加齢による身体的衰弱が思考に深みをもたらす
※ 写真は本文と関係ありません
(4 min read)
こないだ作家の近藤雄生(ゆうき)さんがいいこと言っていました。
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加齢や体力の衰えを感じるほどに、人間の精神や考え方に、物理的な肉体が与えている影響の大きさを実感する。体が衰え、死に向かっていくからこそ人間には人間の思想や文化があるんだなあと。
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こうしたことは、ぼくら60歳も越えた世代なら日々皮膚感覚で実感していること。肉体的に衰え、要介護段階にはまだ遠いけれど前フレイル状態にやや入りつつあるかもしれないようなステージにあって、内面的思考のほうはどんどん冴えを増すばかり。
もちろん肉体/精神と二分して考えたりするのはちょっとおかしなことで、気持ちとかハート、感情もすべて脳の働きなので、その意味では(肉体と切り離すかたちでの)心、精神なんてものはなく、なにもかもがピュアに身体的な現象ってことではあります。
近藤さんは、だから病気もケガも衰えも年齢的限界もないAIは人間的思考にとってかわりようがない、生身の人間の思考はそれら肉体的衰弱によってこそ深みや鋭さを増すのだから、という方向へ結論づけなさりたいようです。
ぼくとしてはAIならではの活躍シチュエーションがあると思っていて、もうすでにそうなっているし、人間に置き換わるものでないにせよ、ネガティヴなとらえかたはしていません。イノベーション万歳?Spotifyとかで日々AIのありがたみを味わっているおかげ?
いずれにせよAI思考と人間思考は異なるもの。そして後者は年齢を経れば経るほど、加齢で肉体が衰えればそれだけかえって、斬れ味と味わいを増していくものです。渋みというか落ち着き、まろやかみも出てくるし。
あれもできないこれもできなくなったとか、人生あきらめなくちゃなんないことも増えて、だからこそかえってというか引き換えにっていうか得られるものが思想や文化にはあって、それでこそ人間思考の存在価値があるというものです。
こんなこと、言語化していなかったまでも日々実感しているあたりまえのことであるにもかかわらず、近藤さんのツイートがあるまでぼくは意識していませんでした。が、たしかにこのとおりです。音楽を聴き、考え、文章を書き、発表するという生活のなかで、その作業がここ数年どんどん容易になってきているのも事実。
ブロガーとして経験を重ねて熟練したっていうことなんですけど、大きなケガや病気もかかえるようになったし、若いころのように思いどおりには動作できなくなってきたと痛感することが多いですが、テーブルに置いたノート・パソコンの前にすわって執筆に専念するという一点においては以前よりスムースにできるようになりました。
気持ちもフラットでピースフルになっているし、おだやかで淡々とした薄味なメンタルで落ち着いていて、そうなったのと相前後するように好きな音楽の傾向も変化しました。ケバケバしいものを遠ざけるようになり、静かでまろやかな淡々とした音楽をどんどん聴くようになりました。
こうしたことは生命体としての人間の有限性にきわめて密接に関係しているというか、人生が限りあるもので、死へ向かって徐々に衰えていくからこその充実なんだと言えるはず。歳とっていなかったら、いまのぼくの文章はないです。
(written 2023.3.30)
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