

以前も一度触れたように、今までのところのカエターノ・ヴェローゾの最高傑作は1995年のライヴ・アルバム『粋な男ライヴ』、特にDVD版の方だと思っている僕だけど、スタジオ録音作品では今でもその前94年の『粋な男』が一番好きで内容的にも一番優れた作品だと思っている。少数派だろうか?
少数派だろうかと疑問に思うのは、『粋な男』はブラジルの音楽家カエターノがポルトガル語ではなく全曲スペイン語で歌ったアルバムだからだ。しかも自作曲のスペイン語ヴァージョンとかではなく、全てブラジルの周辺のスペイン語圏ラテン・アメリカ諸国の曲を採り上げたもの。
当初レコード会社側はカエターノをブラジル国外のスペイン語諸国に売出すべく、カエターノの自作曲をスペイン語に翻訳して歌わせるというアルバムを企画していたらしい。それはそれで聴いてみたかったような気もするんだけど、最終的にはカエターノ本人の意向でスペイン語歌曲集となった。
その結果できあがった『粋な男』がまあこれ素晴しいのなんのって、いつものようにナイロン弦ギターを弾きながら歌う(しかもスペイン語で)カエターノと、さらにジャキス・モレレンバウムのチェロとアレンジによる伴奏の管弦楽の響きがなんとも美しすぎて、何度聴いてもいまだにうっとりとする。
『粋な男』CD附属のブックレットに全曲どこの国の誰が何年に書いた曲かが明記されているので非常に助かる。一曲目の「ルンバ・アズール」はキューバのアルマンド・オレフィチェが1942年に書いたナンバー。打楽器に導かれてカエターノが歌いはじめるとすぐにストリングスが入ってくる。
そして直後に右チャンネルでエレキ・ギターがチャカチャカと刻んでいる音が小さく聞えるのだが、このギター・カッティングが僕は大のお気に入り。『粋な男』全編を通してエレキ・ギターの音が聞えるというのはこの「ルンバ・アズール」だけ。アルバム全編アクースティックな管弦楽の伴奏だからちょぴり意外だ。
この「ルンバ・アズール」はキューバの歌曲形式の一つであるいわゆるボレーロだね。ボレーロにしてはリズムがやや快活すぎるような気もするけれど、基本的にはゆったりとしたバラード調の曲で流麗なストリングスも入るしカエターノの歌い方もかなり甘美でソフトだしね。
ご存知の通りボレーロは同じくキューバの歌曲形式の一つであるフィーリンと関係が深い。フィーリンは主に1950年代にキューバで流行したもので、僕みたいなシロウトにはボレーロとの本質的な区別は付かない。ボレーロもフィーリンもソフトでゆったりとしたクールな歌曲スタイルだもんなあ。
カエターノは『粋な男』を1994年に録音する前から元々甘美でソフトな歌い口の歌手だったし、そんな彼がキューバのボレーロ〜フィーリンな雰囲気でそれっぽく歌っても違和感は全くないどころかピッタリ似合っているよね。『粋な男』では伴奏の管弦楽もホセ・アントニオ・メンデスのバックでやっているかのよう。
なんの文章だったか忘れたんだけど(今は現物が手許にないので確かめられない)、中村とうようさんが『粋な男』について、このアルバムの日本語ライナーノーツには最も肝心なことが書かれていない、それはこのアルバムがブラジル人歌手によるフィーリンの試みだということだと指摘していた。
僕の持っている『粋な男』は輸入盤なので、日本語ライナーノーツをどなたが書いていてどんな内容なのか分らないんだけど、『粋な男』がフィーリン・アルバムであることはキューバ音楽に馴染のあるリスナーなら分りやすいことだ。というかカエターノってブラジル人フィーリン歌手なんじゃないの(笑)?
1960年代末にデビューした頃のカエターノは、ジルベルト・ジル、ガル・コスタらとともにいわゆるトロピカリア運動の中心人物で、政治的な姿勢もさることながら(それで一時的にロンドンに亡命していた)、音楽的にも同時代のロックに影響されたサイケデリックなサウンドもあるけれど、自身の歌い口そのものは最初からさほどハードではなく、柔らかく甘美なのが持味の人だ。
そしてトロピカリアはロックなど同時代の音楽を消化しMBPの新しい動きを探ると同時に、古いブラジル音楽の伝統、すなわち初期ボサ・ノーヴァやもっと前のサンバ・カンソーンやその前のサンバなどの復権というのが不可分一体の大きな眼目だったんだから(文化の刷新とはいつの時代でも伝統の見直しだ!)、周辺のスペイン語圏の懐メロをキューバの歌曲スタイルであるフィーリン風にやるのも必然的流れ。
それはともかくとして二曲目の「ペカード」。これが超絶品で個人的にはこの曲が『粋な男』で一番好き。僕にとってはこれこそがこのアルバムのハイライトであり白眉の一曲だ。アルゼンチンのポンティエールとフランチーニが書いたタンゴ。甘美すぎるだろうこれは。
最初アカペラでカエターノが歌い出し、一節歌った後自身のギターとストリングス伴奏が入る。それが聞えはじめた瞬間になんて美しいんだと蕩けてしまうよ。ジャキスのチェロ・ソロも最高だ。この「ペカード」はおそらく今までのカエターノの全音楽人生で最も甘美な一曲だ。他人の書いた曲だけどね。
「ペカード」は1975年の曲だけど、同じアルゼンチンのタンゴ歌曲といえば『粋な男』ラストの「ヴエルヴォ・アル・スール」(カエターノは一部「ズール」と歌っている)もそうで、こっちはアストール・ピアソーラが1988年に書いたもの。ピアソーラはかなり知名度があるはず。
ピアソーラのタンゴ演奏そのものはいいなと思えるものも個人的には少しあって、愛聴している音源(公式発売はされていないはずのFM放送をエアチェックしたライヴ音源)もあるんだけど、それは一部であって、全体的には猥雑で卑猥な音楽タンゴを小綺麗な芸術にしちゃっているからなあ。だからクラシック・ファンやモダン・ジャズ・ファンには人気がある。
でもカエターノの歌う「ヴエルヴォ・アル・スール」は最高だ。アルバム・ラストを締め括るのにこれ以上ない完璧な雰囲気の仕上りになっている。ジャキスのチェロもなんとも切なく美しい。この曲ではストリングス伴奏は必要最小限の控目なもので、基本的に歌とギターとチェロ演奏で構成されている。
六曲目のアルバム・タイトル曲「フィーナ・エスタンパ」はペルーのチャブーカ・グランダが1956年に書いたバルス(ワルツ)。ジャキスのチェロ伴奏が中心でそれに乗ってカエターノの歌が飛翔する。この曲ではギターが入らず、他の弦楽器もヴァイオリンとヴィオラがそれぞれ二本ずつのみ。
骨格だけのかなりシンプルな「フィーナ・エスタンパ」が終ると、続く七曲目「カプジート・デ・アレリ」では管楽器が派手に鳴って賑やかでイイネ。これはプエルト・リコの有名作曲家ラファエル・エルナンデスが1931年に書いた曲で、『粋な男』のなかでは古い曲だ。
「カプジート・デ・アレリ」では中盤でトロンボーンのソロも出てくるし、全体的に弦楽器より管楽器の方が目立つアレンジも楽しい。なおこれを書いたラファエル・エルナンデスはライスから『歌の国プエルト・リコ〜エルナンデスとフローレスの世界』というCDが出ている。それもとうようさんの仕事。
「カプジート・デ・アレリ」と並び古い歌曲である九曲目の「マリア・ラ・オ」は、「シボネイ」で世界的に有名なキューバの作曲家エルネスト・レクオーナが1931年に書いた曲。「シボネイ」が現在の僕が最も愛するポピュラー・ソングであることは以前書いた。だからレクオーナも大好きなのだ。
同じくキューバ人作曲家ホセ・ドローレス・キニョーネスの書いた11曲目「ミ・ココドリロ・ヴェルデ」だけは作曲年が記載されていないが、キニョーネスは1910年生まれだからおおよその想像は付くよね。これもボレーロというかフィーリンみたいな雰囲気だ。
そして一般的には次の12曲目、やはりプエルト・リコのラファエル・エルナンデスが1930年に書いた「ラメント・ボリンカーノ」が『粋な男』のクライマックスということになるんだろう。この曲は前述『歌の国プエルト・リコ〜エルナンデスとフローレスの世界』にも収録されているエルナンデスの代表曲の一つ(そっちでの表記は「ボリンケーノ」)。
そのカナリオの歌うヴァージョンに比べて『粋な男』のカエターノ・ヴァージョンはグッとテンポを落し、ストリングスと打楽器の落着いた雰囲気の伴奏を中心に、カエターノが悲哀に満ちた歌を披露する。エルナンデスの原曲の持つ悲哀を最大限にまで引出しているようなアレンジと歌い方で引込まれる。
アルバム中最も古い曲が14曲目の「ラ・ゴロンドリーナ」。ブックレットの記述では1860年と記載されているメキシコの曲で、N・セラデルとN・サマコイスという名前が載っているけれど僕は知らない人達。”D.P.” とも書かれているから権利の切れた古い伝承曲かも。
「つばめ」という意味のその14曲目が終ると、先に書いたようにアルバム・ラストにピッタリな、まるで映画のワン・シーンでも観るような(というか元が映画のための曲だ)ピアソーラの「ヴエルヴォ・アル・スール」が来る。これ以上の終幕はないね。
スタジオ録音盤『粋な男』からの曲だけでなく、ポルトガル語によるブラジルのスタンダード曲や自作曲などいろいろと歌っていて、いわば<汎ラテン・アメリカ曲集>みたいな趣の『粋な男ライヴ』DVDの話もするつもりで書きはじめたんだけど、もう既にかなり長くなってしまったのでやめておく。
『粋な男ライヴ』DVDにはライヴCDには入っていない曲目も多いし、かと思うとライヴCDにはあるのにDVDには収録されていないものもあったりして、なんとももどかしい。全部まとめて一度出してくれないもんだろうかと思うんだけど、これについてはまたの機会に。
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