがあるというか、完璧同一路線な内容で、そこもポイント高いんですよね。

 

あのあと最近までパウロはいろんな傾向の音楽をやってきましたが、個人的にはこうした哀歓センバにつらぬかれたものをやるときに琴線に触れるものがある音楽家なんです。今回はたった六曲27分で、そこもかえってコンテンポラリーに聴きやすく、それでいて不足ない充実の聴きごたえがあります。

 

(written 2022.10.30)

2022/11/16

バンドが自分の楽器だ 〜 マイルズ

2f524c855445452a9e12922ffaaf6073

(3 min read)

 

前から言いますように、マイルズ・デイヴィスという音楽家(主にトランペット)は、バック・バンドがどんなでも闊達に吹けて本領を発揮できたというタイプではありませんでした。その点では凡庸な演奏を従えてでも天才的なプレイをしたルイ・アームストロング、チャーリー・パーカー、クリフォード・ブラウンらとは異なっています。

 

マイルズのばあいは「バンドこそが自分の楽器」といったようなスタイルの持ち主。だからバンドの演奏がつまらないと連動するように自身のトランペットまでたいしたことないように聴こえてしまう音楽家なんですね。そこをしっかり自覚できていたがゆえに、いつの時代でもバンド・メンバー選びには最大の注意を払っていたわけです。

 

どんな音楽家でもそういった部分はあると思いますが、マイルズのばあいはバンドに左右される度合いがひどいんですよね。裏返せばバンドがしっかりしていれば、それに乗って自身のトランペットもいい感じに聴こえるし、そもそも間をとても大切にしていた音楽家で、特にノリよくグルーヴィにドライヴするタイプの音楽でこういったことが最大限に発揮されたと思います。

 

そしてバンド任せで自由にやればいい、自分はさほど口出しせず伸び伸びと演奏してもらいたいという感じでもありませんでした。スタジオ・セッションではもちろんライヴ・ステージ上でもメンバーにうるさく指示を出して、自分の目指す方向性のサウンドに持っていけるように按配していました。

 

ライヴのときなんか自分が吹いていないあいだはソデにひっこんで知らん顔していたじゃないかと言われそうですが、バンドのサウンドはしっかり聴いていて、その場ですぐにではないにせよ、あとからここはこうしろと指導していましたし。73〜75年ごろのファンク期以後亡くなるまではそのままステージにいて、客席には背中向けて、演奏中にバンドへ指図していました。

 

こういったことはバンドこそが自分の楽器だという気持ちがあるからやること。リーダー・ミュージシャンとしての責任感みたいなものともいえますが、バンドがグルーヴするか否かで自分のトランペットが、音楽全体が、生きるか死ぬかも決まってくるんですから、文字どおり命懸けでバンド・サウンドの構築に取り組んでいたんですよね、マイルズは。

 

この点においてはデューク・エリントン、マイルズ・デイヴィス、フランク・ザッパ、プリンスの四者は同一タイプのミュージシャンだったなと思いますね。

 

(written 2022.9.14)

2022/11/15

ステレオタイプ化し先細る演歌界でタコツボを脱するには

Screenshot-20221114-at-130108

(4 min read)

 

https://digital.asahi.com/articles/ASQBG2GT6QBFUCVL04W.html

 

フィジカルの新聞はもう10年以上購読していませんが、朝日新聞デジタルでこないだ演歌歌手、神野美伽(しんのみか)のインタヴュー記事を読みました(↑)。我が意を得たりというか、とても強く納得するものがありましたよねえ。

 

特に記事後半で、演歌界のかかえる現代の課題が指摘されている部分。神野だけの認識じゃありません、演歌はよりひろくより若い世代へとファンを拡大させることなく、どんどん衰退の一途を続けてきたというのが事実。現実(インターネットが苦手というような)日本人年金受給世代にしかファンはいないといってもほぼさしつかえないくらい。

 

70代以上でも演歌ファンは特殊化されてきていると神野は発言しています。原因の一つとして「作っている我々がカテゴライズし過ぎた部分はある」と。演歌歌手というお決まりのパターンにはめ込みすぎたせいで、演歌イメージがステレオタイプ化しているのは事実だろうとぼくも以前から感じています。

 

そのせいで「コアな一部の人のための音楽になってしまったのではないか」と演歌界の現状を神野は分析しています。「演歌とはかくあるべし」〜 そんなイメージが固定化されたのが現代。とりあえず着物をまとい、ゴージャスなサウンド(コンピューター&シンセサイザー代用であれ)に乗せて劇的に歌うっていう、そんな固定観念。

 

これは旧世代の話じゃありません。むしろ最近登場した若い世代の演歌歌手のほうがこうした「演歌はこうじゃないと…」っていうステレオタイプにとらわれています。それで、まず着物だと。おそらく本人の意思というより、レコード会社や事務所など周囲の製作陣の発想が固定化されているためでしょう。

 

なんたってだれあろうぼくらのわさみん(岩佐美咲)にもこれはあてはまることですからね。ヴォーカルこそ新世代感に満ちているものの、着物姿、ゴテゴテしたケバい派手目サウンド、とりあえずのアクースティック・ギター弾き語りなど、まさしく演歌の固定イメージ一直線。ファンだってそれを求めているようなフシがありますから。

 

わさみん本人もそれを意識しているとみえ、「演歌歌手」というある種の role を演じてみせているようなところがあります。もちろん声や歌はごまかせないので、持っている新世代感が素直に出ていますけど、ただでさえコロナ時代になって活動が停滞するようになっていますから、このままじゃタコツボ化するばかりで未来がありません。

 

どこに打開のヒント、処方箋があるか。上記リンクの神野美伽インタヴュー記事では、最新作で江利チエミをカヴァーしていることに触れ、美空ひばりとかチエミとかの1950年代、つまり演歌がまだジャンルとして確立もしていなかった時代に活動をはじめた歌手たちに、実は現代の演歌歌手も突破口を見出せるんじゃないかという意味のことが書かれています。

 

それを踏まえれば、そもそもヴォーカル・スタイルや歌手としての才、資質では抜群に多ジャンル接合的で、秀でて現代的だったわさみんには、そういうやりかたが可能であるはずとぼくは思います。卒業して七年、AKB48出身という大看板ではもはや商売できなくなったいまこそ、幼少時代から歌っていたという本来の持ち味を活かせるときだと思うんですけどね。

 

(written 2022.10.24)

2022/11/14

空調の効いたスタバでかかっていそうなチルい 〜 イリアーヌ・イリアス

71wd6dwgaul_sl1200_

(4 min read)

 

Eliane Elias / Quietude
https://open.spotify.com/album/0SzEjiRsCBU2SWT0C6ydUs?si=qOfCbdIwT3mvLsbPZWdSLA

 

イリアーヌ・イリアス(というカナ表記でおっけ?)を一度もSpotifyで聴いたことがないのに、なぜだかこないだの新作案内プレイリスト『Release Rader』に出現した最新作『Quietude』(2022)。

 

このプレイリストは、聴いたことのない音楽家でもふだんのぼくの聴取傾向から勘案し向いていると判断したものを出すことがよくあるので、ってことはイリアーヌも好みなんじゃないかとAIに思われたってことだなあ。う〜ん、そんなには…。

 

このブラジル出身在USAのピアニスト&ヴォーカリストは、たしかぼくが大学生のころ(もうちょいあとだっけ?)から活躍し、当時はちょっとした話題で、でもいまだ現役で新作をリリースしているっていうのは案内があるまで気づかなかったというか、正直これといった興味を持ったことは生涯一度もなかったというか。

 

でも最近音楽の趣味が静か et おだやか寄りに傾いてきているし、そもそも人生ってどこに縁があるかわからないし、せっかくだからと聴いてみたんですよね、イリアーヌの『Quietude』。そうしたらけっこう悪くないじゃんと感じましたから、やっぱりぼくは変わったよなあ、こういう音楽、歯牙にもかけなかったのに。

 

ひとことにしておしゃれカフェ・ミュージックというか、たとえばぼくもよく行くスターバックスあたりの店内BGMとしてかかっていそうなムード。小洒落た <ジャズ&ボサ・ノヴァ> というふうにくくるときの音楽が好きだっていうような層があるかと思いますが、そうした室内楽としてイリアーヌの本作なんかはピッタリ。

 

カドがまったく立たず、丸く静かで、おだやかな凪の海のよう。むかし(といってもまだそんな長い時間は経っていないけど)「ジョイカフェ青山」っていうサイマル・ラジオ番組があったんですけど、青山奈央っていう美声の持ち主がDJで、おしゃれカフェ・タイムをいろどるジャズ&ボサ・ノヴァを選曲しかけてくれるという週一回30分。奈央さん、お元気ですか?

 

ビ・バップ好きのひでぷ〜(hideoさん)らといっしょに、Twitterをはじめた2009年11月からしばらくのあいだ毎週ジョイカフェを楽しんでいたんですけど、その番組でかけたらピッタリきそうな音楽ですよ、イリアーヌの本作。番組がもしまだあったなら間違いなく流れそう。

 

それでも8曲目「Bolinha de Papel」なんかジャズとしてまずまず聴きごたえあるし、ドリヴァル・カイーミとのデュオでしっとり聴かせるラスト11曲目「Saveiros」もいいし。

 

だいたいかの『ゲッツ/ジルベルト』路線なんで、あのへん近年再評価いちじるしいわけですから、イリアーヌのこうしたくつろぎサロン・ミュージックに耳を傾けるというかだらだら流してちょうどいいチルなサウンドとして楽しむのもいいんじゃないかと。

 

ジョイカフェを聴きはじめた2009年には、こうした室内向けのチルい音楽はまだたいした流行になっていなくて、ここ数年じゃないですかね、大きなうねりになってきているのは。ロー・ファイ(・ヒップ・ホップ)あたり、音の表層としてはかなり違うものですけど、実は本質において同種のものかもしれません。

 

あっ、それでイリアーヌがSpotifyの『Release Rader』に出てきたわけ〜?

 

(written 2022.10.22)

2022/11/13

1970/2020年のダブル・ヴィジョン 〜 ミコ・マークス

91mrbasqqcl_ss500_

(3 min read)

 

Miko Marks & The Resurrectors / Our Country
https://open.spotify.com/album/5e5PRCyX77IfDVxTQF0vUZ?si=lssvvJtARhOCY-hcqN6k4g

 

そいで、ミコ・マークスがレッドトーン・レコーズと契約しハウス・バンドのザ・リザレクターズと組むようになってからの第一作『アワ・カントリー』(2021)も聴いてみました。このチームによるきのう書いた最新作ですっかり気に入っちゃったので。

 

こっちはザ・バンドっていうよりレイド・バックしたディレイニー&ボニーみたいなLAスワンプ・ロック色が強く、ホンキー・トンクなフィールもあります。ジャケット・デザインも断然こっちがより好みで、いいなあこれ。

 

収録曲は2「ハード・タイムズ」がかのスティーヴン・フォスター作で、ラスト10「ナット・ビー・ムーヴド」がトラディショナルをベースにリアレンジしたものなのを除き、ミコ&レーベルのジャスティン・フィップス&バンドのスティーヴ・スズキ・ワイアマン三者の共作か単独作ですね。

 

いずれもカントリー、ブルーズ、ゴスペルなどが渾然一体化していた1970年ごろのスワンプ・ロック・スタイルで統一されていて、ミコのカントリー・ソウルな志向とレーベルやバンドの方向性が合致しているという喜びや充実感がサウンドにあふれています。

 

1曲目「アンセスターズ」だけ聴いてもそれはあきらか。このグルーヴ感ですよ、こういうのこそぼくがロック(やその周辺)に求める最も強い快感。それにこのエレキ・スライド・ギター、かっちょええ〜っ!まるでドゥエイン・オールマンみたいなこれはおそらく中心人物のスティーヴ・ワイアマンが弾いているんでしょう。すばらしいのひとこと。

 

フォスターの「ハード・タイムズ」も、なんだかソウルウルにしあがっているし、3曲目以後もアクースティック楽器を中心としながら、適度にエレクトリックなサウンドを按配する加減がいい。どっちかに決めつけないバランス感覚もあのころのロックがしっかり持っていたものでした。

 

ブルーズ、カントリー、ソウル、ゴスペルなど人種に関係なくアメリカ音楽の混淆を実現している姿勢は、ある意味現代のBLM的意味合いをも帯びているといえて、じっさい歌詞にそうした主張が色濃く表現されている曲もあり。この点においても1969〜70/2020年代以後的な重層性がミコの音楽にはあります。

 

(written 2022.11.2)

2022/11/12

教会とジューク・ジョイントが立ち並ぶ光景で 〜 ミコ・マークス

Ab67616d0000b273cb0271da1e221d60d9ac38c7

(3 min read)

 

Miko Marks & The Resurrectors / Feel Like Going Home
https://open.spotify.com/album/7cT12Vf8M9wtFZ9vAM7Now?si=URIZL9kcRJybRj1gRUKu0A

 

萩原健太さんのブログで教えてもらいました。
https://kenta45rpm.com/2022/10/19/feel-like-going-home-miko-marks/

 

現役でいえばメイヴィス・ステイプルズとか、いやいやなによりも1970年前後ごろのザ・バンドやディレイニー&ボニーあたりがそのまま甦ったようなオールド・ファッションドな音楽であるミコ・マークスの最新作『Feel Like Going Home』(2022)は、ですからあのへんが大好きなファンにはこたえられないもののはず。

 

ミコは黒人ながらオールド・カントリーの世界でデビューしたらしく、これがアメリカーナとかだったらそうでもなかったんでしょうが、ナッシュヴィルあたりで保守的な発想をいまだ硬固に持つみなさんには受け入れがたいものがあったようで、苦労したみたいですよ。

 

考えてみればザ・バンドとか同じころのいはゆるLAスワンプ系などふりかえってもわかるように、白人音楽と黒人音楽はずっと同じパレットに並んでまぜこぜで歩んで時代時代の新しい音楽を産み出し続けてきたというのがアメリカ大衆音楽の真実。

 

2005年のデビュー以来ミコの努力はそうした認識にしっかり立脚し、レトロな原点回帰をしつつ、自分の信じる道をつらぬいてきた結果だったと思うんですね。ようやく結実しはじめたのが2021年にレッドトーン・レコーズに移籍し、ハウス・バンドのザ・リザレクターズと組むようになってから。

 

本アルバムがそうなっての二作目というわけ。バンドとレーベルの全面協力を得て、ごきげんにディープなカントリー・ソウルを届けてくれています。1曲目を聴くだけで本作やミコがどんな音楽性の持ち主なのかくっきりわかろうというもの。時代遅れと笑われるかもですけど、エヴァーグリーンなんだとぼくは考えていますね。

 

ザ・バンドそのまんまというミコらしさが爆発しているのは特に2曲目以後。2「ワン・モア・ナイト」なんてそっくりすぎると思うくらい。その歌詞に「ジューク・ジョイントと教会」というのが出てきますが、まさに聖と俗、それらが併存するアメリカ南部社会のリアルな光景を思い浮かべるようなサウンド。

 

以後もメイヴィス・ステイプルズ、シスター・ロゼッタ・サープ、アリーサ・フランクリン、エタ・ジェイムズなど、偉大な先達からの影響を色濃くたたえた極上のカントリー・ソウルを聴かせてくれるミコのその歌声そのものに教会とジューク・ジョイントとが共存しているフィーリングが聴こえますよね。

 

黒人だけでなく、もちろんザ・バンドとかジョー・フォガティとかジョー・コッカーとか、あの当時のそのへんの白人男性ロック歌手をも意識しているようなヴォーカル・トーンですし、バックをつとめているザ・リザレクターズがそんな傾向のバンドなんでしょう。

 

(written 2022.10.26)

2022/11/11

12 Essential Contemporary Blues Artists(2)〜 ルーシー・フォスター

51xlrpxznql_sy580_

(3 min read)

 

Ruthie Foster / Live at the Paramount
https://open.spotify.com/album/4WpmLRfmXFom0gjfLb9FWG?si=QKiu8KXpT72flqdqrxzsJw

 

以前シュメキア・コープランドをピック・アップしたPopMattersの記事『12 Essential Contemporary Blues Artists』(↓)から、二回目はルーシー・フォスターをとりあげてみます。
https://www.popmatters.com/12-essential-contemporary-blues-artists

 

ルーシーは1997年にアルバム・デビューしているようなので、その点ではやはり新世代っていうわけじゃないんでしょうが、こねくらずガナらずコブシもまわさないヴォーカル・トーンにはジャジーなさっぱり感があって、決して旧タイプの濃ゆい歌いくちじゃないですね。

 

最新作『Live at the Paramount』(2020)は、地元テキサスはオースティンのパラマウント・シアターでやったショウをライヴ収録したアルバム。大きな編成のバンドをしたがえていて、そのアレンジを(マイルズ・デイヴィスとの共演歴もある)ジョン・ビーズリーがやっています。

 

ちょっぴりハイ・ソウルっぽいフィーリングも香る音楽で、だからブルーズの枠で知りはしたものの、本作で聴くかぎり実態はさわやかジャジー・ソウルみたいな持ち味です。ジャズ・シンガー寄りかなという感触がしますね。

 

なんかフュージョンっぽいのも三曲ほどあったりするし、それでいて従来的なジャンプっぽい強いシャッフル・ビートの効いたストレートなブルーズ・ナンバーで声を張るものも複数あるっていう。

 

しかしどんな曲をどんな伴奏でやるにせよ、ルーシーのストレート&ナイーヴなヴォーカル・スタイルは一貫していて、それがあるから安心して聴くことができますね。従来的な曲想のブルーズ・ナンバーでは大向こうをうならせるミエを切るような強い発声もできる多彩なスタイルの持ち主。

 

アルバム全体でみると、ブルーズの枠で知り聴いてみたもんだからどうしても「けっこうさっぱり淡白なジャジーさだ」という印象が先行してしまいますが、ほんとうはそっち、つまりブルーズも歌えるジャズ歌手、と考えたほうがいいのかもしれません。バンドのサウンド・アレンジも手伝って、そういう気になってきました。

 

なお、ラストでアンコール的に二曲のジャズ・ナンバー「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」「マック・ザ・ナイフ」をやっていますが、その前の「フェノメナル・ウーマン」がとってもいいです。キャロル・キング/アリーサ・フランクリンの「ア・ナチュラル・ウーマン」を意識した曲なのはあきらか。

 

決してロー・ダウン&ダーティな感じになることがなく、どんな曲をやっても常にクラッシーなのがルーシー。その意味では、もはやベテランに近いくらいのキャリアの持ち主ではありますが、(ブルーズ歌手とみれば)新世代的な感覚を備えているといえる面があるかも。

 

(written 2022.10.27)

2022/11/10

ゴスペル新世代?〜 サラ・ブラウン

41zurxb4hvl_sy580_

(3 min read)

 

Sarah Brown Sings Mahalia Jackson
https://open.spotify.com/album/1sBIYJA6QJMbcV8aGPHspJ?si=l9L4hnZpRs24JRld8FbXKQ

 

ロンドン出身の歌手、サラ・ブラウン。ソロ・デビュー作じゃないかと思うんですがアルバム『シングズ・マヘイリア・ジャクスン』(2022)はそこそこ充実の内容で、しかもコンテンポラリーなさっぱり感もあるっていう。

 

こうしたブルーズとかゴスペルなどの世界は、ここ10年くらいかな、だんだん敬遠されるようになってきていて、注目の新作が出てもあまり話題にならないし、ましてやレヴューなんて書かれないという現状になってしまっていますよね。

 

アルバム題どおり偉大なマヘイリア・ジャクスンのレパートリーをカヴァーした企画もので、だからスピリチュアルズやゴスペル中心の内容。世俗曲もまじっていますが、それらだって解釈は教会寄りのものです。伴奏はジャジーなピアノ・トリオが中心。

 

サラはべつにゴスペル歌手だとかその世界で活動してきたとかってわけじゃなさそうですけど、同じ歴史を背負う黒人としてその大きな先輩歌手にリスペクトを示したい、作品として残したいという思いがあったんじゃないかと想像します。それもまたBLMエラ的アティテュードでしょう。歌手としての資質はジャジーなポップさが特質なんじゃないかと。

 

本作でもわりと自由に歌っているし、それにいくつかの定番有名ナンバーで別な曲をくっつけて大胆に展開したりなど、かっちりした曲の枠組にとらわれすぎないでこなしています。1曲目だってそうですし、4「サマータイム」だってわりとすぐ「マザーレス・チャイルド」になっているし(メロは「サマータイム」のままで)。

 

バンドの演奏する内容というか特にビート感がジャズ・ミュージックのそれで、典型的なゴスペル色は感じさせませんが、サラのヴォーカルだって重さや深刻さがなく、コブシもヴィブラートもなしであっさりすっと歌っているのは、やはり新世代らしいといえるでしょうか。ラテン・ビートを使った曲もあります。

 

歴史をひもとけば、ブラインド・ウィリー・ジョンスンとかシスター・ロゼッタ・サープみたいにゴスペルを世俗的に楽しく自由にこなす存在はずっと前からいたので、サラ・ブラウンの本作もそうした流れのなかにおけば、ポジション的にはことさら新世代ということではないのかも。

 

(written 2022.10.17)

2022/11/09

グラント・グリーン「ジェリコの戦い」の思い出

Ab67616d0000b273f38c0b3bb6dcd2fc767f514b

(5 min read)

 

Grant Green / Feelin’ the Spirit
https://open.spotify.com/album/1yejkU8avlKZK3PuH3sjHC?si=rtCBKMV-RAqguWhy8tURDg

 

ジャズ・ファン史上いちばんはじめに好きになったギターリスト、グラント・グリーン。最初に買ったレコードは『フィーリン・ザ・スピリット』(1963)でしたが、これに出会ったのには別のきっかけがありました。

 

ジャズきちになってすぐにLP二枚組のブルー・ノート・ベストみたいなコンピレイションを買ったんですよね。名演ばかり一曲づつ選りすぐった日本盤で、だれが編纂者だったのかもアルバム題も忘れてしまいましたが、いまでも忘れられないのはグラント・グリーンの「ジェリコの戦い」をそのコンピで聴いたときの衝撃。『フィーリン・ザ・スピリット』からの一曲。

 

なにも知らない高校三年生には、あの「ジェリコの戦い」はあまりにも刺激フルでした。ジャズ・ギターを聴いたのだってたぶん初めてだったし、ニグロ・スピリチュアルズ(という言いかただったあの当時は)との初邂逅だったのも間違いありません。聖書の世界だってなにも知らず。だからねえ、そんな人間が聴く音楽じゃなかったよねぇ。

 

といってもそのブルー・ノート・ベストみたいコンピは入門者向けのガイド・サンプラーみたいなものだったので、だから「ジャズとはこういう(のがベースにある)音楽なんですよ〜」と指し示すような、つまりあのころのジャズ史観を典型的に反映した選曲だったんでしょうね。21世紀だったら選ばれたかどうか。

 

そしてぼくはこうした案内に導かれるがまま、ジャズからブラック・ルーツを探求するように音楽ライフを送ってきて、たしかにこのごろはあっさり淡白な薄味系を好むようになってきてはいるものの、長年濃口で塩分高めなブラック・ジャズやそれに近接する領域をこそ愛してきたのです。デイヴ・ブルーベックなんかどこがいいの?っていう人生でした、去年ぐらいまで。

 

こんなことを思い出し『フィーリン・ザ・スピリット』をひょっとして25年ぶりくらいにちょっと聴きかえしたりしているのは、ブルー・ノートの公式ソーシャル・メディアがこれをトーン・ポエット・シリーズの一つとしてヴァイナル・リイシューしたと投稿しているのを見かけたから。

 

いま聴くと、2曲目の「ジェリコの戦い」はたしかに名演ですしブラック・ジャズの王道をいくものではあるものの、ちょっと暗いというか深刻さが目立つような気がして、これが本作を代表するものだと言われると、聴くひと買うひと減っちゃうんじゃないかなという気がしないでもなく。

 

個人的には1曲目「ジャスト・ア・クローサー・ウォーク・ウィズ・ジー」なんかの小走りで駆けているような軽快さがもっと楽しいように思います。3曲目「ノーバディ・ノウズ・ザ・トラブル・アイヴ・シーン」も、曲題は深刻そうだけど実際の演奏はそんなでもなく聴きやすくていいですし。

 

それから、これはぜひ付言しておきたいことなんですが、このアルバムでピアノを弾いているのは2022年現在でも現役活躍中のハービー・ハンコックなんですね。録音セッションの1962年12月っていうとマイルズ・デイヴィス・バンド加入(63年春)直前くらい。

 

マイルズ・バンドではビル・エヴァンズ系の洗練されて落ち着いたクラシカルなピアノを弾いたという印象の強いハービーですが、62年5月録音のソロ・デビュー作『テイキン・オフ』には「ウォーターメロン・マン」があったし、ファンキーなブラック・ジャズ方面の資質も同時に持ち合わせているピアニストでした。

 

ですから70年代なかごろからポップ・ファンク路線に進んでああいった感じになったのもじゅうぶん納得できる音楽家ではあったんですよね。79年没のグラント・グリーンだって70年ごろからは類似傾向のファンク・ジャズをやり、ソウル・ナンバーだってたくさんカヴァーしました。

 

(written 2022.10.16)

2022/11/08

大人の恋愛性愛をさっぱりとつづる現代サザン・ソウル 〜 アヴェイル・ハリウッド

Img_5391

(1 min read)

 

Avail Hollywood / Love, Lies, Loyalty
https://open.spotify.com/album/0kvb416o9LD4EKbpDhF1iq?si=S9oRJmOsQCegyGIVEF672Q

 

bunboniさんのブログで知ったコンテンポラリー・サザン・ソウル歌手、アヴェイル・ハリウッド。その後もSpotifyではどんどん新作が『Release Rader』で紹介されますが、いまのところの最新アルバム『Love, Lies, Loyalty』(2022)も納得の内容。

 

サウンドは標準的なものかと思いますが、声のディープさがいいですよね。それでいて暑苦しくなくさっぱりした印象を残すのは新感覚っていうか、いかにもいまどきらしいところ。むさい感じがするところが長年サザン・ソウルに苦手意識を持っていた原因ですから、それがないのはうれしいところ。

 

アダルト・オリエンティッド・ソウルとでもいうべきか、大人の恋愛性愛をこうしたしっとり&さっぱりなヴォーカルでつづるというのがアヴェイルの持つひとつのスタイルなんでしょう。ドラマーなんだということですが、本作のビートは打ち込み(それもアヴェイル担当?)、その他デジタル・サウンドが多用されています。

 

ですが、この声には間違いないアナログな質感や肌ざわり、ヒューマンなぬくもりがあって、ゆえに好感度大。インディーなんでしょう、製作費はかなり切り詰めた低予算サウンドなのが一聴でわかりますが、ヴォーカルはごまかせませんからね。アヴェイルもそこらへんしっかりした実力を感じさせる存在です。

 

(written 2022.10.15)

2022/11/07

キュート&チャーミング!知世カヴァーズ

Uccj2214_ute_extralargejpg

(4 min read)

 

v.a. / ToMoYo covers 〜 原田知世オフィシャル・カバー・アルバム
https://open.spotify.com/album/2jXG91MPq9hN7ZEpdY1w9n?si=3d2NiMQYS4iPn17lmMFNWg

 

今年原田知世の活動が活発化しているのは、もちろんデビュー40周年のアニヴァーサリーだから。新作オリジナル・アルバム、東名阪ツアー、二枚組オールタイム・ベスト・アルバム、大規模コンサートと続いて、今度は公式カヴァー・アルバム『ToMoYo covers』(2022)が出ました。

 

『ToMoYo covers』に収録されている歌手とその曲目は以下のとおり。

1)土岐麻子「天国にいちばん近い島」
2)藤原さくら「早春物語」
3)中納良恵「ダンデライオン〜遅咲きのたんぽぽ」
4)堀込泰行「シンシア」
5)kiki vivi lily「ロマンス」
6)indigo la End「ヴァイオレット」
7)橋本絵莉子「冬のこもりうた」
8)キセル「くちなしの丘」
9)Plastic Plastic「時をかける少女」

 

聴いていると、なんだかみんな知世が好きなんだ、愛されているんだなというリスペクトの念がひしひしと伝わってくるこのアルバム、曲は2「早春物語」を除き、すべて知世の伊藤ゴロー時代に初演されたかリアレンジ再演されたものばかり。

 

そうした知世ヴァージョンをカヴァー歌手たちも基本尊重しながら今回取り組んでいるなとわかるのが好印象。といっても声が違いますから、印象がガラリと変わっているものもあるんですが、サウンド・プロデュースはあくまで知世リスペクトでやっているとわかります。

 

例外は土岐麻子の1「天国にいちばん近い島」で、これは坪口昌恭がこの世のものではない美しいピアノを弾いた再演ヴァージョンではなく、オリジナル(1984)に近い印象です。土岐なりの工夫がサウンドの随所に聴きとれて、知世オリジナルのキュートさは維持しつつ、さらにかわいく仕上げたのがいいですね。

 

ピアノがジャジーな藤原さくらの2「早春物語」もかなり好み。実をいうと土岐麻子以外は今回はじめて聴く歌手たちなんですが、藤原は魅力的な声の持ち主ですよ。やや危ういフィーリングもあった知世ヴァージョンに比し、しっかりした手ごたえを残すヴォーカルです。

 

落ち着きを感じさせる中納良恵の3「ダンデライオン〜遅咲きのたんぽぽ」はアダルト・ポップスといえる内容で、中納も実はちょっぴり音程感があいまいかな?と思わないでもないんですが、あえてコンピューター補正しないのは声のチャームを殺さないようにとの配慮でしょう。

 

ほぼアクースティック・ギター弾き語りというに近い堀込泰行の4「シンシア」もしんみりしていて、さわやかさが目立っていた知世ヴァージョンよりもしっとり感を増しています。じっくり語りかけるようにことばをつづる堀込もいい歌手。

 

7「冬のこもりうた」を歌う橋本絵莉子の幼児っぽいロリ声はやや苦手かもしれないんですが、それでもおっいいねと思える瞬間があります。5「ロマンス」を歌うkiki vivi lilyと6「ヴァイオレット」を歌うindigo la Endのヴァージョンには、どっちにもシックスティーズっぽいレトロ・ポップなフィーリングが感じられ、個人的には好ましく。

 

おだやかなロック・チューンっぽい感触になったキセルの8「くちなしの丘」も、知世2017年ヴァージョンを意識したようなストリングスも聴かれるPlastic Plasticの9「時をかける少女」も、それぞれ聴かせる内容があります。アルバム全体ではやはり近年のグローバル・ポップスらしいオーガニックさに満たされているのがグッド。

 

知世ソングを素材にした今様J-POPの見本市として聴くこともできますね。

 

(written 2022.11.6)

2022/11/06

ワン・グルーヴで一体化 〜 プリンス『ジ・アフターショウ』

71utihn6l_ss500_

(3 min read)

 

Prince / One Nite Alone…The Aftershow: It Ain’t Over!
https://open.spotify.com/album/4cnxxYwMvBQN4LGEq2nKVq?si=jyEAF2NeQp2FUjoWSKzogQ

 

ときどきはこうしたごりごりのハード・コアなディープ・ファンクも聴きたいプリンスの『ワン・ナイト・アローン…ジ・アフターショウ:イット・エイント・オーヴァー』(2002)。聴けばじっさい楽しいもんね。

 

CD二枚組のライヴ・アルバム・セット『ワン・ナイト・アローン…ライヴ!』ボックスを買うとおまけみたいに付属していた三枚目のこの『アフターショウ』のことは、このブログでも2016年に一度書いたことがあります。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-8323.html

 

そのほかWikipediaページをはじめネットで検索すればくわしい情報や解説文のたぐいがどんどん見つかるんじゃないかと思うので、ぼくは再度個人的な感想だけ手短に記しておきます。プリンスの全アルバム中いちばん好きかもなあ。

 

そこまで好きっていうのは、やっぱりディープ・ファンク一色で染められたハード・コアなアルバムだから。特にグッとくるのは5曲目「アルファベット・ストリート」がはじまる瞬間からです。あのエレキ・ギター・カッティングはなんど聴いてもいまだシビれますね。

 

それもふくめ、いちおう既存の曲をやっているという体裁ではあるんですが、それはモチーフというかリフというかきっかけ、土台みたいなものに過ぎず、演奏の実態はバンドによるワン・タイム・インプロヴィゼイション。ボスの指示というかその場のインスタントな思いつきでどんどん展開変化していく生き物のようなグルーヴこそこのアルバムの中身。

 

実際、ヴォーカル・パートより楽器演奏時間のほうがはるかに長いので、メロディのある「歌」を聴きたいっていう一般的な?音楽ファンには決して推薦できないものではありますね。しかしグルーヴ一発、それに身を任せてからだを揺すっていれば快感だという向きには最高の音楽でしょう。

 

6「ピーチ」なんて、もはやここにはグルーヴ以外なにもなく、これで踊れるか否かが分かれ目ですよ。プリンスは声やギターでどんどんバンドに指示を出していて、バックもそれに即応、観客にも参加をうながしています。ステージ上もふくめその場の全員がワン・グルーヴで一体化する楽しさがここにはあり、CDや配信で聴いているぼくらだってそれは同じ。

 

7「ドロシー・パーカー」なんてオリジナルとはがらり様変わりしてハードでディープなフィーリングに満たされているし、しかもサルサっぽいラテン・テイストすらただようっていう(プリンスはラテン好きでつとに有名)。あぁ気持ちいい〜。

 

(written 2022.10.14)

2022/11/05

グラウンド・ビートなマドンナ『エロティカ』

R156050814945990317873

(4 min read)

 

Madonna / Erotica
https://open.spotify.com/album/2QjCLLlSs1k7YVEWZ0moCV?si=qYSc9T5NS1ioDDQrjA5f7g

 

こないだなんの気なしにちょっと聴きたくなってふらりとかけてみたマドンナのアルバム『エロティカ』(1992)でエッ?と思いました。これ、グラウンド・ビート作品じゃないですか。ソウル II ソウルとか、あのへん。リリース当時気づいていなかったなあ。

 

アルバム題といいジャケット・デザインといい以前からのイメージといい、セックス・シンボルとしてのマドンナという見かたしかしていなかったんですよね。音楽的なことをちゃんと聴いていなかった。ぼくだってソウル II ソウル「キープ・オン・ムーヴィン」(89)以後しばらくグラウンド・ビートには夢中だったのに、それとマドンナが結びついていなかったんでしょう。

 

たしかにセックスとロマンスがテーマのアルバムには違いないんですが、いまとなってはそういう部分よりサウンドやビートへ耳が行きます。プロデューサーはシェップ・ペティボーン(曲によりアンドレ・ベッツ)。ビートのつくりかたなんかは大半がハウス・ミュージックのそれだなとわかります。

 

ハウスは性差別問題が大きなテーマだったので、『エロティカ』みたいな内容でハウスのサウンド・メイクをとりいれるのは納得です。そしてハウスの手法はUKに飛び火して、ソウル II ソウルを産んだジャマイカ系移民コミュニティのなかでグラウンド・ビートへと展開したという面があると思います。

 

マドンナが『エロティカ』制作にとりくんでいた1991〜92年はグラウンド・ビートの最盛期でソウル II ソウルがいちばん売れていた時期。ぼくもこれはリアルタイムで実感がありました。シェップ・ペティボーンがどう考えたか知りませんが、すくなくとも同時代的共振みたいなことはあったはず。

 

いや、ここまでソウル II ソウルに酷似しているというのは、おそらくかなり意識して利用したに違いありませんよ。もちろん『エロティカ』のぜんぶの曲がっていうんじゃなく半分くらいですけどね、グラウンド・ビート使ってあるのは。個人的に大好きだったから印象が強くなります(なのに当時はどうしてスルーしたのか)。

 

特に1〜5曲目あたりのアルバム前半でソウル II ソウルの痕跡が顕著というか打ち込みでつくったクローズド・ハイハットの16分音符連打というあのスタイル。3「バイ・バイ・ベイビー」なんて、まるで「キープ・オン・ムーヴィン」そのまんまじゃないですか。

 

ジャズ歌手もよくやるスタンダードの2「フィーヴァー」までそうなっているんですからね。エロスがテーマだからこの曲をカヴァーしたんでしょうけど。そんでもって7曲目がまたソウル II ソウルの代表曲の一つ「バック・トゥ・ライフ」にビート・メイクがよく似ているし。8、9曲目もそうか。

 

コンピューター・ビート満載ななか、アンドレ・ベッツがプロデュースしたアルバム・ラスト13「シークレット・ガーデン」(もエロ意識な曲だけど)だけは、なぜだかのコントラバスを使ってあって、それが一定の短いパッセージをひたすらヒプノティックに反復し、生演奏らしきドラムスがオーガニックなビートを刻むという、当時としては例外的な内容。

 

2022年の耳で聴くと、マシン・ビートなソウル II ソウル寄りのものが時代を感じさせる一方で、この生演奏グルーヴを持たせた「シークレット・ガーデン」だけが異様な現代性を帯びているようにも響きます。

 

(written 2022.10.3)

2022/11/04

音色メイクが好きなロック・ギターリスト二名 〜 デレク・トラックス、フランク・ザッパ

1eb9d4cfe4ed45dea89e70704e393c85

(3 min read)

 

八月だったか(九月だっけ?)にテデスキ・トラックス・バンドの最新アルバム『アイ・アム・ザ・ムーン』四部作が完結しました。話題になっていませんよね。ともあれぶらぶら流していて気がついたことがあります。それはデレク・トラックスのギター音色メイクがぼくは好きなんだってこと。

 

デレクのエレキ・ギター・サウンドが大好きだっていうのがこのバンドを聴く最大の理由かもしれないくらい。ギター、エフェクター、アンプなどなにを使い、つまみをどの位置でどう調整しているかっていうたぐいの話はぼくにわかりません。ちょっと聴いた感じピッキング(デレクは指弾き)もこの音色に影響していそう。

 

音色をことばでしっかり形容するのってむずかしいですね。テデスキ・トラックス・バンドをとにかくなにか一つ聴いてみてほしいです。デレクの弾き出す丸くてファットでまろやかに装飾されたギター・サウンドは、ぼくのレトロ趣味にこれ以上なくピッタリ。

 

アクースティック・ピアノほかと違い、エレキ・ギターはメイク次第でどんなふうにも音色を変えられるので、ギターリストそれぞれ個性があって、ファンにより好みも大きく分かれるだろうと思うんですよね。デレクのばあいはバンドの音楽性がクラシカルなのにあわせ、ギターの音色も同傾向にアジャストしているのがよくわかります。

 

エレキ・ギターこそがイコン楽器である(ほかのどんな音楽よりも)ロック・ミュージックの歴史で、こうした個人的嗜好にドンピシャっていう音色を持つギターリストが過去にもう一名いて、それはフランク・ザッパ。やはりギター・ヴァーチュオーゾでした。

 

ザッパのばあいは曲想の変化にあわせギターの音色も自在にチェンジしていたという印象があります。ときにノー・メイクなストレート・サウンドに近いこともあれば、たまにキーボード・シンセサイザーだろうかと聴まがうんじゃないかとすら感じるときもあって、そのへんの変幻自在なカメレオンもザッパの巨匠たるゆえん。

 

つねにバンドで演奏するクラシック・ロック志向を大切にしているデレクと違い、ザッパにはギター・マスターという自認もあったでしょうしファンのリクエストゆえだったのか、もっぱら自身のギターばかりフィーチャーしたアルバムといったものも複数リリースしていました。

 

ロック界には名ギターリストが多いのに、自身の過去作からギター・ソロ・パートだけ抜き出して並べて一つのアルバムにしてしまうなんてことを堂々とやっていたのは、ぼくの知るかぎりザッパだけ。やっぱりちょっと変わっていたのかもしれませんが、個人的にはそんな変態ぶりも愛好対象です。

 

(written 2022.10.4)

2022/11/03

増殖する南ア新世代ジャズ 〜 シソンケ・ションティ

A1749512465_10

(4 min read)

 

Sisonke Xonti / uGaba the Migration
https://open.spotify.com/album/1Igp59kX92saIgyQYTbnm7?si=UM9e2TpMRES0tKuelKRrcg

 

半年前ごろからときどきSpotifyアプリに「Jazz South Africa」というセクションが出現したりします。ふだんどんどん聴いているからだ、とはいえないはずなので、あんたジャズ好きだろう、このへんが注目分野だからオススメを、ってことなんでしょう。

 

それでそこからちょこちょこ拾っておもしろそうと感じたものを(といってもそう感じる情報がないけど、ジャケット・デザイン以外には)聴いてみています。ンドゥドゥーゾ・マカティーニとかリンダ・シカカネあたりは関係なく聴いて書きましたが。

 

そんな「Jazz South Africa」セクションのなかでひときわ目を惹くジャケットだったのが、シソンケ・ションティ(というカナ読みでいいの?)のアルバム『uGaba the Migration』(2020)。サックス奏者みたい。検索したけどほぼなにも出なかったから、日本では無名に近いはず。

 

アルバムの音楽は上質なので、ちょこっとご紹介がてらメモしておきたいと思います。録音データとパーソネルくらいしか載っていないけどbandcampにページがあるので、その手の情報にかんしてはそちらをぜひごらんください。
https://as-shams.bandcamp.com/album/ugaba-the-migration

 

アルバム題にもなっているし、間違いなく2〜5トラック目の「The Migration Suite」4パートが目玉なんでしょう。その前の1「Newness」からして実はかなりいいと感じます。ちょっぴりフュージョンっぽさというかさわやかな多種混淆ムードをただよわせているのも新世代ジャズのおもむき。

 

「マイグレイション組曲」で個人的にグッとくるのはパート2から。いきなりの手数多いポリリズミックなドラミングが心地いいし、それに乗るホーン・アンサンブルもよく練り込まれています。シソンケによる朗読みたいなもの(の背後でもドラムスが聴きもの)をはさみ、サックス・ソロへ。

 

シソンケのサックス演奏はパッショネイトでスピリチュアルなもの。南アではそうしたジャズ・ミュージシャンが新世代に多い気がしますよね。1960年代的なフリーキー・トーンをまじえながら熱く吹きまくるさまに、こちらの胸も高鳴ります。こうしたところは旧世代ジャズ・ファンでも共感できるはず(その背後がずっとポリリズムだけど)。

 

パート3、4も、基本ホーン・アンサンブルで構成されながら、なかに楽器インプロ・ソロやヴォーカルをはさみこむバランス感覚だって2010年代以後的なものですよね。ことにパート3で聴かせるピアノのヨネラ・ムナナは本作をシソンケと共同プロデュースしているキー・パーソン。

 

そのヨネラの美しいピアノ演奏に導かれはじまるパート4で聴ける静謐でおごそかなムードのホーン・アンサンブルは、おだやかでチルでリラクシング。そのままコントラバス・ソロ → トランペット・ソロと続き、ずっとクール・ダウンしているようなムードは維持しつつ、ドラマーのプレイは控えめです。これもいいなあ。

 

「マイグレイション組曲」が終わって以後は、たとえばはなやかでのびのある女声ヴォーカルをフィーチャーした7「The Call」あたりもかなりいいですね。現代R&B/ネオ・ソウルっぽいムードで、ひょっとしたらこれが本アルバムでいちばん好みの曲かも。エレキ・ギター・ソロがとてもいいね、と思ったらゲストのエレキ・ベーシストなのか。

 

クロージングの9「Nomalungelo」は本大作の総決算みたいな大団円。ドラマーがひとりで叩きだす精妙なポリリズムを土台に、新世代らしいさわやかなホーン・アンサンブル+ヴォーカル+ソロのバランスで聴かせる、ノリいいグルーヴ・オリエンティッドな一曲。これも最高です。

 

(written 2022.10.25)

2022/11/02

ヴォーカルも充実の、真摯で温かみに満ちたアクースティック・カヴァー集 〜 ローリー・ブロック

A3089741070_10

(3 min read)

 

Rory Block / Ain't Nobody Worried
https://open.spotify.com/album/6mJ82v1RaTKBLS8IAq6pgP?si=3Chc2JQdSSiYiuMUVbKhJQ

 

アクースティック・ブルーズ・ギターリスト、ローリー・ブロックについては、以前2020年の『プルーヴ・イット・オン・ミー』を当時の新作として書いたことがあります。二年経って新作『Ain't Nobody Worried』(2022)が出ました。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-8f49fa.html

 

最新作も女性音楽家のエンパワーメント企画の一環として制作されたもので、今回はブルーズと限定せず、ブルーズ・チューンもあるけれどリズム&ブルーズ、ソウル、ロック、ポップスなどさまざまなジャンルの女性歌手による曲をローリーなりにアクースティック・カヴァーしたもの。

 

いちおう全曲のオリジナル歌手をリストにしておきましょう。

1)ステイプル・シンガーズ
2)グラディス・ナイト&ザ・ピップス
3)メアリー・ウェルズ
4)トレイシー・チャップマン
5)ココ・テイラー
6)ボニー・レイト
7)エタ・ジェイムズ
8)ローリー・ブロック(セルフ・カヴァー)
9)マーサ・リーヴズ&ザ・ヴァンデラス
10)キャロル・キング
11)エリザベス・コットン

 

曲により弾き語りだったりビート伴奏が付いていたりしますが、どんな曲をやってもバラつかずローリーの独自カラーが一貫していて統一性がしっかり感じられるのはベテランならではでしょうね。一つのアルバムを聴いたという心地がします。

 

個人的には4「ファスト・カー」あたりからグッときますが(あのころトレイシー・チャップマンに惹かれていた)、それでもたとえば5「クライド・ライク・ア・ベイビー」みたいな曲での輝きはやはりひときわ。本来領域っていう感じで、スライド・ギターも聴きごたえあり。

 

そして7「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」。これは曲じたいに個人的な思い入れがとっても強く、サザン・ソウル・スタンダード(とくくる必要はないかも)のなかでもモスト・フェイヴァリットですからね。こうやってローリーのアクースティック・レンディションが聴けたのは喜び。ヴォーカルもはまっていると思います。

 

9「ダンシング・イン・ザ・ストリート」みたいな曲を選ぶのはやや意外でしたが、曲想にあわせてローリーも普段着とはちょっと違う派手目アレンジで、バック・コーラスもしたがえてにぎやかに楽しくやっています。グルーヴィですよね。

 

だれのどんな曲かを言う必要ないくらいになっている10「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」のカヴァーは真摯で温かな人間味を感じさせる内容で、いままでいくつも聴けた有名ヴァージョンの数々に比し遜色ないできばえ。ヴォーカリストとしての力量もわかります。

 

(written 2022.10.21)

2022/11/01

秋の夜に沁みる情感 〜 エズギ・キュケル

Img_5671

(2 min read)

 

Ezgi Köker / Elbet Bir Gün Buluşacağız
https://open.spotify.com/album/0e7yyfdXWcwwEAse751zqJ?si=AaUaf3Z_R8S5MxO67W1pYQ

 

トルコ古典音楽の歌手、エズギ・キュケルがリリースしたばかりのミニ・アルバムというかEPなんですけど 『Elbet Bir Gün Buluşacağız』(2022)が、ちょうどこの時期くらい、秋の夜の暗く気温が下がってきた時間帯にピッタリ似合う情緒感で最高。

 

夜のお風呂あがりごろから部屋のなかでリピート再生モードにして流しっぱなしにすると特にいいムードで、くつろげます。一回だけだと20分ほどしかないんで。深い哀感をたたえつつも、さっぱりさわやかなクールネスもただようのがいい感じ。古典ならではってことかもしれませんね。

 

今回はエルデム・シュクメンという名がフィーチャーされている共演者と全曲で記されています。知らない名前だと思い調べてみたら、イスタンブルのアクースティック・ギターリストみたい。たしかに聴いても伴奏サウンドの九割くらいがギター。

 

素材はやはりオスマンからトルコの古典歌曲で、それをエルデムのギターだけというにひとしいようなシンプルな伴奏(+αのこともあり)で、エズギが淡々と、しかし情緒感を込めてしっとりと切なく歌うさまは、こうした分野が好きだというファンにはこたえられないものでしょう。

 

あっさりしたさわやかさ、薄味のエレガンスみたいなものがはっきりしているのは、こうした分野にも近年のグローバル・ポップスのトレンドが押し寄せてきているというんじゃなくて、もとからそうした世界だったのだとみるほうがただしいでしょう。このことは例のアラトゥルカ・レコーズのシリーズを思い起こしても理解できることです。

 

アラトゥルカ・レコーズといえば、その第一作『Girizgâh』(2014)でヤプラック・サヤールが歌っていた「アマン・ドクトール」がここでもとりあげられています。聴き比べればまったく異なる解釈で、エズギ・ヴァージョンのほうがより哀爽感を増しているように聴こえますね。

 

(written 2022.10.31)

« 2022年10月 | トップページ | 2022年12月 »

フォト
2023年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ