カテゴリー「パソコン、スマホ」の8件の記事

2022/06/18

かつてMacでもInternet Explorerが標準ブラウザだった時代があった

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人の死は悼まないのに、なにかの終焉に際しレクイエムを書くことがぼくにはありますね。きょうはマイクロソフトのウェブ・ブラウザInternet Explorer。先だって6月16日で公式サポートが終了したので、幕引きです。

 

Windows OSの純正ブラウザとしてあまりにも有名で、世を席巻しましたが、あんたMacユーザーだろ関係ないだろ、と言われると、たしかにいまはそうですが過去に実はそうでもなかった、お世話になった時代があります。

 

1997年にAppleはマイクロソフトと業務提携を結び、Mac OS 8.1(1998〜)からインターネット・エクスプローラーがMacでも標準ブラウザとなり、発売されるMacコンピューターにデフォルトでバンドルされるようになったんです。あのころ標準メーラーもOutlook Expressでした。

 

その後のMac OS X 10.2(2002〜)までずっとそうで、10.3(2003〜)からAppleは自社開発のブラウザーSafariを採用することとなり、マイクロソフトとの契約も終了したので、これでMacにおけるIEの時代は終了しました。

 

IE採用以前というと、MacはNetscape Navigatorをバンドルしていて、しかし個人的にはそのころインターネットというよりまだパソコン通信メインだったので、使用する機会はあまり多くありませんでした。そもそもダイアルアップ接続だったし。インターネット中心の生活になっていくのは常時接続となった世紀の代わり目あたり。

 

そのころAppleという会社は経営状態が最悪、ほとんどつぶれかけというに近いほどだったんで、自社でウェブ・ブラウザを開発する体力などありませんでした。マイクロソフトは95年以後Windowsが売上絶好調でしたから。

 

Appleが復活し、いまみたいな世界トップの巨大IT企業になったのは、2007年のiPhone発売以後。その数年前のiPodで兆しがありました。野球におけるアンチ・ジャイアンツ・ファンみたいに熱烈なアンチ・マイクロソフト派のぼくは、背に腹はかえられないとはいえIEみたいなのがMacの標準ブラウザなのをやっぱり我慢することができず。いちおうちょっとは使いましたけども。

 

結果、Safari登場まで、Mac用サード・パーティ製のiCabっていう小さくて軽いウェブ・ブラウザを愛用していたんです。っていうか21世紀初頭ごろはNNもOperaも持っていたし、そのほかいくつも、ちょっとしたブラウザ・コレクターみたいになっていて、これがいいぞ!というウワサをみてはダウンロードして試してみるといった具合。

 

FirefoxやChromeとかはまだなかった時代、でもそんなことしたらブックマークがたいへんだろうと思われそうですが、ブックマークを多数のブラウザ間で共有するのはそんなにむずかしくもないことですね。とはいえあくまでiCabこそが個人的メイン・ブラウザでした。いまでも続いているのかな?Safariを愛用するようになって以後ほとんどチェックしなくなったけど。

 

Macばかり使うユーザーも、IE愛用だったWindows派同様、Safari登場以後は迷う必要がなくなって、問題がすっきり解決したような感じです。iPhoneやiPadでもSafariがプリ・インストールされている公式ブラウザで、Macをふくめ三台でさまざまな動作をシェアしながら移動するのもいまや容易で、ほんとうにいい時代になったもんです。

 

(written 2022.6.17)

2021/10/24

もうメール・データの移行なんてやらなくていい 〜 IMAPメールのすすめ

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パソコン(やスマホ)を買い替えたときの最大の課題は、それまで使っていたデータの移行かもしれませんよね。こないだもWindows OSの走るPCを新しくしたというネット友人がいて、メール・データの移行に手間取って、結局あきらめたというようなツイートがありました。

 

それで、似たように困難な状況をいまでも経験し続けているかたはまだまだ多いのかもしれないと思いいたるようになり、だからちょっとでもトラブルを防ぐ一助になればと、いまこの文章を書いています。

 

実を言いますと、2011年に新型MacBook Proを買って以来、2014年、17年、21年と、合計四回のパソコン買い替えで、ぼくは一度もメール・データを移行したことがありません。

 

なぜならば、CDからインポートした音楽ファイルやダウンロードした動画などならともかく、メール・データなんて、もはや「移行」するものじゃないよなあというのがぼくの実感なんです。10年ほど前からクラウド型メールが主流になってきているからです。

 

パソコンやスマホを使うなら、TwitterかFacebookかInstagramのどれかは、いまやみなさんおやりでしょう。アカウント持っていますよね。それらはてもとのローカル・ストレージにテキストも写真も動画もありません。データはすべてサーバーにあって、端末を持つユーザーはそれにアクセスして見ているだけ。

 

だから、パソコンやスマホを買い替えても、それらソーシャル・メディアはユーザー名とパスワードを入れログインするだけで、ただそれだけで、それまでとまったく同じように使えますよね。「移行」なんて、だれも考えたことすらないでしょう。

 

いまやメールも同じなんです。ローカル・ストレージにダウンロードして読むPOP型は少数になってきていて(ほとんど使われてもいない?)、サーバーのクラウドにメール・データがあって、てもとの端末ではそれにアクセスしてメール・クライアントで表示するだけっていう、IMAPメールが主流です。

 

メール受信方式におけるPOPとIMAPの違いについては、検索すればくわしく解説してある記事がたくさん見つかりますから、ご存知ないかたはぜひご参照くださいね。たとえばこことか↓
https://fctv.mitene.jp/mail/which.html

 

マイクロソフト・サポートが解説している記事も見つかりました↓
https://support.microsoft.com/ja-jp/office/imap-と-pop-とは何ですか-ca2c5799-49f9-4079-aefe-ddca85d5b1c9

 

IMAPであれば、メール・データはクラウドにあってそれにアクセスするだけなので、パソコンなりを新しく買い替えても、IDとパスワードを入力しログインさえすれば、たったそれだけでOK、それまでのメールがぜんぶ出ます。データ移行なんてやらなくていいのです。

 

さらに、IMAPならクラウドのアカウントを持つだけなので、複数の端末からそれぞれ同じアカウントで同じサーバーにアクセスできて、どの端末でも同じメール・データを表示できます。いまやパソコン、タブレット、スマホなど、多数台持ちがあたりまえになってきていますから、どの端末でも同じメール一覧を確認できるというのは重宝しますよね。

 

IMAPなら、自宅ではパソコンで、出かけた先ではスマホで、新規メールの受信も、同じメールのちょこっと続きを読み、気になったメールへの返信も、ぜんぶいつでもどこででもできるんです。しかもどこでどれで受信しても全端末でデータが同期します。な〜んて便利なんでしょう。

 

ぼくはたまたまずっと熱心なAppleユーザーですので、Appleの提供するiCloudという無料のクラウド・サービスを使っていますが、これはむかしぼくが使いはじめたころ、まだ有料でした。当時「.Mac」(ドット・マック)という名前でしたが、2008年にMobileMeとなり、だれでも使える無料のiCloudになったのが2011年。

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てもとのメール・クライアントで確認すると、@mac.comのアカウントに来たメールは2008年のものが最古なので、たぶんそのちょっと前あたりからこのサービスを使いはじめたんだと思います。サービスがMobileMe、iCloudと名称変更しても、同じメール・アドレスで使い続けることができています。

 

iCloudはAppleユーザー向けに限定されたサービスではありません。WindowsユーザーでもAndroid端末でも問題なく使えます。その他クラウド・アクセス型のIMAPメール・サービスを提供しているところは各種あるので(マイクロソフトのものもある)、みなさんそれぞれお使いの機種やOSなど環境に応じてお試しくださいね。

 

また、Gmail(はぼくも使っている)などのWebメール・サービスをメインに使うという選択肢もあります。WebメールとIMAPは違うんですが、しかしこれもサーバー・アクセス型ですので、パソコン買い替えの際にメール・データ移行の必要がなく、やはり複数端末で同じメール一覧が見られます。

 

(written 2021.10.23)

2021/10/01

「中東に赴任しているアメリカ軍人」からのメッセに要注意 〜 国際ロマンス詐欺のパターン

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リクエストがあったので、個人的経験をもとに書いてみます。国際ロマンス詐欺について。なんだかまだまだ被害にあいかけるケースも多いそうですから、防止の一助になればと思います。

 

国際ロマンス詐欺とは、ある日、海外のステキな異性(という設定になっている)からメッセージが届き、なんとなくやりとりするうちにネット上で恋に落ちる、そんな映画のような出会いからはじまり、最終的にはこちらの好意を利用して金銭を奪われるという、そういうものです。

 

ぼくが二年ほど多数やりとりして知っている範囲での国際ロマンス詐欺の常套パターンを以下に箇条書きで整理してみます。

 

(1)舞台はInstagramのダイレクト・メッセージか、マッチング・アプリのメッセージ
(2)ある日突然、見知らぬ人物(通常の異性間恋愛が想定されているので、ぼくなら女性)からメッセージが届く。最初は軽い挨拶程度
(3)ぜんぶ英語。カタコトの日本語ということもあり
(4)軽い気持ちで返事をしてみると、それをきっかけにやりとりがはじまる
(5)徐々に自分が何者なのか語りはじめるが、全員が「例外なく」アメリカ人で、アメリカ軍で働いていて、しかも現在は中東地域(例外なし!)の基地に赴任している
(6)Instagramのアカウントを見にいっても、プロフィールにほとんどなにも書かれていないし、フィード投稿もたった数個程度
(7)だれをフォローしているか見てみると、アメリカ人というにしては妙に日本人男性ばかり多数フォローしているのも、こんなアカウントの特色
(8)それにときどき英語がいい加減なのも特徴。スペリング・ミスやコロケーションや文法がおかしかったりなど、おそらく英語ネイティヴじゃないだろうと推察できた
(9)しかし、もうすぐ任務が終了するので、そうしたら日本に行きたい、日本と日本人のことが大好きだ、と熱心に言う
(10)他愛のない会話をくりかえしていると、そのうち「あなたはハンサムだ、good guyだ」「好きだ」「愛している」などと言いはじめる
(11)ぼくのばあい、一人目には脈絡なくいきなり「Do you love me?」と言われ、めんくらった
(12)中東での任務が終わったら日本へ必ず行くから、いっしょに住みたいとまで言う、結婚など二人の将来設計を語りはじめる
(13)マジの恋愛感情をこちらが抱いているようなフリをしてメッセージ交換を続けていると、実は私はいま金銭的に困難な状況にあるなどと言いだす
(14)このへんで別のアプリに誘導されるケースもあり(全員ではない)。ここは100%安全ではないからと、Google Hangoutsへ来ないかと言われたことがある。持っていないというとさかんにインストールをすすめられる
(15)Google Hangoutsに移行しても、最初は変わらぬ調子で会話が続くが、好きだとか、あなたは私のこと好きなの?とか、言われる割合が増える
(16)こちらが真剣な恋愛感情を持つようになってきただろうころあいを見計らって金銭的な要求が来るけれど、そうなったらゲーム・オーヴァーなので、いつもヒマつぶししているだけのぼくは、そこでもうメッセージ交換をやめ、お引き取り願う
(17)終了。だから、ぼくは多数の国際ロマンス詐欺相手とのメッセージ交換をやったけど、いつもお遊びなので、金銭をだましとられるという被害には一度もあっていない

 

国際ロマンス詐欺の金銭要求には種々のパターンがあります。一度はiTunesカードを購入しろとの指示が来たこともあり。iTunesカードならそれじたいを送る必要はなく(住所がバレるので、そんな指示はしない)、裏面記載のIDコード番号だけわかれば使えるので、メッセージ・アプリでそれを教えるよう言うだけです。

 

リアルな真剣交際でも、金品要求に話が及んだ時点でいぶかしむ、警戒する、というのが通常だと思いますが、100%ネット上のメッセージ交換だけでやる国際ロマンス詐欺のばあいは、なぜだかやりとりに夢中になって、絵空事の恋にのぼせ、冷静な判断ができなくなっているケースがあるみたいですね。

 

一度も会ったことすらないのに「好きだ」「愛している」みたいなたぐいの話題になった段階で、おかしいと思わなくちゃいけません。ぼくは仕事も完全リタイアしたヒマ人なので、ヒマつぶしにメッセージ交換をしてテキトーに遊ぶだけの人間ですが、だれであれネット上だけでそんな色恋沙汰になることはないです。

 

不慣れなひとがこういった国際ロマンス詐欺にひっかからない最善の手段は、上記箇条書きの(4)の段階を超えないこと。最初は「Hi」とか「Hello」とか言ってくるだけですが、それに返事さえしなければ、なにも起こりません。このアカウントにその気があるか、そもそもアクティヴな実在アカウントか、さぐりを入れているだけなんですから。

 

興味本位でその段階を超えたとしても、中東地域(ぼくが経験したなかではイエメンとかイラクとかだった)のアメリカ軍基地に赴任しているアメリカ軍人と言ってきたら、もう100%国際ロマンス詐欺です。プロフィールもウソなら、性別も写真もウソです。

 

派生しての類似パターンがいくつもあるので、応用してください。ゲイがよく使う9monstersなどの性的少数者向けマッチング・アプリでも、そこだと同性の、やはり中東地域派遣アメリカ軍人という設定で、この手の詐欺メッセージがときどき来ます。

 

詐欺だろうと指摘すると、メッセージもアカウントもあわてて消しますが、そうでなくとも一定時間が経つとこの手のアカウントは消えます。そしてしばらく経つと別人になりすまして新アカウントをつくり、同様の手口を展開します。

 

(written 2021.9.30)

2021/09/25

Instagramはパソコンでもできるんですよ

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https://www.instagram.com

 

といっても投稿だけはスマホやタブレットのアプリを使わないと(基本)できませんが、それ以外だったらパソコンのWebブラウザでもInstagramはできます。見たりいいねやコメントしたりメッセージのやりとりをしたりなど、ほぼ不自由ありません。

 

このへん、声を大にして言いたい、というのはスマホかタブレットをお持ちでない一部中高年のみなさんのなかには、Instagramはスマホやタブレットじゃないとできないんでしょ、と誤解して遠慮している向きが少なからずいるように見受けられるからです。

 

そもそもスマホくらい安いんだから持ったらどうか、人生の利便性もグッと上がるんだしねえとか思いますけれど、みなさんそれぞれ事情や思想があるでしょうから、あんまり言えないですよね。

 

便利だとか云々以上にぼくが気になっているのは、音楽関係のことでも情報収集でいまやインスタが主な手段になってきているからということです。若手歌手や音楽家はみんなインスタの公式アカウントを持っていて、どんどん発信しています。

 

レイヴェイや、きのう書いたナサニエル・クロスにしてもそうだけど、そもそもインスタでしか重要情報をリリースしないという音楽家も増えてきていて、それを見逃すとほかにゲットする手段もないわけです。

 

作品についてはですね、レコードなりCDなりを買えばパーソネルやレコーディング・データの記載もあるでしょうけど、サブスクで聴いている人間はそのへんネットで調べるしかないんですからね。

 

若手音楽家だけじゃなく、ブルー・ノートのような老舗レーベル、マイルズ・デイヴィスなど故人大物音楽家のエステートなども公式Instagramアカウントを活用してどんどん新規情報を流しています。こういう例はもう枚挙にいとまがないんですよね。

 

そりゃあTwitter、Instagram、Facebookの三大ソーシャル・メディアのなかで、いちばんイキがいいのがインスタなんですし、だからそうでなくともそもそも太古から時代の流れに敏感なミュージシャンたちがインスタを主な場所とするのはとうぜんです。

 

そんなInstagramに、ただスマホを持っていないからというだけの理由で知らん顔しているようでは、いまどきの音楽新情報を取り逃がしてしまうことも多いんじゃないかと思わないでもないです。でも、スマホを持っていなくても、パソコンで(見るだけなら)不自由なくインスタはできるんですから、どうかご安心を。さぁ、アクセスを。
https://www.instagram.com

 

いやいや、投稿できなくちゃおもしろくないよ、というかたはスマホかタブレットを買ってください。

 

(written 2021.9.24)

2021/01/24

あのころのオリヴェッティはいまのiPhoneだった

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オリヴェッティ(Olivetti)というイタリアのタイプライター・メーカー。いまはパソコンなどつくっているのかもしれませんが、よく知りません。ぼくのなかでは英文タイプライター機のイメージしかない会社です。

 

どうしてイタリアのメーカーが英文タイプライターをつくっていたのかも知らず。ただたんに中学生のときからこの会社のタイプライターを個人的にずっと愛用していたわけで、それで憶えているだけなんです。オリヴェッティのレッテラ・ブラックという手動式のポータブル機種を。

 

どうしてオリヴェッティのレッテラ・ブラックを使っていたのかというと、ぼくの世代の日本人は多くのばあい中学に進学すると同時に英語を習いはじめますけど、それでぼくがタイプライターをほしがったか、あるいは教育熱心だった父親がみずからすすんで買い与えたか、どっちかだったんでしょう。中学一年生か二年生のときだったはず。

 

ぼくは買いものにはついていかず、自宅にいたらある日突然、父がレッテラ・ブラックを抱えて帰ってきたんです。それにしても父は松山市街のどこで、どうして、イタリア製のタイプライターを買ったんでしょう?ブラザーなど日本のメーカーもタイプライターをつくっていましたのに。

 

そこらへんはもうなにもわかりませんが、オリヴェッティのポータブル・タイプライターは機能的に過不足ないばかりか、ルックスもスマートでおしゃれでした。いまもパソコンやスマホ、タプレットなどApple製品しか使わないっていう、マシンに対するぼくのデザイン重視志向は、中学生のころからオリヴェッティのタイプ愛用で養われたものだったかもしれません。1970年代のオリヴェッティは2010年代のiPhoneだったと言えるかもですね。

 

オリヴェッティのタイプライターが機能的にもデザイン的にもすぐれていたというのは、高校生になってESS(英会話部)の部室に頻繁に入りびたるようになって実感しはじめたことです。ESSの部室には三台か四台のメーカーの異なるタイプライターが常備されてあって、みんながヒマなときに打って遊んでいましたからね。

 

ぼくはといえば、中学のときから英文タイプライターを愛用していたおかげで、高校に上がるころにはQWERTY配列の英文字キーだったら見なくてもタッチ・タイピングできるようになっていました。ESSの部員(ぼくは部員じゃなくて、よく遊びに行っていただけ)のなかにはそういうひとがわりといましたね。

 

一定の英語の文章をどれだけ速くどれだけ正確にタイプライターで書写できるかを複数人で競ったりなどもESSの部室でよくやっていて、そんなこともあって、中学のころに基礎ができたぼくの英文タイプの腕前は、高校生のときにほぼ完成されたとして過言ではありません。

 

大学の英文学科に進学し、すると(どうしてだか)英文科では卒業論文を英語で書くんですけど(あれはホントなんで?仏文科がフランス語で、独文科がドイツ語で、なんて聞きませんけどねえ)、提出する卒論の完成品はタイプライターで書かなくちゃということになっていて、しかしぼくのばあいは、だからそれにはまったく手こずりませんでした。英文科でも学生みんながタイピングに習熟していたわけではなかったのですけど。

 

大学院に進学しての修士論文も、上京の際当然のように肌身離さず持参したオリヴェッティのレッテラ・ブラックで書き、そもそもぼくのばあい最初段階のメモや草稿からしてはじめからぜんぶタイプライターで書いていたんですね。英文にかんしては手書き感覚とほぼ違わないようになっていましたから。

 

以前書きましたように博士課程に進学したらワープロ機を買いましたから、それからはタイプライターの出番が徐々に減っていったんですけど、それでもディスプレイを見ながら打ち、確認してから印刷する、というプロセスを経ないで、タイプしたものがそのままダイレクトに紙に出てくるタイプライターのほうが感覚的にわかりやすいし使いやすいと思って、学生のころはまだときどき使っていました。

 

ワープロ機を買ってもパソコンを使うようになってからも、ぼくが英語はもちろん日本語もQWERTY配列のキーボードでローマ字入力する癖がはじめからすっかり身についていて、迅速&正確にタイピングできるのは、中高大生時代のオリヴェッティ体験のおかげです。記号類の並びがメーカーによって少し異なりますので、そこはあれですけども。MacとiPhoneとiPadでも違っているという、あれはなんでだ?Appleさん?

 

QWERTY配列のキーボードがあまりにも指になじみすぎて手書き感覚になっているせいで、スマホやタブレットなどでのソフトウェア・キーボードでもそれで入力している現在のぼく。スマホとかだと12キーによるフリック入力のほうが圧倒的にラクだし速いんだとみなさんに勧められ試してみたものの、ぼくのばあいQWERTY配列での入力のほうに親しみすぎていて。

 

人前にてiPhoneで日本語を入力していると、ときたま見ているかたにビックリされることもありますね。英文字、英文を入力する機会はいまでも多いので、同じ並びのキーボードを切り替えずそのまま使えるというのは、ぼくのなかでは、皮膚感覚的にとても大切なことです。

 

オリヴェッティのレッテラ・ブラックについては、都立大学英文学研究室の助手だったころ、(もとはシェイクスピアが専門で)アフリカ文学研究者の、当時は助教授だった福島富士男さんが、ワープロ機はめんどくさい、短い手紙程度だと(ダイレクトだから)タイプライターがいいんだけどもうあまり売ってなくて買いにくくなっている、戸嶋持ってないのか?とおっしゃるので、使用頻度激減だったぼくは躊躇なくさしあげました。

 

いまではもはや紙にアウトプットするということがなくなって、そもそも紙の使用は削減したい、なるべく紙類は使わないようにしたいというのが個人的感覚(社会的にもそうなりつつあるでしょう)ですから、一度もフィジカル出力せずデジタルのままで最後まで処理できるパソコンやスマホに頼りっきりです。

 

(written 2020.9.19)

2020/11/12

ぼくのコンピューター使用歴

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(13 min read)

 

はじめてコンピューターというものに接したのは、1981年、大学二年のときでした。

 

通っていた愛媛大学の一般教養課程カリキュラムは、たしか文系・理系ムラなく幅広く学んでもらいたいということで三種類というか三系統の必修科目が設定されていて、どの系統からも選んで何単位か取得するように義務づけられていたんですけど、だからぼくは英文学科だったのに物理の講義とかにも出ていました。

 

そんな理系の必修科目のなかに「情報なんとか」っていうのがあって、コンピューターに触れることができるっていうんで、これは物理と違って(いや物理も好きだったけど)喜んで進んで学びました。1981年当時、コンピューターに接している一般の19歳なんてまだすくなかったですからね。

 

学んだ内容は100%近く忘れてしまいましたが、とにかくFortran(フォートラン)というコンピューター言語とそのプログラミングと、パンチ・カードを使っての実際の操作も学びました。コンピューター・ハードウェア(機械)は教室とかその教授の研究室にあったのではなく、かなりサイズの大きなものが大学のそれ専用部屋にあって、全学的に使われていたはずで、予約してその部屋まで行かなくてはなりませんでした。一つの部屋全体がコンピューターで占有されていて、専門の技師みたいなひとが常駐していました。

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熱心に学んだのでちょっと仲良くなった教授の研究室には、サイズのあまり大きくないパーソナル・ユースのコンピューターも置いてあって、その記憶装置がカセットテープだったんですね。カセットといえば、その1981年当時ぼくは音楽レコードをかたっぱしからダビングするのに頻用していたわけですが、コンピューターの外部記憶も音声データを使っていたんです、1981年当時。

 

ぼくが個人で使うコンピューターのたぐいを買って自室に置いて使うようになったのは、東京都立大学大学院に進学して三年目の博士課程一年目でしたから、1986年です。コンピューターといっても当時流行りはじめたばかりのワープロ専用機でしたが、あれはコンピューターですからね。

 

もちろん文書書き・編集・印刷しかできないマシンなので(のちになって種々の機能も付属するようにはなりましたが)、あれをいわゆる「コンピューター」だと意識して使っているひとは多くなかったんじゃないでしょうか。でもワード・プロセッサー機能に特化したコンピューターだったんですよ。

 

ぼくが1986年に買ったワープロ機は富士通のオアシス・ライトで、どうして富士通のにしたかというと、当時父親が勤務していた消防署の通信指令室に納入しているコンピューターが富士通社製で、出入りしている業者に頼めば同社のを割引価格で買えるとなったからでした。

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ワープロ機とか(コンピューターとか)いっても、いまの若い世代には信じてもらえないでしょうけど、ぼくが買った一台目は、文字を表示するディスプレイが、なんと!たったの8文字分だけだったんですよ!極小の覗き窓みたいなもんで、使っていてかなりもどかしかったですが、当時はこれしか知らないからこんなもんかなと。不便でしたけど不思議とは感じなかったです。

 

博士課程の二年間をそれで過ごし、論文もそれで執筆し、二年目が終わって三年目に入る前に研究室の助手に採用されましたから(大学院は中退)給料がもらえるようになって、それでしばらく経って同じ富士通の(にしたのはキーボードに慣れていたから)もっと大型の、ディスプレイも紙で言えば一枚分くらい表示されるデスクトップ型のワープロ機を買いました。

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デスクトップ型ということは据え置いて、その場所にすわって使うものですから、それでもたいへん便利に愛用していたんですけど、テーブルの上で軽便に移動させられるマシンもほしいぞと思って、ノート型のワープロ機もちょっと経ってから買い増しましたね。

 

同じ富士通製オアシスですから、一枚のフロッピー・ディスクを二台で使いまわせるということで、普段はテーブルの上に置いたノート型マシンで書いて、その文書内容を保存したフロッピーをデスクトップ型オアシスに入れて続きを作業するとか、その逆とか、そんな感じでしたかね。

 

ぼくが都立大英文学研究室の助手だったのは1988年4月〜1991年3月までの三年間。その三年間がそれら二台の富士通製ワープロ機とともにありました。研究室ではまた違った複数のメーカーの(NECのとかカシオのとかだったような、忘れた)ワープロ・マシンを仕事用に使っていたんですけど。

 

助手だったそのころ、つまり1980年代末から、本業の延長線で商業媒体に英文学関係の文章や翻訳を書いて売るという仕事をしはじめたんですけれども、当時電子入稿はおろかフロッピーで提出なんてこともはじまっていませんでしたし、まだ原稿用紙に手書きしたものを封筒に入れて郵便局に持っていっていましたね。

 

だいたい、文書を保存したフロッピーだってワープロ機のメーカーが異なると読めないという時代でしたから、フロッピー入稿なんてのは現実的じゃなかったんです。出版社内のDTP化だってまだ進んでいなかったはず。それがはじまるのはパソコンが一般化してテキスト・ファイル形式(.txt)がメーカーや機種を超えた汎用フォーマットとして普及してからです。その後は現在の電子入稿まで一直線。

 

そんな、いまでいういわゆるパソコン(パーソナル・コンピューター)をぼくが買ったのは、國學院大學に就職して五年目の1995年夏のことです。ずっと富士通製のワープロ機を使ってきていた身としては、パソコンも富士通製のにしようかなとちょっと思ったんですけれども、91年に結婚していたパートナーの進言でApple社製のMacintoshになったわけなんです。義父(中学の理科教師)がMacユーザーで、実家へ遊びにいくとSE/30が置いてあったりなどしました。

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最初に買ったMacはPerforma5210という入門者用のデスクトップ・マシンで、自宅に届いて使いはじめたらもうまるで夢心地でしたねえ。こんなにも楽しい世界があるのかと。以前からなんどか書いていますけど、パソコンを買ったのに文書作成とかの目的はゼロで(それはワープロ機で事足りている気分でした)、ネットをやりたいがためでした。

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だから夫婦で新宿のソフマップにそれを買いに行ったとき、最初から同時にモデムも買いました。当時はまだ外付けでしたから。それで、このことははじめて言うんですけど、なぜ1995年にパソコンを買おうと思ったかというと、実はパートナーの事情でした。そう、最初の一台は夫婦で兼用だったんですね。

 

当時ちょうど就職活動中だったパートナーは、応募する各大学へ提出する履歴書に「パソコン通信なんかも得意です」などと、やったこともないのに、パソコンを持ってすらもいないのに、書いていたそうです。事後にどうしよう?書いて出しちゃった!と相談されて、じゃあ早くパソコン買ってはじめておかなくちゃ!となったわけですよ。

 

そんなわけでパートナーもぼくも、ハナからパソコン通信をやりたいという目的でMacを買ったわけです。いざ買って使いはじめてみたら、履歴書で豪語したパートナーではなくぼくのほうがネットにハマってしまって、ズブズブのネット中毒患者になってしまい、だってねえ、音楽系フォーラムとかチョ〜楽しすぎてですね、寝ても覚めてもそのことしか考えられないっていう、そんな生活になりました。

 

そうなった1995年夏からは、2020年の現在まで本質的にあまり変わらない生活が続いておりますが、なんて使いやすいんだろうと、その後職場でWindows機も触るようになったぼくはMacについてそう感じるようになり、私生活ではMacしかぞ使わないと誓い、95年末にノート型のPowerBook5300、98年に名機(とのちに言われるようになった)PowerBook2400cを買いました。

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そのころ、まだネットは普及しはじめたばかりで、ブロードバンドの常時接続回線が各家庭に普及するようになったのはたぶん21世紀に入ってからの話ですから、まだまだネット中毒患者なんかはすくなかったかもしれないですね。

 

PowerBook2400cがとにかく使いやすくて溺愛していたぼくは、これが完全にオシャカになるまでトコトン使い倒し、内部CPUをG3化までしていたんですけど、とうとうダメになってやむなくiBookG3を2006年に買ったんですね(クラムシェルじゃないやつ)。2011年にMacBook Pro、14年にいまでも使っている二台目のMacBook Proを買いました。

 

モバイル・ディヴァイスであるiPhoneを買ったのはかなり遅くて2017年の6月1日。だからスマートフォンが普及しはじめてから10年近くが経っていましたよねえ。ぼくは電話や電話機が大嫌いで、こっちの事情も考慮せず日常生活にズケズケあがりこんでくるでしょう、電話って。寝ていてもお風呂に入っていてもかかってくるときはかかってくるわけで。

 

それしか通信手段がなかった時代はあきらめていましたが、いまやメールやSNSのメッセージ機能があるだろう!と。だからそんなに大嫌いな電話機を、ましてや常備携帯するなんてカンガエラレ〜イ!と思っていて、そもそもガラケーも持ったことすらなかったんですよ。

 

ところが時代の変化というか、電話機というよりモバイル・コンピューターとして、スマホじゃないとできないとか、そっちのほうが便利カンタンにできるとか、具体的にはInstagramをやりたかったんですよね。Instagramは(基本的には)スマホやタブレットのアプリからしか投稿できないですからね。

 

それで、カメラ機のたぐいもぼくはそれまでの人生で一度も持ったことがなかったんですけど、iPhone買って一気に携帯電話もカメラも(もちろんモバイル・コンピューターも)なにもかもが一堂にiPhoneのなかに揃うこととなり、これでまた人生が激変しましたね。最初に買ったのはiPhone 7でした。

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ぼくのデジタル人生は、はじめてワープロ機を買った1986年、はじめてMacを買った1995年、はじめてiPhoneを買った2017年と、三回の劇変を経験しているわけなんです。

 

(written 2020.9.6)

2020/03/03

Mac の Music アプリで困ること

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昨2019年10月、Mac コンピュター用の基本ソフト macOS が10.15になったとき iTunes が廃止され、音楽系の機能は Music というアプリになりました。iTunes はほかにも動画やポッドキャストなど機能を持っていましたがそれらもそれぞれ別個のアプリになったわけです。ぼくが頻用しているのは音楽機能だけなのでその話なんですが、iTunes 時代にはできたことが Music アプリではできなくなっているものがいくつかあり、ぼくは不満をかかえているんですね。仕様変更はしかたがないんですけど、やっぱり何点か記しておきます。

 

(1)まずもって昨年10月の macOS 10.15インストール直後は Music アプリがすぐに落ちて、それも毎回必ず起動後数分で落ちてしまいもう本当に困り果てていましたが、これはどうやらジャケット画像関係のトラブルだったようです。初期設定でこの「Automatically update artworks」のチェックを外したらアプリは落ちなくなりました。だからこれについては一安心。ジャケット画像を自動取得しないわけですから、問題といえば問題ではありますけれども。

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(2)ジャケット画像といえば、iTunes 時代に手作業で貼り付けた膨大な数のジャケット・ワークを、更新時に Music アプリはぜんぶ忘れてしまいました。これはも〜う!はっきり言って大泣きしましたね。 iTunes のアートワーク自動取得機能で持ってきてくれるジャケット画像なんて、ぼくが CD からインポートするもののなかのほんの一部にすぎません。大半が白紙のままなんで、それじゃあいやだから自分でネットでジャケットを拾って、それで手動でいちいち貼り付けていたわけですよ。ひとつひとつ CD をインポートするたびにシコシコと。

 

それが OS アップデートの際にアプリ移行にともなって一度に「ぜんぶ」消えちゃったんですから。回復機能もないので、またイチからやりなおすしかないんですが、もはやそんな気力も時間もありません。いったい何年かけて、総計でどんだけの手間をかけて、この作業をやったと思っているんでしょうか。腹立たしいことこの上なしですよ。こんなことなら Music アプリなんて新設しなければよかったのに。

 

はぁ〜、でも消えちゃったものをいくら言ってもしょうがないことです。以下はトラブルではなく、新しい Music アプリになったことでの仕様上の問題点です。問題点というか、一般のみなさんの通常使用であればとくになんでもないことかもしれませんが、熱心な音楽ファン、音楽をしっかり聴いて考えたいというような人間にとってはちょっと困ることことがあるかもしれません。

 

(3)いま何分何秒目かわからない。
 iTunes 時代には再生中にいま曲の何分何秒目を再生しているかの時間表示がプログレス・バーに出ていましたが、それが Music アプリではなくなりました。出す必要がないとの判断でしょうか。しかしですね、どこで転調したとかどこまでがサックス・ソロでピアノ・ソロはここから出るだとか、曲中の細かい変化を文章で把握し書き記す際には、この時間把握は必要です。どうしてなくしちゃったのか?CD プレイヤーのディスプレイ部にだってこれが出ますのに。

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(4)何曲目との表示がなくなった。
 たとえばこの林寶の『上海歌姬』。Spotify で聴けますけど好きだからどうしてかこっちにも残してあって、全10曲。iTunes 時代には曲名の左に通し番号がついていて、アルバム・トータルで何曲あるか、これは全体の何曲目か、一目で把握できました。しかしこれも Music アプリでなくなりました。わりと必須の情報ですよ。何曲目か?で把握したい記述したい、そうするしかないケースはわりとあります。それがわからなくなったので、いまは手動で勘定しているんですね。面倒くさいったらありゃしません。

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(5)曲名欄でしかスクロールできない。
 アルバムやプレイリストが長めのばあい、下のほうの曲名を見るにはスクロールしなくちゃいけません。iTunes 時代にはアルバムやプレイリストのどこをつまんでもスクロールできました。あ、ぼくは MacBook Pro だからトラックパッドを使っているんですね。Music アプリではこのスクロールが、ジャケット画像(は大半白紙になったけど)下方のあたりでいくらやってもできないんですね。皮膚感覚としてかなり違和感があります。曲名が記載されてあるあたりにカーソルを持っていってやらないとスクロールしないんです。不便ですよね。

 

ともかく全体的に iPhone の Music アプリに、全体の外見やユーザー・インターフェイス、使用感なども一致させたという印象のある Mac の Music アプリ。そんなことする必要なかったでしょう。iPhone と Mac とでは内臓ストレージ容量に大きな違いがあるし、iPhone にはそのまま直接 CD からインポートすることはできないしで、音楽ファンがふだん使っているのは Mac のほうですよ。

 

一般の音楽ファンもプロの音楽関係者もとにかくみんながハードに Mac を使いまくっていると思うのに、macOS 10.15の Music アプリを設計した Apple のデザイナー、プログラマーは、熱心に音楽を聴いたりする人間のことをあまり知らないのかも?と思いますね。仕様変更なので受け入れるしかないんでしょうけど、これらちょっとしたことでグンと格段に便利になり、音楽聴きが楽しくなるんですよね。

 

Apple 関係者のかたがた、どうかご一考を。
@Apple @AppleSupport

 

(written 2020.1.30)

2019/04/03

ぼくにとってのデジタル・ディヴァイスは、すべてネット端末兼ジューク・ボックス

Fullsizeoutput_1d9cだというのが1995年以来の変わらぬ実像。ぜんぶインターネットのためなんだ。そもそも95年に Mac を買った動機がそれだから。ネット活動のために文章書いたり写真や音楽ファイルをどうこうするようになったので、結果的にそういった作業もするようになったけれど、もとの動機はすべてネット活動のためだ。

 

だから、まあいまは iPhone や iPad も活用しているけれども、結局それらは最初からネット端末として使うものだというか、ネット回線常時接続環境が整備されてはじめて商品化が可能となったものなので当然だ。そして音楽好きなので、ネット・ユーザー兼音楽愛好家というこの二面が、いまやピッタリ貼りつくようになっている。

 

だから、ネットで音楽を聴けるようになって本当によかったと、心の底から思い、感謝している。べつに Spotify や Apple Music みたいなサブスクリプションじゃなくたって YouTube があるでしょ。ストリーミングで音楽を聴くのはイヤだ(とお思いであるように見える)というかただって、YouTube ファイルはどんどんお聴きのようで、Twitter アカウントにどんどんリンクされ、ツイートされている。

 

ネットにつながっていることはある程度あたりまえのことになったので、そもそも1995年にはじめてパソコンを買った動機がネットをやりたいがためだったぼくにとっては、いまはもう理想郷が実現しているというに近い状況。その上、音楽までそれで聴けて極楽で、もういつ死んでもかまわない(ウソ)。

 

Mac(しかぼくはパソコンを知りませんが)だってハナからノートブック愛好家で、だから可搬性が高いのでどこにでも持ち歩き、iPhone や iPad はもちろんそれしかありえないわけで、しかし部屋のなかでじっと座っていても同じように使えるもので、そういうばあいたいてい Wi-Fi につながっていりことが多くなったし、交通機関、飛行機のなかですらそうなんだから、ネットをやるのに不自由することはなくなった。むかしはこうだったんですよ…、という話はやめておこう。

 

ともかく MacBook と iPad と iPhone。これらのなかにぼくのすべてがある。電話機でもある iPhone は一個の電話番号で個体がアイデンティファイされるので一台持ちだけど(二台持ちだとかいうかたもいらっしゃる模様)、Macと iPad はそれぞれ三台づつ持っているぼく。そんなにあったってメイン・マシンはやっぱり一個なんだから不要じゃないか、とはならない。特に iPad がそうだ。

 

マンションの小さな部屋に住んでいるので、iPad が三台あれば、三つのテーブルにそれぞれ一個づつ置いておいて、ふとしたときにすっと触ってネットでチェックできる。ぼくのばあいだいたいいつも Twitter をやっているけれど、複数ディヴァイスでも同じアプリで未読位置をシンクロできるから、こっちでここまで読んだら別なのでそのまま続きを読めるという便利さ。

 

Spotify だって、Mac アプリと iPhone、iPad アプリを同時起動しておけば、一個が他方を操作するリモート・コントローラーになるんだよね。だからたとえばぼくの Mac の音は AirPlay でそのまま無線接続でアンプ、経由でスピーカーまでつながっている。それでふだん自室のなかでは Spotify で音楽を流しているけれども、キッチンにいてもモバイル・アプリがコントローラーとなって曲やアルバムの再生を操作できちゃう。

 

ネットのおかげだ、すべては。1995年にはじめて Mac コンピューターを買ったしょっぱなからネット端末として扱ってきたぼくだけど、いまや iPad や iPhone も含め、ネットを活用した SNS と音楽ストリーミング・サーヴィスで、24年来の願望がフル実現していて、しあわせだ。

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