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2023年3月

2023/03/30

喪失とノスタルジア 〜 エミルー・ハリス&ロドニー・クローウェル

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(3 min read)

 

Emmylou Harris, Rodney Crowell / Old Yellow Moon
https://open.spotify.com/album/33CP9PApYibgmRsx7ux6sE?si=oETmCHH1ReC2z2z-cAk8fg

 

ひょんなことで(「ひょん」ってなに?)知ったエミルー・ハリスとロドニー・クローウェルのアルバム『オールド・イエロー・ムーン』(2013)。ナッシュヴィルで録音された、やっぱりこれもカントリー作品でしょう。グッと心に沁みる歌も複数あったので、書き記しておきます。

 

ロドニーは1970、80年代とエミルーのバック・バンドの一員でアルバムに名前もクレジットされていたので、つきあいは長いです。またデビュー・アルバムではエミルーがバック・ヴォーカルで参加していたりもしました。

 

アルバムで全面タッグを組んだ共作は2013年の『オールド・イエロー・ムーン』が初だったということなんでしょう。2010年代以後隆盛なアメリカーナ的というか、カントリーかポップスかジャズかロックかわからないそれらが渾然と溶け合った音楽というよりも、これは明確にシンプルで伝統的なカントリー・ミュージック。

 

そうした音楽って、実は日本でなかなか理解されきれてこなかった部分もあって、特に(名前を出すのはちょっとどうか迷うけど)中村とうようさんやその読者のみなさんが、ぼくもだけど、ブラック・ミュージックを称揚し、カントリーなんか目もくれなかったあたりの動向に如実に現れていたわけです。

 

しかしUSアメリカン・ミュージック最太の幹の一本であることは間違いなく、なんとか遅ればせながら心から共感・感動できるものがあるようにぼくはなってきましたので、最近ちょこちょこ聴くようになっています。共和党の大会でやっているような音楽、っていうのは偏見ですよ。

 

エミルー&ロドニーの『オールド・イエロー・ムーン』で特にいいなと感じるいまのぼくのフィーリングは、間違いなくおだやかなテンポでゆったりしっとりと歌われるバラード系の曲。3、4、7、9、12あたり。若かったころへのノスタルジアを込めてしんみりつづられるものなんかには激しく共感できるものがあります。

 

つまりもう失われてしまったものを想い、二度とこの手にとることなんてできないけれど、そんな深い喪失感が音楽美へと昇華されているサウンドを耳にするのはほんとうに救われる気分になりますよ。エミルーやロドニー同様、聴き手のぼくも歳とったんです。

 

(written 2023.3.13)

2023/03/29

アナーキーなのにキャッチーで明快 〜 アヴラム・フィーファー

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(2 min read)

 

Avram Fefer / Juba Lee
https://open.spotify.com/album/7vzMwo8msaWPWgpwlvUJpc?si=esL5TeFBQQm5mYk5BQ2NqA

 

いわもさんのツイートで知りました。
https://twitter.com/skanpinchoice/status/1626878106698153984

 

ニュー・ヨークで活動するフリー系ベテラン・ジャズ・サックス奏者、アヴラム・フィーファーの最新アルバム『Juba Lee』(2022)は、ギター(マーク・リボー)、ベース(エリック・レヴィス)、ドラムス(チャド・テイラー)のカルテット編成。

 

ベーシストとドラマーはアヴラムと旧知の仲ですが、今回はじめてマーク・リボーの参加が耳を惹きます。ギターは和声的自由を失わないでサウンドにカラーとバリエーションをつける結果をもたらしていて、聴いた感じ大成功といえる内容。

 

しかもジャンルに分類できないこのギターリストは音楽をキャッチーに仕上げることにも貢献していて、前衛的でアナーキーなパンク・ジャズであるにもかかわらずかなり聴きやすく明快なのが今作の特色でしょうね、全員が。

 

部分的にカリブ香味をもふりまいていて、3曲目「Sky Lake」もそうだし、特に5曲目「Brother Ibrahim」とかは鮮明です。アルバート・アイラーの時代からフリー・ジャズにカリビアン・カラーははっきりありましたが、このジャンルもまたジャズの伝統にのっとっていることの証左だったともいえましょう。

 

オーネット・コールマンみたいな6「Love Is in the Air」もマジ美しいバラードで聴き惚れます。7「Gemini Time」もオーネットっぽいフリー・ジャズ・チューン(これもカリブっぽい)。無調ばかりでなくモーダルなナンバーもいくつかあります。

 

そもそも(そんなフリーキーには流れない)曲メロやサックスが吹くラインが聴きやすくてポップ。ドラマーの演奏するリズムにしたって、多くの曲で4/4拍子の定常ビートを維持するベース・ラインにしたって、わりあいわかりやすいジャズで、フリー・スタイルであることを忘れてしまうくらいです。

 

(written 2023.3.2)

2023/03/28

サブスク、嫌いでいいけど、否定しないでほしい

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(4 min read)

 

音楽を、べつにどんなメディアで聴いてもいいと思うんで(公式であれば)、レコード、CD、カセットテープ、あるいはダウンローディッド・ファイルとか、定額聴き放題制のストリーミング(サブスク)でもいいんじゃないでしょうか。むろん生演奏に接することができれば最高の体験です。

 

録音音楽なら、同じ装置で聴くかぎり音質的に上記どれもほぼ差がないっていうのがぼくの実感です(オンボロ耳?)。さらに、あたまに残るかどうか、印象度や愛着の強さといった面においてもなんら違いはないと、経験上断言できます(個人の感想)。要は音楽生活がそれで満たされているか否か、慣れの問題にすぎません。

 

ですから、お財布事情や生活上の必要性、どれに慣れているか、愛好度が強いかといった個人的理由により、どのメディアでもいいので自分向きのものを選べればおっけ〜と思うんです。どれかに決めなくちゃなんない必要だってなくて、もちろん(サブスク頼みになった)ぼくだっていまだ複数の手段で聴き続けています。

 

ひとが違えば趣味でもなんでも千差万別なのであって、このメディアが自分向きだ、好きだという嗜好の違いはあるにせよ、これでなくちゃならないとかあんなのダメだとか、そんな他人の音楽ライフを否定するような発言を堂々とおおやけの場でなさるのはちょっとどうかと思いますよ。

 

それなのにこのごろは、サブスク派によるディスク時代遅れ発言がやや減少しつつあるいっぽうで、ディスク派のサブスク・サービス(とそれを利用しているリスナーたち)に対する攻撃が増しているようにみえていて、なんともウンザリ。昨年暮れごろからこの傾向が続いていますよね。

 

数日前もTwitterで露骨なのをおみかけしました。ぼくがフォローしているみなさんご自身はどなたも直接おっしゃらないんですけど、第三者のだれか知らないアカウントがそんなサブスク真っ向否定発言をしているのをリツイートなさっていたので読めてしまって、気分がダウン。

 

それによれば身銭を切っていない音楽が身につくわけないんですって。ハァ〜。こうなると、一個人の趣味嗜好という範囲を越えた、一種の差別発言ヘイト発言ですやん。なんか、ちょっと、ねえ。

 

一枚2500円くらいを出して買う音楽フィジカルと月額980円で無限に聴けるSpotifyで、身につくとかつかないとかそんな違い、あります?月〜金で毎日音楽ブログを更新している現在のぼくはほぼいつもサブスクで聴いて書いていて、そうであってもしっかり向き合って分析的にのめり込んで聴ける、沼にはまっちゃう実感があります。

 

そげなこと、ふだんからぼくの文章をお読みのみなさんならよ〜くご存知のはず。

 

でありますから、サブスクなんかじゃマトモに聴けるわけないのであるといったような発言をみかけると、鼻で笑っちゃうっていうか、あぁこのひとはなんにも知らないのであるなと思うと同時に、音楽で生きている人間としての人格を否定されたような気分になることもあって、まことに有害です。

 

(written 2023.3.21)

2023/03/27

ぼくにとってのファドとは地中海のキラキラ 〜 アナ・モウラ

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(2 min read)

 

Ana Moura / Desfado
https://open.spotify.com/album/0nDa1VW1ZJcglo6zgWE9bf?si=ODU2y6qVRd-PLZUPc9kzBg

 

去年だったか(今年?)新作が出たらしいポルトガルのアナ・モウラ。それはまだ聴いていないんですが、とりあえずいままでのところで個人的に好きなアナの作品を手短にしゃべっておきましょう。

 

それは『Desfado』(2012)。これもラリー・クラインのプロデュースなので、こうした選曲、楽器選び、サウンド・メイクなのは納得ですが、それにしてもジョニ・ミッチェルの「A Case of You」があったりハービー・ハンコックが参加していたり。

 

ファドってわりかし保守的というか悪くいえば旧来イメージを引きずる頑迷ファンも多い世界なので、アナのこうした新感覚ファドはなかなか受け入れられなかったりしたかもしれません。

 

正直なところ、本格重厚ファドはちょっとしんどいというのが長年の個人的本音で、そのせいでちょっぴりこのジャンルを遠ざけていたような部分もぼくにはあったので、近年やや軽めのふわっとした聴きやすい歌手が続出しているのはうれしかったりするんです。時代のグローバルな音楽トレンドと合致もしていますし。

 

そして、本格でも新感覚でもぼくがファドに見出す魅力とは(ある意味全共闘世代的な)深刻さ、暗さ、重さというよりも、キラキラした地中海的な跳ねる軽快ラテン・ムード。こんなこと言うヤツいないかもですが、アナの本作でもそれは鮮明に聴きとれます。輝くギターラの音色(大好き)もそれに貢献していますよね。リズムのかたちだってねえ。

 

ジョニの2「ア・ケイス・オヴ・ユー」なんかだって、これをギターラ伴奏でやるっていうあたりはやっぱりファドではあるんですけど、そのおかげでかえってシリアスさが消え、地中海的な陽光のキラキラみたいなものをまとうことになっているじゃないかと思えたりします。

 

(written 2023.2.24)

2023/03/26

グルーヴの体幹 〜 ブッカー・T&ザ・MGズ『グリーン・オニオンズ』60周年

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(2 min read)

 

Booker T. & The M.G.s / Green Onions (60th Anniversay Remaster)
https://open.spotify.com/album/1LMSiyS5O2gcVTUa2rlu9u?si=lJkyojg-SrmDn6HJmsjUKw

 

ブッカー・T&ザ・MGズに説明など不要ですが、名作アルバム『グリーン・オニオンズ』(1962)の60周年記念リマスターが出たということで、あれっ、一年ズレてない?

 

ともあれサブスクにも入ったので、やっぱりもう一回聴きなおしてみました。この作品だってもちろんいまさら解説なんかいらないんですけど、個人的な感想をば手短に。

 

それで、昨年一月、MGズの一員スティーヴ・クロッパー(ギター)の最新作について書いたときの文章とまったく同じことがあたまに浮かぶんですね。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2022/01/post-5bdb75.html

 

集団球技スポーツでは、華麗に技を決めるアタッカーにはたしかにみとれるものの、その実、守備でも攻撃でも堅実な組み立て役(井戸を掘る役、水を運ぶ役 by イビチャ・オシム)が必ずいて、真なるチームの軸として不可欠だったりしますよね。

 

MGズだと、バンド全体でそんないはばグルーヴの体幹を具現化しているようなもので、個人でもバンドでもそうした職人気質な音楽家にむかしから惹かれる傾向がぼくにはあります。決して華麗な技巧を披露するタイプではない存在に。

 

三振を奪うとかホームランを打ったりあざやかなゴールを決めたりで満場のスタジアムを沸かせる存在は、MGズのばあいフロントで歌う歌手であり、みずからはその伴奏に徹しているふだんの姿を、歌抜きインストルメンタルでも変わらずそのまま披露しているだけ。

 

そのぶん、グルーヴの体幹というか骨格みたいなものがかえってくっきりと伝わってくる音楽で、派手さなんかぜんぜんないんですけどエッセンスだけ演奏しているMGズには、ホンモノのミュージシャンシップみたいなものを感じます。

 

『グリーン・オニオンズ』から十数年以上が経過して、ジャズの世界でもブラック・ミュージックの歌伴バンドがそのまま独立したようなフュージョンの世界が出現しましたが、そっちでは技巧ひけらかし系みたいなのも混じっていました。そういうのも好きなんですけどね。

 

(written 2023.2.27)

2023/03/23

マイルズ・デイヴィスの手がけた映画サントラ・アルバム

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(5 min read)

 

ってぜんぶで四作あって、リリース順に『死刑台のエレベーター』(1958)、『ジャック・ジョンスン』(71)、『ミュージック・フロム・シエスタ』(87)、『ディンゴ』(91)。ジャズ・ミュージシャンのなかでは多いほうでしょうか。

 

日本で映画本編が劇場公開されたのは『死刑台のエレベーター』と『シエスタ』だけじゃなかったかと思います。あれっ、いま調べたら『ジャック・ジョンスン』は1989年、『ディンゴ』も95年に日本で上映されたっていうネット情報が見つかりましたが、そうなんでしたっけ?

 

でもあれですね、映画が成功しいまだに語り継がれているのは『死刑台のエレベーター』だけのような。あのころ1950年代、フランスの若手映画監督がさかんにアメリカ黒人ジャズ・ミュージシャンに音楽を依頼していました。ルイ・マルとマイルズとの関係もそんな流れの一環だったのでしょう。

 

音楽は音楽として映画本編から切り離し自律作品として聴く傾向のあるぼくとしては、上記四作のうち最も楽しめるのが『ジャック・ジョンスン』です。カッコいいグルーヴィなブラック・ロック。たまらなく大好き。

 

だいたい『ジャック・ジョンスン』の音楽は、映画用にと企画されたものじゃなかったというのがほかの三作と異なるところ。1970年ごろ創造力が著しく高まっていたマイルズがどんどんスタジオ入りしてセッションをくりかえしていたのをノン・ストップ録音したテープ群から、映画音楽をとの依頼を受けたティオ・マセロが編集しただけのこと。

 

そうそう、ティオのコロンビアでの音楽プロデューサー生涯でいちばん成功した作品は、映画『卒業』(1967)のサントラ・アルバムだそうです。このことにより映画音楽が得意との定評がついたんでしょうね。だから『ジャック・ジョンスン』もオファーが来たんだと思います。

 

それで黒人ボクサーの映画だからっていうんで、担当していたミュージシャンのうちマイルズ(ボクシング好きでつとに有名)に目をつけて、しかし新規に映画用にとのレコーディング・セッションは持たず、既存音源をフル活用することになったんです。あるいは締め切りが早く時間がなかったのかも、わかりませんけど。

 

そんなこともあって映画から切り離して聴きやすいっていうのが『ジャック・ジョンスン』については言えること。しかし映画用の録音であっても『死刑台のエレベーター』だってけっこういいですよね、音楽作品として。映画もスリリングで楽しいし、だから二度おいしいっていう。

 

映画本編がちっともおもしろくなかったのが『シエスタ』。アメリカ映画ですが舞台がスペインで、セックスと死をテーマにした実験前衛作品でした。渋谷のスペイン坂を上がったところの映画館に(パートナーを誘っていっしょに)観にいった結果、二人とも死ぬほど退屈しました。

 

スペインが舞台なので、音楽を依頼されたマーカス・ミラーもスパニッシュ・スケールとラテン・リズムを全編で活用しています。フィーチャード・ソロイストのマイルズも「ちょっと『スケッチズ・オヴ・スペイン』みたいだろう」とか言ってはいますが、それはちょっとどうかなあ。でもスペイン調が好きだから、まずまず聴けるんですよね。

 

そこいくと、音楽だけでなく生涯ただ一度俳優としても出演したオーストラリア/フランス映画の『ディンゴ』サントラはなんてことないストレート・ジャズ。1991年9月にこのトランペッターが亡くなる直前にやった仕事の一つに結果的にはなって、11月に出たこれがしばらくのあいだ遺作的なポジションだったから、もう残念で残念で。

 

この遺憾は、翌92年6月に真の遺作『ドゥー・バップ』が出たことにより払拭されました。ただ『ディンゴ』には俳優としても出演したということで、サントラにもマイルズのしゃべったセリフがそこそこ収録されています。サンプリング全盛時代になって、それがいろんなところで使われるようになったのも声を忘れないゆえんです。クラブふうの楽しいナンバーもちょっとはあるし。

 

(written 2023.2.6)

2023/03/22

アルバート・コリンズ直系 〜 ミシシッピ・マクドナルド

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(2 min read)

 

Mississippi MacDonald / Heavy State Loving Blues
https://open.spotify.com/album/3Yh5Oq9qa4e7PvKN3bCPTQ?si=a6FPNTpjSumrYJQmnIeLdg

 

若手新世代ブルーズ・ギターリスト&ヴォーカリスト、ミシシッピ・マクドナルドの新作『Heavy State Loving Blues』(2023)が出ました。ぼくも前から注目していた存在ですが、今作はひときわ切れ味がよくなったので、これだったら書き残しておこうという気になれます。

 

聴きどころはなんたってアルバート・コリンズ系といえるパキポキ・ギターのカッコよさ。歯切れよくたたみかけてくるこうしたサウンドはヤミツキになっちゃう生理的快感で、じっさいラスト10曲目「Blues for Albert」なんか明確にコリンズへささげたインストルメンタル・ブルーズ。

 

全編ブルーズ・ギター・ソロなんですが、はさまれるように途中でちょっとだけナレイションが入ります。そこではミシシッピ・マクドナルドがいつどうやってコリンズのレコードを知ったかという出会いや感謝のことばがつづられています。

 

これだけでなくアルバム全編でサウンドの粒だちがよく、ギターがよく鳴っているのがわかりますし、自作のファンキーなソングライティングも以前に増して充実しているし、だれがアレンジをやっているのか適度にカラーを添えるホーン・セクションもほどよいころあい。

 

ヴォーカルのほうは正直いって「がんばっているな」という以上の感想を持ちにくいんですが、今後はさらに向上するでしょうし、なによりこれだけ弾ければね、エリック・クラプトン〜スティーヴィ・レイ・ヴォーンの系譜に連なる新世代として現役のパワフルさを聴かせつける力作といえるはず。

 

(written 2023.2.21)

2023/03/21

これぞトルコ古典歌謡っていうエレガンス 〜 エフルゼ

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(1 min read)

 

Efruze / ASSOLİST Ⅱ MEŞK-İ MÜREN
https://open.spotify.com/album/2V9wSFcqVGq3V2Ef7PNfkX?si=lpzpcDSCTQGT2hPID7Sv4A

 

トルコ古典歌謡の若手歌手、エフルゼの最新作『ASSOLİST Ⅱ MEŞK-İ MÜREN』(2022)は、タイトルで察せられるとおりゼキ・ミュレンのレパートリーを歌ったもの。オスマン〜トルコ初期時代の曲たちが中心ですね。

 

個人的に特にグッとくるのが2、4、5、6、8、9曲目あたり。華麗だけどくどさのない典雅な少人数編成の演奏に乗せて、エフルゼがさっぱりとあとくちのいいさわやかなヴォーカルを聴かせているのがとってもステキです。いかにも古典的表現といったおもむき。

 

ゼキ・ミュレンのレパートリーを歌っていても、いっときのゼキが発していたアクの強いいやらしさはなく、こねくらないストレートで素直で淡々とした歌唱をつらぬいているのが好印象なんですよね。かねてよりこうした歌手が好きできて、近年ますます薄味好みに傾いている身には、まさにピッタリ。

 

伴奏の充実も本作では特筆すべき点です。ウード、カーヌーン、クラリネット、打楽器の響きを生かしたエレガントで抜けのいいサウンドは、まさにトルコ古典歌謡にぼくが求めているもの。なかでもカーヌーンの響きがひときわすばらしく印象に残りました。

 

(written 2023.2.12)

2023/03/20

ホワイト・ニュー・ソウルとしてのセントラル・パーク・コンサート 〜 キャロル・キング

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(3 min read)

 

Carole King / Home Again - Live from Central Park, New York City, May 26, 1973
https://open.spotify.com/album/50CaGSXy1G8maVQypYXbxr?si=46F_sOJJRjmyS10Z4J08fA

 

以前からの予告どおりこないだ(ちょっと前か)出たキャロル・キングの『Home Again - Live from Central Park, New York City, May 26, 1973』(2023)では、8トラック目のバンド・メンバー紹介にはじまる後半パートこそ聴きもの。

 

キャロルは「デイヴィッド・T・ウォーカーズ・バンド」とMCで呼んでいる大編成で、エレキ・ギター(デイヴィッド・T・ウォーカー)、エレキ・ピアノ(クラレンス・マクドナルド)、エレキ・ベース(チャールズ・ラーキー)、ドラムス(ハーヴィ・メイスン)、パーカッション(ミズ・ボビー・ホール)にくわえ、2サックス、2トロンボーン、2トランペット。

 

ピアノ弾き語りをいつも基底とするキャロルがこんな編成でライヴでもスタジオでも演奏することはあまりなく、この日のこのバンドは本人もしゃべっているように完成済みでリリース間近だった当時の新作『ファンタシー』(1973.6)から弦楽だけ抜いてそのまま使ったもの。

 

『ファンタシー』は最初と最後に「ビギニング」と「エンド」を置き全曲をそのあいだにはさむ組曲形式のコンセプト・アルバムで、ソウル・ロック、あるいはブルー・アイド・ソウルとして玄人筋から高く評価された作品です。

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1973年というといはゆるニュー・ソウルがちょうど大きな波となっていた時代。キャロルとしてもそのへんの流行を意識したチャレンジをしたのでしょう。そんな新作のライヴお披露目としてセントラル・パーク・コンサートを使った格好です。このまま全米ツアーにも出ました。

 

はたしてこの日の後半は『ファンタシー』の音楽性をライヴでかなりな部分再現することに成功しているように聴こえます。歌詞は内省というより社会派なメッセージ性に富み、サウンド面でもジャズやフュージョン、そしてソウルに著しく接近。まさしくホワイト・ニュー・ソウルのおもむきです。

 

なかでも特に13「ヘイワード」とか16「コラソン/ビリーヴ・イン・ヒューマニティ」あたりの斬新なサウンドはあざやかで耳を奪われます。メドレーになっている後者の1曲目なんか、こりゃもうラテン・ジャズ・ファンクだろうといえるグルーヴ感で、スリリング&躍動的。

 

(written 2023.2.23)

2023/03/19

熱気ほとばしる最高峰のコンテンポラリー・ジャズ・コンボ 〜 クリス・ポッター

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(2 min read)

 

Chris Potter / Got the Key to the Kingdom: Live at the Village Vanguard
https://open.spotify.com/album/1Sr2wuciDyzeCvQXYaZDeE?si=SWRUViMVQTmv0XGIWHjLUg

 

ジャズ・サックス奏者、クリス・ポッターの最新作『Got the Key to the Kingdom: Live at the Village Vanguard』(2023)の全六曲はいずれもカヴァー。名を成したそこそこ有名なものも演奏しています。

 

念のためいちおう記しておくと、1(フレッド・マクダウェル)、2(アマゾン民謡、ヴィラ・ロボス採譜)、3(ビリー・ストレイホーン)、4(チャーリー・パーカー)、5(アントニオ・カルロス・ジョビン、シコ・ブアルキ)、6(トラディショナル)。

 

サックス+ピアノ・トリオのオーソドックスなジャズ・コンボで饒舌かつセクシーに熱く吹きまくるクリスの姿は圧巻。それはほかの三人もそう。全曲これでもかと長尺で、爆発するエネルギーがはじけていて、気おされるオーディエンスのため息や歓声も生々しくとらえられています。

 

ピアノのクレイグ・テイボーン、ドラムスのマーカス・ギルモアもすばらしくブロウしまくりでカッコいい。また、サックスの特に艶っぽさではバラードである 3「Blood Count」がなかでもすばらしい。ストレイホーン・メロディがもとからそういうものですけど、クリスがここで発散している色気はただごとじゃないって感じ。

 

スピーディなビートの効いた曲では迫力満点に四人とも疾走していて、ここまでの熱が込められているジャズ・ライヴ・アルバムは近年まれでしょう。さわやかなクールさや冷静沈着ネスが現代ジャズの特色ですから、アレンジに頼らない完全インプロで汗や唾がはじけとぶような熱気に満ちたこうした音楽は、まるで1960年代を思い起こすかのよう。

 

(written 2023.3.18)

2023/03/16

誹謗中傷コメントはやめましょう

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(4 min read)

 

おととい小倉優子の記事にも一個ついたんですけど、ひどいこと書いてあるコメントが当ブログに寄せられることもたまにあります。尊厳を侵す人格否定に近いようなものはできればおやめいただきたいと思います。ののしったり、ブログの存在意義や人間としての自尊心を毀損するコメントはよくないですよ。

 

ここはコメントを承認制にしておらず、どんなことでも書いてボタンを押した刹那その場でそのまま表示される仕組みにしてあります。意味不明の文字記号列がならんでいるだけというようなスパム・コメント以外は削除せず、なんであれすべて表示してきました。

 

たとえこういう個人の趣味ブログでも、だれがどういう発言をしたのか、意味のあるものならどんな内容でも記録文書を残して公開し、みなさんの目に触れるようにしておくのが重要なことだと思っているからです。

 

なかにはかなりなことが書いてあるコメントも以前からあって、ぼくは日本人なんですけど人種差別的に「中国人か!」とか、あるいは「言説がガイジしている」(ガイジとは障害児の蔑称)とか、さまざまにありました。すべてそのまま表示してあります。

 

投稿者名の欄だって空欄でもいいということにしてあって、意見を言いたいかたがたのなかには、なんらかの事情があって名乗れないとか、コメント・ネームすらむずかしいといったケースもひょっとしたらあるんじゃないかとおもんばかってのことです。

 

ですから無記名や匿名でひどいことを書くかたもなかにはいらっしゃいますよね。人間なんでも勉強だ、最低の劣悪コメントからも学ぶことがある、それを踏まえて人間としてブロガーとして成長できる、すべては肥やし、と思って甘受してきましたし、また衆人の目にさらしておいてあげようというちょっぴりイジワルな気持ちもぼくにはあってですね。

 

代わりにというか、書き手のぼくのほうも書きたいことを書く、いっさいなんにも気にせず自由になんでも書いてのびのび公開したいし、じっさいそうしてきました。それを世界中のだれもが読める状態にしてあるわけですから、イビツな、お笑いぐさの内容であれば、それなりのコメントがついたり、「もう読まない」と思われたりもするでしょう。

 

どうあれ、これからも自由に書いていきたい、どんな内容であれ言いたいことを言っていきたいと思っていますから、したがってどんなコメントが来るかわからないと、それなりの覚悟みたいなものを持っているわけです。つまりハラをくくっているので、ですから、いいんですけど。

 

それでもできうればあまりにもひどい内容をいっときの感情が走るがまま書きなぐってボタンを押すなんてことは、それをやる前に一瞬立ち止まり冷静になって考えていただきたいのです。熟慮のあげくやっぱりこれは言っとかないといけないと判断したものならいいです。

 

わが子のように大切に大切に育ててきたブログです。コメント欄も交流の場だと考えて開放してきましたが、ひどい内容が今後も続出するようであれば承認制にするか全閉することになるかもしれないし、誹謗中傷の度が過ぎているものは法的措置を検討せざるをえない可能性だってあります。各コメントのIPアドレスはすべてわかっていますから。

 

(written 2023.3.15)

2023/03/15

ゾクゾクするほどスリリング 〜 ウェザー・リポート「ブルー・サウンド・ノート・3」

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(3 min read)

 

Weather Report / Domino Theory
https://open.spotify.com/album/0tXYdgzPsy67uuS0Ugirb7?si=Se9cTWcmRPuwEeRdToORLA

 

ジャコ・パストーリアス、ピーター・アースキンが辞め、ヴィクター・ベイリー、オマー・ハキムの新リズム・セクションになったウェザー・リポートの第一作『プロセッション』(1983)は、おそろしくつまんないアルバムでした。

 

ジャコとピーターが辞めたのはこれに先立って『スイングジャーナル』誌で(ジョー・ザヴィヌルの独占告白として)読んでいて、さてどうなんのかな?と期待&不安の入り混じるなかリリースされたニュー・アルバムを待ちきれない思いで勇んで買って聴いたのに、レコードかけながら「ナンダヨコレ?」と思わず声が出ちゃっていたかも。

 

それくらい退屈きわまりなかったんですが、この印象はその後もずっと変わらず、現在まで40年間あきらめず折に触れて気をとりなおしては聴くんですが、いまだにどうにもおもしろくない作品だとしか思えないです。

 

ところがその次の『ドミノ・セオリー』(84)は、まるで一躍突然変異を起こしたかのように(ぼくには)楽しくて、そもそも出だしでドギモを抜かれたというか、1曲目「キャン・イット・ビー・ダン」はジャズでもフュージョンでもない(当時でいう)ブラック・コンテンポラリー。

 

それが超カッコよかった。マイルズ・デイヴィスも誉めたこの曲がいまでも大好きだっていうのは以前も詳述しましたので。それのオープニングでシンセサイザーの(ズーンと来たあと)ぴろぴろり〜んっていうアルペジオが鳴るんですけど、実はB面2曲目「ブルー・サウンド・ノート・3」でも同じのが使われていて、アルバムの通奏音のようになっているんですね。テーマ・サウンドっていうか。

 

B2「ブルー・サウンド・ノート・3」はかなりドラマティックに展開するジョーのオリジナル・ナンバー。後半部で大胆な転調が二回、いずれも関係ないキーへ飛び、曲調もテンポも一瞬でがらりとチェンジするっていう、その瞬間のスリルがたまらないんです。

 

そこまでの前半部はかなり不穏でダークなムード。そのパートが淡々と長いからこそ転調での早変わりが生きるんです。これもやはりウェイン・ショーターのテナー・サックスをほぼ全面的にフィーチャーしていて、転調による急激で大幅な変化もいとわずスムース&カラフルに吹きまくる様子に感心します。

 

アルバム冒頭の「キャン・イット・ビー・ダン」はあまりにくりかえし聴いてきたせいもあるのか、いまの気分だと「ブルー・サウンド・ノート・3」こそ本作の白眉、クライマックスに聴こえないでもなく。実は近年忘れていましたが、ウェインが亡くなってこのバンドを全面的に聴きかえし、ゾクゾクする魅力を再発見しました。

 

(written 2023.3.10)

2023/03/14

そう、勉強って楽しいんだ 〜 小倉優子

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(4 min read)

 

タレントの小倉優子。若かったころ「ゆうこりん」とか「コリン星」がどうとかテレビ番組で言っていたころはなんとも思っていませんでしたが、その後二回の離婚と三児の子育てを経てのちネットに上がる写真がすばらしい深みと奥行きある美しさで、最近は心底大好き。

 

もうなんか、ルックスだけなら近年の矢口真里とならび理想の女性で、どんな人間なのかは二人ともちっとも知らないんであれですが、やぐっちゃんも一度離婚して再婚し二児の母だし今は、そんでどっちも30代末から40歳前後くらいだっけな、やっぱりね、そうなってから表情に出てくる人間味みたいな部分にぼくなんかは惹かれるわけです。

 

どっちもフォローしている公式Instagramの写真しか見ていませんけどね。自宅にテレビ・モニターがないっていうテレビ嫌いですから。

 

そんな小倉優子が(おそらくテレビ番組の企画かなんかで)大学受験にチャレンジってことで、約一年前からインスタの投稿でそんな勉強風景が上がるのでぼくも知っていました。批判したり揶揄するアンチ・コメントもたくさん見ましたが、なんだよみんな〜、個人的には内心「がんばれ〜」って思いで応援していました。

 

だれでもどんなことでも、懸命に取り組んでいる姿を横目でチラ見して冷笑したりバカにしたりケチつけたりなんてのは浅はかなことで、やっちゃいけないんですよ。

 

今年受験が終わり、結果がついこないだ報告されていました。早稲田は残念でしたが白百合に合格したと。チャレンジ成功、よかった。高校二年で芸能界入りし売れっ子に、いままで学歴とは無縁で来て、しかもオール・ワンオペの仕事家事育児をこなしながらなんで、相当ながんばりだったはず。心から敬意を表し拍手を送りたいです。

 

インスタに上がる日々の勉強風景をずっと見守ってきましたが、なかでもいちばん印象深かったというか、そうだよそう!そこを理解してくれたんならそれだけでうれしいと感銘を受けたのが「勉強って楽しいんだと38才で知りました」という2022年9月3日の投稿。
https://www.instagram.com/p/CiBfNILhtoM/

 

この前日は八時間の英語学習が楽しくてあっという間に終わったということでした。この感覚なんですね。そう、勉強、っていうか学ぶのってマジ楽しいもんです。ぼくらの業種はみんなこれを10代のころから皮膚感覚で知っていますが、そんなの世間一般では極少数派なのも人生で痛感してきました。

 

楽しくてたまんないから自分で進んでどんどん先へ先へと学ぶのがやめられず。小倉優子の10代後半は芸能界の仕事で忙しかったと思うんですが、たとえ自分の発案ではない企画がきっかけの受験勉強だったにせよ、やっていくうちスポンティニアスにこの「勉強=楽しい」っていうフィーリングを体得したのだとすれば万事おっけ〜。

 

合格した白百合女子大にほんとうに入学するかどうかは知りません。やっぱりあくまでチャレンジする姿じたいがおもしろく意味のある番組企画だっただけかもしれないんですけど、その過程で知らないことを学ぶことの楽しさ面白さ重要性を体感的に身につけたとすれば、どういう人生を今後進むにせよのちのち活かしていけるポイントをつかんだはずと思います。

 

(written 2023.3.14)

2023/03/13

リー・ワイリー『ナイト・イン・マンハッタン』とロマンティック幻想

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(2 min read)

 

Lee Wiley / Night in Manhattan
https://open.spotify.com/album/7hDs43SAvt426cwKGrDtGy?si=zRFkXKq6RpiwRrHtRhHFLg

 

リー・ワイリーのアルバム『ナイト・イン・マンハッタン』(1955)については、いままで折に触れ個人的愛好の強さを述べてきましたが、ロマンティック幻想をひとりひそかにいだくことのできる音楽であるというのがぼくにとって最大の美点。

 

聴きながらロマンティックでおしゃれな都会の気分にひたるっていうか、曲も演奏も歌も、この当時からしたってちょっぴりレトロで古色蒼然たるヴェールをまとっているのも、かえって幻想妄想の世界への入り込みやすさを演出しています。

 

個人的なティン・パン・アリー好きと関係あると思いますが、現実的な日常世界じゃないんですねこういう音楽は。中村とうようさんはそうしたものを批判して、庶民的生活感覚にあふれたルイ・ジョーダン〜チャック・ベリー・ラインみたいなのとかを(どこの国の音楽でも)とても高く評価しました。でもぼくの嗜好は逆。

 

現実逃避のロマンティック幻想だっていうところがキモなんですから、極力生活感は排除しなくっちゃ。 日本でいえばお醤油くささのぜんぜんしない音楽こそぼんやりしたあこがれをいだきやすいんですよ。非現実的であればあるほどいいんですから。

 

ってなわけで、『ナイト・イン・マンハッタン』だと5、6、11、12曲目(A面B面のそれぞれラスト二曲づつ)はピアノ一台の伴奏でやや陰なのでちょっとね。甘い音色を持つボビー・ハケットのコルネットとストリングスをともなったバンド演奏曲こそすばらしい。まるで華やかな夜会か舞踏会みたい。

 

特にA-2「I’ve Got A Crush on You」、A-3「A Ghost of a Chance」なんかは聴いていてとろけそうじゃないですか。後者の歌詞に「I know I must be dreaming」というのが出てきますが、まさにこれ。夢を見ているにすぎない、ただの妄想だと自分でわかりつつ、ひたらずにはいられません。

 

現実には恋愛しないアロマンティックな人間なんですけど、ぼくは、だからこそこうした世界にあこがれて、あぁいいなあ〜ってぼんやり気持ちよくなれるんですよね。非恋愛人間でもこうしたロマンス幻覚剤がときどき必要なんです。それを音楽でやっているだけ。

 

(written 2023.2.18)

2023/03/12

泣いちゃうくらいにきれい 〜 ウェイン・ショーターの吹く「ドリーム・クロック」as ウェザー・リポート

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(2 min read)

 

Weather Report / Dream Clock
https://open.spotify.com/track/78z387FFEyhZxHgvl2vGlL?si=7503ab832c3c43f5

 

ウェイン・ショーターが亡くなったときウェザー・リポートの全曲を聴きかえしてプレイリストを作成したんですが、ウェイン・フィーチャー・ナンバーのなかで最も強く再感動したのが1980年の『ナイト・パッセージ』2曲目「ドリーム・クロック」です。なんて美しいのかと。

 

全面的にフィーチャーされているウェイン一人の独壇場なんですが、曲はジョー・ザヴィヌルの書いたもの。そのメロディがこの上なくすばらしいということで、このサックス奏者の特性を熟知した上でのコンポジションであることもわかります。

 

いまの気分では、この曲こそウェザー・リポート時代でというだけでなくウェインにとっての生涯最高名演だったと言いたいくらい、それくらい美しく幻想的なバラードじゃないですか。ジョーの曲ですが演者がウェインでなければ決して成立しないものです。

 

最初テナーで出て、そのあいだもきわめてすばらしく美しいです。そして途中でソプラノに持ち替えます。そこから吹かれるラインの深遠なたたずまいは筆舌につくしがたいものがありますよ。テナーもソプラノも音色やすみずみの表情まで曲想にあわせて完璧にコントロールされています。

 

あわせてジョーの弾くキーボード・シンセサイザーの音色選択やフレイジングも絶妙に調節されているし、ジャコ・パストーリアスのベースもきれい。バンド全体でウェインの吹奏美をサポートするようにていねいに構築されていて、畢竟の名演と呼びたいです。これ、多重録音なし、一回性のスタジオ・ライヴ録音ですから。

 

(written 2023.3.11)

2023/03/09

アンナ・セットンが聴かせる新境地 〜『O Futuro é Mais Bonito』

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(3 min read)

 

Anna Setton / O Futuro é Mais Bonito
https://open.spotify.com/album/37jrPNa128mZXr7XpnY7Lo?si=W5WYVJUbSZaryf_s3trmhg

 

2018年のデビュー・アルバム『アンナ・セットン』がさっぱりさわやかで心地いい新世代ジャズ・ヴォーカル作品でしたから、それですっかりお気に入りになったブラジルの歌手アンナ・セットン。しかし21年の二作目は個人的にあんまりちょっと…っていう印象でした。

 

今年最新作『O Futuro é Mais Bonito』(2023)が出たもんで、どんなかな〜と思って、前作みたいだったらちょっとあれだな〜ってちょぴり警戒もしつつ期待を持って聴いてみたら、今度はわりといいんじゃないかなという気がします。

 

一作目の路線に戻ったのではなく、冒険っていうか実験的にチャレンジしている内容で、いままでの二作にないひろがりを感じます。それでいながら根底にサンバなど伝統的ブラジル音楽要素やジャジーなシンガー・ソングライターっぽい従来のたたずまいが感じられてグッド。

 

レシーフェでの録音ということで、同地の音楽家であるジュリアーノ・オランダやイゴール・ジ・カルヴァーリョもソング・ライティングに参加。アンナと前からコラボしているジョアン・カマレーロ、ロドリゴ・カンペーロ、エドゥ・サンジラルディもいます。

 

プロデューサーのバロ、ギエルミ・アシスの二人は知らない名前ですが、先進的なサウンド・メイクの鍵を握っているのかも。ブラジル音楽とジャズをベースとしながらも、レゲエやエレクトロニカ/アンビエントなど大胆にとりいれた繊細な表情はニュアンスに富み、なかなか聴きごたえがあります。

 

アンナのヴォーカルもデジタル加工してある部分があり、そうでないストレートな部分でも、歌を聴かせるという面と、さらに全体のサウンドのなかの一楽器として声を使っているというプロデュースもほどこされているように思います。大半コンピューターで音づくりしていて、それがけっこうおもしろいんですよね。

 

それでも一貫してブラジル音楽ならではのサウダージが底流に確実にある、全体的に、というのが間違いないとわかって、だからぼくみたいなコンサバ・リスナーでも共感できるんです。

 

ラスト10曲目「Sweet As Water」だけは歌詞もなぜかの英語。アンナとジョアン・カマレーロとの共作ですが、なんだかレトロっぽいなつかしのUSアメリカン・ポップスみたいなフィーリングで、しかしやっぱり哀愁感に満ちています。

 

(written 2023.3.5)

2023/03/08

Footprints

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(20 sec read)

 

Wayne Shorter RIP
https://open.spotify.com/playlist/7d8Chc2zoC2SwMlWNNSWIu?si=0a10f2e19295457e

 

in the Weather Report era

 

1) A Remark You Made
2) Elegant People
3) Dream Clock
4) Fast City
5) Blue Sound - Note 3
6) Thanks For The Memory (live)
7) Blackthorn Rose
8) Five Short Stories
9) Face on the Barrrom Floor
10) Freezing Fire (live)
11) In A Silent Way / Waterfall (live)

 

(written 2023.3.7)

2023/03/07

仮想ビートルズ・ライヴ 〜 ポール・マッカートニー

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(5 min read)

 

Paul McCartney / Selections from Tripping The Live Fantastic
https://open.spotify.com/playlist/6E45KEIF6aossePExp2XzZ?si=89beee23ce6340cf

 

ビートルズのライヴ・アルバムってあまりないんですね。現在公式カタログに載っているのは例のハリウッド・ボウルとルーフトップ・コンサートのみ。後者なんか無観客ゲリラ・ライヴですし。

 

ご存知のとおり1966年8月ですべてのコンサート活動から引退しちゃったバンドなので、それ以後の曲にライヴ・ヴァージョンなんてあるはずもなく。ぼくみたいなファンはそこがイマイチちょっとねと思うときもたまにあるんです。

 

しかし一作だけ、もちろんビートルズじゃないんですが、ポール・マッカートニーが1989/90年の全世界ツアー・マテリアルから発売したCDなら二枚組だった『Tripping the Live Fantastic』(1990)がそんな不満を充足してくれる内容で、だから大好きなんですね。

 

つまりぼくはこれをある意味<ビートルズのライヴ・アルバム>として聴いているっていうわけです。たっくさんのビートルズ・ナンバーをやっていて、ちょっと数えてみたらアルバムの全37曲中17曲がそう。間違いなく元ビートルの全作品中最多。

 

1989/90年のツアーでしょ、ちょうど87/88年にビートルズの全公式CDリイシューがはじめて成し遂げられた時期ですよ。再評価の機運が高まっていたし、みんなが話題にしていて、ひょっとしたらポールだって手元に届いたであろう新メディアでビートルズを聴きなおしたんじゃないでしょうか。

 

それで多めにセット・リストに組み込んでみようということになったのかも。ほかの3ビートルと違ってそもそもウィングズ時代からときおりビートルズ時代の曲をライヴで披露していたポールですし、根っからの音楽パフォーマンス好きなんですよね、このひと。

 

音楽やってんのが楽しくてたまんないというのが音の表情のはしばしに表れていて、ぼくはこういうミュージシャンがほんとうに好き。そして『Tripping the Live Fantastic』でとりあげられているビートルズ・ソングはオリジナルにかなり忠実なアレンジだっていうのも仮想ビートルズ・ライヴという気分を演出してくれています。

 

「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」なんて、ポールがあんなに嫌ったはずのゴテゴテしたフィル・スペクター・オーケストレイションをそっくりそのまま再現していますからね。もちろんここではキーボード・シンセサイザーを使って。

 

そうです、1989/90年だと機材の著しい進展もこうしたライヴ演奏を可能とした大きな要因。1960年代では生演奏の管弦楽でなきゃ実現不可能だったサウンドを、現代ならたったひとりのデジタル・シンセ奏者が演奏できるようになりました。

 

「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」でエフェクトとして挿入される人声のざわめきも大編成ホーンズのサウンドもそう。前者なんかは間違いなくオリジナル・レコードからサンプリング抽出されています。「リプリーズ」部分を終盤にくっつけて一曲とし、そのあいだを長尺ギター・バトルでつないでいるのも楽しい。

 

ビートルズのある時期以後のスタジオ作品はこりにこったアレンジと多重録音のくりかえしが頻用されているので、かりにバンドがツアーを続けていたとしてもそのままではライヴ演奏が不可能なものでした。

 

スティーリー・ダンが1990年代に入ってライヴを再開するようになった、それも後期のレパートリーを中心にやっているというのと同じことで、ポールも現代の技術をフルに駆使して、あの当時は一回性のライヴで聴くことが可能になるなんてだれも考えていなかったビートルズ後期の曲を生演奏再現できるようになったんです。

 

(written 2023.2.19)

2023/03/06

土日は休みます

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(3 min read)

 

2015年9月3日以来23年3月6日現在まで9年近く、総記事数2740以上、マジで一日も休まず、なにがあってもどこにいても、更新し続けてきたこのブログ Black Beauty 。今週から土曜日曜はお休みすることにしました。平日(祝日をふくむ)はいままでどおり書いていきます。

 

といいましても昨年11月来毎前夜23時に上がるよう予約アップロードを設定していますから、正確には金曜深夜と土曜深夜の更新をお休みするということになります。実質的に日付が変わったタイミングの土日がお休みということで。

 

毎日更新するということは平均して毎日一個以上の新記事を必ず書かないといけない計算で、そのための題材(新作アルバムなど)も毎日一つ以上見つけなきゃならないわけです。いままで9年近くそれを日々たゆまずずっと実行してきました。

 

が、60歳を越えてさすがにちょぴり息切れ気味になりはじめていて、完全に息切れて終了しちゃうとヤバいので、この先さらに10年15年とブログを持続していくためにこそ、余力のあるうちにレギュラーな休息タイムをつくっておいたほうがいいだろうと思いました。

 

だいたい映画を観にいくことすらできなかったですからね。もちろんちょこちょこ映画も遠征ライヴも行っていましたが、そのためには日に二つ三つと書きためておかなきゃダメで、それがむずかしいときはストックを減らすばかりで、やっぱり精神的にちょっとあれです。

 

いまこれをとても聴きたいぞっていう音楽があっても、執筆準備のためにはこっちを聴かねばと思ってガマンするということもあったりしてですね、ですから自分の気の向くままの音楽リスナー生活を送りたいわけです。長年自由な聴取時間はお風呂上がりから寝るまでにかぎられていましたから。

 

9年近くほんとうに一日も休まず続けてきたので、来訪してくださるみなさんにそろそろちょっとは認めていただけているんじゃないかという現状認識が(アクセス解析など見れば)なんとなくあります。休まない毎日更新と自分で決めたルールにみずからしばられるのはバカらしいですから。

 

本格論考でなくていい、軽く短い感想文でいいんだぞとこのごろは自分に言い聞かせるようになりましたが、それでも根っからの作文好きという小学生時分からの傾向はあいかわらずで、なんども聴き込まないと書けない性分ですし、ね、だから、ちょっとお休みしてもいいでしょ?

 

(written 2023.3.6)

2023/03/05

驚くべき才能 〜 レイヴェイ『A Night at the Symphony』

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(4 min read)

 

Laufey, Iceland Symphony Orchestra / A Night at the Symphony
https://open.spotify.com/album/0ONGXnqkOl98GYJy619wqn?si=fQE7UMsFQvah1xhtFh2CNg

 

予定どおり3月2日に日付が変わったらリリースされたレイヴェイ期待のニュー・アルバム『A Night at the Symphony』(2023)。昨年10月26、27日、故郷レイキャヴィクのハルパ・コンサート・ホールで開催されたアイスランド交響楽団との共演コンサートから収録したもの。

 

一曲「ヴァレンタイン」だけ先行で聴けていましたが、アルバム全体を楽しめるようになってみると、予想していたよりもずっと極上の内容で、オーケストラの演奏もたいへんに美しく、もともと線の細いレイヴェイのヴォーカルはだからかすかに心配もあったのがぜんぜんしっかりしていて、これなら文句なしです。

 

いまのところ配信しかないのでくわしいデータがいっさい不明ですが(発信してくれないか?>レイヴェイ)、だれがオーケストラ用の管弦打アレンジを書いたのか、とってもすばらしいだけに、おおいに気になるところです。ロマン派ふうのゴージャスな響きに聴こえます。

 

あるいはひょっとしてそれもレイヴェイ自身のペンだったという可能性がほんのりあるような、かすかな情報の断片を組み合わせるとそんな気がしているんです。去年秋のコンサート直前で公式Instagramに上がっていた数々の写真のなかには、自身が総譜を手にとりそんな様子を見せているものが複数ありました。

 

クラシック音楽家の祖父と母を持っていて幼少時から親しんでいたようですし、バークリー音楽大学を卒業しているし、近年もふだんから聴いているクラシック音楽のジャケット写真がソーシャル・メディアによく上がっています。オーケストラ伴奏で歌うナット・キング・コールやフランク・シナトラなどが好物みたいですし。

 

今回レイヴェイ自身がアレンジもしたのかも?という、もしかりにこの推測が当たっているとすれば、驚くべき才能じゃないでしょうか。いままでの作品はギターやピアノの弾き語りを主軸に据え、そこに若干のゲスト参加ミュージシャンズやDAWアプリで音をくわえ、陰キャなベッドルーム・ポップっぽくこじんまりと仕上げていました。

 

そんな曲の数々もフル・オーケストラの伴奏がつけばここまでゴージャスでリッチなサウンドで生き生きとふくらみ躍動するとわかり、歌のほうもそれにあわせて(いままでとはすこし違い)丸く聴きごたえのある声質で魅了するしで。最初からティン・パン・アリーのものに酷似したクラシカルなテイストのソング・ライティングをする天才ではありましたけど。

 

だからいままでは実現しなかったけれど、レイヴェイの書く曲はこうしたオーケストラ・サウンドによく合致するタイプのメロディ・ラインや和声進行を持っていたもので、ヴォーカルともども機会さえ与えられれば飛翔するだけの資質をかねてより備えていたのかもしれません。

 

なお、曲により自身のピアノ、エレキ・ギター、チェロ演奏も聴かせています。もはやそれらの楽器のレイヴェイ・スタイルにはすっかり親しんでいますので、オーケストラのメンバーによるものでないことはわかります。

 

(written 2023.3.3)

2023/03/04

雨の日曜の朝に 〜 ファビアーノ・ド・ナシメント

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(2 min read)

 

Fabiano do Nascimento / Lendas
https://open.spotify.com/album/0REb0OWCAqDjbsEnInKJgl?si=yuFIyy_NQ4eEMQq704HEpg

 

ロス・アンジェルス在住のブラジル人ギターリスト、ファビアーノ・ド・ナシメントの最新作『Lendas』(2023)は一月に出ていたもの。ジャケットもきれいだし、すぐになんどか聴いたんですが、そのままほうったらかしで。

 

ところがこないだ二月中旬の雨で湿度の高い日曜日の朝に気が向いて聴きなおしてみたら、その美しさがとっても身に沁みて感動しちゃいました。空気みたいなふわっとしたおだやかで静かな音楽なので、一聴でピンとくるものではなかっただけかも、ぼくには。

 

ジャズでもクラシックでもショーロでもないブラジリアン・インストルメンタル・ミュージックで、でもちょっとジャズ寄りかな、ギターがどうこうっていうよりコンポジションがきわだってすばらしいと思います。八曲すべてファビアーノの自作。

 

ギター・トリオを軸とし、くわえて色彩を添えるヴィトール・サントス・アレンジのフル・オーケストラ・サウンドがあまりにもたおやかでやわらかい。ファビアーノよりむしろそっちのほうが本作の主役にほとんど聴こえ、ストリングスと木管の美しさに息を呑みます。アルトゥール・ヴェロカイの弦楽四重奏も5曲目後半で参加。

 

すみずみまで徹底的に練り込まれたウェル・アレンジド・ミュージックであることもぼくの嗜好にピッタリ。ひょっとしてファビアーノの弾くナイロン弦ギターのラインだってインプロヴィゼイションではないかも。

 

生き生きとした、っていうかナマナマしい、なまめかしさすらたたえていながらも、みずみずしいさわやかさがあって、熱帯を思わせると同時にかなりひんやりしたクールネスをも感じさせる音楽。ふくよかでありながら、同時に筋肉質な痩身の美を放っています。

 

最初はピンときませんでしたが、一度感動体験があるとその後はいつなんど聴いても、あぁなんて美しいんだと惚れ惚れとため息をもらしてしまう、ヤミツキになって、くりかえし再生ボタンを押すのをやめられないっていう、そんな麻薬のような魅惑も持つ音楽、それがこれです。

 

(written 2023.2.22)

2023/03/03

ドドンパ歌謡

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(4 min read)

 

ドドンパ歌謡
https://open.spotify.com/playlist/2ADH4D3UqP5EnIAY4YVRnY?si=42b9f10dc1264e6e

 

ドドンパのなかで最も知られている歌は、やっぱり「お座敷小唄」(1964、松尾和子、和田弘とマヒナスターズ)でしょうか。すくなくともぼくにとってはそう。幼少時代の記憶があります。

 

64年というと二歳なんで、レコード発売時のことを憶えているはずはありません。大ヒット曲だから、その後小中学生のころまでも(ほかの歌手であれ)テレビの歌番組でこれが披露されるのをくりかえし耳にして焼きついたということでしょうね。

 

そのほか1960年代前半にはたくさんのドドンパ・ソングがつくられヒットして、さながらブームのようになっていました。(歌の世界の)ドドンパってなに?っていう向きもいらっしゃるでしょうが、何曲かお聴きになれば「パ、パラパパッパ」という共通パターンはすぐ把握していただけるはず。それがドドンパ。

 

ドドンパという文字列が曲題と歌詞に入るものが大半で、もちろん入らない「お座敷小唄」みたいなヒット・ソングもあったわけですが、ビート・パターンに特徴があったので、いはゆるリズム歌謡の一つとされています。

 

「ひばりのドドンパ」(美空ひばり)、「ドドンパ酒場」(春日八郎)、「東京ドドンパ音頭」(フランク永井etc)、「東京ドドンパ娘」(渡辺マリ)〜〜 これらはすべて1961年発売のシングルで、ほかにも無数にあったので、いかに当時ドドンパが流行していたかわかりますね。

 

ぼく世代くらいまでだと、こども時分にそのパターンをあまりに耳にしていたがため、意識せずとも体内に沁みついていて、トシくっても聴けばなんだか(失ったスケベさと一体の)懐かしさがこみあげてくるドドンパ、しかしこれはほんのいっときだけの流行で終わってしまい、持続することはありませんでした。

 

また(東南アジア経由の)ラテン・ビート由来であるにもかかわらず舶来な印象があまりなく、純和風のものに聴こえてしまうのは、音階ゆえでもあるでしょうし、また歌詞の韻律が七五の都々逸であることも理由でしょう。お座敷ネタとかのせいもあるかも。

 

1960年代初期ほんのいっときだけの一過性の流行で消えてしまったドドンパは、しかし21世紀になっても100%忘れられたわけではなく、2004年に氷川きよしが「きよしのドドンパ」というのをリリースしています。きよしはデビュー期からわりと古めというかレトロっぽい歌を得意としていましたね。

 

といっても「きよしのドドンパ」は歌詞も都々逸じゃないし、例のリズム・パターンも鮮明ではありません。ぼんやり聴いているとどこがドドンパ?っていう内容ですが、その定型は潜航的に下層にもぐっているような感じ。うっすらですが、たしかにドドンパの痕跡くらいはあります。

 

これだけじゃありませんがきよしの歌ってレトロ指向でありながらそのままは使わず、ある程度現代的に咀嚼して仕上げているあたりに、いかにも新世代歌手らしさを演出しようとしたんだなっていう製作陣の意図をはっきり感じます。

 

比較するに、その後さらに10年以上が経過して日本歌謡界でも鮮明な復古ムーヴメントが顕在化して以降につくられたものは、かつてのパターンをそっくりそのまま使っています。徳永ゆうき「平成ドドンパ音頭」(2014)しかり、石川さゆり「昨日にドドンパ」(2017)しかり。

 

これら二曲は露骨な1960年代初期ふうのレトロ・ドドンパで、さゆりのなんか「むかしの歌がよかったねと思うのは自分だけじゃないはず」なんていう意味の歌詞ではじまりますからね。かつてただよっていたちょっぴりエッチなほのめかしはきれいに消えてしまっていますが、それは時代でしょうね。

 

(written 2023.2.26)

2023/03/02

かわいい香港ラテン 〜 江玲

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(2 min read)

 

江玲 / Hong Kong Presents Off-Beat-Cha-Cha
https://open.spotify.com/album/5vyOYncrhWKS7F1WUNjRSf?si=HYbiBmA7TPqFYQmAmF3xHA

 

bunboniさんに教わりました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2023-02-09

 

香港の歌手、江玲(コン・リン)の1960年作『Hong Kong Presents Off-Beat-Cha-Cha』がめちゃめちゃ楽しい。ノベルティなポップ・ジャズをベースにしたアジアン・ラテン歌謡なんですが、ノベルティといってもアクの強さみたいなものがない素直な音楽なのが聴きやすくていいですね。

 

こういうのをオフ・ビート・チャ・チャと呼ぶらしく、それがなんであるかは上記リンク先のbunboniさんのブログにくわしいので、ぜひお読みください。これも世界中に流布しまくったキューバン・ビートの、そのアジアにおける落とし子の一つなんでしょう。日本のドドンパのルーツみたい。

 

特にホーン・アレンジと小物打楽器の使いかたがなんともいえずキュートでしょ。ぐりぐりっとホーン・セクションがリフを演奏してパッと止まり、刹那ポコリンチョと打楽器が鳴ったりすんの、ぼくには生理的快感ですらありますが、なんともいえないかわいらしさを感じてしまうんです。

 

1960年前後という時代と(ある種の)エキゾ趣味に彩られているわけですけど、東南アジア地域におけるラテン歌謡、オフ・ビート・チャ・チャってそういうもんらしいですよ。キュートな愛らしさを感じて思わず笑顔になってしまうっていうのは江玲のヴォーカルもそうです。

 

おなじみのアメリカン・チューンズを歌っていますが、クセのない素直な美声で、歌唱法にはこねくったり表情を強く出したりするところがなくナイーヴでアクがなく、ストレート。おかげでノベルティなジャンルであるこうした音楽を上品に聴かせています。

 

(written 2023.2.13)

2023/03/01

先生のことが好き!

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写真は2018年のものです

 

(5 min read)

 

と言われることが若い時分にはよくあって、あのころホントもてたなあ。自慢話はいやらしいでしょうが、かなりむかしの思い出話で、いまはもうそんなことありえなくなったジジイが懐古というかなつかしんでいるだけなので、どうかご勘弁ください。

 

先生と呼ばれたのは大学の教師だったからで、職場には二十歳前後の女性がたくさんいたわけですから、そう、ばあいによっては告白されたりヴァレンタインのチョコレートを意味を込めてプレゼントされたり手紙をもらったりなんてことがよくありました。

 

30代後半からはこんなこともなくなったんですが、それ以前の若いころは学生にとっても身近でリアルな感情を持てる対象だったからなんでしょう。年齢が近く話がおもしろくルックスもいい異性教師に学生や生徒が好意をいだくなんてのはよくあることじゃないかと思います。

 

しかもその後結婚することになるパートナーと深いおつきあいをはじめたら途端にモテるようになったというのがちょっと皮肉というかジレンマというか、フリーの時代にモテていればウハウハだったのかもしれませんけど、でも人間そんなもんですね。

 

なかにはですね、同じ大学の同僚だったか明言できませんが、委細かまわず教え子との禁断の関係に走ってしまう教師もいたとかいないとかのウワサを耳にはさんではいました。その点ぼくは徹底的に抑制が効いていたというか、若い女性に興味なかったというか、そもそもパートナーとほやほやの時期でしたし。だから一線を踏み越えたことはありません。

 

それでもいまだ鮮明におぼえている女子学生もいて、うんそうですね、好きだおつきあいしてくれと言われるのは悪い気分じゃないし、熱烈アタックかけてきた相手のことは忘れないもんです、還暦になっても。氏名までくっきり憶えている女性もいますから。

 

それほどじゃなくても、なんとなくのぼんやりした好感を集団的に寄せられていたことは鈍感なぼくでも理解していて、たとえば三年間ほど埼玉県にある小さな女子短大に非常勤で教えに行っていたころはそうでした。教室に入ると「今週は先生何色着てくるかとみんなでうわさしているんですよ」などとうれしそうに言われるし。

 

ファッション・チェックより教科書読んできてほしいというのが教師としての内心でしたけど。下校時に校門で待ち伏せされていたし(これは他校でもそうだった)。その女子短大はかなりな田舎にあったので電車の路線も一本だけ、学校から駅まで一本道で逃げようがなかったので、結局池袋まで毎週ずっといっしょでした。

 

JR山手線新宿駅のホームで、電車が来た別れ際に強引にキスしてきた学生もこの女子短大二年生でした。だから19歳か20歳でしたか。ぼくは当時28歳。駅のホームに一人残され、ほっぺたに赤いのがついたけどしばらくは拭くのもなんか違う気がするしで。

 

そんなこんな一切合切、ぼくはパートナーに残らずしゃべっていました。もらった手紙も見せるし、チョコレートをもらったら仲よくいっしょに食べるっていうようなぐあいだったので、知らないとはいえ学生のほうからしたら残酷なことだったかもしれません。

 

いま思い出しました。1991年三鷹市役所(最寄駅はつつじヶ丘だったけど住所だけ三鷹だったあのころ)に婚姻届を出し受理された半年後に、吉祥寺で記念パーティをやりました。友人や仕事仲間を呼んでお茶だけするっていうものを。

 

その際パートナーの旧学友もたくさん来たんですけど、終わってから「ねえ、岡本、心配じゃない?ダンナがあんなハンサムで、しかも職場には若い女がうじゃうじゃいるんでしょ、ねえ心配でしょ?」って、みんなにそればっかり言われたってことで、帰宅してから二人で笑いました。

 

いまはむかし。

 

(written 2023.2.4)

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