カテゴリー「演歌歌謡曲、日本」の101件の記事

2023/01/21

“一強” だった氷川きよしの休養で男性演歌界はどう変わるのか

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https://news.yahoo.co.jp/articles/4eb820f6d6b75df8bf862e67745511359af4daa4

 

2022年12月31日でもって一年間の休養に入った氷川きよし。どうなんでしょうね、動きが速く激しい芸能界からそんなに遠ざかったら、いかなきよしでも無事復帰できるかどうか、うんでも絶対的エースだったのでだいじょうぶかとは思っているんですけども。

 

きよしのスタイルといえば、ああいった新世代感を強くまといつつ&ポップスやロック・ナンバーも歌いはしたものの、提供される曲もヴォーカル・スタイルもトータルな世界観も、古くさい定型演歌イメージを保持していました。

 

つまり従来的なステレオタイプをひきずったままの(精神的)高齢演歌リスナーをも満足させられる存在でありながら、世代的にはまだ若く将来への希望も大きく明るかったのがきよし。消滅の危機に瀕しているといってもいいくらいな演歌界では最大の光でした。

 

ともあれ(一年間は)いないわけですから、「ポストきよし」方向へと男性演歌界が動きはじめていることは間違いありません。新たなムーヴメントはもうしばらく前からはじまっていて、すでにしっかりした流れを形成しつつあります。

 

きよしのような煌びやかで華やかな世界観提示にかわって、もっと日常的なふだん着感覚に根ざしたような新世代演歌シンガーたちはしばらく前から活躍するようになっています。山内惠介や三山ひろしなどは従来的な「王子さま」路線かもしれませんが、辰巳ゆうと、真田ナオキ、新浜レオン、中澤卓也らはストレート&ナイーヴなニュー演歌のイメージをふりまいています。

 

演歌でも、つくりこんだ世界というより、そのへんの玄関から出てきてそのまま電車に乗ってやってきた近所の身近なおにいちゃんというような、そんなフィーリングで活動しているのが新世代若手演歌歌手です。

 

そうした歌手たちは(演歌とは関係なかったはずの)AKB48的な「会いに行ける」系イベントを積極的に展開し、フレンドリー&ファミリアー感を強調しています。CDショップやショッピングモールなどで歌唱キャンペーンをやり、2ショット撮影&握手会をさかんに開催しています。

 

ファンの接しかたもそれにともなって変化するようになっていて、歌手や会社側の提供するネット活用のサービスについてくるようになっているんですよね。いまやソーシャル・メディア&サブスク時代で、演歌でも新世代はそれらを積極的に活用していますから、ファンもそれを楽しむようになっています。

 

こうしたことは、いまだサブスクに曲がなくソーシャルでの本人アカウントもないような旧世代、たとえば(女性だけど)水森かおりとそのファンなんかとは根本的にありようが異なります。ライヴ&テレビ&レコード or CDでっていうような時代は去りつつあるんですね。

 

演歌みたいに高齢ファンが中心になっているような世界では、もちろんそれらにぜんぶついていくのは厳しいと思っているかたもなかなかいて、たとえば昨年夏に中澤卓也の新曲が出ましたが、配信リリースからCD発売まで一ヶ月ありました。

 

だから最初はストリーミング/ダウンロードで新曲を楽しむしかなくて、卓也本人アカウントのコメント欄を読んでいても、「なかなかむずかしい、孫にやってもらった」と本音を寄せるファンもそこそこいましたから。スマホ一個あればカンタンにできちゃうじゃないかとぼくなんかはイージーに考えていますが、そういうもんじゃないみたいです。

 

新世代演歌歌手は(性別問わず)、ド演歌ではない耳なじみいい曲と歌唱法を選択しているというのも、音楽的には大きいこと。このブログでいままでさんざんくりかえし力説してきたことですが、従来的な濃厚劇的でエモーショナルな演歌ワールドは、きよしが最後の存在だったとみるべきなのかもしれません。

 

むかしながらの演歌がなくなってしまうのかとさびしさをおぼえるファンがいるかもしれませんが、ルーツをたどれば古典演歌だってもともといっときの流行にすぎなかったもの。大衆音楽の世界は時代の変遷とともに姿を変えていくのが健全です。諸行無常。

 

(written 2023.1.18)

2022/12/18

演歌好き

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My Favorite 演歌スタンダーズ
https://open.spotify.com/playlist/70noNUpuIMBpidBrXoSTLX?si=ef42455bda8e4176

 

もう間違いないので、臆せず正直に言っておきたい、ぼくは大の演歌好き。邦楽のなかでは圧倒的に演歌がNo.1。17歳で米ジャズにハマって以後は長年遠ざけていたものですけれど、思い出したきっかけはやっぱり2017年にわさみん(岩佐美咲)が好きになって応援するようになったこと。

 

ぼくら世代のジャズ狂なんかが演歌好き、それも根っからのそれだというのを告白するのは、ちょっぴり勇気がいることなんですよ。でもブログなんか演歌関係の記事が増えてきて、こいつそうなんだなと周囲に疑いなく思われているだろうと確信するようになりましたので。そもそもが筆致だって違うもんねえ。

 

演歌聴いてりゃ楽しいんだもんなあ。ぼくが好きと感じる演歌は、2010年代以後的な第七世代じゃなくて、いやそれもマジ好きだけど、もっと古典的な1980年代くらいまでのものがいちばん。都はるみ、八代亜紀、石川さゆり、藤圭子、森進一、北島三郎、そのへんです。

 

そういった演歌なら、聴いて快感で、テーマを見いだし考えて楽しくて、文章書くのもらくちんスムース、すいすい書けて、これ以上ぼくの琴線に触れる音楽があるのか?と思うほど(言いすぎ)。

 

そのあたりすべてサブスク(ぼくのメインはSpotify)にあるっていうのもぼく的には意味の大きなこと。実をいうと生まれてこのかた演歌のレコードやCDを買ったことは一度もないんですね。ヒットしているものはすべてテレビジョンの歌謡番組で聴けましたから。それが17歳までのぼくの音楽ライフでした。

 

それを60歳近くになってとりもどしたっていうのは、もう圧倒的にサブスクの力が大きい。検索すればパッと見つかって、自室でもお散歩しながらでもカフェでもレストランでもクリニックの待合室でも、その場で即聴けるっていうのがどれほど大切なことか。もしサブスクがなかったら、ここまで演歌好きの血が甦らなかったのは間違いないですから。

 

共感しているのはもちろん歌詞部分じゃありません。そっちはですね、いま聴くとどうにもならないっていうか、このジェンダー平等が求められる時代にありえない男尊女卑フィール満載で、そこを意識しはじめたらとうてい演歌なんて聴けません。民謡もそうで、そもそもそうした現代感覚を求める世界じゃありませんから。

 

いいなと思うのは陰影のくっきりしたあざやかなメロディ・ラインとか、おなじみのコード進行とかサウンド・メイクとか、ラテン・ミュージック由来の跳ねるビート感とか。北島三郎の「まつり」だって変形クラーベ(1・2)ですから。

 

歌手もみんなうまいし、発声が鮮明で節まわしも楽しい。これはちょっと…みたいなことをふだんよく言うので好ましくないと思ってんじゃないかとかんぐられていそうなぐりぐり濃厚な強いコブシやヴィブラートだって、きらいなんかじゃなく大好き。八代亜紀のそれなんかよだれが出るくらい。

 

古典演歌好きっていうのは、ひょっとしたら古典落語好きとか、ティン・パン・アリーのアメリカン・ポップ・スタンダードをジャズ系歌手がそのままストレートに歌うのが好きとか、つまり一種の伝統芸能愛好ということかもしれないですね。

 

とにかく演歌は聴いて気持ちよく楽しくワクワクする。それだけ。

 

(written 2022.11.27)

2022/12/05

演歌はハレ、歌謡曲はケ

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柳田國男の「ハレ」と「ケ」にしたがえば、演歌はハレ、歌謡曲はケ。ハレとは簡単にいって非日常性、ケとはふだんの日常で、演歌はどう考えてもお祭りなどに類するケバケバしい非日常の世界でしょう。

 

特にスタンダードな古典演歌の世界でこれがいえるはず。歌詞もメロディもサウンドもヴォーカルも浮世離れしているっていうか、歌謡曲が日常の生活感覚に根ざしたものなのに比べたら、演歌はどこまでも派手で飾った世界。

 

アメリカン・ミュージックでいえばティン・パン・アリー、それが演歌で、庶民のふだんの生活とはだいぶ違う感覚に立脚しているんですよね。大衆音楽の世界では日常の生活感覚に根ざした音楽こそ自分たちに寄り添うもので、なんというか「すばらしい」のであるという認識が一般的ですが、好みはまた別。

 

つまり個人的にどっちが好きかっていうと、ぼくは圧倒的にティン・パン・アリーや演歌。むろん演歌のなかにも日常性はあるし、歌謡曲だって浮世離れしたような世界観を持つものがありますが、おおむね差があると思うんですよね。厳密な境界線は引けないにせよ。

 

いってみれば夢を見るような世界が演歌であって、つらいけど淡々と現実を直視しようというものじゃないんですよね。だから歌詞もサウンドもヴォーカル・スタイルもドラマティックで激しく強いんです。一般の聴き手はいっときの逃避願望をそこで実現するっていうか、現実をちょっと忘れて気を紛らわせて、またしんどい日常に戻っていく、だからハレなんですよね。

 

そういった世界観には感情移入できないという音楽家やリスナーもそこそこいるはずで、演歌界も近年若手第七世代に代表される日常のストレート&ナイーヴ・フィーリングを大切にした淡白なものが出はじめるようになっているのは、旧来的なハレ演歌からの脱却なんだとみることもできますね。

 

(written 2022.11.23)

2022/11/18

演歌の定型イメージはいつごろ成立したのか

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This is 演歌 30
https://open.spotify.com/playlist/46R5onMxXIaGdpjmMyvi7o?si=01dad62e47c94287

 

数日前、神野美伽のインタヴュー記事に触れて一個文章を書きましたが、あれ以来ずっと気になっているのは、神野が語っていた演歌の古くさいステレオタイプ・イメージって一体いつごろ成立したものなんだろう?ということです。

 

っていうのは、美空ひばりや江利チエミの名が出されていたように、ずっと時代をさかのぼると演歌っていろんなのがあって、わりとまだ型にはまっていなかったんだよなあというのがぼくの実感としても前からあります。

 

ある時期以後現在まで伝わる演歌のステレオタイプとは、ぼくのみるところ次の三つ:和服、派手でゴージャスなオーケストラル・サウンド、感情的で濃厚なドラマティック・ヴォーカル。そして、実はこれら演歌初期時代にはまだ揃っていなかったものなんですよね。

 

たとえば美空ひばりの「港町十三番地」(1957)。このころのひばりを演歌の枠に入れるのにはかなり強い抵抗がありますが、それでもこの曲が演歌的なもののさきがけだったことは疑えません。その後パターン化するいはゆるマドロス物ですし。

 

これを聴いてもですね、伴奏はきわめて簡素&スカスカで隙間だらけ。歌のメロディ・ラインは日本情緒を感じさせるヨナ抜きですが、それを歌うひばりのヴォーカルはボーイッシュにさっぱりした淡白なもの。もちろんコブシもヴィブラートもありません。このころのひばりはですね。

 

問題は(演歌的なものを歌いながら)そうしたポップでライトな歌手だったひばりだって、世間での演歌イメージが確立されて以後の時代における再演では、同じ曲をやってまったく様子が違ったということです。着ることのなかった和服をまとっていましたし(亡くなるまでドレスもよく着たけど)。

 

象徴的演歌ヴォーカリストみたいな存在だった都はるみでも、初期の「アンコ椿は恋の花」(1964)なんかはまださほど演歌的じゃないぞという印象があります。歌いくちはたしかにはるみらしさ満開ですが、伴奏は大げさでも劇的でもありません。コミカルなタッチすらありますし。

 

はるみは後年の述懐で「わたしたちがデビューしたころは、まだ “演歌” という言いかたはありませんでした、”流行歌” とみんな言っていました」とふりかえっていたことがあります。大歌手になってからの定番スタンダード「大阪しぐれ」(1980)でも伴奏はコンボ編成中心ですからね。ナイロン弦ギターが目立っているのは演歌定型の一つではありますが。

 

以前記事にした島倉千代子なんて、あんな細い声で弱々しく歌うヴォーカル・スタイルの持ち主だったんで、およそ演歌唱法のお決まりパターンから外れた歌手だったのが、それでもこのジャンルを代表する一員として売れに売れて世間にちゃんと認められていたわけです。

 

こうみてくれば、1950〜60年代にデビューした演歌初期時代の歌手たちに、ある時期以後世間が持つようになった「ザ・演歌」のステレオタイプはあてはまらないとわかります。それなのにそうした固定イメージをそれらの歌手に対して強く持っているような演歌ファンや関係者は、実はちょっとおかしいでしょう。

 

世代を下って聴き進むと、演歌のイメージが固定化されはじめたのはどうも八代亜紀(1971年デビュー)あたりからじゃないかと思えます。73年の「なみだ恋」、77年「おんな港町」あたりを聴けば、そこに後年いだかれるようになった演歌<らしさ>の定型がすでにしっかりあるとわかります。亜紀はこれまた大成功したので、このイメージの普及に役割を果たしたんじゃないでしょうか。

 

その少し前、藤圭子もこの固定イメージを強力に発散していました。「新宿の女」(1969)、「圭子の夢は夜ひらく」(70)など、圭子は着物こそ着なかったものの(これは亜紀もそう)ドスの効いたハスキー・ヴォイスとすごみのある歌いまわしで、演歌とはこういうものだと世間に知らしめたと思います。

 

コブシ遣いとヴィブラートが強すぎると思うほどのヴォーカリスト、森進一の活躍も同じころで(「港町ブルース」69、「おふくろさん」71)、やはり豪華で派手なオーケストラ伴奏に乗せて声を揺らしまくる濃厚唱法で時代を画しました。

 

進一本人は演歌の枠にくくられることを嫌い、たとえば74年の「襟裳岬」(吉田拓郎)や82年「冬のリヴィエラ」(松本隆大瀧詠一)などといったポップな曲もよくやって、それらではヴォーカルも抑制の効いたさっぱりした感触にしあげてはいます。

 

そして石川さゆり(1973年デビュー)。さゆりこそ、いまに伝わる演歌ステレオタイプを最もティピカルに体現していた代表格でしょう。着物姿、ゴージャスなオーケストラ伴奏、シリアス&エモーショナルな歌いまわしの完璧三点揃いで、77年「津軽海峡・冬景色」、86年「天城越え」の二大ヒット・ソングを放ち、演歌イメージの固定化に尽力しました。

 

さゆりのこの二曲が持った影響力は実に甚大で、その後の演歌界の方向性を決定づけ <演歌かくあるべし>という固定観念の確立に大きく寄与したのです。さゆりにあこがれて歌手になった坂本冬美(1987年デビュー)にしろ、「津軽海峡・冬景色」をAKB48の歌くらべで披露したのがきっかけで切符をつかんだ岩佐美咲(2012年デビュー)にしろ、そうです。

 

さゆりだっていまだ第一線ですが、おもしろいのはたとえば冬美にしたって演歌の固定イメージをしっかり守りながら活動してきたようにみえながら、近年は坂本昌之アレンジで従来演歌をさっぱり淡白&薄味に歌うという『ENKA』シリーズ(2016、17、18)を発表し、新世代的なあっさり演歌スタイルをベテランでありながら表現していると思えるところ。

 

冬美みたいな存在がこうした世界へと足を踏みいれるのは、やはり時代の要請に即応したというか、いはゆる第七世代的な新感覚若手演歌群が台頭してきている現状を鑑みてのことだったんじゃないでしょうか。演歌も時代にあわせてアップデートしていかないと生き残れませんから。

 

今日このように考えてくると、これが演歌だっ!という固定的な典型イメージが樹立されたのはそんな古い話でもないし(せいぜい70/80年代あたりから)、それにしてからが2010年代以後は塗り替えられつつあるのかもしれないですから。

 

(written 2022.11.7)

2022/09/01

夏の終わり 〜 Cheakbea Boys feat. 1031jp

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Cheakbea Boys feat. 1031jp / End Of Summer
https://www.youtube.com/watch?v=naCMZWRBtyY

 

8月26日朝、YouTubeに突如出現したCheakbea Boys feat. 1031jpの曲「End Of Summer」(2022)。1031jpというのが(ぼくには)おなじみのとみーさんで、これは新作なのかな、チークビー・ボーイズという三人組ヒップ・ホップ・ユニット+とみーさんというかたち。メインはチークビー・ボーイズでしょうか。

 

知らないユニットだったんですが、とみーさんのほうとはずっと前からのおつきあいで、2019年1月末に渋谷の小さなライヴ・ハウスでお会いしたこともあるし、音楽活動をずっと見守ってきているんで(なぜなら書く曲と声が好きだから)、そのとみーさんのTwitterでアナウンスされたわけですから、チークビー・ボーイズにも出会うことになりました。

 

チークビー・ボーイズは東京高円寺が拠点のユニットらしく、_MC björki、_MC I'mSorry、_DJ SATANの三人。そしてこの「エンド・オヴ・サマー」はどうやら高円寺のライヴ・ハウス Club Liner のメモリーにささげられた曲だということです。Club Liner は2019年に閉店していますから、それを終わった夏に喩えノスタルジアを込めた歌にしているんでしょう。

 

というわけで、「エンド・オヴ・サマー」は2018年にクラブ・ライナーで録音された素材を使い、19年に音を重ね、ミックスとマスタリングは今年終えたばかりでMVも添え、アップロードされたということみたいです。曲はとみーさん、リリックがチークビー・ボーイズととみーさんの共作で、ギターやベースその他楽器はとみーさんによるもの。「えんどおぶさま〜」っていうリフレインを歌うのもとみーさんの声のような。

 

楽しかったこと、大切なものがなくなってしまった、終わった、けど、その思い出は生きていて、自分のなかでいつでも取り出して愛でることのできるもので、でもいまここにはもはやないんだ 〜 っていうような郷愁というか切ない気分は、生きていればだれだって持つフィーリングですし、ぼくも強く共感できるものですよ。みんなそうでしょう。

 

そういった意味ではこの「エンド・オヴ・サマー」も普遍的な意味を放っている曲だと言えると思うし、夏が毎年来るように、いまはなくなってしまったものが、また未来にかたちを変えて甦りふたたびめぐってくるっていうことだってあるんじゃないですか。真冬には到底二度と夏なんて来ないんだって感じちゃいますけど。

 

(written 2022.8.31)

2022/08/20

なにがあっても中澤卓也を応援し続ける 〜 新曲「陽はまた昇る」

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中澤卓也 / 陽はまた昇る
https://open.spotify.com/album/4agtldRZuI4Wz1QiqBHRoZ?si=-lhxubjUTZqreZ7U61NBLA

 

Nobody knows you when you’re down and out.

 

若手演歌歌手、中澤卓也の新曲「陽はまた昇る」が、2022年8月17日にまずは配信先行で、リリースされました。エレキ・スライド・ギターが炸裂したりして演歌というよりサザン・ロック・チューンな感じですが、以前から卓也はそういった中間領域みたいなところでソフト&メロウに歌っていくのが得意ですよね。

 

卓也は、しかし歌謡芸能界で最近はすっかり干されてしまっているような感じです。原因は昨2021年に発覚した泥沼二股恋愛スキャンダルでしょう。日本クラウンの所属だったのに、それも契約を解除されてしまい、いまはインディ。「陽はまた昇る」はタクミレコードというよくわからないところから出ています。

 

たしかにあのときの卓也の対応は誠実さを欠いたのかもしれませんが、犯罪行為でも既婚者の不倫でもなく、ただの色恋遊びで会社も離れていってしまうなんてさびしいじゃないか、そこまで追い詰めなくたって…、というのがぼくの正直な気持ち。

 

そもそも古今、歌手や音楽家、芸で生きる人間はこんなもの。違法ドラッグ常用だったビートルズのメンバーが活動停止になったなんて話は聞いたことがありませんし、殺人者として刑務所内で生涯を終えたフィル・スペクターだってその音楽はいまだ愛され続けているんですから。

 

あくまで歌や音楽が魅力的かどうかで判断していけばいいんであって、政治家じゃないんだからそんな清廉潔白でなくていい。もう大人なんだから、私生活のゴタゴタを持ち出して歌手活動のことを云々するのはおかしいでしょうし、そんな態度は音楽界にとって滅びの道でしかありません。

 

いままで卓也のことをときどき書いてくれていたブロガーだって、一件以来見放したようになり、言及しても「N」という書きかたしかしないなんて、ちょっとガッカリです。笑ったりあざけったりの対象になってしまっていて、ふだんはわさみんの(生活ではなく)歌唱のことを書いてくれているのになあ。

 

そんな現況なので、卓也は無援で孤軍奮闘しています。決して歌の魅力が減じたわけじゃないことは「陽はまた昇る」を聴いてもわかること。冷たい周囲のサポートが得られなくなっただけです。事務所とレコード会社がないとなにもできない一介の歌手なので、相当な苦労をしているでしょうし、心境をおもんばかるに涙が出ます。

 

個人的にぼくも人生は失敗続きで、周囲の他人はおろか血族からも見捨てられているといったありさまですから、昨年来の卓也には共感と同情でいっぱいです。クサらずに一生懸命がんばっているんだから、東京王子の北とぴあで出会った2019年8月以来と同じようにこれからもずっと変わらず応援していくだけ。甘くて颯爽とした歌声に惚れたんですから。

 

いまは雌伏期というかガマンどきです。きっと卓也のノドが正当に評価され、ふたたび表舞台で活躍する時代が来るはず。それまでは辛抱して地道に活動を続けていきましょう。ぼくら熱心で忠実なファンは離れず応援していきますから。とにかく声そのものにチャームが宿る歌手なので、それさえ消えなければ歌手中澤卓也は抜群なんで。

 

いまは、卓也自身の作詞で現在の心境を素直につづったような「陽はまた昇る」をくりかえし聴いていきます。不思議に脳内反復する印象的でさわやかなメロディ・ラインですし、なによりスウィートな声質は以前とちっとも変わっていませんから。

 

(written 2022.8.18)

2022/06/24

My Favorite 美空ひばり in the Early Era(演歌前)

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My Favorite 美空ひばり in the Early Era
https://open.spotify.com/playlist/75OXS3FlLhYWO8da4pds1H?si=faae34770496481d

 

またまた書きます美空ひばりの10代エラ。ここらへんこそがひばりのいちばんよかったころだというぼくの考えは微塵も揺るがないもので、ふだんからいつも楽しんでいるのに、世間は理解しませんからね。それどころか演歌時代しか存在しなかった歌手のようにみなされたりすることもあって、なんだよモ〜。

 

若かったころのひばりのジャジーでシャープでスウィンギーな魅力とそれを愛するぼくの嗜好が理解されずとも、最高に楽しい〜っ!というのは間違いのないことなので、大切なことだからやはりなんどもくりかえし言っておきたいわけです。

 

いままでの記事と今回の違いはSpotifyでプレイリストをつくっておいたということ。日本コロムビアの『アーリー・ソング・コレクション 1949-1957』から、個人的に特に好きだ、もうたまらんというものばかり、たった12曲とはいえ、抜き出してまとめて聴けるっていう、これはすばらしい(自画自賛)。

 

これら10代だったころのひばりの魅力に、いはゆる「おんな」的な部分はほぼ(まったく)ありません。ちょっとボーイッシュというか中性的っていうか、さっぱりあっさりしたヴォーカルで、後年大歌手になって以後のもってまわったような女々しくおおげさな感情表現もなし。

 

演歌というジャンルが確立される前の時代で(それっぽい先駆けフィーリングが聴けるものは数曲あり)ロックも台頭していなかったですから、日本でも流行歌といえばジャズ系のポップスばかり。ひばりだってブギ・ウギ・ベースの、つまりジャンプ・ミュージックっぽいスウィンギーな歌をやっていたのがピッタリ好みなんです。

 

ジャンプといってもさわやかで軽快なノリのやつで、ひばりがやったのは。重さや激しさのない薄味の音楽です。「河童ブギウギ」だけでもお聴きになれば、ぼくの言わんとするところはわかっていただけるはず。軽やかなユーモア・センスも込められていて、人生の悲哀をマジにつづる、なんていう部分はちっともないわけです。

 

「リンゴ追分」も入れておきましたが、これなんかは要するに望郷演歌っぽい内容なわけで、といっても東京に出て働いている人間が北の故郷をしのび泣くというんじゃなく、主人公のいる舞台は津軽で、東京で死んだおかあちゃんのことを思い出してしんみりするという内容。

 

すなはち典型的な演歌テーマではあって、濃厚でシリアスになりがちなものなのに、この初演でのひばりのヴォーカルにはそれがなく、歌の世界に没入しすぎずどこか他人事みたいに突き放して外側からあっさりやっているというのが、ぼくから言わせたら健全な距離感。「悲しい酒」でほんとうにステージで涙をこぼしながら歌ったようなああいった姿とは真逆。あんなのは気持ち悪かった。

 

「お祭りマンボ」にせよ「港町十三番地」にせよ得意レパートリーにしていて亡くなるまでひばりはずっと歌ったし、スタンダード・ナンバーとしてカヴァーしている演歌歌手も多いんですが、初演時のひばりヴァージョンが持っていたノリよい軽みはいずれからも消えています。

 

伴奏だってゴテゴテの派手な分厚いオーケストラ・サウンドじゃなく、必要最小限のシンプルな楽器編成でスカスカ隙間のあいた、もういま聴いたら「こんなんでええのんか?」と心配になってくるくらいなんですが、実に味わい深いものです。特に「港町十三番地」、も〜う大好きでたまらん!

 

(written 2022.5.14)

2022/06/09

失われた「さくらの唄」〜 門松みゆき

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(3 min read)

 

門松みゆき / さくらの唄
https://open.spotify.com/track/1uFfVfprXk3NvdWwu8dF5L?si=50025d08ffb04fb9

 

第七世代の一人に数えられる若手演歌歌手、門松みゆきの新曲「彼岸花咲いて」(2022)が五月末に出ましたが、そのカップリングで同時リリースされた「さくらの唄」が暗くて悲しくってすばらしく、惚れちゃいました。もちろんぼくはサブスクで聴いているんです。

 

個人的にはみゆきのこのヴァージョンではじめて出会った曲だったんですが、ひょっとして?と感じるものがあって調べてみたら、初演は美空ひばり(1976)です。その前に曲を書いた三木たかしみずから歌ってレコード発売しているらしいので、正確にはひばりのもカヴァー。

 

作詞がなかにし礼で、曲ができた経緯についてはウィキペディアでぼくも読んだだけですから、どうしてここまで絶望に満ちた陰鬱な歌なのか?気になるかたはぜひ検索して読んでみてください。

 

三木たかしヴァージョンはサブスクはおろかYouTubeでも見つからず。ですからひばりの二つのヴァージョン(76、2016)と今回のみゆきのと、それからSpotifyで曲検索をかけたら加藤登紀子と香西かおりが出てきましたから、計五つ、プレイリストにしておきました。
https://open.spotify.com/playlist/4y0dmEvpDLA2SMEgWsquwf?si=9612dd3b4ac04398

 

そもそも「さくらの唄」というのがあるということを、2022年、演歌歌謡関係者以外いったいどれだけが憶えていたでしょう。ひばりの76年オリジナルだってまったく売れず、そもそもカヴァーをレコーディングし発売するというのはこの歌手にとって前例がなく難色を示したそうです。

 

死後の2016年になって、ひばりがギター伴奏のみで歌唱する別バージョンの存在が初発見され、オリジナルもふくめEPとして再発売されたんですが、やはり話題にならなかったはず。つまり「さくらの唄」というのはだれにも存在を認められていない失われた曲というにひとしいわけです。

 

それを門松みゆきサイドは今回どうしてとりあげようと考えたのでしょう。もちろんそんなことは想像もつかないことですが、ひばりのギター・ヴァージョンに基本則しながら、+ピアノ+ベース+パーカッション+チェロでサウンド・メイクされているように聴こえます。

 

2ヴァージョンともおだやかでふくらみのある笑みすら声にたたえて歌っていたひばりに比べ、みゆきの「さくらの唄」にはある種の気高さすら感じるきびしさとシビアさに満ちていて、いずれがいいか好みはそれぞれでしょうが、個人的にはスティール弦アクースティック・ギターの響きもふくめみゆきのが好きです。

 

これで、どうでしょう、ひばりみたいな存在が歌ったにもかかわらず一般のファンはもはやだれも憶えていない、存在しなかったも同然の曲だった「さくらの唄」が甦り、(はじめて)命を吹き込まれ世間に認知されるということになるでしょうか。その可能性は低いと言わざるをえませんが、ぼくには忘れられない一曲になりました。

 

(written 2022.6.8)

2022/06/02

新作『X-Cross IV-』で聴く石川さゆりの新世代感

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石川さゆり / X-Cross IV-
https://open.spotify.com/album/119pcXgNdYLQf0mNk7jVVb?si=wgkNqJ_MTqCP-vnV28u19g

 

石川さゆりの新作アルバムが出ましたが、なんなんですかねこのジャケット?そもそも『X-Cross IV-』(2022)というアルバム題だってどう読んだらいいかわからないし。

 

調べてみたら、どうやらジャケ・デザインはクリエイティブ・ディレクター箭内道彦率いる東京藝術大学美術学部デザイン科第2研究室の学生らとのコラボ作品らしいです。顔みたいなのがさゆりかな。アルバム題の読みはよくわからず。

 

中身も、このジャケットとタイトルが端的に表しているといえます。Xというのはクロスということらしく、収録曲はさまざまな(演歌系ではない)音楽家とのコラボというかクロスによってできあがっている内容です。それを一覧にしておきました。

 

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1「虹が見えるでしょう」X NARGO/谷中 敦(東京スカパラダイスオーケストラ)
 〜 作詞:谷中 敦、作曲 NARGO、編曲 村田 陽一
2「琥珀」 X 阿木燿子/宇崎竜童
 〜 作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:斎藤ネコ
3「人生かぞえ歌」 X 亀田誠治
 〜 作詞:いしわたり淳治、作曲編曲:亀田誠治
4「いつか微笑むとき」X NARGO/谷中 敦(東京スカパラダイスオーケストラ)
 〜 作詞:谷中 敦、作曲 NARGO、編曲 村田 陽一
5「本気で愛した」 X 布袋寅泰
 〜 作詞:いしわたり淳治、作曲編曲:布袋寅泰
6「再会」 X 加藤登紀子
 〜 作詞作曲:加藤登紀子、編曲:斎藤ネコ
7「ふる里に帰ろう」 X 神津善行
 〜 作詞作曲:神津善行、編曲:松本峰明
8「残雪」 X 加藤登紀子
 〜 作詞作曲:加藤登紀子、編曲:斎藤ネコ
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目立つのはスカパラの二曲と加藤登紀子の二曲でしょう。実際、音楽としてとびぬけておもしろいと思えます。ことさらグッと胸をつかまれたのは登紀子とクロスした「再会」と「残雪」。この二曲こそ本アルバムの白眉でしょう(個人の感想です)。

 

人生のさいごのさいご、死ぬ前にどうしてももう一度だけ会いたいと願い届いた二行の手紙に心を動かされてしまう情景をつづった「再会」は、メロディも人間的なやさしさと美しさに満ちています。オーケストラ・アレンジは松本峰明かな、それもすばらしいメロウさ。

 

いっぽう人間という存在の本質的な孤独をテーマにした「残雪」のほうは、寒くきびしいメロディ・ラインが、かえって生身の鮮血を感じさせ、きわだった気高さと寂寥感、だからこその崇高な美を表現しているといえます。登紀子の書いたこれ、すばらしい曲じゃないですか。もうこればっかり聴いてしまうな。

 

さゆりのヴォーカルは完璧に2020年代的な新世代スタイルへと脱皮していて、いまだ「津軽海峡冬景色」「天城越え」などしかあたまになければ、えっ、これがあの石川さゆりなの?同じ歌手なの?と不思議に感じるかもしれません。

 

でも正統派の有名演歌歌手が違うことをやる、他ジャンルとのミックスというかクロスにチャレンジしてみるというのは、実はずっと前からけっこうあって、八代亜紀だってジャズ・アルバムを出したことがあるんですから(『夜のアルバム』2012)、一段若いさゆりがこうした歌を聴かせるのに違和感はありません。そもそもXシリーズの四作目みたいですし。

 

スカパラとやったのはスウィング・ジャズ・スタイルだったり、おしゃれで都会的なボサ・ノーヴァだったり。阿木宇崎とやったのや布袋と組んだのがややフレンチ・ポップスみたいだったりして。

 

かと思うと亀田誠治のと神津善行の二曲はいずれも従来的な演歌的世界観というか、つまり農村共同体的なものを、やはりトラディショナルなメロディとサウンドでくるんでありますが、それでもさゆりのヴォーカルはあっさりさっぱりしていて、おだやかでストレートな発声。

 

(written 2022.6.1)

2022/05/29

とってもうれしい『ショッピング』サブスク入り 〜 井上陽水奥田民生

Img_2987

(4 min read)

 

井上陽水奥田民生 / ショッピング
https://open.spotify.com/album/2pY4LrYkT9BOfBQtlfcJX1?si=WFSHGIAZQzqibLlj3vWWMQ

 

これ、いつからサブスクに?つい数日前のお散歩ミュージックにとチョイスし、CDからインポート済みの(Apple)Musicアプリで聴こうと立ち上げて、あれっでもなんかちょっと、ジャケットが全曲で表示されるようになっているし、っていうんでSpotifyでも検索したら見つかりました。

 

そう、井上陽水奥田民生の『ショッピング』(1997)は稀代の傑作ですよ。どこでも見たことない意見ですが、ぼくはそう思っています。こういう音楽にここまでひどく共感するっていうのは要するに1960〜70sのクラシック・ロック的なもの(へのオマージュなんだけどこれは)が好きだからというだけの趣味ですけど。

 

それがサブスク(ぼくはたいていSpotify)で手軽にいつでもどこででもワン・クリック or タップで聴けるようになったというのがあまりにもうれしくて、音楽的なことはいままで二度書いてきたし、再言の必要がないわかりきった内容ですが、いまさらのように新鮮な楽しみを味わっています。

 

聴きながら涙と涎をたらすほど好きでたまらないというものが本作にはいくつかあります。アルバム全体が好きだけど、なかでもことさら大好きっていうものが。リリース当時からぼくにとってのNo.1は、ボートラっぽくラストに収録されている「アジアの純真」。もちろんPUFFYが初演のあれ。

 

陽水民生は「アジアの純真」のソングライター・コンビなんで、本人たちヴァージョンがどんだけカッコいいか、まざまざとみせつけたような格好ですね。強力なドラムスとエレキ・ギターを軸に、重心を低くしてタメの効いたノリを聴かせるバンドもヴォーカルも最高。そうそう、このアルバムは全曲人力生演奏なんです。いまでいえばオーガニック。

 

とにかく本人たちヴァージョンのこの「アジアの純真」のことをどんだけ愛しているか、ことばを尽くしても尽くしきれないと思うほど。これを聴きながらだったら死んでもいい。ふざけた無意味な歌詞ときわめて音楽的なメロとサウンドもいい。

 

そのほか民生の独壇場である5「意外な言葉」は60s的にクラシカルなギター・トリオのサウンドで(いちおうフェンダー・ローズも入っている)、特にエレキ・ギターがあまりにもカッコよくてシビレちゃう。やはり民生が歌うレッド・ツェッペリンふうの7「2500」も。

 

作詞でも参加の小泉今日子に提供した9「月ひとしずく」はジョージ・ハリスンの「マイ・スウィート・ロード」を意識したもので、これももおだやかでまろやかで心が落ち着きます。アクースティック・ギターのカッティングを多重してあるサウンドゆえ、このところ愛好度がどん増しな一曲ですね。

 

一曲一曲、終わって次の曲がはじまるまでのあいだの無音部分がしっかりとられているのもレトロ仕様というか、これ1997年の作品ですからね。クラブ系などの音楽CDで曲間のポーズをおかずどんどん連続で流れてくるのが定着していた時期です。

 

だから『ショッピング』を聴くと一瞬、あれっ、再生不良?と感じちゃうくらいなんですが、そのへんもサブスクでそのまま再現されています。いまや2010年代以後これだけレトロな眼差しが大流行しポジティヴにとらえられるようになって、若いミュージシャンたちがどんどんやっていますから、陽水民生の本作みたいなのに(サブスクで聴けるようになったので)もう一度日が当たってもいいと思います。

 

(written 2022.5.28)

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