2021/03/02

ヴァイブの音色を浴びる快感 〜 ジョエル・ロスの二作目

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Joel Ross / Who Are You?

https://open.spotify.com/album/4xq8VBZYwExP31yuSidyZg?si=h_Nw9iJtR4ymo9uzy1B7ig

 

2019年のファーストに続き2020年も出ました、ジャズ・ヴァイブラフォンの若手最高峰ジョエル・ロスの新作アルバム『フー・アー・ユー?』(2020)。デビューして二年続けてここまで充実した作品を立て続けにリリースするとは、ジョエルはいま勢いに乗っているんでしょうね。

 

メンバーはベーシストを除き一作目と同じ。くわえて曲によってはハーピストが参加しています(ほとんど目立たないけど)。ってことで、2020年12月来ぼくも夢中のアルト・サックス奏者、イマニュエル・ウィルキンスもいますよねえ。でも正直いうと、ジョエルの作品で聴けるイマニュエルはややおとなしいなぁと思わないでもなく。

 

それはやはりジョエルがアンサンブル志向、コンポジション志向だからですね。自身やメンバーのソロにおけるパッショネイトで偶発的なインプロ展開よりも、音楽全体のスムースさ、なめらかで美しい流れを重視して完成度を上げていくというのがジョエルの姿勢ですよね。

 

『フー・アー・ユー?』ではそれでもインプロ・ソロでオォッ!と思わせる瞬間も時折あります。アルバムでいちばんのクライマックスだと思う5曲目「アフター・ザ・レイン」(ジョン・コルトレイン)、6「ヴァーサ」(アンブローズ・アキンムシーレ)、7「マーシュランド」がそうです。この三曲はメドレーになっていて、切れ目なく流れてきますが、編集ではなく演奏時からそうだったかも。

 

特に注目すべきは6「ヴァーサ」です。アルト・サックスのイマニュエルもヴァイブのジョエルも、まるでなにかに取り憑かれたかのように情熱的で激しいソロを展開。なにかの壁をぶち破らんとするかのような、そんなパッション、高い熱量を感じますね。コンポジションの枠から二名ともフリーキーに飛び出していて、かなり聴きごたえのあるソロになっています。

 

7曲目でも、6曲目同様ドラムスのジェレミー・ダットンの猛プッシュに乗って、ジョエルとイマニュエルがソロを交換しながら熱いインプロ応酬を展開していて、かなりなものです。っていうか、こういったハミ出た熱いソロ・インプロの展開も、そもそものコンポジション段階から織り込み済みのものだったかもしれませんが。

 

いずれにしてもヴァイブラフォンは音色に最大の特徴がある楽器。その美しいサウンドをこれでもかと途切れなく怒涛のシャワーのように浴びることのできるジョエルの音楽は、それだけでも聴いていて心地よく、音楽の快感、聴くよろこびをもたらしてくれるものです。全体的にはあくまでなめらかでスムースで美しく、たまにフリーク・アウトしてソロでスリリングな展開をみせるというこのカルテットは、まさしく現代NYジャズの最も充実した側面を代表しているでしょう。

 

(written 2020.12.24)

2021/03/01

ロー・ファイでチルしよう 〜 ブルーワークス Vol.1

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Bluewerks Vol.1: Up Down Left Right

https://open.spotify.com/album/3rF38iEMLEfEGQcS1Bb2Y5?si=A_mNpmh7QxWlrCCHU1Nduw

 

ロー・ファイ(Lo-Fi)という音楽があります。いままでに二回、このブログでもとりあげてきましたけど、そこではロー・ファイ・ヒップ・ホップという呼びかたをしていました。この名称が短縮されて、いまやロー・ファイと言うばあいも増えているようですね。流行しはじめてまだ三、四年の新潮流です。

 

ロー・ファイは、(ヒップ・ホップ系の)ダウンテンポなエレクトロニック・ビートとアンビエントふうのジャジーなサウンドを合体させた音楽。音質をやや粗めのロー・ファイな感じに処理していることとあわせ、チルな(リラックスできる、くつろげる、の意)フィーリングを出しているものです。

 

ロー・ファイはYouTubeやSpotifyなど配信サービスでもっぱら流通しているものなんで、いまだフィジカル商品にこだわる向きには永遠に届かない音楽。いろんなビートメイカーやサービスがロー・ファイ・ミュージックをつくって流していますよね。

 

そんななか、昨日2/27に公開されたばかりの『ブルーワークス Vol.1:アップ・ダウン・レフト・ライト』(2021)はちょっと画期的で、いまだ一般的な知名度は低いロー・ファイ・シーンの起爆剤となりうるかもしれません。なぜならこれはジャズ名門レーベルのブルー・ノートがリリースしたものだからです。

 

正確にはブルー・ノートと、エレクトロニクス・ミュージックのアストラルワークス(Astralwerks)とのコラボEPで、両者のSNSで2月26日に同時に、明日リリースするぞと告知されていました。ぼくはブルー・ノートの公式InstagramとTwitterを欠かさずフォローしているんで、知ったわけです。

 

『ブルーワークス Vol.1』、音楽的にはいままでにいくつもあるロー・ファイとそう変わるところはなく、カフェで、自室で、のんびりくつろぎながら、あるいは勉強とかしながらのBGMとして、ちょうどいい感じのチルな雰囲気をつくってくれるものです。音量はやや控えめに。正対してじっくり聴き込むようなものじゃなく、あくまで背景におくものです。

 

と言いましても今回のこのEPはたったの8トラック、17分しかないんで、ゆったり気分をリラックスさせるための時間としては短すぎるんですけど、あくまでこれはとっかかりの入り口、試験薬でしょう。シリーズものになるとのことなので、Vol.1をまずリリースして、その評判をみて今後の展開を決めるということじゃないでしょうか。

 

いずれにせよ、ジャズ関連では知らぬ者のない名門ブルー・ノートが、ロー・ファイのコンピレイションをリリースした、この新領域に踏み込んだという意義はたいへんに大きくて、今後の『ブルーワークス』続編におおいに期待したいところです。

 

(written 2021.2.28)

2021/02/28

21世紀的日本民謡はこっちだ 〜 坂田明

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坂田明 / Fisherman’s.com

https://open.spotify.com/album/54xWKhuZjQdqGf3N2Awmik?si=Je5HZFtqSOOJTGggWUfWBw

 

1「貝殻節」https://www.youtube.com/watch?v=SoG9dAmn84U
2「音戸の舟唄」https://www.youtube.com/watch?v=p0qQr4dYqCM
3「斉太郎節」https://www.youtube.com/watch?v=naqrHFcov4k
4「別れの一本杉」https://www.youtube.com/watch?v=Atg9ha_chFI

 

ジャズ・サックス奏者、坂田明のアルバム『Fisherman’s.com』(2001)についても、以前一度記事にしたことがあります。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-efcc.html

 

この文章、いまでもそれなりにアクセスがあるんですが、というのは日本民謡は近年ちょっとふたたび話題でしょう、たぶん民謡クルセイダーズのおかげで。ぼくの上掲記事へのアクセスがそれと関係あるのかはわからないですけど、坂田明のことをまたもう一回書いてみようと思うにいたりました。

 

音楽的なことは上でリンクを貼った過去記事をお読みいただければすべて書いてあります。きょうあらためて言いたいことは、この坂田明の『Fisherman’s.com』こそ、21世紀的なアップデートされた日本民謡の解釈としてスーパーだということです。これが2001年リリースの作品だったなんて、ちょっと信じられないですよねえ。

 

日本民謡をラテンに解釈した民謡クルセイダーズはもちろん楽しいんですが、その20年近くも前に、こんなヒップ・ホップ以後的なビート感で表現された日本民謡再解釈があったわけなんです。ぼく以外だれひとりとしてこのアルバムを話題にしていませんけどね。

 

坂田明、ピート・コージー、ビル・ラズウェル、ハミッド・ドレイクの組み合わせで、三曲の日本民謡(いずれも海や漁業を題材にしたもの)と一曲の演歌をとりあげて、ヒップ・ホップ以後的な新世代ジャズ・ビートな解釈をほどこして、ここにまったく新たな21世紀的日本民謡の姿が現出しているわけでありますね。

 

ぼくの知っている範囲では、ここまでコンテンポラリーで(2020年代的意味でも)、斬新でカッコイイ日本民謡というのは、この坂田明の『Fisherman’s.com』の前にも後にも出たことがありません。唯一無二の奇跡、異形のようなアルバムなんですよね。

 

ヒップ・ホップな細分化されたビート感を持ちつつ、全体としてはヘヴィなダーク・ファンクのようでもあり、ダウナーでブルーな色彩感は、まさにいまの時代のサウンドでもありますよね。音楽全体の方向性を決めたのはおそらくビル・ラズウェルじゃないかと思いますが、トラディショナルな日本民謡をとりあげて、ここまでコンテンポラリーな音楽に仕立て上げ世に問うた坂田明のチャレンジ精神には降参です。

 

ホント、ちょっと聴いてみてほしい、こんなにもカッコイイ日本民謡はほかにはまったく存在しないですって。特に民謡クルセイダーズがカッコいいと思っているファンのみなさんにはぜひ届いてほしいなと思っています。日本民謡の現代的再解釈というなら、だれも追いつけない世界がここにはあります。

 

(written 2020.12.23)

2021/02/27

Spotifyで生田恵子を聴こう

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生田恵子 / 東京バイヨン娘

https://open.spotify.com/album/0rO6V19kHI5arQKubcPjsC?si=YMwPnf4xRQmF67hFSXVSxA

 

生田恵子についてはずっと前一度記事にしたことがありました。1950年代に活躍した日本の歌手です。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-41a8.html

 

きょう話題にするのも同じアルバム『東京バイヨン娘』(1999)ですが、今回どうしてまたもう一回書こうと思ったかというと、生田のこのアルバム、なんとそのままそっくりSpotifyにあるのを発見したからなんですね。すばらしい!いつ入ったんだろう?

 

音楽的なことは上でリンクを貼った2016年の文章につけくわえることなどないので、ぜひご参照いただきたいと思います。1950年代初頭の日本で、これだけリズミカルに歯切れよくブラジル/ラテン調を歌いこなせた歌手はほぼいなかったのではないでしょうか。

 

東京バイヨン娘というくらいで、バイヨン(ブラジル音楽)をとりいれた歌謡曲をやったのが生田ですが、このアルバムでは、なかでもすばらしいのが冒頭三曲。1951年のブラジル録音で、現地ブラジルのバンドを起用して、バイヨンの第一人者ルイス・ゴンザーガ監修のもと、ゴンザーガの曲も歌い、実にみごとな成果をあげておりますね。

 

なお、Spotifyアプリでは冒頭三曲の伴奏者名を「リオ・デ・ジャネイロ・ビクター管弦楽団」と記していますが、これはちょっとどうでしょう?CD付属の解説文によれば、これら三曲の伴奏はレジオナール・ド・カニョートというショーロ・バンドで、聴いた感じでも少人数編成のコンボに間違いありませんよね。

 

ともあれ、1曲目「バイヨン踊り」の猛烈なグルーヴ感なんか、いくらブラジル現地での録音とはいえ、1951年にここまで歌いこなせた生田の驚異的なリズム感のよさには驚愕のひとことです。バンドの演奏もみごととしかいいようがありません。セッションが終わってルイス・ゴンザーガが生田のことを誉めたというのも納得ですよねえ。ほんとうに唖然とするしかないグルーヴィな演奏とヴォーカルです。

 

ちょっと興味深いのはこの曲「バイヨン踊り」は、4曲目にも同じものが収録されていること。これは日本に帰国して1952年に日本のバンド(ビクターの専属オーケストラ)を起用しての再演。1曲目のブラジル録音との大きな差は隠すまでもないでしょう。ノリのシャープさがまったく違います。歌詞も大きく書き換えていますよね。

 

この後ずっと日本で録音した生田は、アルバム『東京バイヨン娘』を聴きすすんでもおわかりのように、ブラジル/ラテンっぽい感じの歌謡曲をどんどん歌いました。それで、2020年になってぼくがハタと気づいたのは、以前書いた民謡クルセイダーズ、日本民謡をラテンに解釈して演奏している21世紀の日本のバンドですが、1950年代の生田の歌の数々は、もうすでに民謡クルセイダーズの世界を先取りしているじゃないかということです。

 

『東京バイヨン娘』のなかには日本民謡を題材にしたものも数曲あって、そうじゃない歌謡曲もふくめ、どれもこれも完璧なるラテン調。バイヨンでデビューした生田ですが、その後はアフロ・キューバンな路線のほうが多かったでしょうね。アフロ・キューバンはタンゴとならび日本で最も古くから親しまれているおなじみのラテン音楽ですからね。

 

たとえば、6曲目「リオから来た女」、15「ちゃっきりマンボ」、16「東京八木節マンボ」、20「会津磐梯サンバ」などなど、2010年代後半以後の民謡クルセイダーズの世界がほぼ完璧にできあがっているじゃないですか。しかも生田のそれらは1950年代の録音だったんですからねえ。民謡クルセイダーズの世界が新しくもなんともないっていうひとつのレッキとした証拠です。

 

べつに民謡クルセイダーズを評価しないとか言いたいわけじゃなく、むしろ逆です。ぼくは民謡クルセイダーズのことが大好きで、楽しくてよく聴きます。でも彼らの音楽が斬新だとか、いままでにない試みだとか、そんなふうに受け止める必要はないんじゃないかと思うんですね。むしろ民謡クルセイダーズの楽しさは、古くからラテン・ミュージックと合体してきた日本歌謡の世界のその伝統に則っているからこそなんじゃないかと、こう考える次第でありますよ。

 

そんなことを、つい最近Spotifyにあることを発見しうれしくなって聴きなおした生田恵子『東京バイヨン娘』でも再確認しました。

 

(written 2020.12.19)

2021/02/26

コテコテなジミー・フォレストもちょっと 〜『アウト・オヴ・ザ・フォレスト』

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Jimmy Forrest / Out of the Forrest

https://open.spotify.com/album/21UGs6y4l7ybBQfOGDNdqJ?si=l8lYs4oYSsCXaekUOowNbw

 

きのう書いたジミー・フォレストの、ステレオタイプにぐいぐい迫るコテコテ系ブロウ・テナーも聴いておきたいぞと思い、もう一作、Spotifyで検索し『アウト・オヴ・ザ・フォレスト』(1961)を聴きました。ピアノ・トリオをしたがえてやっているワン・ホーン・カルテットもの。

 

リズム&ブルーズ寄りの音楽なんですが、これはプレスティジ・レーベルからの発売で、そう、プレスティジはジャズばかりじゃなくけっこうリズム&ブルーズ(寄りのジャズ)もリリースしましたよね。きのう書いた『ブラック・フォレスト』がブルーズ・レーベル、デルマークからの発売でしたし、このへんはなかなか興味深いところです。

 

『アウト・オヴ・ザ・フォレスト』のリズム・セクションには、ピアノでジョー・ザヴィヌルが参加しているという点も目をひきます。1961年ですから、もっとのちのキャノンボール・アダリー・コンボ時代のあのファンキーなスタイルにはなっていないんですが、それでもぼくは大のザヴィヌル・ファンですからね、参加しているというだけでこのアルバムを聴いてみたいと思うほど。

 

1曲目「ボロ・ブルーズ」からして、もうあれです、かの「ナイト・トレイン」路線そのままの、こってりブロウ。ブルージーでファンキーで、もうたまりません。これは完璧に1940年代のジャンプ系ホンク・テナーですね。あれこれ考えず、とにかくちょっと聴いてみて!クサくてとてもたえられないと感じる向きもおありじゃないかと思うほどですよね。

 

2曲目以後もアルバム・ラストまで同様の路線が続くんですが、楽しいのはスタンダード・ナンバーをやってもこのアルバムでのジミー・フォレストはコテコテ系に料理しつくしてしまっていること。たとえば2「アイ・クライド・フォー・ユー」はビリー・ホリデイも歌ったかわいらしいポップ・チューンだったのに、なんですかこの吹きっぷりは。ホンキーにやりまくるブルージーさがたまりません。演奏後半ではイリノイ・ジャケーばりに同一フレーズをなんども反復してぐわぐわっともりあげる下世話さ。

 

スタンダードといえば6曲目「イエスタデイズ」(これもビリーが歌ったなあ)もひどいですよ。朗々と吹き上げるジミー・フォレストのホンク・テナーで、曲そのものがまるで別のものに変貌しちゃっています。音色もジャンプ系テナーのあの硬く丸いもので、ラヴ・バラードっていうよりストリップ・ショーのBGMみたい。うなりをあげながらグォグォと攻めるあたりのテナーの迫力にけおされそうです。

 

小唄ものですらこんな調子なんですから、ブルーズ・ナンバーなんかもうエンジン全開でこれでもかとノリノリ下世話に攻めまくるジミー・フォレスト。こういったダーティなブロウ・テナーがもとから本領のひとではありますが、それにしてもこのプレスティジ録音ではいったいどうしちゃったんでしょうかねえ。会社側の制作意図というか企画で、こういう路線でやってくれという指示が出ていたのかもと感じますよね。

 

曲単位というんじゃなくアルバム一作まるごとぜんぶホンク・テナーでコテコテに塗りつぶしているという意味では、ブラック・ミュージックっていうか、ジャンプ・ブルーズ、リズム&ブルーズなどのファンには大歓迎されそうなアルバムなのでした。もちろんぼくは大好き。

 

(written 2020.12.18)

2021/02/25

ジミー・フォレストの「ジーズ・フーリッシュ・シングズ」が美しすぎる 〜『ブラック・フォレスト』

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Jimmy Forrest / Black Forrest

https://open.spotify.com/album/3rMXxJjACerVQmrNNBB4jN?si=uoDh6fP1TdWsRW3G0n1HXg

 

テナー・サックス奏者ジミー・フォレストは、いわゆるタフ・テナーっていうかジャズとリズム&ブルーズの両方に足を入れているハード・ブロワーの系列に入るひとりでしょうね。こないだなぜだか思い出して、聴きなおしたいと思いSpotifyで検索して出てきた『ブラック・フォレスト』の話をちょこっとしておきます。ジミーはマイルズ・デイヴィスとの共演だって録音が残っていてCDでもサブスクでも聴けるんですよ。

 

さて、アルバム『ブラック・フォレスト』は1959年の録音であるにもかかわらず、デルマーク・レーベルからリリースされたのは72年になってから。中身は充実しているので、これはちょっと意外なことですよねえ。どうして当時発売しなかったのでしょうか。

 

1952年には「ナイト・トレイン」でR&Bチャートの一位を獲得しているくらいのジミー・フォレストで、だからコテコテ系のイメージがありますし、デルマークもシカゴ・ブルーズの名門レーベルでありますが、『ブラック・フォレスト』はストレートで穏当なジャズ作品で、みんなにとって聴きやすいでしょう。

 

サックス+ギター+ピアノ・トリオというバンド編成でやっているわけですが、そのうちギターのグラント・グリーンにとってはこの『ブラック・フォレスト』になった1959年12月録音が初レコーディングでした。ほかの三人だってまだ若手と言えた時期です。

 

ジミー・フォレスト自作のスウィンギーなブロウ系ジャンプ・ナンバー(ぜんぶ定型ブルーズ)とスタンダード・バラードとの二種類で構成されているアルバムですが、個人的にはプリティなバラードのほうが印象に残ります。三曲、「ジーズ・フーリッシュ・シングズ」「ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド」「ワッツ・ニュー」。もう一曲、「バット・ビューティフル」がありますがこれはグラント・グリーンをフィーチャーしたギター・ショウケースで、ジミーはおやすみ。

 

ジミー・フォレストがきれいにきれいに吹く三曲のスタンダード・バラードはいずれもすばらしいですが、特にグッとくるのは「ジーズ・フーリッシュ・シングズ」(マスター・テイクのほう)です。ここでのジミーのこのテナーのサウンド、音色、フレイジングなどなど、どこをとっても文句のつけられない美しさで、まさしく絶品のひとこと。同じ楽器ならベン・ウェブスターをも超えるかと思うほどですが、音色のシャープな硬質さからいえばコールマン・ホーキンスを思わせるものがありますね。

 

硬くて太くて丸いテナー・サウンドで朗々とフレーズを重ねていくさまはほんとうに感動的で、「ジーズ・フーリッシュ・シングズ」という曲はこのジミー・フォレストの演奏が最高のヴァージョンになったのでは?と思わせるほどのできばえです。歌詞の意味をかみしめながら吹いているような、そう、インストルメンタル演奏だけど<歌>が聴こえてくる、しんみりした気持ちになれる演奏です。なにより美しい。

 

「ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド」「ワッツ・ニュー」もみごとですが、「ジーズ・フーリッシュ・シングズ」があまりにもすばらしすぎるためかすんでしまっているほどですね。会社側としてもたぶん同様の見解なんでしょう、CDリイシューの際に別テイクを付加したわけですからね。テナーのサウンドそのものに説得力がありますし、ジミー・フォレストによる畢竟のバラード名演と言えましょう。

 

(written 2020.12.17)

2021/02/24

最近アルバムが短くなった 〜 ストリーミング時代の変化

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いつごろからだったかぼくも気がついています、最近、音楽新作アルバムの時間尺が短くなってきていることに。いちばん最初にこのことを文章にしたのは、2019年1月8日付のイマルハンにかんする記事。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/01/post-33b2.html

 

このなかで、2018年暮れのマライア・キャリーの最新作あたりから「新作が短くなった」という感想を持つようになったと書いてありますね。そのマライアの『コーション』は約38分間でした。そのほか近年は多くが似たり寄ったりで、30分台という長さのアルバムもかなり増えてきていますよね。

 

オリジナル新作では、っていうことであって、コンピレイションなどはこのかぎりじゃないんですけど、ここ数年で音楽新作アルバムがすっかり短くなった、もちろん長いものだってあるけれど、多くが30〜45分程度になった、というのは間違いないことじゃないかと思います。

 

この事実は、ちょっと前までCDメディアにどっぷりつかって音楽ライフを何十年間も送ってきたぼくのような世代にとっては、最初ちょっとエッ?!と驚くようなことでした。だってCD全盛期は70分越えもあたりまえでしたもん。オリジナル新作でも、ですよ。音楽家の多くがそんな長尺の新作をリリースしていたでしょう。

 

短くなった、30〜40分台が多くなった原因は、間違いなくストリーミング聴きが主流になったからであって、アナログ・リリースを前提として、ということじゃないようにぼくには思えます。たしかにアナログ復権といいますか、音楽フィジカル 商品はCDだけじゃなくてレコードも、ばあいによってはレコードしかリリースしないという現状になってきてはいますが、そのことは近年のアルバムの短尺化とかならずしも関係ないような。

 

やっぱりサブスクが主流になったので、それでサイズが短くなったということだろうと思うんですね。ひとつにはネットで流すだけなので、フィジカル・メディアにある物理的容量の制約がなくなったということがあると思います。アナログだと片面約20分前後、CDだと一枚最大で79分程度という、そういった枠、考えかたがストリーミングにはないわけです。

 

だからいくらでも長くできるというのもある面での真実で、実際プレイリストなんかは7時間とか12時間とか、そういったものも頻繁に目にしますよね。いっぽうでオリジナル新作だと、尺にこだわる必要がなくなったことでかえって、音楽家や制作サイドが言いたいことを言い切ったら余計なものは付属させなくていい、短くてOKと、そう考えるようになったかもしれません。

 

レコードやCDといった物理メディアには物体じたいに絶対価格があるし、CD新作をたとえば25分とかで終わらせるというのは、余った時間がちょっともったいない、それを2000円なりで売るのはちょっとどうか?みたいな発想があったんじゃないでしょうか。レコードだってたとえば片面10分では商売にならないでしょう、最低でも15分くらいは収録しないと。

 

そんなことで、物理メディア時代には、間に合わせというか埋め合わせの、すなわち時間調節のための(本来だったら入れなくてもいいような)トラックが収録されていたように思います。世間でいう捨て曲、捨てトラックみたいなことがですね、ありました。その意味でも寸分も隙のないアルバムが絶賛されたりもしたわけです。

 

ネットで流すサブスクのストリーミング・サービスでは、もはやそんな物理的な考えをしなくてよくなりました。入れ物がなくなったわけですからね、もうこれで充分と音楽家が考えれば短尺でも一個の新作としてそのままリリースしていいわけです。19分でも24分でも「物語」があってしっかりしたトータル・アルバムというものが出てくるようになりましたよね。

 

このことは、人間の集中力が持続する限界時間とも連動しています。若くて元気なかたでも(CDサイズの)70分越えとかをずっと真剣に対峙するように集中してひとつづきで聴き込むというのはなかなかむずかしいんじゃないでしょうか。CDは、たとえば古いSP盤時代の一曲三分とかのものを寄せ集めてたくさん詰め込むには向いているんですけど、79分はポピュラー音楽新作には大きすぎる容器なんですよね。

 

また、物理メディアをとっかえるのは面倒だけど、ストリーミングだと、ちょっと聴いたらパッと(テレビのリモコンでチャンネルをザッピングするように)別のものをクリック or タップして移動しちゃうなんてこともカンタンです。70分以上も同じ一個のアルバムを集中して聴き続けるなんて不可能ですから、途中で替えたくなっちゃうんですね。

 

ストリーミング・サービスを運営している会社は、そんなデータも蓄積して音楽家サイドに提供しているらしく、音楽家、レコード会社側としても再生してもらえなくちゃ意味がない、お金にもならないわけですから、その結果、最後まで聴き続けてもらえる長さにまでアルバムをサイズ・ダウンしているんじゃないかという事情もあるでしょうね。

 

フィジカル・メディアが廃れサブスク聴きが標準になって以後の音楽の変化って、ほかにもたとえばイントロが短くなったとか、曲じたいも短いとか、テンポが速くなったとか、いろいろあると思いますが、また機会をあらためて考えてみたいと思います。

 

ぼくがこういったことをふだんさほど強く意識しないのは、流行ものや最新ヒットよりも、過去の名作を中心に聴いているからでしょう。

 

(written 2020.11.24)

2021/02/23

スタンダードをパーソナライズしない歌手 〜 ナンシー・ウィルスン

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Nancy Wilson / The Great American Songbook

https://open.spotify.com/album/51TpP3EhivrdvCps2l5rgr?si=obeu7OnmQwOFGEJTIeTfxA

 

ナンシー・ウィルスンの『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』(2005)はもちろんオリジナル・アルバムじゃなくコンピレイションで、アルバム題どおりナンシーがスタンダードを歌ったものばかりいろんなアルバムからピック・アップして編纂されたものです。

 

スタンダードといいましてもナンシーのこのアルバムにはデューク・エリントンやビリー・ストレイホーンの書いたジャズ・オリジナルなどもふくまれているんですけど、つまりはみんながやっていて聴き手もよく知っている有名曲っていうことですね。寄せ集めですから、伴奏は曲によってさまざま。ビッグ・バンドだったりストリングスが参加していたり、はたまた少人数のジャズ・コンボだったり。

 

この『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』を聴いていてぼくがいちばん強く感心するのはナンシーのヴォーカルの素直さです。ストレートでナチュラルっていうか、原曲のメロディをほぼまったく崩さず、そのまますっと歌っているでしょう、そういうところがたいへん印象深いんですね。ナンシーらしいすばらしさだなって思います。

 

このアルバムにはビリー・ホリデイが1935年に歌って有名にした「ワット・ア・リトル・ムーンライト・キャン・ドゥ」が収録されています。ビリーにしろだれにしろ一般的にジャズ歌手は曲を “パーソナライズ” することが多いだろうと思うんですね。ちょこっと、あるいは大胆にフェイクしたり、発声や歌唱法の工夫で、その歌手にしかできないワン・アンド・オンリーな歌にしようと腐心します。

 

かつてはぼくもそれがすばらしい、それこそがタダシイやりかただ、だれがやってもそう変わらない無個性な表現なんて価値ないよ、って信じて疑っていませんでした。この考えが大きく変わった、というか正直言って間違いだったなと気づきはじめたのは、鄧麗君(テレサ・テン)、由紀さおり、パティ・ペイジなどのポップ歌手をどんどん聴くようになってからです。

 

そして決定的な転回点は2017年に岩佐美咲に出会ったこと。これらテレサやさおりやパティや美咲は、歌に自分の個性を込めないです。その歌手にしかできないというような「色」を出さないっていうか、与えられた歌の魅力をそのまますっと素直にリスナーに伝達するようにナイーヴ&ストレートに歌っていますよね。

 

ポピュラー・ミュージックの歌手としてどっちがすぐれているかとかいうような話ではありません。ぼくにとって、近年どっちのタイプの歌手が身に沁みるように感動するようになったかということです。ナチュラル&ストレートなヴォーカル表現法をとる歌手のその歌の魅力を知ってしまうと、その真の意味での表現力を知ってしまうと、おおかたの個性の強い歌手はトゥー・マッチに感じるようになってしまいます。

 

といいましても、もちろんビリー・ホリデイやヒバ・タワジや都はるみなんか、いま聴いてもすばらしいなと心から感動しますので、きょうのぼくのこの話はまぁあれなんですけれども、ナンシー・ウィルスンの『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』もまた、テレサや美咲などの系統においてみるときに、その真の価値が理解できるものじゃないかなって、そう思います。

 

スタンダードなど有名な曲の数々は、ただでさえそのメロディはもとから美しいもの、すばらしく魅力的なものです。そういった曲は、メロディをフェイクしたりさまざまな工夫をしたりせず、このアルバムのナンシーみたいにそのまま、原曲そのまま、ストレートにすっと歌ったほうがいい、そうに違いない、と最近のぼくは心の底から信じるようになっています。

 

ナンシーのこの『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』、この曲はどんな感じだったっけな?と確認したかったりするばあいにもいいし、トータルで二時間近い再生時間なのでぜんぶしっかり向きあって聴くというんじゃなく、あっちこっちと好きな曲をピック・アップして楽しむのに格好のものでしょうね。マジになって眉間にシワ寄せてじっくり聴き込むとかいうものじゃありません。

 

(written 2020.12.16)

2021/02/22

わさみんZoomトーク・イベント 2021.2.20

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(写真は岩佐美咲公式ブログより)

 

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またまたやってまいりました、わさみんこと岩佐美咲オンライン・グリーティング。2021年2月20日開催。テレビ電話アプリZoomを使って、数分間わさみんと一対一で親しくおしゃべりできるという、ファンにとっては願ってもないうれしく楽しい企画の第四回。購入額によって一回四分か九分。ぼくは15:15〜からの九分ぶんを買いました。

 

本来だったらこの第四回は1月23日に予定されていたものでした。当選通知のメールも届いていたんですけど、わさみんがいきなり1/15に新型コロナウィルスに感染したことが発覚し完全自宅休養に入りましたので、延期されていたものなんですよね。

 

ところでZoomって、アプリの仕様なのかぼくの回線の調子か、しゃべった音声が届くのに0.7〜1秒くらいタイム・ラグがありませんか。ぼくのばあいはあるんです。それで、だからわさみんがしゃべる画像が見えてもちょっぴり遅れて聞こえたり、ぼくの声も遅れてわさみんに届いて、それに反応した返事が、だから合計2秒くらい遅れるので、ちょっともどかしいですよね。

 

前回11月のわさみんZoomトーク・イベントのときは午前中11時からの回だったので、わさみんは超低空飛行。その後知った話によれば、AKB48握手会時代からわさみんは午前中が苦手だそう。ロー・モードに入ったきりで、午後しばらく経ってからエンジンがかかってくるタイプなんですと。だから今回は15時台の回を買いました。

 

したがって午後の今回はわさみんもにこやかな笑顔で明るくて好調でした(午前中のトークだった11月のときはえらい不機嫌というか無愛想に見えた)。ぼくもうれしかった。2ショットを撮り、みんなに言われていると思うけどと断ってコロナ休養のことをねぎらい、あとはフリー・トーク。今回の秘密兵器はクレイジー・ソルト。それを手許に用意しておきました。それでお料理トークに花を咲かせようという魂胆です。

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クレイジー・ソルトは2/18のわさみんブログで、最近使っていますと紹介があったもので、ぼくはといえばもう四、五年も前からずっと愛用している調味料なので、これはいい話題だ、チャンスだ、ぼくは料理好きだしわさみんも料理が得意ということで、格好のテーマだなと思えました。

 

案の定、料理トークに花が咲きました。どんなものつくってんの?と聞かれたから(わさみんがつくる料理はよくブログに上がる)、「イタリア料理が多いよ、パスタ、リゾット、アクアパッツァとか、そのほか」って答えると、「わたし、アクアパッツァはつくったことない」って言うので、カンタンに説明。タイ、スズキ、イサキなどの白身魚を使いますよね(イサキはわさみん知らなかったかも)。

 

クレイジー・ソルトは洋風料理味付けの必需品なので、イタリア料理でもなんでもよく合うし、お魚もちろんお肉にもお野菜にもスープにもいいし、なんでもいけるので、茹で卵だけでなくどんどんなんにでも使ってみて!と言っておきました。ほ〜んとクレイジー・ソルトを使うだけで美味しさ150%アップですからね〜。

 

そのほか、メガネ・ケースもわさみん仕様のものを長良本舗で買って使っているのでそれを見せると、「わたしはこれ!」と言ってわさみんも自分で使っている牛さんのケースを見せてくれました。ぼくは老眼鏡だけど、わさみんは目が悪いわけじゃなく伊達メガネだそうです。

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(岩佐美咲公式Twitterより)

 

そんなこんなであっというまに九分が過ぎてしまいましたが、きょうわさみんの顔を見て一対一でおしゃべりできるというだけで、もう午前中から気分ウキウキ・ワクワク。おしゃべりが終わって翌日になってもずっと楽しい気分が持続しています。一日24時間のうちたったの九分だけなのに、前後ず〜っと気分いいんですからねえ。

 

やっぱり大満足です。

 

(written 2021.2.21)

2021/02/21

ジャズ・ボッサとジャズ・ロックの60年代 〜 ボビー・ハッチャースン

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(5 min read)

 

Bobby Hutcherson / Oblique

https://open.spotify.com/album/7pTAH0ua0JF7uYvT613Pc4?si=9WzVnsfTQLyPaYnpJ1s45A

 

ボビー・ハッチャースンの『オブリーク』は1967年7月21日のワン・セッションで収録を終えていたにもかかわらず、ブルー・ノートから発売されたのは80年になってから。こういうの、多いですね、この会社。上に出したのはそのときのオリジナル・ジャケットじゃないですが、いまやこっちで流通しているでしょう。

 

このアルバムもボスのヴァイブラフォン以下、ハービー・ハンコックのピアノ、アルバート・スティンソンのベース、ジョー・チェインバーズのドラムスという編成。音楽的にはポスト・バップ(新主流派)と言っていいんでしょう。

 

注目したいのはジャズ・ボッサ・ナンバーが数曲あること。1「ティル・ゼン」と4「サトル・ネプチューン」は鮮明で、2「マイ・ジョイ」(いずれもボビー作)もちょっぴりそうかも。1967年の録音ですから、ボサ・ノーヴァのリズムを応用したジャズはアメリカ合衆国でも一般的だったはず。

 

ヴァイブラフォンの乾いて硬質でクールな音色もこれらジャズ・ボッサ・ナンバーによく似合っていて、なかなかいいムードだなと思うんですが、このアルバムでぼくが最も興味があるのは3曲目「シーム・フロム・”ブロウ・アップ”」との関係です。ハービーが書いたこの3曲目は8ビートのジャズ・ロック・ナンバーなんですよね。

 

一つのアルバムのなかにジャズ・ボッサとジャズ・ロックが混在していて、しかも通して聴いた感じなんの違和感もなくスムースに溶けあって流れてくるんですよね。なかなか興味深いっていうか、1960年代のアメリカのジャズ界ならではだなって思います。ジャズ・ボッサとジャズ・ロックの流行ってほぼだいたい同じころでしたし。

 

ジャズ・ボッサは簡単にいえばジャズ・ミュージシャンがやるインストルメンタルなボサ・ノーヴァのことだと定義していいんじゃないかと思うんですけど、アメリカ合衆国のジャズ界におけるボサ・ノーヴァ・ブームって、いつごろからだったんでしょうね。かの『ゲッツ/ジルベルト』が1964年にリリースされていますから、そのちょっと前から?あっ、ゲッツがチャーリー・バードとやった『ジャズ・サンバ』が62年ですか、じゃあこのあたりからでしょう。

 

おもしろいのはアメリカのジャズ界におけるジャズ・ロック・ムーヴメントもちょうど同じころにはじまったという事実です。ハービー・ハンコックの「ウォーターメロン・マン」が1962年、リー・モーガンの「ザ・サイドワインダー」が63年で、その直後あたりからジャズ・ロック・チューンがどんどん出はじめるようになりました。

 

つまり1960年代アメリカン・ジャズにおけるジャズ・ボッサ・クレイズとジャズ・ロック・クレイズは完璧に同時期だったわけですよね。音楽的にだって関係ないわけじゃないっていうか、メインストリームな4/4拍子の保守的なジャズ・ビートに飽きたミュージシャンやファンが、時代の先端音楽とのちょっとしたフュージョンを求めるようになっていたんだろうと思うんですね。

 

ボビー・ハッチャースンの『オブリーク』は1967年の録音ですから、そんなムーヴメントもすでに完全に定着していたころで、60年代のボサ・ノーヴァやロックとの接合をきっかけにジャズも新時代の音楽に生まれ変わろうとしはじめていた、そんな時代のさきっちょにあったアルバムじゃないでしょうか。いかにもシックスティーズを感じさせる作品ですね。アルバム・タイトルになった5曲目(ジョー・チェインバーズ作)はストレート・ジャズで、これはこれで立派な演奏です。

 

このアルバムの録音の翌年、翌々年ごろから、ジャズ界は電気楽器の大胆な活用に踏み出して、新たな表現領域を獲得していくことになったのです。

 

(written 2020.12.15)

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