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写真は自作です。
Instagramなどソーシャル・メディアへの投稿では前々から同じことをくりかえしていますが、料理するかしないかということと性別とはなんの関係もありません。
家庭では女性がやることが多く、お店のプロには男性が多いのも、家庭と職場それぞれにおける女性抑圧、女性差別というだけの話。女性でも男性でも同じ料理を同じようにつくれますし、そこに性差による能力の違い、適性なんてものはありません。
なのに、一般家庭人である男性のぼくがどんどん料理をつくってネットに上げていると(上手かどうかはともかく、とにかく好き)、めずらしいねと言われたり、妙な褒めかたをされたり、「料理男子」とレッテルを貼られたりするのは、不本意ですよ。
もちろん、おいしそうだと言われたり料理写真を褒められるのはうれしいことですけれど、「男性なのに」という前提つきなのが見え隠れすると、それはちょっとどうか?と思うわけです。
女性/男性に関係なく、家事の得手・不得手は個体差であって性差ではないというのがおおむかしからの持論なんですが、59歳の愛媛県人であるぼくの世代と地域からして、この考えはなかなか受け入れられないことが多かったです。間違いないなという信念を持って生きてきましたが、料理したりは女性の役割だっていうひとのほうが周囲では多数で、抵抗されてきました。
料理が決して女性の役割なんかじゃないことは、お店のプロ料理人に男性が圧倒的に多いことでもわかります。もちろんこれはキャリアの世界で女性が生きていきにくいっていうだけの女性差別でしかありませんが、男性も、しかもプロになれるだけの腕前を身につけることができるんですから、料理と性別は関係ないっていう歴然とした証拠です。
であれば、その気になれば一般家庭でも男性も女性も同じだけ料理をこなすことができるはず。それがいまだになかなか実現しないのは、一般家庭における家事は女性の役割であるという(そんでもって男性は外に働きに出るものだという)、古くからの固定観念にいまだ大勢がしばられているだけのことなんですよね。
思えば、ぼくは幼少時からこの手の固定観念とは無縁で来た、というかしばられることなく成長できたというのはまずまずラッキーでした。小学校に上がる前、幼稚園児のころの最親友が近所の同級の女子で、遊びといえばその女子と近くの砂場でままごとばかり。
プラスティック製のおもちゃの食器なんかを持ち込んで、砂をごはんに見立て、それをよそったりよそわれたりで遊ぶっていうのがぼくの幼稚園児のころの大きな楽しみだったんですからねえ。それが小学校に入っても低学年のころは続きました。空き地で走りまわったり草野球したり、自動車や鉄道の模型で遊んだり、ということのない男子でした。
ままごと遊びから発展して、自宅で母親がやるごはんづくりにも興味を持つようになるのは自然な流れだったように思います。自宅に隣接している青果食料品店で忙しそうに仕事に追われ家事に手がまわらない母を助けて、料理の準備をしたり洗いものをしたりするようになったのが中学生のころです。
そうそう、関係ない話ですが思い出しましたので。幼稚園児〜小学生低学年のころにままごと遊びをよくやって仲がよかったその同級の女子ですが、あるとき父に「もうあの子と遊んじゃいかん」と言われたことがあります。当時はどうしてなのか?なぜそんなことを言われるのか?1ミリも理解できなかったんですが、どうやらその女子は被差別部落出身だったようです。
ぼくは意味がわからず、わかってからはこのことで父に激しく抵抗・抗議するようになり。だいたいにおいて合理的で知性的なものの考えかたや発言をするタイプだった父なのに、こんな理不尽な部落差別を言うのかと思うと、ほんとうにガッカリし立腹もしました。
ぼくが大学生になってからも、父は「ああいった(被差別部落出身の)女性とは結婚しないでくれよ、それだったらまだ黒人のほうがマシだ」と、ぼくに面と向かって明言したことがあります。部落差別なだけでなく黒人差別でもあるし、そのとき表立ってはなにも言いませんでしたが、結婚相手を決めるときはこんな差別主義者の父になんか相談せずにおこうと内心固く決心しました。
関係ない話でした。料理と性別。とにかく家庭において男性は家事関係をなにもやらなくていい、それは女性の仕事であるから任せておけばいい、協力する必要もないっていう、なんというか封建的・差別的な考えは、しかしいまだに根強く社会の骨の髄まで染み込んでいて、なかなか抜くことのできないものなのかもしれません。
インスタント・ラーメン一個も満足につくれない男性というのがわりといるんだっていう、これは実を言うとぼくの上の弟がそうでした。その息子(ぼくの甥)に「男子厨房に入るべからず」などと言って育てようとしていたという話を知り、ぼくとはケンカになったこともありました。ぼくなんかずっと厨房に入りびたっている人生ですからねえ。
そして、これは女性(妻、母)の側もあえて甘受してきたことでもあります。それが女性の役割、本来の生きがいなのであると思い定め、ひたすら尽くすことで一種の自己実現を達成するというような生きかたをしてきた女性も多いように見受けられますからね。
もちろんどんな生きかたをしようとそのひとの自由なんで好きにすればいいことですが、なんらかの(社会や歴史や共同体が押しつける)固定観念にしばられて奴隷状態のようになり、むしろ積極的に奴隷であろうと、そこに生きるすべを見出しているというなら、ちょっと考えなおしたほうがいいのかもしれないと思うことだってありますよ。
もちろんたんにぼくはこども時分からの料理好き、家事好き人間だったので、そういう人生を送ってきて不自由がなかったというだけの話ではあります。だって、料理って楽しいもんね。AとBを混ぜてC分間加熱するとDができあがります、っていう、まるで理科の実験じゃないですか。理科実験好きだった男性はみんな料理向きだと思っちゃうんですけれども。
あ、ぼくはずっとひとりなんで、だれかおいしいと言って食べてくれるひとがいるからそのためにがんばって料理するということではありません。どこまでもひたすら自分のため、ひとりでつくってひとりで食べて、つくっている段階から楽しいし、おいしく食べ終わって満足っていう、そういう人間です。
そんなこんなに性別はまぁ〜ったくなんの関係もないんで、だから「料理男子」って言わないで。
「美容男子」っていう偏見もありますが、またの機会に。
(written 2021.10.22)
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