カテゴリー「夢」の7件の記事

2021/08/13

今朝の夢 〜 スライド・ギター弾き語り

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(4 min read)

 

今朝の夢のなかに森山良子と松任谷由実が出てきました。ぼくの部屋のなかで二人はくつろいでいて、三人でなかよく話をしていたんですが、二人ともなんだか妙なヘッドフォンをしていました。

 

そのヘッドフォンは有線ケーブル付きのものだったんですが、その先っぽをテレビ画面にマグネットみたいなものでペタッとくっつけるようになっいて、それで音を拾うという仕組みだったみたいです(ヘンなの)。

 

テレビではひたすらなにかの音楽ライヴをやっていて、二人ともそれを見ながら、ぼくも交えて三人でおしゃべりしていたんですが、つまりそのヘッドフォンをつけて番組を聴いていても外部のしゃべり声などはしっかり聴こえるみたいでした。

 

その部屋は自宅のはずなのに大学の一教室であって、窓から外を見るとちょうど学園祭の準備の真っ最中だった様子。それでぼくはちょっとそれに出演するとかなんとかそんなことになって、アクースティック・ギターで弾き語りをやることにして、部屋のなかで弾きはじめました。

 

やったのはブルーズで、しかもスライド・プレイで弾いていました。それも長めのスライド・バーみたいなものじゃなく金属製の短い指輪か塊みたいなもので懸命に弦の上をすべらせていたのです。

 

不思議なことに指輪のようなものでスライドしていたにもかかわらず、二、三本の複数弦を同時スライドで弾いていて、それも大きくビョ〜ンビョ〜ンと低音部から高音部へと行ったり来たりしていたんですね。

 

勢いをつけて、ガシャガシャとリズムに乗って、スライド・プレイはかなり雑で乱暴にやっていました。森山良子とユーミンの二人はそれに合わせて歌っていたみたいです。といってもぼくが弾いていたのはブラインド・ウィリー・ジョンスンみたいなブルーズ(っていうかあれはゴスペルですけど)だったんですけどね。

 

でもなかなかいい感じだったので、気分がちょっとよくなった特にユーミンのほうが部屋の窓から外にいる学生に大声でしゃべりかけ、実は坂本龍一なんかも参加するんですよ、どうですか!私たちを学園祭に出演させませんか?!と言っていました。

 

すると、一人の男性学生が部屋に入ってきて、ダルブッカみたいな打楽器でぼくのスライド・ギター・プレイに合わせて叩きはじめました。ぼくも調子に乗ってそのまま演奏し、強い打楽器ビートに刺激され、ますます勢いづいてスライドで表現するリズムもガシャガシャ、ギュイン・ギュインと鮮明になりました。

 

かと思うと、一曲、やはりブラインド・ウィリー・ジョンスンのレパートリーから「ダーク・ワズ・ザ・ナイト、コールド・ワズ・ザ・グラウンド」を、これはソロ演奏でぼくはやりました。っていうかぼくがやったのはライ・クーダー・ヴァージョンのコピーです。

 

といっても1970年『ライ・クーダー』のやつじゃなく、1985年の映画サントラ『パリ、テキサス』で再演されたヴァージョンをそっくりそのままぼくはコピーしたのです。これを演奏したときは、弦を一本スライドさせるものなので、まさに指輪スライドが役に立ったと思います。

 

(written 2021.4.19)

2021/05/08

今朝の夢 〜 カッコよかったハービー・ハンコック

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(4 min read)

 

どうでもいい話です(いつもそうだけど)。

 

ゆうべ、というか今朝方見た夢のなかにハービー・ハンコックが出てきて、ぼくの自宅のオーディオ・ルームにいたんですけど、ファンキーにキーボード・シンセサイザーを弾きまくって楽しませてくれました。そういう夢を見ました。

 

なぜハービーがぼくの部屋にいたのかなんてのはわかりませんよ、夢ですからね。なんだかライヴ・セット一式が揃っていて、各種キーボード類はもちろん、ドラム・セットなんかもあって、そんなの現実ではぼくの部屋にいままであったことないんですけどねえ。夢って不思議です。

 

ハービーは自由自在にファンキーに、っていうか要は「ロックイット」みたいな感じのヒップ・ホップ・ジャズ調の演奏をまず一人ではじめ、なんだか空手チョップみたいな感じで鍵盤に手をふりおろし、キーボード・シンセを操っていました。そ〜れがもうチョ〜カッコよかったんですよね。

 

ハービーが弾きはじめるとすぐにドラマーとベーシストがパッと合わせて演奏しはじめ、トリオで進みました。それがもう超絶的にカッコいいヒップ・ホップ系のジャズ・ファンク生演奏で、ドラマーはなぜかデニス・チェインバーズでしたね。そう、そうです、デニチェンです、あの容貌は見間違えません。

 

ぼくの部屋のなかで演奏しているわけですから聴衆はたったぼくひとりで、こ〜りゃすごいぜいたくだ、でも楽しい、なんだこれ〜!と感激しきりだったんですね。ハービーはいろんな身振り手振りをまじえて鍵盤を弾き、その動作もフレーズもすんばらしくカッコいいし、そりゃあなあ、ふだんから聴いているあのハービーのああいった音楽が目の前で展開されたわけですからねえ。

 

も〜う至福の時間でした。ハービー3のあまりにもカッコいい演奏が終わると、なぜかハービーはそれを収録したCD-Rをもう持っていて(不思議ですけど、夢ですから)、感動の絶頂だったぼくは思わずハービーに「それをコピーしてもいいですか?」と聞いたんです。

 

ハービーは「ダメですよ、これは not for sale ですから」って言うんですけど、自分の楽しみのためにコピーしたいだけだから、ねっ、ねっ、とぼくはしつこくお願いしハービーから承諾をもらうと、さっそく別室のパソコンのところまで飛んでいきました。っていうあたりまでしかこの夢は憶えていないんですね。

 

でも目が覚めてもしばらくのあいだはハービーが弾いた特にカッコいいフレーズのパターンが脳内で反復再生され続けていて、それを延々とリピートしながらベッドから出たんですけど、すぐにパソコンを立ち上げて、夢の追体験とばかりにハービーを再生しはじめたら、その夢で聴いていたフレーズは消えちゃいました。

 

でもアルバム『フューチャー・ショック』『サウンド・システム』『パーフェクト・マシーン』あたりを連続再生し、あぁこんな感じだったよねえ、カッコよかったよねえ、とあらためてため息をついています。それに、気さくだったなあ、ハービー。

 

(written 2021.2.4)

2020/07/11

超カッコいいヒップ・ホップ・ジャズ・トランペットを夢で聴いたんだけど

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(4 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/1X0wExTEOjoxzvhirtge6q?si=n9tpOYXxRw2RnhiCQk5K6Q

 

今朝方の夢は楽しかったですねえ。以前から言いますように夢のなかでよく音楽を聴くんですけど、今朝のぼくはどこかのタワーレコード店内にいました。どこかのというか、たぶん渋谷店でしょう、東京時代の職場が渋谷にありましたから、渋谷のタワレコに入りびたっていたんですよね。その店内光景は、なんどか様変わりしているとはいえ、すべてしっかり脳裏に焼き込まれています。

 

それで、夢のなかでのタワレコ店内で、なにかものすごくカッコいい、超クールなヒップ・ホップ・ジャズを聴いたんですよ。そのヒップ・ホップ・ジャズではトランペットがフィーチャーされていて吹きまくり。ヒップ・ホップ・ビートを叩き出しながら細かく&猛烈にドライヴするドラミングに乗って、本当にカッコよすぎるジャズ・トランペットのサウンドが店内に鳴り響いていたんですね。

 

あまりのカッコよさにびっくりしちゃったぼくは、東京時代にレコ屋でいつもそうしていたように、いまなにをかけているか Now Playing の掲示をレジ横に確認しにいきました。そうしたらジャケットも壮絶にクールだったんです。残念ながらというか当然というべきか、そのトランペットをフィーチャーしたヒップ・ホップ・ジャズがだれのなんというアルバムなのかは、夢のなかに消えてしまっていまは憶えていません。

 

でもたぶんなにか架空の作品だったんじゃないですかね、夢なんですから。それにしてはサウンドの残像があまりにも鮮明に耳裏に焼き付いていていまでも離れませんが、おもしろいのはいままでぼくはヒップ・ホップ・ジャズがトランペットをフィーチャーしているという音楽を聴いたことがなかったんですよね、起きているあいだには。だからどうしてあんな音楽が夢のなかで鳴ったのか、理解できません。(ロイ・ハーグローヴのジ RH ファクターを忘れているの?)

 

でもこれかな?と思える一個のきっかけはあったんです。それは昨夜寝る前の数時間ずっとシオ・クローカーを聴いていたことです。シオ・クローカー(Theo Croker)、ネットで検索すると「セオ・クロッカー」表記が多く見つかりますが、まだまだこれからの音楽家なんで、いまのうちに表記を正しておいてほしいです。Theo は Theodore で、カナ書きではシオドアですよ。

 

シオ・クローカーは、かのドク・チーサムを祖父に持つ、1985年生まれのこれまたジャズ・トランペッター。でも昨夜までまったくその存在を知りませんでした。友人が Instagram のストーリーにシオのアルバム『アフロフィジシスト』(2014)のジャケットを上げて紹介してくれていて、それを見てはじめて興味を持って、ちょっとどんなもんか?と Spotify で聴いてみたわけです。まきちゃん、ありがと〜。

 

試聴だけするつもりで聴きはじめたのに、シオの、R&B、ヒップ・ホップ、ファンク、アフロ、ラテン、そしてジャズといったさまざまなジャンルを軽々と越境するボーダーレス・ミュージックに、ぼくはすっかり惚れてしまい聴きびたりました。いやあ、カッコいいんんですよね。カマシ・ワシントンにも通じるような、スピリチュアルで内省的な色彩も濃いです。

 

でもなんたってビートですね。ビートがカッコよすぎるんです。すっかり大好きになっちゃったので、シオのアルバムを昨夜のうちにぜんぶ聴いちゃったんですよ、立て続けに五時間ほどで。なかには2009年の『イン・ザ・トラディション』みたいに古いスタンダードをストレートにやっているという、なんでこんな作品があるの?と思えるものも混じっていますが、それ以外はカッコいい2020年型コンテンポラリー・ジャズですね。

 

コンピューターではなく人力演奏でヒップ・ホップ・ビートを奏でるリズム・セクションに乗せ、シオはきわめてノリのいい、しかし折り目正しくマジメでカッチリしたトランペット演奏を繰りひろげます。ブラック・アメリカンとしての自己を見つめ音楽的に再構築したみたいなシオのヒップ・ホップ・ジャズ・トランペット、いやあ、カッコいい!マジで、カッコいい!

 

そんなシオ・クローカーを寝るまでずっと聴いていたおかげで、今朝方の夢のなかでのタワレコ店内でそんな音楽が登場してくれたんでしょう。夢のなかでのその音楽はもちろん架空のもの、イマジナリーなものだったかもしれませんが、ぼくのなかにしっかりとしたひとつのきっかけを構築したと言えるんじゃないでしょうか。

 

(written 2020.7.10)

2019/12/06

とあるジャズ・ファンク・ライヴ(夢)

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現実に存在しない音楽の話をときたましますけど、今日もまた今朝方の夢のなかに出てきた音楽のことを書いておきます。そうせずにはおれないほど鮮烈な内容でした。それはなにかのライヴ盤で、夢のなかでぼくはその CD ジャケットを眺めながらそれをかけて、すさまじい内容に感動しきりだったんですね。その夢の音楽は、なにかソウル・ジャズ〜ジャズ・ファンクっぽいライヴでした。

 

編成はたぶんトランペットとテナー・サックス入りのクインテット。ストレート・ジャズとジャズ・ファンクの中間のような内容だったと思いますから、たとえばリー・モーガンの『ライヴ・アット・ザ・ライトハウス』(のラストの「ザ・サイドワインダー」とか)みたいな、そんな演奏でした。とにかくトランペットとサックスのソロが長尺で、しかもめっちゃ熱く盛り上がり、さらに(特にサックスのほうかな)トグロを巻くようにまがまがしいソロだったんですね。
https://open.spotify.com/track/7lA14iZss8k35hAllPl3LK?si=ATu5zDmiRWSWgkGuwI5x7A

 

その夢で見た音楽はこの世のものではありませんから、いまぼくはとりあえずリー・モーガンの『ライヴ・アット・ザ・ライトハウス』を聴きながらこれを書いているんですけど、これのサックスはベニー・モウピンですね。でもぼくが見た夢のなかのサックス奏者は、たぶんローランド・カークが演奏するような、そんな内容に近いものだったように思います。

 

夢に出てきた CD ジャケットがこりゃまた印象的だったんですが、こまかいことはもう忘れてしまいました。まるでジャズ喫茶がそうするように、ぼくもそのジャケットを掲げて眺めながら聴いていたんですね。1970年代にはあんな音楽がジャズのなかにたくさんあったなと思うんですけど、ホントどうして今朝の夢にあんなファンキーで熱い演奏が出てきたんでしょう?

 

それどほまでにぼくはあんなふうなジャズ・ファンクのライヴが好きなんでしょうか?夢のなかでは特にサックスですね、延々とまるでジョン・コルトレインがライヴ演奏でそうだったように長尺の激しいソロを吹きまくり、しかしフリー・ジャズではなくリズムはファンキーでタイトでした。ジャズ・ロックにも近いようなそんなビートに乗って、そのサックス奏者がすばらしくファンキーなソロをくりひろげるのを、ぼくは興奮しながら聴いていたんですね。

 

とにかく目の覚めるような(といっても寝ていたんですけど)音楽で、夢のなかではぼくだけでなくその場で耳にしたみんなが(ということはぼくはどこにいた?)「このすごいのはなんだ?!」といった顔でジャケットを見つめたり手にとったりしていたんですね。あんなにも激しく熱いソロ演奏を聴かせるジャズ・ファンクのライヴ盤って、この世に現実に存在するのでしょうか?一度聴いてみたいという(コルトレインがやるようなものを)強い願望が夢となって出現したんでしょうか?

 

(written 2019.11.26)

2019/03/18

三天皇といっしょにツェッペリンのフィルム・コンサート(夢)

 

(BGM はこれで)

 

 

この夢を見てから時間が経過しているので内容を忘れている部分もあり、すこしあやふやだけど、憶えていることと、それからしょせんは夢なんだからもう一回想像力を働かせて盛ってふくらませて、記しておこう。今朝の夢のなかでぼくは、昭和、平成、次代の三天皇の居並ぶ同席で、クラスメイトといっしょに、レッド・ツェッペリンのライヴを収録したフィルム・コンサートを見た。

 

 

だから、やっぱり夢だよねえ。いまの皇太子が平成の次の天皇になるその元号は決まっていないし、昭和天皇はこの世にいない。それに天皇家がレッド・ツェッペリンのような音楽を聴くかどうかもわからない。マスコミ報道などではクラシック音楽の楽器演奏をおやりのかたもいらっしゃると見るけれど、だからハード・ロックの、それも生演奏ライヴじゃなくてフィルム・コンサートなんかにいらっしゃるとは思えない。

 

 

まあでも英国王室で、ずっと以前、どなただったかがアメリカのジャズに夢中で…、云々みたいな話を読んだこともあるし、世界の王族・皇族がたのなかで、ポピュラー・ミュージックに興味を示されるばあいがあってもそんなに不思議じゃない気がするよね。それでも、日本の三天皇がレッド・ツェッペリンとはなあ。

 

 

ぼくがツェッペリンの大ファンであることは前からご存知のとおり。それから第二次世界大戦後の皇室に対し好意を抱いていることもたしかだ。特に平成天皇以後かな、共感するようになったのは。このツェッペリン好き&皇室好きのダブルであいまって、夢のなかでそんなことになったんだろうか。う〜ん、わからない。とにかくそのときは高校のクラスでフィルム・コンサートを見るという会で、それに三天皇が同席された。

 

 

あらんことか、ぼくはそのコンサート終了後、平成天皇とことばも交わしたのだった。その内容はぜんぶ忘れたが、たぶんツェッペリンの音楽についてどうお聴きになりましたか?みたいなことをしゃべったんだという気がする。日常のご公務にかんしてもなにか話したかもしれない。う〜ん、忘れちゃった。

 

 

それでそのツェッペリンのフィルム・コンサートは、(愛媛県松山市の)高校のクラスで見るものだったにもかかわらず、サハラかどこか、とにかく砂漠のなかに会場が設営されてあって、スクリーンがあって、席は急ごしらえのパイプ椅子を並べただけだった。不思議なことに、コンサート終了後に平成天皇とことばを交わした際、はしごのようなものを降りてきつつだったように憶えているので、ってことは会場は階上だった?う〜ん、わからない。とにかくふつうにしゃべっただけでなく、はしごか階段を下りてきながら会話した。

 

 

フィルム・コンサートで観たツェッペリンのライヴじたいは、たぶん例の『永遠の詩』(The Song Remains The Same) ではなかった。あれは実際に映画として上演されたもので、ぼくも松山市の映画館で観た、高三のときに。まさにフィルム・コンサート然としていたが、あの映画にはマディスン・スクウェア・ガーデンでのライヴ演奏シーンだけでなく、さまざまにフィクショナルなシーンが挿入されているので、ライヴ体験というのともちょっと違う面がある。

 

 

その意味では、21世紀になってから公式発売された『DVD』(か『VHS』)はコンサートの模様だけを収録したものだから、あれをスクリーンに投影すればツェッペリンのフィルム・コンサートみたいな感じにはなるなあ。いちばん上でリンクを貼った CD 三枚組ライヴ・アルバム『ハウ・ザ・ウェスト・ワズ・ウォン』は、『DVD』と同時期に姉妹商品のようにして発売されたものだった。

 

 

いまでも鮮明に憶えているのは、その三天皇同席のフィルム・コンサートでは、ラスト・ナンバーが「ロックンロール」だった。これは間違いない。だってね、曲の最終盤のストップ・タイムを使ったア・カペラ部 "lonely, lonely, lonely, lonley time!" を、うれしくなったぼくは同時に叫ぶように歌ったんだもん。でもって、そこの lonely と time のあいだの間合いは、四枚目のスタジオ・アルバムにあるオリジナル・ヴァージョンと同じで、間合いをかなり空けることもある各種ライヴ・ヴァージョンのものではなかった。

2018/01/10

夢で教わった「ドゥードゥリン」

 

 




これも見た夢の話だが、今朝とか昨晩のとかではなく、十日か二週間ほど前だ。おもしろかったから、その朝、ちょっと一言メモしておいたんだよね。「ドゥードゥリン、ヒップ・ホップ」と。これだけでぜんぶ思いだせるほど鮮明な記憶がいまでもある。その朝、ベッドのなかで眠りながら僕は、夢でだれかがヒップ・ホップ・ジャズに仕立てたホレス・シルヴァーの曲「ドゥードゥリン」をやっているのを聴いた。

 

 

記憶に間違いがなければ、その夢での僕はニュー・ヨークにいた。そしてたしか時は夕方。日が暮れかけて仄暗くなってきてやや黄色に街も染まってきたころに、僕はどこかの野外でだれかがやるヒップ・ホップ仕立ての「ドゥードゥリン」にあわせて踊っていた。しかし野外であるにもかかわらずレコードを廻すターンテーブルの姿があったのを憶えている。DJ がスクラッチ・プレイしながら、べつのだれかがラップを披露していた。

 

 

その「ドゥードゥリン」、リズムの感じは間違いなく今様のヒップ・ホップ・ジャズのノリで、記憶ではたしかふつうのいわゆる歌はなく、しかし管楽器とかピアノとかのソロもなかったように思う。ただビートを創って、その上でラッパーがなにかしゃべりまくっていたのだった。それでも「ドゥードゥリン」だと判断できたんだから、ホレス・シルヴァーの書いたあの印象的にユーモラスな、つまりファンキーなテーマは、その夢でも聴いたんだろうな。

 

 

つまり、僕の知る限りまだこの世に存在しないけれど、ホレスのあの曲「ドゥードゥリン」は、もとからそんなような深さ、奥行き、広さ、大きさを持つものなんじゃないかなあ。2010年代のヒップ・ホップ・ジャズにもなりうるような懐の深さを、ホレスによるオリジナル・レコーディングの1954年の時点ですでに持っていたんだよ。なんてことも夢のなかでそれを聴くまで、僕はちっともわかっていなかったけれど。

 

 

朝起きて、こんなことを考えて、ちょっとイイかもしれないぞとメモしておいたんだけど、しかし正直に言うと夢を見ている最中や目覚めた直後の僕は、あの曲がなんだったのか、すぐには思い出せなかったんだよね。な〜んかむかしからよく知っているお馴染みのものだけけど、なんだっけなあ〜?と、しばらくもどかしかった。でもなにか現実の音楽を鳴らすとたちまち霧散しそうなので、なにも聴かずに、その<幻の>曲を脳内再生しつつウ〜ンウ〜ンとうなって、それであっ!ホレスの「ドゥードゥリン」じゃん!とようやく気がついた。そんなこと、よくあるんだよね、僕は。夢で聴いた曲をなかなか思い出せないってことが。

 

 

気がついて、上で書いたようなメモをしたってわけ。それでその日の朝はやらなくちゃいけないことがたくさんあって、のんびりプレイリストでも作って各種の「ドゥードゥリン」を聴きかえすことがかなわかったので、そのメモだけ残して、プレイリストは夕方に作成して聴いてみたんだんだよね。しかし僕の iTunes ライブラリ内を検索しても、「ドゥードゥリン」は三つしか出てこなかった。

 

 

三つとは、ブルー・ノート盤ホレスの1954年オリジナル。アトランティック録音レイ・チャールズの1956年ヴァージョン。ヴァーヴ盤ディジー・ガレスピーの1957年ニューポート・ライヴ・ヴァージョン。編成はホレスのが二管のクインテット、レイのが四管+ピアノ・トリオ編成、ディジーのはビッグ・バンド。アレンジャーはホレスのはホレス自身、レイのはクインシー・ジョーンズ、ディジーのはアーニー・ウィルキンス。

 

 

いちばん上でご紹介した自作プレイリストには、最後にもう一個、ヴォーカリーズものを入れておいた。最初にやったのはランバート、ヘンドリクス&ロスだけど、チョイスしたマンハッタン・トランスファーのヴァージョン(2004年『ヴァイブレイト』収録)のほうが面白いんじゃないかなあ。ホレスの書いた「ドゥードゥリン」本来の滑稽味が少しは出ているんじゃないかと思う。マンハッタン・トランスファーって、そんな第二次大戦前のアメリカン・コーラス・グループが持っていたユーモラスなセンス、言い換えればジャイヴィな要素があるよね。と僕は思うんだけど。

 

 

でもやっぱり歌入りヴァージョンではなかなかこの「ドゥードゥリン」の持ち味をフルに発揮するのは難しいのかもしれない。’Doodlin’’ という言葉の意味が歌詞付きヴァージョンだと鮮明にわかるんじゃないかという意味もあって入れておいたんだよね。あと、やっぱり楽器演奏ばかりじゃなくって、歌声が聴こえたほうが楽しいんじゃないかな?そうでもない?

 

 

Spotify や iTunes Store や YouTube で探すと、楽器演奏の「ドゥードゥリン」がいろいろと出てきたので、ササっとぜんぶ流し聴きしたけれど、1954年ホレス、56年レイ、57年ディジーの三つにはおよばないように僕には思えたので、プレイリストには一切入れなかった。それら三つで十分このファンキー・ナンバーの持ち味、それも2010年代最新ジャズみたいにもなりうるような先見味も聴きとれるはずだと思う。

 

 

ホレスの曲「ドゥードゥリン」は12小節のブルーズ・ナンバー。ただし、ほかのいろんなジャズ・メン or ウィミンがやるブルーズとは違っていて、というのはそれらはだいたいキーとテンポだけ決めて即興で演奏しはじめるか、シンプルな音型パターンを反復するだけというのが多いんだけど、「ドゥードゥリン」は作曲の才に長けたホレスらしいちょっと込み入ったテーマ・メロディを持っているよね。その旋律のヒョコヒョコと上下するところが滑稽味をかもしだしている。しかも1954年ホレスのオリジナルでは、演奏冒頭でテーマを三回演奏。その三回目は違うメロディを用意してある。

 

 

その後の各人のソロは、ふつうのジャズ・ファンとは違って僕はそんなに重視していないんだ。一番手で出る作曲者自身のピアノ・ソロは、テーマ旋律の持つユーモラスなファンキーさの延長線上にあるなあと思うだけで、テナー・サックスのハンク・モブリー、トランペットのケニー・ドーラム、ドラムスのアート・ブレイキー三人のソロは、別にどうってことはないような…。ヒップ・ホップ・ジャズに化けうるかも?と思うグルーヴ感も、テーマ演奏部以外では薄い。

 

 

うん、そうなんだ、この「ドゥードゥリン」のそんなグルーヴは、あのテーマ・メロディの滑稽なフィーリングによってもたらされているのかもしれないよね。といってもだれがやってもそうなるかというとそうはなっていないから(流し聴きしただけですが)、う〜ん、難しい。それでもやっぱりあのテーマの動きかた、上下にヒョコヒョコ動きながら一定パターンを二回反復し、最後の四小節で落とすというか泣かせるというか、笑わせるというこの展開、流れがグルーヴを産むんだ。

 

 

1956年のレイ・チャールズ・ヴァージョンでも、ピアノや管楽器のソロじゃなくてクインシー・ジョーンズの書いたアレンジが面白いと思うんだよね。基本、ホレスのパターンを踏まえつつ、そこから大きく引き伸ばし別の展開を見せている。最初と最後のテーマ演奏部における小節ごとの管楽器の使い分けかたなんか、クインシーの手が込んでいるよなあ。ソロのあいだに入れる伴奏リフも楽しい。ホレスもここまではやらなかった。さすがはクインシーだ。1990年代以後のクインシーの音楽は、あたかも「ドゥードゥリン」のヒップ・ホップ・ヴァージョンでもやっているかのような部分もあるじゃないか。

 

 

ディジー・ガレスピーの1957年ニューポート・ライヴでの「ドゥードゥリン」。ディジーはご存知のとおりあんなユーモア感覚の持ち主で、ライヴ・ステージでもそれを発揮していたのが、この「ドゥードゥリン」でも聴ける。特に演奏に入る前のおしゃべりでそうだ。 ここのディジーのライヴ・ヴァージョンでは、ホレス、レイのヴァージョンよりもテンポが落ちて、ゆっくり歩いているようなフィーリング。ファンキーなユーモア感覚はこれくらいのテンポがいちばん出しやすいし、アレンジの勝利だ。楽しい〜。

 

 

しかもこのディジーのライヴ・ヴァージョンでは、途中からリズム&ブルーズふうな深いノリになるもんね。ドラマーのチャーリー・パーシップもそんな叩きかたをしているように聴こえる。1957年のパフォーマンスだから、そんなテイストがあってもあたりまえのことだ。ディジーの紹介どおり、バリトン・サックスのピー・ウィー・モーが活躍。ソロでというより、随所随所でブワッと尾篭なサウンドを出しているのがおもしろいよなあ。テナー・サックスでいえばホンキングだ。

 

 

あっ、ホンク・テナーと書いたいまこの瞬間に思いがおよんだけれど、このディジーの1957年ライヴの「ドゥードゥリン」には、かなりジャンプ・ブルーズっぽいフィーリングが聴きとれるよね。僕はそう思う。約10年遅れのビッグ・バンド・ジャンプみたいなサウンドで、演奏のディープなノリの深さも素晴らしく黒い。ホーン・アンサンブルの音色にも色気があってイイ。

 

 

ってことは、やっぱり「ドゥードゥリン」という曲は、ここから約60年後くらいのジャズの新潮流にもつながっているような気がするよねえ。うん、間違いない。

 

 

そんなことを夢が僕に教えてくれた。

2016/09/05

邯鄲にて

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ボブ・ディラン・ナンバー「アイ・シャル・ビー・リリースト」のレゲエ・ヴァージョンがある。いや、そんなものは存在しない。少なくとも僕は知らない。現世ではというか現実世界にはね。この曲のレゲエ・ヴァージョンというのは今朝の僕の夢のなかに出てきたものなのだ。僕は見た夢をハッキリと憶えていることが結構ある。すごくリアルな夢だった。

 

 

それでもやはりしばらく経つと忘れそうなので記憶が鮮明なうちにと思って、この文章は今日がお休み(今は八月前半)なのをいいことに、起床直後にトイレにも行かず顔も洗わず歯も磨かず、速攻で Mac に向いキーボードを叩いて書いている。その夢のなかでは、僕はなにか大規模野外ロック・フェスティヴァルみたいなところで演奏していた。

 

 

もし僕が音楽家なら起床直後に向うのは Mac ではなく楽器だよなあ。寝る時もシステム終了しないから速攻で触れる Mac と違い、現在の自室にある二本のギターは押入れの中。今この瞬間にもレゲエ・ヴァージョンの「アイ・シャル・ビー・リリースト」が鮮明に鳴っているんだけど、それが自分の頭のなかでだけなんて、まるでフランク・ザッパの『ジョーのガレージ』最終盤における主人公みたいな気分だよ。

 

 

しかしながら現実生活で僕が経験してその雰囲気を知っている大規模野外音楽コンサートは1991年のマウント・フジ・ジャズ・フェスティヴァルだけ。そのかすかな記憶と、テレビや DVD で観る種々のロック系大規模野外コンサートの様子から類推しているだけなんだけどね。

 

 

その野外コンサートでの僕の出番はトリで、しかもアンコールのラスト、つまりその大規模野外ロック・フェスティヴァルの大トリでボブ・ディランの「アイ・シャル・ビー・リリースト」をストラトキャスターを弾きながら、バンドの伴奏付で、派手なロック・ヴァージョンにして歌ったのだった。

 

 

ロック・フェスティヴァルのオーラスでやる「アイ・シャル・ビー・リリースト」なら、誰もがザ・バンドの解散コンサート『ザ・ラスト・ワルツ』におけるそれを思い浮べるだろう。あれもいいよね。いろんな歌手や演奏家が賑やかに参加しているし楽しい。

 

 

僕の夢のなかでの「アイ・シャル・ビー・リリースト」は、基本的にはボブ・ディラン30周年記念コンサートでクリッシー・ハインドがやっているヴァージョンそのまんまをコピーしていた。だって以前も一度書いたように、彼女のあのヴァージョンが僕は大好きなのだ。

 

 

 

お聴きになればお分りの通りのこの雰囲気そのままに、夢のなかでの僕も、クリッシー・ハインドみたいにエレキ・ギター(は僕の場合間違いなくストラトキャスターだった)を弾きながらロックな「アイ・シャル・ビー・リリースト」を歌った。問題は間奏のギター・ソロが終り3コーラス目も歌い終ってからだ。

 

 

そこまではクリッシー・ハインド・ヴァージョンそのままにやっていたのに、間奏のギター・ソロのあと3コーラス目を歌い終ると、僕は瞬時にギターで、あの(ン)ジャ!(ン)ジャ!というレゲエのビートを突然刻みはじめた。自分でも全く想定していなかった即興的思い付き。ほんの一瞬のことだったのだが、バンドが即それに合わせてレゲエをやりはじめる。

 

 

それで僕を含めバンド全体の演奏がレゲエになってしまい、そのレゲエ・ビートに乗ったまま僕は続けて「アイ・シャル・ビー・リリースト」を歌い続ける。と言ってもレゲエに移行してからの歌詞はディランの書いたものではなく、僕がその場で思い付くままアドリブで独自の英語詞を歌っていた。

 

 

コンサートが終って楽屋へ帰ると音楽評論家の高橋健太郎さんが来て(会ったことはないが写真で顔は知っている)「どうしてあそこがレゲエになったんでしょう?」と問うのだが、僕は「自分でもサッパリ分らない、ただ瞬時になぜだかそうなってしまった」と答える。プロ・ギタリストでもある健太郎さんはその場でアクースティック・ギターを弾いてそれを再現しようとするが、僕は加わらない。

 

 

僕の歌った「アイ・シャル・ビー・リリースト」レゲエ部分での即興英語詞は、ディランの書いたオリジナル詞の持つ意味を大幅に拡大解釈したようなもので、現在の状況から「解放されたい」というような強いメッセージだった。日本では安倍自民が勝手気ままにやり、不寛容な国フランスではイスラム教徒の肩身がどんどん狭くなり、同様に不寛容な主張を持つドナルド・トランプがアメリカでは大統領になるかもしれないというような状況からの「解放」。

 

 

そんな強い社会的メッセージ性を帯びた歌詞をレゲエのビートに乗せて歌うもんだから、あたかもまるで、やはり種々のメッセージを投げかけたボブ・マーリーが「アイ・シャル・ビー・リリースト」を歌っているかのようなフィーリングになっていた。ギターを刻み歌いながら僕は自分がボブ・マーリーになったんだと思っていた。

 

 

いや、でもディランの書いた「アイ・シャル・ビー・リリースト」の歌詞がいったいなにを言おうとしているのか、僕は2016年の現在でもいまだにハッキリとは分っていない。昔はなにがなんやらチンプンカンプンだった。そもそもこの曲が初めて世に出たのはザ・バンドのヴァージョンだったよね。

 

 

 

すなわち1968年の『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』のアルバム・ラスト。歌うのはリチャード・マニュエルなんだけど、リチャード・マニュエル自身この時はディランの書いた歌詞の意味がよく分らなくて、しかし分らないまま歌ったんだという。こうだからやっぱり歌詞の意味の理解と歌の表現力には強い関係はないよね。

 

 

だってあの『ビッグ・ピンク』ラストの「アイ・シャル・ビー・リリースト」におけるリチャード・マニュエルの歌を聴けば、誰だってただならぬ雰囲気に圧倒されるはずだ。それは歌がそうだということもあるけれど、歌手自身の弾く印象的なピアノ・イントロと、ガース・ハドスンのロウリー・オルガンのせいもある。

 

 

それにしてもあの「アイ・シャル・ビー・リリースト」におけるオルガンの音はなんなのだ?最初に聴いた時はオルガンなんだかなんなんだか、とにかく正体不明のワケの分らない音がフワ〜ッと漂うように鳴っているとしか思えなかった。まるでまとわりつく靄とか霧みたいなサウンドだよなあ。

 

 

それを弾いているのがガース・ハドスンという人で、しかも彼はロウリー・オルガンを使っているんだというのを知ったのは、僕の場合随分と後になってからのこと。オルガンというとジャズ・オルガニストなども使うハモンド B-3の音はよく知っていたけれど、ロウリー・オルガンとは名前すら知らなかった。

 

 

そんでもって「アイ・シャル・ビー・リリースト」を歌うリチャード・マニュエルの声質と歌い方も昔の僕はイマイチ好きではなく、レイ・チャールズの影響があるなとは分るものの、ザ・バンドのヴォーカリスト三人のなかでは最も線が細いように感じてしまっていた。リヴォン・ヘルムやリック・ダンコは前々から大好きだけど。

 

 

今ではリチャード・マニュエルのヴォーカルも好きなんだけど、前述のような印象が長年続いていたもんだから『ビッグ・ピンク』における「アイ・シャル・ビー・リリースト」は、あの靄のようなサウンドの漠然とした印象と、歌詞の難解さと、歌手の声が好みじゃないのとで、僕はどうも避けていたような部分がある。

 

 

『ビッグ・ピンク』でも「ザ・ウェイト」や「ロング・ブラック・ヴェイル」や「火の車」などの方が断然好きで、アルバム冒頭のこれまたディランの書いた「怒りの涙」は、これまたリチャード・マニュエルが歌っているのでこれまたイマイチで、歌詞内容もこれまたよく理解できず、なんじゃこれ?と。

 

 

『ビッグ・ピンク』とザ・バンドの話は今日はあまり深追いしないでおこう。全然違う話になってしまう。今日の話題はリチャード・マニュエルが最初は歌詞の意味がよく分らないまま歌ったという「アイ・シャル・ビー・リリースト」のことだ。「私は解放されるだろう」ってどういうことだろう?

 

 

“released” は「解放」でもいいが「釈放」かもしれない。ってことはこれは(冤罪かなにかで?)投獄されている囚人の歌なのか?なんだかそんな解釈もあるらしい。しかし「アイ・シャル・ビー・リリースト」全体をじっくり聴直してみても、その解釈だってイマイチ僕にはピンと来ない。

 

 

「聴直して」っていうのは、僕は音楽に関しては音を聴かずに歌詞だけ「読む」ということは絶対にしない。文学作品じゃなくて音楽作品なんだから、次々と流れては同時に次々と消えていく時間の流れのなかで、瞬時に歌詞の意味が捉えられなかったら、それは歌詞を理解したことにはならないだろう。

 

 

歌詞が記載されている紙やネット・データなどを見ることもあるけれど、それは全て聴きながらのこと。うんまあそれはみんなそうか。聴かずに歌詞だけ読む人なんていないよね。当り前のことだった。しかし日本語と英語の場合は僕は聴きながら見ることもほぼしない。よほど難解か、あるいはサザンオールスターズの「愛の言霊」みたいに聴いても分らないものだけ。

 

 

「アイ・シャル・ビー・リリースト」を何十年もじっくり聴いているんだけど、やっぱり歌詞全体の意味がクッキリとイメージを結ぶように完璧には理解できていない。ドアーズの歌詞なんかもそうだけど、ディランとの違いは、ドアーズの場合は難解とかではなく、ただ単にピンぼけしているだけ。

 

 

ドアーズの歌詞は全体としては焦点が定らず、それが結果的になにか含蓄のあるものだと聴く側に勘違いさせているだけ。あれは難解だとかではなく、要するに理解不能。書いている本人も分っていないはずだ。ドアーズの魅力はそういう部分じゃない。ディランの書く歌詞はそういったものとは本質的に全く違うものだ。

 

 

「アイ・シャル・ビー・リリースト」が釈放を願う囚人の歌だという解釈は紹介した。これが今では最も一般的なものなのかもしれない。あるいは宗教的な意味での魂の解放のことだという解釈も読むことがある。こっちは曲を聴いたら納得しやすい。だってちょっぴりゴスペル・タッチな曲調を感じるもんね。

 

 

宗教的といえば「アイ・シャル・ビー・リリースト」という曲を創り初演したザ・バンドとの例の地下室セッション。あの1967年の一連のセッションのなかにはカーティス・メイフィールドの「ピープル・ゲット・レディ」がある。2014年リリースの『ベースメント・テープス・コンプリート』二枚目に収録。

 

 

「ピープル・ゲット・レディ」が宗教的な曲だというのは説明不要なはず。そもそもこの曲のオリジネイターであるインプレッションズはゴスペルにドゥー・ワップやリズム・アンド・ブルーズをミックスさせたようなグループだったもんね。作者のカーティス・メイフィールドも宗教的要素の強い音楽家だ。

 

 

そんな「ピープル・ゲット・レディ」を、一見無関係そうなボブ・ディランとザ・バンドがあの地下室セッションで録音していたのを最初に知った(のは2014年の公式リリースよりも前)時は、僕はまあまあ驚いたんだよね。単にスタンダード化している有名曲だからとかの理由だけじゃないよなあ。

 

 

ってことはの地下室セッションで完成し録音もされた「アイ・シャル・ビー・リリースト」だって宗教的な意味合いを持つ曲だという解釈も可能だろう。「いつの日か、いつの日か、私は解き放たれるだろう」というのは、神によって解き放たれる魂と精神的自由を願う内容かもしれないぞ。可能性は大だ。

 

 

可能性が大だっていうのは、実際黒人歌手がゴスペル風な解釈で「アイ・シャル・ビー・リリースト」を歌っているヴァージョンがいくつもある。一番有名なのはニーナ・シモンが歌ったものかなあ。黒人歌手である彼女は一般にはジャズ歌手として認識されているかもしれないけれど、ちょっと違う資質の人じゃないかなあ。

 

 

ニーナ・シモンは一時期宗教的な雰囲気をかなり強く出していて、そんな時期に「アイ・シャル・ビー・リリースト」もゴスペル・ソングとして歌っている。彼女自身がいつものようにピアノを弾きながら、リズム伴奏や女性バック・コーラスも入り、リズムは6/8拍子の典型的なゴスペル・スタイル。

 

 

その他教会の大編成ヴォーカル・コーラス、すなわちゴスペル・クワイアによる「アイ・シャル・ビー・リリースト」だって僕は二種類持っている。そういうのを聴くと、神の恩寵で私の魂が解放されんことを願う、神よ、神よ、いつの日か、いつの日か!と祈るような歌にしか聞えないもんね、もう完全に。

 

 

音楽作品でも映画作品でも文学作品でも解釈は一様ではなく、優れたものであればあるほど一層多義性を帯びてくるわけで、その多義性ゆえに面白いわけだ。音楽だって意味が一つに定らないからこそ、多くの人に歌い演奏され継がれ、聴き継がれる。「アイ・シャル・ビー・リリースト」だってそうだろう。

 

 

だから上で書いたように「アイ・シャル・ビー・リリースト」の後半を社会的メッセージを伝えやすい音楽スタイルであるレゲエにして、その部分を独自の即興的な歌詞にして、他者・異物を許したがらない現在の非常に閉塞的な社会状況から僕は解放されたいんだという歌として歌う僕の夢は、そんなにムチャクチャなものでもないだろう。ある意味現実以上にリアルだ。

 

 

日本でも「アイ・シャル・ビー・リリースト」はいろんな人がそれぞれ独自の日本語詞にして歌っているよね。僕が一番好きなのはRCサクセションのライヴ・ヴァージョン。忌野清志郎は権力の圧政からの解放、音楽表現の自由を訴えるという歌詞にして歌っている。実に清志郎らしい。それもまた一つの有効な解釈だ。
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