2022/01/17

先月に引き続き富井トリオの新曲が出ました 〜「ヴェロニカ」

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(2 min read)

 

富井トリオ / ヴェロニカ
https://www.youtube.com/watch?v=wXpwCZiORMw

 

とみー(1031jp)さんの富井トリオ、12月リリースだった「恋の果て」に続き、1月6日にさっそく新曲が出ました。「ヴェロニカ」(2022)。アートワークの数字が連番になっているし、シリーズ化するということなんですかね。それだったら歓迎です。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2021/12/post-70685c.html

 

軽快なさわやか系ロックだった前曲にくらべ、今回の「ヴェロニカ」はタメの効いた深く粘っこいノリを持つミディアム・グルーヴ・チューン。奇妙なループ感もある、ややヒップ・ホップ寄りの一曲に仕立ててありますね。

 

ロー・ファイ・ヒップ・ホップっぽいフィーリングすらある「ヴェロニカ」。細部までかなりていねいにつくり込まれているんだということが、聴いているとわかるのも好印象。今回もソングライター&ギター&ヴォーカルはとみーさんで、ベース、ドラムスとも前曲と同一メンバー(なかなか豪華なメンツ)。

 

曲づくりの段階で、新曲はこういったビート感の曲にしようというのが念頭にあったはずですが、いざ演奏となって、この手のデジタルなコンピューター・ビート的なものを人力で表現できる原”GEN”秀樹さんの腕前にも感心します。とみーさんのヴォーカルも今回はややクールさが目立っている感じ(やはりラップもあり)。

 

日本の一般のインディ系ロック/ポップスのなかにも、こうしたヒップ・ホップ通過後みたいな新感覚グルーヴを表現する演奏ミュージシャンがどんどん出てきているんだとよく納得できる富井トリオの新曲「ヴェロニカ」、これもたいへん心地いいですね。

 

(written 2022.1.15)

2022/01/16

大貫妙子の「新しいシャツ」は原田知世という表現者を得た

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新しいシャツ
https://open.spotify.com/playlist/0McQKHXxufqAAUk2nxGLHt?si=900298d5348b474b

 

『恋愛小説3 〜 You & Me』(2020)収録の原田知世カヴァーで知った「新しいシャツ」。とてもいい、沁みてくる曲ですよ。1980年に大貫妙子が書いたもので、妙子自身なんども歌っているみたいです。

 

といってもぼくはただの知世ファンなだけで、大貫妙子についてはいままで名前だけ知っていたものの活動にあまり関心を寄せず、その曲や歌をあまり聴いてきませんでした。きらいとかどうとかではなく、なんとなく時間が経っただけ。

 

ところが知世『恋愛小説3』5曲目の「新しいシャツ」に、最初はそうでもなかったのが、近ごろなんだかとってもしんみり感じ入るようになってきたんです。だれだか知らないけど(CD買ってないから)伴奏ピアニストもみごと。ピアノ独奏だけで知世が歌っています。

 

そしてなんといっても曲がいいです。二人の別れの風景を描いたものなんですけど、淡々とおだやかでいる主人公の心情をつづるメロディがこりゃまた絶妙に美しくて、涙が出そう。「(あなたの心が)いまはとてもよくわかる」部分、特に「とてもよく」とクロマティックに動く旋律にふるえてしまうんです。

 

ソングライターとしての妙子の才に感心するゆえんですが、このことにいままで長年、そう50年近い音楽リスナー歴でまったく、気づいていませんでした。知世ヴァージョンがあまりにすばらしく響くので、Spotifyアプリでクレジットを見て、それではじめて妙子の曲だと知ったくらいですから。

 

さがしてみたら妙子自身が歌う「新しいシャツ」は三つあるようです。1980年の『ROMANTIQUE』収録のものがオリジナル。当時現役バンドだったYMOの三人とその人脈がサポートしたアルバムで、この「新しいシャツ」は個人的にイマイチ。

 

その後二種類あるのはいずれもアクースティック・ヴァージョン。妙子は1987年からずっとアクースティック・ライヴを続けているようで、近年の活動の軸になっているみたい。ピアノとストリング・カルテットだけで自身の書いた曲を静かに歌うというシリーズ。

 

妙子アクースティック・ヴァージョンの「新しいシャツ」二つは、スタジオ録音の『pure acoustic』(一般発売は1996)のものとライヴ収録による『Pure Acoustic 2018』(2018)のもの。いずれも上述のとおりの伴奏で歌ったものです。

 

それが実にいいんですね。シンプルで静かな伴奏が、別れのときにおだやかにたたずんでいるという心象をうまく描写できています。ピアノ一台だけの伴奏という知世ヴァージョンをプロデュースした伊藤ゴローも、それらを参照したに違いありません。

 

個人的な好みで言えば、妙子の声のトーンと細かなフレイジングに装飾のない96年『pure acoustic』ヴァージョンは、よりすばらしいと感じます。フレーズ末尾で変化や抑揚をつけずストレートに歌うのがこの歌の内容にはとても似合っているような気がしますから。

 

実はまさにこの意味においてこそ、原田知世ヴァージョンこそ至高のもの。声質そのものが素直でナイーヴで、ふだんからどうという工夫や装飾もせず淡々と歌う知世のスタイルは、「新しいシャツ」という曲にフィットしているし、静かに弾かれる一台のピアノだけという伴奏も絶好の背景です。

 

大貫妙子の「新しいシャツ」は2020年になって原田知世という最高の表現者を得たのだろうと思います。と言えるほど知世『恋愛小説3 〜 You & Me』収録ヴァージョンはあまりにもすばらしく、切なく、美しい。

 

(written 2022.1.12)

2022/01/15

筋骨隆々の肉体美 〜 ダンプスタファンク

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Dumpstaphunk / Where Do We Go From Here
https://open.spotify.com/album/6aVAwiFG24G3VJNedr5ues?si=dFvWGT-UTJeiTtraxt2ZSg

 

ニュー・オーリンズのファンク・バンド、ダンプスタファンクの最新作『Where Do We Go From Here』(2021)。Astralさんもbunboniさんも書いていたので、いつもお先にどうぞなぼくがいまさらなにも言うことはないなと思ったんですけど、


(Astralさん)https://astral-clave.blog.ss-blog.jp/2021-04-23
(bunboniさん)https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-05-02

 

とはいえ超カァ〜ッコイイので、簡素でいいからちょっとだけ自分の記録として残しておかなくちゃ気が済まないっていう、そういう性分なもんで。これ、たぶん、わかっていただけるんじゃないかと。

 

それで、こういうのはプロレス的世界、肉弾あいまみえるばきばきマッチョでファロゴセントリックな音楽ですから(リング入場曲に似合いそう)、近ごろはおだやかで静かでやさしいサウンドを好む気分のときが多いぼくなんかは、やや遠慮したくなったりすることも。

 

がしかし聴いたら聴いたでカッコよく感じて気分いい、アガるというのもたしかなこと。たまにはボディビルダーを眺めるのもいいです。ファンク・ミュージックってそういうもので、パートナーの女性を抑圧していた(バンド・メンバーにもパワハラひどかったらしい)ジェイムズ・ブラウンだって、ときおり聴いてみたら快感でしょう。

 

ダンプスタファンクのこの新作、ぼく好みのファンク・ビートというとたとえば2曲目「メイク・イット・アフター・オール」のこの感じとか、いいですよねえ。これですよ、これが肉体派ファンク・ミュージックの真骨頂。皮膚に血管浮き出しそうなほどの高揚感。

 

7曲目「イン・タイム」も最高。いうまでもなくスライ&ファミリー・ストーンのあれのカヴァーですが、スライのすかしたクールなぺなぺなサウンドが、ここでは人力剛腕で濃厚なヘヴィ・ファンクに生まれ変わっているという料理ぶり。正攻法をつらぬくダンプスタファンクの本領発揮でしょう。

 

このアルバムにはインストルメンタル・ナンバーが数曲あるのもぼくの好みに合致しています。3「バックウォッシュ」、6「イッチー・ブー」、9「ダンプスタメンタル」。どれも聴きごたえ充分で、重量感がありながらシンコペイトの聴いた跳ねるビートがダンサブル。ニュー・オーリンズ的でもありPファンクのようでもあり。

 

(written 2021.12.10)

2022/01/14

昭和オヤジ系インスト・ロック 〜 ロス・マンボ・ジャンボ

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Los Mambo Jambo / Exotic Rendezvous
https://open.spotify.com/album/6PrrbUKDVWnf40OmiXH4wp?si=yO2mmOqKTLK3DIhN6q9jcg

 

いかにもなゲテモノ感満載のこのいかがわしいジャケットはどうですか。アルバム題だってどうにも...だけど、そのイメージそのまんまの音楽が聴こえてくるロス・マンボ・ジャンボの新作『エキゾティック・ランデヴー』(2021)。スペインはバルセロナのバンドみたいで、名前はたぶんこれペレス・プラードの有名曲から取ったんでしょうね。

 

でもマンボなどラテンな感触はほとんどなく、リズム&ブルーズとか、ロカビリーとか、ジャイヴものとか、そういうごきげんなヴィンテージ・グルーヴをマニアックに演奏して聴かせる下世話インストルメンタル・バンドなんです。

 

サックス、ギター、コントラバス、ドラムスの四人が基本編成で、アルバムによってはゲストがいたりビッグ・バンドでやったものもあるみたいですが、全編モノラル・ミックスのこの新作ではシンプルに四人だけで演奏しています。

 

B級インスト・ロック三昧というか、日本でもグループ・サウンズ全盛の1960年代あたりによく聴いたあの感じ、刑事ものとかスパイものやミステリなどのTVドラマや映画で頻繁に流れていたあんなBGMの雰囲気そのまんまなんですよね。59歳のぼくの世代なんかだと、記憶もさだかでない幼少時のぼんやりしたノスタルジーをかきたてられるサウンドです。

 

だからもちろん2021年の新作だからといって現代性なんかはぜんぜんなし。ポップス界における近年のいわゆるリバイバル・ブームとはなんの関係もなさそうで、ただなんとなくこういった世界が好きな連中が時代感無視で勝手にやっているお楽しみ音楽といったところでしょうね。

 

1960年代にまだ生まれていなかった若い世代のリスナーは、こういった音楽をどうとらえるんでしょうか。でも完璧「昭和」としか言いようのないこの世界に(デジタルではない)そこはかとない魅力を感じ接近していく若年層がけっこういるというニュースをよく見ますからねえ、郷愁ではなく新鮮な気持ちで素直に聴けるかもしれないですね。

 

演奏している当のロス・マンボ・ジャンボの四人だって、ひょっとしたらオヤジ世代そのものじゃなく、オッサン趣味の若年新世代で構成されているのかもしれませんし。

 

(written 2021.12.14)

2022/01/13

シュートできるように導いたチームがすごいのさ 〜 スティーヴ・クロッパー

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Steve Cropper / Fire It Up
https://open.spotify.com/album/6LC0JgaYxblH0m74rvvULm?si=r9OIZsf-ReeV_bs-uohacw

 

ご存知スティーヴ・クロッパー。四月ごろだったかな、今年(といってもこの記事が上がるのは2022年になるはず)の新作『ファイア・イット・アップ』(2021)がリリースされたとき、ちょっと話題になっていました。年齢と、10年ぶりの新作アルバムということと、それでも内容がしっかりしていたのとで、感心したひとが多かったはず。

 

クロッパーのギター・スタイルといえば、いまさら説明の必要などありません縁の下の力持ちというか組み立て役っていうか、決して派手なソロを弾きまくったりしませんが、いやソロも弾くけどリフやオブリの延長線上みたいなもので、たいていは曲の土台にあって地味だけど欠かせない基礎工事を黙々とこなすという、そういうギターリスト。

 

このことは往年のスタックス時代から現在にいたるまでまったく変わっておらず、新作『ファイア・イット・アップ』でも存分に堪能できます。いや、堪能というのもおかしいような、フロントで歌うわけじゃなし(今回ヴォーカルはロジャー・C・リアリ)、バック・バンドのサウンドにフォーカスしてもあまりよくわからない程度(は言いすぎ)。

 

だけど存在感がたしかにあるという、そんな脇役ギターリストとして生涯を送ってきましたよね。それはクロッパーが参加しているいままでのソウル系音源を聴くだけでわかっていたことですが、今回の新作について自身が語ったことばがあります。いわく:

 

「バスケット・ボールのチームが勝つとき、3ポイント・シュートを入れた選手がすごいわけじゃない、彼がシュートできるように導いたチームがすごいのさ」

 

どうですか。まさしくクロッパーの音楽哲学をみずから言いあてたセリフじゃないですか。

 

スポーツのチーム競技(音楽も多くはそう)には、勝利に導くためにお膳立てをする組み立て役の選手が必ずいます。野球でいえばバンバン三振を奪取する豪速球ピッチャーや大きなホームランを打ちまくる強打者「じゃない」、脇役の選手。

 

ピッチャーが実力を発揮できるよう配球を考え組み立ててサインを出すキャッチャー、配球や打者の傾向に応じて一球ごと絶妙に守備位置を移動する内外野手、得点につながるような進塁打をコツコツこなすつなぎ役。

 

サッカーでいえば、華麗にシュートを決めてみせるアタッカーにはもちろん見惚れますが、そこにいたるまでの中盤の組み立て役がいないとフィニッシュへ持っていけないわけで。

 

サッカー日本代表元監督だったボスニア人のイビチャ・オシムも「井戸を掘る役目」「水を運ぶ役目」が必要で重要だと、ことあるごとにくりかえしていましたね。

 

音楽でスティーヴ・クロッパーがこなしてきた役目、美学というのはまさにそういうことで、上記引用のとおり自身がバスケになぞらえて明言してくれたことで、あぁ、はっきり意識しているんだな、それも明確なプライドをそこに持ち続けているんだということもわかり、なんともうれしい気分です。

 

バッキング・ギターリストとしての美学に貫かれたクロッパーのギター・プレイを存分に楽しめる新作『ファイア・イット・アップ』、あくまでもチームとして、バンドとして力を合わせた一作に仕上げようという思いが強く感じられて、それでこそすばらしいんですよね。

 

こういう音楽家に惹かれます。

 

(written 2021.12.9)

2022/01/12

銀のデリカシーでつづるほのかな官能 〜 由紀さおり『VOICE II』

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由紀さおり / VOICE II
https://open.spotify.com/album/5u96HgpkYtVbLgIKd4aPaX?si=Hv1Qq9KWRWSXypH3WreQ4g

 

由紀さおり2015年のアルバム『VOICE II』が傑作で、もうすっかり骨抜き状態。

 

こないだ発見したきっかけは、惚れ込んでいる天才アレンジャー坂本昌之の仕事を調べていて。坂本の仕事、できればぜんぶ聴きたいんですが、そうしたら由紀さおりの『VOICE II』もそうだと知り、聴いてみて、とろけちゃいました。

 

(主に)1960年代にヒットした哀切系ロマンス歌謡を11曲とりあげ、それに坂本らしいふわっとやわらかなアレンジをほどこして、さおりがおなじみのおだやかストレートなヴォーカルを聴かせているという具合。こんなもん、惚れない理由がないです。

 

つまり、歌手がいい、選曲がいい、アレンジがいいの三位一体がこのアルバム。

 

1月2日の出会い以来、もうこれしか聴いていないと思うほどですが、以下にトラックリストと初演歌手、そのレコード発売年を記しておきます。

 

1. さよならはダンスの後に(倍賞千恵子、1965)
2. ウナ・セラ・ディ東京(ザ・ピーナッツ、1964)
3. 夜霧よ今夜も有難う(石原裕次郎、1967)
4. 黄金のビギン(水原弘、1959)
5. ラストダンスは私に(越路吹雪、1961)
6. 雨の夜あなたは帰る(島和彦、1966)
7. 赤坂の夜は更けて(西田佐知子、1965)
8. 暗い港のブルース(ザ・キング・トーンズ、1971)
9. 雨に濡れた慕情(ちあきなおみ、1969)
10. 知りたくないの(菅原洋一、1965)
11. 逢いたくて逢いたくて(園まり、1966)

 

とても細かな部分にまで神経の行きとどいた坂本アレンジはデリカシーのきわみ。決して派手さのない渋い銀のような味なんですが、一度はまると抜けられない魔法のアレンジ・チャームを持つ人物ですね。ここにはこの音しかないという最小の必然をそっとすかさずはめこんでいく手法には感嘆しかありません。

 

『VOICE II』ではラテン・ビート香料が随所にまぶされているというのも特質。それも、そうとわからないほど薄くかすかな隠し味的に使われているのが、さおりのヴォーカルをきわだたせることになっていて、文句のつけようがなし。

 

たとえば「ウナ・セラ・ディ東京」「雨の夜あなたは帰る」はボレーロ/フィーリン、「ラストダンスは私に」(with 坂本冬美)はチャチャチャ、「雨に濡れた慕情」はルンバ・フラメンカですが、それらのラテン・ビートが曲の持つ哀感をいっそう切なく、しかし控えめに静かに、香らせています。

 

歌手はこのアルバムの2015年時点で69歳でしたが、声のツヤやセクシーさが失われていないばかりか、適度におだやかな枯淡の境地にさしかかっていて、ほのかな官能ただよう大人の哀切恋情を歌うのにこれ以上のヴォーカリストはいません。

 

決してエモーションを強調したり声を張ったりせず、どこまでも軽くソフトに淡々と、細やかに微妙な表情の変化や陰影をつけながら、ことばをふわりとおいていくさまには、ため息しか出ませんね。

 

「知りたくないの」に参加している平原綾香がややリキんでいて、特に後半部、英語で歌う部分で強めのヴォーカルを聴かせていることだけがただ一点の玉に瑕で、これさえなかったらと悔やまれます。

 

しかしそんな欠点も気にならず、全体的にはパーフェクトなアルバムといえ、坂本昌之アレンジ+由紀さおりヴォーカルによる銀のデリカシーを心ゆくまでじっくり味わえる極上の音楽です。

 

(written 2022.1.11)

2022/01/11

サッチモが生きていたらこうやった 〜 ワンダフル・ワールド・オヴ・ルイ・アームストロング・オール・スターズ

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(5 min read)

 

The Wonderful World of Louis Armstrong All Stars / A Gift To Pops
https://open.spotify.com/album/4v9NoIe0lZvPjOwHzjBGFn?si=2tvGf4tsR1GEmLxCxE6JBg

 

ザ・ワンダフル・ワールド・オヴ・ルイ・アームストロング・オール・スターズ(長いぞ)というバンド、というよりプロジェクトみたいなもんかな、その名義でリリースされた『ア・ギフト・トゥ・パップス』(2021)は、現代のミュージシャンたちによるサッチモ・トリビュート。

 

昨2021年がサッチモ生誕120周年にして没後50周年にあたるというんで企画されたんでしょう。共同プロデューサーもつとめているニコラス・ペイトンを中心に、ダヴェル・クロフォード、レジー・ヴィール、ハーリン・ライリーら、サッチモの故郷ニュー・オーリンズ出身の現役ミュージシャンたちで構成されているプロジェクトです。

 

1920年代から60年代までサッチモが演奏した曲の数々を再構築しながら、その偉大さを現代的な翻案で示そうとしているのが、聴くとわかりますね。この「現代的な翻案で」というのがある意味このトリビュート・アルバムとサッチモ・ミュージックの真価であるように思えます。

 

最注目は10曲目「ブラック・アンド・ブルー」。ファッツ・ウォーラーが書きサッチモが1929年に初演した(ファッツ・ヴァージョンはなし)元祖BLMソングですが、完全にヒップ・ホップ調に生まれ変わっています。2020年代グルーヴに乗せ、ゲスト参加のコモンがラップをかぶせています。

 

「ブラック・アンド・ブルー」、初演が同時期だったデューク・エリントンの「ブラック・アンド・タン・ファンタシー」とならび、あの時代のブラック・ミュージシャンとしては精一杯の黒人差別告発だったわけですが、どういう調子の曲だったのかオリジナルを知っていると、こんなポジティヴで力強いBLMソングに変貌しているのは感慨ひとしお。これぞ2020年代的ブラック・ソングで、コモンのラップもそれにあわせたものになっています。

 

ほかにも7曲目「セント・ルイス・ブルーズ」でもコンテンポラリーなビート・アレンジが聴きとれますし、ウィントン・マルサリスが参加している2「南京豆売り」なんかにもぼくはちょっぴり現代性を感じますよ。ラテン・ビートがヒップ・ホップ以後的な新時代感覚の源泉にあるのでは?

 

9曲目「スウィング・ザット・ミュージック」の細かなビート感もややコンテンポラリーな感触があり。

 

ラテンなビート感覚と、ブルーズが土台になっているファンク・ビートの二種が、1990年代以後的なヒップ・ホップ、現代R&Bのルーツになっているんじゃないかということは、ずっと前からぼくは感じていました。今回のこのサッチモ・トリビュートで、いっそうその思いを強くしましたね。

 

讃美歌である11「ジャスト・ア・クローザー・ウォーク・ウィズ・ジー」は、まずテンポ・ルバートの荘厳なゴスペル・チューンとしてはじまって、その後ビートが入ってストリート・スタイルのセカンド・ラインに移行しますし、続くサッチモ生涯最大のヒット曲12「ワット・ア・ワンダフル・ワールド」は、ニキ・ハリスのヴォーカルをフィーチャーしたこれもゴスペル調の現代R&B。

 

これら以外はまずまずトラディショナルなジャズ演奏だなと思うんですが、メンバーの演奏や歌のすみずみにサッチモ愛が行き渡っているのが、聴いているとほんとうによくわかります。全曲コントラバスだったり、ニュー・オーリンズっぽくバンジョーがリズムを刻むものが数曲あったりも、伝統と現代性のちょうどよい橋渡し。

 

ヒップ・ホップ/現代R&B以後的に生まれ変わったものもふくめ、2021年にサッチモが生きていたらこうやっただろうというスタイルで貫かれていて、アルバム全体では適度なコンテンポラリーネスにスタンダードなサッチモの音楽を新録音で聴けるという楽しさも加味されていて、サッチモ・ファンにも新世代ジャズのリスナーにもオススメの中庸。

 

(written 2022.1.10)

2022/01/10

ゴスペル仕込みの迫力とリアリティ 〜 ドリー・ライルズ

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(2 min read)

 

Dorrey Lyles / My Realized Dream
https://open.spotify.com/album/4MBERL7Yw4DZV87TCrV9fc?si=Cqs9euJ_S_mDysqdNR96RQ

 

Astralさんのブログで知りました。
https://astral-clave.blog.ss-blog.jp/2021-04-29

 

ドリー・ライルズはそれなりにキャリアのあるソウル歌手みたいですが、なんでもこの『マイ・リアライズド・ドリーム』(2020)がデビュー・アルバムだそう。聴いてみたらたしかにキャリアを重ねてきたのは間違いないと思える重厚さや安心感がありますね。

 

ドリーは決して現代R&Bとかのひとではなく、どこまでもヴィンテージなソウル・ミュージックの歌手だと、このアルバムを聴いているとわかりますが、そんな歌手たちの御多分に洩れずやはりゴスペル界出身だそう。

 

ハーレム・ゴスペル・シンガーズのメンバーとして歌のスキルを磨いてきた叩き上げの実力派ということで、アルバムでもその持ち味を存分に発揮する圧巻の声量と歌いっぷりでリスナーを組み伏せるといったスタイルですね。

 

クール・ミリオンのロブ・ハードがバックアップしていて、多くの曲をプロデュースしています。たしかにそんなスムースなモダン・ソウル・テイスト満載で、リズムなんかは打ち込みだと思うんですが、全体的にラグジュアリーなムードでとてもいいですね。

 

個人的にことさら印象に残ったのはラスト三曲の流れ。8「キャラヴァン・オヴ・ラヴ」は堂々たるクラシック・ソウルの趣きで、ヴォーカルの説得力で聴かせる内容ですが、続く9「チャイルド・オヴ・ソウル」はアクースティック・ギターの刻みがほのかにラテン・テイストも香らせる、クラブ系っぽい一曲。アルバム中これだけはややコンテンポラリー寄りなビート感とサウンド。

 

ラスト10「リーン・オン・ミー」はもちろんビル・ウィザーズのカヴァーで、これがこのアルバム最大の聴きものですね。グッと重心を落としたゴスペル・バラードに仕立ててあって、ドリーのヴォーカルもキャリアを存分に活かした面目躍如。ピアノをメインに据えたシンプルでアクースティックなサウンドに乗せ、この歌詞をこういう声でこう歌われると、強いリアリティを感じざるをえません。

 

(written 2021.12.7)

2022/01/09

涼やかでしなやかな生命力 〜 ミゲル・ヒロシ

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(3 min read)

 

Miguel Hiroshi / Oníriko Orinoko
https://open.spotify.com/album/0pmH9JjudkTLzXPnMXfSeu?si=R3mvpWZlQl-IUZJQpxXrng&dl_branch=1

 

スペイン人パーカッショニスト、ミゲル・ヒロシのファースト・アルバム『Oníriko Orinoko』(2019)はほんとうに美しい音楽。ミゲルは鎌倉生まれだそう。ヒロシっていう名前と関係あるんでしょうか。でも生後すぐスペインに戻ったらしいです。

 

ミゲルは2000年生まれの新しい打楽器であるハング・ドラム(ハンド・パン)というものを演奏するひとで、それは素手で叩くスティール・ドラムみたいなもの。頻繁に聴こえる親指ピアノもミゲルの演奏でしょうし、打楽器全般担当していると思います。

 

アルバムはクールでミニマルな音像で、さわやかさ、端正さがただよっていて、まるでECMの音楽を聴いているような感触です。ジャジーではあるけれど、ジャズ・ミュージックとまで断言できないものかも。世界中のパーカッション・ミュージックを俯瞰したような内容です。

 

個人的にミゲルの演奏するハング・ドラムその他打楽器群にさほどは耳がいかなくて、もっとサウンド全体の組み立てみたいな部分に注目したくなります。コンポジションやアレンジ面での工夫も目立っていますしね。

 

そして、プリミティヴな楽器の響きと現代的な演奏やアレンジが融合されているというのも特徴で、聴いた感じジャジーな洗練からは遠い音楽かもなと感じます。アフリカ音楽のクールネスに近いものがあるような。

 

もちろんシャイ・マエストロがピアノを弾く数曲など、現代ジャズともクロスする部分はあって、そういったあたりでは2010年代以後的なジャズの感性を強く打ち出しているなという印象ですね。ジェンベやベルほか数種の打楽器に、水を手で漕ぐ音、シンセサイザーまでを多重録音した曲もあったり、J. S. バッハの曲を親指ピアノで独奏したり。

 

シンセサイザーやハング・ドラムが混然一体となり強力なビートへと転化するラストまで、心地よく聴き手を一気に導いてくれるアルバムの構成もみごとで、フラメンコやジャズはもちろん、アフリカ音楽やインド音楽の世界観までをも吸収した、アクースティックでアンビエント、ときにスピリチュアルな佳作でしょう。

 

(written 2021.8.29)

2022/01/08

音楽のコロケーション

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英語教師ならみんな知っているコロケーション。「連語」という和訳なんかじゃピンときませんが、これがきたら次はこうくるっていう語と語の自然なつながり、流れのことです。

 

「辞書」だったら「を引く」「で調べる」なんかがよく共起するなと思うんですけど、この手のこと。

 

これを身につけていると、しゃべったり書いたりするときに自然で流暢な感じになります。母語ならだれでもいつのまにかわかっているコロケーション、後天的に外国語を学ぶ際は意識したほうがはるかに早くはるかに容易に習得できるので、コロケーションを集めた辞書などもたくさんあるし、いまではネットでも調べられます。

 

このコロケーションみたいなことが、音楽の世界にもあるよねと思うんです。こうきたら次はこうなるもんだという音と音との自然発生的でスムースなつながり、流れというものは、ミュージシャンやコンポーザーだったならみんな習得していますし、ぼくら素人リスナーだって長年聴いてくれば感じることができます。

 

音楽のコロケーションは、シングル・ノートでの旋律の組み立て、つまりフレイジングにだけでなく、もちろん和音の流れ、つまりコード進行やスケールの並び、さらにリズムの組み立てにもあります。こうやれば自然でスムースで流暢に聴こえるというパターンが。

 

音楽家やファンならみんな身につけているこういった音楽のコロケーション、母語と同じくたくさん接するうちになんとなくこうやればいいんだなとわかるようになるし、近年は音楽学校とかで教えるようにもなっているんじゃないでしょうか。

 

いうまでもなく、文章でも「こうくれば次はこうなる」というコロケーション頼りでしか発語しないと、いつも同じ常套パターンばかりじゃねえかつまらんぞということになってしまうように、音楽でもそうです。ハミ出しフレイジング、意外な和声展開など、新鮮に響く工夫をしますよね。

 

ジャズ史なんかはこのコロケーションからの脱出を試みる歴史だったとみることもできます。スウィング・ジャズ黄金時代の1930年代後半にジャズ語法は一度すっかり熟成し切ったと思うんですが、そのまま直後にビ・バップ革命が起きることとなりました。

 

ビ・バップのアド・リブ手法は、それまでの従来的なコード使いからの脱出を試みるものでしたからね。その底には熟成=退屈という認識があって、新感覚の斬新な表現をしたいという新世代ミュージシャンたちの取り組みの結果、ビ・バップのニュー・イディオムが誕生したわけです。

 

もちろんどんな新鮮な手法でも、完成すればやがて熟成し腐りはじめて飽きられ見捨てられるように、ビ・バップ → ハード・バップも約十数年間の成熟過程を経てマンネリへと至りました。1940年代にはあんなに進歩的と聴こえたものなのに。コロケーションとは常套パターンのことだから、あたりまえではあります。

 

次第に西洋近代音楽的な機能和声システムそのものが行き詰まっていると認識されるようになり、コーダルな手法よりもモーダル、すなわちスケールにもとづいて作曲したりソロをとったり、あるいはもういっそのこと和声そのものを捨てアトーナルなアド・リブ手法をとりはじめる演奏家まで出現するようになったのは、みなさんご存知のとおり。

 

とはいえ、ジャズにおける和声面での工夫や逸脱がどんなに進んでも、この音が来たら次はこれをおくのが自然ななりゆきだ、という組み立てというか流れ、すなわちフレイジングにおけるコロケーションというものは(フリー・インプロなどでも)依然として不変だったようにも思えますけれどもね。

 

そういえば、約一年ほど前に出会ってはまったパトリシア・ブレナンの『Maquishti』が極上の美しさ、すばらしさだと思えたのは、おそらくフレイジングでそういったコロケーションになるたけ拠らないようにしようという即興の試みだったからかもしれません。

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ジャズが参考にした西洋クラシック音楽の世界では、モーダルなアプローチやアトーナルな組み立てなど和声面での工夫は20世紀はじめごろからずっとあって、ジャズで取り組みがはじまったのが50年代末ごろだったのはやや遅かったのかもしれません。民俗音楽の世界でもモーダル・ミュージックは古くからある、というかそっちのほうがむしろ主流です。

 

たとえばブルーズ。はじめての曲でもキーとテンポさえあわせればパッとその場でだれでも演奏に参加できますが、ブルーズは決まりきったコロケーションだけでできあがっている音楽といえるかもしれません。

 

日本の民謡や演歌の世界も同様。決まりきったコロケーションだけで組み立てられているジャンルだといえて、だからはじめて聴く未知曲でもそのままその場でパッとギターとかで伴奏できちゃうなと思えるのは、メロディやコード進行のパターンが固定的だからです。

 

ほんとねえ、演歌なんか、メロディとコード進行のコロケーション・パターンが十個程度しかないんじゃないか、その程度の決まったものだけでできあがっているぞと感じることすらあって、これじゃあ「ぜんぶ同じ」だよと言いたくなる瞬間もあったり。むろん古典的な常套パターンにはまる快楽というものだってありますが。

 

こういった音楽のコロケーションは、近接しながらもジャンルごとに違ったシステムがあって、ジャズのそれ、ブルーズのそれ、カントリーのそれ、演歌のそれ、マンボのそれ、シャバービーのそれ、ルークトゥンのそれ、マンデ・ポップのそれ、などなど何種類もその枠内で通用するコロケーションができあがっています。

 

和声体系とそれにもとづくメロディ展開のパターンは、特にジャンルごとにコロケーションの固有性・独自性をアイデンティファイしやすいものですが、ラテン・アメリカ音楽だけは(世界中に普及している)リズム・パターンこそがアイデンティティでしょう。

 

これがあるがため、ぼくのような素人一般リスナーでも「あっ、これは〜〜というジャンルの音楽(要素)だ」と、はじめて聴く曲であれ認識・分別できるわけです。だから逆に言えば、ジャンル固有のコロケーションから逸脱している、多種をミックスしてあるものにオッ!と感じ、新鮮な感動をおぼえたりするんです。

 

(written 2021.12.29)

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