カテゴリー「カナ書き談義」の3件の記事

2021/06/05

「アレサ」の呪縛 〜 カタカナ談義(3)

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(10 min read)

 

(1)https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/2018-1396.html
(2)https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/02/post-75e411.html

 

https://open.spotify.com/album/4TQbW6o4shRbOrRuA1qmXt?si=G3phpa3DQROna9Nyggf68A

 

バラカンイズムだの発音警察だのと言われて、一部ではひどい揶揄の対象にまでなっているカタカナ書きの際の表音主義。しかしですね、音を汲んでその上でそれを文字表記しなければならない外国語のカナ表記は、やはりなるべく原音に近い書きかたがいいはずだと、ぼくも信じています。

 

もちろんこれはあまりやりすぎてもどうか?ということではありますけどね。ピーター・バラカンさんがあれこれ言われるのは、やはり度が過ぎているからですよ。ポリシーというか主義、考えかたは間違っていないのに、まるで警察官がパトカーで街中を走りまわっては軽微な交通違反に鬼の首でも取ったみたいにキップを切りまくるがごとく、バラカンさんはやりまくりですからね、あれじゃあね。

 

もう一個、バラカンさんは指摘する際、常に、正しい表記はこうです、みたいな言いかたをするのも嫌われる原因でしょう。「正しい」ということばを使ってしまうと、あたかも自分が絶対正義で、あんたがたは間違いだという、なんだか我が物顔で通りを歩いている王様かっ!っていうような感触を抱いてしまいますから。正義の使者みたいっていうか。

 

それでもバラカンさんの言っている内容それじたいはきわめて妥当です。アリーサ・フランクリンが「アレサ」なのはやっぱりぼくも許せないし、同様にドゥエイン(デュエイン)・オールマンが「デュアン」のままなのもなんとかしてほしい。ディレイニー・ブラムレット(デラニー)も同様で、その他無数。

 

ぼくのばあいはマイルズ・デイヴィス表記を採用していて、世間のみなさんのマイルスとちょっと違いますが、でもこれくらいならちょっとした誤差の範囲内みたいなもんで(ブルーズ/ブルースと同じ)、さほど違和感も強くないっていうか、マイルスのままでもべつにいいかなって思わないでもないです。音と違うからちょっぴりイヤだけど。

 

SNSなどを徘徊していると、なかなか直さないひとのほうが圧倒的多数で、アリーサやドゥエインやディレイニーやマイルズなんていう表記はほぼ見かけません。最大の原因は検索関連だと思います。Google検索みたいにあいまいなものをそのまま「これですか?」みたいに結果表示してくれませんからね。Google検索だとアリーサで検索してもアレサもアリサもぜんぶひっくるめてヒットしますけど、SNSの検索だとそうはいきません。

 

それなのに検索ってホント大切なんです。自分の発信が(検索されて)大勢に届いてほしいと思ったり、さがしている目的の内容にたどりつくために適切なキーワードを入れないといけないし、だから表記が揺れていると思ったようになりませんから。いきおい多数派の表記で書いたりサーチすることになって。

 

こういうのって文字表記体系が異なる言語間での移植の際にだけ、しかし必ず、発生する問題ですから、一種の呪縛だと思うんです。アメリカ人英語話者のAretha FranklinはフランスでもイタリアでもスペインでもArethaのままだけど(書くときはね)、日本語のカナで書くばあいは音を汲まないといけないっていう。宿命みたいなもんです。

 

そんな移植のまず最初のとっかかりはレコードやCDなどの商品発売の際にジャケットや帯や解説文に書いてある表記でしょう。だからまずはレコード会社がちゃんとしなくてはなりませんでした。レコード会社が「アレサ」と書いたから雑誌やラジオや新聞など(音楽)マスコミもそれにならってしまったし、評論家やライターなども合わせたというわけで、そんなテキストが流通して一般のファンのあいだでもそれが定着してしまいました。

 

それでひろまってしまったらもはやだれも直さないっていう、SNS時代になってもアレサのままで。バラカンさんや一部有志などが奮闘しても、かえって揶揄されるばかりで、間違ったことはしていないのに、タダシイことを言っているのに、どうしてこっちのほうがそんな言われかたしなくちゃいけないんだよぉ?!と感じることしきり。

 

だから、たどると元凶はレコード会社ですよ。レコード会社が、いまはCDか、それを発売する際に、各外国語の原音に通じた人物にしっかり確認するなどしてちゃんとした表記をしなくてはなりません。ぼくら無力な一般人がどんだけSNSやブログなどでがんばって「こうだ」と主張しても、影響力はきわめて微弱です。バラカンさんのような有名人ですらむなしい奮闘をしているというに近いんですからねえ。

 

もちろんレコード会社もあまりに妙チクリンなウソ表記は再発の際に改めることがありますけどね。ぼくが鮮明に憶えているのは、マイルズ・デイヴィス(ソニーの表記はマイルス・デイビス)1971年のアルバム『Live-Evil』を、ずっと前ぼくが最初にレコードを買った1980年ごろは『ライブ・エビル』と表記していた件。

 

LiveがライブなのはいいとしてEvilがエビルなのはあまりにもひどすぎる、涙が出てくるほどだというんで、非難轟々、ある時期のCD再発からソニーも『ライヴ・イヴル』に変更、ほんとうはイーヴルなんだけど、それでもまずまず許容範囲かなと思える程度にまで現在はなんとか着地しています。

 

はっきりしているのは、広告料をもらっているせいでレコード会社への忖度がひどい各種音楽雑誌も、ソニーのこの変更にともなって、それまで『ライブ・エビル』だったのをソニー採用の『ライヴ・イヴル』表記に一斉に修正したという事実です。ライターさんたちも合わせることになり、一般世間でも、いまやだれも『ライブ・エビル』とは書いていません。

 

こんなもんですよ。

 

とはいえ、ぼくも執筆した1998年の『レコード・コレクターズ』誌のマイルズ・デイヴィス特集ではちゃんと『ビッチズ・ブルー』表記で統一し同誌ではその後もそれを貫いているにもかかわらず、大勢のプロ音楽ライターや一般ファンはいまだにソニー採用の『ビッチェズ・ブリュー』でやっていますけどね。聞いているか、村井康司。

 

だからさ、問題はレコード会社がどう書くか、それだけ。それこそが「すべて」。そこが直せばほかもぜんぶ忖度して追随するとわかっています。

 

音楽雑誌などメディア、マスコミなどは、上でも書いたようにレコード会社に逆らえない事情がありますし、ライターさんたちもそこに書いて生計を立てている以上、ものが強く言えません(バラカンさんのスタンスはだから特殊)。それでそのまま公式表記が是正されなかったら、一般世間でアリーサ、ドゥエイン、ディレイニー、『ビッチズ・ブルー』などになるわけないじゃないですか。

 

ホント情けないなとは思いますけどね。日本生まれの日本語母語話者でただひとり、この問題に正面から向き合ったライターが生前の中村とうようさんでした。1998年の『レコード・コレクターズ』誌(寺田正典編集長時代)が『ビッチズ・ブルー』表記を業界ではじめて採用したのは、まさしくとうようさんの創刊した雑誌だけあるという心意気だったんでしょう。

 

いまや、どこにもそんな気概を持つ編集者、プロ・ライターはみられなくなりました。バラカンさんは英国出身の英語母語話者だから、っていうんで、それでみんな特別視しているだけですからね。もう何十年もやってきて皮膚感覚で血肉に染みついた表記慣習をいまさら直せますかって〜の!という意見も目にしますが、それはたんなる情緒論にすぎません。

 

レコード会社には、自分たちが忖度される立場であること、自分たちがちゃんとしないと日本中が右へならえしてしまう存在であることを、もっと強く自覚してほしいと思います。

 

過ちては改むるに憚ること勿れ。

 

(written 2021.4.23)

2020/02/16

カナ書き論議 II(ver. Feb. 2020)

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I はこれ https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/2018-1396.html

 

人名や地名など固有名詞も、楽器名などの普通名詞も、なるべく発音に近いカタカナ表記を心がけていますが、あんまりやりすぎてもなぁという気がしています。たとえばジャズ・サックス奏者 Sonny Rollins はソニー・ロリンズで定着しているしぼくもそう書きますが、本当だったらサニー・ロウリンズでなくちゃいけません。でもサニー・ロウリンズと書くとだれのことだかその瞬間にはわかってもらえない気がしないでもなく。

 

しかしながらギターリスト(この guitarist 表記も心がけていることのひとつ)の Sonny Landreth はサニーですっかりおなじみですからね。ソニーと書くひとは少数派でしょう。そんな感じでカナ表記に揺れがあるものは、いや、なくてもあまりにかけ離れているばあいなど、なるべく原音への近似値を追い求め、音に近い(同じとはなりませんが)表記をすべきというのがぼくの信条です。

 

このあたり、表記体系の異なる言語間での移植の際にだけ発生する問題で、英語→日本語のばあいも音を汲み取った上でその音をカナ表記しなくてはならない(日本語→英語方向でも同じ問題が起きる)わけだけからめんどうくさいわけですよ。これが英語人名をたとえばイタリアでどう書くか?なんていう問題はぜんぜん発生しません。同じ文字体系ですから。発音の際はレナード・バーンスタインをレオナルド・ベルンステインと言っていようが、表記の際は問題が隠れるんですね。

 

ぼくの言っているカナ書き問題も文字表記体系の異なる言語間でだけ起きる問題で、音と文字の事情がぴったりくっついているからこそ発生することがらです。同じアルファベット文字表記圏内でとかだったら表記上はなにも違和感がありませんからね。通じていないにせよ、目で追うだけであればノー・プロブレム。ここが各種外国語(漢字圏を除く)と日本語の移植の際に大きな問題となってくることです。

 

さて、ぼくは Miles Davis をマイルズ・デイヴィスと表記する習慣ですけれども、これだってまだまだマイルスが主流ですよね。地名だって New York、New Orleans は二語ですから、カナ書きの際はニュー・ヨーク、ニュー・オーリンズと中黒(・)を入れているんですけど、こんな人間はあまり見かけません。ぼくがオカシイんでしょうか。ロス・アンジェルス、サン・フランシスコと書きますけれど、ぼく以外でこんな地名表記を見ることは少ないですね。ほぼなしかな。不安になってきます。マイルズ・デイヴィスは中村とうようさんはじめまあまあいますけどもね。

 

最大の懸案は、発音がわからないことばをどうカナ表記したらいいのか?ということです。わからないんだから、ぼくの外国語能力なんてかなり限られたものなんだから、そういった際には大多数のみなさんがお使いのマジョリティを採用するか、それかあるいは原語のまま書くということにしています。大多数とは違う表記をなさっているケースを発見したばあい、気になるのはマイルズ表記と同様の事情があるのではないか?と疑ってしまうことです。マイルス表記が大多数の日本ですけど、マイルズが正しい、しかし少数派だとぼくは知っています。似たようなことかもしれないぞと案じてしまうんです。

 

カナ表記のもう一つの重要点は、そのカナ表記を見て原綴りを想像してもらえるかどうか?という点です。つまりひとことにすれば、だれのことかどこのことかなんのことか、曖昧性なく認識していただけるような、そういうカナ表記でなくてはなりません。だからばあいによっては必ずしも原音に近くないカナ表記を受け入れざるをえないことだってありますね。ローリング・ストーンズのドラマーは本当だったらチャーリー・ウォッツなんだけど、もはやそうは書けない、ワッツじゃないと落ち着かないと思うケースなどです。

 

あるいはレッド・ツェッペリンみたいに、まあピーター・バラカンさんは英語母語話者でいらっしゃる(けれども英語以外のことばの表記にもなぜだかうるさいが、しかもかなりいい加減だし、どうなの?バラカンさん?)ということで、だからゼペリン、いやゼプリンだったかな、忘れた、でもそんな表記ですよね。これはどうにも受け入れられないです、日本人大ファンの心情としては、わかってんのかバラカン!

 

第一に Zeppelin というのはもともと英語じゃないぞということがあるでしょう。英語発音ではたしかにゼプリンで、バンド・メンバーたちもそう発音していましたが(じゃあそう書けばいいじゃな〜い)、この飛行船は英語圏のものじゃありませんからね。ドイツのフェルディナント・フォン・ツェッペリン伯爵にちなんだ名称です、それを英国も輸入したんだから Led は英語だけど複合語みたいなもんで、かの飛行船は日本でもドイツ由来でツェッペリンと呼ぶんだし、ロック・バンドもレッド・ツェッペリンでよしというのがぼくの見解です。同類多し。

 

でもでも英語だけのバンド名だったならば、だからたとえば Faces はやっぱりフェイセスなんてウソ表記です。フェイシズにちゃんとしてほしい、いまからでも遅くはないと強く強くファンのみなさんとレコード会社さんとジャーナリズム、各種ライターさんたちに言いたいですよ。

 

最初に書きましたように、カナ書きはやりすぎても意味はない、外国語なんだからどうがんばっても近似値にしかならない、同じにはならないんだから、というかそもそも発音を正確に文字で表記なんかできるのか?たとえ母国語であっても?アルファベットで英語人名の発音を正しく表記できるの?英語名詞なんか同じ表記で米と英で音が違うだろ、だから Sonny Rollins もアメリカではサニーだけどイギリスではソニーだ、でもアメリカ人だし、 とかって、どんどん根源的な疑問がわいてきてこの問題は止まりませんキリがありませんので、今日はこれくらいでやめときます。

 

(written 2020.1.25)

2018/01/12

カナ書き談義 2018

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僕の名前「戸嶋 久」も正しく発音していただけないばあいがある。ファースト・ネームは問題なく「ひさし」とだれでも呼んでくれるけれど、ファミリー・ネームのほうは「とじま」「こじま」になることが多いんだよね。そんなこともあってか、僕はネット活動をずいぶん長く「としま」名でやってきた。漢字表記の固有名詞の読みって、地名もそうだけど、なかなかむずかしい場合があるのは事実だけど。

 

 

とまあ、ちょっと思うところあって、昨年末ごろからネット活動の文字どおりすべてを実名の漢字「戸嶋 久」表記でやるようになっている僕。そのこととはぜんぜん関係ないことだが、アメリカ人ジャズ・トランペッター兼鍵盤奏者の Miles Davis も日本語のカナ書きの際は問題がある。いまだにかなりある。まあついこないだまで「マイルス」表記だった人間に言えた義理ではありませんが、いちおう考えを改めましたので。

 

 

実はこんなことすべて、油井正一さんの『生きているジャズ史』にぜんぶ書いてある。東京創元社刊の『ジャズの歴史』時代からあった。もとの雑誌原稿が何年に執筆されたものかわからないが、少なくともこの本の初版は1957年。しかしそのなかの一章「カナ書き談義」は、1967年の三訂版で書き加えられたものだ。その「カナ書き談義」での油井さんは、一面、外国人名のカナ書きをなるべくちゃんとやれと言いつつ、反面、でもあまりやりすぎても意味がないとも言っている。

 

 

やりすぎるのは無意味だとは、つまり発音体系も表記システムもまったく異なる言語をカナ書きするわけだから自ずと限界があって、どう書いたって原音どおりになんかなりゃしないんだ、不可能なんだから、どんなに近づけた忠実なカナ書きでも、そのまま発音したんじゃ母語話者には通じない、だからこだわってやりすぎるのは意味がないと、ハッキリと明言している(立東社文庫版 p. 213)。

 

 

しかしそのいっぽうで、原音とあまりに食い違いすぎる表記を放置したままなのはやはり感心しないとも書いているんだよね。ロック・ミュージックの世界でも、お馴染み物議の Duane Allman とか Delaney Bramlett とか The Faces とか、そのほか本当にいっぱいあるけれどね。もちろん英語圏だけでなく、外国人名一般にあてはまることだ。こだわるかたは、音がわかっているからこそ漢字かな交じり文のなかでも原文字表記のまま書いているばあいもある。僕のポリシーなら、それをやるのは、どう読むのか見当もつかない名前その他だけだ。

 

 

それはいい。「カナ書き談義」のなかで油井さんは、いろんなアメリカ人ジャズ音楽家名のカナ書きをとりあげて、これはおかしいとか、これはこうあるべきだとか書いてあるなかで Miles Davis のことにも触れているんだよね。主に Davis のほうの表記にかんしていろいろとお書きだ。大学生のころに読んだときは、「デビス」と ”ビ ” にアクセントを置いて発音するジャズ喫茶族がいるということを、僕ははじめて知った(立東社文庫版 p. 215)。

 

 

デイビス、デービス、デイヴィスの三種類の表記を油井さんはとりあげて、まあどれでもいいんじゃないかというのが本音みたいなんだよね。しかし油井さんはそのあとでハッキリ書いている。問題はそこではなく Miles のほうだと。アメリカではマイルズと濁るのだとちゃんと書いてあるんだよね。遅く見ても1967年に書いた文章だから、ジャズ関係のライターさんの文章のなかにマイルズ表記なんてまったくなかったんじゃないかなあ。ぜんぶマイルスだったはずだ。

 

 

さらにさらに油井さんは、しかしマイルズと濁点を付けるのも実は問題があるのだとも書いているんだよね。それは日本語話者のばあい、濁音があるとそれを意識してしまう傾向があって、だからマイルズ表記だとズがやや強めに発音されるかもしれない、しかし Miles の語尾の s は消え入るように弱くなるもので、スでもズでも似たような聴こえかた程度なのだから、そこに注意が行かないよう配慮してマイルスと清音の表記なんですよとも書いてあるんだ(立東社文庫版 p. 215)。

 

 

Miles の語尾の s にはアクセントなどない、語末で消え入るように弱くなってほぼ聴こえず、「マァ〜ルッ」みたいになっているというのは、ずっと以前に僕もそう書いたし、実際にいろんな録音物で聴くと、やっぱりちゃんと語尾まで聴こえにくいばあいが多いんだよね。それで、油井さんの表現をお借りすればズに注意が行ってしまうのを「避け」(p. 215)る目的もあって、マイルス表記で僕もずっと30年以上通してきた。しみついた怠惰な習慣で、というだけの面もあったと認めておきたい。

 

 

それを昨年からマイルズに修正したのは、Miles というスペリングからすればマイルズとなるのはわかっていることだから、英語教師としての僕の心のなかで長年この矛盾がどんどん大きくなってきていて、まるで身体をむしばむ癌のごとく痛むので、それを切除したいという一心だったんだよね。だってマイルスでは間違っていると知っているんだもん。もう到底我慢できなかった。ほかのみなさんがマイルスとお書きになるのはなんとも思わないが、僕自身の表記だけは正しくしたいと決めた。日本語で書くマイルズ専門家のなかでは、たぶん僕が史上第一号だ。

 

 

それに、最近まであまりちゃんと聴いていなかった、というか意識していなかったんだけど、マイルズの各種ライヴ・アルバムで英語母語話者であろう司会者が、語尾まではっきりと聴こえるように発音して、すると濁音で「マイルズ・デイヴィス」と紹介しているじゃないかという現実の証拠もいくつか確認できるようになっているしね。

 

 

まあその〜、できうることならば、日本のレコード会社のかたがたには、正しく「マイルズ」表記に修正していただきたいと僕は考えている。レコード会社、特にいちばん数の多いソニーさんがマイルズ表記にすれば、世の音楽ジャーナリズムや音楽ライターのみなさんも追随するだろう。これは間違いないと目に見えている。キャピトル、プレスティジ、ブルー・ノート、ワーナーとあって、それぞれ Miles Davis のカナ書き表記は少しづつ揺れているけれど、ファースト・ネームのほうが「マイルズ」になっているのはまだ一社もない。

 

 

マイルズ関係のカナ書きではおかしいことがほかにもいっぱいあって、ひどいのがアルバム名や曲名のカナ書きだ。それも固有名詞であるとはいえ、もとは一般の普通名詞から取っているものだから、マイルスか?マイルズか?なんていうレヴェルじゃないよなあ。いちばんひどかったのが、むかしの CBS ソニー盤 LP 題『ライブ・エビル』!

 

 

”Live-Evil” のことなんだけど、エビルってなんだよ?!エビルってさ!?全地球がどうひっくりかえっても Evil はエビルになりえない。これがしかしアナログ・レコード時代はずっとこのままだったんだよね。さすがにいまのリイシュー CD ではちょっと修正してあって『ライヴ・イヴル』になっているけれど、まだダメじゃないか。エビル時代を長く体験してきている僕だから我慢できる範囲内かな?と思わないでもないが、一度は修正する機会があったんだから、どうしてそのときに『ライヴ・イーヴル』にできなかったんだ、ソニー?!

 

 

“Bitches Brew” もなかなかひどかったよなあ。これもいまではちょっとだけ修正してあって(だからさ、どうせ修正するんなら、どうして一度にちゃんとしないんだ?ソニー?!)、現行の日本盤 CD は『ビッチェズ・ブリュー』になっている。しかしこの「ェ」とか「リュ」ってなんだよ〜!どこからこんなもん、出てくるんだ?さぁ〜っぱりワケわからんじゃないか。

 

 

1998年にこのアルバムのボックス・セットが出て、その際『レコード・コレクターズ』誌が特集を組んだ。そのころの編集長は寺田正典さん。さすがは中村とうようさんが創刊した雑誌だけあって、ちゃんと『ビッチズ・ブルー』表記に統一されていた。これはどなたか執筆者の意向がおよんでとかじゃなかったんだよ。編集部の確固たる方針だった。寺田さんはかねてよりローリング・ストーンズ関連のカナ書き表記の問題を指摘なさっていた。チャーリー・ワッツは本当は「ウォッツ」だけど、いまさら直せませんよねえとか、僕にもおっしゃっていたことがある。

 

 

だからその『ビッチズ・ブルー』ボックス特集号をきっかけに『レコード・コレクターズ』にしばらく書いていた僕も、なるべく原音どおりにと考えて、いろんな(マイルズ関係ではないものも含む)原稿で実行していたんだけど、ほかのジャーナリズムや日本のレコード会社はやっぱり修正しないもんね。退社して九州にお戻りになって以後、寺田さんは、東京時代にそのへん頑張ってなんとかならないかとやっていましたが、力がおよびませんでした、無駄な努力だったのかもしれませんとおっしゃっていた。

 

 

今日僕が書いてきたことは、もちろんマイルズ関係のことだけの問題ではないし、ジャズやロックやなどアメリカ産の英語音楽に限ったことなんかじゃない。すべての外国語のカナ書きについて言えることだ。発音がこうなのだとハッキリわかっているものならば、なるべくそれに即して書きたい。ほかのかたのことはいざ知らず、僕はね。発音がどうだかわからない言葉のばあいは可能な範囲で調査して、そして上でも触れたが漢字かな交じり文のなかに不意に外国語文字が出現するのを日本語使用者しては避けたいので、こうかなと判断できるものは判断したカナ書きにしている。

 

 

どうにもこうにも音がわからないばあいは、そのまま書けるばあいはそのまま書くしかないと思ってそうしているのだが、キリル文字やアラビア文字やビルマ文字や、そのほか世界に各種ある、ラテン文字アルファベットではない文字表記は、タイピングするのが僕のばあい容易ではないから、まあなんとなくやりすごしてごまかすしかないと思って、そうしてきている。該当する外国語をちゃんと勉強すれば済む、できるようになる、というような話じゃないような気がする。
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