本当の音なんて結局わからない
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っていうことを日々痛感しています。ぼくはたいてい録音された音楽を聴いていますが、部屋にいるときはだいたいメインのアンプ+スピーカーで鳴らしていても、お風呂タイムは防水ミニ・スピーカーで、早朝や深夜はヘッドフォンですし、もちろん外出時は携帯性の高いイヤフォン。
すると同じ音源を再生してもそれらそれぞれでまったく、というのは言いすぎにしても、かなり音が違うわけです。もう音そのものが違う。あたりまえながら。同一音楽でもなにが「本当の」音か?「ホンモノの」音か?なんてわからんでしょ。
部屋のメイン装置だって別のものに買い換えればかなり音が変わるし、じっさい人生で数回それを経験しました。アンプやスピーカーにそれぞれ固有の個性がありますし、こうまで別な音楽に聴こえたりするのか!っていうのはみなさん体験なさっているはず。
結局のところ、音の真実なんてものはなく、再生装置なりの「解釈」だけが無限に存在し積み重なっているっていうことかもしれません。じゃあ原音がそのまま届く現場で聴く生演奏の音が真実だろうかっていうと、あんがいそれも言いにくい。場所のアクースティック次第で音は変わりますから。原音ってなに?
20世紀初頭のレコード産業樹立後は、この「原音再生とはなにか?」というテーマをずっとみんなで追いかけてきた歴史だったともいえて、現場でナマで聴くよりレコードなど録音メディアで音楽に日常的に接しているというのがひとびとの現実になりましたから、ある意味ホンモノの音楽という像の認識に逆転現象も起きるようになりました。
すなわちレコードで聴く音こそ「実物」で、ライヴはそれの(目の前での)再現であるっていう、そんな逆転。わりとあたりまえに存在しているんじゃないでしょうか。そんな像だって、実はひとそれぞれ抱いているイメージが異なっているってことですから。
オーディオ装置で変わるだけでなく、ディスクなどに刻まれたもとの音だってマスタリングや盤質次第でだいぶ変わります。レコード時代はカッティングでも違いました。結局、同じ音楽家の同じ作品でも、ひとそれぞれ聴いている音は違うんですよね。同じ体験は二つとありません。
だから真実に届いていない、隔靴掻痒だという意味ではどれもニセモノで、でありながらしかしどれも聴き手にとってのリアリティを持ったホンモノでもあるんです。この二律背反が身に沁みないかぎり音楽狂とは言えません。
もちろん再生装置が違ったり生演奏であっても、変わらぬ一貫したその音楽家らしさみたいなものが常に感じられてアイデンティティになっているのはだれでもわかるので、音響が変わっても真実は一個で不変であると言えるわけですけどね。
(written 2023.4.11)
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