2019/12/06

とあるジャズ・ファンク・ライヴ(夢)

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現実に存在しない音楽の話をときたましますけど、今日もまた今朝方の夢のなかに出てきた音楽のことを書いておきます。そうせずにはおれないほど鮮烈な内容でした。それはなにかのライヴ盤で、夢のなかでぼくはその CD ジャケットを眺めながらそれをかけて、すさまじい内容に感動しきりだったんですね。その夢の音楽は、なにかソウル・ジャズ〜ジャズ・ファンクっぽいライヴでした。

 

編成はたぶんトランペットとテナー・サックス入りのクインテット。ストレート・ジャズとジャズ・ファンクの中間のような内容だったと思いますから、たとえばリー・モーガンの『ライヴ・アット・ザ・ライトハウス』(のラストの「ザ・サイドワインダー」とか)みたいな、そんな演奏でした。とにかくトランペットとサックスのソロが長尺で、しかもめっちゃ熱く盛り上がり、さらに(特にサックスのほうかな)トグロを巻くようにまがまがしいソロだったんですね。
https://open.spotify.com/track/7lA14iZss8k35hAllPl3LK?si=ATu5zDmiRWSWgkGuwI5x7A

 

その夢で見た音楽はこの世のものではありませんから、いまぼくはとりあえずリー・モーガンの『ライヴ・アット・ザ・ライトハウス』を聴きながらこれを書いているんですけど、これのサックスはベニー・モウピンですね。でもぼくが見た夢のなかのサックス奏者は、たぶんローランド・カークが演奏するような、そんな内容に近いものだったように思います。

 

夢に出てきた CD ジャケットがこりゃまた印象的だったんですが、こまかいことはもう忘れてしまいました。まるでジャズ喫茶がそうするように、ぼくもそのジャケットを掲げて眺めながら聴いていたんですね。1970年代にはあんな音楽がジャズのなかにたくさんあったなと思うんですけど、ホントどうして今朝の夢にあんなファンキーで熱い演奏が出てきたんでしょう?

 

それどほまでにぼくはあんなふうなジャズ・ファンクのライヴが好きなんでしょうか?夢のなかでは特にサックスですね、延々とまるでジョン・コルトレインがライヴ演奏でそうだったように長尺の激しいソロを吹きまくり、しかしフリー・ジャズではなくリズムはファンキーでタイトでした。ジャズ・ロックにも近いようなそんなビートに乗って、そのサックス奏者がすばらしくファンキーなソロをくりひろげるのを、ぼくは興奮しながら聴いていたんですね。

 

とにかく目の覚めるような(といっても寝ていたんですけど)音楽で、夢のなかではぼくだけでなくその場で耳にしたみんなが(ということはぼくはどこにいた?)「このすごいのはなんだ?!」といった顔でジャケットを見つめたり手にとったりしていたんですね。あんなにも激しく熱いソロ演奏を聴かせるジャズ・ファンクのライヴ盤って、この世に現実に存在するのでしょうか?一度聴いてみたいという(コルトレインがやるようなものを)強い願望が夢となって出現したんでしょうか?

 

(written 2019.11.26)

2019/12/05

ウィルソン・モレイラの遺作は、みんなで歌うサンバ

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https://open.spotify.com/album/5id4Bt8NzmFc97giLv9S36?si=npeLeuxeQ7KgzB8EWOOMlg

 

ブラジルのサンバ歌手、ウィルソン・モレイラの『Tá Com Medo Tabaréu』(2018)。遺作だとのことです。ウィルソンはこんな感じで、はっきり言ってヨボヨボで力もなく、声に張りもありません。だから主役のヴォーカルに集中すると、聴けない作品ということになってしまいますが、約35分のこのアルバムを通してあんがい悪くないなと思えるから不思議です。

 

あんがい悪くないと思える理由ははっきりしているでしょう。それはなるべくウィルソンの歌に耳が行かないようにアレンジされているから。特にヴォーカル面では大編成コーラス隊がかなり活躍していて、ウィルソンがちょっと歌うとコーラス(ぜんぶユニゾンかな、これは)が出るとか、そもそもコーラス・メインでアルバムが進むように工夫されていますよね。

 

おかげでヨボヨボなウィルソンの声だけ聴いてがっかりするという結果になりにくいと思うんですね。こうした「みんなで歌う」サンバというのは、この音楽ジャンルの伝統のひとつでもあるわけで、特にカーニヴァル・サンバですかね、こうやってほぼ全編が大編成ユニゾン・コーラスで進むという具合なのは。だから、ウィルソンのこの遺作でも、その伝統にのっとっただけという見方もできます。

 

伴奏のアレンジもいいですよ。弦楽器+パーカッション(&ときおり管楽器)という編成ですが、弦楽器ではカヴァキーニョがサウンド形成の中核を担っていますよね。この小型のウクレレみたいな楽器の奏でるちょっぴり甲高い音色での刻みがなんともいえず心地いいです。打楽器はパンデイロとスルドと、たまにクイーカかな、それもサンバの伝統マナーですね。

 

どこまでも土くさい伝統サンバなんですが、この遺作は、年老いてもう声に力のなくなったウィルソンを囲むみんなが力を合わせて主役を盛り立てて、パワー不足を補って、みんなで歌いみんなで演奏するコミュニティの芸能を聴かせてくれるところ、この作品にサンバ・コミュニティの真髄を聴くような気がします。

 

(written 2019.11.18)

2019/12/04

フェラ・クティとロイ・エアーズの共演盤

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https://open.spotify.com/album/0MBoCqtaNMo5av80u0YqqT?si=LeQhfO_xQjCUzQcvep97Og

 

フェラ・クティとロイ・エアーズ1979年の共演盤『ミュージック・オヴ・メニー・カラーズ』。これ、Spotify のだと1曲目が「2000 ブラックス・ガット・トゥ・ビー・フリー」ですけど、ナイジェリア盤レコードだとどうやらこれが逆なのかもしれないですよね。レコードでは「アフリカ - センター・オヴ・ザ・ワールド」が A 面だったんじゃないでしょうか。どうしてひっくりかえしちゃったんでしょう。

 

それはいいとして、このアルバム、1990年代的レア・グルーヴの香りもプンプンと立ち込めていますよねえ。ぼくは Spotify のでしか聴いていませんから、A 面 B 面のことが(ひっくりかえっているのか?とかも)わかりませんので、Spotify にあるのにそのまま沿って話をしますが、まず1曲目の「2000 ブラックス・ガット・トゥ・ビー・フリー」ではロイ・エアーズが主役のようで、歌っているのもロイです。

 

フェラが自身の名前を冠したアルバムで、ここまでゲストを立てているのはなかなか珍しいことじゃないでしょうか。そもそもこのときロイはフェラのライヴの前座をやるべく自分のバンドを引き連れてアメリカから飛んできたわけで、1979年といえばロイも立派に自身のキャリアを築いていましたし、フェラもそんなことでここまでロイをフィーチャーしているのかもしれないですね。

 

この1曲目はロイのバンドとフェラのバンドの合体演奏で、しかもなんだかディスコ調に近いですよね。ロイはちょうどこのころそんな音楽に接近していたし、この曲はロイ主導ということでこういった感じになっているんでしょう。テナー・サックス・ソロはフェラではなく、ロイのバンドのハロルド・ランドみたいです。1曲目ではフェラの音楽っぽいところが薄いかもしれません。同じフレーズをくりかえすコーラス隊はフェラのバンドのひとたちでしょうけど。ぼくとしてはジャズ・ファンクと言いたいところ。

 

そこいくと、2曲目に来てフェラが主導の「アフリカ - センター・オヴ・ザ・ワールド」になればおなじみのアフロビートになるので安心というか、フェラの音楽としては落ち着く感じです。2曲目では歌もサックス・ソロもフェラのものでしょう。ロイのバンドからはボスのヴァイブラフォンとハロルド・ランドのサックスだけ参加している模様。そしてフェラはここでもロイにどんどん弾かせていますよね。

 

これはなかなか珍しいことだと思います。ふだんどおりのアフロビートをやるフェラのバンドの演奏でヴァイブラフォンがこんなに目立つのは、ぼくはこのアルバムでしか聴いたことがありません。アフロビート+ヴァイブ、このおかげでかなりジャジーな雰囲気も漂っていますし、ふだん聴けないフェラということで、かなり異色ですね。

 

歌詞は二曲とも黒人とアフリカを賛美したみたいな内容で、音楽的には1曲目がディスコ調だったりはしますが、延々と反復されて次第にアフロビートに傾くというか融合していって、聴き手の感覚が麻痺していくような感じに聴こえなくもないし、2曲目もテナー・ギターのヒプノティックな響きを背景にロイのヴァイブがクールに決まっていて、こんなアフロビートもほかでは聴けないっていう、なかなかおもしろい一枚じゃないでしょうか。

 

(written 2019.11.19)

2019/12/03

ジャズって小粋で洒落たポップ・ミュージックなのだ 〜 ジェフ・ゴールドブラム

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https://open.spotify.com/album/1EMMlBhECxqCcuEjSvMw0N?si=UnGpM9aKRlW1oZO4iVIDqQ

 

萩原健太さんの紹介で知りました。
https://kenta45rpm.com/2019/11/06/i-shouldnt-be-telling-you-this-jeff-goldblum/

 

ジェフ・ゴールドブラムといえばみなさんご存知の有名俳優ですが、なんとジャズ・ピアノの腕前のほうも一流だったとは、ぼくはついこないだまで知りませんでした。二作目になるらしい『アイ・シュドゥント・ビー・テリング・ユー・ディス』(2019.11.1)がすっかりお気に入りになっています。ミルドレッド・スニッツァー・オーケストラとの共演。ジェフはお父さんがエロール・ガーナーの大ファンだったそうで、幼少時分からジャズに接してきたらしいです。

 

アルバム『アイ・シュドゥント・ビー・テリング・ユー・ディス』にはインストルメンタル・ナンバーも三曲あります。ハービー・ハンコックの「ドリフティン」、ジョー・ヘンダスンの「ザ・キッカー」、ジミー・スミスの「ザ・キャット」。ジェフは決して弾きまくらず、どっちかというと脇役にまわっているような感じで、短いソロもとるんですけど、ほかの楽器奏者が演奏している時間がずっと長いです。

 

しかしこれらはこのアルバムのなかでは例外かも。ほかの曲はすべてヴォーカリストをフィーチャーしていますから。ラスト11曲目ではジェフみずから歌っていますがそれはいいとして、ほかは名のある歌手を招いていますよね。個人的な印象としてはヴォーカル・ナンバーで小粋にまとめるスウィンギーさが、このアルバムやジェフの持ち味なんじゃないかと思えます。

 

なかでも器楽曲と歌ものの合体が三つあるでしょう。「ザ・サイドワインダー/ザ・ビート・ゴーズ・オン」「ジャンゴ/ザ・スリル・イズ・ゴーン」「フォー・オン・シックス/ブロークン・イングリッシュ」。これら三つこそこのアルバムの目玉ですね。なんて楽しいのでしょうか。しかも小粋で小洒落てて、(アルバム全体も)ラウンジ・ミュージックふうですけど、かつてのジャズとはそんなものだったことを思い出させてくれます。

 

これらの合体曲、器楽演奏部分はいずれも超有名ジャズ・オリジナル、歌のほうはそうでもないポップ・ナンバーというところに注目したいです。この合体のアイデアとアレンジがジェフのものなのか、それともプロデューサーやアレンジャーの発案なのかはわかりませんが、実にスムースにつながっていて、違和感ゼロですよね。ジャズ・オリジナルとポップ・ナンバーがこんなふうに合体できるのは、考えてみたらあたりまえですけど、しばしば忘れられがちだったり、あるいは否定されたりすることだってあるんじゃないですか。

 

ジェフらがやっているこうした合体は、ジャズもポップスも本当は違いなんてない、ひとつながりのものであって、こうやって工夫すればなんの違和感もなく融合できちゃうよという、ジャズ・ミュージックのかつてのというか(ロックが出現する前までの?)本来の姿を思い出させてくれているんじゃないかと、ぼくは考えています。そう、ジャズってアメリカン・ポップ・ミュージックの保守本道を歩んでいた音楽だったんですよね。

 

(written 2019.11.17)

2019/12/02

アメリカの音 〜 バンダ・ブラック・リオ

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https://open.spotify.com/album/0VHDhU0LmpSaikzQZZHEX2?si=84Oi0EPKRrentRi2IynN0g

 

これは今年夏ごろのリリースでしたっけ、バンダ・ブラック・リオ(ブラジル)の新作『O Som Das Américas』(2019)。アルバム題を直訳すれば「アメリカの音」となりますけど、このばあいのアメリカとはアメリカ合衆国のことではなく、南中北米を総合した意味での「アメリカ」ということなんでしょう。つまり汎アメリカンなサウンドを目指したということでしょうか。Américas と複数形になっていますからね。

 

しかしながら実際にこのアルバムを聴くと、かなりアメリカ合衆国のブラック・ミュージック寄りの音楽だなとわかります。そこにすこしブラジル成分を足したという、そんな感じではないでしょうかね。だからここでいうアメリカズとはアメリカ合衆国とブラジルということで、それ以外のアメリカン・ミュージック要素はとくに見当たりません。

 

でもこれは、だからな〜んだ、っていうことじゃなくて、聴くとけっこう楽しい音楽なんですよ、このアルバム。豪華なゲストを大勢迎えてやっていますけど(いちばんの大物はジルベルト・ジルとカエターノ・ヴェローゾか)、そんなにぎやかさもいいし、腰が動きそうなボトムスに支えられたファンキー・ビートも愉快です。

 

このアルバムを聴いていちばんこれがあるなと思うのは、ちょっと古くさいんですけど、アメリカ合衆国でかつて人気だった(1980年代ごろだっけ?)ブラック・コンテンポラリーのサウンドです。アルバムの全編がほぼそれで貫かれていると言いたいくらい、はっきりと聴けますよね。だから、2019年にリリースするにしては時代のレレヴァンスがないんですけど、それはそれこれはこれとして、聴いたら楽しいからいいんじゃないかっていうのがぼくの考えです。

 

けっこうジャジーな要素もありますよ。たとえばレオ・ガンデルマン(サックス)を加えてやっている4曲目がそう。これはインストルメンタル・ナンバーですが、冒頭からのピアノとエレベのユニゾンで突き進むアレンジはなかなか聴かせますよ。スティール・パンみたいな音も聴けます。ジャジーというかフュージョンっぽいんですけど、こんなところもアメリカ合衆国音楽的。

 

そうかと思うと、続く5、6曲目はそれぞれジルとカエターノを迎えてブラジル音楽をポップに展開しているし、特にカエターノが歌う6曲目とセサール・カマルゴ・マリアーノが歌う17曲目がボサ・ノーヴァふう MPB でブラジル要素が濃く出ています。さらにサンバ・ルーツの MPB 的なものだってあるし、でも全体的にはブラック・コンテンポラリーっぽいっていう、ちょっとおもしろいアルバムです。

 

(written 2019.11.16)

2019/12/01

シカゴ・ブルーズなビッグ・ママ・ソーントン

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https://open.spotify.com/album/2lpWAoHgTroLmD8eCeF6l5?si=luHmkef9R3qSgOZyygXacA
(オリジナル・アルバムは10曲目まで)

 

ビッグ・ママ・ソーントンは1950年代がピークだったと思いますが、ここにマディ・ウォーターズ・ブルーズ・バンドをしたがえて歌った1966年の録音があります。アルバム題はなんの変哲もない『ビッグ・ママ・ソーントン・ウィズ・ザ・マディ・ウォーターズ・ブルーズ・バンド』。これがなかなか悪くないんですね。ちょこっとだけ感想を書いておくことにします。

 

ブルーズ聴きにはもちろんマディのほうが認知度高いでしょうけど、先にヒットしたのはジョニー・オーティス楽団時代のビッグ・ママ・ソーントンのほう。だからマディのバンドをしたがえて歌うっていうセッションが実現したんでしょうね。といっても1966年といえばビッグ・ママもマディも人気が落ちていた時期。だからその両者で組んで、またもう一発みたいな願望があったかもしれません。

 

この両者の1966年共演、ビッグ・ママが歌っているのは大半が自分で書いた曲のようですが、それでも伴奏のマディ・バンドの演奏は66年当時の完璧なシカゴ・ブルーズ・スタイルですよね。ブギ・ウギ・ビートの効いたアップ・テンポ・ジャンパーや、ゆったりとたたずむようなスロー・ナンバーはまるでとぐろを巻くような、黒い水たまりのようです。主役の歌も実にいい。

 

そしてビッグ・ママの歌は、ときどきソウルフルにも響きますよね。ソウル・ナンバーに近づいているものがこのアルバムには数曲あるように思えます。たとえば三連のストップ・タイムが使ってあるせいか4曲目の「ライフ・ゴーズ・オン」とか、またこれもバンドの演奏するリズムのためなのか7曲目の「ギミー・ア・ペニー」なんかもソウルっぽいですね。

 

こういったことは、ビッグ・ママがもともとピュア・ブルーズというというよりもリズム&ブルーズの歌手だったことにも起因するかもしれませんが、ぼくの聴くところそれ以上に時代が関係しているんじゃないかと思うんです。1966年でしょ、新興音楽ジャンルであるソウルが人気を獲得しつつありました。シカゴ・ブルーズ・シーンでも新世代はソウル寄りの音楽性を発揮しはじめていたころですからね。

 

とはいえ、このアルバムを聴いて、いちばん目立っているのはたとえばオーティス・スパンのピアノでしょうけどそれを聴くと、やはりまごうかたなき完璧なシカゴ・ブルーズに違いない、ビッグ・ママのヴォーカルもそれに接近しているなとは感じるんですけどね。それにくわえ、ジェイムズ・コットンのアンプリファイド・ハープが聴こえますから、もう文句なしのシカゴ・ムードです。

 

ビッグ・ママ・ソーントンは、戦後にシカゴ・ブルーズが確固たるスタイルを確立していくのとは関係なく歌い、人気となり、曲も有名になった歌手ですけど、このアルバム『ビッグ・ママ・ソーントン・ウィズ・ザ・マディ・ウォーターズ・ブルーズ・バンド』を聴けば、そんな歌手でも包摂してしまうほどの魔力を1960年代のシカゴ・ブルーズは持っていたんだなと納得します。

 

なおバンドのボス、マディ・ウォーターズもギターで参加とのクレジットはありますが、そんなには目立っていませんね。

 

(written 2019.11.14)

2019/11/30

このウェイン・ショーターとアート・ブレイキーは、ものすごくすごい!〜ジャズ・メッセンジャーズ『フリー・フォー・オール』

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https://open.spotify.com/album/1iYuqmkhvfNCTpo94ZjVuY?si=EYj3zT9EQtyWcZhhsJ439Q

 

これ、いったいどうしちゃったんだ?!アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズのアルバム『フリー・フォー・オール』(1964年録音65年発売)、ものすごいじゃないか!こんなジャズ・メッセンジャーズ、聴いたことないですよ。いままでずっと長年このアルバムのことを知らずに来て、ついこないだはじめて聴いたばかりなんですけど、これ、ジャズ・メッセンジャーズ最高傑作じゃないかなあ。いやあ、すごいすごい!!

 

アルバム『フリー・フォー・オール』では1曲目「フリー・フォー・オール」と3曲目「ザ・コア」がアホみたいに鬼すごいので、この二曲だけを聴いたので OK と思います。んでもっていちばんすごいのがウェイン・ショーターのテナー・サックス・ソロ。これ、いったいどうしちゃったんでしょう?まるでジョン・コルトレインそのものじゃないですか。1964年のトレインがジャズ・メッセンジャーズで吹いたらかくありきと思わせる壮絶さ。マジどうなってんのよ、このウェインは?

 

ウェインがあまりにすんごいもんで、引っ張られてかボスのアート・ブレイキーも鬼の形相で叩きまくっているじゃないですか。「フリー・フォー・オール」でも「ザ・コア」でも、これはもうブレイキーのドラミングじゃないです。1964年ならちょうどトニー・ウィリアムズがマイルズ ・デイヴィス・バンドでこんな演奏を展開していましたが、『フリー・フォー・オール』のブレイキーはトニーそっくりなパルス感覚の自在なドラミングを展開しているように聴こえます。

 

「フリー・フォー・オール」も「ザ・コア」もいちおう定常ビートがあるものの、ブレイキーのドラミングはそこにとどまることなく、絶え間なくオカズを入れ続け、というかはみ出すばかりで、もはや4/4拍子を(たとえばハイ・ハットやシンバルで)キープしようなんて気持ちはさらさらないみたいですよね。かなりフリーなドラミング・スタイルに近づいているといえるでしょう。

 

そのほかサイド・メンではフレディ・ハバードは当時の新世代ジャズ・トランペッターなのでこれくらい吹けても不思議じゃありませんが、守旧派トロンボーンニストのカーティス・フラーまでこんなに鋭角に尖ったソロを演奏できちゃうなんて、これが化学反応ってやつですかね。すべては曲を書き音楽監督をやってアホみたいにフリーキーに吹きまくるウェインと(「ザ・コア」はハバードの曲だけど)、それにインパイアされたボス、ブレイキーのぶっ飛んだドラミングのおかげです。

 

いやあ、それにしてもアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの『フリー・フォー・オール』、なんど聴いても1曲目と3曲目がすごい、すごすぎる!こんなのなかなか聴けませんよ〜。なかでも特にウェイン・ショーターがね、このひともっとこうクールなスタイルの持ち主とばかり思っていましたが、とんでもない、ここでは激アツも激アツ、フリーキー・トーン連発で、沸点200℃くらいで煮え立っています。いやいやあ、これはすごい。こんなの聴いたことありませんよ。ビックリ仰天です。

 

(written 2019.11.13)

2019/11/29

マイルズが休んで、新主流派ができあがる

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https://open.spotify.com/playlist/38b3oUWLMqcEaJ6puqlnhZ?si=k_RUVxcFQei0kMogV01Jjw

 

最近は新主流派と言わず、ポスト・バップって呼ぶんですかね、英語圏では。アメリカではむかしまた違った名称があった気がしますが、いまやもうすっかりポスト・バップの呼称で定着したような感のある(ぼく的には)新主流派ジャズ。今日のこの文章ではどうしましょうかね、やはり長年慣れ親しんだ新主流派という呼び名でいくことにしましょうか。ぼくのなかでは新主流派とポスト・バップは同じものです。

 

新主流派(ポスト・バップ)とは、(主に)1965年ごろから60年代後半にかけて、ブルー・ノート・レーベルを舞台に、ハード・バップから一歩進んだ新感覚の若手ジャズ・メンがどんどん録音した(フリー・スタイルではない)メインストリーム・ジャズのこと。一般にハービー・ハンコックやウェイン・ショーターやフレディ・ハバードやマッコイ・タイナーやといったひとたちに代表されるのではないでしょうか。

 

以前も一度チラッと触れたんですが、こういった新主流派ジャズが1960年代なかばに台頭した背景には、65/66年のマイルズ・デイヴィスの休養という事情があったのではないかというのがぼくの見方なんですね。前64年秋にウェイン・ショーターを迎えニュー・クインテットとなり、65年1月にひさびさの本格スタジオ作『E.S.P.』を録音したにもかかわらず、マイルズは股関節痛の悪化で手術などすることになり、同年いっぱいは入退院をくりかえし、年末までいっさいの活動を休止していました。翌66年もあまり活動せず。

 

マイルズのアルバム『E.S.P.』や次作1966年録音の『マイルズ・スマイルズ』を聴けば、いわゆる新主流派ジャズがそこにあるのは明白です。そもそも新主流派とはアイラ・ギトラーが『マイルズ・スマイルズ』に寄せて考案した名称(new mainstream)ですしね。マイルズ個人はビ・バップ時代から活躍しているジャズ・マンですが、その後の時代の変展にあわせてバンドでやる音楽も刷新してきました。

 

そして1963年にハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズという新しいリズム・セクションを雇ったのがさらなる新時代のはじまりでしたよね。63年当時はまだまだハード・バップの枠内にあったかもしれませんが、その後ウェイン・ショーターがくわわって『E.S.P.』を録音したころには、マイルズ・バンドも新感覚の新時代ジャズへと舵を切っていました。

 

そんなスタジオ最新作も完成し、さあこれから!といった1965年冒頭、いきなりボスが休養することとなり、復帰のメドも立たないといった状態におかれてしまいましたので、サイド・メン四人はかなり困ったはずです。なにより四人ともまだ若く、創造意欲にあふれた清新な秀才でしたから、相当な欲求不満がたまったのではないでしょうか。

 

そんな欲求不満を解消する場となったのが、ブルー・ノート・レーベルだったんです。ウェイン、ハービー、ロン、トニーの四人に録音の機会をどんどん与え、むろんマイルズ・バンドのメンバーとしてコロンビアと契約していましたから四人がそっくりそのまま揃って使われることはなかったんですけど、別な(若手新感覚の)ジャズ・マンを混ぜ、フロントにはまた違ったホーン奏者を立てて、それでアルバムをどんどん制作したのが、いわゆる新主流派ジャズというものの実態です。ボスのマイルズが休んでいるあいだにですね。

 

ですから新主流派(ポスト・バップ)とはなにか?という問いに対する端的な答えは、マイルズ・バンドのサイド・メンが、それぞれ別な若手ジャズ・メンと組んで、ブルー・ノート・レーベルを舞台に、1965〜68年ごろに展開した、新感覚ジャズのことだ、ということになるんですね。むろん、ハード・バップとの明確な線引きなどはむずかしいことなんですけど。

 

そんなわけなので、ブルー・ノートにたくさんある新主流派ジャズのアルバムは、例外なくどれも『E.S.P.』〜『ネフェルティティ』までのマイルズ・ミュージックを敷衍したような内容になっているでしょう。本来であればマイルズが自身のバンドで1965年来どんどん展開すべきものでした。ところが健康状態の悪化で本格復帰までの約二年間活動できなかったがために、ボスの意を汲んだかのようにサイド・メンが(ブルー・ノートで)展開したというわけなんですね。

 

マイルズ・ミュージックのその後の新展開と軌を一にするように、新主流派も短命に終わりました。1968年ごろからマイルズは電気楽器を積極的にとりいれ、ロックやファンク・ミュージックなどからも貪欲に吸収して、ニュー・ミュージックの創造に意欲的になりましたよね。その結果が『キリマンジャロの娘』『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』のトリロジーですけど、ちょうどそのころ新主流派の火もついえました。

 

新主流派ジャズをブルー・ノートで展開していた(マイルズ・バンド所属であろうとなかろうと)若手ジャズ・メンも、あたかもマイルズ・ミュージックの変化にあわせたかのように、1960年代末からジャズ以外の他ジャンルの音楽との融合・横断を試みるようになり、そのまま1970年代があんな時代となったわけですね。

 

今日は新主流派ジャズへのジョン・コルトレイン・ミュージックからの流れをしゃべる余裕がなくなってしまいました。また機会をあらためます。

 

(written 2019.11.9)

2019/11/28

わさみんと歌の距離感

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2019年11月21日に代々木上原のけやきホール(古賀政男音楽博物館)で開催された「ザ・令和ライブ」。わさみんこと岩佐美咲も出演するので出かけてきたんですけど、司会の湯浅明さんがわさみんのときにちょっとおもしろいことをおっしゃっていました。「津軽海峡・冬景色」を歌い終えてのトークの際、わさみんは歌の世界に入り込んで歌うのではなく、歌の世界を「風景画」として眺めるようにして歌っていますね、と湯浅さんは指摘なさったのです。

 

そのときは湯浅さんが「岩佐さんのなかでこの曲では世界に雪が積もっていますか、それともハラハラと舞い落ちている感じですか?」とお聞きになって、するとわさみんはかなりドギマギした感じになって、え〜っとえ〜っと…と言いながら前傾姿勢になってなにも答えられず、思わず客席から助け舟が出ましたから、あのとき、わさみんは要するになにも意識せず本能的に歌っているだけだとバレちゃいましたよね。

 

それはいいんですけど、そんな本能的歌唱法でやっているわさみんのばあい、湯浅さんのご指摘による、まるで風景画を眺めているように歌の世界をとらえて、それで歌っているのだというのは、わさみんと歌の世界の距離感を的確に表現したものだと思うんですね。歌の世界の中にすっぽりと没入せず、まるで外から眺めているような、そんな歌いかたをたしかにわさみんはしていますよね。

 

歌の世界に没入しないというのは、一見、よくないことのように思われるかもしれません。集中していないというか入り込んでいないのではないか、と考えられてしまうかもしれないですよね。でも、ぼくの考えでは逆なんです。歌の世界と一定の距離感、ちょうどいい適度な合間を取ってあったほうが歌の世界を聴き手にうまく伝達できると思うんです。

 

ずいぶん前にテレビ番組で知った八代亜紀さんのことばに「歌手は歌に感情を込めないほうがいい」というのがありまして、八代さんのご体験によれば若いころのキャバレー歌手時代に、歌に感情を込めずに歌ってみたらホステスさんたちがわんわん泣き出したということがあったそうです。それ以来八代さんは、歌の世界に入り込みすぎずスッとストレート&ナチュラルに歌うように心がけていらっしゃるんだそうですよ。

 

ぼくの言いたいことは、この八代亜紀さんのことばですべて表現されています。歌の世界に入り込み感情を強く込めて歌うと、たしかに歌はその歌手のものになります。しかしそのばあい表出されるのは歌の世界ではなくその歌手の世界じゃないかと思うんですね。その歌手のファンのみなさんにはそれでいいでしょうけど、ひろくみんなに訴えかけるという部分からはやや遠ざかってしまうかも。

 

前からくりかえしているように、わさみんの歌唱法はそういったやりかたとは逆ですよね。自覚的にしっかり熟慮の上練習を重ねて、選んで学びとったものというより(もちろんそれもあるんですよ、程度の問題です)、なにも考えず本能的にやっているだけかもしれないですけど、わさみんは歌手としての自分の色をなるべく消しています。強く個性的なところがないですよね(いい意味で)。

 

個性を強く打ち出すと、歌はその歌手のものになって、みんなのものにはならないんじゃないでしょうか。逆にまるで無色透明容器のようなものになって歌えば、楽曲の魅力をいっそうよりよく聴き手に伝えることができますよね。無色透明なら中身がよく見えますから。生得的、本能的であったとしても、わさみんはそういった方法を選んで実践しているんですよね。

 

ザ・令和ライブでの司会の湯浅さんがご指摘なさった「岩佐さんはまるで歌の世界を(他人事のように)絵を眺めながら歌っていますよね」というのは、まさに的を射ていらっしゃったと感心しちゃったというわけです。そう、わさみんのナチュラルでナイーヴで素直な発声と歌唱法はそういうことなんです。歌の世界に入り込まず、適切なちょうどいい距離感を保ちつつ、冷静にそれを歌って表現することができている、だからこそ聴き手には歌の世界がよりよく伝わって大きな感動につながっていく 〜 これがわさみんのやりかたなんですよね。

 

しかしそれを一貫して実践できるというのもまた得がたい個性なんじゃないかと思います。

 

(written 2019.11.27)

2019/11/27

岩佐美咲、秋LOVEライブ 2019.11.23 私感

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(写真は岩佐美咲オフィシャルブログより)

 

2019年11月23日、浜松町の文化放送メディアプラスホールで開催された、わさみんこと岩佐美咲のコンサート「秋LOVEライブ」に行ってきましたので、簡単に私的な感想を書いておくことにします。毎年わさみんの誕生日近辺に開催されることの多いソロ・コンサートが演歌中心なのに対し、○LOVEライブのシリーズは歌謡曲やポップスだけで構成されています。ぼくは今年が初体験でした。12曲+アンコール1曲をやるというのが通例のようで、今年もそうでした。

 

1 風立ちぬ
2 楓(弾き語り)
3 君はロックを聴かない(弾き語り)
4 水の星へ愛をこめて
5 愛にできることはまだあるかい
6 20歳のめぐり逢い
7 色づく街
8 M
9 茜色の約束(弾き語り)
10 秋桜(弾き語り)
11 夜空ノムコウ(弾き語り)
12 変わらないもの
EN1 恋の終わり三軒茶屋

 

上記のうち弾き語りと書いてあるものはわさみんがアクースティック・ギターを弾きながら歌ったものですが、ほかにせんべいさんのアクースティック・ピアノ(の音色を出すデジタル・ピアノでした)伴奏もついています。弾き語りと書いていないものはピアノ一台の伴奏だけで歌われたものです。わさみんのギター演奏技術は、2018年2月に恵比寿で観聴きしたときよりも格段に上達していました。

 

指のつりそうな難度の高いコード・フォームの押弦やコード間の移動も目視なくきわめてスムースで(プロ・ギターリストだったならあたりまえですが)、それだけでなく右手のピッキングもはるかに上手くなっています。ピックを使ってのピッキング・アタックのニュアンス変化のつけかた、フィンガー・ピッキングでのアルペジオ弾きのうまさなど、目立ちました。とにかくギター・プレイ技術が向上しているなというのがこの日のとても大きな印象です。

 

松田聖子の「風立ちぬ」で幕が開いたときは、今日は100%の本調子じゃないかもと感じたんですが、それはオープニング特有の緊張感からまだすこしかたくなっていただけだと次第に気づきました。熱を帯びてきたのは、ぼくの記憶では3曲目の「君はロックを聴かない」(あいみょん)からです。この曲では歌に力がこもり、温度が上がって声に張りや伸びがグンと増しました。これ以降はラストまでずっと好調を維持できたと思います。

 

4、5曲目のアニメ・ソング・パートを経て、6曲目の「20歳のめぐり逢い」(シグナル)でぼくは感極まってしまいましたね。これは初披露の曲ではなく、ずっと前にシングル CD に収録していますし、ソロ・コンサートでも歌った年がありました。わさみんの歌う「20歳のめぐり逢い」は、本当に切なくて哀しくて最高なんですけど、この日のアクースティック・ヴァージョンはいっそうそれがきわまっていましたよね。

 

もちろん CD 収録などされている「20歳のめぐり逢い」とは伴奏がまったく異なっています。この日はピアノ伴奏だけで歌ったわけですから、もちろんなんどもリハーサルをくりかえしたでしょうけど、それでもこんな出来具合まで持ってきたのには称賛のことばしか浮かんできませんね。CD などヴァージョンに比しややテンポを落とし、落ち着いた暗めの陰な情緒をうまく表現することに成功していたと思います。いやあ、マジすばらしかった。

 

コンサート全体の個人的クライマックスは、ピアノ伴奏といっしょにわさみんがギターを弾きながら歌った10「秋桜」(山口百恵)、11「夜空ノムコウ」(SMAP)でしたね。こういった曲はギター&ピアノだけっていうミニマル編成でのアクースティック伴奏でやるとグンと魅力を増すものだと思うんですね。わさみんのギターもアルペジオでしっとりした雰囲気だったし、ヴォーカルのほうも安定していました。

 

これらはなんたって曲そのものがいいし、ふたりだけのアクースティック伴奏も似合っているし、かつわさみんのナチュラルな歌唱法は円熟味を増し、デビュー期のようなアイドルっぽい高音のキンキンさは影を潜め、しかし本来持っているキュートさはそのまま維持しつつ、スムースに発声し声に色艶を出すっていう、そんな歌手としての成熟を聴かせてくれました。

 

この日のわさみん歌唱、最大の着目点は、ふだんの演歌(系のもの)を歌うときとで歌いかたを変えてきていたというところでしょうね。コンサートや歌唱イベントなど演歌などを歌うときはわさみんも強く声を張りグググ〜ッと伸ばしたりしているんですが、この日はそれを抑えて、よりいっそう曲そのものに寄りそうようにナチュラルかつナイーヴな発声を意識してしているのが聴きとれました。レパートリーの違いで歌唱法を変化させられるんですね。

 

またピアノ担当のせんべいさんとの息もピッタリ。せんべいさんはどの曲でだったか忘れましたがエレクトリック・ピアノの音色にチェンジして弾いた曲もありましたね。コンサート全編を通じ、わさみんとふたりでかなりリハーサルしたんだなとうかがえる、阿吽の呼吸で合わせていました。阿吽の呼吸というか練習のたまものですけれど、わさみんのギター演奏技術が上がっているおかげで合わせやすくなっていたと思います。

 

アンコールで歌った最新シングル曲「恋の終わり三軒茶屋」だってもちろんアクースティック・ヴァージョンに生まれ変わっていましたし、それもおもしろかったです。もともとこの曲は歌謡曲・ポップスに近い雰囲気を持っているということで、アクースティック・アレンジでやってピッタリ似合っていましたよね。ワイン・レッドのドレスであの振り付けをそのままやるのも一興でした。

 

演歌なのか、歌謡曲か、はたまた J-POP なのか、わさみん本来の資質や願望がどこらへんにあるのか、どういうものを歌うと実力をフル発揮できるのか、そういったことは軽々には言えませんが、ふだん着物姿で演歌やそれに近い古い歌謡曲を歌っていることが多いだけに、ぼくにはかなり新鮮な驚きで、しかも岩佐美咲の真の実力の一端を垣間見たような気がした一時間半でした。

 

(written 2019.11.26)

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