歴史は一方向的に進むとかぎらない
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チャールズ・ダーウィン(とジークムント・フロイト)が20世紀以後の思考に与えた影響って絶大なんですけど、ぼくが生きてきた文学研究や批評などの世界ではポスト・モダニズム(1980〜90年代)あたりでそれら一回読みなおしがなされたものなんですね。
科学工業技術ならたしかにこっち向きだけに進化するでしょうけど、音楽をふくむ文化の世界では必ずしもそうではなく、わりとちょくちょく逆流し復古的な動きが出て、それが時代の最新流行みたいになることもあるじゃないですか。
ちょっと前のものは古くさくダサいけど、かなり前ならいったん忘れられているせいか奇異で新鮮に感じられるとか。テクノロジーなら刷新されるだけですけど。
衣服トレンドの世界でもそういったことは頻繁に起きます。文化現象とは本質的に進化論になじまない世界なんだというのがぼくの考えで、ぼくだけじゃなく文化の歴史全般を冷静にふりかえってみれば、進化ばかりじゃなかった、復古運動はよくあったとわかるし、そもそも「進化」ってなに?!という根源的問いが発生するのはみんな同じであるはず。
2010年代以後の日本Z世代における昭和レトロ・ムーヴメントもそうですし、音楽でも昭和歌謡やアナログ・レコードが見なおされる動きは顕著ですよね。そして、なによりこうした流れが顕著だなとぼくが感じるのは、世界のポップス界におけるアクースティック&レトロ志向の大流行です。
最新の「コンテンポラリー」・ポップスの世界では、もはやコンピューター打ち込みやシンセサイザーを駆使したデジタル・サウンドは古くさく、おもしろくないもの。アクースティック楽器の生演奏を中心に使っておだやかでジャジーななめらかミュージックをつくりだそうという動きこそ最新トレンドになっていますよね。
むろんこれにあてはまらないデジタルなコンテンポラリー・ミュージックもたっくさんあるんですけど、アクースティック志向が「古い」とか「コンテンポラリーじゃない」と言うひとがもしあれば、そのひとのあたまのなかは打ち込み全盛だった1990年代あたりの発想で埋められているのかもしれません。
そうすると音楽におけるコンテンポラリーとはなんなのか?わからなくなるというわけで、じっさい古い vs 新しいとか、アップデートでこれが過去のものになるとか、そうした一種の進化論発想では理解できないのが音楽(やその他芸能文化)の世界、歴史だったんじゃないでしょうか。
いま、ここ10年くらいかな、1930〜50年代のスウィング・ジャズ時代に範をとったようなちょっとおしゃれ&おだやかでレトロなオーガニック・ポッポスが一大トレンドになっていて、大学生時代からその手の(ぼくが聴いていたのは録音も30年代のヴィンテージものだったけど)音楽が大好きだった身としては、いまそれが復古的にブームになっているのはうれしいかぎりなんですね。
いうまでもなく復古的というのはぼく世代の見かたであって、現代の若手歌手音楽家にとっては、いままでリアルタイムでは接してこなかった未知の領域に出会って、おしゃれだおもしろいと感じ惹かれて、自分でもやってみているということなんですから、そうした世代にとっては「新しい世界」の音楽なんです。
なもんで、レトロ/コンテンポラリーを二項対立的にとらえる発想は実をいうとよくわかんなくて、いまの時代に現在進行形でファッションになっているものが contemporary ということばの意味なんだから、それならアクースティック&レトロなオーガニック・ポップスこそがいまコンテンポラリーじゃんって言いたくなります。
(written 2022.11.5)
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