ステレオタイプ化し先細る演歌界でタコツボを脱するには
(4 min read)
https://digital.asahi.com/articles/ASQBG2GT6QBFUCVL04W.html
フィジカルの新聞はもう10年以上購読していませんが、朝日新聞デジタルでこないだ演歌歌手、神野美伽(しんのみか)のインタヴュー記事を読みました(↑)。我が意を得たりというか、とても強く納得するものがありましたよねえ。
特に記事後半で、演歌界のかかえる現代の課題が指摘されている部分。神野だけの認識じゃありません、演歌はよりひろくより若い世代へとファンを拡大させることなく、どんどん衰退の一途を続けてきたというのが事実。現実(インターネットが苦手というような)日本人年金受給世代にしかファンはいないといってもほぼさしつかえないくらい。
70代以上でも演歌ファンは特殊化されてきていると神野は発言しています。原因の一つとして「作っている我々がカテゴライズし過ぎた部分はある」と。演歌歌手というお決まりのパターンにはめ込みすぎたせいで、演歌イメージがステレオタイプ化しているのは事実だろうとぼくも以前から感じています。
そのせいで「コアな一部の人のための音楽になってしまったのではないか」と演歌界の現状を神野は分析しています。「演歌とはかくあるべし」〜 そんなイメージが固定化されたのが現代。とりあえず着物をまとい、ゴージャスなサウンド(コンピューター&シンセサイザー代用であれ)に乗せて劇的に歌うっていう、そんな固定観念。
これは旧世代の話じゃありません。むしろ最近登場した若い世代の演歌歌手のほうがこうした「演歌はこうじゃないと…」っていうステレオタイプにとらわれています。それで、まず着物だと。おそらく本人の意思というより、レコード会社や事務所など周囲の製作陣の発想が固定化されているためでしょう。
なんたってだれあろうぼくらのわさみん(岩佐美咲)にもこれはあてはまることですからね。ヴォーカルこそ新世代感に満ちているものの、着物姿、ゴテゴテしたケバい派手目サウンド、とりあえずのアクースティック・ギター弾き語りなど、まさしく演歌の固定イメージ一直線。ファンだってそれを求めているようなフシがありますから。
わさみん本人もそれを意識しているとみえ、「演歌歌手」というある種の role を演じてみせているようなところがあります。もちろん声や歌はごまかせないので、持っている新世代感が素直に出ていますけど、ただでさえコロナ時代になって活動が停滞するようになっていますから、このままじゃタコツボ化するばかりで未来がありません。
どこに打開のヒント、処方箋があるか。上記リンクの神野美伽インタヴュー記事では、最新作で江利チエミをカヴァーしていることに触れ、美空ひばりとかチエミとかの1950年代、つまり演歌がまだジャンルとして確立もしていなかった時代に活動をはじめた歌手たちに、実は現代の演歌歌手も突破口を見出せるんじゃないかという意味のことが書かれています。
それを踏まえれば、そもそもヴォーカル・スタイルや歌手としての才、資質では抜群に多ジャンル接合的で、秀でて現代的だったわさみんには、そういうやりかたが可能であるはずとぼくは思います。卒業して七年、AKB48出身という大看板ではもはや商売できなくなったいまこそ、幼少時代から歌っていたという本来の持ち味を活かせるときだと思うんですけどね。
(written 2022.10.24)
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