カテゴリー「ニュー・オーリンズ」の16件の記事

2023/09/13

ニュー・オーリンズ・ピアノの正統的後継者 〜 ジョン・クリアリー

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(2 min read)

 

Jon Cleary / New Kinda Groove ~ The Jon Cleary Collection

https://open.spotify.com/album/1md164stYAuu9xfWl8c3yS?si=TiNvfYqcR3GI1GiKDcNRwg

 

なんでも10月に来日公演をやるらしいジョン・クリアリー。それを記念して日本編集の新しいベスト・アルバムがリリースされました。『New Kinda Groove ~ The Jon Cleary Collection』(2023)。八月下旬に出たこれが楽しくて、いつなんど聴いても笑顔になっちゃうんです。

 

このひと、生まれはイングランドなんですけど、いまやすっかりニュー・オーリンズ・ピアノ・ファンクの正統的な後継者としてシーンを支える存在ってことですっかり認識されていますよね。Wikipediaなんかでも “American” って紹介されているし。

 

ベスト・アルバムはやっぱり元気にグルーヴするノリいい曲が中心。そのなかに落ち着いたミドル・テンポのものを混ぜ込んだり、なかには沁みるしっとりバラード(失恋系はトーチ・ソングというべきか)もあって、一時間以上を飽かせません。

 

ピアノの腕前はもはや言わずもがな、万人が認めるところでしょうけど、ヴォーカルも味があってかなりいい。ピアノを弾かず歌に専念している曲もあるんですけど、しっかり聴かせます。

 

曲によってちょっぴり鮮明なカリブ香味もただよわせていたりするのは、やっぱりいかにもニュー・オーリンズという土地のなせる伝統のわざ。クリアリーもそうした間違いない味わいを着実に継承していて、ホンモノだなあと実感させます。

 

アルバム末尾に入っているボーナス・トラック的な三曲のライヴもかなりいいです。ってかこのベスト・アルバム、そのパートこそ目玉なんじゃないかと思えますよ。

 

(written 2023.8.9)

2022/10/09

ニュー・オーリンズ音楽現在地点の見本市 〜 映画『テイク・ミー・トゥ・ザ・リヴァー:ニュー・オーリンズ』サントラ

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(4 min read)

 

v.a. / Take Me To The River: New Orleans
https://open.spotify.com/album/5dzjHPSOfAto7WFilL9Siw?si=1rdJUPU0RJGSLgUoS65kGg

 

Astralさんのご紹介で知りました。
https://astral-clave.blog.ss-blog.jp/2022-09-04

 

『Take Me To The River: New Orleans』(2022)はニュー・オーリンズ音楽のドキュメンタリー映画(マーティン・ショア監督)サウンドトラック・アルバムのようです。映画は日本で劇場公開されていませんけど、おそらくどれかのサブスクで観られるんじゃないかと(そういう時代)。

 

ともあれぼくは音楽のほう。全曲この映画のための新録音だそうで、音楽都市ニュー・オーリンズは過去から現在まで多彩な音楽家を大量に産んできたので、現役でやっているベテランから若手まで、さまざまに組み合わせたりなどフィーチャーして、バラエティに富む内容になっているのはうれしいところ。

 

といってもアート・ネヴィルがいたりドクター・ジョンもやっているので(いずれもいまは故人)、映画本編もこのサントラもそれなりに長い年月をかけて制作されたものなんでしょうね。

 

強力に跳ねながら楽しくファンキーにグルーヴするものが多いのはさすがのニュー・オーリンズ・ビート。その手の曲ではラテン性というか3・2クラーベの感覚が内在的に活かされていて、そんなところ、いかにもニュー・オーリンズ・ファンクだと確信します。アメリカ合衆国のほかのどの都市の音楽とも違うグルーヴがあります。

 

たとえば1「イン・ラヴ・ウィズ・NOLA」、6「504(エンジョイ・ユアセルフ」あたりでもそれは強く感じますよね。ひたすらな快感。後者では終盤打楽器オンリーの乱れ打ちパートがあってそのまま曲が終了しますが、このカッコいいコンガはだれが叩いているんでしょう。

 

11「イエス・ウィ・キャン・キャン」は、アラン・トゥーサンが書いてリー・ドーシーが1970年に初演したかのファンク・チューン&ニュー・オーリンズ・スタンダードを、スヌープ・ドッグのラップなどくわえてヒップ・ホップ調にリメイクしたもの。オリジナルの面影はしっかりとあり。

 

ディスク2-1「インプロヴァイズ」もニュー・オーリンズ・スタイルのティピカルな強いノリですし、やはりシリル・ネヴィルがやる2-2「レイト・イン・ジ・イヴニング」でフィーチャーされているブラス・バンドのゴージャスでカリビアンなアンサンブル・サウンドには、思わずのけぞりそうになる迫力があります。

 

ドナルド・ハリスンのサックスをフィーチャーした二枚目のジャズ・ナンバー二曲もカッコいい。特にサックス・ソロ吹きまくりな9「サンド・キャッスル・ヘッドハンターズ」なんかビート感だって21世紀の革新的なものですし。新しくないトラディショナルなセカンド・ライン・ビートで演奏する11「聖者の行進」だってぼくは好きですね。

 

いっぽうに、しっとりとしんみりメロウに歌い込むバラード系がいくつもあって、いまのぼくの気分だとそっちのほうに耳を引き寄せられます。たとえば1-4「アイ・ウィッシュ・サムワン・ウッド・ケア」(エリック・クラズノのギターも最高)とか、あるいは1-11「ウィ・シャル・ギャザー・バイ・ザ・リヴァー」、2-4「ワン・モア・タイム」でのダヴェル・クロフォード。2-7でドクター・ジョンもパーシー・メイフィールドの「サムワン・トゥ・ラヴ」をやっています。

 

(written 2022.9.26)

2022/10/02

プロフェッサー・ロングヘア入門にはこれ 〜『ザ・ラスト・マルディ・グラ』

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(5 min read)

 

プロフェッサー・ロングヘア(1918-80)のほぼ最終作『ザ・ラスト・マルディ・グラ』(1978年録音82年発売)。なぜだかサブスクにないので、CDからインポートしたMusicアプリ(iTunes)のファイルで聴いていますが、ホント好きなんですよね。最高傑作じゃないのかと断言しちまいたい。

 

そこから何曲かYouTubeにもあげていて、それはもちろん権利者には無断でぼくが勝手にやっているだけのこと。だってねえ、だれでもがネットで聴けるようにしておきたい音楽だと思いますから。レコードもCDもすでに廃盤久しいんですから、これは義侠心みたいなもんですよ。

 

こないだ9月6日、そんなYouTube動画の一つにコメントがつきました。「This album was my introduction to 'Fess. He has such a distinctive piano style」っていう。これはうれしかったなあ。このかたとぼくは同世代かもしれませんね。
https://www.youtube.com/watch?v=If_Oif6b4JM&lc=UgyNyWv9YAefjEnEitF4AaABAg

 

『ザ・ラスト・マルディ・グラ』は1982年の二枚組レコードで、そのころぼくはちょうど大学三年生。ジャズにはまり関連する他方面もどんどんディグするようになっていたちょうどその時期に発売されてレコード・ショップに並びましたから、これがフェス入門だった、初めて手にとったフェスだったというのはぼくの世代には多いはず。

 

といってもぼく個人は『ニュー・オーリンズ・ピアノ』のほうを先に買ってはいて、それをいちおう一、二度聴きはしたんですけど、そのころはどこがおもしろいのか理解できませんでした。だからそのまま放り出しちゃっていて、フェスにはまった、こ〜りゃ楽しい音楽だねと皮膚感覚で納得できたといえるのは82年の『ザ・ラスト・マルディ・グラ』が初だったんです。

 

軽みがあって聴きやすくわかりやすい音楽で(そういうのバカにするひともいるみたいですけど)しかも有名代表曲だってたくさんやっているライヴ・アルバム。明快にノリよくて、まさにフェス入門にもってこいだと思うんですよね。

 

こうした音楽のベースにブルーズとカリビアン要素が濃くあるということもよくわかるし、ブギ・ウギやロックンロールと近接しているということだって示されているし。

 

歌うものが中心だけどじっくり聴かせるインスト演奏だって数個まじっていて(歌ものでもたっぷりめな楽器ソロあり)、このニュー・オーリンズ・スタイルを代表した大物ピアニストのその鍵盤をさばく腕前だってこれ以上ないほどくっきり刻印されているし。

 

いつだって楽しかったフェスの音楽が、地元のクラブ、ティピティーナでのライヴならではっていうことかここではいっそうくつろいで躍動していて、晩年ならではのまろやかな円熟味すらもあるんですから。

 

こう説明してくると、そ〜りゃフェスへの入門篇にピッタリですねって納得していただけるような気がしますが、それがなんとサブスクにないんですよね。廃盤になったレコードかCDを中古ショップでさがすしか手がないなんていう、そんなのちょっとねえ。フィジカル・リイシューが今後あるかどうか…。

 

ともあれどうしても、というかたは地道に中古盤をさがしていただきたいと思います。見つかるまでのあいだ、ぼくがファイルをつくってYouTubeに上げておいたこのアルバム(全17曲)からの七曲でもお聴きになって、楽しんでいただけたらいいんじゃないでしょうか。

 

「ジャンバラヤ」
https://www.youtube.com/watch?v=Z6u4LvWePdM

 

「メス・アラウンド」
https://www.youtube.com/watch?v=_gIKK9ot0nQ

 

「ラム&コカ・コーラ」
https://www.youtube.com/watch?v=If_Oif6b4JM

 

「シー・ウォークス・ライト・イン(シェイク、ラトル&ロール)」
https://www.youtube.com/watch?v=UNPJ1HNWlQw

 

「スタッグ・オ・リー」
https://www.youtube.com/watch?v=pN79UI1No74

 

「カーニヴァル・イン・ニュー・オーリンズ」
https://www.youtube.com/watch?v=na5sXo0Oqhw

 

これらはすべてカヴァー曲で、アルバムではもちろんフェスの有名自作ナンバーもたくさんやっています。それらはサブスクでも一般的な他作でどんどん聴ける曲ですから。そんな自他の区別なく自分の音楽として存分に楽しんでやっていたのがフェスの持ち味ですね。

 

(written 2022.9.8)

2020/12/17

ニュー・オーリンズ・ジャズのあの空気感 〜 ドク・スーション

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(8 min read)

 

Edmond “Doc” Souchon / The Lakefront Loungers and His Milneberg Boys

https://open.spotify.com/album/0PsHYdzjjJCPb0dfyNPcaR?si=G_MCZe8HSlmx1yMNmgNtPQ

 

きのう書いたスクィーレル・ナット・ジッパーズの新作アルバムはドク・スーションにフォーカスしたものでしたが、そんなわけでエドモンド・ドク・スーション、Spotifyにあるということで、実はいままで聴いたことなかったからいい機会だと思い、流してみました。

 

ドク・スーションは1897年にニュー・オーリンズで生まれたジャズ奏者&研究家。ギターやバンジョーを弾き、また歌い、1968年に亡くなるまでずっと発祥期のニュー・オーリンズ・ジャズを仲間たちと演奏し、また古いニュー・オーリンズ音楽のレコードや同地のさまざまな文化物の蒐集・保存に力を尽くした人物です。

 

Spotifyに唯一あるドク・スーションのアルバム『The Lakefront Loungers and His Milneberg Boys』は、たぶんこれ、2in1 でしょう。いつごろの発売なのか、2in1でCDリイシューされたのは21世紀のことかもしれないけど、オリジナル・レコードは1960年代の発売だろうと思います(ドク・スーションは1968年没ですから)。録音年がはっきりしませんが、1950年代末〜60年代前半との情報もあります。

 

アメリカ南部ルイジアナ州ニュー・オーリンズでジャズが誕生したのがいつごろのことだったのか、19世紀の終わりごろだったんじゃないかという話ですけど、なにしろその当時の録音が残っているわけじゃないので、その姿そのままをぼくたちが聴くことはできません。

 

クラシック音楽と違ってジャズは譜面で保存することも不可能でありますから、なんにつけてもとにかくレコードが大切なわけですけど、ジャズの史上初録音は1917年(オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド、ODJB)。その後はどんどんレコードが出るようになりましたが、すでにニュー・オーリンズ現地におけるジャズのピークは過ぎていたわけであります。

 

同地出身のキング・オリヴァーにしろサッチモことルイ・アームストロングにしろジェリー・ロール・モートンにしろ、録音したのはニュー・オーリンズを離れた1920年代以後のことで、その最初期録音ですら、もはや彼の地の、往年の、ジャズ最盛期の、空気感を嗅ぎとることは不可能です。ニュー・オーリンズ生まれで最も有名なジャズ音楽家は間違いなくサッチモでしょうけど、サッチモの残したレコードにニュー・オーリンズ・ジャズの香りはまったくなしですからね。

 

と、こう書けるのも、実は発祥期のニュー・オーリンズ・ジャズの姿、スタイルをそのまま真空パッケージしたように保存した古老たちが例の1940年代ニュー・オーリンズ・リヴァイヴァルでどんどん録音したレコードを聴いているからなんですね。バンク・ジョンスン、ジョージ・ルイス、スウィート・エマ・バレットなど、ああいったジャズ演奏家たちのレコードは、ぼくがジャズに夢中な大学生だった1980年代初頭にあっても問題なく買えたんです。

 

すると、それらで聴く発祥期そのままのニュー・オーリンズ・ジャズとは、キング・オリヴァーやサッチモ、モートンらの音楽となにもかも違っているじゃないかということに気がついたわけですね。まず第一にソロがほとんどなく、曲の最初から最後まで合同演奏で進みます。

 

曲のレパートリーだって違えば、さらに最大の違い、というか発祥期ニュー・オーリンズ・ジャズで最も顕著な特徴は、<あの空気感>としか呼びようのないオーラみたいなものです。ぼくはニュー・オーリンズ現地にちょっとだけいたことがありますが、あの土地で呼吸してみてはじめて理解できる、独特のヴァイブがあるんです。

 

そんな空気感を1940年代以後のニュー・オーリンズ・リヴァイヴァルの古老たちは数十年が経過してもよく残していて、鮮明に再現してくれていました。なんというか南国の、あの強い日差しのもと、ジリジリ焼けつくような、音楽のサウンドやリズムにも反映されるあの空気感、雰囲気、それこそがニュー・オーリンズ・ジャズなのです。真夏に一週間も滞在すれば、だれでも感じることができます。

 

ドク・スーションは1897年生まれですから、1940年代のリヴァイヴァルで録音した古老たちよりはやや若い世代です。同地の生まれ育ちとはいえ、発祥期のニュー・オーリンズ・ジャズの姿はかすかに憶えているといった程度じゃなかったでしょうか。ドク・スーションのばあいは、生育環境もありましょうが、なにより後年の学習によって獲得した部分が大きいような気がします。

 

Spotifyにあるドク・スーションのアルバムを聴いていると、あの時代の、発祥期の(ジャズを中心とする)ニュー・オーリンズ・ミュージックの姿が鮮明によみがえります。それは1940年代のニュー・オーリンズ・リヴァイヴァルで録音した同地の古老たちがやったジャズに相通じるものなんですね。あの、ニュー・オーリンズの、独特の空気感、フィーリングをドク・スーションはよく再現してくれています。

 

ちょっとおもしろいのは曲のレパートリーです。「ダウン・バイ・ザ・リヴァーサイド」のような、リヴァイヴァル期の古老たちもよくやったようなスタンダードをたくさんやっていますが、これが初期ニュー・オーリンズ・ミュージックにふくまれるんだなあとちょっと驚いたものだってすこしあります。

 

たとえば、1920年代の北部都会派女性ブルーズ・シンガーたちがよく歌った「トラブル・イン・マインド」をジャズ・ミュージシャンがインストルメンタル演奏するのははじめて聴きましたし、またODJBの「オストリッチ・ウォーク」は彼らのオリジナルで、早い時期にレコード発売されましたが、これなんかも現地ニュー・オーリンズで演奏されていたとはねえ。「スタック・オ・リー」のような伝承フォーク・ナンバーもあるのはちょっとした驚きです。

 

このへん、ドク・スーションは特にニュー・オーリンズ現地に根付くジャズ・レパートリーと限定せず、あの時代の当地にゆかりのある文化遺産的な意味合いで、後年レコードで聴いて自身の演奏曲目に追加したんじゃないかという気がします。もとはといえばジャズとは演奏の方法論であり、曲そのものにジャズ・ソングなんてものはないわけです。同時代のポップ・ソングでもなんでも、なにをやってもジャズ・スタイルで料理したものがジャズなのです。

 

そんなこともまた、発祥期のジャズとニュー・オーリンズ文化を研究しつくしたドク・スーションならではあるな、このひとはわかっている、ホンモノだったなと実感できたところで、ジャズ・ミュージックのことを再確認しました。

 

(written 2020.10.24)

2020/10/06

メイシオ・パーカーの新作はニュー・オーリンズ・ファンクかな

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(4 min read)

 

Maceo Parker / Soul Food: Cooking with Maceo

https://open.spotify.com/album/1nI2mxpnTcJsPjFh4ORf5E?si=tv7KAbsXTP2Vektwb3TBSA

 

Astralさんのブログで知りました。
https://astral-clave.blog.ss-blog.jp/2020-06-26

 

ぼくがいままで聴いてきたメイシオ・パーカーは、ジェイムズ・ブラウン、Pファンク勢、プリンスと、これら三者のバンドでサックスを吹いているものだけでしたから、メイシオ自身のソロ・リーダー・アルバムというのは今回はじめてだったんですね。『ソウル・フード:クッキン・ウィズ・メイシオ』(2020)。そうしたらかなり楽しいし、しかも歌だってうまいので、ちょっとビックリしました。

 

メイシオってこんなに歌えるんですね。ちっとも知りませんでした。新作『ソウル・フード』にはニュー・オーリンズやそこ出身 or ゆかりのあるミュージシャンが複数参加しているし、録音もニュー・オーリンズのスタジオで行われ、しかもとりあげられている曲にニュー・オーリンズ関係のものが多いということで、ある意味ニュー・オーリンズ・ファンクがテーマになっているとみることもできますね。

 

メイシオの過去作の再演もありますが、やはりミーターズ「ジャスト・キスト・マイ・ベイビー」、リー・ドーシー「イエス・ウィ・キャン・キャン」(アラン・トゥーサン)、デイヴィッド・ファットヘッド・ニューマン「ハード・タイムズ」、アリーサ・フランクリン「ロック・ステディ」、ドクター・ジョン「ライト・プレイス・ロング・タイム」、プリンス「アザー・サイド・オヴ・ザ・ピロウ」が聴きどころということに、ぼく的にはなります。

 

どの曲にもカリビアン/ラテンとも聴こえるシンコペイションがリズムに効いていて、いかにもニュー・オーリンズ・ミュージックだなと思えるだけのものがありますよね。メイシオのヴォーカルにも心なしかニュー・オーリンズ・テイストを感じたりもして。サックスのほうはずっとおなじみの聴き慣れた味をそのまま発揮しています。アレンジャーがだれだったのか知りたいんですけど、伴奏のホーン・アンサンブルなんかもファンキーで最高ですね。

 

個人的にグッと来るのはやはり聴きなじみの強い曲で(ぼくは知っている曲やスタンダードのヴァージョンを聴くのが大好き)、たとえば5「ハード・タイムズ」でもあのフレーズをメイシオがサックスで奏ではじめただけでニンマリしますし、大名曲「ライト・プレイス・ロング・タイム」なんか、みんな知っているあのシンセサイザー・フレーズがはじまってホーン・リフ、リズムと順に入ってきたら、もう快感。プリンスの「アザー・サイド・オヴ・ザ・ピロウ」も個人的には好きな曲ですが、一般的な知名度は高くないかも。

 

メイシオの歌もサックスも快調だし、ニュー・オーリンズ音楽ふうに跳ねるリズムとファンキーなアンサンブルが最高に心地いい一枚です。

 

(written 2020.8.14)

 

2020/06/19

迫力のソウル・クイーン 〜 シエラ・グリーン&ザ・ソウル・マシーン

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(4 min read)

 

Sierra Green & the Soul Machine / Sierra Green & the Soul Machine

https://open.spotify.com/album/3h2inyBKPE7hQQXPd3VA86?si=TVdIorLjQ7iF2scmt-lzCA

 

ニュー・オーリンズのバンドみたいです、シエラ・グリーン&ザ・ソウル・マシーン(Sierra Green & the Soul Machine)。そのデビュー・アルバムだと思うんですけど『Sierra Green & the Soul Machine』(2019)を聴きました。このバンド、音楽はたぶんリズム&ブルーズ/ソウルのフィールドにあるとしてさしつかえないでしょうね。それもわりとオールド・ファッションドなっていうか1960〜70年代的なブラック・ミュージックに聴こえます。

 

オールド・ファッションドな、っていう言いかたをすることも実はないんでしょう、こういったものはオーソドックスなソウル・マナーですから不朽のスタイルというべきで、時代を超えて幅広く聴かれ支持される音楽なんだと思います。カヴァー・ジャケットに写っている女性が主役歌手のシエラ・グリーンってことでしょうか、そんな音楽を彼女もまた志向しているんでしょうね。カヴァー・デザインもわざとレトロな古めかしい感じに寄せてきています。

 

アルバムはたったの31分間で、しかもシエラとバンドがぐいぐい押すアップ・テンポの調子のいい曲ばかり。迫力ありますね。バンドはたぶんギター、鍵盤、ベース、ドラムス、ホーンズかな、演奏はよく練りこまれているし、熟達の味わいがします。たぶん地元ニュー・オーリンズや、あるいは全米各地でも?ライヴを重ねてきているんでしょうね。

 

だから、録音はたぶんこれ全員合同の一発録りでやったんじゃないですか、オーヴァー・ダブなどのギミックも、コンピューターを使った打ち込みなどもいっさいなしだったんじゃないかと聴けば想像できます。そういったあたりも、オールド・ファッションドというより、ライヴ・バンドならではの実力を発揮したといったところなんでしょう。生演奏じゃないと出せないグルーヴが満載です。

 

フロントで歌うシエラが曲も書いているのか、バンド・メンバーかだれかが手伝っているのか、そのあたりは不明ですが、オーセンティックなソウル・マナーでのソング・ライティングで、ヴォーカルのスタイルとあわせ、ちょっとアリーサ・フランクリンを思い出したりもします。歌はアーマ・トーマスっぽくもありますね。シエラは発声もかなり鍛えられているに違いないという声質です。

 

ぐいぐい押すノリノリ迫力のアップ・ビート・ナンバーばかりで、ぜんぶで八曲ですからちょっとだけチェンジ・アップを混ぜたら、そう二曲程度あれば、メリハリがついてよかったんじゃないかと思わないでもないですが、アルバムは31分間しかないので、あっという間に駆け抜けてしまうフィーリングで、飽かずに最後まで聴けますね。シエラのつばが飛んできそうな迫力(はバンドの演奏にもある)にけおされるというか。

 

アルバムでは、しかしラスト・ナンバー「ピーシズ・オヴ・ユー」だけが実は三連のソウル・バラード。締めくくりにもってきたのには意図があるんでしょう。ファッツ・ドミノっぽいニュー・オーリンズ・テイストも濃厚に漂っているし、切ない歌詞を濃ゆい感じで歌い上げるシエラのヴォーカルにも泣けて、ムーディな幕引きでいい感じです。

 

(written 2020.4.27)

2019/04/27

懐かしのスウィート・エマ

81iwub5ibwl_sl1137_https://open.spotify.com/album/0eBkttkF5HHYrsFEV14oi7?si=g6d97nAHTAWnFtK22QmI9w

 

あぁ、スウィート・エマ・バレット。なんて書いたって、いまやだれが憶えているだろう?一部の超好事家以外は、みんな忘れてしまったんじゃないかな。っていうかむかしもハナからそもそも関心を寄せられていない?わからないが、1940年代のニュー・オーリンズ・リヴァイヴァルでその地の古老たちがどんどん復活してレコードを出したなかのひとりなのだ。

 

そのむかし、そういったニュー・オーリンズ・リヴァイヴァルを契機に録音されるようになったニュー・オーリンズのおばあちゃん、おじいちゃんのジャズ・ミュージシャンのレコードがたくさんあったよねえ。ぼくはけっこう好きでどんどん買っては聴いて、わりと気に入っていたんだ。でも、CD リイシューなんてされるのはごく一部。

 

かのニュー・オーリンズ・リヴァイヴァルの意味みたいなことはまた筆を改めるとして、ぼくは1940〜60年代あたりにたくさん録音されレコード商品化されたそれらのことが、かなり好きだったのだ。ぼくがそれらのレコードを買ったのは1980年代前半だけど、まだまだたくさんあった。でもたぶんもはやブームは過ぎていた。いつも遅れているぼく…。その後はジャズ・ファン、ジャズ評論からも相手にされなくなり、みんなの記憶の彼方へと消し飛んだ。

 

かのように思えていたのだが、つい三日ほど前、2019年の四月頭に Spotify をブラブラしていてスウィート・エマのアルバムを三枚ほど発見したのだ。ぼくが一番好きだったレコードがいちばん上で写真を掲げた『スウィート・エマ・アンド・ハー・ディキシーランド・ボーイズ』で、印象的な馬車のジャケット。Spotify のだとジャケットもアルバム題も違っているけれど、上でリンクしたのが同じもの。

 

このジャケットの印象そのまんまの楽しく、にぎやかで、しかも清廉なジャズ・サウンドが漂っているし、ぼくはホ〜ント大好きだったなあ、このレコード。Spotify にあったから、と思って CD を探したら、見つかったんだよね。2 in 1の二枚組、だから 4 in 2 か、オリジナル・アルバムの計四枚が二枚組でくっついているという好かない仕様だけど、ないよりは百倍マシだ。それがこれ。

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スウィート・エマは、もちろんニュー・オーリンズの、ピアニスト&ヴォーカリストで、このレコードが1961年のものということは、1897年生まれだから64歳…、って、あれっ、あんがいまだ若かったんじゃないか。古老ということばが似合わない歳だなあ。

 

そして実際、スウィート・エマのピアノも声も若いんだ。やっぱりおばあちゃん声だねと言われたらたしかにそうなんだけど、味があっていいよ〜。けっこう卑猥な歌もやっているしね。大学生のころ、そんなエッチな部分についてはまったくわかっていなかった。だいたい「わたしのジェリー・ロールはだれにもちっともあげないわ」なんて、なんのことやら「?」マークだったもんなあ〜。

 

音楽のスタイルは完璧なニュー・オーリンズ・フォームで、19世紀から20世紀への転換点ごろに当地で盛んだったであろうジャズ・ミュージックの姿を、ニュー・オーリンズ・リヴァイヴァルで録音したひとたちはわりとよく再現している。というか、彼らのレコードでしか当時のジャズの姿を音ではわからない。ジェリー・ロール・モートンでもキング・オリヴァーでもルイ・アームストロングでもわからないんだよね。

 

スウィート・エマは、大学生のころにどれかのライナーノーツで読んだ文章の記憶が正しければ、身体にジャラジャラいっぱい鳴り物をくっつけて、ピアノを弾いて歌うとき身体をゆすってそれらを鳴らしながらやるんだそうだ。レコード(や CD、配信)で聴いてもそのへんは判然としない。

 

ともあれ、大好きだった馬車ジャケのスウィート・エマのレコードに、CD や配信でだけど再会できて、ぼくはとってもうれしく、いい気分。流れてくる音楽のこの雰囲気にしばらくひたって、1980年代前半当時の大学生としても相当珍奇で物好きなジャズ・レコード買い青年だったろう自身の回顧に身をゆだねておこう。

 

いやあ、うれしかった。スウィート・エマ、なつかしかった。

2018/12/06

どうしてロニー・バロンに惹かれたか

 

 

ロニー・バロンの最高傑作『ブルー・デリカシーズ Vol. 1』(1979)については、以前一度詳述した。今日はまた違うことを思い出したので、メモしておきたい。

 

 

 

昨日(といっても11月頭ですよ)、ぼくの YouTube アップローズのひとつに、あるコメントがついた。ロニー・バロンのソロ・アルバム『ブルー・デリカシーズ Vol. 1』から「シンギング・イン・マイ・ソウル」を上げてあるものに、「このすごいアルバムのほかの曲もどうかアップしてくれないか?」とね。それで、あっ…、と思って Spotify でさがしてみたけど、ないんだよね、このアルバム。そもそもロニー・バロンは一枚もない。これが代表作なんだから、これがなければほかもない。

 

 

だから、ぼくは権利なんかいっさい持っていない赤の他人ですけれど、こういったことは公共奉仕みたいなもんなんだからファイルをつくって上げたんだよ、YouTube に、ロニー・バロンの『ブルー・デリカシーズ Vol. 1』一枚丸ごとをさ。上げてくれないかとコメントしてくださったかたも、そうでないかたも、関係ないかたも、みなさんの音楽の楽しみの一助ともなれば幸せです。

 

 

そんなわけで、2018年11月初旬に聴きかえしたロニー・バロンの『ブルー・デリカシーズ Vol. 1』。そうしたら再発見というか、いままで忘れていたことを思い出した。大学生のころ、ロニー・バロンがだれなのかちっとも知りもせず100%完璧なジャケだけ買いだった『ブルー・デリカシーズ Vol. 1』のどこが、あの当時、あんなに気に入ってヘヴィ・ローテイション盤になったのかということだ。

 

 

一言にすれば、このちょっと気どった、キザな声の出しかた、歌いかたが好きだった。これが初ロニー・バロンだったんだから、こんな歌いかたの歌手なのかどうか、わかるわけもない。ドクター・ジョンの『ガンボ』的なニュー・オーリンズ・クラシックス集であることもわかっていなかったはず。ただ、なんだか、この声の出しかたがカッコイイなあ〜って思ったのだった。このことをふと思い出した。ケレン味好き?

 

 

なんだか都会的な感じがして、そんでもってソウルフル、だとあのころ思っていたんだよね。そこが当時のぼくのお気に入りになったはず。忘れていた。『ブルー・デリカシーズ Vol. 1』で、ロニーはいろんな声を出している。よく変えているよね。たぶん一曲づつぜんぶ違う声を使っているから、10曲のアルバム全体で10通りの声を使い分けている。

 

 

大学生のころは、こういう歌手なんだと思っていて、それから歌手業がメインでピアノもついでに弾くひと、という認識だった。それくらい『ブルー・デリカシーズ Vol. 1』でのヴォーカル表現の多彩さは、いま聴きかえしても鮮明だ。あのころぼくは、なんて上手く旨い歌手だろうと感じていたはずだ。当時、ピアノ演奏のほうは添えもの的に聴いていただけ。

 

 

1曲目「トリック・バッグ」からそれはすでに目立っている。つまりカッコつけたキザさ。そこがいいとぼくは思っていたんだよね。気取ってスマしたようなクールな声の出しかたがね。曲後半部はリピート・パターンに乗ってのヴォーカル・インプロヴィゼイション披露となっているのもうまい演出じゃないか。その後半部では、また違う声の色を使ったりしている。メイン部でも 'They came running down' 部のおしりのほうなんかの音程の取りかたとその声、好きだなあ。

 

 

しかも「トリック・バッグ」には男主人公と義理の父の会話パートがあって、そこでロニーは二種類の声を使い分けているよね。会話に設定された歌詞内容は笑えるものだけど、おもしろい試みだなあ〜って、大学生のころ感じていたはず。ロニー・バロンっていうこのひとは、いろんな声を出せる歌手なんだ、うまいなあ〜という印象だった。

 

 

2曲目の「ウォーリード・ライフ・ブルーズ」ではまた別の声。しかしこれ、かのスリーピー・ジョン・エスティス以来の伝承ブルーズ・スタンダードだけど、ロニーはだれのヴァージョンを下敷きにしたんだろう?同じピアニストだからビッグ・メイシオの?違うよなあ。どなたかおわかりのかた、教えてください。あるいはロニーのオリジナル・アイデアかなあ。声は、終盤部でファルセットに移行するが、最後の最後でまたチェンジ、かなり気取ったヴォーカルになる。

 

 

こんな具合が3曲目以後もどんどん続き、とにかく『ブルー・デリカシーズ Vol. 1』でのロニー・バロンは一曲ごと、また同じ曲のなかでも、声をどんどん変えているんだよね。あの大学生当時、おもしろ〜い!とボンヤリ感じていただけだったが、いま2018年11月初旬に聴きなおすと、あきらかなプロデュース意図を感じる。理由があってかなり故意にやっていることだなあ、これは。

 

 

どういうわけでそんなヴォーカル・プロデュースをしたのかはわからないので、そこは放っておこう。やはり主役の声の使いかたがアルバム中最も際立っている4曲目のコーラス・ナンバー「シンギング・イン・マイ・ソウル」、ガムでもくちゃくちゃ噛みながらしゃべるようなフィーリングで歌う5「ドゥーイン・サムシング・ロング」、クラーベ・パターンに乗ってわりとシャウト気味な6「ライツ・アウト」、メロウ・ソウルな8「ハッピー・ティアーズ」。

 

 

そして、アルバム終盤の二曲。7「ピンク・シャンペイン」では、女声とコーラスでずっと進む。このフィーメイル・ヴォーカルはだれなんだろう?ゲスト参加?あるいはひょっとしてロニーが声色を使ってオーヴァー・ダブで重ねた?もしかりに後者だったなら降参だ。どっちにしてもけっこうユーモラスな曲調で楽しい。

 

 

ラストのパーシー・メイフィールド「リヴァーズ・インヴィテイション」。この曲では、また大胆に違う声でロニーは歌っている。アルバム中、ここでのこの声がぼくはいちばん好きだった。これはいまでもそう。いかにもニュー・オーリンズの音楽家らしいラテン調のリズム・アレンジに乗って、ロニーはやや翳のあるくぐもった声質を使っている。ちょっぴりこわい歌詞内容をわざと聴きとりにくくしてあるかのようだ。しかもこの曲、ちょっと歌ったら、あとは残り時間の約八分間、ほとんどがサックス・ソロなので、歌の印象が後口に残らない。

2018/06/20

三日月形のドリーム・チーム

 

 

これも一種のカラオケ音楽かもしれない。インストルメンタル・ミュージックというのとはすこし違うよね。このばあいのカラオケとは決して否定的な意味ではなく、ナッシュヴィルのエリア・コード615とか、キング・カーティスやスタッフみたいなフュージョン・バンドがそうだといままで言ってきている、そういうのと同じだ。

 

 

と、ぼくが今日話題にしているのはクレスント・シティ・ゴールドという臨時編成プロジェクトの1994年リリース盤『ジ・アルティミット・セッション』。クレスント・シティとは言うまでもなくルイジアナ州ニュー・オーリンズの愛称で、このアルバムのメンツがすごいんだ。

 

 

アラン・トゥーサン、アール・パーマー、マック・レベナック(ドクター・ジョン)、エドワード・フランク、アルヴィン・レッド・タイラー、リー・アレンという、まったく説明不要の超有名人ばかり。この六人がクレスント・シティ・ゴールドのメンバーということで、そのほかサポート・ミュージシャンたちも参加して、当地のシー・サン・スタジオで1992年に録音されたもの。

 

 

よくもこんな錚々たるメンバーを集合させられたもんだと思うけれど、仕掛け人は顔写真も掲載されているキャシー・セバスチャン…、って、どなたなんでしょう?ぼくはいまだ知らないかたで、う〜ん、しかしホントすごいよ、これだけのセッションをプロデュースできるのって。マジで何者なんでしょう?どなたかご存知でしたら教えてください。

 

 

『ジ・アルティミット・セッション』の全15曲(ラスト16トラック目はリプリーズ)。なかには「ルシール」みたいなブルーズ・スタンダードや、「トリック・バッグ」「ドント・ユー・ジャスト・ノウ・イット」「ジャンコ・パートナー」のようなニュー・オーリンズ・クラシックスもありはするが、それ以外はたぶんこのときのセッション用の新曲だよね。

 

 

ぼくの耳にはそういった新曲のほうが出来がいいように響くのだった。なかでもいちばん感銘を受けるのが4曲目「カーリーマ」、12曲目「スモーキン・コーナー」、15曲目「スペシャル・リクエスト」。「スモーキン・コーナー」は用意された楽曲じゃなくて、たぶんだけど、三人のピアニストが順に弾いている即興なんじゃないかと思う。

 

 

頼りない耳判断で言うと、「スモーキン・コーナー」で弾く順番は、エドワード・フランク→ドクター・ジョン→アラン・トゥーサンなんじゃないかと思う。なんとなくね、そう感じるスタイルの違いがあるように聴こえるんだけど。鮮明なニュー・オーリンズ・スタイルは三人とも出していない。バラード調にしっとりと、三人が順に鍵盤で奏でているバラード。最終盤でちょろっとエキゾティックな(中国ふう?)雰囲気があるので、そこはアランなんだろう。

 

 

中国ふう?エキゾティズムといえば、『ジ・アルティミット・セッション』5曲目のやはりカラオケ「ミッド・シティ・バップ」にもそれがすこしだけあって、特にイントロ部。クレジットを見たら、やはりアランの書いた曲で、冒頭部のそのピアノ演奏も彼なんだろうね。しかしその後はやはりニュー・オーリンズ R&B になっていく。だから、アランの『サザン・ナイツ』とか、あのへんだよね。

 

 

アルバムの実質ラスト・ナンバーである15曲目「スペシャル・リクエスト」。これもカラオケだけど(ってか、このセッション用の新曲はぜんぶほぼカラオケで、歌入りは他作スタンダードだけ)、これなんかのムードはたまらない絶品。泣きのバラードで、サックス二名がこれでもかとすすりあげ、迫る。いいなあ、これ。アルバム・クローザーにはこれ以上ないっていうほどの雰囲気だ。

 

 

それなのに、それが終わるともう一回、4曲目「カーリーマ」がリプリーズでほんの30秒ほど鳴る。だから、このアフロ・キューバン・ナンバーはアルバム『ジ・アルティミット・セッション』のテーマ・ソング的な位置付けってことなのかなあ。本編のフル・ヴァージョン4曲目では、「か〜り〜ま〜」とヴォーカル・コーラスも入るが添え物でしかない。

 

 

メインはあくまでこのラテン・リズム(打楽器はアール・パーマーがパーカッションも多重録音している模様)と、その上に乗るホーン・アンサンブル、そしてサックス二名のソロだ。アンサンブル・アレンジは、この曲だけでなくアルバム全編でアランが手がけているはず。サックス二名のアド・リブ・ソロはさすがの熟した旨味。ピアノ・ソロはエドワード・フランク。

2017/12/31

100年前のジャズを聴く

 

 

CD で聴くなら

 

 

 

本2017年はジャズ録音開始以後ちょうど100年目にあたります。そこで今大晦日、ジャズ録音100周年の本年を締めくくるにあたり、僕もちょっとなにか記しておきたいと思いまして、半年ほど前から準備してまいりました。録音史でピッタリ100年という一区切りになるこのワン・センチュリー全体を扱って、たとえば10年ごとに区切ってその歩みをたどるような内容にしようかなどとも考えていたのですが、到底僕ひとりの耳と知識と筆のおよぶところではないと悟りました。それに21世紀のジャズについてはちゃんと知りませんしね。

 

 

そこで、ジャズのなかでも特に個人的愛好対象である第二次世界大戦前のアメリカン・ジャズ、というよりもちょうど100年前あたりのジャズ録音開始直前直後あたりだけにフォーカスして、僕の知るところや考えるところを書いておきます。なにぶん素人ですし、まったくの個人的見解というか感想文ですので、これ以下の内容を、ほかのかたがお書きになった文章への批判だとか異論だとか、お読みになるどなたもそんなふうな受け止めかたをなさらないようにお願いしておきます。そんな気持は僕のなかにありません。

 

 

さて、ジャズの商業録音は1917年に開始されたわけでありますが、これは実を言いますとその一年前に実現するやもしれぬチャンスがあったのであります。それはニュー・オーリンズのフレディ・ケパードのバンドです。といいましても、もとはといえば同じくニュー・オーリンズのバディ・ボールデンのバンドだったのですが、それが1911年にその地を離れシカゴへ移ることとなり、その直前に同じコルネット奏者のフレディ・ケパードがくわわりました。

 

 

このころのニュー・オーリンズ(発)のジャズ・バンドでは、リーダーである第一コルネット奏者とサイド役の第二コルネット奏者と、二名在籍し同時演奏するのはそんなに珍しいことではありません。かのサッチモことルイ・アームストロングも、ニュー・オーリンズからシカゴに移りキング・オリヴァーのバンドに参加して、第一、第二とダブル・コルネット体制で演奏したのがレコード・デビューでしたよね。

 

 

しかしサッチモもすぐに師匠格のキング・オリヴァーを追い抜いてしまいましたように、バディ・ボールデンのバンドに参加したフレディ・ケパードもまたたくまに頭角を現しまして、と申しますか、本当のところ、フレディはたいへんなワン・マン気質で威張りちらすような人間だったので、それでバンドの事実上の支配者になっただけのことであります。しかしながらそれでもコルネット吹奏技巧などがバディ・ボールデンよりすぐれていたんじゃないかという気が僕はします。バディ・ボールデンのほうは一音も録られていませんので、実証はできません。

 

 

そんなわけでシカゴで活動するフレディ・ケパードのバンドということになったわけですが、それが1916年にニュー・ヨークのウィンターガーデンというところに出演しての演奏が評判になりまして、当時のヴィクターがこのバンドのボスにレコーディングしないかと話を持ちかけました。それで、長くなってしまいますので詳しいことは省略せざるをえませんが、当時の録音技術では、まず音が入るかどうかのテストをやってみなくてはなりませんので、ヴィクターはそう提案しました。

 

 

そうでなくたってジャズという、この呼び名だってまだ定着していなかったんですが、この新興音楽のレコーディングなんか、まだどこの会社もやったことがなかったわけですし、それでも管楽器にかんしてはいろんなブラス・バンド、たとえばアメリカで当時すでに大人気、というかたぶんジャズ・レコード以前に最も売れていたであろうスーザ・バンドなどは録音されていましたので、そのコツをジャズ・バンドにも応用すればよかったのでしょう。

 

 

ですけれど、問題はストリング・ベースとドラム・セットであります。弦ベースについても、たとえばクラシック音楽での弓弾きやあんな感じのピチカート演奏なら録音経験があったでしょう。がしかしジャズ・ベーシストのピチカート音は、みなさんご存知のとおりのぜんぜん違う野太さなわけです。ドラム・セットにいたっては、どの会社もまったく録音したことなどなかったはずです。パーツに分けますと、シンバルとかスネア(小太鼓)などはすでに録音していたはずだと思いますが、問題はベース・ドラムです。これはパートに分けた大太鼓とも少し違うのであります。打法も違えば、出てくる音も違います。

 

 

そんなわけで、本当は電気録音以前のアクースティック録音時代だから…、ということをちゃんと書いておかないと話が伝わらないのですが、泣く泣く割愛します。みなさん、ちょっと調べてみてください。ネットでも紙の本でもすぐに分ります。とにかくレコーディング・テストをやってみないと弦ベースとベース・ドラムのサウンドは入るかどうか分らんのでありますから、フレディ・ケパードの1916年バンドに録音をオファーしたヴィクターも、まずはちょっとテストさせてほしいと提案したということなんです。

 

 

ところがフレディ・ケパードはこの提案を却下。いまであれば、ええ〜〜っ?!せっかく自分の音楽をレコードにしてくれる、しかもそれでお金をもらえるなんて、まるで夢のような話、願ったり叶ったりじゃないか、どうして断るんだ?とみなさんお考えでしょう。1916年といいますと、とにかくジャズのレコードがまだたったの一枚もこの世に存在しませんでした。ですからレコードというものが、この世でいったいぜんたいどういう役割を果たすのか、自分にとってどんな(好)影響があるのか、フレディも想像できなかったと思います。

 

 

レコード?とんでもない!ヴィクターさんよ、大金を積んでくれ、そうでなけりゃお断りだ、記録されて複製され、それが世に出廻るわけだろう?そうしたら世のみんなに俺たちのせっかくの技術が盗まれてしまう、俺たちゃ苦労してこの演奏技巧を身につけたんだ、演奏を直に聴いて、永年辛苦の末ようやく身につけたこのジャズ演奏技巧をレコードにしたりなんかして、他人ににどんどん盗まれてしまうなんてことをやすやすと承知するほど、俺たちゃまだモウロクしちゃいねえ!

 

 

と、具体的にこう言ったかどうかは知らないですが、とにかく複製レコード商品によって技術をコピーされる、盗まれてしまう、要するに自分の不利益になると考えたフレディ・ケパードが、ヴィクターのせっかくの申し出を断ってしまったのは事実のようです(嗚呼、なんたるジャズ録音史上の痛恨事、悔やんでも悔やみきれない)。ヴィクターとしては、ただのたんなるレコーディング・テストを提案しただけなのにここまで言われたんじゃ、引き下がるよりありません。

 

 

そんなわけで、同じニュー・オーリンズの、こっちは白人バンドであるオリジナル・ディキシーランド・ジャズ(Jass)・バンドが翌1917年にニュー・ヨークに出てくるまで、ジャズ録音は開始されなかったのであります。この ODJB に、まず最初にレコーディング・オファーをしたのはコロンビアであります。そして実際録音されました。それが1917年1月31日の二曲「ダークタウン・ストラターズ・ボール」「インディアナ」。

 

 

しかしそれは未発売のままで、レコードになりませんでした。だから録音はされても未発売のままのものをジャズ商業録音史のはじまりと呼んでいいかどうか、僕にはちょっと分りかねます。ODJB に対するコロンビアの扱いもまずかった、つまり有り体に申せばギャラその他があまり芳しいものではなかったらしく、バンド・メンはいい気持がせず、復讐心があったかどうか分りませんが、約一ヶ月後の1917年2月に彼らは、今度はヴィクターに赴きます。

 

 

そこで1917年2月26日に、ニュー・ヨークのヴィクター・スタジオで ODJB による「リヴァリー・ステイブル・ブルーズ」「ディキシー・ジャズ(Jass)・バンド・ワン・ステップ」の二曲がレコーディングされ、これは後者を A 面とする一枚の SP レコードとなって、アナログ複製しかなかった当時としては驚異的な速さの3月8日に発売されました。これが売れたんです。

 

 

みなさんご存知だとは思うんですが念のために付記しておきます。レコードでは「ディキシー・ジャズ・バンド・ワン・ステップ」が A 面となって発売されたものの、1917年2月26日の現場では「リヴァリー・ステイブル・ブルーズ」のほうが先に演奏、録音されております。だからゆえ、後世のジャズ史家のみなさんも「リヴァリー・ステイブル・ブルーズ」をこそ初のジャズ録音ナンバーとみなしているんであります。

 

 

上で書きましたように、それまでのアメリカ大衆音楽レコード産業における最大のヒット・メイカーはスーザ・バンドだったんですが、ODJB はそれをはるかにしのぐ売れ行きで、たちまち100万枚売れたそうです。1917年のジャズ・レコードがそんなに売れるなんてちょっと考えにくいのですが、本当の話です。それくらいこの新しい音楽が世間のみなさんに面白く聴こえ、耳目をひいたのでありましょう。

 

 

しかしここで大変に重要なことがあります。それはいちばん上でご紹介した Spotify のアルバムか、あるいは CD などでお持ちのかたはちょっと聴いていただきたいのですが、ジャズ史上初レコードの B 面であった「リヴァリー・ステイブル・ブルーズ」は、これすなわちノヴェルティ・ミュージックなんです。曲題どおり、馬小屋での馬のいななきをそのまま楽器で描写したサウンドが聴こえますよね。B 面だったとはいえ、こっちのほうが話題になったんですよ、A 面の「ディキシー・ジャズ・バンド・ワン・ステップ」よりもですね。

 

 

これは実を申しますと、このヴィクター録音より約一ヶ月先だったコロンビアでの録音スタジオでも、ODJB の面々はこうした自らのレパートリーを持ち込みました。「馬小屋のブルーズ」「虎のラグ」「駝鳥のあゆみ」などなどを。しかしコロンビアのプロデューサーはそれを却下してしまったんです。ジャズを録音したことがまだまったくなかったからそれがどんな音楽なのか知らなかったのでということでしょうか、コロンビアは?しかしそれも考えにくいです。バンドの生演奏を聴いていたからこそ録音しないかと話を持ちかけたに違いないわけですから、どんなレパートリーでどんな演奏をくりひろげるか、分っていたはずです。

 

 

それなのにコロンビアという会社は、たぶんひょっとしたらその後いまでもこの会社体質があまり変わっていないかもしれませんが、そんなアニマル・ノヴェルティなんかでレコード発売はできないとの判断だったのでしょう。それで「ダークタウン・ストラターズ・ボール」「インディアナ」という ODJB がやり慣れないポップ・ソングを命令したんですね。実際、バンドの面々は演奏にかなり苦労したそうです。 

 

 

 

あ、そうそう、ついでにと言いますか申し添えておきますが、コロンビア盤の「ダークタウン・ストラターズ・ボール / インディアナ」の AB 面レコードは1917年5月に発売されております。えっ?アンタ、さっき未発売のままと書いたではないかと言われそうなので補足。五月発売のコロンビア盤 SP「ダークタウン・ストラターズ・ボール / インディアナ」は、ヴィクター盤「ディキシー・ジャズ・バンド・ワン・ステップ / リヴァリー・ステイブル・ブルーズ」が売れて評判になったのちに再録音したものなんです。

 

 

ですから、『ジャズの歴史物語』(アルテスパブリッシング)における油井正一さんの記述は間違っています(pp. 272〜275)。油井さんの文章では、ヴィクター盤が大評判になったので、コロンビアは慌てて録音済みの原盤をプレスして発売したが、選曲も音質も悪いので売れなかったとあります。ですけれど事実は、コロンビアから1917年に発売された ODJB のレコードはすべて、ヴィクター盤「ディキシー・ジャズ・バンド・ワン・ステップ / リヴァリー・ステイブル・ブルーズ」が三月にリリースされて売れて大評判になったあとで吹き込まれたものなんですよ。こんなところにもコロンビアという会社の体質の一端が透けて見えますね。でもこれは油井さんがお亡くなりになった1988年にはまだ分っていなかったことなんですから、油井さんは「間違えた」わけではないんです。

 

 

余談でした。注目してほしいのは、ジャズの史上初録音の一曲「リヴァリー・ステイブル・ブルーズ」はシリアス・ジャズなんかではなくって、アニマル・ノヴェルティだったということです。つまり、ジャズのレコードとは最初っからそんなようなものだったのです。シリアスな芸術品などではなかったんです。ここはしっかりとおさえておいていただきたいと思います。

 

 

そんなレコードが100万枚も売れたわけです。B 面の「リヴァリー・ステイブル・ブルーズ」のほうが大きな話題になったというのは各種文献を読むと間違いありませんので、1917年のアメリカのみなさんもそういう音楽としてジャズを受け止め楽しんだ、すなわち聴いて面白がるようなポップ・エンターテイメントとしてジャズ・レコードが売れ、みんな買って聴いたということでしょう。この事実一点のみをもってして、今日僕がいちばん言いたいことがお分りでしょう。いやいや、ジャズもその後変化したのだとのご指摘があるならば、それはそのとおりです。しかしですね、なんでもだれでも<生い立ち>を知るというのは大きな意味があることじゃないでしょうか。意味がなくても、それじたい楽しいです。

 

 

ODJB のこのころのレコードには、上の Spotify のアルバムにも入っていますが、1920年12月4日録音の「パレスティーナ」というものだってあります。ちょっと中近東ふうなメロディですよね。それでこんな曲題にしてあるのでしょう。そして実際に聴いてみたらクレツマーが混じっていることもお分りのはず。面白いですね。このころの ODJB にはハワイだとか中国や日本などの東アジアの題材もあったんですよ。

 

 

もっともっと書きたいことが本当に山ほどあるんですが、これくらいにしておかないとすでに長くなっております。それに僕の趣旨は伝わるかたには伝わったかなあと自負しますので、このへんで今日の文章はおしまいにします。この下に、1920年までに発売された ODJB のレコードをクロノロジカルな一覧にしておきますので、参考になさってください。

 

 

 

Dixie Jass Band One-Step / Livery Stable Blues (Victor 18255) 1917

 

 

At the Jazz Band Bal / Barnyard Blues (Aeolian Vocalion A1205) 1917

 

 

Ostrich Walk / Tiger Rag (Aeolian Vocalion A1206) 1917

 

 

Reisenweber Rag  /Look at 'Em Doing It Now (Aeolian Vocalion 12420) 1917

 

 

Darktown Strutters' Ball / (Back Home Again in) Indiana (Columbia A2297) 1917

 

 

At the Jazz Band Ball (1918 version) / Ostrich Walk (1918 version) (Victor 18457) 1918

 

 

Skeleton Jangle / Tiger Rag (1918 version) (Victor 18472) 1918

 

 

Bluin' the Blues  / Sensation Rag (Victor 18483) 1918

 

 

Mournin' Blues / Clarinet Marmalade (Victor 18513) 1918

 

 

Fidgety Feet (War Cloud) / Lazy Daddy (Victor 18564) 1918

 

 

Lasses Candy / Satanic Blues (Columbia 759) 1919

 

 

Oriental Jazz (or "Jass"), 1919, recorded November 24, 1917 and issued as Aeolian Vocalion 12097 in April 1919 with "Indigo Blues" by Ford Dabney's Band

 

 

At the Jazz Band Ball (1919 version) / Barnyard Blues  (1919 version) (English Columbia 735) 1919, recorded in London, England, April 16, 1919

 

 

Soudan (also known as "Oriental Jass" and "Oriental Jazz"), 1920, recorded in London, England, in May 1920 and released as English Columbia 829. The B side was "Me-Ow" by the London Dance Orchestra

 

 

Margie / Palesteena (Victor 18717) 1920

 

 

Broadway Rose / Sweet Mama (Papa's Getting Mad) (Victor 18722) 1920
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