カテゴリー「マイルズ・デイヴィス」の218件の記事

2022/06/20

「愛の魔力」(ティナ・ターナー)by マイルズ・デイヴィス

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(6 min read)

 

Miles Davis / What’s Love Got To Do With It
https://open.spotify.com/album/6QeWVuTZluyIIsbJWzXYHK?si=TOQxM4LJRpKqmWQ_O0EMBw

 

いまはスイスで悠々自適の余生を送っているティナ・ターナー。そのソロ歌手生涯を代表する傑作曲「愛の魔力」(What’s Love Got To Do With It)は、1984年の復帰アルバム『プライヴェイト・ダンサー』に収録されていたもの。シングル・カットもされ大ヒットしました。

 

これをマイルズ・デイヴィスがスタジオで正式録音したっていう、なんだか風説みたいなものは、1984〜85年ごろにぼくもどこかでチラ読みしていたんですよね。ひょっとしたらソースはインタヴューかなんかで本人がぽろっとしゃべったものかも(70年代からよくある)。そこから伝言ゲームみたいになったんじゃないかと。

 

かなり前のことなので当時のことはだいぶ忘れましたが、読んだのはたしかコロンビア時代末期か、あるいはワーナー移籍(1986)直後あたりだったかもしれません。しかしマイルズによる「愛の魔力」録音が84/85年ごろだったというのは記憶のなかの一片として、ほんの小さなものだけどしっかりと、2022年でも残っています。

 

それがとうとうこないだ6月17日に公式リリースされました。見つけたときはうれしかったなあ。瞬時に脈拍が速くなり血圧も上がったような、そんな感じでした。だって、マイルズがティナの名曲「愛の魔力」を吹くのを聴けるんですから。ウワサがようやくホンモノになったし、アルバム『プライヴェイト・ダンサー』のなかでいちばんの愛聴曲でしたから。

 

聴けば、かの1985年バンドとわかります。そのまま85年夏に来日したので勝手にそう呼んでいますが、要はアルバム『ユア・アンダー・アレスト』(1985)をやったメンバー。ボブ・バーグ(sax)、ジョン・スコフィールド(g)、ロバート・アーヴィング III(key)、ダリル・ジョーンズ(b)、ヴィンス・ウィルバーン(dms)、スティーヴ・ソーントン(per)。

 

そのへん、ちゃんとしたレコーディング・データ・クレジットは、来たる9月16日にCDなら三枚組のボックス『ザッツ・ワット・ハプンド 1982-85:ザ・ブートレグ・シリーズ Vol.7』が発売され、それに「愛の魔力」も収録される予定なので、それが出れば録音に至ったエピソード的なものもあるいはふくめ、あきらかになると思います。三ヶ月前に先行で一曲だけ聴けるようになったというわけ。
https://www.legacyrecordings.com/2022/06/17/miles-davis-thats-what-happened-1982-1985-the-bootleg-series-vol-7-coming-september-16

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この1982〜85年、特に『ユア・アンダー・アレスト』に至った84年ごろのマイルズは、ラジオのヒット・チャート番組で流れてくるようなポップ・ヒットをそこそことりあげ録音していた時期で、それはティン・パン・アリー系や同時代のものでもスタンダードな流行歌をたくさんやっていた1960年代前半までと同じこと。

 

ご存知のように『ユア・アンダー・アレスト』には「ヒューマン・ネイチャー」(マイケル・ジャクスン)と「タイム・アフター・タイム」(シンディ・ローパー)がありますよね。マイルズによる録音は前者が84年12月、後者が同年1月です。

 

ですからティナの「愛の魔力」もマイルズによる録音はやはり84年だったであろうと推測できるんです。アルバム『プライヴェイト・ダンサー』は同年5月に発売されていて、シングル盤リリースも同時期、ってことはマイルズが耳にして演奏したのは同年それ以後ということになります。

 

バラードだけどしっかりしたビートが効いていたティナのオリジナルに比べれば、マイルズ・ヴァージョンはぐっとテンポを落とし、ビート感は弱くして、マイルズが吹くメロディ・ライン一本をきわだたせるようにアレンジ(おそらく本人か、ロバート・アーヴィング IIIの手になるもの)されています。

 

浮遊感の強いイントロのシンセサイザーとギターのリフ・フレーズはそのまま踏襲されていますね。ティナのでは聴けないややラテンというかカリビアンな香味がまぶされているように感じるのは、スティーヴ・ソーントンのおかげでもありますが、このころレゲエ・ビートをマイルズはときどき使っていましたから(「タイム・アフター・タイム」だってそう)。

 

メロディをきれいに吹くバラディアーとしての本領発揮といえるリリカルで内省的でメロディックな吹奏ぶりで、こういうのこそまさにマイルズのマイルズたるゆえんですよ。原曲のメロディ・ラインが美しいがゆえなんですけど、ハーマン・ミュートをつけたトランペットのサウンドは、まるで泣いているような、きわめて線の細い、いまにも消え入りそうなデリケートさ。

 

1957年のコロンビア移籍に際し同社のジョージ・アヴァキャンが「卵の殻の上を歩く」とマイルズの演奏スタイルを評し、この比喩も有名になりましたが、そんな持ち味は81年復帰後もまったく失われていない、それどころかいっそう磨きがかかっていたという聴きかただってできそうです。

 

なお「愛の魔力」という邦題になっていますが、「What’s Love Got To Do With It」というのは「それに愛なんてべつに関係ないでしょ」という程度の意味。ティナの歌う歌詞を聴いても、実にマイルズが共感しそうな内容だと思います。

 

(written 2022.6.19)

2022/06/17

Throughout a professional career lasting 50 years, Miles Davis played the trumpet in a lyrical, introspective, and melodic style.

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(4 min read)

 

タイトルにもってきたこの英文は、マイルズ・デイヴィスの公式Twitterアカウントのプロフィールに書かれてあるもの(写真はそのアイコン)。これ以上簡潔かつ的確にマイルズ・ミュージックがどんなだったか言い表した文を、ぼくは見たことがありません。

 

さすがは公式アカウント(おそらくエステートのなかに動かしている人物がいるでしょう)だけあるなぁとため息が出ます。ぼくなんかがこれになにかことばを重ねるのはただのムダとしか思えず。それでも継ぎ足さずにいられない性分なのをどうかご容赦ください。

 

上の英文で特に感心するのは “introspective”。内省的というか内観的というか、自己の内にある感情や思考をじっくり省察し、それを独白のように演奏したのがマイルズだということで、オープン・ホーンでもハーマン・ミュートでも生涯これで貫かれている、キャリア全体を通しほぼそうだった、まさにこれこそマイルズの本質を指摘した単語だといえます。

 

ジャズ・トランペットといえば、いばってみせつけるようなマチスモ外向性をこそ特色としてきたもの。輝かしい音色を持つサッチモもディジーもブラウニーも、歴史をかたちづくった偉人はみなそうじゃありませんか。マイルズ(とビックス)だけは例外的存在で、その特異性でこそ歴史に名を残しました。

 

むろんマイルズも1968〜75年まで、やや外向的な演奏スタイルをとっていた時期もありました。あのころはそもそも表現したいのがそういった外向きに拡散放射するファンク・ミュージックでしたから。フレイジングもリリカル&メロディックというより機械的にクロマティック(半音階的)なラインを上下することが増えました。

 

そんなあいだも、曲によりパートにより、じっくり内面を省察するように慎重にフレーズを置き重ねていく様子がときおり聴けましたし、1981年に復帰して以後は亡くなるまでの10年間、50〜60年代回帰というか、比してもいっそうintrospectiveなスタイルに拍車がかかっていた印象もあります。

 

はじめからそういったスタイルの持ち主としてプロ・デビューした、いや、自伝や各種エピソードを読むとアマチュア時代からそんな資質を発揮していたようだと判断できますが、チャーリー・パーカーみたいな人物のバンドでキャリアを開始したというのがマイルズにとってはクリティカルだったんだなあと、いまではよくわかります。

 

あんなジャズ史上No.1といえるような太く丸い音色でばりばり饒舌に吹きまくる超天才の、しかも1945〜48年というその全盛期にレギュラー・メンバーとして毎夜のように真横でじかのナマ音を耳にしていたんですから、同じことをやっていたんじゃダメ、それでは自分の存在価値はないと、骨身に沁みて痛感したはず。生身をすり減らすようなパーカーのブロウイング・スタイルも、プロとして持続したかったマイルズには不向きでした。

 

デビュー前からもともと線の細い演奏スタイルだったのが、そんな経験を経て独立し自分のバンドを持つようになったわけですから、パーカーとは真逆な道を歩んだのも納得です。結局のところ(パーカー&ディジーに接した)1940年代なかごろの衝撃的経験が、マイルズの音楽生涯を支配したのだという見方ができますね。

 

(written 2022.5.31)

2022/06/03

マイルズ・ブートのことだって聞かれれば知っていることはすべてお答えします

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(10 min read)

 

このブログのアクセス解析を見ていると、どうもマイルズ・デイヴィスのブートレグCDはなにを買えばいいか?推薦品はどれ?っていう種類の情報を求めて訪問されているケースがわりとあるようです。

 

記事へのコメントというかたちで水面上に出てくることはほとんどないんですけど、なにかチラチラとこちらに伝わってくるものがあります。以前はブログをお読みになったということで(なぜか)TwitterのDMでブート購入アドバイスを求められ、ていねいにお返事するといきなり「先生」と呼ばれ、おおいにめんくらったことも。

 

たしかにマイルズについてたぁ〜っくさん書いてきたし(中山康樹さん亡きあとたぶんぼくがいちばん書いているはず)、そのうち最初の数年はブートの話もちょこちょこしていました。違法物体であるブートCDはおおっぴらに話題にしにくいせいで、マイルズでもオフィシャル・アルバムほどの情報がゲットしにくいですから。

 

それでもソーシャル・メディアやブログでぼくがマイルズ・ブートの話をあまりしなくなったのは、基本的に音楽はサブスクで聴くということになったというのが最大の理由。地下CDしかない世界で、音楽家や会社にちゃんとロイヤリティを払うSpotifyなどにブート音源があるわけないじゃないですか(が、実はマイルズもちょっとだけある)。

 

さらに、2022年、もはやマイルズ・ブートはほぼ出尽くしたのではないかという感触もあること。本人が亡くなった1991年9月を皮切りにまるで堤防が決壊したかのごとく一時期はリリース・ラッシュだったんですけど、2015年ごろからかなり落ち着いてきているようにみえます。15年というと中山さんが亡くなった年。

 

いちおう細々とチェックは続けているものの、個人的な興味もほぼ消滅しかけているというのが正直な気持ち。公式アルバムだけで90作ほどもある音楽家で、それらをしっかりていねいに(サブスクででも)聴きかえせばいまだにハッとする気づきがあったりするわけですし、「マイルズ・ブート」という世界は終わりつつあるようにもみえます。

 

それでもマイルズ界に新規参入されたかたがたにとっては新鮮味があるに違いなく。背徳感に満ちた禁断の領域に足を踏み入れるのはスリリングですからね。もうそこを抜けつつあるぼくは、そうしたファン向けの、なんというか一種の「マイルズ・ブート入門」的なことを書いておこうなんて気はほぼありません。

 

だってねえ、いくら書いたって、読んだその場でサッと聴ける公式音源と違って、初心者はどこで買えばいいかもわからないでしょうから。看板も出していないような雑居ビル二階の一室に構えた専門ショップ(at 渋谷)が見つかっても、決して安価じゃない。一枚ものでも4000円近くすることもあり。

 

貴重で必須の研究資料としてきたブート音源も、重要で意義深いものは主にレガシー(コロンビア)がだいぶ公式化しました。『カインド・オヴ・ブルー』(1959)レコーディング・セッション時の完成形別テイクをふくむ一連のスタジオ・シークエンスも出たし(『カインド・オヴ・ブルー』レガシー・エディション)、

 

1970年6月のフィルモア・イースト 4 days だってまるごと公式発売されました(『マイルズ・アット・フィルモア - マイルズ・デイヴィス 1970:ザ・ブートレグ・シリーズ Vol.3』)。

 

ジョン・コルトレインやウィントン・ケリーらを擁したレギュラー・クインテットで1960年春に行った欧州ツアーだって公式化したし(『ザ・ファイナル・ツアー:ザ・ブートレグ・シリーズ Vol.6』)、

 

67年冬の欧州ツアーもあって(『マイルズ・デイヴィス・クインテット:ライヴ・イン・ユーロップ 1967:ザ・ブートレグ・シリーズ Vol. 1』)、

 

名高い73年ベルリン・ライヴだって公式化ずみ(『マイルズ・デイヴィス・アット・ニューポート 1955-1975:ザ・ブートレグ・シリーズ Vol.4』)。

 

一部がリアルタイムで『ライヴ・イーヴル』に収録発売され、こ〜れはソースを聴きたいぞっ!とファンが渇望し続けていた1970年12月のワシントンDC、セラー・ドア 4 days ライヴも、ブート四枚バラで出て狂喜乱舞即購入した直後に公式リリースされたんですからね(『ザ・セラー・ドア・セッションズ 1970』)。

 

その他た〜くさん、公式発売されました。ここ10数年で。

 

それら、ぼくら世代のマイルズ・ファンには長年ブートしかなく、研究のためと思えば買わずに知らん顔というわけにいかなかったんですけれど、公式化されたんですからひと月¥980のサブスクでどれもぜんぶ不足なく聴けるので、ぼくだってそうしているんです。

 

スタジオ正式録音がブートでリリースされるのは関係者からの横流しでしょう。倉庫にちゃんと残っているわけですから、エステートと会社がその気になりさえすれば公式化は容易だし、1970年代のスタジオ未発表音源なんかは公式ボックスのブックレット記載の曲目欄に「これは日本のブートレグでこういう曲名になっていたものだ」と付記されてあったりすることがあって、笑いました。

 

ライヴ・ソースで、オーディエンス録音じゃないマトモな音質のものは、現地のラジオやテレビで当時オン・エアされたものを使っています。そうじゃないとライヴ会場でサウンドボード録音なんてできませんし、音楽的な審美や価値を判断するにはちゃんとした音質じゃないとむずかしく。

 

1960年の欧州ツアーだってラジオ放送、67年の欧州ツアーもそうだし、なぜかいまだにほんの一部しか公式化しない69年ロスト・クインテットのライヴも欧州各地のラジオ放送音源からブート化しています(もっと公式化してほしい)。

 

1973年、75年の日本ツアーからも高音質ライヴ・ブートが数種出ていますが、いずれもNHKなどでテレビ放送されたものです。当時あるいは再放送でごらんになったというファンがいまだに大勢いらっしゃるはず。

 

そういった放送音源が公式化するのは、レガシーなどが放送局と交渉し、権利を買い取っているわけです。

 

会社が正式にライヴ録音したにもかかわらず一部しか、あるいはまったく、発売していないというものは、年月を経ればボックスものなどでリリースされるケースばかり。1970年フィルモア 4 days やセラー・ドア・ライヴはそう。音質までまったく同じものがなぜ公式発売直前にブートでリリースされるのか、謎ですけどね。やはり会社内部からの流出でしょうか。

 

ともあれ、マイルズ・ミュージックをじっくり楽しみ考察する上で絶対に欠かせない重要なものは、大半が公式リリースされました。むろんきちがいじみたマニアはどんなものでも買いまくり隅々ををほじくって微細な差異を聴きとり楽しむんですが、一般的なファンなら、いまやマイルズ・ブートを執拗に追いかける意味なんて、ほぼないのでは?

 

そんなことにお金と労力を費やす余裕があるなら、公式アルバムをもっとじっくり聴き込めば収穫も多いですのに。

 

公式アルバムはメインの食事で、ブートっていはばサプリメントみたいなもん。食事せずにサプリばかり飲んでいるのって無意味だし本末転倒でしょう。マイルズ・ブートばかり掘っているファンって、だいたいが公式音源の話を滅多にしませんが、聴き込みすぎてもう飽きたのでブートということ?あるいはブートを追いかけることじたい目的化し行為に酔っているのなら、立ち止まって考えなおしてみたほうがいいのかもしれません。

 

くりかえしますが、山ほどある公式アルバムだけでも人生をかけてじっくり取り組む価値と深み、奥行きのある音楽家がマイルズ・デイヴィス。ぼくなんか公式作品のどれ聴いてもいまだネタが尽きず新鮮ですけどね。

 

(written 2022.4.15)

2022/05/22

マイルズ流ジャズ・ファンク完成へのアプローチ1965〜68

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(8 min read)

 

Miles Davis 1965 - 68
https://open.spotify.com/playlist/0IIQR2HvQVurNbeQWfqGWM?si=d3c219700fb846d8

 

さあ、これを書くのはですね、ちょっと前のInstagram投稿で「生涯の探求テーマである」みたいなことを言ってしまったがため大仰なことになってやりにくいですが、気にしていたらいつまで経っても書けないので、軽い気分でちょこっとメモしておきます。

 

1963年にレギュラー・メンバーとなっていたハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズにくわえ、64年にウェイン・ショーターをむかえニュー・クインテットになって『E.S.P.』(65)を発表して以後のマイルズ・デイヴィスが、徐々に8ビートと電気楽器をとりいれての(ジャズにおける)ニュー・トレンドに移行したというのはまぎれもない事実。

 

そのプロセスは(かつての油井正一さんの見解とは異なりますが)実験の段階をとびこえて一気に完成品として世界に提示された(『ビッチズ・ブルー』70)というわけじゃなく、マイルズなりの試行錯誤や準備段階があったんだという、これは当時リリースされていた公式アルバムだけたどってもわかることです。

 

1965年というとアメリカ、イギリスといわず世界中をすでにビートルズが席巻していた時期。若いころからあたらしい音楽、未知の音楽をふだんからどんどん聴いていた向学心旺盛なマイルズで、晩年には東京ドームで「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」を演奏したことだってあるんですから、60年代のビッグ・バン当時からロックを聴いていたことは “絶対に” 疑えません。

 

なんとか自分の音楽にそれをとりいれて活かしたいとも考えていたでしょうが、公式録音となると慎重さや保守性もかなりあったミュージシャンなので、なんの躊躇も衒いもなくそれを示すということは(当時)しませんでした。ロックというよりカリブ〜アフリカ方向を経由するような変型8ビートといったかたちでまずは姿を現しはじめたんです。

 

もちろんリズム&ブルーズやロックの8ビートだって、源流をたぐればアメリカン・ポピュラー・ミュージックの歴史におけるカリビアン・アフロ回帰なんですけども、マイルズはまずとりあえずメインストリームなアクースティック4ビート・ジャズとラテンな8ビートを(ちょっとゆがめて)かけあわせるという地点から出発しました。

 

その端緒が初作の『E.S.P.』からすでに出ているようにみえますが、本格的にはその次『マイルズ・スマイルズ』(67)以後、ポリリズミックなビート活用が鮮明に聴かれるようになりました。プレイリストに選んでおきましたが「オービッツ」「マスクァレロ」「ライオット」でも、特にトニーとロンの重層的なインタープレイで、4/8ビートが混淆されています。

 

たとえばロンが4/4拍子のウォーキング・ベースで刻んでいるあいだも、トニーは特にシンバルとスネア(なかでもリム・ショット)で8ビートを表現していたり、ばあいによってはトニーひとりで、ハイ・ハットを一小節に四つベタ踏みしつつスネアではカリビアンな8ビート・リム・ショットを同時に奏でている時間もあります。

 

こうした(ジャズ・ロックへの準備段階としての)アフロ・カリビアン・ジャズがもっと色濃く鮮明に表現されているのが、1981年の未発表集二枚組『ディレクションズ』で日の目を見た二曲「ウォーター・オン・ザ・ポンド」「ファン」。これらにはエレキ・ギターリストも参加していています(67年録音の前者はジョー・ベック、68年の後者はバッキー・ピザレリ)。

 

それだけでなくハービーにもエレキ・ピアノやエレキ・ハープシコードを弾かせ、テーマ演奏部でロンの弾くベース・ラインにギターと電気鍵盤をユニゾン・シンクロナイズさせることによってグルーヴを産み出そうとする試みが聴かれます。曲想もカリブ〜アフリカ的ですし、傑作『キリマンジャロの娘』(69)を先取りしたものだといえるはず。

 

このへんまでくると、『ネフェルティティ』(68)までは可能だった従来的なメインストリーム・ジャズの枠をポリリズム方向に拡張するという態度では理解がおよばないといった地点にまでマイルズの音楽は到達していて、間違いなく他ジャンルとの接合でニュー・ミュージックにチャレンジしていることがあきらかになっているでしょう。

 

その結果、ジャズ的なインプロ・スリルというより明快でグルーヴ・オリエンティッドな音楽を志向するようになり、出てきたのが「スタッフ」(『マイルズ・イン・ザ・スカイ』68)です。プレイリストではその前に同アルバムから「カントリー・サン」をおきましたが、これがなかなか興味深い一曲。

 

「カントリー・サン」にはテーマがなくソロだけでできていて、しかも4/4ビートのパート/テンポ・ルバートなバラード・バート/ファンキーな8ビートのジャズ・ロック・パートの三つが直列し、ソロをとる三人がこれら三つを順に演奏するといった具合。であるがゆえにロックな8ビートの生理的快感がきわだっていますが、曲全体では過渡期的といえるものです。

 

それら三つの要素、『E.S.P.』〜『ネフェルティティ』あたりまでは多層的にレイヤーされていたもの。ジャズ耳にはそちらのほうがおもしろいでしょうけど、マイルズとしては分割し、ファンキー・グルーヴをとりだして鮮明に打ち出す方向へと進んだんです。

 

こうしたマイルズのニュー・ディレクション in ミュージックは、チック・コリア&デイヴ・ホランドにメンバー・チェンジしての初録音「マドモワゼル・メイブリー」「フルロン・ブルン」(『キリマンジャロの娘』)でようやく完成品となり、新時代のジャズ・ロック、ジャズ・ファンクがはっきりしたわかりやすいかたちで表現されるようになりました。

 

ギル・エヴァンズの助力を得てジミ・ヘンドリクスの「ウィンド・クライズ・メアリー」(67)のコード進行を使いながらも、ロック・バラードというよりリズム&ブルーズ/ソウル由来のディープなノリとタメを持つ「マドモワゼル・メイブリー」もすばらしい。

 

そしてなによりジェイムズ・ブラウン「コールド・スウェット」(67)におけるドラミングをトニーが参照している爆発的な「フルロン・ブルン」のグルーヴ・フィールは、完璧なるマイルズ流ジャズ・ファンクの完成品といえるもの。69年夏録音の『ビッチズ・ブルー』への道標はここにくっきりと示されています。

 

(written 2022.5.21)

2022/04/21

復帰後マイルズのベスト・パフォーマンスはこれ 〜「タイム・アフター・タイム」in 東京 1987

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(4 min read)

 

Miles Davis / Time After Time (1987, Tokyo)
https://www.youtube.com/watch?v=Ia1PaaFvBPk

 

1981年復帰後のマイルズ・デイヴィスが84年からライヴで頻繁に演奏しはじめ、同年にスタジオ正式録音もしてアルバム『ユア・アンダー・アレスト』(85)に収録発売されたシンディ・ローパーの名バラード「タイム・アフター・タイム」。

 

結局亡くなった1991年までこれを演奏しなかったライヴ・ステージは(企画ものなどを除き)およそ一つもなかったとしても過言ではありませんから、ラスト10年のマイルズを代表する一曲だったでしょう。

 

だから、なんらかのかたちで録音されたものだけでも星数ほどあるマイルズの「タイム・アフター・タイム」のそのなかでも1987年7月25日、東京でのライヴ・アンダー・ザ・スカイで演奏されたヴァージョンはひときわスペシャルです。

 

これこそがぼくが耳にした範囲ではマイルズによる同曲のベスト・パフォーマンスに違いなく、復帰後マイルズの最高名演といえるもの。まるで天から音楽の神が降臨しているかのような演奏ぶりで、マイルズだけでなくバンド全員にミューズが取り憑いていたとしか思えません。

 

特にMIDI同期のキーボード・シンセサイザーを弾くロバート・アーヴィング IIIが絶品。こんなフレイジング、一曲にわたって切なさ爆発しそうですが、事前にかっちりしたアレンジが用意されていたかも?と思えるほど同じモチーフを反復しながら一貫して整っています。

 

ライヴでは事前のアレンジやリハーサルを嫌うマイルズで一度もやったことがありませんでしたから、これもその場だけの即興だったのだと思うとますます鳥肌が立ちますね。それはバンドのみんなに言えること。リッキー・ウェルマン(ドラムス)のフィル・インもみごとです。

 

そしてマイルズのハーマン・ミューティッド・トランペット。キーボード・イントロに導かれまず吹く最初の第一音からして狂っています。どこからこんなフレーズが浮かぶのか?本編歌メロとはなんらの旋律関係もないプレリュードなんですが、そのパートの組み立てが天才的。これも即興なんですから、やはり神が降りていたでしょう。

 

歌メロ部に入り、どこまでも切なくリリカルに、歌詞の意味をじっくりかみしめるように淡々ときれいに吹いていくマイルズの美と、巧妙なフレイジングで寄り添うロバート・アーヴィング III。

 

そしてそのままの雰囲気を保ったままサビに入った刹那、いきなりマイルズはミュート器を外し、ぱっとオープン・ホーンで吹くんです。あたかもみずから抑制していたエモーションを瞬時解放するかのごとく、ただよいながら高らかに舞います。

 

しかしそれはサビだけ。終わるとその後はふたたびハーマン・ミュートをつけクールな世界へと戻っていきますが、サビだけオープンで吹いたドラマにはとても強い音楽的必然性と意味が感じられ、一音の過不足もない表現のなかにタイトにおさまっているというのが、晩年のマイルズにしてはありえないと思えるほど至高の美的構築品。

 

Miles Davis - trumpet, keyboards
Kenny Garrett - alto sax, flute
Foley - lead bass
Robert Irving III - keyboards
Adam Holzman - keyboards
Darryl Jones - bass
Ricky Wellman - drums
Mino Cinelu - percussions

 

https://www.youtube.com/watch?v=rj3xCgcOxlA&t=23s

 

1. One Phone Call / Street Scenes
2. Human Nature
3. Wrinkle
4. The Senate / Me and U
5. Tutu
6. Splatch
7. Time After Time

 

(written 2022.2.19)

2022/04/06

マイルズの「帝王」イメージは虚像

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(5 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/7kaxvy66uCEMOiGUZZgWGE?si=91264f02daaa4dbb

 

マイルズ・デイヴィスの『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』(1961)について、「やっぱり帝王らしからぬタイトルにちょいと違和感を感じるのは僕だけではないはず」という文章をこないだ見かけました。あるマイルズ専門ブログでのことでしたが、リンクを貼ってご紹介するのはよしておきます。

 

これには表裏一体の二つの意味で違和感をいだきますね。(1)いつまで「帝王」などというステレオタイプ・イメージにマイルズをしばりつけるつもりなのか。(2)マイルズのトランペット・サウンドはまったくマッチョではなく、真逆のフィーメイルなタイプだったのに。

 

このばあいの「マッチョ」とはボディビルディング的な外見に言及しているのではなく、メンタル面での(旧来的な)男らしさの追求・実現や、社会的な役割として歴史的に男性に求められてきた理想像といったものを指して使っています。この記事でも、音楽的な意味、サウンド面でのイメージについての言及です。

 

つくりだした音楽でだけ判断すれば、みんなが言う従来的な意味での「男らしさ」とは無縁だったのがマイルズで、チャーリー・パーカーのコンボでデビューした当時からすでに雄々しくない、か細く弱々しいサウンドでのバラード演奏でボスと好対照を演じ、猛々しいドライヴィング・チューンなどでは居場所がなさそうにしていましたよね。

 

そんな生来の(女性的な?)持ち味は独立して以後さらに磨きがかかるようになり、特に1955年にファースト・レギュラー・クインテットを持つちょっと前あたりからハーマン・ミュートを多用するようになって、それでバラードや小唄系を演奏するときにことさら発揮されたように思います。

 

ただでさえもとから音量の小さいトランペッターで、しかもヴィブラートをいっさい使わないストレート&ナイーヴな発音スタイルの持ち主だったのが、音色も変わる弱音器なんか使えばいっそう頼りなさげなサウンドが強調されようというもの。

 

それこそがマイルズの選択と成熟で、そうなって以後ハーマン・ミュートで演奏したフィーメイル・タッチの曲ばかり、録音日付順に集めてプレイリストにしておいたのがいちばん上のSpotifyリンク。ざっとお聴きになれば、マイルズがどんな音楽家だったのか、ご理解いただけそうな気がします。

 

ブラック・ミュージックっていうと「野太い」みたいな先入観もあると思うんですが、マイルズにかぎっては正反対でした。ただしこの音楽家もマチスモなファンク方向に振れた時期があります。上のプレイリストに存在しないので一目瞭然ですが、1968〜75年ごろ。そのころはトランペットにハーマン・ミュートすらつけなかったというか、そもそも電化されていたので。

 

そんなファンク時代に「帝王」イメージがついてしまったと思うんですよね。音楽像とも一致していましたし、イキったような各種発言とあいまってこの音楽家の印象が確定して、そして1981年の復帰後はそれがさらに増幅されたんじゃないでしょうか。

 

ここ日本においては、そんな81年復帰後、中山康樹編集長時代の『スイングジャーナル』が<マイルズ=帝王>イメージの拡散につとめたようにみえました。中山さんは独立後も各種書籍などで<帝王>を乱発し、インタヴューなどでの一人称を「俺」「俺様」に固定し、マイルズの日本におけるナラティヴをすっかり確定してしまったような感じでした。

 

2015年に亡くなるまで日本におけるマイルズ・ジャーナリズムを牽引・支配したのが中山さんにほかならず、いまでも日本語でマイルズについて研究しようとすればだれもがまず参照せざるをえないのが中山さんの著作ですから、定着してしまった<帝王>イメージを拭えないまま現在まできてしまっているかもしれません。

 

マイルズのトータル・キャリアを俯瞰すればほんの一時期の例外的突出でしかなかった(が最高だった)マチスモ・ファンク期を除き、それ以前もそれ以後もハーマン・ミュートをつけてリリカルなバラードを細く頼りない女性的な(?)サウンドで奏でたのがマイルズ。

 

「いつか王子様が」みたいなタイトルの曲を語るのに(音楽的には)躊躇なんてなかった人物です。こういったディズニー・ソングはマイルズ本来のサウンド・イメージに100%合致しているものなんですから。

 

(written 2022.2.2)

2022/03/06

マイルズのポジティヴィティ 〜 BLMミュージックとしての『ジャック・ジョンスン』

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(4 min read)

 

Miles Davis / Jack Johnson & others
https://open.spotify.com/playlist/48sWBcRkDploXAlIzUolsV?si=7212fb13baff4a42

 

こないだからマイルズ・デイヴィスのアルバム『ア・トリビュート・トゥ・ジャック・ジョンスン』(1971)が一部でだけちょっぴり話題を集めていますよね。なぜなんでしょう、Mobile Fidelityが高音質盤のLPとSACDでリイシューしたから?先の2月24日が71年のオリジナル発売日だったから?

 

ともあれ、これがむかしから大好きなぼくにはうれしいことで、思い出すいいきっかけになりました。1970年4月録音を中心に組み立てられた『ジャック・ジョンスン』はジェイムズ・ブラウンとスライ&ザ・ファミリー・ストーンへの言及をふくむブラック・ジャズ・ロックの傑作で、しかもいま2020年代にはBLMミュージックとして聴けるという意義があると思いますよ。

 

1974年リリースの二枚組だった『ゲット・アップ・ウィズ・イット』なんかもそういった側面がありますが、パワーとポジティヴィティは『ジャック・ジョンスン』のほうがさらに上。1970年2〜5月ごろのスタジオ・セッションでのマイルズは、シンプルなギター・トリオ編成でこうした音楽をどんどん展開していました。

 

黒人ボクサーにして世界ヘヴィ級チャンピオン、ジャック・ジョンスンの伝記映画のために制作された音楽だというのが、どんな人生を送ったボクサーだったのかをふまえると、いっそうこの音楽のBLM的意味へとつながっていきます。しかしそんな映画サウンドトラックを、という要請がセッション時にあったわけじゃありません。

 

マイルズは勝手きままにどんどんスタジオ入りしてはセッションをくりかえし、ティオ・マセロもテープを止めずに全貌を記録していただけで、ジャック・ジョンスン伝記映画サントラをというリクエストを受けたティオが録音済み音源を利用してそれらしく仕立てあげただけです(ティオは映画サントラが得意なプロデューサーで、人生でいちばん成功したのも『卒業』のサントラ)。

 

ですが、そうしてできたアルバムがジャック・ジョンスンみたいな人物を描く音楽として、結果的にだったとはいえ、これ以上なくぴったりハマりこんでいるという事実、アメリカ社会で黒人としてプライドを持ち前向きに生きるという力強く鮮明なマニフェストみたいに聴こえるという事実が、とりもなおさずこの時期のマイルズ・ミュージックの現代的価値を決めているんじゃないかと思います。

 

『ジャック・ジョンスン』などこの時期のマイルズ・ギター・ミュージックにあるこのサウンドとビートに鮮明に聴きとれるポジティヴさと力強さ、そして肯定感こそが、2020年代にこの音楽をBLM運動のためのものと再解釈できるなによりのヴィークルでしょう。

 

そうした人間的プライドに支えられた人種意識と気高さが21世紀的なブラック・アメリカン・ミュージックとBLMの特質で、約50年前の音楽なれどマイルズの『ジャック・ジョンスン』などはピッタリそれを表現できているように聴こえます。

 

(written 2022.3.5)

2022/02/17

バラディアーとしてのマイルズの真価 〜「I Fall in Love Too Easily」

18sevensteps

(4 min read)

 

Miles Davis / I Fall in Love Too Easily
https://open.spotify.com/track/32YZWXNhOd70F19BZSU73w?si=d0375e814d0d4496

 

同じ曲の話をなんどもしてごめんなさい、でも昨晩22時半すぎ、なにげなく流していたプレイリストでふと耳に入ってきたマイルズ・デイヴィスの「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥー・イーズリー」で、思わず泣いちゃった。

 

マイルズ1963年のアルバム『セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン』の3曲目なんですけど、この作品はウィントン・ケリー、ジミー・コブらがいたレギュラー・バンドの解散後、次のニュー・バンドを結成するまでの端境期に録音されたものです。

 

正確には二種類のセッションで構成されていて、2、4、6曲目が新しく結成したばかりのニュー・クインテット(ジョージ・コールマン、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズ)による初録音。それ以外の三曲はその直前にロス・アンジェルスでセッション・ミュージシャンを起用して誕生しました。

 

ハービーらで構成されるニュー・クインテットは、その後1968年まで目覚ましい大活躍をすることとなり、マイルズの音楽生涯を通しても一つのピークだったといえるほどなので、だから63年の『セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン』はその最初の入口にあるものと捉えられることがほとんど。

 

ですが、ぼくの見方は違います。このアルバムの聴きどころは、ワン・ホーン編成によるLA録音のバラード三曲。ハーマン・ミュートでどこまでも切なくリリカルに吹くマイルズの持ち味が存分に発揮されていると思うんですよね。

 

音楽的なシャープさ、新時代を先取りする気概、溌剌としたバンドの躍動感などはまったくないそれら三曲こそ、だからゆえにかえって、バラード吹奏におけるマイルズのチャームを理解するのにもってこいですし、ほんとうに美しいとぼくは心から感動します。

 

これは40年以上前からずっといだき続けている実感なんですけど、低評価ぶりと、ニュー・クインテットによる若々しいみずみずしさが聴ける三曲との落差が大きいので、あまりおおっぴらに公言できないままのマイルズ・リスナー人生でした。

 

とはいえ過去にこのブログで一度だけ記事にしたことはありますけれど。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/la-15b3.html

 

なかでもA面ラストだった「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥー・イーズリー」でのマイルズの切なさ極まる演奏ぶりは絶品。伴奏(ヴィクター・フェルドマン、ロン・カーター、フランク・バトラー)も肝所をおさえた職人芸で、ため息が出ます。

 

この曲はコロンビア時代の1945年にフランク・シナトラが歌ったのが初演で、シナトラ好きだったマイルズは、それが理由でとりあげたに違いありません。線の細い頼りなさげで女性的なハーマン・ミューティッド・トランペットのサウンドは、シナトラの味とはだいぶ違いますね。

 

マイルズの「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥー・イーズリー」、四人でどこまでも淡々と静かにおだやかにこの切ないメロディをつづっているようでいて、しかしそれでもやや熱を帯びているかと思える瞬間もあり、内に秘めた爆出しそうな孤独と哀感を音楽的にきれいに蒸化していく様子に、バラディアーとしてのマイルズの真価を聴く思いです。

 

みずみずしい三曲に比べ、それらには表現が円熟しきった退廃すら感じられ、それも理由でぼくはずっと愛してきました。

 

(written 2022.2.16)

2021/12/15

バラードはソロ・キャリア初期からかなりよかったマイルズ

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(7 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/5UXGBdPU6gkTsUZ8g1td1g?si=dada255d7bb14f15

 

マイルズ・デイヴィスの初期ブルー・ノート録音は、『Vol. 1』と『Vol. 2』の二つのアルバムにすべてがまとめられています。1952/5/9、53/4/20、54/3/6と三回のセッションで収録されたもの。

 

このへんのマイルズ初期ブルー・ノート音源がもともと10インチLP三枚だったことは、一度くわしく書きました。ずいぶん前の記事なのでおそらくみなさん忘れているだろうということで、もう一回書いておくことにします。リンク書いて案内してもクリックされませんし(でもいちおう貼っておく↓)。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-6366.html

 

まず最初、1952年録音はJ. J. ジョンスン、ジャッキー・マクリーンをふくむセクステット編成。完成した六曲が同52年に『ヤング・マン・ウィズ・ア・ホーン』という10インチLPに収録され、発売されました。

Miles_davis_young_man_with_a_horn

1953年のセッションはJ. J. ジョンスン、ジミー・ヒースらによる、これまたセクステット編成。やはり六曲が完成し、同年に10インチ盤『マイルズ・デイヴィス・ヴォリューム 2』として発売。

Miles_davis_volume_2

ラスト1954年は、ホレス・シルヴァーをピアノに据えたワン・ホーン・カルテット。このときも六曲録音して、やはりこれも同年に10インチ盤『マイルズ・デイヴィス・ヴォリューム 3』となりました。

Milesvol3bluenote

マスター・テイクだけならこれでマイルズの初期ブルー・ノート録音はぜんぶです。いずれも六曲づつ、すべて10インチLP、一年に一枚づつその年の録音分が収録・発売されたわけですから、わかりやすいんじゃないでしょうか。

 

それらぜんぶひっくるめ、未発売だった別テイクも入れて、12インチLP二枚となってまとめられたのは1956年のこと。その際ブルー・ノートが採用したタイトルが『Vol. 1』と『Vol. 2』で、ジャケットもいちばん上に掲げた二つのとおりです。これらもちょっと10インチっぽいジャケですけどね。

 

それで、これら初期ブルー・ノート録音のマイルズのことが、個人的には大学生のころからけっこう好きなんです。世間的にはまったく人気がないし、評論家筋の評価もかなり低いということで、なんとなく言いづらい雰囲気が長年ありました。

 

そんなことを気にせずに書いた過去記事が上にリンクした2016年のものだったんですけれど、これもあまりアクセスがなくてですね。やっぱりなぁ、このへんのマイルズのことはみんなイマイチなのかも?とちょっぴり落胆したという次第。

 

でもねえ、ホント、たとえばバラード吹奏なんかは、この1950年代初期においてすでに完成されているとみていい立派な内容ですよ。マイルズ初期ブルー・ノート録音にあるバラードといえば、以下の五曲。

 

1952年(録音順)
「ディア・オールド・ストックホルム」
「イエスタデイズ」
「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」

1953年
「アイ・ウェイティッド・フォー・ユー」

1954年
「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」

 

54年の「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」をカップ・ミュートで吹いていることを除けば、すべてオープン・ホーンでの吹奏。マイルズにとってハーマン・ミュートがトレード・マークになったのは1955年ごろからのことですから。

 

また52年、53年はセクステット編成であるにもかかわらず、これらバラードにかんしてはワン・ホーン・カルテットでの演奏なのも特徴でしょう。例外は「ディア・オールド・ストックホルム」。そこではアルト・サックスのジャッキー・マクリーンのみごとなソロもフィーチャーされています。

 

おもしろいのは「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」も「ディア・オールド・ストックホルム」も、数年後にファースト・レギュラー・クインテットで再演していること。前者はプレスティジの『ワーキン』に、後者はコロンビアの『ラウンド・ミッドナイト』に収録されています。

 

しかしいずれもきょう話題にしているブルー・ノート・ヴァージョンのほうが情緒感があって出来もいいんじゃないかと思えるんです。個人的な好みもおおいに関係しての判断ですけれどもね。「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」はプレスティジ・ヴァージョンと甲乙つけがたいというのが事実ですが、ぼくはカップ・ミュートの音色のせいで仄暗いリリカルさの出ているブルー・ノートのほうが好き。

 

「ディア・オールド・ストックホルム」にいたってはですね、コロンビア・ヴァージョンではバラードであるという表現様式はいったん捨てて、ビートの効いたミドル・テンポ・ナンバーへと大胆に変貌させています。リズム・セクションの動きに特徴のある内容で、なかなかおもしろいのではありますが、バラードとして聴いたらブルー・ノート・ヴァージョンのほうに軍配が上がるでしょう。

 

「イエスタデイズ」「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」もみごとにリリカル。情緒的なバラード吹奏ぶりで、しかも、こういったムードを感じさせる要素は1955年ごろ以後マイルズから消えてしまったと思うんですけど、独特の丸さ、暗さ、ムーディさがあります。レギュラー・クインテット結成以後はもっとキリッと引き締まった痩身の演奏をバラードでもするようになりました。音楽としてはそのほうが上質でしょうけども。

 

まだそうなっていないぶん、テンポのいいグルーヴ・ナンバーなんかでは物足りなさを感じさせるいっぽうで、バラード演奏では(その緊張感のなさがかえって)リリカルな表現に独特のムードというかくぐもった仄暗さというか、えもいわれぬ雰囲気をもたらしているんじゃないかと思うんですよね。

 

初期ブルー・ノート時代のマイルズはいまだ未完である、がしかしそれゆえに、バラード吹奏では自分にしかできない独自の個性を見出しつつあって、ある意味これはこれで立派だとも言えるんです。チャーリー・パーカー・コンボ時代からリリカルなバラード表現には長じていましたから。

 

(written 2021.7.21)

2021/10/16

マイルズ at 人見記念講堂 1988

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(13 min read)

 

マイルズ・デイヴィスを知ったのは1979年のことだったので、ちょうど一時引退中。ライヴに触れることができるようになったのは81年以後の来日でのことです(だからねえ、80年代マイルズには思い入れあるんですよ、村井康司さん、わかります?)。

 

そんななかでも特に1988年8月に三軒茶屋の昭和女子大人見記念講堂で聴いたコンサートは、最もすばらしかった、最もあざやかだったものとして、ぼくの記憶にクッキリ焼きついているんですね。いままでも一、二度している話ですが、あのときはマジで最高だったなあ。

 

ちょうど東京都立大学(当時は東横線沿線)英文学研究室の助手として働いていた時期。京王線のつつじヶ丘に住んでいましたから、まず下高井戸まで行き、そこから東急世田谷線で三軒茶屋まで。世田谷線にはあのときはじめて乗りました。三軒茶屋の街に行くのもはじめてで、だからちょっと早めに着き人見記念講堂の場所だけ確認しておいて、いったんカフェで休憩しました。

 

ほぼ定刻どおりにバンドのみんながステージ下手(向かって左)から出てきて、「イン・ア・サイレント・ウェイ」(ジョー・ザヴィヌル)を演奏しはじめたんですけど、肝心のボスはまだ姿を現しません。すぐにトランペットの音だけが聴こえてきて、次いで吹きながらソデから歩み出てきました。

 

人見記念講堂のそのときのステージは、ちょうど中央にボスの弾くキーボード・シンセサイザーのラック、その右手にアダム・ホルツマン、左にロバート・アーヴィング III(ともにキーボード・シンセ)。マイルズの真後ろの台にリッキー・ウェルマン(ドラムス)がいて、その左、ロバート・アーヴィングの左横にベニー・リートヴェルト(ベース)。アダムの前方にケニー・ギャレット(サックス)、そのすぐ右横にフォーリー(リード・ベース)。最上手前方にマリリン・マズール(パーカッション)。

 

亡くなってから知ったことですが、「イン・ア・サイレント・ウェイ」をライヴのオープニングに使っていたのは1988年だけ。マイルズはこの曲、ほんとうにとても好きだったんです。といっても88年のライヴではバンドがそのメロディを演奏するだけで、マイルズはその上を自由に舞っているという感じのフレーズを散らしていました。

 

あのときの鮮明なライヴ体験、忘れられないものですけど、追体験しようにも1988年のライヴ音源は死後もなかなか出なくて困っていました。例の大部な(20枚組だっけな)モントルー完全ボックスが発売されて、それに88年7月のライヴ分も収録されていましたから、三軒茶屋のひと月前のライヴということで、メンバーは同じ、たぶんセット・リストも似たような感じだったよねえということで、それを聴きながら思い出にふけります。

 

だからきょうの話も、その88年7月のモントルー・ライヴに沿って進めます。あの人見記念講堂ライヴでは、まだ知らなかったレパートリーも多かったというのが、あのとき客席で聴いていての率直な印象だったもの。ぼくなんか知らない曲を、特にライヴではじめて聴くときは五里霧中になってしまいますから、客席でどうしたもんか?と思っていました。

 

だって、オープニングの「イン・ア・サイレント・ウェイ」はほんの短いプレリュードにしか過ぎず、そのまま連続して「イントゥルーダー」になだれこみますが、これも当時知らない曲です。ほとんどの一般のマイルズ・ファンもそうだったはず。曲名だって、知ったのは『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』が発売された1996年のことです。死後五年目。

 

もっとも『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』にしたって、どっちかというとおなじみの曲を多く収録しているものですから、87〜90年当時のマイルズ・ライヴの定番レパートリーで88年三軒茶屋でも演奏された「ザ・セネット〜ミー&ユー」とかニール・ラーセンの「カーニヴァル・タイム」とか、88年だけのレパートリーだった「ヘヴィ・メタル」とかプリンスの「ムーヴィ・スター」とか、モントルー・ボックスがリリースされる2002年になるまで名前すらもわからなかった曲でした。

 

ところで、その「ヘヴィ・メタル」。「ヘヴィ・メタル・プレリュード」と「ヘヴィ・メタル」のメドレーになっているものですが、前者は曲というよりマリリンのパーカッション・ソロをフィーチャーした内容。本編の後者がフォーリーのメタリックなギター(と言ってしまおう、四弦のリード・ベースだけど)弾きまくりのハード・チューンで、こ〜れがもう超絶カッコよかった。

 

バンド、特にサックスとキーボードがキメのリフをくりかえすなか、それにフォーリーがからみつくように弾いているかと思うと、後半ではフォーリーひとりを大きくフィーチャーした、それこそヘヴィ・メタルなロック・ナンバー。ロックというよりファンクに近いのか、そんな一曲でしたねえ。88年8月の人見記念講堂で聴いたなかで、いまでもいちばん鮮明に憶えているのが「ヘヴィ・メタル」(という曲名も知らなかったわけだけど)です。クライマックスだったに違いありません。

 

プリンスの「ムーヴィ・スター」(プリンス・ヴァージョンは『クリスタル・ボール』収録)もよく憶えています。これも現場でなんだかわからなかった曲ですが、なにか軽〜い、ちょっとふざけたようなユーモラスな、おどけた調子のものを一曲やった、そのとき自動車のブレーキ音みたいなのがサウンド・エフェクト的に入っていたというのを客席で聴いて、なんじゃこりゃ?と思ったんでした。

 

それから、数曲でケニーやフォーリーがやたらと長尺のソロをとるなあという印象もあって(「ヒューマン・ネイチャー」のときのケニーのアルト・ソロなんか、あんまりにも長いんで、客席でうんざりだった)、いまふりかえったらそれはマイルズの衣装チェインジ・タイムだったんですよね。長いソロをとらせているあいだに自分はソデに引っ込んで衣替え。どうだ、カッコいいだろう?というドヤ顔で再登場するわけです。

 

ボスはひょっとしたらそのときトイレにも行ったかもしれません。しかしバンド・メンバーは、トイレ、どうしていたんでしょうかねえ。モントルーのでも88年のステージは2時間14分。そう、三軒茶屋でもそれくらいでした。しかもニ部構成じゃなくてノン・ストップなんですよ。客席のぼくだってオシッコ我慢できなくておおいに弱った憶えがあります。バンドのみんなはあからじめわかっていたことだから、ライヴ前に水分を摂りすぎないようにしていたのかなあ。

 

もちろん「ヒューマン・ネイチャー」「タイム・アフター・タイム」「ツツ」「ブルーズ」「パーフェクト・ウェイ」といったおなじみの曲もやりましたが、解釈があたらしくなっていたので、新鮮な気分で聴くことができました。特に復帰後のマイルズの代名詞になったシンディ・ローパーの「タイム・アフター・タイム」は、後半さわやかで軽快なアップ・ビートが効きはじめるという新アレンジで、88年だけじゃないですか、そういうのは。

 

一曲終わるとボスが(トランペットにくっつけているミニ・マイクに向かって)なにかしゃべるんですけど、聴きとれなくてですね、音から察するに「ケニー!」とか「フォーリー!」とか、その曲で目立って活躍したサイド・メンバーを紹介したんだと思いますが、マイルズってあんなしゃがれ声ですからね、かつてアル・フォスターも「なに言ってるかわからないんだけど、マイルズに聞き返せないだろう?」と苦笑していたことがありました。

 

この三軒茶屋のときじゃないけど、サイド・メンバーの名前が大きく書かれたプレートみたいなのを掲げてみせるということをやっていた年もあったようです。そういった写真や動画をちょこちょこ見かけます。この手のことは、1981年復帰後、特に86年のワーナー移籍後のマイルズの変化を示すものです。考えられないことですよねえ、以前のマイルズだったなら。

 

衣装もそうだけど、ライティングふくめ、ライヴ・ステージ全体がずいぶんとショウ・アップされるようになっていたなあというのも、88年三軒茶屋ライヴでの印象。これもワーナーに移籍してプリンスとレーベル・メイトになって以後の顕著な変化の一つでした。キマジメなジャズ・ファンやクリティックはそういうのバカにするかもしれませんし、実際バカにされていました。

 

七月のモントルー・ライヴでは、ラストが「トマース」になっていますが、八月の三軒茶屋でもアンコールで演奏されました。しかもやはり同じアルバム『ツツ』からの「ポーシア」とのメドレーで。アンコールなんかも、かつてのマイルズだったら絶対に応じなかったわけですけど、このときなんかニ回もやったんですよねえ。「ポーシア」はオーラスでした。

 

アンコールでも、マイルズはもちろんそれ用の衣装に着替えて出てきましたが、ニ回目なんかはブラック・ライトに映える蛍光衣装で出てきて、ステージを真っ暗にして、闇のなかでボスの衣装とトランペットだけが異様に光っているんですよねえ。その状態で「ポーシア」が演奏されました。

 

ぜんぶ終わって、ボスが去り、バンド・メンバーが去っても、キーボードの音を鳴らしっぱなしにしてあって、「ポーシア」で最後の最後に演奏されたサウンドが消えないままずっと残っていました。それが徐々に小さくなって消え入るころに客席が明るくなって、ぼくらも席を立つことができたのです。

 

(written 2021.6.18)

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