カテゴリー「自分語り」の57件の記事

2022/06/18

かつてMacでもInternet Explorerが標準ブラウザだった時代があった

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人の死は悼まないのに、なにかの終焉に際しレクイエムを書くことがぼくにはありますね。きょうはマイクロソフトのウェブ・ブラウザInternet Explorer。先だって6月16日で公式サポートが終了したので、幕引きです。

 

Windows OSの純正ブラウザとしてあまりにも有名で、世を席巻しましたが、あんたMacユーザーだろ関係ないだろ、と言われると、たしかにいまはそうですが過去に実はそうでもなかった、お世話になった時代があります。

 

1997年にAppleはマイクロソフトと業務提携を結び、Mac OS 8.1(1998〜)からインターネット・エクスプローラーがMacでも標準ブラウザとなり、発売されるMacコンピューターにデフォルトでバンドルされるようになったんです。あのころ標準メーラーもOutlook Expressでした。

 

その後のMac OS X 10.2(2002〜)までずっとそうで、10.3(2003〜)からAppleは自社開発のブラウザーSafariを採用することとなり、マイクロソフトとの契約も終了したので、これでMacにおけるIEの時代は終了しました。

 

IE採用以前というと、MacはNetscape Navigatorをバンドルしていて、しかし個人的にはそのころインターネットというよりまだパソコン通信メインだったので、使用する機会はあまり多くありませんでした。そもそもダイアルアップ接続だったし。インターネット中心の生活になっていくのは常時接続となった世紀の代わり目あたり。

 

そのころAppleという会社は経営状態が最悪、ほとんどつぶれかけというに近いほどだったんで、自社でウェブ・ブラウザを開発する体力などありませんでした。マイクロソフトは95年以後Windowsが売上絶好調でしたから。

 

Appleが復活し、いまみたいな世界トップの巨大IT企業になったのは、2007年のiPhone発売以後。その数年前のiPodで兆しがありました。野球におけるアンチ・ジャイアンツ・ファンみたいに熱烈なアンチ・マイクロソフト派のぼくは、背に腹はかえられないとはいえIEみたいなのがMacの標準ブラウザなのをやっぱり我慢することができず。いちおうちょっとは使いましたけども。

 

結果、Safari登場まで、Mac用サード・パーティ製のiCabっていう小さくて軽いウェブ・ブラウザを愛用していたんです。っていうか21世紀初頭ごろはNNもOperaも持っていたし、そのほかいくつも、ちょっとしたブラウザ・コレクターみたいになっていて、これがいいぞ!というウワサをみてはダウンロードして試してみるといった具合。

 

FirefoxやChromeとかはまだなかった時代、でもそんなことしたらブックマークがたいへんだろうと思われそうですが、ブックマークを多数のブラウザ間で共有するのはそんなにむずかしくもないことですね。とはいえあくまでiCabこそが個人的メイン・ブラウザでした。いまでも続いているのかな?Safariを愛用するようになって以後ほとんどチェックしなくなったけど。

 

Macばかり使うユーザーも、IE愛用だったWindows派同様、Safari登場以後は迷う必要がなくなって、問題がすっきり解決したような感じです。iPhoneやiPadでもSafariがプリ・インストールされている公式ブラウザで、Macをふくめ三台でさまざまな動作をシェアしながら移動するのもいまや容易で、ほんとうにいい時代になったもんです。

 

(written 2022.6.17)

2022/05/31

まるでライヴ会場のように低音がしっかり響くこの部屋で

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CDプレイヤー、アンプ、スピーカーと要するにオーディオ装置一式をぜんぶ新しくしたのは2017年晩夏のこと。それ以後2022年現在まで同じものを使っていますが、あのとき総とっかえしたのには理由がありました。

 

2017年夏〜秋時期のぼくのブログをおぼえていらっしゃるかたもおいでかと思いますが、あのころ急性中耳炎で右耳が聴こえにくくなっていました。鼓膜に穴があいたのが耳鼻科医も不思議がるほどなかなか治らず精神的にしんどかったんですが、ある晩、それにしても音楽の聴こえかたがおかしいぞと感じたんです。

 

中耳炎のせいではないようにビリビリ音割れして聴き苦しく、こりゃ装置がどこかおかしいに違いないと疑って、Macにヘッドフォンを直につなげて聴けばだいじょうぶだからソースであるiTunesファイルやパソコンは正常だと(そのころはまだサブスクやっていない)。

 

じゃあアンプかスピーカーだなとなって、スピーカーはそんなこわれやすいものじゃないのでアンプかなぁとまず疑い、アンプを調べ、っていうか面倒だったし古くもなっていたので、思い切ってワン・グレード上の新品を買ったんです。

 

それで聴いてみてもやっぱり出てくる音はおかしいまま。ようやくスピーカーの故障だとわかり、長年愛用してきたJBLだったから残念だったんですけど、同じJBL(はサウンド傾向が気に入っている)で新しいものを買ったんですよね。

 

そのとき、直前に新品を買ったDENONのアンプはスピーカー出力端子が2セットあったので、左右二台づつ計四台で鳴らせるだろうとなって、スピーカーもそういう買いかたで計四台をポチりました。

 

それで音の異常はなおりました。

 

ついでだ、えいっ、とCDプレイヤー(もDENON製)も思い切ってひとつ上の新品にして、それで結局ぜんぶが新しくなったんです。あのころお金あったよなぁ。一年半後くらいからサブスク中心の音楽生活になりましたので、CDプレイヤーだけは出番が減っていくようになりましたけど。

 

痛感しているのは、1990年代あたりであれば同じだけの音を実現するのに二倍、三倍の価格とサイズがかかっていたよねえということです。オーディオ装置も科学技術製品ですからね、時代が進むとともにどんどん発展しているんです。その結果、安価な小ぶりサイズでしっかりしたサウンドを鳴らせるようになっていますよね。

 

特に低音部。JBL(やBoseなど)はもちろんそれを強調しがちなメーカーで、ふだんたくさん聴く音楽の種類からして、そんな傾向も気に入って愛用しているんですが、これは住環境にもおおいに左右されることです。

 

2021年夏に現在の居所に引っ越して以後も大洲時代のそれと同じ装置を使っているにもかかわらず、同じ音源を聴いてもボトムスがよりしっかりズンズン鳴るようになったのは間違いありませんから。部屋のつくりと設置に影響されるんでしょうね。

 

弦ベースやベース・ドラムがちょっと鳴りすぎじゃないか、集合住宅なのにご近所さんの騒音迷惑になっていないかと心配するほど。中高音域はともかく、ズンズン響く低音域は床や壁を伝っていきますから。朝9時すぎ〜夜23時前ごろまではけっこう音量上げていますし。

 

思い出しましたが、2020年7月まで住んでいた大洲市(松山の南方)のマンションでは、別件で訪れた大家さんに一度「戸嶋さんは音楽がお好きなんですね」とやんわり遠回しに(うるさいんだ、みんな迷惑しているぞと)注意されたこともありました。それで音量が下がったかというと下がらなかったんですけども。

 

とにかく音楽が鳴っていないと不安になって落ち着きを失い、最終的には身体の不調をきたすという中毒者ですから、ある程度やむをえないであろう、みなさんうるさくてごめんなさい、でも鳴らしますっ!という気分ですかね。さいわい同居人がいないので、自室のなかでは気遣いなく存分に音量上げて聴きまくれるっていうのはラッキーな音楽人生でした。

 

(written 2022.2.11)

2022/05/18

R.I.P. to the iPod (2001-2022)

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(3 min read)

 

唯一の現行機種iPod touchも製造をやめ在庫限りで販売を終了するというAppleの公式発表が先週ありましたね。大手マスコミなども報じたのでみなさんご存知でしょう。

 

これで2001年にはじまったiPodシリーズの歴史に約20年でピリオドが打たれることになりました。しかしこれといったショックも感慨も聞かれなかったのは、もはやとうに事実上役目を終えていた工業製品だとみんなわかっていたからでしょう。

 

AppleにとってiPodはiPhone(2007〜)開発への礎となり、そして皮肉なことにそれに取って代わられることになったわけです。音楽を持ち運ぶ作法も、CDからパソコン経由でインポートして or ダウンロード…というんじゃなく、スマホでストリーミング・サービスにアクセスしてどこででも聴けるというのがあたりまえになりましたから。

 

以前くわしく書きましたように、音楽を携帯する行為は1979年の初代ウォークマンで誕生したものでしたが、ウォークマンが樹立した思想を発展的に継承し、デジタル時代に普及させたのがiPodでしたね。個人的にはそのあいだにポータブルMDプレイヤーの時代がありましたが、iPodも2005年(だったはず)に買って便利に使いはじめました。

 

CDから音楽ファイルを入れるのにパソコンを必要とするものなので、だからそもそもパソコンなんて触ったこともないよというZ世代にはこの点でもiPodは時代遅れになっていたんじゃないでしょうか。そうそう、いまや20代以下はパソコン使えないので、企業などの新人研修ではそこから教えるそうですよ。

 

iPodがはじめたことじゃなかったにせよ、音楽を持ち運んで外出時に気楽に聴けるといういまのぼくらの日常的ライフ・スタイル、21世紀的にはやはりAppleが普及させたものかもしれません。上でウォークマンの名前を出しましたが、いまもストリーミング型携帯プレイヤーとして現役のWalkmanブランドだって、iPodの思想を取り入れなかったらもう終わっていたかもしれませんし。

 

iPod(とiTunes)は音楽産業のありかたをも抜本的に変化させ、レコード会社やミュージシャンたちにも大きな影響を与えたという点も見逃せない歴史の転回でした。音楽受容のありようが変化したので届け手側だって変わらざるをえませんでしたし、音楽がそれ以前とは同じじゃなくなりました。

 

最後の現行機種iPod touchなんて、iPhoneをベースにしたモデルですからね。iPodのほうが母なのに、子であるiPhoneに支えられないといまや生きていけないといったことになったわけで、それもとうとう寿命が尽きることとなりました。

 

(written 2022.5.17)

2022/05/17

いちばんダメだったあのころのぼくを、モー娘。の「LOVEマシーン」とやぐっちゃんが救っていた

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モーニング娘。/ LOVEマシーン
https://www.youtube.com/watch?v=6A7j6eryPV4

 

こないだ、いやちょっと前か、わさみんこと岩佐美咲がなにかのコンサートでモーニング娘。のメガ・ヒット曲「LOVEマシーン」(1999)をカヴァーするということがありました。わさみんによく似合いそうですよね。

 

モー娘。の「LOVEマシーン」シングルは99年の9月に発売されています。しかし買いませんでした。そもそもモー娘。は一枚もCDを買ったことがありません。テレビの歌謡芸能番組で、もれなくぜんぶ聴けましたから。いま聴こうと思ってもサブスクにモー娘。が一曲もないのはなぜだか知りませんが。

 

「LOVEマシーン」。あるとき突然テレビから流れてきたノリいいディスコ調のダンス・ポップに思わず前のめりになったんです。すぐにモー娘。の新曲だと知り。このグループのことは、テレビ東京で毎週日曜夜に放送されていた『ASAYAN』っていうオーディション番組で前から知っていました。

 

1999年の9月のぼくは人生でいちばんのドン底で、ちょうど直前にパートナーが家を出ていったという時期。あれでなにもかもダメになり、私生活だけでなく仕事にも行けなくなって、どうにもならずその後退職するまで、約10年間は地獄みたいなもんでした、ぼくのほうも。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2021/10/post-be8c33.html

 

モー娘。の「LOVEマシーン」はちょうどそんな時期のヒット・チューン。それがテレビ歌謡芸能界を席巻していたんです。日が落ちても照明つける気にならない暗い自室のなかでヒザを抱えてめそめそ泣きながら途方に暮れていたようなあのころのぼくにとっては、ほぼ唯一の救いだったんです。

 

曲も歌詞もノリがいいし、明るくて、バナナ・ラマの「ヴィーナス」っていう洋楽ナンバーが元ネタなんですけど、作者のつんくならではのオリジナルとしてちゃんと成立していると、いま聴きかえしても思います。つんくが書いた最大の名曲でしょうねえ(私見)。

 

そして1990年代末〜21世紀はじめごろのモー娘。にはやぐっちゃん(矢口真里)がいたんです。これが大きかった。当時まだ10代でしたが、もうかわいくてセクシーで、ぼくの好みどんぴしゃのストライク・ゾーンどまんなかなんですよね。こんなにも大好きなやぐっちゃんがいるモー娘。が「LOVEマシーン」みたいなはじけるダンス・ポップを歌うっていうのが、それをテレビの歌謡番組で観聴きするっていうのが、ほんとうに楽しみでした。

 

下のYouTubeリンクはそんなテレビ歌番組出演の際の「LOVEマシーン」。伴奏はカラオケですが歌はリップ・シンクじゃないです。2001年。そう、ちょうどそのころです、世間にとってもモー娘。にとってもぼくにとっても、この曲がいちばん大きな意味を持っていたのは。
https://www.youtube.com/watch?v=xbZzBe0tgto

 

これは作者のつんく♂自身によるヴァージョン。ご存知のとおり、つんく♂は喉頭がんで2014年の秋に手術し声を失っているので、その前です。現在でも続くモー娘。やその派生ユニット、あるいは桑田佳祐などそのほかYouTubeにいくつも上がっている「LOVEマシーン」のどれを聴いてもカッコいいと思えるので、曲そのものがいまでも大好きでたまらないっていうことなんでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=pvugt96zoXQ

 

あのころのぼくにとってはやぐっちゃんあってこそのモー娘。であり「LOVEマシーン」であったので、2005年の某一件で(報道発表もなく、卒業公演すらやってもらえず、まるでささっと夜逃げするように)モー娘。を脱退して以後は、興味がやぐっちゃん個人の芸能活動へと移っていくようになりました。

 

モー娘。OGで最も成功しているタレントと言われていたくらいだったのに、一度結婚しての自身の自宅不倫行為(2013年)で大バッシングを浴び、それはたぶんいまでも続いていると思うんですけど、やぐっちゃんがかわいくて笑顔がチャーミングでセクシーだっていうのはいまでもぜんぜん変わりません。それに、色恋沙汰でいろいろあるっていうのは、実はぼくにとってプラス・ポイント。清純派なんてクソくらえ。

 

やぐっちゃんは二度目の結婚でこどもが二人できて、いまやすっかり落ち着いたような感じです。ソーシャル・メディア系はInstagramだけを公式にやっていて、それで日常や仕事のことに身近に接することができるようになったのはありがたいかぎり。本人にいいねしたりされたりコメントでやりとりしたりなど、「LOVEマシーン」がヒットしていたあの20世紀末ごろのぼくからは考えられないことです。

 

(written 2022.3.20)

2022/05/07

これがいまのぼく 〜 マイ・フェイバリット100

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(3 min read)

 

My Favorite 100 Tunes
https://open.spotify.com/playlist/5ZSMnayfaVFOe2P1sv7VSi?si=913d539f7f3c4b44

 

ふと思い立ち、自分で聴くお楽しみ用に「好きな100曲」というプレイリストを作成しておきました。最初100という枠は設定していませんでしたが、ドラッグ&ドロップで次々と放り込んで、ちょうど100に到達したところでストップしただけです。

 

もちろん下敷きなしのまるごしで100曲を選び出すのはむずかしい。2015年秋にブログをはじめて以来毎年末に書いているベスト10ランキングと、もうすでに400個以上になっている自作Spotifyプレイリスト、この二つを再確認しながら、これらこそいまのぼくのモスト・フェイバリットだといえるものを選んでいきました。

 

100もあれば一個一個どこがどう好きを具体的に説明するなんてできません。ざっとみわたしていただいて、だいたいこういったあたりがいまのぼくの好きな音楽だ、つまりこういう人間なんだ、という全体的な傾向を感じていただけるんじゃないかと。

 

アメリカ合衆国とブラジルと日本の音楽が中心で、しかもジャズとか、そのほかのジャンルでもジャジーで、しかもさっぱりおだやかで薄味なものがここのところの大の好みなんで、これで音楽キチガイとしての<いまのぼく>の正直なありようをそのままストレートにいつわりなく出したつもりです。

 

あれもこれも入っていない(たとえば岩佐美咲)とか、作成後に聴きなおしながら修正したい気持ちもないわけじゃありません。それでもサッチモ(ルイ・アームストロング)の1930年「ディア・オールド・サウスランド」(大好き!)や、テディ・ウィルスンのブランズウィック・セッション、ライオネル・ハンプトンのヴィクター・セッションからも一曲づつ選べましたので。

 

ブルーズ・ロック・ナンバーだって複数入ったし、演歌も歌謡曲もあり。いちおうアンガーム(エジプト)やレー・クエン(ベトナム)だって大好きなものを一曲づつ選んでおきましたし、生涯の最愛聴曲二つ「星に願いを」「シボネイ」も欠かしませんでしたよ。

 

七時間以上もあるプレイリストなので、ぜんぶを通して聴くことはふだんできません。でも集中するでもなくなんとなく流しながら、お散歩したり部屋で料理をつくって食べたりゆっくりお風呂でくつろいだりなどなど、ノン・ストップで好きな音楽ばかり聴こえてくるんで、ほんとうにリラックスできていい気分です。

 

聴いたことのない未知の音楽にチャレンジしたり、はじめての新鮮な出会いがあったりするのはもちろん緊張感があってスリリングで楽しいこと。還暦をむかえたぼくだっていまだそういった発見にわくわくしながら音楽ライフを楽しんでいます。

 

ですがそのいっぽうで、自分にとってすっかりおなじみのよく知っている好みの世界、いはばコージー・コーナーを持っておいて、気分次第でそれを流し平穏な心地で安寧するというのも大事なことだよなぁと感じるようになってきました。

 

(written 2022.4.18)

2022/04/26

青春のスーヴニア(2)〜 ビル・エヴァンズ『ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング』

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(3 min read)

 

Bill Evans / You Must Believe In Spring
https://open.spotify.com/album/2B583jxnkHmIyBU6Z8VlmI?si=iSrA1m7UTW2I3Yx-1c8yAA
(オリジナル・アルバムは7曲目まで)

 

高三1979年で電撃的に突如ジャズ熱愛者に豹変したんですが(しつこい)、本格的にはお金と、なにより時間的な余裕が手に入った80年4月からの大学生時代がジャズざんまいの日々でした。

 

そんなジャズきちとしての青春にいちばんのBGMになっていたのがビル・エヴァンズ。そりゃあ個人的にはウィントン・ケリーみたいなスタイルのほうが好きでしたが、エヴァンズはジャズ喫茶など関係各所で、もう流れまくっていたんです。

 

1980年の9月に亡くなったというのが、こりゃまたそのころのエヴァンズ熱にいっそう拍車をかけていました。これはあの当時のことをリアルタイムで経験したジャズ・ファンなら間違いなく記憶があるはず。

 

死の翌81年にリリースされたアルバムが『ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング』。録音は77年に行われています。追悼盤みたいになっていて、実を言うと自分では当時レコードを買わなかったんですが(CD買ったのはたしか1990年代末)それでも鮮明に音楽を記憶していますから。ジャズ喫茶などでこれでもかというほど聴いたんです。

 

大学四年間のジャズ狂生活でいちばん耳に入ってきていた音楽がエヴァンズの『ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング』だったとしても過言ではないと思うほど。当時から「さほど好きじゃないよ」と意識したり発言したりしていたのは、周囲のそんなフィーバーぶりへの反発というのもあったんじゃないかといまでは思います。

 

そこから長い年月が経ってぼくも還暦。自分の心に素直に、好きなものは好きだと、イマイチなものもそう言おう、偽らずウソをつかず正直に対応しようという気分になっているんですが、するとやっぱりエヴァンズみたいなピアニストはほんとうにそれほど大好きというほどには感じず。猛然とスウィンギーにドライヴする黒人ピアニストのほうが個人的な嗜好には合います。

 

それでも(エモーションは内に秘めて)おだやかで静かで淡々と美の世界に耽溺しているような音楽をどんどん聴き、そういうのがいいなと心から感じるようになってみて、平穏でなにもない日々に若かったころのことをなつかしく思い出し、ぼんやり感慨にふけって、いい気分といういまのぼく。

 

そうすると、エヴァンズのピアノ、特に『ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング』みたいな体内の芯奥に沁み込んだ青春の音記憶は、いま聴きかえすと、あぁすばらしい、なんてきれいな音楽だろうか、これこそがぼくのジュヴナイルだったなあと思い出し、その後約40年の経過で失ったものと、だからこそ得たものに思いをいたします。

 

こんなところまで来たんだなあと、同じアルバムを聴いて、そう思うんです。

 

(written 2022.3.18)

2022/04/22

電話嫌い

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以前も一度言いましたが、大の電話嫌いなぼく。どうしてかって、電話はこっちの生活に遠慮なく土足で上がり込むでしょう。いまなにをしているかに関係なくかかってくる。お風呂とか寝ているとか、いま都合悪いかもしれない、出られないかもしれないとか、あまり配慮せずかけるほうはかけます。

 

だから、あらかじめなにか別の手段で打ち合わせして「何月何日何時に電話でおしゃべりしよう」との合意のもとのもの以外は、大きな迷惑だとずっとみなしてきました。あとはなにかのカスタマー・サポート窓口とかコール・センターとか、そんなのしかちょっとねえ。

 

吃音者だっていうのも、電話嫌悪に拍車をかけてきたかも。

 

とにかく、予告なしに突然かかってくる電話ほど生理的に受けいれられないイヤなものはありません。

 

もちろん商売をしているみなさんはそういうわけにいかないでしょう。自営じゃなくても職場での仕事上の電話もあるでしょう。きょう言っているのは個人の日常生活での話です。

 

電話はかけられるほうの都合も考えないといけないという認識がさすがに最近はひろまってきているみたいで、私用電話でもまず開口一番「いま電話していいですか?」みたいな断り文句が告げられるケースも増えました。しかしそう言われて「いまはダメです」とは言いにくいこともあったり。水仕事している途中だって無視するわけにはいかないんですから。

 

それにですね、ぼくはこれまた特殊な人間かもしれないですけど、一日中ず〜っと音楽を聴いているんですよ。自室では、寝ている時間を除き、そこそこ大きな音量で間断なく音楽が流れています、一日中。電話がかかってくる or かけようとすると、それを止めないといけないのもつらいんです。無視するにしたって着信音が鳴れば音楽のジャマです。

 

音楽を止めたくないから自分からも滅多に電話をすることはありません。ほぼゼロと言っていい。母なんかはパソコンもスマホも使えないヴィンテージ人間だから、たがいに要件があるときは電話しか手段がなく、だから個人的にはそれだけかも。

 

うん、もういまはネットにつながったデジタル端末があるんですからね、使える人間はそれで連絡をとりあえばいいでしょう、なにも快適な日常を寸断する電話なんか使わなくたって。ソーシャル・メディアのメッセージング機能とか、メッセージ交換アプリとか、メールとか、手段はいくつもあります。

 

というわけなんで、だれにも電話なんかしなくなったし、だれからもほぼかかってくることがなくなってはいます。昨年8月に現在の居所に引っ越してからは自宅の固定電話回線を引いていません。NTTとの契約はインターネットのみ。これは大洲時代の2013年ごろからそうです。家電なんて、いまやセールスや勧誘など迷惑電話だけになったんですから。

 

電話、特に固定の家電は、個人の私生活においてほぼ(精神的)老人層だけのものになりつつありますが、携帯電話だっていまやネット端末、モバイル・コンピューター、カメラ機器という位置付けで認識されているんじゃないですか。そうじゃなかったらこの電話嫌いのぼくがiPhoneを買うわけはありませんでした。

 

だから電話機といえばiPhoneしか持っていませんが、それを買った2017年6月以後、はたしてどんだけ音声電話をかけたりかかってきたりしたか、合わせても、ほんとうに両手の指で数えられる程度しかないと思います。電話のない生活。心地よく一日中音楽を部屋で楽しみながら、ゆっくりと時をすごすことができて、快適です。

 

(written 2021.10.30)

2022/04/09

カテゴリー分けをやりました

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(3 min read)

 

ちょっと前にやったことなので既にお気づきのかたも多いでしょうが、長年ノン・カテゴリーで、というかぜんぶ「音楽」にして、すべての記事をべたっと平たく並べてきたこのブログBlack Beautyも、とうとうカテゴリー分別を実施したわけです。

 

・コーヒー
・ジェンダー
・プリンス
・マイルズ・デイヴィス
・原田知世
・岩佐美咲
・自分語り
・音楽

 

これは表示順です。ほんとうだったら記事数の多い順とか重要に思っている順とかに並べかえたかったですが、どうやらこのココログ(@niftyのブログ・サービス)ではそれができないみたい。

 

パソコンでアクセスなさっているみなさんは右サイド・バーにカテゴリー一覧が出ています。スマートフォンでごらんならば右上のオレンジ三本線をタップするか、

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記事一覧下にある「このブログの人気記事ランキング」の下の「カテゴリー」をタップしてください。

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カテゴリー分けをしたといってもこういう状態なので、なおも九割が「音楽」のなかにごた混ぜになったままです。しかしここをさらに細かく分類するという気にはなれませんでした。相互関連していたり複数の音楽家やジャンル、地域を横断していたりで、整理不可能と思えました。

 

それでも、これも音楽に違いないマイルズとプリンスと知世と美咲を別枠にしたのは、特に数が多いということと、熱心にそればかり聴くオタク的ファンがついていて、それ関連の記事だけまとめて読みたいという声をいただくことがありました。

 

大切に思っていて記事数が多い音楽家は、ほかにもルイ・アームストロング、デューク・エリントン、ビートルズ、ローリング・ストーンズなどいくつもありますが、分別しすぎは性に合わないので。個人的に上の四人はほんとうにスペシャルな存在です。

 

コーヒーとジェンダー。前者は二個しか記事がありませんが、音楽の話題じゃないし、分けとかないと埋もれてしまうと思い(ぼくの人生で最も重要なものの一つ)。後者はそこそこ記事数があって、2019年来の個人的問題意識を反映しています。性や外見などに関連する偏見や差別を語った記事を書くようになり、なんとか読んでもらいたいと思うようになったのも、カテゴリー分けを考えたきっかけです。

 

自分語りは、ぼくが発達障害の当事者、なかんずくASD(自閉スペクトラム障害、俗に言うアスペルガー)であることを、やはりちゃんときわだつように言っておきたい、そうでないとなにかとコミュニケーションに齟齬が生じたり誤解されたりして、たがいにつらい思いをすることが人生で多かったので。

 

そして、ぼくのそういう部分は、音楽にどう接しどう聴いているか、どんな音楽が好きかといったことをおおいに左右してきたと、いまでは思います。

 

(written 2022.4.8)

2022/04/01

ひとが死ぬのはどうということもない

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(4 min read)

 

父は2014年の夏に亡くなったんですが、享年もちゃんとした没月日も憶えていません。ぼくってそんなやつですよ。たとえ肉親であれ死んでもべつになんとも感じないっていう。平気だったし喪失感もありません。

 

そもそも亡くなる五、六年前(だったか)に胃がんで胃を全摘出する手術を父は受けたんですが、そのころぼくは東京住まいだったため、近所で面倒を見ていた上の弟から連絡があったものの、手術に立ち会うために帰省することはしませんでした。正直なフィーリングとして「どうでもよかった」んです。

 

その後ぼくは愛媛に帰り大洲に住むようになりましたが、大洲 ⇄ 松山間はJRの特急で30分程度なんだから、いよいよ終末期ということで入院し日々弱り細っていく父の顔を見に帰ってきてほしいとの弟二名からの再三の連絡も無視していました。自宅で自分の楽しみ(音楽)に時間を費やすことのほうがはるかに大事だと思えていました。

 

とうとう亡くなって(実はその直前に一回帰りましたが、病室で父の顔を見て、まだきょうあす死ぬわけじゃないと知ったぼくは、そのまま自宅へトンボ帰りした)やっぱり通夜とか葬儀とかは顔を出さなきゃまずいんだろうという世間一般的な考えがまだ残っていたので、いちおうそのために帰りました。

 

母はまだ存命ですが、なにぶん高齢ゆえいつそのときが来るかわからないという状態かもしれません。そうなったら、こんなぼくはどう感じるか?弟二名とは断絶状態とはいえ、それでもやっぱり亡くなったら連絡くらい来るのかなあ?とぼんやり考えていますが、現在入院中であることはいっさい知らされていません(実家近所のコンビニ店員さんに聞いた)。

 

母はいはゆる「毒親」で、ぼくはずいぶんひどい目に遭いつづけてきた人生だったので、正直いまはもう顔も見たくない、ましてやしゃべったりなどしたくない(なにを言われるかわかったもんじゃないから)、要するに離れていたい、接点を持ちたくないというのが本音。ですけどさすがに亡くなったらなにか違う感情がわくかもしれません。

 

なにも感じないかもしれません。わかりません。

 

どう感じるにせよ、母の葬儀や法事関係に顔を出したくないといまは思っています。弟から連絡も来るかどうか知りませんし。

 

そもそも敬愛しているミュージシャンの訃報に接しても特になんとも思ってこなかった人生で(マイルズ・デイヴィスのときもそうだった)、死がどういうことなのかわかっていないというか、特別な感慨がわいたことがなく、ましてやショックを受けて落ち込んだりっていう経験が一度もありません。

 

もう新曲や新作アルバムが出ないのは残念だと思うものの、なんというか人間的にというか、この世から存在が消えるっていうことをべつになんとも思わないんです。音楽家でも肉親でもどんな親しい友人でも。

 

こんなぼくもいつかは死にます。しかも還暦を迎えたのでもうそんな遠くない未来の現実になりつつあるわけですが、自分の老化、衰弱、滅亡は、やはり「イヤだな」「受け入れたくない」「つらい」という気分がいまもうすでにしっかりあります。

 

生活上不便に感じるほどの変化はまだありませんが、こんな、ある種の人非人的なというか血の通った人間的感情がないようなぼくでも、いよいよ自己の死が間近という状態になれば、なにか気持ちの変化が生じるかもしれません。生じないかもしれませんが、ちょっとづつゆっくりと精神的準備をしていこうと思っています。

 

(written 2022.3.25)

2022/02/19

オギとハギ

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(3 min read)

 

荻原さんブログ → https://bunboni58.blog.ss-blog.jp
萩原さんブログ → https://kenta45rpm.com

 

音楽関係で、bunboniこと荻原和也さんと、萩原健太さんのそれぞれブログは個人的に最大の情報源なんですけど、お名前を書くときに、ぼくは漢字の「荻」(オギ)と「萩」(ハギ)という二つの字体を区別できない人間なんですね。

 

書くときだけじゃなく読むときだって、どっちの漢字が来てもあれっオギだっけ?ハギだっけ?ってわからなくなってしまうっていう。

 

ある種のビョ〜キかと思います。

 

この二つの漢字の違いを(デジタル・ディバイス普及前に)ちゃんと学ばないままこの歳まで来てしまったからなんでしょうねえ。よく似ていてまぎらわしいといえばそうじゃないかとは思うんですが、お名前の漢字表記を間違えるなんて、やっぱりやっちゃいけないことですから。

 

といってもMacのかな漢字変換システムに任せてあるんで、おぎわら/はぎわらでスペース・キーを打って出てきたのをそのまま使っているだけなんですが、その際にじっくり確認しなおさないのがよくないんですよねえ。パッと見、一瞬ではわかりにくいような感じですからなおさら。ゴメンナサイ。

 

オギワラさんに一度指摘されたばかりか、ハギワラさんにも、直の指摘じゃなかったんですけど一、二度ご自身のブログ記事中カナ書きで「ハギワラです、よろしく」みたいにおっしゃってあったのは、ひょっとしてそういう意味だったのかも?という気がして、心配で。間違えたこと、ありましたっけ?

 

実を言いますと、ぼくもよく名前の漢字表記を間違えられる人間で、「戸嶋」(としま)なんですけど、頻繁に「戸島さん」「豊島さん」と書かれます。以前はそのたびに修正していましたが、多くてキリがないし、ぼくを呼んでくれているには違いないと思うから、あまり言いにくくなって、最近は。読みだって「とじま」「こじま」と言われることがかなりあります。

 

書きでも読みでも名前を間違えられるとやっぱり気分よくないっていうのをだれより自分自身が長年経験し続けてきているというのに、荻原/萩原を間違えちゃいけませんよね。コツとしては、くさかんむりの下が「あき」なのがハギってことですか。オギはけものへん。まぁそれしか違わないわけですが。

 

実際問題、書くときはパソコンやスマホの変換機能に任せてあります。だからシステムの辞書が間違っていなければ出てくる文字は正しいはずと思いますが(じゃあなぜ以前は一度間違えた?)、テキスト・アプリに表示された漢字をしっかり確認しなおす習慣をつけることにします。

 

荻原さん、萩原さん、今後ともよろしくお願いします。

 

(written 2022.2.5)

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