偏食と好き嫌いは違う
(3 min read)
いっしょくたにされているというか、同じことじゃんねということで使われているこれら二つのことば、実は内容が異なります。ぼくはかなりな偏食者ですが、食べものの好き嫌いはありません。食べられないものが多いですが、それらが嫌いなわけじゃないです。
偏食とは嫌いだから食べないんじゃなくて、食べることがたんに生理的身体的に不可能なだけです。口に入れられないとか咀嚼できない飲み込めず吐き出すだけとか。それはおそらく生まれつきのもので、生育過程でそうなったとかなにかの経験がきっかけで後天的にとかじゃありません。
嗜好ではなくて、自分ではどうしようもできない生来の体質、それが偏食。ぼくのばあいASDであることもこれに関係しているんじゃないかと思います(偏食者が発達障害者であることが多い医学的因果関係は解明されていません、数は多いけど)。
たとえばお寿司。生の切り身も米酢も受けつけない体質なので最も食べられないものですが、好きなので食べたい気持ちは人一倍あります。きっとすごくおいしいだろうなというのも、家庭料理人であるぼくにはとってもよくわかります。嫌いなんかじゃない。受けつけないだけで。
このへん、偏食のない健常なみなさんにはまったく理解されない人生を送ってきたという強い強い実感があります。「あ、戸嶋さん、好き嫌いがあるんですね」みたいなことを言われるたびに深く傷つき、それは違う、偏食者なだけ、嫌いだから食べないんじゃないぞと内心で叫ぶんですが、到底理解されないであろうと腹に飲み込むばかり。
食べられるけど好きじゃない、どっちかというと嫌いだっていうものもたくさんありますよ。でもそれは偏食じゃない多くのみなさんもそうでしょう。それらは食べられるのでTPOによっては食べます。自分からはちょっと避けているだけで。
偏食者が食べられない理由はこういったこととまったく違うんですよ。文字どおり不可能なんですから、無理強いしたり「出されたものを食べないんだったらなにも食べんでいい」とか言ったりしないでいただきたいと思います。
「好き嫌いせず残さず食べましょう」〜 これが偏食者をいちばん傷つけるセリフです。
(written 2023.4.15)
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