先生のことが好き!
写真は2018年のものです
(5 min read)
と言われることが若い時分にはよくあって、あのころホントもてたなあ。自慢話はいやらしいでしょうが、かなりむかしの思い出話で、いまはもうそんなことありえなくなったジジイが懐古というかなつかしんでいるだけなので、どうかご勘弁ください。
先生と呼ばれたのは大学の教師だったからで、職場には二十歳前後の女性がたくさんいたわけですから、そう、ばあいによっては告白されたりヴァレンタインのチョコレートを意味を込めてプレゼントされたり手紙をもらったりなんてことがよくありました。
30代後半からはこんなこともなくなったんですが、それ以前の若いころは学生にとっても身近でリアルな感情を持てる対象だったからなんでしょう。年齢が近く話がおもしろくルックスもいい異性教師に学生や生徒が好意をいだくなんてのはよくあることじゃないかと思います。
しかもその後結婚することになるパートナーと深いおつきあいをはじめたら途端にモテるようになったというのがちょっと皮肉というかジレンマというか、フリーの時代にモテていればウハウハだったのかもしれませんけど、でも人間そんなもんですね。
なかにはですね、同じ大学の同僚だったか明言できませんが、委細かまわず教え子との禁断の関係に走ってしまう教師もいたとかいないとかのウワサを耳にはさんではいました。その点ぼくは徹底的に抑制が効いていたというか、若い女性に興味なかったというか、そもそもパートナーとほやほやの時期でしたし。だから一線を踏み越えたことはありません。
それでもいまだ鮮明におぼえている女子学生もいて、うんそうですね、好きだおつきあいしてくれと言われるのは悪い気分じゃないし、熱烈アタックかけてきた相手のことは忘れないもんです、還暦になっても。氏名までくっきり憶えている女性もいますから。
それほどじゃなくても、なんとなくのぼんやりした好感を集団的に寄せられていたことは鈍感なぼくでも理解していて、たとえば三年間ほど埼玉県にある小さな女子短大に非常勤で教えに行っていたころはそうでした。教室に入ると「今週は先生何色着てくるかとみんなでうわさしているんですよ」などとうれしそうに言われるし。
ファッション・チェックより教科書読んできてほしいというのが教師としての内心でしたけど。下校時に校門で待ち伏せされていたし(これは他校でもそうだった)。その女子短大はかなりな田舎にあったので電車の路線も一本だけ、学校から駅まで一本道で逃げようがなかったので、結局池袋まで毎週ずっといっしょでした。
JR山手線新宿駅のホームで、電車が来た別れ際に強引にキスしてきた学生もこの女子短大二年生でした。だから19歳か20歳でしたか。ぼくは当時28歳。駅のホームに一人残され、ほっぺたに赤いのがついたけどしばらくは拭くのもなんか違う気がするしで。
そんなこんな一切合切、ぼくはパートナーに残らずしゃべっていました。もらった手紙も見せるし、チョコレートをもらったら仲よくいっしょに食べるっていうようなぐあいだったので、知らないとはいえ学生のほうからしたら残酷なことだったかもしれません。
いま思い出しました。1991年三鷹市役所(最寄駅はつつじヶ丘だったけど住所だけ三鷹だったあのころ)に婚姻届を出し受理された半年後に、吉祥寺で記念パーティをやりました。友人や仕事仲間を呼んでお茶だけするっていうものを。
その際パートナーの旧学友もたくさん来たんですけど、終わってから「ねえ、岡本、心配じゃない?ダンナがあんなハンサムで、しかも職場には若い女がうじゃうじゃいるんでしょ、ねえ心配でしょ?」って、みんなにそればっかり言われたってことで、帰宅してから二人で笑いました。
いまはむかし。
(written 2023.2.4)
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