カテゴリー「音楽(その他)」の371件の記事

2023/07/11

とても楽しい曲があるけどアルバムとしてはイマイチみたいなことが多いから、むかしからぼくはよくプレイリストをつくっちゃう習慣がある。いいものだけ集めてまとめて聴こうってわけ

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写真のとおりSpotifyでぼくは現在503個ものプレイリストを作っていますが、こんなやつおらんやろ〜。なんでこんなにプレイリスト作成が好きで、じっさいそれをよく聴いているのか?ちょっと不思議な気もしますが、とにかく自分で作るのが大好き。

 

こうしたことはサブスク・ユーザーになってからのことではなく、それ以前はiTunesで作りまくっていたし、CD時代になる前もレコードからダビングしてカセットテープでマイ・ベスト的コンピレをたっくさ〜ん作成していました。もう音楽ファンになったのと同時くらいに自分で作るようになったんですよね。

 

買ってきたアルバムなりをただそのまま拝聴するというので飽き足らず、リスナーとしてのこちらがわからある種の音楽制作的なことに積極的に参加していく、踏み込んでいくという行為かもしれません。

 

こんなマイ・ベスト・コンピレ作成癖が身についたのは、高校大学生当時自室にレコード再生装置がなかったというのも大きな理由です。家族が集まるリビングにステレオ・セットがあって、自分の部屋で一人聴きたかったぼくは、レコードというレコードを次々ほぼぜんぶカセットにダビングして持ち運んでいたんです。

 

当然レコードの片面長を残さず連続収録できる容量のカセットを使いますから、ダビングし終わるとおしりのほうに空白時間がちょっとできちゃう。そのままにして活用しないのはもったいないよと思って、別のレコードから(続けて流れてきたらよさそうだぞと思うものを選んで)入れて、それで余白をつぶしていました。貧乏性?A面とB面の長さがかなり違うレコードだといっそう。

 

そんなカセットを部屋では聴いていたんで、ショップで買うLPアルバムそのままの姿じゃなかったんです、ぼくがふだん聴いていたのは。音楽ファンになった初っ端からこれで、ずっとこのまま六年近くやってきて、大学院進学で東京で独り住まいになって初めてレコードをそのまま自室で聴くっていう体験をしました。

 

音楽リスナーとしての楽しみかたの土台というか地金みたいなのがダビング・カセット時代にすっかり形成されちゃっていましたので、三つ子の魂百まで、61歳の現在でもヒマさえあれば、いまはサブスクで、マイ・ベスト的プレイリストをなにかにつけてすぐ作るんです。これはもう抜けない習性。

 

そもそも(表題にしましたように)アルバムのなかに一曲二曲飛び抜けて出来がよく楽しいものがあり、ほかはそうでもないっていうケースはめちゃめちゃ多いじゃないですか。そんなときみなさんはどうなさっているんですか?すばらしい曲を待つ残りの退屈な時間はガマンですか?

 

そんなの時間のムダづかいだと思っちゃうぼくは、だからさまざまなアルバムから楽しいと(自分で)思えた曲ばかり選りすぐって集めて聴くようになりました。いはば各クラブ・チームから抜群に優秀な選手ばかり選抜したスポーツの国家代表チームみたいなもん。ワクワクしないわけがないです。

 

つまりぼくの音楽ライフは高校生のころからずっと年中ワールド・カップとかWBCとかが続いているようなもんです。へっへっへ。パソコンでやるかぎりプレイリスト作成はドラッグ&ドロップしていくだけっていう呆気ないほどラクチン簡単な作業で、こんなんでいいの?と思っちゃうほどイージー&カジュアルですしね。

 

(written 2023.6.9)

2023/07/04

その俳優や音楽家などの人間性清廉潔白を見たいんじゃなくて、芸能芸術の力や技を楽しみたいだけですから

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前も同じこと言いました。俳優とか音楽家などのやることは、演技や演奏歌唱といった芸能芸術の魅力がすべてだとぼくは思っていて、そこから離れたふだんの生活とか人間性とか清廉潔白であるかどうかなど、正直いってド〜〜でもいいわけです、基本。

 

チャーリー・パーカーみたいなドロドロの違法薬物中毒者や、フィル・スペクターのように殺人犯として刑務所内で人生を終えたとか、でもそのことでこうした音楽家のつくりだした作品の価値が下がったとか販売停止になったとか世間がソッポ向いたとか、そんな話ぜんぜん聞かないでしょ。

 

日本の芸能界だけが世界基準からしたら特殊なのか、すぐ店頭から回収したり配信停止にしたり放送上映を中止したりなど、ぜ〜ったいにおかしいです。そうすることでいったいだれが得をするのか。自粛しろとクレームするカスタマーも一部にいるでしょうが、なにか勘違いしているとしか思えないです。

 

レコード会社、放送局、映画会社、マスコミ、芸能関係者や事務所などは、妙な意見をぶつけてくる一部の世間をはねのけ、むしろ世論をリードしていかなくちゃなんない立場ですよ。芸能芸術の普及拡散をたすけ引っ張っていこうっていう組織なはずが、迎合してやめちゃってどうすんですか。

 

古今東西、芸力と私生活のスキャンダルやだらしなさは無関係。いや、もういまはそんな時代じゃない、ちゃんとした人間であることがそういう世界にも求められているのだということかもしれませんが、そういうもんじゃないと強く思っているぼくの発想が古いのかなあ。

 

不祥事、スキャンダルなどはいはゆる芸の肥やしだから、なんて古めかしいことを言いたいわけじゃなくて、こんなやつはけしからんもう観ない聴かないっていうかたがたは勝手にそうすればいいだけで、販売配信そのものをやめてしまうのは大問題だと思いますよ。

 

そこは視聴者が自分の意思や判断で自主選択できるようにしておいてほしい。そのために会社がわは販売配信を続けたほうがいいです。芸能芸術のためということはちっとも考えられていない事態が(日本では)進みつつあるような気がして、たいへん残念。

 

(written 2023.7.2)

2023/06/26

カタルーニャのアレグリア 〜 ジュディット・ネッデルマン

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Judit Neddermann / Lar
https://open.spotify.com/album/7Mc6kIwQW9UMgqImj5oFYC?si=vo9OKPpTRdaDXQ4nGzgLPg

 

カタルーニャの歌手、ジュディット・ネッデルマンのことは以前一度書きましたが、それ以来の新作『Lar』(2023)が出ましたので聴いてみたら、これもたいへんいいですね。21年の前作とはだいぶ雰囲気が変わり、今回は地中海〜ブラジリアンな方向性も強く意識したような多幸感のある音楽。

 

リズムの躍動がアルバムの重要ファクターになっていることは1曲目からはっきりしていて、それがさらに一段ときわだっているのがサンバ・チューンの5「Celebrar」。祝祭感に満ちたカラフルな曲で、いいなあこれ。こういうのはいままでジュディットの音楽になかったものですね。

 

続く6曲目も、おとなしめの曲調ながらややブラジル・テイストが香ります。特に曲後半ではファンキーさすらただようコーラスとビートのにぎやかさがあって、ダニ・ブラッキ(ブラジル)がゲスト参加している8曲目とか、このへんアルバム中盤がブラジル音楽パートでしょう。

 

いっぽうもとから美しいジュディットの声を最大限に活かしたバラード調やピースフルな曲の出来もすばらしく、4、7、9、10曲目あたりがきれいに輝いています。緑と花と蝶や小鳥に囲まれたおだやかで淡々とした平和な日常のなかに人生の真のよろこびを見出しているような曲とヴォーカルは、心から共感できるもの。

 

(written 2023.6.7)

2023/06/13

聴く人が曲を完成させる

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リリースされたばかりの新作アルバム『Seven Psalms』(2023)が話題のポール・サイモンが『Big Issue』誌のインタヴューで「聴く人が曲を完成させるとわたしは信じている」と言ったらしく、どういう文脈での発言なのか確認したいと思っても現物をなかなか入手できずあれですけど、すばらしいと思います。

 

同誌でポールは「わたしが曲のなかで言うことは、自分自身がなにか意味を込めているかもしれないけど、リスナーがその意味を決めるんだ」とも語ったようで、まさしく快哉を叫びたい気分。ぼくが約40年前から考え信じてきたことを、音楽家本人サイドがようやく明言してくれました。

 

個人的にこうした発想に至るきっかけになったのは、大学〜大学院生時代に文芸批評の分野を読みまくったこと。特にミシェル・フーコー、ジャック・デリダあたりの構造主義、脱構築哲学に強く影響されたアメリカのイエール学派や、フランスのロラン・バルト、イタリアのウンベルト・エーコらの著作にぼくは夢中で、おおいに共鳴し影響を受けました。

 

影響を受けたなんてもんじゃなく、修士論文がもろイエール学派のコピーみたいになっちまったんですからねえ。そしてあのころのコンテンポラリーな文芸批評で最もさかんだったのがまさに読者論・受容論で、作品の意味は作者が支配するものではなく、作品がどういうものであるかは読者こそが決めるものだという主張というか学説。

 

「作者から読者へ」ということがさかんに言われていて、論理的に筋が通っているよねえというばかりでなく、小学生時分以後ふだんの読書体験から皮膚感覚で考え信じていたことをハッキリ言ってくれているという気がして、当時から61歳の現在にいたるまでぼくのものの見かた考えかたの根芯を形成する土台となりました。

 

音楽だってそうじゃないかと。もちろん文学も音楽も作者が創り出さなかったら、とりかかりさえもしなかったら、この世に産まれ出てくるということはなくぼくらのもとにも届かず、いくら意味は受け手が決めるなどと言ってみたところで、作品そのものが存在しなかったらどうにもなんないわけで、そこには圧倒的な、絶対的ともいえる存在力の差があるわけなんですけどね。

 

そこはそこで認めた上で、発表された作品のことを受容論は扱っています。いったんこの世にリリースされたら、どんな音楽にも聴き手はつくもので、つまり聴かれない作品など存在せず、もしかりに聴かれない音楽があるとしたならば、それは意味を誕生させることができない作品ということになります。

 

それほど聴かれるという行為は重要で、作品の意味、どういう作品であるか、どんな姿かたちをしているか、どんな主張か、どれほど楽しいか美しいか 〜〜 などなどリスナーによって千差万別であることそれじたいが、それらを決める主体は聴く人であるという立派な証拠です。

 

端的にいえば「ぼくにはそういうふうに聴こえたんだよ」(ポール・サイモン)ってことが音楽の意味のすべて。リリースされた音楽作品は作者の手を離れ、聴き手だれもが意味を選ぶことができ、そのひとが喜びを感じるよう好きなように構成できる。それでいいんだとポール・サイモンは言いたいようですよ。

 

(written 2023.6.6)

2023/06/12

ダンス・ミュージックとしてのティナリウェン新作『Amatssou』

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Tinariwen / Amatssou
https://open.spotify.com/album/6midUauH9WLxQllqEAvqhM?si=sGiht1prTymJprDS1P79Ww

 

ティナリウェンの新作『Amatssou』(2023)については、日本語でもすでにたくさんのテキストが読めますから、ご興味おありのかたはぜひ検索してみてください。ぼくは個人的な感想だけぱぱっと手短に記しておきます。

 

ティナリウェンにかぎらずこの手のトゥアレグ・ギター・バンド(いはゆる砂漠のブルーズ)にぼくが感じてきた魅力とは、端的にいってライヴ・ダンス・バンドとして。延々と続くヒプノティックなグルーヴが快感で、それに酔って身を任せていれば気持ちいいっていう。

 

それは21世紀はじめにティナリウェンに初遭遇したころからずっとそうで、2019年秋にはタミクレストの東京公演に参加して、どこまでも熱く観客を踊らせまくるパワーに圧倒されました。なにを歌っているかことばがわからなくとも、ああいったグルーヴこそ音楽の持つ根源的な説得力だと確信できるものを体感しました。

 

ティナリウェンの新作でもそうしたチャームは不変。ヘビのようにうねりからみつくギター・ラインも健在ですし、なによりこの催眠術にかけるようなミニマルなビート感ですよね。たとえば1「Kek Alghalm」の疾走感とか、3「Arajghiyine」のじわじわ暑くなってくる感じ。

 

5「Tidjit」のほぼギターとハンド・クラップだけという初期に立ちかえったようなサウンドもいいし、9「Anemouhagh」もノスタルジックだけど圧倒的なダンス・グルーヴに満ちています。アルバム全体でサイケな展開は消え、シンプルにビートを組み立てようとしたように思えます。

 

(written 2023.6.10)

2023/06/05

奇跡の生命力 〜 オマーラ・ポルトゥオンド最新作

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Omara Portuondo / Vida
https://open.spotify.com/album/0x2lhDr31QkSkRPoz9VwMn?si=UIV_tADTRfu5oqVdfq_-nw

 

キューバの歌手オマーラ・ポルトゥオンドの新作『Vida』(2023)が出ました。しかもねえ、ワールド・ツアーまでやるっていうんだから、この92歳はどないなっとるんやぁ。ぼくの母親よりずっと歳上なんですけどね。

 

この最新作を聴いたって、重ねた年輪で枯れて渋淡くなり味わいが出てきたとか歳のわりにはがんばっているとか、そういう世界じゃないんですからね。現役最前線のハリとみずみずしさで、92歳でここまでノドが衰えないのは奇跡と思えてきます。

 

年寄りでも歌えるゆったりしたボレーロやバラード系が中心じゃないかと指摘する向きがあるかもですが、オマーラは若いころからずっとそう。たしかに今作も美しいボレーロは多く、しかもその美しさにはいっそう拍車がかかっていて、生命力に満ちあふれた歌唱は、アレンジ・演奏のすばらしさもあいまって、聴く者の胸を打ちます。

 

さまざまな(主に)ラテン系ミュージシャンとの共演が多くを占めていて、なかにはなぜかのケブ・モもいたり(ほんとなぜ?)、英語で歌うジャズ・ナンバーとかあったりしますが、多くはオマーラの音楽性をふまえた起用になっているかなと思います。

 

個人的に大きく感動したのは、特に4「Duele」(with ゴンサロ・ルバルカバ on piano)と9「Honrar La Vida」(with ルベーン・ブラデス)の二曲。ナイロン弦ギターとストリング・カルテットの伴奏で歌う後者は説得力に満ちているし、ピアノ伴奏だけでしっとりつづる前者も落ち着いていてマジきれい。

 

1「Bolero A La Vida」(with ギャビー・モレーノ)、名曲の2「Silencio」(with アンディ・モンタネス)なんかもすばらしいとしか言いようがないし、共演歌手よりオマーラのヴォーカルのほうが圧倒的にパワフルなのにはことばがないです。

 

伴奏サウンドも細部まできわめてていねいにつくりこまれていて、名作が誕生したとの思いを強くします。

 

(written 2023.5.21)

2023/05/10

ファド新世代の古典回帰 〜 カルミーニョ

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Carminho / Portuguesa
https://open.spotify.com/album/3YYC6lQ2PV71ncQrJbV1HE?si=GwmgSUJaSuu7iMs6dR7lWg

 

ちょっと好きなポルトガルの歌手、カルミーニョ。ファドでもないようなブラジル音楽路線もありました(両国を行き来しながら活動していた)。悪くないとぼくは思って以前一回記事にしましたが、三月にリリースされた最新作『Portuguesa』(2023)は古典ファド回帰みたいな感じでしょうか。

 

自作や共作曲が多く、それらだって伝統ファドのスタイル。とはいえギターラと混じりあうようにエフェクトの効いたエレキ・ギターが大胆に使われている曲があったり、あるいはエレキ・ピアノ&デジタル・マニピュレーターも。このへんはカルミーニョらしさです。

 

伝統ファドのマナーに(基本的には)沿いながら、必ずしも重苦しいばかりではない軽みをのぞかせているのも個人的にはいいと思います。それでも張りのあるナマナマしい声の重量感やコブシはしっかりあって、そこにかんしてはあっさり感じゃなくて濃厚な従来フィーリング。

 

11、12曲目に代表されるように地中海的な跳ねる陽光を感じさせる曲もアルバム後半にはあって、ファドにそうした一抹の明るさを求めるっていうか、この音楽にあるまるでこもれ日がさすかのようなやわらかい感覚が好きなぼくにはうれしいところ。

 

もう10年以上でしょうかファド新世代とか新感覚ファドだとか言われる若手歌手がポルトガルで続々台頭していて、それは近年のグローバルな音楽トレンドと合致もしていること。カルミーニョもその一人とみなされてきたわけです。

 

しかし今作は伝統派の重厚古典ファドにまずまず立ち返ったような内容で、原点回帰っていうかルーツ探訪というか(ある意味レトロ?)、ときおり新世代感を垣間見せながらも、アルバム全体の基本傾向としては従来的なファド・ファンをも納得させられそうな音楽を志向しています。

 

(written 2023.4.16)

2023/03/30

喪失とノスタルジア 〜 エミルー・ハリス&ロドニー・クローウェル

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(3 min read)

 

Emmylou Harris, Rodney Crowell / Old Yellow Moon
https://open.spotify.com/album/33CP9PApYibgmRsx7ux6sE?si=oETmCHH1ReC2z2z-cAk8fg

 

ひょんなことで(「ひょん」ってなに?)知ったエミルー・ハリスとロドニー・クローウェルのアルバム『オールド・イエロー・ムーン』(2013)。ナッシュヴィルで録音された、やっぱりこれもカントリー作品でしょう。グッと心に沁みる歌も複数あったので、書き記しておきます。

 

ロドニーは1970、80年代とエミルーのバック・バンドの一員でアルバムに名前もクレジットされていたので、つきあいは長いです。またデビュー・アルバムではエミルーがバック・ヴォーカルで参加していたりもしました。

 

アルバムで全面タッグを組んだ共作は2013年の『オールド・イエロー・ムーン』が初だったということなんでしょう。2010年代以後隆盛なアメリカーナ的というか、カントリーかポップスかジャズかロックかわからないそれらが渾然と溶け合った音楽というよりも、これは明確にシンプルで伝統的なカントリー・ミュージック。

 

そうした音楽って、実は日本でなかなか理解されきれてこなかった部分もあって、特に(名前を出すのはちょっとどうか迷うけど)中村とうようさんやその読者のみなさんが、ぼくもだけど、ブラック・ミュージックを称揚し、カントリーなんか目もくれなかったあたりの動向に如実に現れていたわけです。

 

しかしUSアメリカン・ミュージック最太の幹の一本であることは間違いなく、なんとか遅ればせながら心から共感・感動できるものがあるようにぼくはなってきましたので、最近ちょこちょこ聴くようになっています。共和党の大会でやっているような音楽、っていうのは偏見ですよ。

 

エミルー&ロドニーの『オールド・イエロー・ムーン』で特にいいなと感じるいまのぼくのフィーリングは、間違いなくおだやかなテンポでゆったりしっとりと歌われるバラード系の曲。3、4、7、9、12あたり。若かったころへのノスタルジアを込めてしんみりつづられるものなんかには激しく共感できるものがあります。

 

つまりもう失われてしまったものを想い、二度とこの手にとることなんてできないけれど、そんな深い喪失感が音楽美へと昇華されているサウンドを耳にするのはほんとうに救われる気分になりますよ。エミルーやロドニー同様、聴き手のぼくも歳とったんです。

 

(written 2023.3.13)

2023/03/27

ぼくにとってのファドとは地中海のキラキラ 〜 アナ・モウラ

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Ana Moura / Desfado
https://open.spotify.com/album/0nDa1VW1ZJcglo6zgWE9bf?si=ODU2y6qVRd-PLZUPc9kzBg

 

去年だったか(今年?)新作が出たらしいポルトガルのアナ・モウラ。それはまだ聴いていないんですが、とりあえずいままでのところで個人的に好きなアナの作品を手短にしゃべっておきましょう。

 

それは『Desfado』(2012)。これもラリー・クラインのプロデュースなので、こうした選曲、楽器選び、サウンド・メイクなのは納得ですが、それにしてもジョニ・ミッチェルの「A Case of You」があったりハービー・ハンコックが参加していたり。

 

ファドってわりかし保守的というか悪くいえば旧来イメージを引きずる頑迷ファンも多い世界なので、アナのこうした新感覚ファドはなかなか受け入れられなかったりしたかもしれません。

 

正直なところ、本格重厚ファドはちょっとしんどいというのが長年の個人的本音で、そのせいでちょっぴりこのジャンルを遠ざけていたような部分もぼくにはあったので、近年やや軽めのふわっとした聴きやすい歌手が続出しているのはうれしかったりするんです。時代のグローバルな音楽トレンドと合致もしていますし。

 

そして、本格でも新感覚でもぼくがファドに見出す魅力とは(ある意味全共闘世代的な)深刻さ、暗さ、重さというよりも、キラキラした地中海的な跳ねる軽快ラテン・ムード。こんなこと言うヤツいないかもですが、アナの本作でもそれは鮮明に聴きとれます。輝くギターラの音色(大好き)もそれに貢献していますよね。リズムのかたちだってねえ。

 

ジョニの2「ア・ケイス・オヴ・ユー」なんかだって、これをギターラ伴奏でやるっていうあたりはやっぱりファドではあるんですけど、そのおかげでかえってシリアスさが消え、地中海的な陽光のキラキラみたいなものをまとうことになっているじゃないかと思えたりします。

 

(written 2023.2.24)

2023/02/28

2023年を代表する大傑作 〜 キミ・ジャバテ

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Kimi Djabaté / Dindin
https://open.spotify.com/album/6UK19lM9QS02E9GYi69EHJ?si=Bx3nb-KqRBuAsbqNWEjEDQ

 

リスボンを拠点としているギネア・ビサウ出身のグリオ系音楽家、キミ・ジャバテ(ヴォーカル、ギター、パーカッション、バラフォン)の最新アルバム『Dindin』(2023)がチョ〜カッコいいぞ。もうシビレちゃって、連日こればっか聴いてるんだもん。

 

特にも〜タマラン!のが3曲目「Alidonke」。毎日なんどもリピートし、部屋でひとり踊り狂っちょります。先行シングルの段階ですでに聴けた曲で、そのときから惚れちゃって、こんなのがあるんならアルバムも傑作に違いないと確信できたすばらしいセクシー・グルーヴに降参。

 

西アフリカのグリオ伝統やアフロ・ポルトガルな音楽ルーツにしっかり根差しながら、デザート・ブルーズなどもとりいれつつコンテンポラリーで良質なアフリカン・ビートを体現しているとわかるのが圧倒的で、なにもかも完璧なグルーヴを持つこれは、もう2023年のベスト・トラックに決まりですよ。

 

その他4「Kambem」、7「O Manhe」、10「Mana Mana」など、強く速めのビートの効いた曲はたまらないほどカッコよくグルーヴィで、それでいてかっ飛んでいる印象がなくクール。ヒタヒタと静かに迫ってくるような落ち着きがあり、曲づくりもバンドの演奏もよく練り込まれています、アルバム全体でも。

 

キミ自身の曲であるどれも内容的にはアフリカの社会や政治状況、宗教や女性の権利、貧困、教育といったテーマをとりあげている模様ですが、マンディンカ語を聴解できないぼくは、演奏されるビートやサウンド面でのすばらしさカッコよさにひたすら酔うばかり。

 

「Alidonke」が今年のベスト・トラックであるばかりか、本作『Dindin』はいまのところ2023年の音楽を代表する大傑作に違いないと惚れこんでいます。アフロ・ポップの伝統、近年の成果、ルゾフォニアのみならず世界の音楽を俯瞰する視野のひろさ、新しいビート感 〜〜 すべてを兼ね備えつつ熟練でコクのあるまろやかなできばえに落とし込むキミの手腕に脱帽。

 

(written 2023.2.28)

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