2020/01/28

即興の激情 〜 ウェイン『フットプリンツ・ライヴ!』

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https://open.spotify.com/album/77hBFKuRXGV6kgHsG2c034?si=u0wlF24BSVOwyBYvF7lUqg

 

ウェイン・ショーター2001年夏の欧州ライヴ・ツアーから収録されたアルバム『フットプリンツ・ライヴ!』(2002)は、過去の有名レパートリーばかりやっているというのがひとつの売りでしょうね。マイルズ・デイヴィスとやった「サンクチュアリ」「マスクァレロ」「フットプリンツ」をはじめ、「アトランティス」や「ジュジュ」といった有名曲も、それから「アウンサンスーチー」「ゴー」もあります。ジャン・シベリウスの「ヴァルス・トリステ」だけが他作で、そしてこれらすべてマイルズやウェインの過去の作品で聴けるもの(「悲しきワルツも」)。だからこのアルバム題なんでしょうか。

 

しかしそのむかし2002年にこのライヴ・アルバムを買って聴いたときはずいぶんむずかしく感じて、ちょっと気を抜くとなにをやっているのかわからなくなってしまい、だからうっかり聴けないなと思うとだんだんいやになって、次第に CD もラックのなかに入りっぱなしになって年月が過ぎていました。今回いろんな「フットプリンツ」を聴きかえそうと思って気を取りなおしてアルバムを聴いたら感動しちゃったので、ぼくの耳もちょっとだけなら進歩しているのかも。

 

いちばん感動したのはウェインの聴かせるパッションですね。そういった部分がこのライヴ・アルバム最大の特色なんじゃないかと思うんです。オープニングの「サンクチュアリ」ではまだ様子をさぐっているような演奏ですが、2曲目の「マスクァレロ」ではやくも激情爆発。四人とも、特に演奏後半で、まるでなにかを思い切りぶつけるような激しい演奏を聴かせていますよね。マイルズ・ヴァージョンで聴けたようなラテンなリズム展開はないんですけれど、ウェインと三人(特にピアノのダニーロ・ペレスとドラムスのブライアン・ブレイド)がここまでアツイ演奏をしていれば大満足です。

 

激情がほとばしっているというのは『フットプリンツ・ライヴ!』全体をとおして言えることで、しかもそれは全面的な即興によって成り立っていますよね。過去の有名曲をたくさんやっていますが、このアルバムではよく知られたそんなメロディは断片的にしか出てきません。演奏の際の短いモチーフみたいな、あるいはフックとして、使われているだけで、「曲」によりかかった演奏になっておらず、アルバムの最初から最後までカルテットによる全面即興がくりひろげられているというのが真実です。

 

それでここまでのものができあがるわけですから、四人の実力のほどがわかろうというもの。ジャズにおける即興の素晴らしさを実感する一枚ですね。2曲目「マスクァレロ」に次いでアツイ演奏を展開しているのが、5「アウンサンスーチー」(これも後半がものすごい)、6「フットプリンツ」、7「アトランティス」あたりでしょうか。激しいパッションをぶつけもりあがる場面で思わず叫び声をあげているのはブライアン・ブレイドですかね。さもありなんと思えるだけのウェインの熱をぼくら聴き手だって感じます。

 

ラスト8曲目の「ジュジュ」では、最初ベーラ・バルトークの室内楽を聴いているようなそんな演奏にはじまって、ドラムスが入ってからはやはりジャジーに熱く燃えあがり、バルトーク成分を担っていたアルコ弾きのジョン・パティトゥッチがピチカート弾きにチェンジ、ウェインがまずテナー・サックスで出ると、青白い炎のように揺れる音色で魅了します。ピアノのダニーロも特筆すべきできばえですね。

 

(written 2020.1.12)

2020/01/27

曲「フットプリンツ」をちょっと

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https://open.spotify.com/playlist/3PmelfwG2WIYWNAK0RT7qB?si=UaynEplDTbWbj9DcZlJ1PA

 

楽曲形式は定型の12小節ブルーズなのに、ちっともブルーズっぽくないフィーリングの曲「フットプリンツ」。作者ウェイン・ショーターのスタジオ・ヴァージョンとライヴ・ヴァージョン、それからこの曲を世に広めたマイルズ・デイヴィスの同様に二つのヴァージョンと、合計四つを録音年順にプレイリストにしておきました。マイルズのライヴ・ヴァージョンはたくさんあるんですけど、Spotify で聴けるものをと思ったらあんがい絞られます。1967年冬のコペンハーゲン公演を選びました。

 

これら四つを聴き比べるのもなかなか興味深いんじゃないかと思い立ったんですね。まずオリジナル・ヴァージョンであるウェインのスタジオ録音はわりとふつうのハード・バップですよね。といってもハード・バップのなかにたくさんあるファンキー・ブルーズにはなっていなくて、まったくブルージーじゃないブルーズ演奏なんですけど。リズム面ではごく平凡な3/4拍子。はっきり言ってこのヴァージョンはイマイチかもしれません。

 

ところが同じ年に録音されたマイルズのスタジオ・ヴァージョンでは大きく様変わりしています。最大の違いはリズム・アプローチで、6/8拍子の変型ラテン・リズムみたいになっていますよね。作曲者である同じテナー・サックス奏者が参加しているわけなので、この違いはボスか、あるいはたぶんドラマーのトニー・ウィリアムズがもたらしたものだったかもしれません。しかも一番手でソロを吹くマイルズのそのソロのあいだにも一回リズム・パターンがチェンジします。

 

大方の見方と違って『E.S.P.』〜『ネフェルティティ』期のマイルズ ・クインテット最大の功績はリズムの多彩な表現にあったというのが最近のぼくの考えなんですが(そのうちまとめます)、『マイルズ・スマイルズ』はそこへ一歩も二歩も大きく踏み出したアルバムだったんじゃないでしょうか。本格的には変型ラテン・リズムがいくつも聴ける『ソーサラー』(1967)まで待たなくてはなりませんが、前作『マイルズ・スマイルズ』のなかにもこの「フットプリンツ」みたいなのがあったわけです。

 

そんな新時代のリズム実験を、しかしマイルズはサイド・マンの書いた、それも12小節定型ブルーズでまずやったというのがこのひとらしいと思うんですね。保守と革新の入り混じるというか、なにか一個新しいことをやるときには、別な部分はそのまま旧来的なものを使ってやる、というのが生涯にわたるマイルズの傾向でした。なにもかも一度にぜんぶを新しくはしない音楽家だったんですね。漸進的なアプローチのひとだったわけです。

 

1967年冬のマイルズ・クインテットのヨーロッパ・ライヴでは、そんなリズム・アプローチがさらに一歩進んでいるのを聴きとることができるはず。曲の演奏冒頭からトニーがかっ飛ばしていますよね。さらにこのコペンハーゲン・ヴァージョンではハービー・ハンコックのブロック・コード弾きもトニーのドラミングと一体化してリズムの躍動感を表現しています。それにしてもライヴのときのトニーはぶち切れるとものすごいことになりますよねえ。この「フットプリンツ」でもその一端が聴けます。

 

マイルズはその後1970年までこの曲をライヴで演奏しておりまして、69年以後はもちろん鍵盤奏者がエレクトリック・ピアノを弾いていますが、それでも、アクースティックなこの1967年コペンハーゲン・ヴァージョンがいちばん聴きごたえあるように思います。いちばんはやはりトニーのおかげです。なかでもシンバルとリム・ショットの使いかたに注目して聴いていただきたいと思います。

 

ラスト、ウェインの2001年ライヴ・ヴァージョンは、2002年リリースのライヴ・アルバム『フットプリンツ・ライヴ!』から。もちろんポスト・ウェザー・リポート期で、ウェインはいまだ2020年時点でも現役なんですからビックリですよねえ。アルバム『フットプリンツ・ライヴ!』はかなり充実した傑作のように思います。過去のウェインの代表作ばかりたくさんやっているアルバムです。

 

この2001年ライヴのウェインの「フットプリンツ」は、ウェインがまずソプラノ・サックスで出ます。背後でブライアン・ブレイド(ドラムス)とダニーロ・ペレス(ピアノ)がやはり躍動的なリズムを表現していますが、過去のマイルズ・ヴァージョンみたいにラテンやファンクに接近しているような部分は聴きとれません。マイルズやジョー・ザヴィヌルなしだと、ウェインはやっぱりジャズのひとなんですよね。

 

このウェインのライヴの「フットプリンツ」では、終始ウェインとダニーロの、つまりサックスとピアノの対話形式で演奏が進むのもおもしろいところです。両者ともパッショネイトな演奏ぶりで、しかも対話形式ですから、特にウェインはまとまったパッセージを吹くよりもフラグメンタリーにフレーズを展開するのも特徴でしょう。ダニーロはややハービーを意識したようなフレーズを連発しています。テナーに持ち替えてからのウェインの熱いもりあがりかたがとてもすばらしいですね。最終的にはクールに落ち着いたムードになって終わります。

 

(written 2020.1.11)

2020/01/26

ウェインの『アダムズ・アップル』は聴きやすい

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https://open.spotify.com/album/4sxvTow8IffB0lisGJWb6Z?si=2XshWKChSvKb4hBfKzMXEA

 

ずっと苦手にしてきた1960年代ウェイン・ショーターのブルー・ノートへのリーダー諸作。でも最近ちょっと気を取りなおして聴きかえしているんですね。最近自分でも音楽に対する嗜好がやや変化しているかもと自覚していますから、いま聴けばそれらのウェインだっていい感じに聴こえるかもしれません。実際、『アダムズ・アップル』(1966年録音67年発売)なんかは聴きやすくて、いまはかなり好きになってきています。

 

1966年というとウェインはマイルズ・デイヴィス・バンドで活動しているさなかで、同年には『マイルズ・スマイルズ』をいっしょに録音していますね。でも『アダムズ・アップル』だとそんなに新主流派的な音楽になりきっていない感じもします。従来からのハード・バップ路線上にある一枚かもしれませんね。もっと前の作品、たとえば『ジュジュ』『スピーク・ノー・イーヴル』なんかでは完璧に新世代ジャズ、つまりポスト・バップを表現していたのに、ちょっと意外な気もします。

 

サイド・メンはピアノがやっぱりハービー・ハンコックなんですけど、ベースとドラムスがレジー・ワークマンとジョー・チェインバーズで、アルバム『アダムズ・アップル』がやや保守的に聴こえるのは彼らのおかげでもあるんでしょうか。でもぼくがウェインを苦手としてきたのはそんな部分じゃなくて、たぶんひとえにあのもっさりしたテナー・サックスの音色ゆえだと思うんですけどね。作品によっては聴きやすく思うこともあります。

 

1曲目のブルーズ「アダムズ・アップル」はちょっとファンキー・ジャズというか、いわゆる #BlueNoteBoogaloo 的なフィーリングもあるので、実はかなり好きです。そうなっている原因は曲そのものというよりピアノのハービー・ハンコックのブロック・コードの弾きかたにあると思うんですね。テーマ演奏〜ウェインのソロのパートと続けてずっと一定のファンキー・リフを叩いているでしょう、それがちょうど「ウォーターメロン・マン」にやや似て聴こえないでもないんですよね。好きなんです、こういったハービー。クラシカルな資質も色濃く持つピアニストですけど、同時にファンキーですよね。

 

ウェインのソロ部でずっとハービーは同じブーガルー・リフを叩いていますが、ウェインが吹き終えたらそのままのブロック・コード弾きで自身のピアノ・ソロに入ります。もうひとえにこのハービーのファンキーなブロック・コード・リフのおかげですね、この曲「アダムズ・アップル」が好きなのは。ジョー・チェインバーズもブルー・ノート・ブーガルー的なドラミングで快感です。

 

こういった感じで幕開けするのでアルバム『アダムズ・アップル』は印象がよくなるんですね。でも2曲目以後にこんなファンキー・ジャズ(つまりハード・バップっぽいんだけど)はないんじゃないですか。3曲目「エル・ガウチョ」はこんな曲題にもかかわらずボサ・ノーヴァ・テイストです。いわゆる(スペイン語圏の)ラテンなフィーリングとはちょっと違います。これもいいですね。

 

ラテン・テイストといえば、アルバム6曲目の「チーフ・クレイジー・ホース」にちょっぴりそれを感じます。特にジョー・チェインバーズのやや複雑なリズム表現にそれが聴けるんじゃないでしょうか。あ、この曲はちょっとポリリズミックですかね、何拍子なのか数えてみようと思ったらちょっとむずかしそう。この曲はだからかなりおもしろいです。いわゆるふつうのハード・バップじゃないし、これには新世代のポスト・バップ的な感覚があるように思います。

 

さて、4曲目の「フットプリンツ」。当時のボスだったマイルズが『マイルズ・スマイルズ』でとりあげ、その後のライヴでもしばしば演奏されたので有名化しましたが、初演はここで聴けるウェイン自身のヴァージョンなんですね。マイルズがやったようなリズム面での斬新な展開はなく、ごくあたりまえな3/4拍子の定型ブルーズでやっています。だからマイルズ・ヴァージョンを先に知っている(というひとが多いはず)と、イマイチに感じないでもないですね。

 

アルバム『アダムズ・アップル』では、そんな感じで全体的に先立つウェインのポスト・バップ的諸作よりも、なぜかやや後退したような保守的路線、ごくふつうのハード・バップに接近しているのがかえって聴きやすさに転じていて、ブルー・ノート・ブーガルーな感じもあり、そのせいか関係ないのかぼくの苦手なウェインのテナーのもっさりした音色感もやや薄まっているように聴こえるので(あの感じはウェイン独自の新感覚曲でフル発揮されるものかも)、個人的には愛聴盤になりうる一枚ですね。

 

(written 2020.1.10)

2020/01/25

サンバ・ジ・エンレード 2020

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https://open.spotify.com/album/1JaziyQu8J8mFQc0ikKaDb?si=Fr6jbkWyTHq_W4t9gvzS1g

 

毎年恒例のこのサンバ・アルバム。今2020年のリオのカーニヴァルは2月21日から。それにさきがけて昨年暮れに公式アルバムが発売されています。『サンバス・ジ・エンレード 2020』。ぜんぶで13曲収録なのは、13のエスコーラのオフィシャル・サンバ・エンレードを一曲づつ収録しているからなんでしょう、きっと。エスコーラごとにそれぞれ趣向を凝らし…、と思って聴いてみたら、なんだか共通する特色がありますよね。

 

それはひとことにしてスピード感です。歌謡サンバみたいなのとカーニヴァル・サンバとは違うというのはそうなんでしょうが、それにしても『サンバス・ジ・エンレード 2020』で聴ける13のサンバはものすごいスピード感じゃありませんか。しかもリズムをとても細かく刻んでいるし(特にカイーシャが)、タイトでシャープなノリを感じます。ここまでとはねえ。

 

カーニヴァル・サンバでも、むかしのものはこうじゃなかったように思うんですけど、ぼくの勘違いでしょうか。ゆったりと大きく乗るような部分があまりなく、悪く言えば余裕がなく性急な感じがしますよね。セカセカしているといいますか、こういうのがいまどきのカーニヴァル・サンバなんですね。これも時代のフィーリングの変化ということなんでしょう。

 

社会性、時代性を反映してそんなふうに音楽も変わってきているんだと思いますが、世界で、日本でも、もちろんブラジルでも、ものごとの流転の速度を増すばかりの世相。音楽アルバム『サンバス・ジ・エンレード 2020』を聴いてもそれを感じとれます。いいのかよくないのか、好きか嫌いかは意見が分かれるところでしょうね。実はぼくもイマイチな感は否めません。サンバでもゆったりとした繊細なノリのフィーリングのものがもっと好きです。

 

でもこれはこれでいまの時代の音楽ということなんでしょうから、いいもよくないもないです。リズム感覚って、音楽のなかでもいちばん時代を反映するものだと思いますから、変化の速い2010年代にサンバがこんな感覚になるのも当然なのかもしれないですね。和声感やメロディの動きかたなどはむかしのサンバと違いはありません。スピード感あふれるこういったカーニヴァル・サンバでいまは踊りパレードするのでしょう。

 

(written 2020.1.9)

2020/01/24

岩佐美咲『美咲めぐり〜第2章〜』のライヴ・テイクがすばらしすぎる

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https://www.amazon.co.jp//dp/B07X3QG47M/

 

昨2019年11月に発売された岩佐美咲のニュー・アルバム『美咲めぐり〜第2章〜』。通常盤と初回特別盤の二種類ありますが、どう考えても初回特別盤を買う以外の選択肢はありません。そっちにだけライヴ収録の三曲が収録されていて、それらがあまりにもすばらしすぎるからなんです。ぼくはもう発売以来毎日聴いているんですね。初回などと銘打っていますが、たぶんずっと買えます。

 

ライヴ収録の三曲「ごめんね東京」「初酒」「もしも私が空に住んでいたら」のうち、「ごめんね東京」は標準的な出来じゃないかなと思います。美咲についてぼくが「標準的」と言うときは、それはなかなかいいぞという意味なんですけどね。抜群なとき(がいつ来るか分からないからライヴ通いがやめられない)があまりにもずば抜けてすばらしすぎるから、なかなかいいよ程度だと標準的という形容になるんですね。それくらい現在の美咲はふだんからレベルが高いです。

 

がしかし『美咲めぐり〜第2章〜』に収録のライヴ・ヴァージョンの「初酒」「もしも私が空に住んでいたら」はとんでもない出来ですよ。こんなにも絶品な美咲をいままで CD ではほとんど聴いたことがないかも。二曲とも美咲初期のシングル・ナンバーで、スタジオ録音はそれなりに練り込まれて完成されていますが、それでもこれらライヴ・ヴァージョンを聴いたら、もうまったく比較になりませんね。だんぜんライヴのほうがいいです。

 

「初酒」は2017年、「もし空」は2018年のソロ・コンサートでの収録ですが、たとえば「初酒」でも声の色艶がグンと増していて、しかもこの人生の応援歌みたいな歌を、いっそう前向きに肯定的に歌い込むことに成功しているんです。美咲の声に、なんというか丸みや成熟が聴けますよね。そう思うと、カラオケだから変わりはない伴奏まで違って聴こえる気がするから歌の力とはおそろしいものです。

 

近年のライヴでの「初酒」では、特に緩急が自在なのも特徴です。なかでもぼくがいつも感心しているのは、ファースト・コーラスの「我慢しなくていいんだよ」部とツー・コーラス目の「カッコ悪くていいんだよ」部なんです。いずれも声を強く張って出し、強く説得するようにグイッと発声しているんですが、最後の「よ」の部分に来たらスッと軽く声を抜いてふわっとやさしくやわらかく声を置いているでしょう、そこでぼくなんかはほだされてしまうんです。なんという説得力のある大人な歌いかたでしょうか。

 

ライヴ収録の「初酒」全体にエネルギーがみなぎっているし、余裕を感じるし、しかもミキシングだって効果的に考えられています。この曲(と「鯖街道」)では観客がリズムに合わせて手拍子をするんですけど、CD を聴きますとファースト・コーラスから小さくその音が入っています。でもツー・コーラス目になってはじめて大きめに手拍子の音が入るようにミックスされているんですね。それでこの曲、この歌のもりあがり感、臨場感、ライヴなんだという空気感がいっそう効果的に高まっているんですね。ミキシング・エンジニアは二名が CD ブックレットにクレジットされていますが、どなたのアイデアだったんでしょう、見事な仕事です。

 

もっとすごいのがアルバム・ラストのライヴ「もしも私が空に住んでいたら」です。もはや壮絶とまで言いたいほどの迫力に満ち満ちているじゃありませんか。ここの美咲はいったいどうしちゃったんでしょうか、声の伸び、張りも最上級。このときのライヴ・コンサートはぼくも現場で聴いたんですが、CD でなんども聴くとビックリしちゃいますね。なんなんですか、この美咲の声の美しさは。ベスト of ベストですよ。

 

このライヴの「もし空」を聴くと、美咲がいまの日本の歌謡界最高の歌手のひとりであることは間違いないと思えます。たとえば声の色艶。ファースト・コーラスの出だしからふだんとはちょっと違うぞ、この「もし空」は尋常じゃない、どうしたんだ?と思わせる緊迫感、迫力、説得力がありますが、「そっと見送る」の「る〜〜」部。ここの声の美しい伸びは、いままでの美咲のなかでも聴いたことのない最上の絶品じゃないでしょうか。

 

ツー・コーラス目でも「ため息になる」の「る〜〜」部が同様です。それらでは声に、それとはわからない程度の軽いほんのりヴィブラートがかかり、そのおかげで声に独特の伸びやかさとまろやかさが出ているんですね。しかもその声じたいが丸くて太くて、しかも隠で暗いんです。「もし空」というこのしっとり系の曲の曲想にこれ以上なくピッタリする声の色と質なんですね。

 

ツー・コーラス目の「偽名と孤独」部、サビでの「出逢ったこと、愛したこと」の「こと」部での、そっと隠に声をポンポンと置くタイミングの絶妙さ、軽いヴィブラートで強く声を張る部分とのコントラストのすばらしさ、「愛し合ってはいけないあなたと」「月に一度の合瀬を重ねて」部での歌詞に説得力を持たせる繊細なフレイジングと声そのものにこもる迫真の見事さなど、もう言うことない完璧な完成度じゃないでしょうか。

 

「頬の涙は触れられないけど、自分のその指で拭う日が来る」「ひとはだれでもすぶ濡れになって、いつかの青空を思い出すでしょう」なんていう歌詞を、ここまで迫力と説得力を持って歌い込むことのできる歌手が、いまの日本にはたして何人いるのでしょうか。すくなくともこの2018年ライヴ・ヴァージョンでの美咲以上に美しく歌える歌手はまずいないのではないでしょうか。

 

「もし空」は、「初酒」もそうですけど、長く歌い続けることのできる普遍的な内容を持った歌です。今後も何十年とどんどん歌い込んでいくことで、また美咲の人間的な、あるいは歌手としての、成長にともなって、どこまでものすごい歌唱に化けていくか、出かかり(by 山本譲二)の色艶がどこまで成熟するのか、考えただけでおそろしい気分です。20代前半は歌手として音楽家としてじゅうぶん成熟できる年齢で、それでここまで壮絶な、特に「もし空」が、そうなっているわけですけど、美咲はいったいどこまでの深みをこの名曲に込めることができるようになるのか、想像することすら今はできないですね。

 

(written 2020.1.14)

2020/01/23

多すぎるアフロビート・ジャズだけど 〜 ダニエル・ジゾヌ

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https://open.spotify.com/album/63IOjGDbHot5fIIzjh5ZIf?si=btWI8YY7Q7Ohw5NSsYtRwA

 

ところでいまアフロビートは大流行しているんですよねえ。そう思います。特にジャズ界隈でかなりもてはやされているのは間違いありません。ここ数年もう次々とそんな作品に出会いますから。今日話題にしたいアルバムもそんな一枚。調べてみても西アフリカのトランペット奏者ということしかわからないダニエル・ジゾヌ(Daniel Dzidzonu)の『Walls of Wonder』(2019)です。

 

同じアフリカのトランペッターということで、ダニエルはヒュー・マセケラの流れを汲む音楽家なのかもしれません、このアルバムには「リメンバー・マセケラ」という曲もあるくらいなんで。ダニエルがやっているのもアフロ・ジャズで、しかもそのアフロ要素は完全にフェラ・クティのアフロビートを持ってきているという、そんな音楽でしょうね。アフロビート・ジャズ、多いですね最近、多すぎるくらい多いです。

 

ダニエルの『ウォールズ・オヴ・ワンダー』だと、最後の三曲だけちょっと編成と様子が異なっていますが(そのうち二つは前作にあった曲のリミックスだし)、それらの前まではたぶんパーカッション+ドラムス+ベース+エレキ・ギターがリズムで、鍵盤楽器は控えめ。その上に管楽器群とヴォーカルが乗るというやりかたですが、管楽器はサックスなしのブラスだけかもしれません。曲によってはストリングスも入ります。

 

このアルバムでぼくがいちばん感心したのはダニエル自身のトランペットやヴォーカルではなくて、エレキ・ギターリストなんですね。いやあ、カァ〜ッコイイです。もちろんホーン・アンサンブルもカッコイイんですけど、こんなエレキ・ギターの弾きかたができるのはすばらしいと思うんですね。曲によってはひょっとしてギターリストが二名同時演奏しているのかと思わないでもないですが、いずれも見事なサウンドです。

 

だいたいこんなジャケットだし主役がばりばりとファンク・トランペットを吹きまくっている音楽なのかと思いきや、そうでもないんですね。トランペット・ソロが聴こえる時間はそんなに長くありません。そしてトランペットが鳴っているあいだもそうでない時間も、このエレキ・ギターのコード・カッティングが創り出す空間があまりにも心地いいんで、それにばかり耳が行ってしまいます。

 

たとえばアルバムで唯一これだけなぜかライヴ収録の5曲目「E.I.A. (Emergency In Africa)」。ここでは鮮明に二本のエレキ・ギターが聴こえますね。一人がコード・ワーク、もう一人がシングル・ノート・リフ反復で、まるで1960年代後半のジェイムズ・ブラウン・バンドみたいです。そしてダニエルのこの二名のギターリストがからんで生み出しているサウンドが極上のグルーヴなんですよねえ。

 

そのツイン・ギター・サウンドの心地よさに比べたら、やはり見事だと思うホーン・アンサンブルやヴォーカル・パフォーマンスはどうってことないように思えてしまうんですね。とにかくほかの曲もぜんぶふくめて、ダニエルのこのアフロビート・ジャズではエレキ・ギターが主役のようで、ぼくは Spotify で聴いているだけだからだれが弾いているのかわかりませんが、名前をチェックして憶えておきたいです。

 

5曲目と並ぶ、このアルバムでの個人的ベスト・トラックは、続く6曲目「アフロ・ドリーム」。この曲ではエレキ・ギターのコード・ワークもいいんですけど、それよりもいきなり出だしから鳴るホーン・アンサンブルが超カッコイイですね。続くダニエルのトランペット・ソロもかなりの聴きもの。と思っていると、やはりエレキ・ギターが目立つようになり、そうしたらいきなりカルロス・サンタナみたいな濃厚ソロが出ます。いやあ、こりゃいいなあ。コードを弾いているひとの多重録音か別人か、ホントだれが弾いているんです?

 

(written 2020.1.8)

2020/01/22

奄美の島唄をやる平田まりな『跡(アシアト)』がとってもいいぞ

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http://elsurrecords.com/2019/12/14/%e5%b9%b3%e7%94%b0%e3%81%be%e3%82%8a%e3%81%aa-%e8%b7%a1/

 

エル・スールのホーム・ページでジャケットを見て、なにかピンとくるものがあって、その勘を信じて買ってみた、平田まりなの『跡(アシアト)』。大正解でした。これはとてもいい音楽です。奄美大島の民謡弾き語りで、平田は三味線+歌。たった25分ほどのデビュー・ミニ・アルバムですけど、すっかり平田のファンになっちゃいました。唯一の残念な点は収録時間が短くて、気持ちよさにひたっていてもあっという間に終わってしまうことだけ。一時間くらいずっと聴いていたいと思わせる音楽ですね。

 

ぼくは奄美の島唄についてはなんにも知らないんで、ただジャケットの雰囲気だけで買って聴いてみたらいいなと思っただけなんで、見当はずれなことも多いと思います。『跡(アシアト)』で平田まりなが弾き語っているのは全六曲。これらは奄美島唄のスタンダード・ナンバーなんですかね。YouTube でいろいろとさがしているとよく出てくるものだから、そんな気がします。平田自身がしゃべっているものも見つかりました。

 

このアルバムでは平田まりなの三味線と歌と、それしか入っていないんですけど、ぼくがまず惚れたのは三味線の音色ですね。音が立っています。立ち上がり(アタック)や粒立ちがとてもいいですよね。これはどんな楽器でも一流奏者に共通する特色なんです。平田自身によれば、奄美ではむかし女性は三味線を弾いてはいけなかった、男だけのものだったそうで、平田のおばあちゃんも三味線はまったく弾かないそうなんですね。だから平田は新世代なんでしょうか。奄美の民謡の世界はなにも知りません。

 

でもアルバムを聴いていたらそんなことは信じられないくらいの三味線の腕前だと思います。YouTube で平田まりなの動画を見ると、外見が沖縄の三線にそっくりなんですけど、三線ではなくあくまで奄美三味線であるとのこと。たしかに音色もちょっと違いますね。とにかく平田の奄美三味線はとても上手いです。一音一音鮮明で、クリアに聴こえ、独特のゆったりしたリズムで心地よく、聴いている側をリラックスさせる癒し効果がありますよね。

 

それは歌についても言えることで、落ち着いたフィーリングのしっとりした歌いかたが心に沁みます。声の色に独特の憂いや哀感があって、平田まりな本人がどんなひとなのかはわかりませんが、歌声には翳りというか、ある種の暗さみたいなものがありますよね。深みというか憂いというか哀感というか。ぼくはそう聴きました。でも YouTube とかで見るふだんしゃべっている平田の姿は正反対のようにも見えるので、音楽っておもしろいというかおそろしいですよね。

 

三味線で細かくフレーズを弾きながら大きくゆったりと乗って、平田まりなはどの曲でも低く歌い出します。まるでさぐっているかのようにはじめると、その後も落ち着いた大人のフィーリングでしっとりと歌い、高音部で声を張る箇所もまじえながら、全体的には島唄それじたいの持つ味を活かすように丁寧につむぎながら声を重ねていくその姿に、ぼくはとても好印象を持ちました。

 

しかもなんだか近寄りがたいイメージじゃなく、身近な普段着感、親近感を持てる音楽で、上で書きましたように平田まりなの『跡(アシアト)』を聴いていると、とてもリラックスできてくつろげるまったりタイムを与えてくれる、そんな快感音楽で、だから25分なんていわず、もっとずっとこの心地よさにひたっていたいと思うんですよね。いやあ、いい音楽です。一時間くらいのアルバムで聴きたい!

 

(written 2020.1.7)

2020/01/21

猫のジョアンのペット・プレイリスト

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https://open.spotify.com/playlist/2omoRRrA3SPgfIAtdiTYH2?si=Q3vi9TekS4yowiDWkjyGFQ

 

今日2020年1月16日付けでかな、Spotify がはじめたサービス「Pet Playlists by Spotify」。猫とか犬とか鳥とか、ペットのいるかたはこれをつくることができます。飼い主とペットがともに楽しむことのできる音楽プレイリストを、飼い主のふだんの聴取傾向とペットの種類や状態から判断して自動生成してくれるというもの。早速やってみました。その結果が上のリンク。

 

詳細は以下のリンクからどうぞ。このリンクからそのまま自分のペット・プレイリストを作成できます。ペットの種類(猫、犬、鳥、ハムスター、イグアナ)を選び、性格や状態(リラックスしているかエネルギッシュか、シャイかフレンドリーか、など)を入力、最後にペットの写真と名前を入れてボタンを押すと、Spotify 独自のアルゴリズムで楽曲がキュレイションされ、プレイリストができあがります。
https://pets.byspotify.com

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ぼくんちにはジョアンという猫さんがいます。というのは正確には間違いで、ペット不可物件なんで、いくら猫好きのぼくでもいっしょに暮らすことはできません。それでもぼくの部屋は一階なんで、ベランダがそのままマンションの駐車場につながっていて、そこからよく外猫さんが部屋に入ってくるんですね。そのなかでいちばん仲のいいのがジョアンくんなんです。ぼくと遊ぶようになって約一年半くらいかな、もうほぼ一日中ぼくの部屋に入りびたっていると言ってもいいくらい。飼い猫同然なんですね。外猫(野良猫)さんだからちょこちょこ入ったり帰ったりしますけどね。毎晩どこで寝ているのかなあ。

 

ジョアンを駐車場で見かけるようになったのはずいぶん前です。いまのマンションには2011年の5月末に入居しましたが、そのときすでにいたのかもしれません。猫好きのぼくですけど、ペット不可物件ということもあって、最初は部屋のなかから眺めているだけだったんです。駐車場に出て撫でたりごはんをあげたりもしなかったですね、最初は。

 

転機は2017年の6月に iPhone を買ったことです。それでジョアンくん(やその他地域にうろうろしているいろんな外猫さんたち)の写真を撮ってはネットに上げるようになりました。ネット友人から反応があったりしてそれも楽しくて、どんどん撮って上げていました。そして2018年の秋、ベランダに面した窓を開けていると、ジョアンくんが部屋のなかに入ってきたんですね。最初はちょっと驚きました。しかもなんだかすでに馴れている様子。もとはどなたかの飼い猫だったんでしょうか。

 

様子を見ていると、しばらくうろうろしたのち、キッチンに置いてあったカツオ節の袋をパッとくわえてササッと部屋を出ていったんです。な〜んだ、ごはんだったのか。そのまま見ていると、駐車場のわきでそのカツオ節を食べているじゃありませんか。おなかが空いていたんですね。それを見てぼくはすぐに猫用のごはんを買いにスーパーに走りました。2018年の10月のことです。

 

帰宅して、駐車場にいるジョアンくんに向けてその煮干しの袋をカシャカシャ振ってみたら、一目散に飛んできたんですね。部屋のなかで袋をあけて出すと、夢中でジョアンくんは食べました。そのうちキャット・フードも買うようになり、2018年の10月末ごろからジョアンとぼくのおつきあいがはじまったというわけなんですね。そのころジョアンという名前はまだありませんでした。

 

ペット不可物件ですから、ちょっと部屋のなかに入れるくらいなら OK との大家さんのことばはいただいていますが、いっしょに住むわけにはいきません。だから共同生活とは言えませんね。でも毎日ジョアンくんはぼくんちに入ってきて、ごはんを食べ水を飲み、しばらくゆっくりくつろいで、フローリングやカーペットの上でゴロゴロし、ゆっくりしてから帰っていくという、そういう日常が訪れました。

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ジョアンという名前がついたのは2018年の11月のこと。ジョアンくんとぼくの2ショット写真をどんどん撮ってはこれまたネットに上げているんですけど、膝に乗ったり肩に乗ったりするようになったので、それをご覧になったあるフレンドさんが「お名前が必要ではないでしょうか?」と言ってくださって、それでたまたまそのときジョアン・ジルベルト(ブラジル)を聴いていたから、雄猫の彼をジョアンと命名しました。

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そのまま2020年1月にいたり、いまではすっかり仲よしのジョアンくんとぼく。いまではどちらも声を出さずとも表情や仕草だけで互いにコミュニケーションができるようになっているんですね。自宅マンションの駐車場にはほかにも外猫さんがいて、ぼくんちに遊びにくる、ごはんを食べにくる猫さんはいます。でもジョアンくんはもとの性格がフレンドリーなのか警戒心が薄いのか、こんなに仲よくしてくれるのは彼だけなんです。

 

Spotify プレイリスト「ジョアンズ・ペット・プレイリスト」ですけれど、これってぼくがふだんからよく聴いている好みの音楽とか聴取傾向から読みとって、ジョアンくんに聴かせるための、楽しみのための音楽をキュレイションしてくれたということなんでしょう。たしかにぼくのよく聴く音楽やそれに似たものが並んでいます。2、4ビートのストレート・ジャズとかジャジーなポップス、ブラジル音楽、ラテン系などなど。

 

しかしぜんぜん聴いたことのないもの、ふだん聴く傾向や好みから外れているなと思うものだってありますね。たとえばクイーン(UK ロック)が一曲入っていますが、ぼくはクイーン嫌いなんで、たぶんいままで一度も Spotify で聴いたことないです。カルメン・ソウザも聴いたことないけどやっているのはホレス・シルヴァーの「セニョール・ブルーズ」なんでこれは納得です。だれなんだかわからないひともいますね。

 

でも全体的にはこのプレイリストを聴いていてぼくはリラックスできるし、ジョアンくんがこれでリラックスしてくれるかどうかは、う〜ん、いまこのプレイリストを流していたらたまたまジョアンくんが入ってきてぼくのベッドの上でくつろいでいますねえ。なんだこりゃ(笑)。ジョアンくんの性格や特徴なんかも入力したけれど、どう反映されているのかはまだわかりません。

 

プレイリストにあるシルヴァーナ・マルタはミナス(ブラジル)だけどぼくは大好きだから、入っているのは納得。サブリ・モスバ(チュニジア)はよくわかんないな〜。コノシエンド・ルシア(アルゼンチン)もそうでもないけど、ドーリ・フリーマン(アメリカ合衆国)は好きなカントリー系ポップ・シンガーだから理解できます。

 

バディ・コレットとかアーマッド・ジャマルといったアメリカ合衆国のジャズ・メンはぼくも好きだし、音楽としてもリラクシングだし、ゆったりしているし、おだやかでのんびりおっとりした性格のジョアンくんにはよく似合っているような気がします。この「ジョアンズ・ペット・プレイリスト」全体でそんなフィーリングですかね。あ、いま、ベッドの上でジョアンくんは寝はじめました。

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(written 2020.1.16)

2020/01/20

音楽とぼくのアスペルガー

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上でベーラ・バルトークとエリック・サティの写真を出しましたけど、ほかにも有名音楽家ではヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトとかそうだったんじゃないかと推測されていますし、大衆音楽界ではたとえば自分でそうかもしれないと告白している Gackt やロビー・ウィリアムズ、あるいはスーザン・ボイルやクレイグ・ニコルズや堀川ひとみ(この三名は確定診断されている)など、これらの人物に共通するのはアスペルガー症候群だということです。一説によれば人口の約2.5%がこの障害を持つんだそう。クラスに一人いるかいないか程度ですね。

 

ぼくもアスペルガーなんじゃないかと最近疑うというかもはや確信するようになって、このあいだ専門医の診察を受け、間違いなくそうであると明確に診断されました。最新の学説ではアスペルガー症候群は自閉スペクトラム障害(ASD)に包括されているようですので(DSM-5)、自閉スペクトラムと言うのがふさわしいかもしれませんが、ぼくの症状というか特徴はアスペルガーというほうがぴったり来るような気がしています。だから医学的には自閉スペクトラム症と本来なら言うべきところを今日はアスペルガーと書くことにします。

 

アスペルガー症候群の特徴は、端的に言って社会性・コミュニケーション・対人関係能力の欠如と、限定的な強いこだわり、反復行動です。以下箇条書きに具体的な特徴を列挙しておきます。あくまでアスペルガー症候群で知られている一般的特徴ですが、ぼくのことを記述している(ようなもんですから)と思ってご覧ください。

 

・言語や知的な遅れはない、むしろ高い
・視線があいにくく、表情が乏しい
・相手の発言、行動の真意を理解できない
・相手の言動にふくまれる裏の意、皮肉、冗談に気づかない
・相手の発言を文字通りに、ストレートに受けとる
・婉曲表現、遠回しな表現がわからない
・他者の気持ちが理解できない、気づかない
・共感できない
・人に対しての関心をあまり持たない
・察するのが苦手
・空気を読めない
・会話のキャッチボールができず、一方的にしゃべり、演説のようになる
・流れに関係ない自分の話をする
・「仮に」相手の立場だったらと考えることがむずかしい、できない
・相手や周囲との距離がとれない、計れない、わからない
・自分の感情の気付きや理解が苦手
・「適当に」や「もう少し」「多めに」など、日常や仕事上でよく使われる、幅のある表現を受けての判断や対応がむずかしい
・決まったパターンで行動しようとする
・常に予定どおり、ルーティンどおりに行動したい
・そういかないとき、予定外、予想外のことが起きたとき、パニックになったりイライラしたり怒りをおぼえる
・いつもと違う状況に対応できない
・自分なりのやりかたやルールにこだわる
・反復的な動きが多い
・手先が不器用である
・強迫的なところがある
・感覚の過敏さ、鈍感さがある(うるさい場所にいるとイライラしやすい、洋服のタグはチクチクするから切ってしまうなど)
・細部にとらわれてしまい、最後まで物事を遂行することができない
・過去の嫌な場面のことを再体験してイライラしやすい
・かなり年上の人、もしくは年下とつきあい、同年代の友達は少ない、いない
・親しい友人関係を築けない
・興味の対象が限定的
・狭い分野を深く掘り下げる
・好きなことには時間を忘れて没頭する
・記憶力、集中力が高い場合が多い

 

ぼくのばあい、これらがすべてピッタリあてはまり(まるでぼくのことを見ながらだれかが書いたんだというような気分です)、専門医には「戸嶋さんのばあい、かなりひどいかなと思います」と言われました。結果としては社会生活に非常な困難を感じ、対人関係、人間関係がすべてうまくいきませんので、職場でダメ、私生活でもダメで、とても生きづらく感じるんですね。

 

アスペルガー症候群は病気ではなく脳の機能障害で、感情や認知といった部分に関与する脳の異常を生まれつき持っているのが原因とされています。ですから親や教師や周囲の接しかた、育てかたに原因があるんじゃないんです。持って生まれた障害なんですね。アスペルガーは治るようなものじゃないので、生涯にわたりつきあい続けていくもののようですよ。

 

治療できず適切な対処法もなく、ただ理解してもらうしかないアスペルガー症候群ですが、いまでは幼少期(幼稚園に入る前くらい)に親など周囲の大人が気付くことが多いんだそうです。ぼくが生まれたのは1962年。そのころまだアスペルガーやその他近接する発達障害の概念はありませんでした。ぼくのばあい、なんだか変人奇人、かなりやりにくいイヤなやつヘンなやつ、近づかず逃げておこう、といった対応をされることばかりでしたかね。

 

それで友人も恋人もできず、みんながぼくから離れていく、その理由はわからない、と長年ずっとつらい思いをしてきたんですけれども、本格的に精神障害じゃないかと考えるようになったのは2018年9月末のあることがきっかけでした。2019年に入ってから具体的にいろいろ読んだり調べたりするようになって、その後19年12月初旬の広島のホテルの一室でアスペルガー症候群に違いないと確信するにいたり、20年に入ってから専門医のもとを訪れたわけなんですね。

 

上記箇条書きのような特徴を持つ障害ですから、アスペルガー症候群の人間は会社勤めなど通常の職業で生きることはかなりむずかしいでしょう。通常の人間生活を営むだけでも困難があるわけですから。ぼくもいわゆるサラリーマン生活は体験したことがありません。しかしいっぽう音楽や芸能、芸術、スポーツなど、非日常的な特殊能力を軸とする働き、職種であれば、かなり高い成功をおさめることができるばあいもあるようです。ぼくは大学に在籍する英文学の研究者でした。

 

さらに、音楽が好きで、音楽を集中的に聴き(というかだらだら日常的にも聴いていますけど)それについて調べたり考えたりして、整理して、文章を書くということに、自分で言うのもなんですが異常に高い能力を発揮しているのかもしれません。ネット上でおつきあいのある音楽好き、それもかなりのひとでも、ぼくと比較してここまで執着してはいませんからね。プロは除きます。

 

要するにひとりで部屋のなかで取り組むような仕事や趣味であればとても高い能力を発揮することもあるのがアスペルガー症候群の人間です。そのいっぽうで他者との人間関係を築いたり維持したりは不可能で、自分でそうとは気づかないうちに、そのつもりはぜんぜんないのに、人間関係を破壊します。人生をふりかえれば、思い当たることがあまりにも多すぎます。友達もできず異性とも恋愛できず、結婚生活も破綻しました。

 

本を読むのは部屋でひとりでできることだから読書家になったし、そのせいで文章を読んだり書いたりが得意になりました。学校の勉強もひとりでできるので成績はとてもよく学歴も高いです。音楽を聴くのも(たとえコンサート・ホールのような場所ですらも)ひとりで楽しむ趣味ですから、アスペルガーなぼくでも存分に不足なく味わい楽しむことができて、そのおかげで耳が肥え知識が増え、結果、現在に至っているというわけなんですね。

 

この Black Beauty 音楽ブログをはじめたころはこんなことに気付いていなくて、ただ音楽が好きでどんどん聴いては感想をメモしているうちにそのテキスト・ファイルがたくさんたまったので、そのままにしておくのはもったいないかなと思い公開してみようとなっただけです。でもいま考えてみれば、ぼくに向いている趣味行動かもしれないですよね。

 

音楽のことについても、他者と関わりあう部分(ほかのかたのブログのコメントや SNS でのやりとりなど)では失敗しそうになったり実際失敗したりすることがあるんですけど、自分で聴いて書いて公開するだけであればその心配はありません。最近はアスペルガー症候群であるという気づきもあるし診断も受け、そのちょっと前ごろから他者との関係性もちょっぴりマシになってきているかなと思わないでもありません。

 

こういう障害があるんだから、だれとも他人とはうまくやれないんだから、と思って、強く意識し(自へも他へも)心配心、警戒心が働くようになって、あらかじめなにもしない、だれにもなにも言わないように心がけるようになっただけかもしれないですけどね。部屋で音楽を聴くだけ、感想を抱くだけであればどなたにも迷惑はかけないはず。人間関係がどうのこうのといったことはありません。その感想を記した文章をネットで公開するのはちょっとした社会的行為かもしれませんけれども。

 

ともあれだれともかかわりにならないように、だれにも近づかないようにしておかなくちゃいけません、ぼくは。親、兄弟をふくめ他者との関係が持てない人間なんですから。ひとりぼっちだというのはこういった意味なんですね。人間関係はダメです。音楽や文学などフィクション作品で癒されている毎日です。

 

(written 2020.1.17)

2020/01/19

オールド・ジャズ・サンプル&ヒップ・ホップ・ビート 〜 ジャジナフ

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https://open.spotify.com/album/6vegq6LL9m04TDg4QyS06Q?si=IltFh_jCSO63Z3tRMmK9uA

 

タイトルでぜんぶ言っちゃっていますけれども、何者なのかはいまだ知らないジャジナフ(Jazzinuf)、個人?ユニット?プロジェクト?わかりませんが、2016年リリースとなっているアルバム『コーヒー・アンド・シガレッツ』のことを好きになっちゃいました。もうすっかり愛聴中。Spotify でジャジナフをさがすとほかにもたくさんあって、聴いてみたらどれも同趣向。ハード・バップ・ジャズとヒップ・ホップ・ビートを合体させているんですね。

 

21世紀の新世代ジャズでヒップ・ホップ・ビートを使っているものはたくさんあって、もはやあたりまえになっていますが、ジャジナフならではの着眼点は古いハード・バップを持ってこようと思ったところにあります。たぶんそのトラックはぜんぶサンプリングなんでしょう。聴いたことある(ような)ものがそのまま流れてきますからね。1950〜60年代のジャズ・レコードで聴ける演奏をそっくり使っているんだと思います。

 

それにヒップ・ホップ・ビートを混ぜているっていう、このビートはたぶんジャジナフが(コンピューターで)つくっているんでしょうね。それで古いものと新しいものを折衷させているんだと思います。ジャズ演奏そのものはぜんぶサンプリングでまかなうというのはおもしろい発想ですよね。でも聴き慣れた音楽が新しい容貌で出現するので、なかなかの快感ですよ。ひとによっては「名演を冒涜するな!」とか言いそうですけど。

 

サンプリングしてある演奏トラックのサウンドは、ミキシングの際にわざとちょっぴりロー・ファイにし、しかも遠景においているような、そんな感じで小さめの音量で聴こえるように混ぜているのもいいアイデア、いい雰囲気で、ジャジナフの音楽が気持ちよく聴こえる大きな要因ですね。古いジャズ演奏をサンプリングし、ヒップ・ホップ・ビートをつくって付与し、ヴォイスとかほかにもあらたに録音してくっつけてあるかもしれませんが、くわしいことはわかりません。

 

とにかく雰囲気一発の音楽で、真剣に向き合って聴き込むというよりは、なにかの、カフェでとか、バックグラウンド・ミュージックとしてこそうまく気持ちよく聴こえるジャジナフの『コーヒー・アンド・シガレッツ』。軽〜い音楽ですけど、ときどきこういうものもいいんじゃないでしょうか。こういった軽薄な新旧折衷に抵抗のない向きにはちょっとしたオススメかもしれません。

 

(written 2020.1.6)

 

※(1.15 追記)こういう音楽をここ二、三年ほどでローファイ・ヒップ・ホップ、チルホップと呼ぶようになっているようです。今日知りました。

 

※※(1.16 追記)ジャジナフはソウル在住の韓国人のようです。個人のプロジェクト名なのかもしれません。

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