カテゴリー「ボレーロ、フィーリン」の9件の記事

2021/07/08

自分の世界をみつけたアントニオ・ザンブージョ 〜『声とギター』

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(3 min read)

 

Antonio Zambujo / Voz E Violão

https://open.spotify.com/album/0MLMjoAgCLerOLw3nxPe9M?si=4TKmfpVVR8-KEQXFlM_q-A&dl_branch=1

 

もとからファド歌手でもないようなつぶやきヴォーカルのアントニオ・ザンブージョ(ポルトガル)ですからぁ、声とギターだけでジョアン・ジルベルトを意識したような作品をつくるのは自然な流れというか時間の問題ではありました。

 

そう、このアントニオの九作目にあたる新アルバム『Voz E Violão』(2021)は、ジョアンを意識したアルバム題どおり、基本、声とギターだけの弾き語り作品なんですよね。そ〜れが、かなりいい!ぼくはおおいに気に入りましたね。特に冒頭三曲あたりでのあっさりさっぱりしたテイストは、なかなかほかの歌手では得がたい味だと思います。

 

1曲目なんかでも、このさわやかなメロディの動きをこうしてみずからの弾くギター伴奏だけでさらりと歌ってみせるアントニオの妙技に、なんとも感心します。1曲目はちょっと涼感すらあるこのさわやかさっぱり風味、どんなジャンルの歌手でもなかなかここまで味わい深く歌えるものじゃないですよ。

 

そういう心地よさが3曲目あたりまで続くんですけど、軽みっていうかあっさりテイストは、近年世界のヴォーカル界で主流になってきているんじゃないかとぼくにはみえていて、アントニオのこうした歌いかたもそんな時代の潮流にうまく乗っているなと思えます。日本の演歌界なんかでも「こんなのは演歌じゃねえ!」と言われたりする若手歌手が大勢いたりしますが、時代の変化に旧体質な聴き手がついてこれていないだけ。

 

ボサ・ノーヴァ、フィーリン的なふわっとした軽快な、クールで感情の抑制の効いたヴォーカル表現が、世界で主流となってきているいま、ポルトガルでアントニオがこういう歌いかたをして、こうしたジョアン・ジルベルト的なアルバムをリリースすることだって、必然的な帰結だと思えます。

 

フィーリンといえば、このアルバムには8曲目にキューバのフランク・ドミンゲスの「Tu Me Acostumbtaste」があるわけですが、これなんか、ホントにアントニオの資質にぴったり合致していて、最高ですよね。このやわらかいソフトでクールなヴォーカル、これこそこの歌手の持ち味で、それを活かせるレパートリーを歌ったなと実感できます。

 

MPB的というか、カエターノ・ヴェローゾの10曲目「Como 2 E 2」なんかもピッタリ似合っているし、またたぶん一部のみなさんはウゲ〜と感じるかもしれない7「モナ・リーサ」もぼくには心地いい。

 

ナット・キング・コールのヴァージョンが好きだから、っていうのもありますが、それ以上にここでのアントニオの解釈は決して甘くない、フィーリングのコントロールの効いたさっぱりテイストで仕上げてあって、アルバム中前後と違和感なく聴こえ、全体の統一感を乱していないからですね。

 

(written 2021.7.7)

2021/02/15

香港フィーリン 〜 崔萍「重逢」

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(4 min read)

 

崔萍 / 群星會25崔萍

https://open.spotify.com/album/3ff95xRwifnKuS7kpR1qrS?si=IKnPqvxCS7mxhvxWfUo1Wg

 

ハルビン生まれの香港歌手、崔萍(ツイ・ピン)。こないだエル・スールのホーム・ページをぶらぶらしていてたいへん気になる一節を見つけました。それは崔萍の「重逢」は極東フィーリンの最重要曲の一つであるとの指摘です。

 

フィーリンにはひとかたならぬ思いがありますからね、ぼくは。そんな、最重要曲の一つだなんて言われたら聴かないわけにはいかないですよ。あわててSpotify検索したら、崔萍の「重逢」、ありました。コンピレイションでしょうけど『群星會25崔萍』というアルバムにちゃんと収録されていたんです。

 

それで聴きました、崔萍の「重逢」と、アルバム『群星會25崔萍』を。これ、Spotifyでは1945と表示されていますが、こりゃなんの年でしょうかね、崔萍は1960年にシングル・デビューしているわけで、だから45年がなんの意味なのかちょっとわからないです。

 

ともかく崔萍は1960年にレコード・デビューしたのち、64年にアルバム・デビュー、その後七年間で10枚のアルバムをリリースするも、72年に引退してしまったそうです。Spotifyでも聴ける『群星會25崔萍』がいつごろの録音を収録したものか不明ですが、60年代ではありそうです。

 

で、問題の「重逢」。たしかにフィーリンっぽいですよね。リズムがボレーロ・スタイルの8ビートで、しかもストレートに感情を込めすぎず一歩引いてクールにやるアレンジとヴォーカル・スタイルはまさにフィーリン。キューバ(やメキシコ)におけるフィーリンは、たぶん1950年代が流行期だったでしょうから、崔萍が「重逢」を録音した、何年かわからないけど60年代には香港にも渡ってきていたでしょう。

 

こういった、過剰な感情表現をせず抑制を効かせ淡々とやる、ナイーヴで素直な表現スタイル、ひとことにすればクールなやりかたが最近大好きなぼくですから、それは北米合衆国のジャズでも日本の演歌でもそうで、香港でも崔萍が「重逢」を歌っていたことがわかって、ほんとうにうれしい気分です。

 

ふりかえってアルバム『群星會25崔萍』全体をみわたせば、そんなクールに抑制の効いたフィーリンっぽい味はそこかしこに感じられます。やっぱり中国歌謡だなと思える要素がいちばん濃厚ですけど、そんなときでも崔萍はエモーショナルにならず一歩引いて落ち着いたヴォーカルを心がけているのがわかります。8ビートのボレーロ・スタイルのリズムを持ったフィーリンっぽい曲だって複数見つけることができましたよ。

 

そのほか、まだロック・ミュージックに侵襲されていなかったのか、全体でみて中国系旋律のなかにジャジーだったりラテン・ジャズ的ポップ・フィーリングでのサウンド・アレンジを施しているものが多く、なかにはまったく中国系じゃないストレートなスウィング系ジャズ・ソングもあったりします。

 

さらに、三連のダダダ・リズムが効いた6/8拍子のものも二曲あって、まるで米ルイジアナ・スワンプ・ポップに聴こえたりするのも楽しいところですね。アマリア・ロドリゲスやヒバ・タワジみたいに濃厚なエモーションを表出してグリグリやるスタイルの歌手だっていまだ好きですけど、いっぽうでこういった崔萍みたいな、あるいはカエターノ・ヴェローゾとか近年の坂本冬美とか、ほんとうにいいなあ〜ってしみじみ感じ入ります。

 

(written 2020.11.25)

2019/04/22

ナット・キング・コールのラテン集はフィーリン・アルバム?

4589605035069http://elsurrecords.com/2019/03/17/nat-king-cole-latin-american-tour-with-king-cole/

 

https://open.spotify.com/user/21qp3vk3o45zy3ulmo4rgpd3a/playlist/7GlR8e592Xomud4vjHrN9h?si=fvh4P46ORDGYulbEq80yOw

 

今2019年はナット・キング・コール生誕100周年にあたる。それで誕生日の3月17日にテイクオフ/オフィス・サンビーニャから一枚リリースされた。『キング・コールと行くラテンアメリカの旅』。大のナット・コール好きでラテン・ソングズも好きというぼくみたいな人間にとってはもってこいの企画盤だ。ナットのラテン曲集アルバム三枚については、以前詳述した。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/05/post-be41.html

 

それで、ずっと前、デッカ時代とかキャピトル初期とか、ナット・キング・コールといえばそのへんのピアノ・トリオ作品で決まりだという趣旨の記事をアップロードしたらコメントがついて、「えっ?そうなのですか?ぼくたちにとっては雑音混じりのラジオから聴こえてくる 'カチート' であり…」とおっしゃるかたがいらした。ある世代以上の洋楽ファンのみなさんにとって、ナット・キング・コールのイメージとはそういったものなんだそう。

 

そう言われれば、たしかに「ネイチャー・ボーイ」や「モナ・リーサ」「トゥー・ヤング」「枯葉」などが歌手としてのナット・キング・コールを象徴する大ヒットだし、そんなスーパー・スターであるナットが歌ったラテン・ナンバーを耳にして、特に「カチート」あたりかな、そういうのでラテン音楽ファンになったという年配の洋楽好きのかたがたがいらっしゃるのは当然と思う。

 

だから、そんな「カチート」がテイクオフ/オフィス・サンビーニャ盤『キング・コールと行くラテンアメリカの旅』で幕開けに置かれているのは当然かな。それ以後も三枚のラテン集からまんべんなく選ばれていて、選曲と並び順は解説をお書きのラテン専門家、竹村淳さんかな?と思うんだけど、全35曲あるうちからオミットした五曲はそれなりの理由のあるものだし、一枚通してとてもよくできているし、『キング・コールと行くラテンアメリカの旅』はナットのラテンを聴くのにこれ以上ない格好盤だなあ。

 

このアルバムには一曲だけ歌のないインストルメンタル演奏が含まれていて(ナットはもちろんピアノ)、11曲目の「わが情熱のあなた」(Tú, Mi Delirio)。これはセサール・ポルティージョ・デ・ラ・ルスの書いたフィーリン楽曲なんだよね。ナットのは1958年のレコードだけど、キューバ本国ではもちろんとっくにフィーリン・ブームだったとはいえ、アメリカ合衆国でその時点でフィーリンをやったというのはかなり興味深い。

 

むろん、選曲はナット自身というよりもマネイジャー含めキャピトルのスタッフがやったに違いないわけで(そもそもラテン・アルバムを創ろうというのだって、マネイジャーの持ち込んだアイデアだった)、ナットはそれにしたがって演唱しただけとはいえ、それでも結果として、1958年にナットがフィーリンをやっているというのは考えさせられるところがある。

 

っていうのはさ、ナット・キング・コールってあんなやわらかくソフトで軽くそっとささやくように置くようにていねいに歌うクルーナー・タイプでしょ。キューバでフィーリンの第一人者とされるホセ・アントニオ・メンデスはそもそもナットの大ファンで、ナットみたいに歌いたいと思って、結果、フィーリン・ヴォーカルを編み出した。

 

そんなナットがメキシコやキューバ(その他中南米各国の)のラテン楽曲をとりあげて、ホセ・アントニオもあこがれたようなフィーリン先駆けヴォイスでやわらかくやさしく歌ったわけだから、ナット・キング・コールのラテン・アルバムというのは、ある意味フィーリン集とも言える側面があるなあとぼくだったら思うわけ。

 

そういえば、今日話題にしている『キング・コールと行くラテンアメリカの旅』には、エル・スール原田さんがフィーリン・アンソロジー『フィーリンを感じて』のなかに選び入れた「ペルフィディア」が22曲目にある。それだけじゃない。20曲目に「アレリのつぼみ」(Capullito De Alhelí、プエルト・リコ)、28曲目に「ラ・ゴロンドリーナ」(La Golondrina、メキシコ)がある。二曲ともカエターノ・ヴェローゾが『粋な男』で歌ったものだ。

 

ナット・キング・コールからホセ・アントニオを経てカエターノへ、そんなフィーリン人脈というか系譜まで想像できてしまうのは、ぼくの妄想が過ぎるという面もあるだろうけれども、ナット・キング・コールのこんな声質と歌いかたでこういったラテン・ソング集を聴くならば、あながち外しすぎとも言いにくいのかもよ。

2018/05/12

フィーリンの誕生

 

 


という、原題が『Canta Solo Para Enamorados』であるエル・スール盤 CD アルバムがあって、2007年リリース。その後、シリーズ化して2012年の『フィーリンの真実』(Escribe Solo Para Enamorados)、2013年の『フィーリンの結晶』(Usted...el amor...y: José Antonio Méndez Vol. III) がある。キューバ人でメキシコで活動したホセ・アントニオ・メンデスがメキシコ RCA に残したレコード三枚を復刻するのが主眼だったんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

 


ホセ・アントニオのメキシコ時代の(基本)ギター弾き語りのスタジオ録音を収録した LP 分12曲が『フィーリンの真実』の後半にあるし、さらにこっちは完全にギター弾き語りでのライヴ録音14曲が、『フィーリンの誕生』と『フィーリンの結晶』に七曲ずつ分割収録されている。

 

 

つまりこれでエル・スール盤のそれら三枚があれば、メキシコ時代のホセ・アントニオのレコード音源全五枚が揃うことになるみたいなんだよね。1927年生まれのホセがメキシコに渡ったのが1949年。その後約10年間メキシコで音楽活動を行ったのち、キューバに帰還。もちろんキューバ時代にもアルバムがあって CD 化もされているものは僕も聴いているが、やはりメキシコ時代を重視しなくちゃね。

 

 

エル・スール盤『フィーリンの誕生』は、その後(2014年?もっと最近だったような?)リマスターされて蘇り、いまでもふつうに買えるし、上記のような事情なので、『フィーリンの真実』『フィーリンの結晶』と三枚セットのトリロジー的なものだから、ご興味のあるかたはぜひとも揃えていただきたい。

 

 

世界初 CD 化だった『Canta Solo Para Enamorados』(フィーリンの誕生)のばあい、全19曲のこのアルバムにおけるオリジナル・レコード分は12曲目まで。13〜19曲目が上記のとおりホセひとりでのギター弾き語りライヴの収録。12曲目までのスタジオ録音によるレコード分は Spotify にあった。これがオリジナルだ。

 

 

 

僕のちょっとヘンな(でもない?)見方によれば、端的に言ってフィーリンとは、キューバ/ラテン・ミュージック界における自作自演スタイルのムーヴメントだったということになるんだけど、違うかなあ。つまり、ホセ・アントニオもシンガー・ソングライターなのだ。しかし、この見方はなかなか実証しにくい面もある。

 

 

書いているように、すべて自作曲の弾き語りライヴ音源が、エル・スール盤 CD『フィーリンの誕生』『フィーリンの結晶』に分割収録されていて、ホセ・アントニオの代表曲はぜんぶあるし、このひとの書く楽曲スタイルや、歌いかた、ギターの弾きかたなどもよくわかるものだ。ファミリアーな雰囲気もよく伝わってくる空気感で、僕も好き。

 

 

だがしかし、それらギター弾き語りライヴ音源では、あの魅惑的なボレーロの8ビート・リズムが、ない。ないんだ。あれはバンドでの演奏スタイルだから当然なんだけど、弾き語り14曲ぜんぶが、なんというかフワ〜、ボワ〜っとしていてテンポ・ルパートで、ギターもヴォーカルもうまいんだけど、あのチャカチャカっていう8ビートのリズム・スタイルこそが僕にとってはボレーロとフィーリンをつなぐ生命線だから(っていう考えかたもおかしいのか?)、じゃあフィーリンってなんなんでしょう?僕の頭のなかというか、趣味嗜好が狂っているのかということになってしまう?

 

 

ホセ・アントニオもスタジオ録音だと、あの8ビート・ボレーロのリズムがちゃんとある。弾き語りライヴ・ヴァージョンだとそれがない「至福なる君」(La Gloria Eres Tu)も「あなたがわたしをわかってくれたなら」(Si Me Comprendieras)も「君が欠けていた」(Me Faltadas Tu)も、スタジオ・ヴァージョンなら、あのリズム・スタイルなんだ。つまりボレーロ。

 

 

ちょっと脱線するが、これら三曲こそホセ・アントニオ・メンデスの自作曲のなかでは至福なるものじゃないだろうか。そう考えているのは僕だけじゃないはず。ホセ自身によるスタジオ録音なら、「至福なる君」が『フィーリンの誕生』に、「あなたがわたしをわかってくれたなら」が『フィーリンの真実』に、「君が欠けていた」が『フィーリンの結晶』に収録されている。

 

 

ほかの曲もぜんぶそうなんだけど、それらはつまり甘いラヴ・ソングなんだよね。だから、キューバ恋愛歌の一つの究極のかたちとして(ボレーロから)フィーリンがあるのだと僕は考えている。あの8/8拍子の定常ビートが心臓の恋愛鼓動を刻むかのようで、その上でそっとやさしく小さな声でささやきかけるようにホセ・アントニオが歌う。伴奏サウンドもあくまでやわらかく。そしてお洒落でモダンに。ラヴ・ソングだからセクシーさもある。

 

 

それが(あくまで)僕にとってのフィーリン。個人的には一種のムード・ミュージックとか BGM みたいなものでもあって、だから自室内でそっと、大きすぎない音量で流していれば、それでなんとなくの雰囲気を味わっていれば、それでオーケーなのだ。それが僕のフィーリンの楽しみかた。ちょっとのクールな官能が適切で、ちょうどいい。

 

 

恋愛とは個人的な事情だから、シンガー・ソングライター化するのはとてもわかりやすいことなんだよね。北米合衆国でだってそうだもん。キューバ(〜メキシコ)のホセ・アントニオ・メンデスのことを僕はそういうふうに捉えている。

 

 

しかしここでまたひるがえると、『フィーリンの誕生』のオリジナル・レコード分12曲には、ホセの自作ナンバーが少ない。1「至福なる君」、3「最愛の女性」(Novia Mia)、6「もっと苦しみなさい」(Sufre Mas)、8「わたしの最高の歌」(Mi Mejor Cancion)の四つだけしかない。ほかはキューバやメキシコの音楽仲間の書いた他作のものばかり。

 

 

『フィーリンの結晶』のレコード・アルバム分12曲のなかにも自作は3曲しかない。こう見てくると、フィーリンとはキューバの恋愛歌謡におけるシンガー・ソングライター運動だという僕のテーゼは否定されるしかないものだ。それら二枚では、自作/他作の別なく、同じような出来栄えになっているからなあ。

 

 

二作目『フィーリンの真実』だけはレコード・アルバム分の12曲がぜんぶ自作ナンバーで、しかも SP 用とか EP 用とかの録音・発売品をのちに LP にまとめたとかではなく、最初から LP アルバム用のレコーディング・プランだったようだし、だからこのオール自作自演の『フィーリンの真実』こそ、ホセ・アントニオ・メンデスの代表作にして最高傑作と呼ぶべきものなんだろうね。実際そういう評価になっていると思う。

 

 

フィーリンというものがなんだったのか、簡単に言えばこうだと、今日、僕なりに書いたつもりなんだけど、でも曲やアルバムの具体的な中身には踏み込んでいないなあ。あの8ビートのちゃかちゃかっていうボレーロ・リズムが、個人的にはホント魅惑的に感じるものなんだけど、それが存在しないギター弾き語りこそホセ・アントニオ・メンデスの真骨頂で、だからやっぱり彼はシンガー・ソングライターだという、それがフィーリン・ミュージックのひとつの本質だという、今日の僕の意見は、なんだかディレンマ?アンビヴァレンス?う〜〜ん…。

 

 

ホセ・アントニオ・メンデスの曲や歌やギター演奏などの具体的な中身については、また別の機会にジックリ考えてみるしかない。しばしお待ちを。

2018/03/17

フィーリンのフィーリング

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あるいはご存知ないかたのために念押しすると、表題の「フィーリン」(Feelin、Filin など)とは、もちろん英語の feeling から来ている言葉。だけど、キューバで誕生し、同地やその周辺エリアである時期に流行した歌謡音楽の1スタイルを指すものだ。ジャンル名とは言いにくいかもしれない。語源どおり、感じかた、フィーリングのことだから、それまでとはちょっと違ったふうにやってみようというだけのもので、確固たる別形式があったとも言いにくい。

 

 

フィーリンが、キューバかあるいはキューバ人が渡ったメキシコあたりで誕生したのは1940年代末ごろとみなしていいんだろうか?でも流行するようになったのは50年代後半以後だよね。その後、59年のキューバ革命を経て60年代初頭にも歌われたけれど、62年の例の米ソ対立のキューバ危機ののちの64年の国営レコード会社エグレムの設立あたりで全盛期は終わったようだ。

 

 

だからフィーリンの流行期は1950年代末〜60年代初頭ということになるね。そのころのキューバや周辺国、もちろん北米合衆国(USA)も含んでの共通する動きを一枚の CD にまとめた好アンソロジーがある。エル・スールの原田尊志さん編纂でエル・スール・レコードからリリースされた『フィーリンを感じて』だ。

 

 

 


ご覧になればおわかりのように、2018年現在品切れ状態で再プレス待ちとなっているのだけが残念。一般流通品なので、2012年以後、ふつうの CD ショップやネット通販でも売っていた。あるいは店頭在庫が残っている場所があるかもしれないので、可能なかたは地道に路面店にあたってほしい。だってね、おもしろいアンソロジーだもんね。

 

 

フィーリンの代表格は、キューバ人で主にメキシコで活動したホセ・アントニオ・メンデスということになっているのだが、エル・スール盤『フィーリンを感じて』を聴くと、もっと広い共通傾向が、ある時期に生まれていたのだと気づく。それはラヴ・ソングをとりあげて、モダンな感覚でアレンジしなおして、ソフトにふわっと甘美にやさしく歌って、ある種のムードを出す 〜 そんな動きがあちこちで発生していたかもしれないようだ。

 

 

音楽の新潮流とは、まあ音楽に限らない話だが、たったひとりの天才的独創で誕生することなんてあまりない。フィーリンのばあいも同じ。1940年代末〜50年代にかけて、それまでの甘いラヴ・ソング、たいていはキューバの主たる恋愛歌スタイルであったボレーロを、いろんな音楽家や歌手たちが再解釈して、伴奏の楽器編成も見なおしてハーモニー感覚もモダンにし、歌も軽くフワリと乗せるようにして、決して声を張りすぎたり叫んだりしない歌唱法で、なんというか全体的にクールで抑制の効いた新感覚のボレーロというかラヴ・ソングをやりだした。

 

 

それがフィーリンの正体。だからこれは方法論であって、楽曲じたいの新形式、新ジャンルではない。エル・スール盤『フィーリンを感じて』には、主に1950年代末〜60年代初頭というフィーリン全盛期の録音が収録されているので、このアルバムを聴くと完成形としてのこの(キューバ)歌謡が聴けるのか、というと、実はもっといろんな種類のものが収録されているのが興味深い。

 

 

録音時期はたしかにぜんぶそのあたりなんだけど、たとえばアルバム・ラスト26曲目の「幸せになれない」(No Puedo Ser Feliz)を歌うボラ・デ・ニエベはフィーリン歌手なのかどうか判断がむずかしい。先駆者だと位置付けられるものの、もうちょっとだけ早い人だという見方が主流じゃないかな。「幸せになれない」はアドルフォ・グスマンの曲で、この人もフィーリンのなかに位置づけるよりも、先駆け的な人だったと見るべきだろう。

 

 

そんなアドルフォ・グスマンの「幸せになれない」をボラ・デ・ニエベがピアノ弾き語りでやるのをフィーリン・アンソロジーの末尾に収録しているのには、原田尊志さんの強い意思、目論見を僕は感じる。こういったちょっと軽くてモダンな、いわばジャズ・ソングとかシャンソンをやるみたいな感じの方法に、キューバにおいて従来様式にとらわれないラヴ・ソングをやろうという動きの予兆があったことを読みとってほしいということだろう。

 

 

 

ピアノ一台での弾き語りは典型的フィーリン・サウンドではないが、ちょっと新しめの、それまでとは違った歌謡表現法を感じとることができて、アルバム・ラストのここからリピート再生して一曲目のフランク・ドミンゲス「君の教え」(Tu Me Ascostumbrastes)へ戻ると、それもピアノ弾き語り(+ヴァイブラフォンなど)だし、通底するものをたしかに感じることができる。ヴォーカルのやわらかさはドミンゲスのほうがずっと洗練されている。

 

 

 

こんな感じのヴァイブラフォンの使いかたは、アルバム『フィーリンを感じて』全体を通し頻出する。ヴァイブラフォン+ピアノ+オルガン+ギター、みたいなのがフィーリン伴奏の主要サウンドだったんじゃないだろうか。それにくわえ甘美で流麗なストリングスとか、そんな感じかな、フィーリン・サウンドって。その上に(北米合衆国での言いかたなら)クルーナー・タイプのなめらかでソフトなヴォーカルを乗せればフィーリンっぽくなる。

 

 

だから北米合衆国の歌手でもそんなタイプの一人だったナット・キング・コールも、エル・スール盤『フィーリンを感じて』には収録されている。12曲目の「うらぎり」(Perfidia)。最高なんだよね。ヴォーカル技巧の上手さという点で判断すると、このアルバム中群を抜いて素晴らしい。声のなめらかさ、ポルタメントの美しさ、発声の輝き、正確なディクションなどなど完璧だ。これぞ<歌>だよ。

 

 

 

も〜う、なんど聴いてもこの甘さにとろけてしまう。ナット・キング・コールって素晴らしい歌手だよなあ。ところでこの「うらぎり」で聴けるリズム・パターンがあるでしょ。コンガやボンゴが細かくチャチャチャと刻んでいながらも、同時に全体的には大きくゆったりとウネるようなグルーヴ。これがキューバのボレーロのパターンで、フィーリンにもそっくりそのまま受け継がれている。こういうのが僕はだ〜いすきなんです。

 

 

こんなボレーロ/フィーリンのリズム・パターンは、アルバム『フィーリンを感じて』ではいたるところにあって、というかそうじゃない曲を探すほうがむずかしいので、これぞキューバン・ラヴ・ソングのリズム表現だと言ってさしつかえないのかもしれない。2曲目のオマーラ・ポルトゥオンド「わたしのせいじゃない」(No Hagas Cancion)もそう。アルバムに二曲収録されているフィーリンの女王エレーナ・ブルケも、24曲目の「失恋」(Presiento Que Me Perdi)はギター1台の伴奏だけど、バンド伴奏の4曲目「あなたの理由」(Tu Razon) は同じリズムだ。後者だけご紹介しておく。甘さに流れすぎない味と気高さ、気品が宿る声で、絶品だ。

 

 

 

キューバのフィーリンは北米ジャズとの関係が深いだろうと思うんだけど、アルバム『フィーリンを感じて』のなかにはメインストリームなジャズ・ビートである4/4拍子が部分的に使われているものだってある。6曲目、ボビー・ヒメネースの「あるお祭りの歌」(Cancion De Un Festival)、10曲目、ルベーン・リオスの「あきらめ」(La Renuncia)、18曲目、フェリペ・ドゥルサイデス&クァルテートの「恋のゲーム」(Juego De Amour)、19曲目、セルヒオ・フィアジョの「アヴァンチュール」(Aventura)がそう。

 

 

さらにセルヒオ・フィアジョの「アヴァンチュール」では、イントロ部でニュー・オーリンズ・スタイルのピアノ演奏が聴けておもしろい。プロフェッサー・ロングヘアみたいなやつ。ニュー・オーリンズというよりルンバ・ジャズみたいなもんなのかな。それにビヒャ〜とオルガンがからみ、リズム&ブルーズっぽい感じもある。フィーリンとしてはかなり異色だ。

 

 

 

そんな物珍しさを言わなくたって、たとえば仄暗い妖しさをヴォーカルで出す5曲目、ドリス・デ・ラ・トゥーレの「想いの中」(Imagenes)とか、ジャジーなアレンジの斬新さがまさにフィーリン・サウンドの決定版みたいな8曲目、ルーシー・ファベリーの「静かなあなた」(Silenciosa)とか、ホセ・アントニオ・メンデスの書いた超有名曲をやる13曲目、ヘルマーン・バルデースの「至福なる君」(La Gloria Eres Tu)とかも最高だ。

 

 

またキューバ〜ラテン界の大物シンガーである17曲目、ティト・ロドリゲスの「不信」(Desconfianza)や、やはりビッグ・ネームの21曲目、ボビー・カポーの「わたしを責めて」(Reprochame)なども、かなりフィーリン寄りだよね。少なくともリズム・パターンが上で書いたボレーロのそれで、きわめてロマンティックで甘く、ソフトでやわらかいサウンドと歌い口。

 

 

これも大物、メキシコ人である23曲目、アグスティン・ララの「君を想う」(Estoy Pensando En Ti)。歌いかたにフィーリンっぽさは聴きとれないものの、このダンソーン・ボレーロを淡々とピアノ弾き語り(+ヴァイブラフォン&リズム)で歌うそのシンプルな姿に、フィーリン歌手たちにつながるものを感じられるかもしれない。この曲も、リズムは例のあの(ボレーロ・)パターンだ。

 

2017/11/06

フィーリンが隠し味のナット・キング・コール戦後録音盤(&スペイン語歌曲集プレイリスト)

 

 

ナット・キング・コール。1940年代初期のトリオものが一番好きだというのは、だいたいみなさん同様だと思う。デッカとキャピトル(時代の初期)に、ピアノ+ギター+ベースのトリオ編成で残した作品の数々は、特にデッカ時代のものなど、ときおりジャイヴ・ミュージックとして扱われたりもするよね。たしかにちょっと辛口な感じだが、僕の耳にはナット・キング・コールのトリオものは、デッカ時代も初期キャピトル時代もほぼ似たように聴こえる。

 

 

それでも、ナット・キング・コールにとって最初期からのレパートリーで代表曲の「スウィート・ロレイン」を、デッカ録音ヴァージョンとキャピトル録音初回ヴァージョンで比較すれば、う〜ん…、やっぱり違うなあ。だいたいが大甘な曲ではあるのだが(だからナットはそもそもそういう歌手だ、後年のポップ歌手時代よりもずっと前のデビュー期から)、デッカ・ヴァージョンはややテンポ速めで甘さ控えめのビター・チョコ。キャピトルへの初回録音ヴァージョンで少し砂糖とミルクを増やしている。

 

 

っていうかさぁ、音楽における大甘味がどうしてそんなにダメなのか?除外しないとイケナイものなのか??ラヴ・ソングなんて甘けりゃ甘いほどいいじゃないか!?どうしてなんだ??サァ〜ッパリ分らんぞ〜っ!!ていう根源的な大疑問がおおむかしから僕のなかにはあるんだけど、ここを掘り下げようとすると、実にいろんなところの実にたくさんの方々のたくさんの発言にツッコミまくらなくちゃいけないことになる。そんな時間も精力もないので、ため息だけついて諦めているんだよね。ハァ〜。

 

 

まあそんな甘口ラヴ・ソングの「スウィート・ロレイン」を、ナット・キング・コールは第二次世界大戦後もキャピトルに再録音し、アルバム収録されてリアルタイムでリリースされている。1956年録音57年発売の『アフター・ミッドナイト』だ。大学生時代からの僕の最愛ナットなので、このアルバムの話を今日は少ししておきたい。

 

 

「スウィート・ロレイン」を再演していると書いたが、『アフター・ミッドナイト』オリジナル・フォーマットのレコード収録全12曲は、ほぼすべて有名なポップ、ジャズのスタンダード曲ばかり。「スウィート・ロレイン」以外でナット・キング・コールのイメージが定着しているものは、CD だと5曲目の「イッツ・オンリー・ア・ペイパー・ムーン」と、ラスト12曲目の「ルート 66」だよね。

 

 

前者はいろんなジャズ歌手もよく歌うものなので100%説明不要だ。後者「ルート 66」は、ロック・シンガーだってよく歌うので、ジャズ寄りのポップ・ミュージックをお聴きでない方だってご存知のはず。ローリング・ストーンズもデビュー・アルバムでやっていたよね。僕はあのストーンズ・ヴァージョンの「ルート 66」がかなり好き。そもそもあのアルバムで一番好きなものがこれだっていう…、ダメでしょうか、こんなストーンズ・リスナーは?どうですか、僕と同い年の寺田正典さん?

 

 

「ルート 66」。かたちは定型12小節のブルーズ楽曲で、リズム&ブルーズ界でもスタンダードだったので、それでストーンズもやったんだろう。ボビー・トゥループの書いた曲だよね。しかしこれをいちばん最初に録音しヒットさせたのが1946年のナット・キング・コール・トリオだったんだよっ。だからさっ、黒人音楽〜ロックの愛好家のみなさんも、ナット・キング・コールとか、このへんのジャジーなポップ・ミュージックのことも頭の片隅においといてほしいんだ。

 

 

必要ないけれど、念のためちょっとご紹介しておこう。「ルート 66」。

 

 

ナット・キング・コール(1946)https://www.youtube.com/watch?v=ia5KTZvUFIs

 

ローリング・ストーンズ(1962)https://www.youtube.com/watch?v=O1fr5An_LyA

 

 

ストーンズは、明らかにチャック・ベリー・ヴァージョンを下敷きにしているよね。

 

 

 

 

このへんもぜんぶひっくるめてナット・キング・コールが最初に歌ってヒットさせた、っていうかそもそも作者のボビー・トゥループは、人気があったナットのトリオにやってほしくて「ルート 66」を書いたのかもしれないよね。曲題と歌詞内容の意味するところはまったく説明不要だと思う。

 

 

そんな「ルート 66」を1956年に再録音したナット・キング・コール。その『アフター・ミッドナイト』収録ヴァージョンはこれ。どうしてこういう画像を使ってあるのかは知らないが、間違いなくこれだ。

 

 

 

お聴きになって分るようにトリオ編成の三人だけではない。ナット・キング・コール・トリオの本人以外の二名は、当時のレギュラー・メンバーだったジョン・コリンズ(ギター)とチャーリー・ハリス(ベース)。これにくわえまずドラマーがいる。それは当時のこのレギュラー・トリオにときたま参加してカルテット編成になることがあったリー・ヤング(かのレスターの弟)。

 

 

そしてミュートを付けたトランペットの音がオブリガートとソロで聴こえるよね。それがハリー・”スウィーツ”・エディスンだ。キャピトル盤『アフター・ミッドナイト』の1956年録音時には、上記カルテットを土台に、基本、一名ずつゲスト・プレイヤーを迎えてセッションが行われた。8月15日のスウィーツ・エディスン、9月14日のウィリー・スミス(アルト・サックス)、9月21日のファン・ティゾール(トロンボーン、このときはパーカッショニストも参加)、9月24日のスタッフ・スミス(ヴァイオリン)。これでセッションはコンプリートだ。

 

 

むかし大学生時代の僕は、スウィーツ・エディスンの参加した「ルート 66」「スウィート・ロレイン」「イッツ・オンリー・ア・ペイパー・ムーン」や、ウィリー・スミスが艶っぽいアルトを吹く軽快なオープナー「ジャスト・ユー、ジャスト・ミー」、やっぱりナットもウィリー・スミスも甘い「ユア・ルッキング・アト・ミー」なんかが大好きで、ほかは例えばアルバム4曲目の「キャラヴァン」は曲じたいが大好きだからいいなあ〜、トロンボーンも曲を書いたファン・ティゾールだしネ〜と思っていたものの、同じくファン・ティゾールが吹く7曲目の「ザ・ロンリー・ワン」とか、またスタッフ・スミスのヴァイオリンが入る二曲とかは、フ〜ンと思って通りすぎていただけだった。だいたいスタッフ・スミスがだれなんだかも知らなかったんもんなあ。

あ、でもやっぱりアルバム一曲目の「ジャスト・ユー、ジャスト・ミー」はかなりいいと思うなあ、いまでも。
https://www.youtube.com/watch?v=uEG8UZGSvdI

 

 

ところが最近は、それらトランペット奏者やアルト・サックス奏者が参加する曲はやっぱり楽しいねと思う以上に、「ザ・ロンリー・ワン」や、スタッフ・スミスのヴァイオリンが入る二曲のほうがはるかにずっと面白いと感じるんだよね。人間の趣味って年月を経ると変わるよなあ。僕の音楽経験がほんの少しだけ深く広くなったということだと、だれも言ってくれないので、僕は自分で自分にうぬぼれて(重複表現)おくしかない。

 

 

1930年代はジャイヴ・ヴァイオリニストだったスタッフ・スミスのことは、以前一度詳しく書いたので(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-362e.html)、今日は省略する。ナット・キング・コールの『アフター・ミッドナイト』でも、3曲目の「サムタイムズ・アイム・ハッピー」ではやや軽くユーモラスなジャイヴふうに、9曲目の「アイ・ノウ・ザット・ユー・ノウ」では猛烈にスウィンギーに、弾きまくっている。

 

 

 

 

問題は、いや問題ではなく、ナット・キング・コールのアルバム『アフター・ミッドナイト』でいちばん面白いのは、デューク・エリントン楽団で大活躍したトロンボーン奏者にしてプエルト・リカンのファン・ティゾール(と一名のパーカッショニスト)を加えてやった三曲「キャラヴァン」「ザ・ロンリー・ワン」「ブレイム・イット・オン・マイ・ユース」だ。

 

 

 

 

 

「キャラヴァン」がこういう曲なのはエリントニアンズによる1936年の初演時(ヴォキャリオン原盤)からみんなよく知っていることだし、エリントン楽団自身の戦後録音だとかな〜り面白いものがあったりなどするので(チャチャチャになったりサイケになったりなど)、これも今日は書かない。それらに比べたら、このナット・キング・コール1956年ヴァージョンは、この曲の解釈としてはごくふつうで特筆すべき出来栄えでもない。

 

 

いちばん興味深いのはアルバム7曲目の「ザ・ロンリー・ワン」だよなあ。むかしはこれどこがいいんだろう?としか感じていなかったが、これはボレーロ、あるいはフィーリンだよ。ナット・キング・コールにはスペイン語で歌ったラテン歌謡集が三枚あるんだよね。1958年の『コール・エスパニョール』、59年の『ア・ミス・アミーゴス』、62年の『モア・コール・エスパニョール』。三つとも CD 化されていて、いまでも入手可だ。僕だってぜんぶ持っている。Spotify にもあるので、それでプレイリストを作ってみた。ダブりや歯抜けや曲順変更もすべてオリジナルどおりに直しておいた。全35曲。聴いてみて。

 

 

 


『ア・ミス・アミーゴス』では、カエターノ・ヴェローゾも歌ったラファエル・エルナンデス(プエルト・リコ)の「カプジート・デ・アレリ」もやっているし、そんななかから一曲「うらぎり」(Perfidia) が、エル・スール謹製のフィーリン・アンソロジー『フィーリンを感じて』に収録されているほどなんだもんね。ナット・キング・コールは、ある意味、フィーリン歌手みたいな認識もあるってことじゃないか。

 

 

 

もっと上で音源もご紹介した「ザ・ロンリー・ワン」は、英語で歌っているのとストリングスが入っていない少人数編成なだけの違いしかないじゃないか。同じ音楽だよ。「ザ・ロンリー・ワン」でもリズムのスタイルは完璧なボレーロだし、曲調だって甘い恋愛歌(っていうかこれはつらく哀しい内容だが)で、それをボンゴを叩くジャック・コンスタンソと、トロンボーンを吹くプエルト・リカンのファン・ティゾールがうまく雰囲気を出して表現しているじゃないか。

 

 

ナット・キング・コール、あるいは会社キャピトルにとっては、大ヒットした1948年の「ネイチャー・ボーイ」の系譜に連なるものをちょっと一個入れておこうというだけのことだったかもしれない。だが、キューバのフィーリンの代表格であるあのホセ・アントニオ・メンデスはそもそもナットが好きで、あんなソフト・タッチのスウィートな歌いかたをしたいと憧れていたんだよね。それであんなフィーリン歌唱法ができたのかも。だから『アフター・ミッドナイト』に、一曲「ザ・ロンリー・ワン」みたいなのがあっても不思議じゃない。フィーリンはこのアルバムの隠し味、それも相当美味い味だ。

 

 

ラテン歌謡やフィーリンなどと特にこれといって関係なさそうなストレートなジャズ・アルバム、それもポップ界のスーパー・スターとして大成功したあとのナット・キング・コールがふたたびピアノの前に座って、むかしみたいにスウィンギーなジャズをやったアルバムだとしかみなされない1956年録音の『アフター・ミッドナイト』だけどさぁ。だいたいジャズ・ファンのほとんどはフィーリンなんて聴いてないしな。ハァ〜。

2017/08/05

ジャズというかりごろも 〜 フィーリンとボサ・ノーヴァの時代

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 14)

 

 

キューバのフィーリンとブラジルのボサ・ノーヴァに、北米合衆国のジャズの影響はあるのか?ないのか?というちょっと面倒くさいテーマを考えてみようと思う。荷が重いなあ。気が進まない。本格的なものは無理だから、やっぱり短めの文章で、ほんの軽く触れるだけにしておこう。耳もやはりまだあまり聴こえないしね。

 

 

フィーリンとボサ・ノーヴァに、ジャズっぽい「ような感じ」が聴きとれるというのは間違いないことだ。最も顕著にはハーモニーの創り方、コード進行、そして伴奏の楽器編成だ。あ、いや、楽器編成はそうでもないのか?ジャズで最も重要な楽器であるドラム・セットは、フィーリンやボサ・ノーヴァにはないことの方が多い。だから主に和音構成とコード進行かな、フィーリンとボサ・ノーヴァでジャズっぽく聴こえるのは。

 

 

フィーリンとボサ・ノーヴァ。前者の流行の方が先に成立したはず。1940年代末ごろのキューバで、ボレーロ(恋愛歌)の新しい表現方法として、最初はあまり目立たない動きだったが徐々に広がって、しかしフィーリンが本格化するパイオニアだったホセ・アントニオ・メンデスがブレイクしたのは1950年代のメキシコにおいてだった。キューバ本国でなかなか受け入れられなかったからなのか?あるいはマーケット的にメキシコでのほうが活動しやすかったということなのか?これは僕には分らない。

 

 

ところで、このフィーリンの創始者(?)José Antonio Méndez の名前のカナ書きについて、ちょっとだけ。「ホセー」と表記する人がかなり多い。中村とうようさんもホセー表記だ。しかしこの人のライヴ音源で名前が紹介されているのを聞くと José の sé は長い音じゃない。短くホセだ。本人のしゃべりじゃないのでイマイチだけど、僕はだからホセと前から書いている。とうようさんはアクセントのある音節はなんでもかんでもぜんぶ音引きをつけてしまう傾向があっただけだ。まだ日本で知名度のないもの/人の発音がどうなのか、分りやすく示そうとしてそうやったのは理解できる。長音でなくても音引きをつけた。僕たち全員が真似することはない。ぜひ、「ホセ」・アントニオ・メンデスでお願いしたい。

 

 

さて、フィーリンの、はっきりとはしない誕生期はおそらく1940年代末で、流行期は50年代以後。ボサ・ノーヴァのほうはわりとハッキリ言うことができる。アントニオ・カルロス・ジョビンの書いた「想いあふれて」(シェガ・ジ・サウダージ)をジョアン・ジルベルトがギター弾き語りで歌ったレコードの録音が1958年。同じ年に三ヶ月だけ早くエリゼッチ・カルドーゾが同曲を歌ったものが先にレコード発売されているのは以前触れた。ジョアンのヴァージョンも同じ年だし、この58年をもってボサ・ノーヴァ誕生と見ていいんじゃないかなあ。

 

 

 

そう見ると、ボサ・ノーヴァの誕生はフィーリン流行より約10年弱遅かったことになるのだが、まあ同じ1950年代だし、同じ中南米圏だしね。またもっと重要な共通性がある。それはフィーリンもボサ・ノーヴァも、その名称でもハッキリ示しているように(Feelin = 感じ、Bossa Nova = 新感覚)新しい楽曲様式ではなく、演唱の一つの方法論でしかなかったということ。フィーリンもボサ・ノーヴァも新しい流れが生まれたので、それにあわせて新しい曲が当然どんどんできて歌われたものの、曲そのものの新しさではなく「ちょっと違った新鮮な感じでやってみようよ」という程度の音楽傾向だった。だから既成曲もとりあげて料理しなおしたりもした。しかも本質的には従来音楽と違いがない。ボレーロ = フィーリン、サンバ = サンバ・カンソーン = ボサ・ノーヴァ。

 

 

キューバとブラジルで、ちょっと違った感じで音楽をやってみようじゃないかと、こんなふうに彼らが考えていろいろ探して北米合衆国ジャズにヒントを見つけて、そこから「借用」したやり方、感じ 〜 それがフィーリンとボサ・ノーヴァに聴けるちょっとしたジャズっぽい和音構成とコード進行だったんじゃないかなあ。すなわちやはり方法論だったのだと僕は考えている。

 

 

だからそれをジャズの「影響を受けた」とか、あるいはもっと言えば(キューバ音楽やブラジル音楽が)ジャズに「支配された」などと言うのは間違っているはずだ。もしかりにそう言うのならば、フィーリンとボサ・ノーヴァの本質を捉えていないのだと考えざるをえない。もちろんジャズっぽさはハッキリある。だからジャズが、まぁある種「流入」はしている。がしかしこの場合、「影響」という言葉の意味を再定義しないといけないような気がしちゃうんだなあ。

 

 

「影響」ってはたしてどういう意味なんだろう?1950年代なら北米合衆国音楽産業の力は絶大だった。だから一種の支配勢力だったと呼んで差し支えないはず。支配勢力の文化をそのまま受け入れてそれに追従するのを「影響された」といい、一方、流入してくる支配勢力に、あたかも屈服したかのように表面上は装いながら、それをうまく(かりの)「衣」としてまとってみせるものの、実は内面に自国文化の伝統感覚をしっかり維持して離さないのも「影響された」と言うのなら、この「影響」という言葉を安易に使うのは、大衆による音楽文化の動きの本質を隠蔽してしまうだけかもしれないよね。

 

 

キューバのフィーリンやブラジルのボサ・ノーヴァが、表面的にジャズの(仮)衣をまとっているかのように聴こえるのは、あれは戦略としての流用だっただったんだろう。ちょうどこのころ、ジャズの国、北米合衆国ではロックンロールが大爆発し、全世界に大拡散せんとしていた時期だったから、そのままなにもしない、とキューバでもブラジルでも音楽はロックに塗り替えられてしまっていたかもしれない。それを防いで自国の音楽伝統を守り続け、演唱し続け、伝え続けていきたいという気持も彼らにあって、それでジャズの衣を借りてまとっただけの意図的戦略だったのかも。

 

 

ちょうどジョアン・ジルベルトがそんなことを以前しゃべっていたように記憶している。自分たちのボサ・ノーヴァはジャズの影響下で生まれた音楽じゃないんだとハッキリ否定していた。正確にジョアンがどう発言したのか、いま手許にないので曖昧な記憶だが、確かにそう言っていたぞ。ジャズっぽさは「かりごろも」だみたいな言い方はしていなかったと思うけれども。

 

 

つまり、ロック大流入への防波堤の役目になったということだと思うんだよね。ブラジルだと、ジョアンの直後の次世代にあたるカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルらが、米英ロックにかなり強く「影響された」ような新音楽をやっていたが、彼ら新世代のなかにもサンバ以来のブラジル音楽の伝統がしっかり根付いて離れず息づいて、血肉となっているじゃないか。それはジョアンに代表されるボサ・ノーヴァ・パイオニアたちがやったことのおかげじゃないかなあ。

 

 

カエターノは「MPB の歴史は二つの時代に分けられる、ジョアン・ジルベルト以前とジョアン・ジルベルト以後に」と、中原仁さんのインタヴューにこたえて明言したそうじゃないか。

2016/12/17

ビルヒニアの歌うボレーロってチャーミングだね

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僕が小学校低学年の頃、父親が熱心なマンボ・ファンで、ペレス・プラード楽団その他の8トラ(死語?)・カセットばかりクルマのなかでかけていたという話はもう何度もしているが、なんでもその時代の日本のラテン音楽ファンは、ペレス・プラード派とトリオ・ロス・パンチョス派に分れていたんだそうだ。

 

 

なんてことを僕が知ったのはもちろん随分あとになってのこと。父は熱心なマンボ・ファンで、僕が助手席に座っている時にもそんな8トラばっかり流していたので、僕も小学校低学年の頃には「マンボ No. 5」などのメロディも曲名も憶えてはいたが、そんな素地が花咲くのはかなりあとになってだ。

 

 

ペレス・プラードに代表されるマンボ派はいわばダンス好きで、パンチョスに代表されるトリオ派はいわば歌謡好きってことかなあ?しかし若い頃は熱心なマンボ好きだった僕の父は、亡くなる前20年間ほどは熱心な演歌好きになったので、歌謡好き資質もあったんじゃないかと思うんだよね。

 

 

僕が生まれたのは1962年なので、父のマンボ好きはおそらく50年代中頃から60年代末頃までのことだったんだろう。世界中で大流行したマンボの日本におけるブームっていつ頃のことだったんだろう?そんな事情にあまり詳しくない僕だけど、しかし地方都市だし時代を考えてもブームが来るのは遅れたかもね。

 

 

いずれにしてもマンボ好きだった父が踊っているのを僕は見たことがない。聴いて楽しそうにしているだけだった。さてペレス・プラードに代表されるダンサブルなマンボ派と、トリオ・ロス・パンチョスに代表される歌謡派。日本でのことは知らないが、アメリカ大陸では1950年代が最盛期かなあ。

 

 

北米合衆国〜メキシコを中心としてマンボ派とトリオ派がしのぎを削ったのは、おそらく1940年代末〜50年代のことなのかもしれない。CBS と RCA ヴィクターというアメリカの二大メジャー・レコード会社がメキシコに進出したのが1946年のことらしいからね。その後の50年代が最盛期だろうなあ。

 

 

それまでのラテン音楽の中心地は北米合衆国のニュー・ヨークだったのだ。それが1940年代末からメキシコに移行する。メキシコに進出した CBS はロス・パンチョスを、RCA はペレス・プラードを専属音楽家として迎え、49〜50年頃から両者ともメキシコを舞台に大活躍することとなった。

 

 

ペレス・プラードとマンボの話は今日はおいておく。そんな1940年代末〜50年代にトリオを伴奏に(することが多かった)ボレーロを歌った女性歌手がいる。ビルヒニア・ロペスだ。ビルヒニアはプエルト・リコ移民の両親のもとニュー・ヨークで生まれ育ったのだが、活躍した舞台は主にメキシコ。

 

 

それで今日はビルヒニア・ロペスのことをちょっと書いてみたいのだ。といっても僕がこの女性歌手の名前を知ったのはかなり最近の話で、中村とうようさん編纂の『歌の国プエルト・リコ〜エルナンデスとフローレスの世界』という2002年リリースのライス盤に一曲ビルヒニアの歌が入っていたからだ。

 

 

ビルヒニアは前述の通りプエルト・リコ系なので同国の作曲家の歌をやっているというわけだ。とうようさん編纂の『歌の国プエルト・リコ〜エルナンデスとフローレスの世界』13曲目にあるビルヒニアが歌うのはフローレスの「恋の執念」(オブセシオン)。これは実に見事な一曲で、選ばれるのはよく分る。

 

 

その「恋の執念」一曲しか僕はビルヒニアを知らなかったのだが、その後田中勝則さん編纂で2014年に『プエルト・リコのボレーロ姫』というディスコロヒア盤がリリースされ、これは全26曲収録とたっぷりビルヒニアの歌を楽しむことができるようになって感謝感激。田中勝則さん、お世話になってます。

 

 

というわけでその田中勝則さん編纂のディスコロヒア盤『プエルト・リコのボレーロ姫』に沿って話を進めたい。ボレーロは、19世紀末頃かなあ、キューバで誕生した歌曲形式の一つだけど、キューバ以外のスペイン語のラテン圏全域にも広く普及しているもので、ゆったりとした甘いバラード。

 

 

ボレーロの甘くてソフトなフィーリングは、要するに1940年代末〜50年代〜60年代初頭あたりのフィーリンの祖先。というかほぼ同じものだ。僕みたいな人間はボレーロとフィーリンは区別できない。実際ビルヒニア・ロペスもボレーロと並びフィーリンもたくさん歌った。

 

 

だから『プエルト・リコのボレーロ姫』にはフィーリンも収録されている。10曲目の「あなたが去ってゆくとき」と11曲目の「こんなに幸せ」。後者「Soy Tan Feliz」はホセ・アントニオ・メンデスの曲で『フィーリンの真実』に2ヴァージョン収録されている。どっちもギター弾き語りだ。

 

 

ビルヒニアの「こんなにも幸せ」は、その前10曲目の「あなたが去ってゆくとき」と同じくオーケストラ伴奏で歌っている。それにしてもこういうビルヒニアのフィーリン録音を聴くと、軽くてソフトでちょっぴりモダンな感じかもなあとは思うものの、それ以前とそれ以後収録のボレーロとの本質的な違いは聴き取れない。

 

 

『プエルト・リコのボレーロ姫』で僕が本当に溜息が出るほど素晴らしいと思うのは、11曲目のフィーリンの次12曲目「幸せになろうよ」から23曲目の「ベサメ・ムーチョ」までだ。それらの曲でのビルヒニアの歌は、もう的確に表現できる言葉がないねと思うほど素晴らしく聴き惚れるしかない。

 

 

特にとうようさんが『歌の国プエルト・リコ〜エルナンデスとフローレスの世界』に収録した、『プエルト・リコのボレーロ姫』13曲目の「恋の執念」。ペドロ・フローレスの作曲も見事なら、ビルヒニアの歌唱にも絶賛の言葉しか浮かばない。伴奏のレキント(ギターの一種)もタメの効いたいい演奏だ。

 

 

 

14曲目「ふたりの誓い」もマイナー調の哀愁ラテン歌謡で、13曲目「恋の執念」と同じくらい素晴らしい。伴奏のレキントもビルヒニアの歌もタメが効いていて、日本の演歌に通じるものがある。僕の父親が晩年は熱心な演歌好きで、僕も少し演歌好きなのは、こんな部分と関係あるのかなあ、どうだろう?

 

 

「恋の執念」を書いたペドロ・フローレスの名前を出したけれど、とうようさんが『歌の国プエルト・リコ〜エルナンデスとフローレスの世界』というアンソロジーを編んだくらいで、ラファエル・エルナンデスもプエルト・リコの作曲家では最重要存在の一人。ビルヒニアも当然のように何曲も歌っている。

 

 

『プエルト・リコのボレーロ姫』では12曲目「幸せになろうよ」、24曲目「プレシオーサ」、25曲目「ボリンケン哀歌」がエルナンデスの書いた曲。後者二つはエルナンデスのニュー・ヨーク時代の作品だが、「幸せになろうよ」はメキシコ時代に書いたボレーロ。レキントの伴奏もビルヒニアの歌も楽しそう。

 

 

 

「ボリンケン哀歌」はカエターノ・ヴェローゾが『粋な男』や『粋な男ライヴ』でやっているので、そちらでもかなり有名になっているだろう。ビルヒニアの『プエルト・リコのボレーロ姫』では12曲目のエルナンデス「幸せになろうよ」から17曲目「そしてそのとき」までがプエルト・リコのボレーロだ。

 

 

 

その後18曲目「ヌンカ」から23曲目「ベサメ・ムーチョ」まではメキシコのボレーロを歌っている。その前のプエルト・リコのボレーロを歌った六曲と同じトリオの伴奏によるもの。中心がレキント奏者のフニオール・ゴンサレス。このフニオールが伴奏者だった時代がビルヒニアの最も良かった時代だね。

 

 

 

 

フニオールの伴奏でプエルト・リコ作曲家の曲を歌った12曲目から17曲目までの六曲が、オリジナルはアルバム『ビルヒニア・エン・プエルト・リコ』収録。同じ伴奏でメキシコの作曲家の曲を歌った18曲目から23曲目までの六曲のオリジナル収録盤が『ラ・ボス・デ・ラ・テムラ・カンタ・ス・カンシオン・ファボリータ』。

 

 

フニオールがビルヒニアの伴奏をやったにのはこれら二枚のアルバムしかなく、それら二枚から中心に選ばれて収録された12曲目「幸せになろうよ」から23曲目の「ベサメ・ムーチョ」までが、『プエルト・リコのボレーロ姫』ではビルヒニアの歌も最も素晴らしく輝いている。

2016/05/07

レナシミエント・ラティーノアメリカーノ:フィーリン歌手カエターノ

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以前も一度触れたように、今までのところのカエターノ・ヴェローゾの最高傑作は1995年のライヴ・アルバム『粋な男ライヴ』、特にDVD版の方だと思っている僕だけど、スタジオ録音作品では今でもその前94年の『粋な男』が一番好きで内容的にも一番優れた作品だと思っている。少数派だろうか?

 

 

少数派だろうかと疑問に思うのは、『粋な男』はブラジルの音楽家カエターノがポルトガル語ではなく全曲スペイン語で歌ったアルバムだからだ。しかも自作曲のスペイン語ヴァージョンとかではなく、全てブラジルの周辺のスペイン語圏ラテン・アメリカ諸国の曲を採り上げたもの。

 

 

当初レコード会社側はカエターノをブラジル国外のスペイン語諸国に売出すべく、カエターノの自作曲をスペイン語に翻訳して歌わせるというアルバムを企画していたらしい。それはそれで聴いてみたかったような気もするんだけど、最終的にはカエターノ本人の意向でスペイン語歌曲集となった。

 

 

その結果できあがった『粋な男』がまあこれ素晴しいのなんのって、いつものようにナイロン弦ギターを弾きながら歌う(しかもスペイン語で)カエターノと、さらにジャキス・モレレンバウムのチェロとアレンジによる伴奏の管弦楽の響きがなんとも美しすぎて、何度聴いてもいまだにうっとりとする。

 

 

『粋な男』CD附属のブックレットに全曲どこの国の誰が何年に書いた曲かが明記されているので非常に助かる。一曲目の「ルンバ・アズール」はキューバのアルマンド・オレフィチェが1942年に書いたナンバー。打楽器に導かれてカエターノが歌いはじめるとすぐにストリングスが入ってくる。

 

 

 

そして直後に右チャンネルでエレキ・ギターがチャカチャカと刻んでいる音が小さく聞えるのだが、このギター・カッティングが僕は大のお気に入り。『粋な男』全編を通してエレキ・ギターの音が聞えるというのはこの「ルンバ・アズール」だけ。アルバム全編アクースティックな管弦楽の伴奏だからちょぴり意外だ。

 

 

この「ルンバ・アズール」はキューバの歌曲形式の一つであるいわゆるボレーロだね。ボレーロにしてはリズムがやや快活すぎるような気もするけれど、基本的にはゆったりとしたバラード調の曲で流麗なストリングスも入るしカエターノの歌い方もかなり甘美でソフトだしね。

 

 

ご存知の通りボレーロは同じくキューバの歌曲形式の一つであるフィーリンと関係が深い。フィーリンは主に1950年代にキューバで流行したもので、僕みたいなシロウトにはボレーロとの本質的な区別は付かない。ボレーロもフィーリンもソフトでゆったりとしたクールな歌曲スタイルだもんなあ。

 

 

カエターノは『粋な男』を1994年に録音する前から元々甘美でソフトな歌い口の歌手だったし、そんな彼がキューバのボレーロ〜フィーリンな雰囲気でそれっぽく歌っても違和感は全くないどころかピッタリ似合っているよね。『粋な男』では伴奏の管弦楽もホセ・アントニオ・メンデスのバックでやっているかのよう。

 

 

なんの文章だったか忘れたんだけど(今は現物が手許にないので確かめられない)、中村とうようさんが『粋な男』について、このアルバムの日本語ライナーノーツには最も肝心なことが書かれていない、それはこのアルバムがブラジル人歌手によるフィーリンの試みだということだと指摘していた。

 

 

僕の持っている『粋な男』は輸入盤なので、日本語ライナーノーツをどなたが書いていてどんな内容なのか分らないんだけど、『粋な男』がフィーリン・アルバムであることはキューバ音楽に馴染のあるリスナーなら分りやすいことだ。というかカエターノってブラジル人フィーリン歌手なんじゃないの(笑)?

 

 

1960年代末にデビューした頃のカエターノは、ジルベルト・ジル、ガル・コスタらとともにいわゆるトロピカリア運動の中心人物で、政治的な姿勢もさることながら(それで一時的にロンドンに亡命していた)、音楽的にも同時代のロックに影響されたサイケデリックなサウンドもあるけれど、自身の歌い口そのものは最初からさほどハードではなく、柔らかく甘美なのが持味の人だ。

 

 

そしてトロピカリアはロックなど同時代の音楽を消化しMBPの新しい動きを探ると同時に、古いブラジル音楽の伝統、すなわち初期ボサ・ノーヴァやもっと前のサンバ・カンソーンやその前のサンバなどの復権というのが不可分一体の大きな眼目だったんだから(文化の刷新とはいつの時代でも伝統の見直しだ!)、周辺のスペイン語圏の懐メロをキューバの歌曲スタイルであるフィーリン風にやるのも必然的流れ。

 

 

それはともかくとして二曲目の「ペカード」。これが超絶品で個人的にはこの曲が『粋な男』で一番好き。僕にとってはこれこそがこのアルバムのハイライトであり白眉の一曲だ。アルゼンチンのポンティエールとフランチーニが書いたタンゴ。甘美すぎるだろうこれは。

 

 

 

最初アカペラでカエターノが歌い出し、一節歌った後自身のギターとストリングス伴奏が入る。それが聞えはじめた瞬間になんて美しいんだと蕩けてしまうよ。ジャキスのチェロ・ソロも最高だ。この「ペカード」はおそらく今までのカエターノの全音楽人生で最も甘美な一曲だ。他人の書いた曲だけどね。

 

 

「ペカード」は1975年の曲だけど、同じアルゼンチンのタンゴ歌曲といえば『粋な男』ラストの「ヴエルヴォ・アル・スール」(カエターノは一部「ズール」と歌っている)もそうで、こっちはアストール・ピアソーラが1988年に書いたもの。ピアソーラはかなり知名度があるはず。

 

 

ピアソーラのタンゴ演奏そのものはいいなと思えるものも個人的には少しあって、愛聴している音源(公式発売はされていないはずのFM放送をエアチェックしたライヴ音源)もあるんだけど、それは一部であって、全体的には猥雑で卑猥な音楽タンゴを小綺麗な芸術にしちゃっているからなあ。だからクラシック・ファンやモダン・ジャズ・ファンには人気がある。

 

 

でもカエターノの歌う「ヴエルヴォ・アル・スール」は最高だ。アルバム・ラストを締め括るのにこれ以上ない完璧な雰囲気の仕上りになっている。ジャキスのチェロもなんとも切なく美しい。この曲ではストリングス伴奏は必要最小限の控目なもので、基本的に歌とギターとチェロ演奏で構成されている。

 

 

六曲目のアルバム・タイトル曲「フィーナ・エスタンパ」はペルーのチャブーカ・グランダが1956年に書いたバルス(ワルツ)。ジャキスのチェロ伴奏が中心でそれに乗ってカエターノの歌が飛翔する。この曲ではギターが入らず、他の弦楽器もヴァイオリンとヴィオラがそれぞれ二本ずつのみ。

 

 

 

骨格だけのかなりシンプルな「フィーナ・エスタンパ」が終ると、続く七曲目「カプジート・デ・アレリ」では管楽器が派手に鳴って賑やかでイイネ。これはプエルト・リコの有名作曲家ラファエル・エルナンデスが1931年に書いた曲で、『粋な男』のなかでは古い曲だ。

 

 

 

「カプジート・デ・アレリ」では中盤でトロンボーンのソロも出てくるし、全体的に弦楽器より管楽器の方が目立つアレンジも楽しい。なおこれを書いたラファエル・エルナンデスはライスから『歌の国プエルト・リコ〜エルナンデスとフローレスの世界』というCDが出ている。それもとうようさんの仕事。

 

 

「カプジート・デ・アレリ」と並び古い歌曲である九曲目の「マリア・ラ・オ」は、「シボネイ」で世界的に有名なキューバの作曲家エルネスト・レクオーナが1931年に書いた曲。「シボネイ」が現在の僕が最も愛するポピュラー・ソングであることは以前書いた。だからレクオーナも大好きなのだ。

 

 

 

同じくキューバ人作曲家ホセ・ドローレス・キニョーネスの書いた11曲目「ミ・ココドリロ・ヴェルデ」だけは作曲年が記載されていないが、キニョーネスは1910年生まれだからおおよその想像は付くよね。これもボレーロというかフィーリンみたいな雰囲気だ。

 

 

 

そして一般的には次の12曲目、やはりプエルト・リコのラファエル・エルナンデスが1930年に書いた「ラメント・ボリンカーノ」が『粋な男』のクライマックスということになるんだろう。この曲は前述『歌の国プエルト・リコ〜エルナンデスとフローレスの世界』にも収録されているエルナンデスの代表曲の一つ(そっちでの表記は「ボリンケーノ」)。

 

 

そのカナリオの歌うヴァージョンに比べて『粋な男』のカエターノ・ヴァージョンはグッとテンポを落し、ストリングスと打楽器の落着いた雰囲気の伴奏を中心に、カエターノが悲哀に満ちた歌を披露する。エルナンデスの原曲の持つ悲哀を最大限にまで引出しているようなアレンジと歌い方で引込まれる。

 

 

 

アルバム中最も古い曲が14曲目の「ラ・ゴロンドリーナ」。ブックレットの記述では1860年と記載されているメキシコの曲で、N・セラデルとN・サマコイスという名前が載っているけれど僕は知らない人達。”D.P.” とも書かれているから権利の切れた古い伝承曲かも。

 

 

 

「つばめ」という意味のその14曲目が終ると、先に書いたようにアルバム・ラストにピッタリな、まるで映画のワン・シーンでも観るような(というか元が映画のための曲だ)ピアソーラの「ヴエルヴォ・アル・スール」が来る。これ以上の終幕はないね。

 

 

 

スタジオ録音盤『粋な男』からの曲だけでなく、ポルトガル語によるブラジルのスタンダード曲や自作曲などいろいろと歌っていて、いわば<汎ラテン・アメリカ曲集>みたいな趣の『粋な男ライヴ』DVDの話もするつもりで書きはじめたんだけど、もう既にかなり長くなってしまったのでやめておく。

 

 

『粋な男ライヴ』DVDにはライヴCDには入っていない曲目も多いし、かと思うとライヴCDにはあるのにDVDには収録されていないものもあったりして、なんとももどかしい。全部まとめて一度出してくれないもんだろうかと思うんだけど、これについてはまたの機会に。
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